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絶望と別れ
しおりを挟む森を抜け湖まで走り抜けたディアナは走りながら分厚いジャケットを脱ぎ捨て、ブーツも脱ぎ捨てその勢いのまま桟橋から湖にダイブした。潜水したまま湖の中央に向け泳ぎ、息が続かず顔を出す。
「プハッ、ハァ、ハァ……ハァ」
感情の高ぶりで魔力が膨れ上がり急激に体温が上がっていた。こうなったら暫く水の中で治まるのを待つしか無い。
ディアナは苛立ちを何にぶつければ良いか分からず、バシャンバシャンと水面を叩き付ける様に泳ぎ続けた。ひとしきり体を動かし気持ちが落ち着いて来ると、置いて来たジークの事を思い出す。彼が悪いわけでも無いのに当り散らしてしまったと後悔する。
「馬鹿なことしちゃったわ。ジーク様も戸惑っていたわね」
水面をゆらゆらと漂い、雲の流れを眺める。
心が凪いで来たディアナは漸く岸へ向けて泳ぎだした。自分が脱ぎ捨てたジャケットとブーツを拾い、塔へと帰る。塔に着くとシーラが居た。最近は侍女としての仕事が忙しく殆どここには居なかったのだが。
「シーラ、どうしたの? また湖で泳いだから怒っているの?今日は下着じゃなくて服を着てるけど」
シーラは眉間にシワを寄せ、帰ってきたディアナに詰め寄った。
「ジークフリート様と、まだお付き合いしていたのですか? あれほどご忠告申し上げたのに、何故お会いになったのですか。アデルハイト様を通して、国王様にディアナ様の存在が知られてしまいました。まだ正体はばれておりませんが、少年のディーンとしてジークフリート様の恋人だと思われております。
以前アデルハイト様の部屋に招かれたと言っておられましたね? その時ジーク様が助けにいらしたとも。アデル様のお話では、そこでディアナ様とジーク様が……接吻なさったと、それも軽くではなく、恋人同士がするような激しいものだったとお聞きしました。それに図書室での密会は一部の学生の間で噂になっているそうで、事実確認をした者が睦まじく寄り添っているところを見たと何人もの証言を得たと申しておりました。
ディアナ様、まさか本当にその様な仲にまでなっておられたのですか? あの方は姉姫様の……」
「アデルハイトとジーク様は上手くいってないもの! それに私達は友人よ。生まれて初めて出来た友人なの! 私は男だと偽っているのに、深い仲になるわけが無いでしょう」
折角頭を冷やすために湖に飛び込んだのに、また体が熱を持ち出した。濡れた服や体から湯気が出るほど熱を放ち、力が湧き出るのを止められない。
「ディアナ様……目が……目の色が赤く染まっていますよ。いったいどうしてしまったのですか?」
ディアナのアメジストの様な紫の目は、魔力の影響でルビーの様に赤く変化していた。目の色が変わる事はディアナも知らなかった。咄嗟に手で顔を覆い、部屋へと走った。
ドアを閉ざし鍵を掛け、バスルームに駆け込む。鏡を覗き込み驚愕した。シーラの言うとおり、目は赤く変化して怪しく揺らめいていた。背後の浴槽に張られていた水がタプンと音を立て球体を形作りいくつも浮き始めるのを、鏡越しに見て悲鳴をあげる。
「何? どうなっているの? これが魔法の力なの? 私の意志とは関係なくこんな……」
振り返り、その時に振った腕の動きに合わせて球体は勢いよく壁にぶつかった。浴槽は空になり、壁や床は弾けた水のせいでびしょ濡れになった。ポタポタと水滴が天井から垂れ落ちてくる。
もう一度鏡を覗けば目は元に戻っていた。
「はは……私、水使いだったみたい」
ディアナの服はすっかり乾いていた。
部屋のドアを開けるとシーラが不安そうに立っていて、何か言いたそうに口を動かしている。
「シーラ、たくさん話したい事があるの。下へ行きましょう」
階下には久しぶりに会う母が居た。もしかしたら一年以上会っていなかったかもしれない。顔はやつれて髪に艶は無くなり、記憶の中の母親よりも10歳は年をとった様な印象だった。嬉しさに気を取られ、母の様子に気付かないディアナは駆け寄って挨拶した。
「お母様、お久しぶりで……」
パンッ
突然頬を平手打ちされ、何が起きたのか理解できない。
パンッ
さらにもう一度同じ頬を打たれた。続けて頭を思い切り叩かれる。
堪らずシーラが止めに入る。
「お止め下さい、ベアトリス様」
「シーラ、お前はこの子をきちんと教育しなかったのか? 姉の相手に色目を使うとは、はしたないにも程がある。あの子から少年の特徴を聞いた時、まさかと思ったが、この目で見て確信した。このような男のなりをして、ここを出て男性を誘惑していたとはな。
やはり双子の妹は災いの元というのは本当ではないか。いつの間にここまで美しく成長していたのか。その姿で男を惑わし、国を滅ぼす事も出来そうだな。あの日の私の判断は間違っていたようだ。この国に来たからにはこの国のしきたりに従うべきだったのだ!」
まさかの母の言葉に頭が付いていかないディアナは無言で床を見つめていた。
「ベアトリス様! 何を言うのですか! 今の言葉は取り消して下さい。あまりに酷すぎます! それに私が話したではありませんか、呪いは嘘でしたと、1000年前の王の作り話だったのですから、ディアナ様に何の咎もございませんよ」
シーラは王妃を窘めるが、忌々しいとばかりに実の娘へ冷たい視線を向ける様子に自分の無力さを感じずにいられなかった。15歳で従姉妹のベアトリスの侍女となり、姉妹のように仲良くしてきた。ベアトリスは真面目で優しく良識ある女性だった。しかし彼女は徐々にこの国に染められてしまったようだ。
「呪いは無いなんて言い切れないであろう? 現に世継ぎが生まれなくなりそうではないか」
「それは1000年前の双子の姉シャルロッテ妃の影響が代々引き継がれているせいで、呪いと言うならば、寧ろシャルロッテ妃の呪いではありませんか。自分の魔力で国王の体に影響を及ぼしたのは姉姫の方だと説明したでしょう。全てお話ししたのに、何故頑なに妹姫を悪者にするのですか」
「それを信じれば、可愛いアデルハイトが悪者ということになるかもしれぬ。絶対に真実は明るみにさせるわけにいかぬのだ」
呆れた自論で娘を庇う母に絶望した。あまり会いに来てくれなくとも、愛されていると信じていた。呪いの真実を伝えれば、それを公表してこの塔から出してくれて、お城で一緒に暮らせるかもしれない。初めてお父様と会えるかもしれない。そんな期待をしいていたが、今目の前にいる母の言葉でその全てが脆くも崩れ去った。
「ディアナよ、ここを去るか、死を選ぶか、選択させてやろう。ここを出たところで生活できるとは思えぬがな」
「ベアトリス様……あなたというお方にはもう付いて行けません。私はディアナ様に仕えます。これまでのご恩、決して忘れません」
「シーラ、お前が抜けると使用人の差配ができる者がいなくて困る。これまでもディアナのせいで随分不便をした。お前が辞めるのは認めぬぞ」
「認めて頂かなくとも出て行きますよ。ディアナ様荷物をまとめましょう。明日までにここを引き払います。宜しいですね」
ディアナはコクリと頷き、最後に母の顔を見た。何の感情も無い、冷めた視線をシーラに向けていた。去り際にチラとディアナを見て王妃は塔を出て行った。
「シーラ、本当に良かったの? 私と一緒に来たら仕事も住む所も無くなるのよ?」
「正直言って、もう限界でした。ベアトリス様は変わってしまわれた。あの方ならば、間違いを正してくれると信じて呪いの事を話したのは随分前の事です。しかし国王様にお伝えした気配がありません。アデルハイト様の傍若無人な態度を本気で改めるつもりもなさそうですし、何を考えていらっしゃるのかさっぱり分かりません。それにディアナ様に寂しい思いはさせたくありませんから、一生付いて行きますよ」
ディアナの私物など少しの着替えしかない。大き目の鞄ひとつを持って、翌朝シーラと共に塔を出た。
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