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おまけ話
アリアとグレンとエドモンド
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エドモンドはクロエの結婚後も王都に暮らし、イザークに譲られた店舗兼住居に引っ越していた。イザークの人形店の二号店として、ポップドールという店名を付けて営業を続けている。
クロエとアリアで考えた安価で大量生産出来る人形と、それ用の着せ替えや靴、アクセサリー、店の内装に合わせたマシュマロやキャンディーといったカラフルなお菓子などを専門に売る庶民向けで低価格路線の店だ。店内の装飾も今までの重厚な高級路線から変更し、ポップな色使いとデコレーションで子供だけでなく若い女性達に人気の店となっていた。
人気の理由はそれだけでは無い。店主が長身の銀髪イケメン兵士長という意外性が女性達にウケているのだ。ポップで可愛い店内に、ラフな白シャツと黒いズボン、黒いギャルソンエプロンと言うシンプルな装いはエドモンドの魅力を十分過ぎるほど発揮させ、腕まくりした時に見えるたくましい腕で、繊細な商品を優しく補充したり整理したりする姿に女性客はメロメロになるのだ。可愛い店に男くさい店主、これは所謂ギャップ萌狙いだ。
しかし店に出られるのは非番の時だけ。エドモンドがいつ非番になるかは分からないので、女性達は毎日店を覗きに来ては何かしら買って帰るので店は大繁盛している。売り子はランスの仕事だ。制服としてエドモンドと同じ服装をさせた可愛いランスも店のマスコット的人気で、お姉さま達から可愛がられている。この全てをプロデュースしたのはアリアだった。無償で店の管理も請け負っている。
「ねぇ、今日もエド様は居ないの?」
常連のマリエラは買い物よりもエドモンド目当てで通っている。あの一件以来、ドミニク伯爵とタッグを組んで屋敷に招こうとあの手この手で迫って来るのだが、エドモンドは全て断固拒否している。協力してくれた事には感謝しているが、これ以上関わる気は毛頭無いのだ。
その他のオーナー目当ての客は綺麗な人からそれなりの人まで様々だが、綺麗な人ほど押しが強く、捌くのが面倒くさい。2号店がオープンして半年。ランスは限界に近付いて来ていた。毎日毎日、オーナーは今日居ないの? と聞かれ続けている。物を買ってくれるので無下にもできず、ストレスは溜まる一方だった。さっさと再婚してくれたら良いのにと考えている。
「今日は兵団の方に出てる。しばらく店には出れないと思うよ」
その一言で店内にいた客達は一斉に居なくなる。
「ちょっと、その接客態度はどうなのかしら?」
「アリアさん! 何だ来てたのかよ。オーナーは二階だよ。魔物討伐で帰って来たの朝方だったみたいだ。ちょっと怪我もしてたみたいだから、見てきてくれよ」
ランスはクロエが姉と分かった後もグレンと暮らし続け、他領に引っ越したクロエから一緒に暮らさないかと誘われたがそれを断った。新婚さんの邪魔はしたくないというランスなりの優しさだが、育ての親であるグレンに何の恩返しも出来ていないまま離れる事は出来なかったと言うのが本当のところだ。
10歳になり正式にエドモンドに雇われてこの店で働き始め、安定した収入を得られる様になり、生活は豊かになった。住む所も貧民街から商業地区へと変わり、二人は見違えるように小奇麗になっていった。
「ランス、そんな話じゃ誤魔化されないわよ。言葉遣いを直すように言っているでしょ? もうあのツギハギだらけのランスではないのだから、せめて、です、ます、位は使える様になってね」
「はーい。あ、いらっしゃいませー」
客が入って来てお小言は終了した。アリアは店の奥へ行き、階段を登って元イザークの部屋だった場所へ行く。ドアが開いたままの部屋はカーテンが掛けられていて薄暗い。ベッドにはうつ伏せで裸のまま眠るエドモンドがいた。正確にはパンツ一丁だ。腰から下だけに毛布をかけて寝ている。上半身のたくましい筋肉の付いた背中が大人の男の色気を漂わせている。見れば背中と腕に魔獣に引っかかれた傷があった。アリアは治癒魔法でその傷を治療する。
「エドモンドさんには世話をする人が必要そうね。だからって家政婦を募集するとチャラチャラした若い女ばかり来るから困るわ。あんなの絶対家事なんて出来ないわよね。クロエに相談した方がいいかしら。ランス君は店に出るから掃除をする暇も無いのよね」
部屋を見るとベッドまでの道筋に軍服が脱ぎ捨てられ、他にも脱ぎっぱなしの服や洗濯物が山積みになっている。普段エドモンドはこれまで通り自分で洗濯や掃除をしているが、最近は忙し過ぎて何もできないようだ。アリアは治癒を終わらせると脱ぎ捨てられた軍服をハンガーに掛け、汚れた服を纏めて籠に入れると洗濯をしに裏庭へ出る。
「アリアさん! こ、こんにちは。あれ? 洗濯ですか?」
「あら、お久しぶりです、グレンさん。エドモンドさんは最近兵団の方が忙しくて、身の回りの事が出来ない様だから、来たついでに片付けてしまおうと思って。グレンさんが今日持って来たのは追加の人形かしら? 在庫が減っていたから発注しておいたのだけど」
グレンは大きな箱を持っていた。今は他の工房で作った商品を運んで来てもらうだけになり、グレンのここでの仕事は大幅に減ってしまった。毎日来なくても週3回ペースで足りるので、アリアが来るタイミングと合わず、ずっと会えないでいた。
「はい、人形です。これ店に置いてきたら、俺も洗濯手伝いましょうか? 一人でその量は大変ですよ」
グレンはそう言って裏口から入って店に居るランスに荷物を託すと、踵を返して裏庭に戻っていった。井戸から大量に水を汲み。大きなタライを満たしてそこに石鹸を投入すると、同色の洗濯物を選んでそこに投げ込み、ごしごしと洗い始めた。
「グレンさんはこの後配達は無いんですか? 忙しいあなたに手伝わせて良いのかしら」
「大丈夫です! あなたの役に立ちたいんで、こっちを優先します。この他にも何かありませんか?」
向かい合って洗濯するグレンはアリアに気に入られたくて仕方が無かった。初めて会ったあの日、稲妻が走るような衝撃を受け、グレンの心にアリアという女性の存在がガッチリ刻み付けられてしまった。それまではあっちへフラフラ、こっちへフラフラと気に入った女性の事を追いかけていたグレンであったが、本気の一目惚れをした今はもうアリア以外の女性は目に入らなかった。加えてアリアは綺麗なだけではない。性格だって良いのだ。早くしなければ誰かのものになってしまうのではと焦り、グレンは覚悟を決めてアリアをデートに誘う。
「あ、あの、アリアさん」
「はい、なんですか?」
「俺と今度、湖に行きませんか? そこでボートに乗ったり、湖畔を散歩したり、きっと気持ちが良いですよ」
湖でのデートは今の若者達の流行だった。ボートで二人きりになって愛を語らうのだ。それが健全な若者の正しいデートだ。普段のグレンならば、外でのデートと言えば食事に出かけるくらいしかした事がない。それ以外は女性の家に行くか、自分の家に招くかして大人の関係にもつれ込み、それでお終いなのだが、アリアに対してそれをしようとは思わなかった。純粋な少年の頃の様に胸が高鳴り、結婚するまでは汚してはいけない存在だと自然にブレーキが掛かる。手を握る事すら躊躇するなど、今までの人生で初めてのことであった。
「楽しそうですね、お弁当を持って行くのも良いかもしれません。エドモンドさんやクロエ達も誘って、今度行きましょうか。湖といえば、クロエの領地に好きな人とボートに乗ると思いが通じるという噂の湖があるんですよ。そこに行ってみたいわ」
洗濯をしながらそんな会話をしていると、エドモンドが起きて来た。勝手口を開けたまま洗濯をしていたので声が聞こえたらしい。寝起きの顔に上半身裸で下は店で着ている黒いズボンを穿いている。
「アリア、洗濯してくれてるのか、悪いな。この所、魔物の数が増えて休む間が無かったんだ。……何だよ、グレンまで手伝ってくれてるのか? すまん、俺が代わるから仕事に戻っていいぞ」
グレンは首を横に振り、洗濯を続けた。アリアも自分の仕事に戻った方が良いのではと思ったが、黙々と洗い続けるグレンのおかげで洗濯物の山はだいぶ小さくなった。
「変なヤツだな。じゃあ、アリア、どんどん干していくから洗い終わったやつをくれ」
「エドモンドさん、目のやり場に困るから……上に何か着て下さい」
アリアは頬を染めてエドモンドに訴えた。
「全部洗濯に持っていかれて、軍服以外着るもんが無いんだよ。だからさっさと干して乾かさないと、店に出ることも出来ない。ほら、寄越せ」
エドモンドの大きな手がアリアに向けて差し出される。その手の上に、ぎゅっと絞られたズシリと重い白シャツの塊がドンと乗せられた。
「どうぞ、干して下さい」
グレンが白シャツを優先的に別のタライで洗い、力いっぱい絞って渡したのだ。実はアリアとエドモンドの関係が気になって仕方の無い彼は、クロエの結婚式からずっと二人の動向を監視していた。いや、見守っていた。アリアは19歳でエドモンドは35歳。確かに年の差はあるが、見た目だけで言えば文句なしにお似合いだ。実年齢よりずっと若く見えるエドモンドの事は、初めの頃自分より年下だと思っていた。実際はグレンがエドモンドの4つ下だが、並ぶとどう見ても自分の方が年上に見える。
アリアがエドモンドのとなりで一緒にシャツを干し始めた。その表情は完全に恋する乙女だ。間違いない。
「ずりーよ、スラッとしてカッコよくて、英雄で、兵士長で、店のオーナーで、クロエの親父さんで、俺に勝てる所なんてねーじゃねーか……クソ」
グレンはパッパと洗濯を済ませ、タライに山積みになった洗濯物を物干し場に持っていき、エドモンドを睨み付けた。エドモンドはニコっと笑ってタライを受け取り、グレンに礼を言う。
「ありがとう、助かったよ。今度飯でも食いに行こう。おごるよ」
「なら酒を飲みに行きましょう。あなたとゆっくり話しがしてみたい」
腹を割って話をしてみたかったグレンは、何も知らず酒を飲もうと誘ってしまった。
「あー、悪い、俺、酒は飲まないんだ。それでも良ければ付き合うよ」
エドモンドは申し訳なさそうに断りを入れた。
「ふっ、そんなに立派な身体なのに、酒が飲めないんですか?」
「いや、昔、娘と約束したんだよ。もう酒は飲まないってな。酒ばかり飲んで荒れていた時期に、あの子は俺の為に頑張ってくれた。俺は返せないほどの恩をあの子から貰い、まだ一つも返せていないんだ。完済出来る時がきたら、娘と一緒に酒を飲むのも良いかもしれないな。ハハ、いつになるやら。きっと無理だな」
アリアはそれが何の話か知っている。クロエから聞いた、エドモンドが腕を無くして自暴自棄になっていた頃の話だ。働かずにお酒ばかり飲んでいて、奥さんがダミヤンと一緒に居なくなり、小さなクロエが父親のために独学で魔道具の義手を作り上げてしまった。
エドモンドはいまだに小さなクロエとの約束を守っているのだ。アリアは胸にぐっと熱いものがこみ上げて来た。この親子の苦労は知っているだけに、エドモンド側の気持ちを聞いて自然と涙がこぼれてしまった。慌てて頬を伝った涙を拭い、洗った物を干していく。
「クロエは、もうその約束忘れていると思います。結婚式の時にエドモンドさんが乾杯のお酒を飲まなかった事、気にしてました。もしかしたら具合が悪いんじゃないかって。ハメを外さなければ、お酒は解禁で良いと思いますよ」
エドモンドはアリアをマジマジと見て微笑んだ。
「そうか、それでも俺は禁酒を続けるよ。自分への戒めだ。アリアは優しい子だな」
アリアの頭をポンと軽く触れて、エドモンドは洗濯物を干し始める。一気に洗った洗濯物は裏庭の物干し台を埋め尽くし、壮観な眺めだった。
いつから居なかったのか、気付けばグレンは居なくなっていた。アリアの視線の先を見て、その目は自分を写さないとはっきり実感してしまったのだ。
アリアはまだ生乾きの白シャツを一枚手に取ると、家に入って行った。エドモンドはタライや石鹸を片付けて家に入ると、アリアがシャツにアイロンをかけていた。
「そこまでしなくても良いのに。ありがとう、アリア。君は良いお嫁さんになれるな」
シャツに残った水分が全て蒸発するまで丁寧にアイロン掛けしたアリアは、そのシャツを背後からエドモンドに着せる。
「エドモンドさん、私、良いお嫁さんになりますから、私の事、考えてみてくれませんか?」
背後からぎゅっと抱きつくアリアに驚きながら、エドモンドは硬直してしまった。自分の娘と変わらない年の女の子からの告白に、どう答えるべきか悩む。アリアの事はとても良い娘だとは思っているし、クロエの友人でなければ即答も出来ただろうが。
「……考えるから、とりあえずこの手を離そうか」
この日の夜、アリアは頑張って夕食を作り、数時間かけてエドモンドを口説き落とした。
クロエとアリアで考えた安価で大量生産出来る人形と、それ用の着せ替えや靴、アクセサリー、店の内装に合わせたマシュマロやキャンディーといったカラフルなお菓子などを専門に売る庶民向けで低価格路線の店だ。店内の装飾も今までの重厚な高級路線から変更し、ポップな色使いとデコレーションで子供だけでなく若い女性達に人気の店となっていた。
人気の理由はそれだけでは無い。店主が長身の銀髪イケメン兵士長という意外性が女性達にウケているのだ。ポップで可愛い店内に、ラフな白シャツと黒いズボン、黒いギャルソンエプロンと言うシンプルな装いはエドモンドの魅力を十分過ぎるほど発揮させ、腕まくりした時に見えるたくましい腕で、繊細な商品を優しく補充したり整理したりする姿に女性客はメロメロになるのだ。可愛い店に男くさい店主、これは所謂ギャップ萌狙いだ。
しかし店に出られるのは非番の時だけ。エドモンドがいつ非番になるかは分からないので、女性達は毎日店を覗きに来ては何かしら買って帰るので店は大繁盛している。売り子はランスの仕事だ。制服としてエドモンドと同じ服装をさせた可愛いランスも店のマスコット的人気で、お姉さま達から可愛がられている。この全てをプロデュースしたのはアリアだった。無償で店の管理も請け負っている。
「ねぇ、今日もエド様は居ないの?」
常連のマリエラは買い物よりもエドモンド目当てで通っている。あの一件以来、ドミニク伯爵とタッグを組んで屋敷に招こうとあの手この手で迫って来るのだが、エドモンドは全て断固拒否している。協力してくれた事には感謝しているが、これ以上関わる気は毛頭無いのだ。
その他のオーナー目当ての客は綺麗な人からそれなりの人まで様々だが、綺麗な人ほど押しが強く、捌くのが面倒くさい。2号店がオープンして半年。ランスは限界に近付いて来ていた。毎日毎日、オーナーは今日居ないの? と聞かれ続けている。物を買ってくれるので無下にもできず、ストレスは溜まる一方だった。さっさと再婚してくれたら良いのにと考えている。
「今日は兵団の方に出てる。しばらく店には出れないと思うよ」
その一言で店内にいた客達は一斉に居なくなる。
「ちょっと、その接客態度はどうなのかしら?」
「アリアさん! 何だ来てたのかよ。オーナーは二階だよ。魔物討伐で帰って来たの朝方だったみたいだ。ちょっと怪我もしてたみたいだから、見てきてくれよ」
ランスはクロエが姉と分かった後もグレンと暮らし続け、他領に引っ越したクロエから一緒に暮らさないかと誘われたがそれを断った。新婚さんの邪魔はしたくないというランスなりの優しさだが、育ての親であるグレンに何の恩返しも出来ていないまま離れる事は出来なかったと言うのが本当のところだ。
10歳になり正式にエドモンドに雇われてこの店で働き始め、安定した収入を得られる様になり、生活は豊かになった。住む所も貧民街から商業地区へと変わり、二人は見違えるように小奇麗になっていった。
「ランス、そんな話じゃ誤魔化されないわよ。言葉遣いを直すように言っているでしょ? もうあのツギハギだらけのランスではないのだから、せめて、です、ます、位は使える様になってね」
「はーい。あ、いらっしゃいませー」
客が入って来てお小言は終了した。アリアは店の奥へ行き、階段を登って元イザークの部屋だった場所へ行く。ドアが開いたままの部屋はカーテンが掛けられていて薄暗い。ベッドにはうつ伏せで裸のまま眠るエドモンドがいた。正確にはパンツ一丁だ。腰から下だけに毛布をかけて寝ている。上半身のたくましい筋肉の付いた背中が大人の男の色気を漂わせている。見れば背中と腕に魔獣に引っかかれた傷があった。アリアは治癒魔法でその傷を治療する。
「エドモンドさんには世話をする人が必要そうね。だからって家政婦を募集するとチャラチャラした若い女ばかり来るから困るわ。あんなの絶対家事なんて出来ないわよね。クロエに相談した方がいいかしら。ランス君は店に出るから掃除をする暇も無いのよね」
部屋を見るとベッドまでの道筋に軍服が脱ぎ捨てられ、他にも脱ぎっぱなしの服や洗濯物が山積みになっている。普段エドモンドはこれまで通り自分で洗濯や掃除をしているが、最近は忙し過ぎて何もできないようだ。アリアは治癒を終わらせると脱ぎ捨てられた軍服をハンガーに掛け、汚れた服を纏めて籠に入れると洗濯をしに裏庭へ出る。
「アリアさん! こ、こんにちは。あれ? 洗濯ですか?」
「あら、お久しぶりです、グレンさん。エドモンドさんは最近兵団の方が忙しくて、身の回りの事が出来ない様だから、来たついでに片付けてしまおうと思って。グレンさんが今日持って来たのは追加の人形かしら? 在庫が減っていたから発注しておいたのだけど」
グレンは大きな箱を持っていた。今は他の工房で作った商品を運んで来てもらうだけになり、グレンのここでの仕事は大幅に減ってしまった。毎日来なくても週3回ペースで足りるので、アリアが来るタイミングと合わず、ずっと会えないでいた。
「はい、人形です。これ店に置いてきたら、俺も洗濯手伝いましょうか? 一人でその量は大変ですよ」
グレンはそう言って裏口から入って店に居るランスに荷物を託すと、踵を返して裏庭に戻っていった。井戸から大量に水を汲み。大きなタライを満たしてそこに石鹸を投入すると、同色の洗濯物を選んでそこに投げ込み、ごしごしと洗い始めた。
「グレンさんはこの後配達は無いんですか? 忙しいあなたに手伝わせて良いのかしら」
「大丈夫です! あなたの役に立ちたいんで、こっちを優先します。この他にも何かありませんか?」
向かい合って洗濯するグレンはアリアに気に入られたくて仕方が無かった。初めて会ったあの日、稲妻が走るような衝撃を受け、グレンの心にアリアという女性の存在がガッチリ刻み付けられてしまった。それまではあっちへフラフラ、こっちへフラフラと気に入った女性の事を追いかけていたグレンであったが、本気の一目惚れをした今はもうアリア以外の女性は目に入らなかった。加えてアリアは綺麗なだけではない。性格だって良いのだ。早くしなければ誰かのものになってしまうのではと焦り、グレンは覚悟を決めてアリアをデートに誘う。
「あ、あの、アリアさん」
「はい、なんですか?」
「俺と今度、湖に行きませんか? そこでボートに乗ったり、湖畔を散歩したり、きっと気持ちが良いですよ」
湖でのデートは今の若者達の流行だった。ボートで二人きりになって愛を語らうのだ。それが健全な若者の正しいデートだ。普段のグレンならば、外でのデートと言えば食事に出かけるくらいしかした事がない。それ以外は女性の家に行くか、自分の家に招くかして大人の関係にもつれ込み、それでお終いなのだが、アリアに対してそれをしようとは思わなかった。純粋な少年の頃の様に胸が高鳴り、結婚するまでは汚してはいけない存在だと自然にブレーキが掛かる。手を握る事すら躊躇するなど、今までの人生で初めてのことであった。
「楽しそうですね、お弁当を持って行くのも良いかもしれません。エドモンドさんやクロエ達も誘って、今度行きましょうか。湖といえば、クロエの領地に好きな人とボートに乗ると思いが通じるという噂の湖があるんですよ。そこに行ってみたいわ」
洗濯をしながらそんな会話をしていると、エドモンドが起きて来た。勝手口を開けたまま洗濯をしていたので声が聞こえたらしい。寝起きの顔に上半身裸で下は店で着ている黒いズボンを穿いている。
「アリア、洗濯してくれてるのか、悪いな。この所、魔物の数が増えて休む間が無かったんだ。……何だよ、グレンまで手伝ってくれてるのか? すまん、俺が代わるから仕事に戻っていいぞ」
グレンは首を横に振り、洗濯を続けた。アリアも自分の仕事に戻った方が良いのではと思ったが、黙々と洗い続けるグレンのおかげで洗濯物の山はだいぶ小さくなった。
「変なヤツだな。じゃあ、アリア、どんどん干していくから洗い終わったやつをくれ」
「エドモンドさん、目のやり場に困るから……上に何か着て下さい」
アリアは頬を染めてエドモンドに訴えた。
「全部洗濯に持っていかれて、軍服以外着るもんが無いんだよ。だからさっさと干して乾かさないと、店に出ることも出来ない。ほら、寄越せ」
エドモンドの大きな手がアリアに向けて差し出される。その手の上に、ぎゅっと絞られたズシリと重い白シャツの塊がドンと乗せられた。
「どうぞ、干して下さい」
グレンが白シャツを優先的に別のタライで洗い、力いっぱい絞って渡したのだ。実はアリアとエドモンドの関係が気になって仕方の無い彼は、クロエの結婚式からずっと二人の動向を監視していた。いや、見守っていた。アリアは19歳でエドモンドは35歳。確かに年の差はあるが、見た目だけで言えば文句なしにお似合いだ。実年齢よりずっと若く見えるエドモンドの事は、初めの頃自分より年下だと思っていた。実際はグレンがエドモンドの4つ下だが、並ぶとどう見ても自分の方が年上に見える。
アリアがエドモンドのとなりで一緒にシャツを干し始めた。その表情は完全に恋する乙女だ。間違いない。
「ずりーよ、スラッとしてカッコよくて、英雄で、兵士長で、店のオーナーで、クロエの親父さんで、俺に勝てる所なんてねーじゃねーか……クソ」
グレンはパッパと洗濯を済ませ、タライに山積みになった洗濯物を物干し場に持っていき、エドモンドを睨み付けた。エドモンドはニコっと笑ってタライを受け取り、グレンに礼を言う。
「ありがとう、助かったよ。今度飯でも食いに行こう。おごるよ」
「なら酒を飲みに行きましょう。あなたとゆっくり話しがしてみたい」
腹を割って話をしてみたかったグレンは、何も知らず酒を飲もうと誘ってしまった。
「あー、悪い、俺、酒は飲まないんだ。それでも良ければ付き合うよ」
エドモンドは申し訳なさそうに断りを入れた。
「ふっ、そんなに立派な身体なのに、酒が飲めないんですか?」
「いや、昔、娘と約束したんだよ。もう酒は飲まないってな。酒ばかり飲んで荒れていた時期に、あの子は俺の為に頑張ってくれた。俺は返せないほどの恩をあの子から貰い、まだ一つも返せていないんだ。完済出来る時がきたら、娘と一緒に酒を飲むのも良いかもしれないな。ハハ、いつになるやら。きっと無理だな」
アリアはそれが何の話か知っている。クロエから聞いた、エドモンドが腕を無くして自暴自棄になっていた頃の話だ。働かずにお酒ばかり飲んでいて、奥さんがダミヤンと一緒に居なくなり、小さなクロエが父親のために独学で魔道具の義手を作り上げてしまった。
エドモンドはいまだに小さなクロエとの約束を守っているのだ。アリアは胸にぐっと熱いものがこみ上げて来た。この親子の苦労は知っているだけに、エドモンド側の気持ちを聞いて自然と涙がこぼれてしまった。慌てて頬を伝った涙を拭い、洗った物を干していく。
「クロエは、もうその約束忘れていると思います。結婚式の時にエドモンドさんが乾杯のお酒を飲まなかった事、気にしてました。もしかしたら具合が悪いんじゃないかって。ハメを外さなければ、お酒は解禁で良いと思いますよ」
エドモンドはアリアをマジマジと見て微笑んだ。
「そうか、それでも俺は禁酒を続けるよ。自分への戒めだ。アリアは優しい子だな」
アリアの頭をポンと軽く触れて、エドモンドは洗濯物を干し始める。一気に洗った洗濯物は裏庭の物干し台を埋め尽くし、壮観な眺めだった。
いつから居なかったのか、気付けばグレンは居なくなっていた。アリアの視線の先を見て、その目は自分を写さないとはっきり実感してしまったのだ。
アリアはまだ生乾きの白シャツを一枚手に取ると、家に入って行った。エドモンドはタライや石鹸を片付けて家に入ると、アリアがシャツにアイロンをかけていた。
「そこまでしなくても良いのに。ありがとう、アリア。君は良いお嫁さんになれるな」
シャツに残った水分が全て蒸発するまで丁寧にアイロン掛けしたアリアは、そのシャツを背後からエドモンドに着せる。
「エドモンドさん、私、良いお嫁さんになりますから、私の事、考えてみてくれませんか?」
背後からぎゅっと抱きつくアリアに驚きながら、エドモンドは硬直してしまった。自分の娘と変わらない年の女の子からの告白に、どう答えるべきか悩む。アリアの事はとても良い娘だとは思っているし、クロエの友人でなければ即答も出来ただろうが。
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