二十五の夜を越えて

深見萩緒

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12月7日【チョーク】

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 するり、ふわん、とん。
 マンホールの底の底に、ふたりは軟着陸しました。降りてきた方を見れば、小さく丸いかたちに、夜空が切り取られています。それが三日月みたいなかたちになってから、真っ暗になりました。誰かが、マンホールの蓋を閉めてしまったのでしょう。
 誰が閉めたのかは分かりません。けれどとにかく、ゆうちゃんとミトラは、真っ暗の中に取り残されてしまいました。空が見えないので、星においでおいでをすることも出来ません。

 真っ暗な中に立ち尽くしていると、前や後ろどころか、右や左、上や下がどちらなのかも分からなくなってきます。どこからどこまでがゆうちゃんで、どこからどこまでが暗闇なのか、分からなくなってしまいます。
 だけど、ずっとここにいるわけにもいきませんので、ゆうちゃんは勇気を出して歩き始めました。


 歩き始めて分かったことなのですが、ここは本当に真っ暗闇で、光どころか、音すら闇に塗り潰されてしまうのでした。
 ゆうちゃんが歩いても、足音ひとつしません。ミトラが歌っても、歌声はゆうちゃんの耳にはかろうじて届きますが、すぐに真っ暗闇に溶けて消えてしまいます。
 あんまり心細いので、ゆうちゃんは10歩行くごとに、「いる?」とミトラに尋ねました。ミトラは『いるよ』と答えてから、『ゆうちゃんも、いる?』と尋ねました。ゆうちゃんも、「いるよ」と答えました。
 ゆうちゃんとミトラは、お互いの声だけを寄るべにして、真っ暗闇の中を進みます。


 どれだけ歩いたでしょうか。闇の中にぽつんと、長細い白が浮かんで見えました。駆け寄ってみますと、それは1本のチョークでした。まだ少しもすり減っていないし、どこも欠けていない、新品のチョークです。
 仄光るチョークを手に取ると、ゆうちゃんの指先だけが輪郭を取り戻します。
『ゆうちゃん、それで明かりを描いて』
 ミトラに頼まれて、ゆうちゃんはその場にしゃがみ込みました。壁がどこにもないので、足元に描くしかありません。

 足元はコンクリートに塗り固められていて、チョークで何かを描くには適しています。ゆうちゃんはそこに、火のついたろうそくを描きました。そうしたらそれは、真っ白な炎の燃える、真っ白なろうそくになりました。
 ミトラがろうそくを持つと、ようやく辺りが照らされて、ゆうちゃんとミトラは顔を見合わせて笑いました。
『ゆうちゃん、もっと色々描いて。ここはちょっと、暗すぎるから』
 ゆうちゃんはミトラの言う通りに、色々なものを描きました。

 お花を描いたら、白いお花がたくさん咲きました。蝶々も描いたら、純白の蝶々が舞い踊りました。ウサギを描いたら、ふわふわぴょんと辺りを駆け回ったので、ミトラが大喜びしました。
『ねえねえ、ぼくにもそれ、貸して』
 ミトラが手を出したので、ゆうちゃんはミトラからろうそくを受け取って、代わりにチョークを渡しました。
 ミトラは一体、どんな絵を描くのでしょう。ゆうちゃんがわくわくしながら見ていたら、ミトラはツツーっと真っ直ぐの線を引きました。
 線を引きながら、ミトラはずんずん進んでいきます。
「この線、なに?」
『これは線路』
「線路かあ」

 がりがりがり。線路はどんどん伸びていき、チョークはどんどんすり減っていきます。
 がりがりがり。そしてついに、チョークは丸くちびっちゃくなって、なくなってしまいました。

『終わりだね』
「終わりだね。遠くまで来たね」
 振り向けば、チョークの線路が闇の中に、一直線に伸びています。あそこをずっと、歩いて来たのです。
 おや? 遠くに見える、ふたつの目玉はなんでしょう。ミトラもそれに気が付いたようで、ゆうちゃんと一緒にじいっとそれを見つめます。
 光る目玉は、真っ直ぐにゆうちゃんたちに近付いてきます。ああ、あれは目玉ではなく、ヘッドライトです。
『電車だ』
 と、ミトラは言いましたが、正しくは気動車です。
 いつのまにか、ミトラの引いたチョークの線は、対のレールに枕木の並ぶ、立派な線路になっていました。そこを、どどう、どどうとディーゼルエンジンを轟かせながら、赤い車体の気動車が、こちらに向かってくるのです。

 ゆうちゃんとミトラは、線路のわきに体を避けました。気動車はゆうちゃんの目の前に止まって、ぷしゅーと音を立てて、銀色の扉を開きました。
 乗ってください。そう言われたような気がして、ゆうちゃんはミトラを肩に乗せて、気動車に乗り込みました。3両編成の、1番前の車両です。

 ぷしゅー。扉が閉まって、気動車は走り始めました。どこに向かっているのでしょう。それは、ミトラにも分かりません。


 今夜の夢は、ここでおしまい。
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