二十五の夜を越えて

深見萩緒

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12月3日【月のクラゲ】

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 浜へ降りると、ゆうちゃんの履いているパンプスのヒールが、ずぶりと砂に突き刺さりました。ゆうちゃんはとても嫌そうな顔をしたあとで、もうパンプスを履く必要なんてないことに気が付いて、脱いでしまいました。
 ついでにストッキングも脱ぎ捨てて、パンプスの奥深くにぎゅっと詰めてしまいます。本当は窮屈なジャケットもタイトスカートも脱いでしまいたかったのですが、それはさすがにやめておきました。

『へんなかたちの靴だねえ』
 ミトラはゆうちゃんの肩から降りて、砂浜に並べて置かれたパンプスをしげしげと眺めます。
『滑り台みたいなかたちだね』
 その時、ゆうちゃんの指が、パンプスを触るミトラの手を払い除けました。そして脱いだパンプスを手に持つと、大きく振りかぶって、ぽーいと海へ投げ捨ててしまいました。

 ミトラが『あーっ』と叫んだときには既に、パンプスは波たちにもみくちゃにされて、彼らの所有物になってしまっていました。もう、返してくれと頼んだって、返してはもらえません。
『どうして投げたの。あれで滑り台遊びが出来るか、試してみようと思ったのに』
 ミトラの抗議にも、ゆうちゃんは何も言いません。ミトラは『もう、ゆうちゃんったら』と言って不貞腐れましたが、怒ってもしようがないと思ったのか、またゆうちゃんの肩に飛び乗りました。


 ゆうちゃんは、何も喋らなくなってしまいました。
 黙って、海を見つめます。夜の海を見つめるゆうちゃんの焦げ茶色の瞳には、夜よりももっと暗い、海よりももっと深い、何かの影が映っているようでした。それは波のように寄せては引いて、ゆうちゃんの持っているものを少しずつ削り取って、どこか果てしない奥深くへと流し去っていくものでした。

 ゆうちゃんが海に来たがったのは、海が好きだからじゃないのかしら。ゆうちゃんは本当は、海が嫌いなのかしら。ミトラは首をかしげます。ゆうちゃんが何も話してくれないので、ミトラには何も分かりません。
 黙ったまま、ゆうちゃんは波打ち際を歩きます。時おり元気の良い波が、ゆうちゃんの素足を舐めていきます。引き波と共に海へ攫われる砂の粒たちが、ゆうちゃんの足の裏をこそこそくすぐります。


 しばらく歩いて、ゆうちゃんとミトラは光る丸いものを見付けました。
 それが空に浮かんでいるのなら、光る丸いものはお月さまに決まっています。けれどそれらは砂の上でぺしゃんこになっていましたので、きっとお月さまとは違うものなのでした。
「クラゲだ」
 ゆうちゃんが、ようやく喋りました。『クラゲだねえ』と、ミトラも言いました。ミトラは、ゆうちゃんが喋ってくれたことが嬉しかったので、『クラゲがいっぱいいるねえ』と言葉を付け足しました。
 確かにミトラの言う通り、波打ち際にはクラゲがいっぱい打ち上がっていました。どれもこれも、お月さまと同じ、はちみつミルクの色に光っています。
「どうしてクラゲが光るんだろう」
『ゆうちゃん知らないの。お月さまの光が、あの波のひとつひとつに映ったら、それはぜんぶクラゲになるんだよ。だからクラゲは光るんだよ』
「波に映ったお月さまが全部クラゲになるんなら、海はクラゲだらけになっちゃうんじゃない」
『ならないよ。ウミガメが食べるから。だからウミガメの卵は、お月さまみたいに白くてまんまるなんだよ』
「うーん。分かるような、分からないような」

 ゆうちゃんは、元の調子に戻ったようでした。しゃがんでクラゲをつついてみると、クラゲは深呼吸をするように、体を膨らませたりしぼませたりしました。それからやにわに浮かび上がって、ゆうちゃんの膝の辺りをゆらゆら漂い始めました。
 月のクラゲたちはそらを泳ぎます。お月さまには到底届かないけれど、少しでも近くに行きたいのかもしれません。

「さっきは、ごめんね」
 ゆうちゃんは、ミトラに謝りました。『良いよ』とミトラは言いました。
『でも、もし公園を見付けたら、滑り台遊びに付き合ってよね』
 ゆうちゃんは、大人である自分の体が滑り台に適しているか不安になりましたが、「うん」と頷きました。ここは夢の中なのですから、きっと大人専用の滑り台もあるはずです。
『ぶらんこにも乗ろうね』
「じゃあ、次は公園に行こうか」
『さんせーい』
 ゆうちゃんとミトラは、ミルクの薄膜みたいなクラゲの海をかき分けながら、海沿いをずっと歩いて行きました。


 今夜の夢は、ここでおしまい。
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