魔法省魔道具研究員クロエ

大森蜜柑

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第2章

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 クロエはランスの言葉を聞いて鳥肌が立ち、背筋がぞくっとした。何故か母とダミヤンが家を荒らしていた光景が頭を過ぎり、さらにダミヤンが工房に現れた時の記憶が蘇る。もう会う事は無いと安心した矢先に現れたダミヤンに激昂され自分の胸ぐらを掴まれ引き寄せられた時の感覚、そして背中を切りつけられ背後から回された手で直接胸をさわる汗ばんだ手の感触が生々しく蘇った。顔から血の気が引いたクロエはバスルームに駆け込み嘔吐した。
 ランスは慌ててイザークを呼びに行く。

「イザーク様! どうしよう、クロエが……!」

 イザークはガタッと椅子から立ち上がり、工房の手前で立ち竦むランスを押しのけて急いで台所に向った。だがそこにクロエは居ない。

「ランス! クロエはどこだ?!」
「バスルーム……」

 怯えたランスがバスルームを指差す。イザークがバスルームのドアを開けるとザァーっと水を流しながらトイレにぐったりと凭れ掛るクロエがいた。

「クロ……」
「イヤ、来ないで! お願い、もう私に触らないで! ダミヤン!」  

 過去の記憶と混同して、今のクロエにはイザークがダミヤンに見えていた。当時ですらここまで怯えた表情を見せず逆に淡々と状況を説明していたクロエだが、本当はどれほど怖い思いをしたのか。彼女の当時の恐怖が伝わり、イザークは歯噛みした。

「クロエ、俺が怖いか? アリアに来てもらうか?」
「アリア……?」
「男が怖いのではないか?」

 記憶が過去に戻ってしまったクロエの体からは魔力が滲み出ていた。髪が逆立ち、空気が震えている。魔法陣に魔力を吸い出されていて今は少量しか魔力が無いおかげで暴発には至らなかったが、その僅かな余力を使い果たし、クロエは気絶した。
 イザークはクロエを抱き上げて部屋へと連れて行きベッドに寝かせる。そこにアリアも心配してやって来たが、それに構わずクロエの胸に両手を当て、魔力を流し始めた。

「クロエ……魔力切れを起こしたのですか? どうして急に?」
「わからん。とにかくこのままでは危ないから、応急処置をする。すまないが、ランスにもう帰るよう伝えてくれ。相当驚いていたはずだ、クロエのこの様な姿、見るのは初めてだからな」

 アリアは心配そうにクロエを見て、部屋を出た。クロエの側にはイザークが居れば大丈夫だろうと、自分はランスのケアに回った。ランスは涙を滲ませ先ほどと同じ場所で震えていた。

「ランス君、クロエは大丈夫よ。イザーク様が着いているもの。それより君も驚いたわね、私もこんなクロエを見たのは初めてで、動揺してしまったわ。今日はもう上がって良いそうだから、クロエが用意してたお菓子を持ち帰って家で食べなさい。ね?」
 アリアはダイニングテーブルの上に用意されていたクロエの焼いたクッキーを全て紙袋に詰めてランスに手渡すと、勝手口から外に出した。ランスは泣きながら紙袋を握り締め、走って裏路地から帰って行った。
 アリアは裏路地から回り込んで表通りの店の前を覗き見てみた。店の前には馬車が停められていて、まだしつこくマリエラがドアを叩いていた。その背後の馬車の前には身形の良い40歳前後の女性が立っていて、二階の窓を見ているようだった。顔は良く見えないが、遠目に見てクロエに似ていなくも無い。底意地の悪さが面に出ているといった印象の美人だとアリアは思った。

「もしかしたらあれがクロエの母親なの? たしかに綺麗かもしれないけど、心の汚さが顔に出てるわね。マリエラ様とはお知り合いなのかしら? イザーク様の話ではクロエのことはマリエラ様から聞いたと言っていたっけ。お金に不自由しているようにも見えないけど、何のためにクロエを探しているのかしら……」

 アリアが離れた場所からマリエラ達を監視していると、諦めたのか二人は馬車に乗り込んでアリアの居る方へ移動を始めた。この向こうは貴族街だ。アリアはじっと馬車の窓の奥を見ていた。一瞬見えたもう一人の女の顔は、クロエの母親でほぼ間違い無かった。


 深夜になり、クロエはうなされて目を覚ました。

「クロエ、気分はどうだ? 俺がわかるか?」

 イザークはクロエに着いていたくて、アリアを二階の客室に移らせて自分はクロエのベッドに寄せて置いた簡易ベッドの上に座っていた。夢の中でダミヤンに襲われた日を追体験しているのか、うわ言で「やめて」「痛い」「さわらないで」「来ないで」と何度も呟いていた。イザークは苦しそうなクロエに何度も癒しをかけたが、心の傷には効果が無かった。だから常に手を握り、冷たくなったクロエの手を擦って温めていた。

「イザーク様……? 良かった、夢で……」
「ハァ……もう大丈夫そうだな。一時は魔力切れを起こして危険な状態だったんだぞ。まだ完全じゃないから、もう少し休んだら補給してやる」
「イザーク様、顔色が悪いです。もしかして、魔力供給のし過ぎですか? だったらもう止めて下さい。私なんて黙っていれば回復しますから、もうお休み下さい」
「すまんが、休ませてもらう」

 そう言ってイザークはクロエの手を握ったまま簡易ベッドに横になると、そのまま寝息を立て始めた。クロエは隣で眠るイザークの顔が見えるよう寝返りをうって横を向き、青白いイザークの頬に触れた。どれだけ無理をしたのか、目の下にクマまで出来ている。

「イザーク様は私の様に、魔力が豊富ですよね? そんな人がこんなになるまで魔力を使うだなんて、もしかして私の体を再生させていたのですか?」

 クロエは一度手を離し、イザークの体に布団をかけてやるとベッドから降りた。足がガクガクして、この体に宿った時のような感じがした。それでもなんとか台所に向うと、うがいをして顔を洗った。カラカラに乾いた喉を潤すために水差しにレモン汁と塩、砂糖を少し入れた簡易スポーツドリンクのような物を作って飲み、その残りを持って部屋に戻った。

「どこへ行っていた」

 イザークは上半身を起こしてこちらを見ていた。

「喉が渇いたので、水を……イザーク様も飲みませんか?」

 クロエは作ったレモン水をコップに注ぎ、水差しをサイドテーブルに置いてイザークにコップを差し出した。イザークは無言でそれを飲み干し、サイドテーブルにコップを置くと、クロエに向けて両手を開いてここに来いと目で訴えた。

「……早く来い、眠いんだ」

 クロエはおずおずと簡易ベッドに乗りイザークに近付くと、その腕の中に包まれて横になった。そしてイザークはまた直ぐに寝息を立て始めた。

「イザーク様は心配性ですね。ちょっと離れただけで目が覚めてしまうだなんて……魔力切れを起こして冷たくなった体を温めてくれるんですね。本当に優しい人」

 クロエはイザークの体に腕を回し、胸に耳を当てた。トクントクンという規則正しい心臓の音を聞きながら目を閉じ、先ほどまで見ていた悪夢を頭から消し去ると、あるはずの無いイザークとの幸せな未来を想像しながら眠った。


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