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12月15日【北風が吹かない冬】
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ゆみこさんのお家は、ずいぶんにぎやかになりました。屋根にはイルミネーションが輝き、リビングには、霜で真っ白になったクリスマスツリーが立っています。そして何より、子供たちが元気に走り回っているのです。これほど十二月にふさわしい光景は、ほかにありません。
ゆみこさんも、毎年の十二月よりも、浮足立った気持ちです。
これまで、ゆみこさんにとって十二月とは、クリスマスよりも年末の方が重要だったのです。年末には、もう大人になってこのお家を巣立ってしまった、ゆみこさんの子供が帰って来ますから。それを楽しみに、ゆみこさんは、十二月を過ごしていました。
今年だって、もちろん年末は楽しみなのですが、それに加えて、今がとっても楽しいのです。ゆみこさんは、鼻歌なんか歌いながら、ご機嫌に靴下を編んでいきます。昨日、長江商店のヨシオさんが、毛糸をたくさん持ってきてくれましたので、どんな色を使っても困ることがありません。
「白い靴下を編むとよいぞ。雪の上に落としたら、もう二度と見つからないくらい、真っ白な靴下をな」
メレンゲの王様はそう言いますが、けれど、落としたら二度と見つからないのは困りますので、ゆみこさんは真っ白な靴下を編んだあとに、赤いぽんぽん飾りを付けました。これなら、雪の上に落としたって、すぐに見つけられます。
「わあ、みーちゃんのお靴みたいね」
赤いぽんぽんを見て、みーちゃんが喜びます。メレンゲの王様は、それで「ぽんぽん飾りも、白がよいぞ」とは言えなくなって、代わりに、えへんえへんと咳をしました。
イルミネーションにクリスマスツリー、たくさんの靴下に、子供たちの笑い声。とても十二月らしい光景なのに、けれど、お家の外はちっとも十二月らしくありません。空には分厚い雪雲もなく、北風も吹いておらず、おひさまは春のようにさんさんと暖かく、本当に、十二月らしさの欠片もないのです。
今日だって、暖房を入れる必要もなく、ゆみこさんは窓際でぽかぽか日光浴をしながら、靴下を編んでいます。
十二月って、これで良いんだったかしら。寒いより、そりゃ暖かい方が過ごしやすいのですが、ゆみこさんはちょっとだけ、不安になるのです。こんなに暖かくって、良いのかしら。
とはいえ、考えたって仕方がありません。良いも悪いも、ゆみこさんにはどうしようもないことなのです。今はこの暖かさに甘えて、ゆみこさんはせっせと靴下を編むのです。
春みたいなひだまりの中で、みーちゃんが三度目の大あくびをしたときです。キンコーン。今日も、玄関のチャイムが鳴りました。男の子が素早い動きで、たくさんの靴下の山に身を隠しましたので、誰がいらっしゃったのか、すぐに分かります。
「はい、はい。今行きますよ」
ゆみこさんが玄関に出ますと、そこに立っていたのは、もちろん、石炭の局員さんです。
すぐリビングにお通ししますと、局員さんはリビングの様子を見て、「はあ」と感嘆の声を上げました。
「これはまた、ずいぶんとお家も様変わりしましたね」
「ええ、色々あったものですから」
本当に、色々あったのです。大海原を渡ったり、椎の木が天井を突き破ったり。
その色々を話すために、ゆみこさんは、紅茶を淹れました。午前のうちに焼いておいた、ジンジャークッキーとメレンゲクッキーもお出しします。
「ありがとうございます。それにしても、迷子の数が増えましたね」
局員さんは改めて、部屋の中を見回しまして、迷子の数を数えます。
男の子でしょう、みーちゃんでしょう。それから、メレンゲの王様も迷子です。クリスマスツリーの上に積もらない雪を降らせている、雪雲さんも、迷子。ツリーの葉に降りている、朝霜たちも、迷子。
舟の中でぐうぐういびきをかいてお昼寝をしている、オパールの人は迷子ではありません。ですけれど、オパールの人が捕まえてブローチにしてしまった魚たち(それは、元々はクリスマスのオーナメントであったもの)は、やっぱり迷子です。
「迷子のお手紙たちって、毎年こんなに、多いのですか」
ゆみこさんが尋ねますと、石炭の局員さんは「いいえ」と沈んだ声を出します。
「今年は、特別多いのです。というのも、私たちは北風郵便局ですから、北風に乗って移動して、お手紙を届けます。それが今年は、この通りでしょう」
そう、今年は北風が吹かないのです。強く、寒く、乾いていて、肌を刺すような冷たさのある北風が、ちっとも吹きやしないのです。
「実体を持たないものたちは、実体を持つものたちよりもずっと、曖昧で、儚い存在です。配達に時間がかかっているうちに、自分がどこへ行くお手紙だったのかを忘れてしまって、迷子になってしまうのです」
「なんとか、届けてあげられないでしょうか」
「北風さえ吹けば、万事解決なんですがねえ。いくら宛先を忘れたって言っても、世界じゅうを走り回れば、あっここだって場所が、見つかるもんですからね。北風さえ吹けば、北風にのってあちこち回って、正解の宛先を探すんですが……」
局員さんは困った顔で、穏やかな陽気の照らす、窓の外をちらりと見ました。ああ、こんな気候じゃ、とても北風なんてびゅんびゅん吹きそうにないのです。
「なるほどなあ。それで、おれの商売も、今年はてんでだめなんだ」
さっきまで眠っていたはずのオパールの人が、突然会話に割り込んできます。いつ、起きたのでしょう。さっきまでいびきをかいていたはずなのに、今はもう、何時間も前からそうしていたと言わんばかりの真剣な表情で、網の点検をしているのです。
「毎年、おれのお客は寒気団に乗ってやってくるんだ。それで、きらきらしたものを買って行くんだ。それなのに、今年はちっとも来やしないと思ったら。なるほどなあ、北風が吹かないのか」
寒くない冬は、お手紙の配達にも、オパールの人の商売にも、あらゆるところに影響を与えているのです。
何か、私にできることがないかしら。
ゆみこさんは考えます。ゆみこさんは、ずっと、考えています。北風ゆうびん休憩所を開設する、もっと前から、いつも同じことを考えていました。何か、私にできることがないかしら。ゆみこさんはずっと、そんなふうに考えて、生きてきました。
そのひとつの結論として、ゆみこさんは、靴下を編み続けてきたのです。誰かにとっての、ほんの小さな幸福になりますようにと、そう願って靴下を編んできました。
そして今、ゆみこさんには、靴下を編むほかにもできることが、あるような気がしています。
「あのう、もしご存じでしたら、教えていただきたいのですけれど。北風って、いったいどこから吹いているのかしら。北風の吹く場所へ行って、どうして今年は吹かないのか、私たちで、確かめに行くことはできないでしょうか」
ゆみこさんの提案に、石炭の局員さんも、オパールの人も、びっくりしてしまいます。
「ゆみこさん。北風は、宇宙の果てから吹くのですよ。寒さというものは、宇宙からしんしんと降り注ぐものです。そして寒さを伴う北風は、宇宙の片隅にぽっかり空いた、風穴から吹いて出るのです」
「そうそう。だけど、そこへ行ってみるなんて、とんでもないことを考えるもんだ。宇宙の果てなんて、光だってそんなとこ、行きやしないっていうのに」
ふたりとも、びっくりはしていますが、怒ってはいないようです。びっくりにも、良いびっくりと悪いびっくりとがあります。これはどうやら、良いびっくりの方のようなのです。
石炭の局員さんは、皮の鞄から、羊皮紙の地図を取り出しました。地図には、たくさんの直線と曲線、点と文字とが書き込まれており、ゆみこさんにはさっぱり読めないのですが、それは宇宙を表わす地図のようでした。
局員さんの真っ黒な指が、地図の一点を示します。
「ここが、私たちのいるところ。ここから、まず海へ出て、認知多元空間まで移動しましょう。上手く天の川の流れに乗れば、南の風穴まで、そう時間はかからないでしょう」
局員さんの言うことは難しく、ゆみこさんには半分も理解できません。ひとつだけ分かることといったら、とにかく、北風の吹く大元の場所へ、行けるらしいということです。
北風の吹く風穴へと向かい、どうして今年は北風が吹かないのか、その原因を見てきましょう。原因が分かれば、もしかしたら、今からでも冬を寒くすることが、できるかもしれません。
そうと決まれば、さっそく旅の準備です。と言っても、やっぱりこのお家ごと海に出ますから、特にこれといった準備も必要ないのです。
一番大切なのは、心の準備でしょう。なんといっても、宇宙の果てまで行くのです。ちょっとそこまで、買い物に行くのとはわけが違うのですから。
「宇宙の果てまで行くんだって」
「宇宙のはてって、どんなところだろうね」
子供たちも、そわそわと落ち着きません。何を準備しようかと、リビングの中をうろうろ歩き回って、毛布の山の形を整えたり、窓に鍵がかかっているか確認したり、お気に入りの靴下をソファの隙間に隠したりします。
メレンゲの王様は、張り切っています。
「きっと吾輩が、宇宙の果てまで行った、最初のメレンゲであろう。メレンゲも、宇宙進出の時代なのである。新時代を切り拓く、吾輩はまさに、王の中の王と言えるであろう」
と、鼻高々です。
そして誰よりも張り切っているのは、なんとオパールの人なのです。
「やあ、今年はろくに商売も出来なくて、冬じゅうずっと昼寝でもしていようと思っていたが、宇宙の果てに行けるとなると話は違う。おれの舟を、宇宙の果てに浮かべられるなんて、なんとも楽しみだ。さあ行こう、早く行こう」
オパールの人が、いそいそと、オパールの舟に乗り込みました。ゆみこさんは慌てて椅子に深く座り、テーブルの端をしっかりとつかみます。
「ようし、出航!」
オパールの人が櫂で漕ぎ出しますと、ゆみこさんのお家は、ざぶんと大きく揺れました。窓の外には、再び海が広がります。この海を渡って、宇宙へ行くのです。この海の先に、宇宙の果てがあるのです。
ゆみこさんは、頬が熱くなるのを感じました。胸がどきどきして、視界がきらきらして、体がじーんとしびれます。
――楽しみなのね、私。
ゆみこさんは、自分が抱いている感情の正体に、気が付きました。
(宇宙の果てに行くのが、怖くもあるけれど、楽しみで、わくわくしていて、自分にできることがもっとあると思えて……自分に期待しているんだわ)
自分に期待する、という感覚が、とても久しぶりなので、ゆみこさんはすっかり忘れていたのです。
昔は出来ていたはずのことが出来なくなっていって、たくさんの人がゆみこさんを助けてくれますけれど、それがありがたくもあり、けれど申し訳なくもありました。
自分に出来ることが、どんどん少なくなっていく。これからもっと、色んなことが、出来なくなっていくでしょう。ゆみこさんは、そのことを、静かに受け入れてきました。
(でも、まだ私にも、出来ることがあるんだわ)
自分に期待するって、なんて気持ちの良いものなんでしょう。
ゆみこさんは、ゆっくりと、深呼吸をしました。潮風が胸いっぱいに満ちて、ゆみこさんは、ああ、生きているなあ、と思ったのでした。
ゆみこさんも、毎年の十二月よりも、浮足立った気持ちです。
これまで、ゆみこさんにとって十二月とは、クリスマスよりも年末の方が重要だったのです。年末には、もう大人になってこのお家を巣立ってしまった、ゆみこさんの子供が帰って来ますから。それを楽しみに、ゆみこさんは、十二月を過ごしていました。
今年だって、もちろん年末は楽しみなのですが、それに加えて、今がとっても楽しいのです。ゆみこさんは、鼻歌なんか歌いながら、ご機嫌に靴下を編んでいきます。昨日、長江商店のヨシオさんが、毛糸をたくさん持ってきてくれましたので、どんな色を使っても困ることがありません。
「白い靴下を編むとよいぞ。雪の上に落としたら、もう二度と見つからないくらい、真っ白な靴下をな」
メレンゲの王様はそう言いますが、けれど、落としたら二度と見つからないのは困りますので、ゆみこさんは真っ白な靴下を編んだあとに、赤いぽんぽん飾りを付けました。これなら、雪の上に落としたって、すぐに見つけられます。
「わあ、みーちゃんのお靴みたいね」
赤いぽんぽんを見て、みーちゃんが喜びます。メレンゲの王様は、それで「ぽんぽん飾りも、白がよいぞ」とは言えなくなって、代わりに、えへんえへんと咳をしました。
イルミネーションにクリスマスツリー、たくさんの靴下に、子供たちの笑い声。とても十二月らしい光景なのに、けれど、お家の外はちっとも十二月らしくありません。空には分厚い雪雲もなく、北風も吹いておらず、おひさまは春のようにさんさんと暖かく、本当に、十二月らしさの欠片もないのです。
今日だって、暖房を入れる必要もなく、ゆみこさんは窓際でぽかぽか日光浴をしながら、靴下を編んでいます。
十二月って、これで良いんだったかしら。寒いより、そりゃ暖かい方が過ごしやすいのですが、ゆみこさんはちょっとだけ、不安になるのです。こんなに暖かくって、良いのかしら。
とはいえ、考えたって仕方がありません。良いも悪いも、ゆみこさんにはどうしようもないことなのです。今はこの暖かさに甘えて、ゆみこさんはせっせと靴下を編むのです。
春みたいなひだまりの中で、みーちゃんが三度目の大あくびをしたときです。キンコーン。今日も、玄関のチャイムが鳴りました。男の子が素早い動きで、たくさんの靴下の山に身を隠しましたので、誰がいらっしゃったのか、すぐに分かります。
「はい、はい。今行きますよ」
ゆみこさんが玄関に出ますと、そこに立っていたのは、もちろん、石炭の局員さんです。
すぐリビングにお通ししますと、局員さんはリビングの様子を見て、「はあ」と感嘆の声を上げました。
「これはまた、ずいぶんとお家も様変わりしましたね」
「ええ、色々あったものですから」
本当に、色々あったのです。大海原を渡ったり、椎の木が天井を突き破ったり。
その色々を話すために、ゆみこさんは、紅茶を淹れました。午前のうちに焼いておいた、ジンジャークッキーとメレンゲクッキーもお出しします。
「ありがとうございます。それにしても、迷子の数が増えましたね」
局員さんは改めて、部屋の中を見回しまして、迷子の数を数えます。
男の子でしょう、みーちゃんでしょう。それから、メレンゲの王様も迷子です。クリスマスツリーの上に積もらない雪を降らせている、雪雲さんも、迷子。ツリーの葉に降りている、朝霜たちも、迷子。
舟の中でぐうぐういびきをかいてお昼寝をしている、オパールの人は迷子ではありません。ですけれど、オパールの人が捕まえてブローチにしてしまった魚たち(それは、元々はクリスマスのオーナメントであったもの)は、やっぱり迷子です。
「迷子のお手紙たちって、毎年こんなに、多いのですか」
ゆみこさんが尋ねますと、石炭の局員さんは「いいえ」と沈んだ声を出します。
「今年は、特別多いのです。というのも、私たちは北風郵便局ですから、北風に乗って移動して、お手紙を届けます。それが今年は、この通りでしょう」
そう、今年は北風が吹かないのです。強く、寒く、乾いていて、肌を刺すような冷たさのある北風が、ちっとも吹きやしないのです。
「実体を持たないものたちは、実体を持つものたちよりもずっと、曖昧で、儚い存在です。配達に時間がかかっているうちに、自分がどこへ行くお手紙だったのかを忘れてしまって、迷子になってしまうのです」
「なんとか、届けてあげられないでしょうか」
「北風さえ吹けば、万事解決なんですがねえ。いくら宛先を忘れたって言っても、世界じゅうを走り回れば、あっここだって場所が、見つかるもんですからね。北風さえ吹けば、北風にのってあちこち回って、正解の宛先を探すんですが……」
局員さんは困った顔で、穏やかな陽気の照らす、窓の外をちらりと見ました。ああ、こんな気候じゃ、とても北風なんてびゅんびゅん吹きそうにないのです。
「なるほどなあ。それで、おれの商売も、今年はてんでだめなんだ」
さっきまで眠っていたはずのオパールの人が、突然会話に割り込んできます。いつ、起きたのでしょう。さっきまでいびきをかいていたはずなのに、今はもう、何時間も前からそうしていたと言わんばかりの真剣な表情で、網の点検をしているのです。
「毎年、おれのお客は寒気団に乗ってやってくるんだ。それで、きらきらしたものを買って行くんだ。それなのに、今年はちっとも来やしないと思ったら。なるほどなあ、北風が吹かないのか」
寒くない冬は、お手紙の配達にも、オパールの人の商売にも、あらゆるところに影響を与えているのです。
何か、私にできることがないかしら。
ゆみこさんは考えます。ゆみこさんは、ずっと、考えています。北風ゆうびん休憩所を開設する、もっと前から、いつも同じことを考えていました。何か、私にできることがないかしら。ゆみこさんはずっと、そんなふうに考えて、生きてきました。
そのひとつの結論として、ゆみこさんは、靴下を編み続けてきたのです。誰かにとっての、ほんの小さな幸福になりますようにと、そう願って靴下を編んできました。
そして今、ゆみこさんには、靴下を編むほかにもできることが、あるような気がしています。
「あのう、もしご存じでしたら、教えていただきたいのですけれど。北風って、いったいどこから吹いているのかしら。北風の吹く場所へ行って、どうして今年は吹かないのか、私たちで、確かめに行くことはできないでしょうか」
ゆみこさんの提案に、石炭の局員さんも、オパールの人も、びっくりしてしまいます。
「ゆみこさん。北風は、宇宙の果てから吹くのですよ。寒さというものは、宇宙からしんしんと降り注ぐものです。そして寒さを伴う北風は、宇宙の片隅にぽっかり空いた、風穴から吹いて出るのです」
「そうそう。だけど、そこへ行ってみるなんて、とんでもないことを考えるもんだ。宇宙の果てなんて、光だってそんなとこ、行きやしないっていうのに」
ふたりとも、びっくりはしていますが、怒ってはいないようです。びっくりにも、良いびっくりと悪いびっくりとがあります。これはどうやら、良いびっくりの方のようなのです。
石炭の局員さんは、皮の鞄から、羊皮紙の地図を取り出しました。地図には、たくさんの直線と曲線、点と文字とが書き込まれており、ゆみこさんにはさっぱり読めないのですが、それは宇宙を表わす地図のようでした。
局員さんの真っ黒な指が、地図の一点を示します。
「ここが、私たちのいるところ。ここから、まず海へ出て、認知多元空間まで移動しましょう。上手く天の川の流れに乗れば、南の風穴まで、そう時間はかからないでしょう」
局員さんの言うことは難しく、ゆみこさんには半分も理解できません。ひとつだけ分かることといったら、とにかく、北風の吹く大元の場所へ、行けるらしいということです。
北風の吹く風穴へと向かい、どうして今年は北風が吹かないのか、その原因を見てきましょう。原因が分かれば、もしかしたら、今からでも冬を寒くすることが、できるかもしれません。
そうと決まれば、さっそく旅の準備です。と言っても、やっぱりこのお家ごと海に出ますから、特にこれといった準備も必要ないのです。
一番大切なのは、心の準備でしょう。なんといっても、宇宙の果てまで行くのです。ちょっとそこまで、買い物に行くのとはわけが違うのですから。
「宇宙の果てまで行くんだって」
「宇宙のはてって、どんなところだろうね」
子供たちも、そわそわと落ち着きません。何を準備しようかと、リビングの中をうろうろ歩き回って、毛布の山の形を整えたり、窓に鍵がかかっているか確認したり、お気に入りの靴下をソファの隙間に隠したりします。
メレンゲの王様は、張り切っています。
「きっと吾輩が、宇宙の果てまで行った、最初のメレンゲであろう。メレンゲも、宇宙進出の時代なのである。新時代を切り拓く、吾輩はまさに、王の中の王と言えるであろう」
と、鼻高々です。
そして誰よりも張り切っているのは、なんとオパールの人なのです。
「やあ、今年はろくに商売も出来なくて、冬じゅうずっと昼寝でもしていようと思っていたが、宇宙の果てに行けるとなると話は違う。おれの舟を、宇宙の果てに浮かべられるなんて、なんとも楽しみだ。さあ行こう、早く行こう」
オパールの人が、いそいそと、オパールの舟に乗り込みました。ゆみこさんは慌てて椅子に深く座り、テーブルの端をしっかりとつかみます。
「ようし、出航!」
オパールの人が櫂で漕ぎ出しますと、ゆみこさんのお家は、ざぶんと大きく揺れました。窓の外には、再び海が広がります。この海を渡って、宇宙へ行くのです。この海の先に、宇宙の果てがあるのです。
ゆみこさんは、頬が熱くなるのを感じました。胸がどきどきして、視界がきらきらして、体がじーんとしびれます。
――楽しみなのね、私。
ゆみこさんは、自分が抱いている感情の正体に、気が付きました。
(宇宙の果てに行くのが、怖くもあるけれど、楽しみで、わくわくしていて、自分にできることがもっとあると思えて……自分に期待しているんだわ)
自分に期待する、という感覚が、とても久しぶりなので、ゆみこさんはすっかり忘れていたのです。
昔は出来ていたはずのことが出来なくなっていって、たくさんの人がゆみこさんを助けてくれますけれど、それがありがたくもあり、けれど申し訳なくもありました。
自分に出来ることが、どんどん少なくなっていく。これからもっと、色んなことが、出来なくなっていくでしょう。ゆみこさんは、そのことを、静かに受け入れてきました。
(でも、まだ私にも、出来ることがあるんだわ)
自分に期待するって、なんて気持ちの良いものなんでしょう。
ゆみこさんは、ゆっくりと、深呼吸をしました。潮風が胸いっぱいに満ちて、ゆみこさんは、ああ、生きているなあ、と思ったのでした。
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