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少年として生きる覚悟
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早朝、小鳥の囀りと窓から差す明かりでチェスター神父は目を覚ます。いつの間に寝てしまったのか、アリシアの頭を抱えるようにして横になっていた。彼女の熱はすっかり下がり、頬には薄ら赤みが差していた。無意識にくっついて寝ていたせいで暑かったらしく、二人とも額に汗が滲んでいる。
昨日とは打って変わって晴天となった今日は、夏らしい気温に戻り始め、締め切った室内は酷く蒸していた。チェスター神父は窓を開けて朝の新鮮な空気を室内に入れ、アリシアが寝ている間に着替えを済ませ部屋を出た。
するとそこに修道士の二人が朝の仕事を済ませ、アリシア扮するアレックス少年の様子を見にやって来た。
「おはようございます、チェスター神父。アレックスの具合はどうですか? あなたの作った解熱薬を飲めば一晩で回復しますから、もう大丈夫ですよね。あ、彼の分も朝食を用意しました。起こしてきても良いですか?」
「いいえ、熱は下がりましたがもう少し寝かせておきます。朝の礼拝が済んでから皆で朝食にしましょう」
チェスター神父は彼らがアリシアの元へ行かないようさり気なく進路を塞ぎ、揃って礼拝堂へ向った。
窓の開いた室内には爽やかな風が入っていた。アリシアはチェスター神父が目を覚ます少し前から起きていて、何故自分がここに居るのかしばらく理解できずに目を瞑ったまま昨日の出来事を思い返していた。そして今後どう行動すべきか考えた。
神父様が部屋を出るなりベッドから起き、まだ生乾きの衣服を身に着ける。サラリと流れ落ちる白い髪に気付き思わずその束を掴む。
「髪が白くなってる……」
室内を見回し、姿を映すものがないか確認するが、窓ガラス位しか見当たらなかった。アリシアはガラスに映る自分を見て、何が可笑しいのか笑い出した。
「フ……フフフ、まだ15歳なのに、まるでお婆さんみたいね。私はお父様を亡くしたショックで一気に年を取ってしまったのかしら。どうせなら体も成長して欲しかったわ……」
机の上にあるペンスタンドからハサミを取り出し、髪を掴んでザクザク切り始めた。そこへ朝の礼拝を終えたチェスター神父が戻って来た。
「何をしているのです!」
ドアを閉めてアリシアの元に駆け寄り、彼女の手からハサミを取り上げる。
「あなたは……なんて事を……まさか心が壊れてしまったのですか」
「チェスター神父様、私は気が触れた訳ではありません。昨夜、アリシア・アルバーンは行方知れずになりました。このヴィルドクラード領を手に入れたい誰かの思惑通りになんてさせたくありません。父が亡くなり、跡継ぎである私が行方不明ならば、私の死亡が確定されるまで、三年は国が代わってこの領地を運営してくれますよね? 私は成人して領地を継ぐことができる18歳になるまでの間、アリシアではなくアレックスとして生きます。期限は二年と二ヶ月、私にも出来る仕事を探して一人でも生きて行ける力を身に付けたいと思います」
先ほど一心不乱に髪を切っていた彼女の姿には正直、狂気を感じたが、今、目の前で話をする彼女の目は凪いでいて、とても落ち着いていた。
「働くと言っても、あなたにできる事はあるのですか? 少年として生きると簡単に言いますが、孤児を雇ってくれる所なんて中々ありませんよ。領主の推薦状があって初めてまともな仕事に就けるのです。それ位あなたもご存知でしょう」
深窓の令嬢に、働く事の大変さを言い聞かせても心に響くはずも無く、アリシアは根拠の無い自信に満ちた顔で言い切った。
「なら兵士になります。孤児でも関係なく雇ってくれるでしょう? 昨日うちに来た人達が本当に兵士だったのか、わかるかもしれないし」
「何馬鹿な事を言っているのです! そんなに働きたいなら、ここの診療所を手伝って下さい。報酬は少ないですが、危険な仕事ではありませんし、何より私の目の届く範囲に居てくれないと心配でなりません。私一人では手が足りないので、あなたが手伝ってくれると助かります」
放って置いたら無茶な事をしかねないアリシアを、診療所の助手として雇うことが今のところ最善策だとチェスター神父は考えた。
「良いのですか? 私、それならばお手伝い出来ます」
「では、その椅子に座って下さい。とりあえず髪を整えましょう。あなたが適当に切ったせいで、長さがバラバラですよ。短いところに合わせたら、全体に相当短くなりますが仕方ありません。伯爵家のご令嬢が、本当に思い切った事をしましたね」
チェスター神父は器用に髪をカットした。ショートカットは彼女の可愛らしい顔に良く似合って、10~12歳位のまだ声変わりしていない少年の様に見える。アリシアは元々成長が遅く、15歳だがまだ二次成長を迎えていなかった。これは母親から引き継いだ魔力のせいで、この世界の魔力持ちは寿命が長く体の成長が普通より少し遅いのが特徴だ。なので今のアリシアの見た目はまだ子供で身長も伸びきっていない。チェスター神父がそれほど戸惑い無く彼女の服を脱がせられた理由もそこにあった。
「ではアレックス、今日からよろしくお願いしますね。あの二人がお腹を空かせて待っていますから、朝食にしましょう」
食堂ではお腹を空かせた二人が席について待っていた。そこで白い短髪に濃いブルーの目をしたアリシアをアレックス少年として、改めて修道士の二人に紹介した。教会には何度も足を運んでいるが、いつも庭師の少年に借りたキャスケットで髪を隠し、深く被って顔を見せないようにしていたので、はっきり顔を見せたのはこれが初めてだった。
「……アレックス、君ってそんなに綺麗な子だったんだな。いつも帽子で髪を隠していた訳が分かった気がするよ。その白い髪は目立つし美しすぎる。本当はどこかの貴族の息子か、他国の王子様なんじゃないのか? 家出してこの町に来たと言われても納得できるよ。前から思っていたけど君の身のこなしや仕草には品があるんだよな」
「うん、僕もそう思っていたよ。着ている服は粗末だけど、言葉遣いは丁寧だし肌の白さは平民の物とは思えない。手だって荒れていないしね」
貴族であることを言い当てられ、アリシアが言葉に窮しているとチェスター神父が話題を変えた。
「ああ、そういえば、君達に朗報だ。今日からアレックスに診療所の手伝いをしてもらう事になった。仕事を無くして困っていたらしくてね。これで君達は教会の事に集中出来るだろう? 診療所の運営も教会の役わりの一つだが、ここは人手が足りないからね。薬草採りをアレックスに任せようと思う。前に人を雇って欲しいと言っていただろう?」
「それは助かります! 森に採取しに行くのも薬草畑の管理も大変だったんです。アレックス、覚える事はたくさんあるけど難しい仕事では無いから、一緒に頑張ろうな」
どの領地にも医者という立場の人間はいるが、貴族や大金持ちでなくては払えないほどの高額な医療費を請求されるため、平民は医者にかかることが出来ず、怪我や病気で死ぬものが多く出た。それを嘆いた国王が、国に仕える白魔法使いを各地に派遣して教会で治療に当たらせたのが約100年前の事。現在は白魔法使いの数も減り、宮廷魔法使いとして10人前後が在籍しているのみ。その為、教会で働く者達が薬草や医療の知識を習得し、その代わりを担っているのだ。
この教会ではチェスター神父しかそれを出来る人が居ない。今居る修道士達はまだ見習いで、神学校に行く事も出来ず日々の雑務に追われているのがこの教会の現状だ。昨年この二人と入れ替わる様にして三人神学校に入ったので、彼らが戻るまで後一年はこの状態が続く。
「話はそれ位にして、食べましょう。今日の糧を与えてくれた神に感謝を」
食事中のお喋りは厳禁だ。その為、アリシアの食事マナーが気になる修道士二人はチラチラとその様子を盗み見ていた。アリシアもその事に気付いていたが、何が違うのかもわからないのでいつも通り食事を進めた。
「ゴホン……サム、オリバー、人が食べている所をそんなにジロジロ見るものではありませんよ」
チェスター神父に窘められて、二人は視線を自分の皿に向けた。そしてアリシアを真似て品良く食事を始めるのだった。修道士見習いの二人の名前はサムとオリバー。共に16歳で、孤児院を出される15歳の時にこの教会に入った。どちらも性格は温厚で、孤児院育ちのせいか自分より小さな子にはつい世話を焼いてしまう。そのためアレックスに対してもそれを発揮して、食事が終わるなり必要以上に世話を焼こうとした。
「チェスター神父、アレックスの部屋は僕らの部屋の隣で良いですよね? 修道士ではありませんが、着る物は僕らと同じ修道服ですか? 確か小さめのサイズのがあったと思いますけど」
「部屋は私の隣を使わせます。それに着る物は普通の物で構いません。後で本人に買いに行かせますから、あなた方は気にせず自分達の仕事を始めてください」
「わかりました。用があればお呼び下さい」
二人はすれ違いざまにアリシアの頭を撫で、食堂を出た。
「アレックス、私の部屋に行きましょう。今後の事を話し合わねばなりません」
チェスター神父の部屋に入った二人は、アリシアがベッドに腰掛け、チェスター神父はそれに向い合うように椅子を置き、座った。
「アリシア様、アルバーン家がどうなったのか気になるでしょうが、ご自分で調べようなどとは決して考えないで下さい。今日はいつも通り屋敷に行きますから、何も知らない振りをして私が様子を見て参ります。その間あなたは町で着替えを見繕って来て下さい。今着ている物しか無いのでは不便でしょう。嫌かもしれませんが、上等な物は避けて肌着以外は古着を買うようにしてくださいね。お金はこれを使って下さい」
硬貨の入った巾着を渡され、アリシアはポケットの中の銀貨の存在を思い出す。
「あの、お金ならあります。昨日私を逃がしてくれた兵士がくれたんです」
銀貨2枚を出して見せると、チェスター神父が驚いた顔をした。
「兵士が、銀貨を2枚もあなたにくれたのですか? それだけあれば、あなた一人ならふた月は暮らせますよ。兵士の給料などたかが知れていると言うのに、随分羽振りが良いですね。それは今後何かあった時のために取って置いたほうがいいでしょう。そろそろ屋敷に向わなければならないので、私は行きます。アリシア様は買い物を済ませたらここへ戻って、この部屋の隣を使える様にしていて下さい」
サムとオリバーに外に出ると伝えて、アリシアは買い物に出かけた。オリバーが付いて来るとしつこく言って来たが、下着も買わなければならないのだから、来られては困る。丁寧に断って、逃げるように商業地区までやって来た。
一人で買い物をするのは始めてだわ。屋敷を抜け出して町を何度も散策したけれど、お金を持たなくても何故か店の人達は果物やお菓子をくれるんだもの。この町の人達は親切でいい人が多いわね。
「アレックス、昨日は雨の中びしょぬれで歩いていたけど、体は大丈夫だったのかい?」
声を掛けて来たのは昨日無視してしまった知り合いのおかみさんだ。どうやら風邪を引いたのではと心配してくれていたようだ。
「昨日は急いでいたから返事も出来なくてごめんなさい。この通り、体は平気です。心配して下さってありがとうございます」
「ふふっ、あんたは本当に礼儀正しい子だねぇ。ほら、このリンゴをお食べ。そんな細っこい体じゃ心配にもなるさ。ちゃんと食べないと大きくなれないよ」
「いつもすみません。頂きます」
こんな感じで色々な店の店主達はアリシアに食べ物をくれるのだ。アリシアも可能な限りその店先で貰った物を食べて感想を言うようにしている。するとそれを見た通行人が足を止め商品を買っていくのだ。余程美味しそうに見えるのだろう、その日のリンゴは完売した。
さすがにお腹一杯だわ。食べ物屋さんの前は避けて行きましょう。
古着屋でサイズの合うブーツと服を買い、新品の男の子用のパンツも買った。結構な大荷物になってしまい、ヨロヨロと帰り道を進むと、後ろから聞き覚えのある少年の声がした。
「お嬢様?」
アリシアは思わず振り返ると、彼女が着ている服の持ち主である庭師見習いの少年が立っていた。
「良かった、逃げられたんですね。オレ、心配でさっき屋敷を見に行ったんです。兵士や騎士がウロウロしていて中には入れなかったけど、チェスター神父様が入って行くのを見ました。何だか良く分からないけど、メイドのニーナが旦那様を訴えたせいであの兵士達が来たみたいです。昨日逃げる前に兵士に聞いたらそれだけ教えてくれました。でも理由がわかりません。ニーナって、仕事もしないで若い使用人の男達に色目を使っていた役立たずですよ? それがあの立派な旦那様の何を訴えたんでしょうか」
ニーナというのは貧乏男爵家の娘だ。それを伯爵家で平民と同じ扱いで良いから使って欲しいと父の友人が頼んで来た事は知っている。彼女は毎日屋敷内をぷらぷらと歩き回り、貴重品に手を触れてはメイド頭に叱られていた。アリシアの部屋からも何点か宝石が消えている。彼女が犯人とは言い切れないが、彼女が来てから物がなくなり始めたのは間違いなかった。
「トム、あなたも無事で良かった。今はどこにいるの? 私は教会で働く事になったのよ」
「チェスター神父様に保護されたんですね。安心しました。オレは町で知り合った奴の家に置いてもらってます。お嬢様、いや、アレックス、その喋り方はおかしいから、ちゃんと意識して男の言葉を使ったほうが良いですよ」
「あ……トムに会って気が緩んでしまったよ。そうだこの服、返したいからそのうち教会に顔を出してくれないか?」
トムは上から下までアリシアを見て、首を横に振った。
「返さなくて良いよ。アレックスが着るかもしれないと思ってわざと置いて行ったんだ。変だと思わなかったんですか? 丁度一揃い残っていたでしょう」
アリシアは自分よりも年下の少年のこの気遣いに、心が温かくなった。
「ありがとう、トム。そう言われたら、確かにそうだった気がするよ。あ、そろそろ戻らなきゃ、また会えるよね?」
トムはにっこり笑って頷いた。そして二人は手を振って別れ、アリシアは教会へと急ぎ戻った。教会に着くと、チェスター神父が深刻な顔でアリシアの帰りを待っていた。
昨日とは打って変わって晴天となった今日は、夏らしい気温に戻り始め、締め切った室内は酷く蒸していた。チェスター神父は窓を開けて朝の新鮮な空気を室内に入れ、アリシアが寝ている間に着替えを済ませ部屋を出た。
するとそこに修道士の二人が朝の仕事を済ませ、アリシア扮するアレックス少年の様子を見にやって来た。
「おはようございます、チェスター神父。アレックスの具合はどうですか? あなたの作った解熱薬を飲めば一晩で回復しますから、もう大丈夫ですよね。あ、彼の分も朝食を用意しました。起こしてきても良いですか?」
「いいえ、熱は下がりましたがもう少し寝かせておきます。朝の礼拝が済んでから皆で朝食にしましょう」
チェスター神父は彼らがアリシアの元へ行かないようさり気なく進路を塞ぎ、揃って礼拝堂へ向った。
窓の開いた室内には爽やかな風が入っていた。アリシアはチェスター神父が目を覚ます少し前から起きていて、何故自分がここに居るのかしばらく理解できずに目を瞑ったまま昨日の出来事を思い返していた。そして今後どう行動すべきか考えた。
神父様が部屋を出るなりベッドから起き、まだ生乾きの衣服を身に着ける。サラリと流れ落ちる白い髪に気付き思わずその束を掴む。
「髪が白くなってる……」
室内を見回し、姿を映すものがないか確認するが、窓ガラス位しか見当たらなかった。アリシアはガラスに映る自分を見て、何が可笑しいのか笑い出した。
「フ……フフフ、まだ15歳なのに、まるでお婆さんみたいね。私はお父様を亡くしたショックで一気に年を取ってしまったのかしら。どうせなら体も成長して欲しかったわ……」
机の上にあるペンスタンドからハサミを取り出し、髪を掴んでザクザク切り始めた。そこへ朝の礼拝を終えたチェスター神父が戻って来た。
「何をしているのです!」
ドアを閉めてアリシアの元に駆け寄り、彼女の手からハサミを取り上げる。
「あなたは……なんて事を……まさか心が壊れてしまったのですか」
「チェスター神父様、私は気が触れた訳ではありません。昨夜、アリシア・アルバーンは行方知れずになりました。このヴィルドクラード領を手に入れたい誰かの思惑通りになんてさせたくありません。父が亡くなり、跡継ぎである私が行方不明ならば、私の死亡が確定されるまで、三年は国が代わってこの領地を運営してくれますよね? 私は成人して領地を継ぐことができる18歳になるまでの間、アリシアではなくアレックスとして生きます。期限は二年と二ヶ月、私にも出来る仕事を探して一人でも生きて行ける力を身に付けたいと思います」
先ほど一心不乱に髪を切っていた彼女の姿には正直、狂気を感じたが、今、目の前で話をする彼女の目は凪いでいて、とても落ち着いていた。
「働くと言っても、あなたにできる事はあるのですか? 少年として生きると簡単に言いますが、孤児を雇ってくれる所なんて中々ありませんよ。領主の推薦状があって初めてまともな仕事に就けるのです。それ位あなたもご存知でしょう」
深窓の令嬢に、働く事の大変さを言い聞かせても心に響くはずも無く、アリシアは根拠の無い自信に満ちた顔で言い切った。
「なら兵士になります。孤児でも関係なく雇ってくれるでしょう? 昨日うちに来た人達が本当に兵士だったのか、わかるかもしれないし」
「何馬鹿な事を言っているのです! そんなに働きたいなら、ここの診療所を手伝って下さい。報酬は少ないですが、危険な仕事ではありませんし、何より私の目の届く範囲に居てくれないと心配でなりません。私一人では手が足りないので、あなたが手伝ってくれると助かります」
放って置いたら無茶な事をしかねないアリシアを、診療所の助手として雇うことが今のところ最善策だとチェスター神父は考えた。
「良いのですか? 私、それならばお手伝い出来ます」
「では、その椅子に座って下さい。とりあえず髪を整えましょう。あなたが適当に切ったせいで、長さがバラバラですよ。短いところに合わせたら、全体に相当短くなりますが仕方ありません。伯爵家のご令嬢が、本当に思い切った事をしましたね」
チェスター神父は器用に髪をカットした。ショートカットは彼女の可愛らしい顔に良く似合って、10~12歳位のまだ声変わりしていない少年の様に見える。アリシアは元々成長が遅く、15歳だがまだ二次成長を迎えていなかった。これは母親から引き継いだ魔力のせいで、この世界の魔力持ちは寿命が長く体の成長が普通より少し遅いのが特徴だ。なので今のアリシアの見た目はまだ子供で身長も伸びきっていない。チェスター神父がそれほど戸惑い無く彼女の服を脱がせられた理由もそこにあった。
「ではアレックス、今日からよろしくお願いしますね。あの二人がお腹を空かせて待っていますから、朝食にしましょう」
食堂ではお腹を空かせた二人が席について待っていた。そこで白い短髪に濃いブルーの目をしたアリシアをアレックス少年として、改めて修道士の二人に紹介した。教会には何度も足を運んでいるが、いつも庭師の少年に借りたキャスケットで髪を隠し、深く被って顔を見せないようにしていたので、はっきり顔を見せたのはこれが初めてだった。
「……アレックス、君ってそんなに綺麗な子だったんだな。いつも帽子で髪を隠していた訳が分かった気がするよ。その白い髪は目立つし美しすぎる。本当はどこかの貴族の息子か、他国の王子様なんじゃないのか? 家出してこの町に来たと言われても納得できるよ。前から思っていたけど君の身のこなしや仕草には品があるんだよな」
「うん、僕もそう思っていたよ。着ている服は粗末だけど、言葉遣いは丁寧だし肌の白さは平民の物とは思えない。手だって荒れていないしね」
貴族であることを言い当てられ、アリシアが言葉に窮しているとチェスター神父が話題を変えた。
「ああ、そういえば、君達に朗報だ。今日からアレックスに診療所の手伝いをしてもらう事になった。仕事を無くして困っていたらしくてね。これで君達は教会の事に集中出来るだろう? 診療所の運営も教会の役わりの一つだが、ここは人手が足りないからね。薬草採りをアレックスに任せようと思う。前に人を雇って欲しいと言っていただろう?」
「それは助かります! 森に採取しに行くのも薬草畑の管理も大変だったんです。アレックス、覚える事はたくさんあるけど難しい仕事では無いから、一緒に頑張ろうな」
どの領地にも医者という立場の人間はいるが、貴族や大金持ちでなくては払えないほどの高額な医療費を請求されるため、平民は医者にかかることが出来ず、怪我や病気で死ぬものが多く出た。それを嘆いた国王が、国に仕える白魔法使いを各地に派遣して教会で治療に当たらせたのが約100年前の事。現在は白魔法使いの数も減り、宮廷魔法使いとして10人前後が在籍しているのみ。その為、教会で働く者達が薬草や医療の知識を習得し、その代わりを担っているのだ。
この教会ではチェスター神父しかそれを出来る人が居ない。今居る修道士達はまだ見習いで、神学校に行く事も出来ず日々の雑務に追われているのがこの教会の現状だ。昨年この二人と入れ替わる様にして三人神学校に入ったので、彼らが戻るまで後一年はこの状態が続く。
「話はそれ位にして、食べましょう。今日の糧を与えてくれた神に感謝を」
食事中のお喋りは厳禁だ。その為、アリシアの食事マナーが気になる修道士二人はチラチラとその様子を盗み見ていた。アリシアもその事に気付いていたが、何が違うのかもわからないのでいつも通り食事を進めた。
「ゴホン……サム、オリバー、人が食べている所をそんなにジロジロ見るものではありませんよ」
チェスター神父に窘められて、二人は視線を自分の皿に向けた。そしてアリシアを真似て品良く食事を始めるのだった。修道士見習いの二人の名前はサムとオリバー。共に16歳で、孤児院を出される15歳の時にこの教会に入った。どちらも性格は温厚で、孤児院育ちのせいか自分より小さな子にはつい世話を焼いてしまう。そのためアレックスに対してもそれを発揮して、食事が終わるなり必要以上に世話を焼こうとした。
「チェスター神父、アレックスの部屋は僕らの部屋の隣で良いですよね? 修道士ではありませんが、着る物は僕らと同じ修道服ですか? 確か小さめのサイズのがあったと思いますけど」
「部屋は私の隣を使わせます。それに着る物は普通の物で構いません。後で本人に買いに行かせますから、あなた方は気にせず自分達の仕事を始めてください」
「わかりました。用があればお呼び下さい」
二人はすれ違いざまにアリシアの頭を撫で、食堂を出た。
「アレックス、私の部屋に行きましょう。今後の事を話し合わねばなりません」
チェスター神父の部屋に入った二人は、アリシアがベッドに腰掛け、チェスター神父はそれに向い合うように椅子を置き、座った。
「アリシア様、アルバーン家がどうなったのか気になるでしょうが、ご自分で調べようなどとは決して考えないで下さい。今日はいつも通り屋敷に行きますから、何も知らない振りをして私が様子を見て参ります。その間あなたは町で着替えを見繕って来て下さい。今着ている物しか無いのでは不便でしょう。嫌かもしれませんが、上等な物は避けて肌着以外は古着を買うようにしてくださいね。お金はこれを使って下さい」
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銀貨2枚を出して見せると、チェスター神父が驚いた顔をした。
「兵士が、銀貨を2枚もあなたにくれたのですか? それだけあれば、あなた一人ならふた月は暮らせますよ。兵士の給料などたかが知れていると言うのに、随分羽振りが良いですね。それは今後何かあった時のために取って置いたほうがいいでしょう。そろそろ屋敷に向わなければならないので、私は行きます。アリシア様は買い物を済ませたらここへ戻って、この部屋の隣を使える様にしていて下さい」
サムとオリバーに外に出ると伝えて、アリシアは買い物に出かけた。オリバーが付いて来るとしつこく言って来たが、下着も買わなければならないのだから、来られては困る。丁寧に断って、逃げるように商業地区までやって来た。
一人で買い物をするのは始めてだわ。屋敷を抜け出して町を何度も散策したけれど、お金を持たなくても何故か店の人達は果物やお菓子をくれるんだもの。この町の人達は親切でいい人が多いわね。
「アレックス、昨日は雨の中びしょぬれで歩いていたけど、体は大丈夫だったのかい?」
声を掛けて来たのは昨日無視してしまった知り合いのおかみさんだ。どうやら風邪を引いたのではと心配してくれていたようだ。
「昨日は急いでいたから返事も出来なくてごめんなさい。この通り、体は平気です。心配して下さってありがとうございます」
「ふふっ、あんたは本当に礼儀正しい子だねぇ。ほら、このリンゴをお食べ。そんな細っこい体じゃ心配にもなるさ。ちゃんと食べないと大きくなれないよ」
「いつもすみません。頂きます」
こんな感じで色々な店の店主達はアリシアに食べ物をくれるのだ。アリシアも可能な限りその店先で貰った物を食べて感想を言うようにしている。するとそれを見た通行人が足を止め商品を買っていくのだ。余程美味しそうに見えるのだろう、その日のリンゴは完売した。
さすがにお腹一杯だわ。食べ物屋さんの前は避けて行きましょう。
古着屋でサイズの合うブーツと服を買い、新品の男の子用のパンツも買った。結構な大荷物になってしまい、ヨロヨロと帰り道を進むと、後ろから聞き覚えのある少年の声がした。
「お嬢様?」
アリシアは思わず振り返ると、彼女が着ている服の持ち主である庭師見習いの少年が立っていた。
「良かった、逃げられたんですね。オレ、心配でさっき屋敷を見に行ったんです。兵士や騎士がウロウロしていて中には入れなかったけど、チェスター神父様が入って行くのを見ました。何だか良く分からないけど、メイドのニーナが旦那様を訴えたせいであの兵士達が来たみたいです。昨日逃げる前に兵士に聞いたらそれだけ教えてくれました。でも理由がわかりません。ニーナって、仕事もしないで若い使用人の男達に色目を使っていた役立たずですよ? それがあの立派な旦那様の何を訴えたんでしょうか」
ニーナというのは貧乏男爵家の娘だ。それを伯爵家で平民と同じ扱いで良いから使って欲しいと父の友人が頼んで来た事は知っている。彼女は毎日屋敷内をぷらぷらと歩き回り、貴重品に手を触れてはメイド頭に叱られていた。アリシアの部屋からも何点か宝石が消えている。彼女が犯人とは言い切れないが、彼女が来てから物がなくなり始めたのは間違いなかった。
「トム、あなたも無事で良かった。今はどこにいるの? 私は教会で働く事になったのよ」
「チェスター神父様に保護されたんですね。安心しました。オレは町で知り合った奴の家に置いてもらってます。お嬢様、いや、アレックス、その喋り方はおかしいから、ちゃんと意識して男の言葉を使ったほうが良いですよ」
「あ……トムに会って気が緩んでしまったよ。そうだこの服、返したいからそのうち教会に顔を出してくれないか?」
トムは上から下までアリシアを見て、首を横に振った。
「返さなくて良いよ。アレックスが着るかもしれないと思ってわざと置いて行ったんだ。変だと思わなかったんですか? 丁度一揃い残っていたでしょう」
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「ありがとう、トム。そう言われたら、確かにそうだった気がするよ。あ、そろそろ戻らなきゃ、また会えるよね?」
トムはにっこり笑って頷いた。そして二人は手を振って別れ、アリシアは教会へと急ぎ戻った。教会に着くと、チェスター神父が深刻な顔でアリシアの帰りを待っていた。
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夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
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