片角の音楽隊

深見萩緒

文字の大きさ
上 下
12 / 13

第3話・チェルの屋敷とギター・ブギー(3)

しおりを挟む
 チェルの作る甘ったるいパンケーキを食べて、食後に苦いコーヒーを飲む。それからチェルは、すぐ図書室にこもってしまった。「調べたいことがあるから」と言う彼女の眼差しは、既に深い思考の海に沈んでしまっていた。

 私は私で、ギターを手にした嬉しさもあり、わざわざ彼女の仕事を邪魔しようとは思わない。
 二階の片隅にもらった自室。そのバルコニーに椅子を出し、ギターを抱えて腰掛ける。昼下がりのさわやかな風が角に心地良い。

 何を弾こうか、迷う時間ももったいない。私は何も考えずに指を配置し、その動くがままに任せた。母はこれを「ギターの好きにさせる」と言った。


 指が弾き始めたのは、少し大人びて小洒落た曲だった。
(『アンジー』か。良いね)
 私はそれに合わせて爪先でリズムを取る。日陰になったバルコニーが世界から切り取られて、私だけの空間になっていく。
 身体が乗ってきたので、そのまま『クラシカル・ガス』に移行する。しっとりとした中に印象的なメロディが繰り返される。これを弾いていると、なんだか自分がすごくかっこいい大人になったような気がする。

 さて、それも終わると……もっと身体を動かしたいような気分になってきた。明るくて、ついリズムを取ってしまうような曲が良い。そう考えていると、バルコニーの手すりに小鳥がとまった。名前は分からないけれど、真っ黒な中に金色が煌めく羽根がとても綺麗だ。
 羽休めでもしに来たのだろうか。小鳥は何度か跳ねるようにして手すりの上を移動し、飛び去っていく様子はない。その可愛らしい姿を見ているうちに、私の中にちょっとした遊び心が生まれた。

「……あなたがお客さんね。ようこそ、ルニャ・ギターインスト・コンサートへ!」

 軽く礼をして、またギターに指を置く。
 この小鳥さんを、思い切り楽しませてあげよう。ボディを叩いてカウントを取り、軽快に弦をかき鳴らす。さっきまでのしっとりとした曲とは全く違う、『ギター・ブギー』は、聴いている誰もが思わず踊りたくなってしまうような曲だ。

 もちろん小鳥が踊り始めるわけもなないんだけど、でも逃げもせずに、じっと私のギターを聴いている。聴かせる相手がいるというのは、気持ちのいいものだ。



「……以上、ルニャ・ギターインスト・コンサートでした! 来てくれてありがとう!」
 弾き終わると同時に、私は椅子から立ち上がり小鳥に向かってお辞儀をした。小鳥は、つぶらな目で不思議そうに私を見ている。
「リクエストがあれば何なりと! 次回の開催は未定ですが、近いうちに――」

 ふと、バルコニーから下の庭へと視線を落とした。――その視線を受け取る誰かがいた。

「え。あ、ああっ!」
 思わず大声を出してしまい、それに驚いたのか、小鳥が飛び去っていく。でも、それに構っている場合じゃない。私は慌てて、ギターを持って室内に引っ込んだ。

 見られた。絶対に見られた。だって相手も、私と同じ表情をしていたんだもの。つまり……「どうして、あいつがここに?」という顔。


 階下から人の声がした。「はいはーい」とチェルが対応に出る。廊下に出て耳を澄ませてみる。訪問者とチェルは、親しげに会話をしている。
 そのやり取りの片隅に「バルコニーに……」という言葉の断片を捉えた。「ああ、それなら」と、チェルは隠す素振りもない。
 とうとう我慢できずに、私は階段の陰から顔を出して、訪問者の顔を盗み見た。

 ……間違いない。パレードの日、私の財布をスろうとした挙げ句に私を捕まえた、無魔力狩りのサイテー男だ。

「お、やっぱりそうだ。あの時の」
 唖然とするあまり身を隠すタイミングをはかり損ね、私は思い切り彼に見付かってしまった。こうなったら、もうコソコソしていても仕方がない。
「おや、知り合い?」
 呑気にキョトンとするチェルに、「チェル!」と私は大声を上げる。
「知り合いも何も、私を無魔力だって言って捕まえたの、こいつ!」

 一応チェルには、「なんだってー!」的な反応を期待していたのだけど、彼女は呆れたように肩をすくめただけだった。
「リク。君、まだそんなことしてるの」
「俺は金になることならなんでもするさ。それよりあの女、無魔力なんじゃねえの?」
「ああ、それはちょっとした手違いでね。彼女、片角ではあるけど無魔力じゃないんだ」

 複雑な事情を全てさらっと流して、チェルは私と泥棒男とを交互に見る。そして「パンケーキがまだ余ってるけど、お茶にする?」と笑ったのだった。

しおりを挟む

処理中です...