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トムの男気

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 初めて人間相手に治癒魔法を使って三週間が経った。アリシアの希望もあって、最初の約束通り薬草の管理と森に自生する薬草の採り方を教わっている。アリシアが足を治療した男性と、その時付添っていた男性が仕事の合間に森で薬草採取をしてくれるようになったので、そちらはかなり楽になっていた。しかし治癒魔法が使える者が診療所に入ったと人伝に知れ渡り、日増しに治療を待つ列が出来る様になっていた。
 薬で治る者はチェスター神父が、怪我の治療はアリシアが担当し、午前中は休む間も無く治療に当たった。

「アレックス、次の患者を入れても良いかい? 午前はこれで最後だよ」
「はい、次の方どうぞ~」

 お昼が近づいた頃、トムが手に布を巻いてやって来た。

「トム? その手、どうしたの?」
「おじょ……アレックスが白魔法使いだって聞いてたけど、本当だったんですね。あ、えっと、これはハサミで切ってしまって」

 止血しようとキツく布を巻いたのだろう、指先が紫色になってしまっていた。布を解くと手の平が横に向って切れていて、ぱっくりと傷口が開いていた。

「ハサミでって……こんな切れ方するわけ無いでしょ? 台の上に手を乗せて。すぐ治るからね」

 言うなりすぐに傷口に手を当てる。ポゥっと薄く輝き傷は跡形も無く消えた。あれから毎日チェスター神父から魔力の使い方を習い、診療所で実践する事で無駄に魔力を使いすぎる事は無くなっていた。初日のあれがいかに無駄使いをしてしまったのか、今ならば良くわかる。

「凄いな、治癒魔法って本当に傷を消してしまえるんだ……」
「ねぇ、ハサミで切ったなんて嘘でしょう? 誰かにやられたの?」
「……屋敷には絶対近づかないで下さい。アレックスとしてここに居れば、見付かる事は無いと思います。逃げた使用人達はオレ以外孤児院に戻っていました。あいつらは心配ありません。オレはチェスター神父様と話があるので、これで失礼します。怪我を治してくれて、ありがとうございました」

 トムは頭を下げて、チェスター神父のいる薬棚の向こう側に移動する。診療所の部屋の真ん中に薬棚を置いて間仕切りにしているだけなので声は丸聞こえだ。チェスター神父は席を立ち、トムが来るのを待っていた。

「チェスター神父様、お話があります」
「ああ、トム、久しぶりだな。その話とは人に聞かれてもいい物では無さそうだな。私の部屋へ行こう。こちらだ、付いて来なさい」

 盗み聞きしようと耳を澄ましていたアリシアは、連れ立って診療所を出て行く二人を見送った。そこに入れ替わりでサムが入って来た。

「アレックス、ご苦労様。午前の診療は終わりだよ。そろそろ昼食にしよう、チェスター神父様は先に済ませて良いと言っていたから、僕達だけで頂くよ。そんなに怖い顔をしてどうしたんだい? お腹が空いて機嫌が悪いのかな」
「……うん。今日は何だろう、さっきから良い匂いがしてお腹が鳴りそうだよ」

 トムの話が気になるが、無理をしておどけてみせて、その場を誤魔化した。

「今日は宿屋からの差し入れだよ。君が来てから食べる物に困らなくて助かるよ」

 アリシアの治療を受けた人達が日替わりで昼食を運んでくれるようになってからは、料理に時間を取られる事もなく時間いっぱい診療所を開ける事が出来る様になっていた。
 こうして地域住民の助けを借りて、人手が足りずまともに機能していなかった教会は息を吹き返し、最近は人々の憩いの場となっている。


 チェスター神父の部屋ではトムが深刻な話をしていた。

「オレ、屋敷の様子が気になって、たまに見に行ってたんです。そしたら若い使用人たちが誰も居ないってわかって孤児院を見に行ってみたんです。全員孤児院に逃げていて無事でした。でもそこでお嬢様を連れ出した者がいるんじゃないかって、よく屋敷に来ていた何とかって貴族がごろつきを連れて来て皆に暴力を……でも誰も居場所を知らなくて、最後に隠れてたオレを探し出して脅してきたんです。剣の刃を握らされて、喋るまで少しづつ刃を引かれました。オレ、何も知らないって言って隙を見て逃げてきたけど、お嬢様が見付かってしまったら、何をされるかわかりません」

 子供相手でも容赦の無いそのやり方に、チェスター神父は苦い表情になる。

「それは……大変だったな。その貴族とは、ワイアット伯爵か? 茶色いくせ毛の、お腹の出た男ではないか?」
「あ、そうです。ワイアット伯爵です。何であんな人と旦那様が親しくしていたのか、本当に不思議です。使用人達はあの人の訪問を嫌がっていました。まるで自分の家のように威張り腐って、メイドに手まで出していました。相手は新しく入ったニーナだけですけど、オレが庭で仕事してるとお嬢様の大切にしてる東屋で、その、いかがわしい事を……それにあの人が来ると、お嬢様は部屋から出られなくて可哀想でした。何でかは知らないけど、いつもクラークさんの指示でメイド頭がお嬢様を部屋に閉じ込めて鍵を掛けてるって言ってました。それが可哀想だから、オレの服を着せて町に連れ出してたんです。あのニーナってメイドには男装してる所を見られた事は無いけど二人で居るところは何度も見られたし、ワイアット伯爵にはオレと一緒に逃げたと思われてるみたいなんです。ちょうどお嬢様に似た背格好の子が孤児院に居るから、オレ、その子を連れて町を出ようと思います」

 誰にも相談出来ず、ずっと一人で考えていた事を一気に話し、トムはチェスター神父の反応を待つ。チェスター神父はまさかこの12歳の少年が、ここまで主人に尽くすとは考えもしなかったので驚きを隠せなかった。少年の目は真剣で、アリシアを守ろうという必死さが伝わってくる。

「まぁ待ちなさい。そんな事をしてトムに何かあれば、アリシア様が悲しむだけだ。囮になってこの町から出たとしても、町を出た途端消されるのがオチだ。私の方でも手は打っている。思いのほかあの男は上手く立ち回っていて尻尾を出さないが、調べは進んでいるから、お前は何もしなくて良い。アリシア様の話し相手になってくれた方が余程役に立つだろう。行く当てが無いなら、ここで手伝いをしないか? 仕事なら幾らでもあるぞ。そうすればアリシア様の負担が減るし、ワイアット伯爵の手の者から隠れるのに丁度良い。ならず者でも教会に楯突く者はそう居ないからな」

 チェスター神父の誘いはトムにとってこれ以上無い申し出だった。自分の身を守れるのも勿論だが、アリシアの役に立てると言うのが何より嬉しかった。

「良いんですか? オレ、庭仕事しかやった事無いけど……」
「それは良い。裏に薬草畑があるので、その世話を頼みたい。それはアリシア様の仕事でもあるのだ、彼女の負担が減るのは助かるよ。今、彼女は診療所の仕事で手一杯だからね」
「わかりました。オレ、頑張りますから、ここで働かせて下さい」

 トムは安堵して目に涙を浮かべた。

「お腹が空いたな、食堂で食事をしよう。皆に新しい仲間を紹介しなくてはな」

 チェスター神父はトムを連れて食堂へ行った。そこで新しくトムを雇う事にしたと皆に話すと、アリシア以上にサムとオリバーの二人が喜んで、新しい仲間を歓迎した。


 この日午後の診療が始まると、この数週間の頑張りが領内でどれだけ知れ渡ったかが分かる人物が、アリシアを尋ねて来た。
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