北風ゆうびん休憩所

深見萩緒

文字の大きさ
上 下
10 / 25

12月10日【オーナメントの海】

しおりを挟む
 キンコーン。この日、玄関のチャイムが鳴ったのは、すっかり日も沈んでしまった夜のことです。
 ゆみこさんたちは、ちょうど、お夕食をいただこうとしていたところした。ゆみこさんはコンロの火を止めて、「はあい」と玄関に向かいます。テーブルにお皿を並べていた男の子が、素早い身のこなしで毛布の山に隠れましたので、誰が来たのかは、なんとなく想像がつきました。

「こんばんは、ゆみこさん」
 玄関の前に立っていたのは、ゆみこさんの想像の通り、石炭の郵便局員さんでした。
「どうしているかと思って、様子を見に来たんです。配達を全て終わらせてから参りましたので、夜分遅くになってしまい、すみません」
「構いませんよ。ちょうど、お夕食にするところだったんです。どうですか、ご一緒に」
 石炭の局員さんは遠慮しましたが、ゆみこさんがあんまり勧めるものですから、「では、お言葉に甘えて」と、革靴を脱ぎました。
 ゆみこさんは、局員さんにお話したかったのです。休憩所を開設してから、どんなにたくさんのお手紙たちと出会い、どんなに素敵な経験をしてきたか。


 リビングに入りますと、局員さんは雪雲さんを見付け、お辞儀をしました。雪雲さんも、「ご無沙汰しています」と、粉雪を降らせます。
 それから局員さんは、毛布の山の上に仁王立ちしている、メレンゲの王様にも気が付きました。局員さんが挨拶をしますと、メレンゲの王様は「この毛布の下には、誰もいないのであるからして、お前は気にしなくてもよいぞ」と言いました。毛布の山の中から、「王様、余計なこと言わないでよ!」「にゃーん」と、くぐもった声が聞こえます。
「あの子たちも、元気にやっているようですね」
 石炭の局員さんは、黒くてつやつやした頬をほころばせて笑いました。


 ゆみこさんのお家の、今日のお夕食は、ホワイトシチューです。それから、マッシュポテトと、パンと、牛乳。
 色のないものしか口に出来ない雪雲さんには、具なしホワイトシチューと、具なしマッシュポテトと、パンの白い部分だけが、特別によそわれます。子供たちの食べるぶんは、お野菜ごろごろ、お肉もごろごろ。食べ応えと栄養がたっぷりです。

「さあ、さあ。局員さんは何も怖いことはありませんから、いい加減に出ていらっしゃい」
 ゆみこさんの説得もあって、男の子とみーちゃんは、毛布の中から這い出してきました。暑かったのか、ふたりとも頬っぺたが薔薇色に染まっています。
「久しぶりだね」
 と、局員さんは優しげな声色で言ったのですが、男の子は局員さんを睨んだままです。みーちゃんはといいますと、毛布の下に隠れていたのも、別に局員さんが怖かったり嫌いだったりするわけではなく、たんに男の子の真似をしただけでしたので、愛想よくご挨拶をします。それを見て、男の子はますますぶーたれました。


 みんなでお夕食をいただきながら、ゆみこさんは、ここ数日のことを局員さんにお話しました。
 秋の便りたちが来て、休憩をしていったこと。その次に、チビたクレヨンたちがやって来たこと。それから、今ここで一緒にシチューを食べている、かそけきものの雪雲さんと、メレンゲの王様も、迷子としてここを訪れたこと。

「チビクレヨンちゃんたちは、私の知り合いにお任せしたんです。長江商店といって、子供たちがよく来るお店ですから、迷子のクレヨンちゃんたちの宛先の子も、見付けられるかと思って」
 これは、ゆみこさんの独断でやったことでしたので、もしかしたら迷惑だったかもしれないと、ゆみこさんは不安に思ったのです。しかし、局員さんは「ああ、長江さんのところですね」と、訳知り顔でうなずきます。
「長江商店さんには、私どももよくお世話になっていますから、問題ありませんよ」
「そうなんですか」
「ええ。懇意にさせていただいています。もちろん、我々は少々特殊な郵便局ですからね。こちらが一方的に、ですけれど」
 局員さんは、秘密を打ち明けるように、人差し指をぴんと立てて、顔の前に持って行きます。「しー、だね」と、みーちゃんがその仕草の真似をしました。


 お夕飯を食べ終わりますと、局員さんは、肩から下げているポシェットの中から、分厚い手帳を取り出しました。そして、手帳の半ばほどのページを開いて、さっきゆみこさんが報告したことを詳細に、書き留めました。

 局員さんが人差し指で紙をなぞりますと、局員さんの体は石炭で出来ていますから、黒くてつやつやした石炭の線が、紙の上に引かれるのです。
 その様子を見ていたメレンゲの王様が、「ふむ。見事な黒であるな」と言いました。石炭の局員さんは、手帳から顔を上げ、「あなたも、見事な白でいらっしゃる」と言いました。

 局員さんが文字を書く音は、心地良く、静かな夜のリビングに響きます。男の子は、局員さんを警戒してかたいへんおとなしく、みーちゃんは局員さんが文字を書くのを黙って興味深そうに見つめているので、本当に、とても静かなのです。

 ですから、キンコーン。玄関のチャイムが鳴り響いたとき、すっかり静寂の中に身を浸していたゆみこさんは、心臓が口から飛び出したかと思ったのでした。どうやら、本日ふたりめのお客さまのようです。


「はい、はい。今行きますからね」
 編みかけの靴下をテーブルの上に置いて、ゆみこさんは玄関に向かいます。そして玄関のドアを開け、ゆみこさんは再び、心臓が口から飛び出すくらい驚きました。
 なんと、玄関の外が海になってしまっているのです。ざざ、ざざ、と波の音。深くて暗い夜の海が、ドアの向こういっぱいに広がっています。
 お向かいのお家の明かりも、道路沿いに立っているはずの街灯も、なんにも見えない真っ暗です。玄関から漏れた橙色の明かりが、玄関ポーチを洗う波と、そこに打ち寄せられた封筒とを照らしています。

「あぶないよ。おれが取るよ」
 ゆみこさんの様子を見に来た男の子が、玄関に出ました。ゆみこさんは足が悪いので、封筒を取ろうとして海に落っこちたら、大変だと思ったのでしょう。だけど、海に落っこちたら大変なのは、男の子だって一緒です。
「こらこら、危ない。私が取るから、あなたは下がっていなさいったら」
 ゆみこさんが、男の子の襟首をつかみます。
 ふたりが問答していますと、「私が取りましょう」と言って、石炭の局員さんが現れました。そして、すらりと長い腕を伸ばして、波打ち際の封筒を取り上げました。

 封筒は、深い青色をしています。かと思うと、光の加減で淡い水色に見えたり、白く煌めいて見えたりするのです。まるで、ゆらめく水面のように。


 ゆみこさんはいつものように、木製のペーパーナイフで、封筒を開きます。
 まず、封筒の中から飛び出してきましたのは、濃い海の香りでした。それから、銀色のあぶくが、封筒の中からぼこぼこと立ち上ります。あぶくは、初めは銀色でしたが、やがて金色や、光沢のある赤色のものも、立ち上るようになりました。

「おやおや、これは、オーナメントのお手紙ですね」と、局員さんが言いました。立ち上ったあぶくは、天井にぶつかる前にすいっと横に避け、まるで泳いでいるかのように、すいすい、移動します。いいえ、まるでではなく、まさに泳いでいるのです。あぶくは泳ぎながら、様々なかたちに姿を変えました。
 あるものは、球体に。あるものは、星のかたちに。またあるものは、雪の結晶のかたちになり、トナカイや、天使のかたちになったものもあります。煌めく色のクリスマス・オーナメントが、部屋の中をすいすい泳ぎ回ります。

「わあい」
 と、喜んだのはみーちゃんです。みーちゃんの頭の上を泳いでいたお星さまを、掴まえようと手を伸ばします。すると、どうでしょう。みーちゃんの体が、ふわりと宙に浮いたのです。
「見て、見て。みーちゃんも、泳いでる」
 みーちゃんは、手足をばたばた。リビングからソファの上を通って、ゆみこさんの頭の上をかすめて、男の子の腕の中まで泳いでいきました。

 それを見て、男の子も、手足をばたばた動かしてみました。するとやはり、まるで海の中にいるみたいに、空中を泳ぐことが出来るのです。
「わあ、面白い」
 男の子も、大喜びです。みーちゃんと一緒にリビングを泳ぎ、オーナメントを掴まえたり、ゆみこさんの頭にちょっと触って、逃げて行ったりします。

 ゆみこさんも、たまらず、床をえいっと蹴りました。ゆみこさんの体も、ふわりと浮かび、ゆみこさんは慌てて、テーブルの隅を掴みました。子供たちのように、上手に泳ぐ自身がなかったのです。
「ゆみこさん、力を抜いてごらんなさい。無理に泳がなくたって、浮かぶことは、簡単ですから」
 石炭の局員さんが言いましたので、ゆみこさんはアドバイスの通りに、全身の力を抜いてみました。すると、足は自然と床を離れ、体はゆるやかに傾き、まるでロッキングチェアに座っているような心地です。

「このオーナメントたちは、壊れたり、汚れたり、不要になったために捨てられたオーナメントたちでしょう。海は、全てのものを受け入れる器ですから、オーナメントたちは海に溶けてお手紙になって、この休憩所に来たのでしょうね」
 何も語らないオーナメントたちの代わりに、局員さんが、そう説明しました。

「迷子になったんでしょうか。それとも、行く宛てはあるけれど、疲れて、休憩しに来たのでしょうか」
「さあ、どうでしょう。ご迷惑なようでしたら、郵便局まで持ち帰りますが」
 局員さんの申し出を、ゆみこさんは、やんわりと断りました。リビングが海で満たされるくらい、まあ、良いだろうと思ったのです。


 この夜は、子供たちは疲れ切ってしまうまで、リビング中を泳ぎまわりました。オーナメントやメレンゲの王様たちと競争をしたり、空中ででんぐり返しをするのが一番上手な人を決めたりしました。

 どの競技も、審判は、雪雲さんが務めました。厳正な審査の結果、部屋の端から端まで、泳ぐのが一番速いのは男の子で(みんなより体が大きいので、そもそもかなり有利だったかもしれません)、でんぐり返しが一番上手なのは、みーちゃんという結果になりました。
 一番が決まりますと、オーナメントたちは体をふるわせ、鈴にも似た音を立てて、ふたりの王者をたたえます。

 子供たちの遊ぶ声を聞き、海の底になってしまったリビングをたゆたいながら、ゆみこさんは今夜も、毛糸の靴下をたくさん編んだのでした。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

二十五の夜を越えて

深見萩緒
児童書・童話
「ゆうちゃんが認知すれば、世界にはなんだってあるんだよ」…… 全く見覚えのない場所に、ゆうちゃんはいつの間にか立っていました。 どうやらここは夢の中。ミトラという奇妙な生き物と一緒に、ゆうちゃんは夜ごと夢の中を散策します。

忠犬ハジッコ

SoftCareer
児童書・童話
もうすぐ天寿を全うするはずだった老犬ハジッコでしたが、飼い主である高校生・澄子の魂が、偶然出会った付喪神(つくもがみ)の「夜桜」に抜き去られてしまいます。 「夜桜」と戦い力尽きたハジッコの魂は、犬の転生神によって、抜け殻になってしまった澄子の身体に転生し、奪われた澄子の魂を取り戻すべく、仲間達の力を借りながら奮闘努力する……というお話です。 ※今まで、オトナ向けの小説ばかり書いておりましたが、  今回は中学生位を読者対象と想定してチャレンジしてみました。  お楽しみいただければうれしいです。

新訳 不思議の国のアリス

サイコさん太郎
児童書・童話
1944年、ポーランド南部郊外にある収容所で一人の少女が処分された。その少女は僅かに微笑み、眠る様に生き絶えていた。 死の淵で彼女は何を想い、何を感じたのか。雪の中に小さく佇む、白い兎だけが彼女の死に涙を流す。

守護霊のお仕事なんて出来ません!

柚月しずく
児童書・童話
事故に遭ってしまった未蘭が目が覚めると……そこは死後の世界だった。 死後の世界には「死亡予定者リスト」が存在するらしい。未蘭はリストに名前がなく「不法侵入者」と責められてしまう。 そんな未蘭を救ってくれたのは、白いスーツを着た少年。柊だった。 助けてもらいホッとしていた未蘭だったが、ある選択を迫られる。 ・守護霊代行の仕事を手伝うか。 ・死亡手続きを進められるか。 究極の選択を迫られた未蘭。 守護霊代行の仕事を引き受けることに。 人には視えない存在「守護霊代行」の任務を、なんとかこなしていたが……。 「視えないはずなのに、どうして私のことがわかるの?」 話しかけてくる男の子が現れて――⁉︎ ちょっと不思議で、信じられないような。だけど心温まるお話。

マサオの三輪車

よん
児童書・童話
Angel meets Boy. ゾゾとマサオと……もう一人の物語。

氷鬼司のあやかし退治

桜桃-サクランボ-
児童書・童話
 日々、あやかしに追いかけられてしまう女子中学生、神崎詩織(かんざきしおり)。  氷鬼家の跡取りであり、天才と周りが認めているほどの実力がある男子中学生の氷鬼司(ひょうきつかさ)は、まだ、詩織が小さかった頃、あやかしに追いかけられていた時、顔に狐の面をつけ助けた。  これからは僕が君を守るよと、その時に約束する。  二人は一年くらいで別れることになってしまったが、二人が中学生になり再開。だが、詩織は自身を助けてくれた男の子が司とは知らない。  それでも、司はあやかしに追いかけられ続けている詩織を守る。  そんな時、カラス天狗が現れ、二人は命の危険にさらされてしまった。  狐面を付けた司を見た詩織は、過去の男の子の面影と重なる。  過去の約束は、二人をつなぎ止める素敵な約束。この約束が果たされた時、二人の想いはきっとつながる。  一人ぼっちだった詩織と、他人に興味なく冷たいと言われている司が繰り広げる、和風現代ファンタジーここに開幕!!

ラディアント魔宝石学園へようこそ

nika
児童書・童話
この世の全ての自然物には魔力が秘められている。 ただ一つ人間を除いて。 人間はその代わりに魔力をエネルギーとした魔法が使えた。 けれどそれも上手く使いこなせるのは一握りの人たちだけ。 一般人は魔力の込められた便利な道具”魔宝石”を使って暮らしていた。 魔法学校に通う主人公みかげは、魔宝石を作る宝石師になるのが目標。 しかし、ある日通っている魔法学校から退学を宣告されてしまう。 一度落ちこぼれたら二度と魔法学校には通えず宝石師になることもできない。 それが社会のルールだった。 みかげは夢を断たれた事になったが、優秀な二人の姉の企みで名門魔宝石学校の転入試験を受けることになる。 みかげは絶対に受かりたいと強い気持ちで試験に挑んだものの、試験中に起こした問題が原因でどん底に突き落とされる。 感情がぐちゃぐちゃになったみかげは、本当は大好きな姉たちに八つ当たりをして大嫌いと言ってしまう。 試験は放棄しよう。そう逃げかけたけれど、みかげはある事を思い出し再び立ち上がる。 今度は姉たちの手は借りられない。 そこで学園の責任者も一目置いている謎の教員シトアとタッグを組み、試験をパスするための特訓を始める。 シトアの助力により”魔力の本質”に気づいたみかげ。 試験で自分にできる最大限の力を発揮すると同時に、姉達の本当の思惑を知ったのだった。

悪魔さまの言うとおり~わたし、執事になります⁉︎~

橘花やよい
児童書・童話
女子中学生・リリイが、入学することになったのは、お嬢さま学校。でもそこは「悪魔」の学校で、「執事として入学してちょうだい」……って、どういうことなの⁉待ち構えるのは、きれいでいじわるな悪魔たち! 友情と魔法と、胸キュンもありの学園ファンタジー。 第2回きずな児童書大賞参加作です。

処理中です...