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第一章 街

一話

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 祖母が大事にしていた駄菓子屋の事は、あなたもよく覚えていた。
 というよりは、祖母の事を覚えていたと言った方が正しいだろうか。
 独特な甘い匂いが漂う駄菓子屋の奥で、眠るように座る祖母。
 あなたが覚えている祖母の姿はそれだけだったが、それでもあなたは両親を亡くすまで祖母とべったりだったのを覚えている。
 都会の親戚に引き取られてからも、祖母の事を忘れた事は無く、一人残してきた祖母の事がずっと気がかりだった。
 だから、祖母の葬式であの駄菓子屋を継ぐ人が誰もいないと聞いた時、あなたの体は自然と動いたのだろう。
 祖母のいた街は、電車はおろかバスの路線すらも無いほどの田舎で、一番近いバス亭から歩いて一時間以上もかかるほどに距離があり、最後にこの辺りを通った時は親戚が迎えに来た車に揺られてだったので、こうして歩いて街まで向かう事に少し感慨深いものがある。
 足の痛みが普段感じないほどになった所で、やっと建物が見え始めた。背の低い建物が立ち並ぶ街は、あなたの記憶にあるそれとほとんど差異の無い姿を保っており、差異があるとすればそれはあなたの目線の高さぐらいのものだろう。
 自分の記憶を頼りに祖母の駄菓子屋へと歩を進めるあなた。
やけに街が静かな事が気にかかるが、田舎というのはこういうものだったかと勝手に納得して先を急ぐ。やがて見えてきた建物は、まるで時間の流れから切り取られたかのように昔の姿そのままで、早くその中を確認しようとあなたは自然と足早になった。
 がらりと戸を開けた瞬間、独特な甘い匂いがあなたの鼻をくすぐった。そのまま視線を奥に向け、かつて祖母が座っていた場所を見る。もちろんそこに祖母の姿はあるわけもないのだが、懐かしい記憶を思い返しながらあなたはその場所へ歩み寄る。
 かつて祖母が使っていたであろう座布団の上で胡坐をかき、天井を見上げるあなた。久しぶりに見上げる天井は、かつて見た時よりも大分迫ってきていて、時の流れから切り離されたように感じるこの場所の中で確かな時間の流れを感じさせた。
 他にも何か昔を懐かしむ事の出来る物が無いかと視線を彷徨わせて、ふと駄菓子屋の外へ目をやると、一匹の犬がこちらを見ているのに気付いた。
 その犬も昔を懐かしむ事の出来る物の一つで、確か祖母がよく世話をしていた犬だったはず。犬はそのまま店の中へ入ると、真っ直ぐとあなたの元へ歩いてきた。
 座布団に座るあなたを祖母と勘違いしているのだろうか?生まれてこのかたペットなど飼ったことのないあなたは、とりあえず犬の頭を撫でようと屈みながら手を伸ばす。よく見る飼い犬への飼い主の行動は大体こんなものだろう。
 しかし、あなたの予想に反してその犬は機敏にあなたの伸ばした手を回避すると、そのままあなたの頭の上を踏んで背中側へと飛んだ。突然の反撃に頭を押さえるあなたの耳に、

「全く、礼儀と言うものを知らぬガキだ」

 低い男の声が聞こえた。咄嗟に声のした方へ振り返るが、そこにいるのはもちろん犬一匹。外から声を掛けられた可能性を考慮し窓の外を見るが、そこには誰の人影も無く、もう一度視線を犬へと戻すと犬と目が合った。

「何を呆けておる、あの娘の後継人なのだろう?」

 やや溜息混じりと言った感じの声で犬は小さく言うと、そのままあなたの目の前でごろんと横になった。その仕草はどこからどう見てもそこらにいる犬と変わりないのだが、何やら感じる威厳にあなたは自然と正座になって、犬の方へと向き直る。

「前にお前を見た時はいつだったかのう……その様子だと、何も伝えられておらんのだな?」

 欠伸を交えながらあなたの方を向いた犬に、とりあえずあなたは首を縦に振る。小さい頃の記憶に、犬が言葉を発していた記憶は無い。あってたまるものか、と言った感じだが。

「……あの娘、何も告げずに逝ったのか」

 先程までのあなたの反応で察したのだろう、犬はあなたの方ではないどこか遠くを少し見つめてから、あなたの方へ向き直り、

「……あの娘はよく働いた。その労を労って少し話をしてやろう」

 そう言葉を続けた。正座のあなたと、ごろ寝の犬。傍から見たら笑ってしまいそうな光景の中で、犬はゆっくりと語りだした。

「この街は、人の世から分かたれた【異形】達が暮らす街だ。そして、あの娘はその異形達を取り纏め、時には律する立場にあった」

 異形、と言うのがなんなのか聞こうかと思ったが、目の前にいるのがそういう事なのだろうと思って黙っておくことにした。

「死期を悟ったあの娘が、前もって探しておいた後継人がお前だと思ったのだが……違ったようだな」

 ふぅと小さく息を吐く犬。あなたも小さく溜息を吐くと、与えられた情報を整理するために天井を仰いだ。異形?取り纏め?後継人?聞いたことの無い単語の数々に、あなたは頭を軽く捻る。そんなあなたの姿を見て、

「事情を聞かされていなかったとはいえ、お前はそこに腰を降ろしてしまったのだ。よもやこれを聞いて辞めます、などとは言い出すまい?」

 そう挑発気味に聞いてきた。いきなりこんな話を聞かされて、正直気持ちの整理は付いていないが、他にやりたいことがあったわけでもなく祖母の駄菓子屋を継ぐ、という目的だけでこの街へ来たのだ。その過程で継がなければならないならば、むしろ望むところだ。

「……ふむ、いい顔だ」

 犬はあなたの表情に満足気な声をあげるとそのまま立ち上がり、あなたの横を通り過ぎそのまま出口へと向かう。そして出口へ着いた所でくるりとあなたの方を向き直り、

「これから宜しく頼むぞ、後継人」

それだけ言い残し、姿を消した。
店の中に一人残されたあなたは、再び天井を見上げながら今度は畳の上で横になる。
 何も考えずにここまで来たが、何やら大事になってしまった気がする。事の重大さをいまいち理解しきれないあなたは、とりあえず目の前の事を考えることにした。
 一通り生活出来る空間や設備のあるここが、今度からあなたの住居となるのだ。一人暮らしなどもちろんしたことのないあなたは、まず感覚を掴むことから始めなければならない。
物を買える場所があるかの確認も必要だし、ご近所付き合い……あるか分からないが、それも気にすべきところだろう。
 だが、今日はとりあえず眠い。戸締りをしっかりと確認してから、あなたは押入れから布団を引き出して横になる。まるで優しく誰かに抱きしめられているような感覚のする布団は、あなたの瞼をゆっくりと重くさせ、そのまま眠りにつかせた。
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