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第2章
当たり前の幸せ
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「イザーク様、それはどういう……」
イザークは暫くクロエを見つめた後、プイッと作業机の方を向いた。
「ほら、お前も仕事の途中だったのだろう、もう行って良いぞ」
イザークに背中を押され、クロエは奥の扉の方へ押し出されてしまう。扉をくぐる前に一度立ち止まり、イザークの方を見るとすでに作業を再開していた。
「……あんまり意味深な事を言うと、私勘違いしますよ? まったくもう、変に慣れないフォローなんか入れずに私の事は虫除けに使ったとハッキリ言えばいいんです」
ブツブツと文句を言いながら台所に戻るクロエだったが、耳まで赤くなってどうしても笑みが零れるのを止められなかった。
耳元であんな事言われたら誰だって勘違いすると思うの。そんなわけ無いってわかってるけど目が真剣だったから一瞬本気なのかと思ったわ。イザーク様は冗談と本気の境目が分かりにくいからホント困る。
冷静なふりをして文句を言いながら工房を出て来たクロエだったが心の動揺は相当なものだった。
イザークはクロエが台所に行った後、作業机の上に肘をつき頭を抱えていた。
「俺は何を言っているのだ……」
困らせるつもりなど毛頭無いと言うのに。雇い主にあのような事言われて、彼女も困惑しているようだったではないか。最近歯止めが効かぬ様になって困る。恐らく俺は昨夜酔って彼女に迫ったのだろう。彼女は何も言わぬが、今朝の状況からして間違いない。今の関係を壊さぬ為にも、気をつけねばな。
その晩、食事時には二人共何事も無かったかのように普段通りの会話を交わしていた。クロエは何時間もかけて煮込んだビーフシチューの出来栄えに満足し、イザークが美味しそうに食べる姿を微笑みながら見ていた。
「イザーク様、美味しいですか?」
「ああ、いつも美味いが今日のは特に美味いな。味に深みがあって肉がほどけるほどやわらかい」
その感想に満面の笑みで何度も頷く。
「ですよねっ、私のとっておきのレシピで作ったんですよ。今朝無性にこれが食べたいって思ってしまって。なんだか最近匂いの感じ方が変わってきて、料理しているとその匂いでお腹が空いたような感覚になる事があるんですよね。だからこの間ちょっと食べてみたんですけど、やっぱり味はわかりませんでした」
「焦る事はない、再生は順調に進んでいるではないか。昨日駄目だった事が今日は出来るようになっているかもしれない」
イザークは食事を中断し、席を立つと食器棚からスプーンと皿を取り出しそれに少量のシチューをよそい彼女の前に置いた。
「あ、あの、イザーク様、私は水だけで良いんです。食べる事は出来ますけど、勿体無いですよ?」
イザークは自分の席に戻り食事を始めた。パンをちぎりシチューをたっぷり吸わせて口に入れる。わざとクロエの好きな食べ方をしてみせた。クロエはその様子を見てごくりと唾を飲み込んだ。
「食べてみろ。そんなに食べたそうな顔で見られると落ち着かん」
「あ……すみません。イザーク様はいつも美味しそうに食べてくれるのでつい見てしまうんです。せっかくイザーク様がよそってくださったのだし、味はわからなくても気分だけでも味わおうかな」
クロエは目の前の皿に目を移すとスプーンを持って止まった。匂いで味は思い出せるのに口に入れた時に味がしない空しさを何度も経験してきたのだ。最近はしなくなったが最初の頃はいつもの習慣で味見しては落ち込むを繰り返していた。チラッとイザークの方を見ると美味しそうに食べている。クロエはごくりと唾を飲み込み、スプーンでシチューをすくって口に運んだ。
「……あれ?」
そして何度か繰り返しシチューを口に運ぶと皿はあっという間に空になった。イザークはその様子を見てにんまり笑った。
「美味いだろう。やはりお前が美味そうに食べる姿を見るとホッとするな。もう少し食べるか? パンを浸して食べるのが好きだろう?」
イザークはそう言って立ち上がり、クロエの皿を持ってシチューを先ほどと同じくらいよそって戻ると、今度は籠からパンを一つ取ってクロエの手に持たせた。
クロエはパンをちぎってシチューをたっぷり吸わせるとそれを口に入れた。噛んだ時パンに吸わせたシチューがジュワと溢れ出るのを目を瞑ってじっくり堪能する。
「味覚が戻ったようだな。そんなに美味そうな顔、元の体の時にだって見せたことが無いぞ」
「美味しいですっ、美味しいって感じる事はこんなに幸せな事なんですね」
イザークはクロエの頭を撫で、とろけるような笑顔を向けた。
「ゴホッゴホゴホ……私ったら、二度もイザーク様に配膳させるだなんて、すみません、お食事続けて下さい。あ! おかわりしますよね? 今度は私が……」
慌てて椅子から立ち上がろうとするクロエの頭を押さえつけ据わり直させた。
「ふっ、今日は俺が給仕をしてやるからお前は食事を楽しめ。久しぶりの好物の味は格別だろう。俺もお前と食事できるのは久しぶりだ」
イザークは自分でおかわりをよそうと食事を再開した。
穏やかに微笑みながら食事するイザークを見るのはクロエがこの体になって初めての事だった。
イザークは暫くクロエを見つめた後、プイッと作業机の方を向いた。
「ほら、お前も仕事の途中だったのだろう、もう行って良いぞ」
イザークに背中を押され、クロエは奥の扉の方へ押し出されてしまう。扉をくぐる前に一度立ち止まり、イザークの方を見るとすでに作業を再開していた。
「……あんまり意味深な事を言うと、私勘違いしますよ? まったくもう、変に慣れないフォローなんか入れずに私の事は虫除けに使ったとハッキリ言えばいいんです」
ブツブツと文句を言いながら台所に戻るクロエだったが、耳まで赤くなってどうしても笑みが零れるのを止められなかった。
耳元であんな事言われたら誰だって勘違いすると思うの。そんなわけ無いってわかってるけど目が真剣だったから一瞬本気なのかと思ったわ。イザーク様は冗談と本気の境目が分かりにくいからホント困る。
冷静なふりをして文句を言いながら工房を出て来たクロエだったが心の動揺は相当なものだった。
イザークはクロエが台所に行った後、作業机の上に肘をつき頭を抱えていた。
「俺は何を言っているのだ……」
困らせるつもりなど毛頭無いと言うのに。雇い主にあのような事言われて、彼女も困惑しているようだったではないか。最近歯止めが効かぬ様になって困る。恐らく俺は昨夜酔って彼女に迫ったのだろう。彼女は何も言わぬが、今朝の状況からして間違いない。今の関係を壊さぬ為にも、気をつけねばな。
その晩、食事時には二人共何事も無かったかのように普段通りの会話を交わしていた。クロエは何時間もかけて煮込んだビーフシチューの出来栄えに満足し、イザークが美味しそうに食べる姿を微笑みながら見ていた。
「イザーク様、美味しいですか?」
「ああ、いつも美味いが今日のは特に美味いな。味に深みがあって肉がほどけるほどやわらかい」
その感想に満面の笑みで何度も頷く。
「ですよねっ、私のとっておきのレシピで作ったんですよ。今朝無性にこれが食べたいって思ってしまって。なんだか最近匂いの感じ方が変わってきて、料理しているとその匂いでお腹が空いたような感覚になる事があるんですよね。だからこの間ちょっと食べてみたんですけど、やっぱり味はわかりませんでした」
「焦る事はない、再生は順調に進んでいるではないか。昨日駄目だった事が今日は出来るようになっているかもしれない」
イザークは食事を中断し、席を立つと食器棚からスプーンと皿を取り出しそれに少量のシチューをよそい彼女の前に置いた。
「あ、あの、イザーク様、私は水だけで良いんです。食べる事は出来ますけど、勿体無いですよ?」
イザークは自分の席に戻り食事を始めた。パンをちぎりシチューをたっぷり吸わせて口に入れる。わざとクロエの好きな食べ方をしてみせた。クロエはその様子を見てごくりと唾を飲み込んだ。
「食べてみろ。そんなに食べたそうな顔で見られると落ち着かん」
「あ……すみません。イザーク様はいつも美味しそうに食べてくれるのでつい見てしまうんです。せっかくイザーク様がよそってくださったのだし、味はわからなくても気分だけでも味わおうかな」
クロエは目の前の皿に目を移すとスプーンを持って止まった。匂いで味は思い出せるのに口に入れた時に味がしない空しさを何度も経験してきたのだ。最近はしなくなったが最初の頃はいつもの習慣で味見しては落ち込むを繰り返していた。チラッとイザークの方を見ると美味しそうに食べている。クロエはごくりと唾を飲み込み、スプーンでシチューをすくって口に運んだ。
「……あれ?」
そして何度か繰り返しシチューを口に運ぶと皿はあっという間に空になった。イザークはその様子を見てにんまり笑った。
「美味いだろう。やはりお前が美味そうに食べる姿を見るとホッとするな。もう少し食べるか? パンを浸して食べるのが好きだろう?」
イザークはそう言って立ち上がり、クロエの皿を持ってシチューを先ほどと同じくらいよそって戻ると、今度は籠からパンを一つ取ってクロエの手に持たせた。
クロエはパンをちぎってシチューをたっぷり吸わせるとそれを口に入れた。噛んだ時パンに吸わせたシチューがジュワと溢れ出るのを目を瞑ってじっくり堪能する。
「味覚が戻ったようだな。そんなに美味そうな顔、元の体の時にだって見せたことが無いぞ」
「美味しいですっ、美味しいって感じる事はこんなに幸せな事なんですね」
イザークはクロエの頭を撫で、とろけるような笑顔を向けた。
「ゴホッゴホゴホ……私ったら、二度もイザーク様に配膳させるだなんて、すみません、お食事続けて下さい。あ! おかわりしますよね? 今度は私が……」
慌てて椅子から立ち上がろうとするクロエの頭を押さえつけ据わり直させた。
「ふっ、今日は俺が給仕をしてやるからお前は食事を楽しめ。久しぶりの好物の味は格別だろう。俺もお前と食事できるのは久しぶりだ」
イザークは自分でおかわりをよそうと食事を再開した。
穏やかに微笑みながら食事するイザークを見るのはクロエがこの体になって初めての事だった。
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