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氷の女侯爵 ~カタリーナ・アストライーゼル~
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**――*――**
隙を見せれば潰される。
弱みを見せればつけ込まれる。
それが当たり前。
人間なんて、それしか知らない卑劣で無能な生き物なのだから――
**――*――**
若き女侯爵、カタリーナ・システィル・アストライーゼル。十九歳。
通称『氷のカタリーナ』。
容姿端麗、頭脳明晰、名門出の三拍子でありながら、色々な意味で人々に疎まれる存在だった。
「孫が急病で倒れた? だったら何です。急使を立てて、休日を乞うのが筋でしょう? たとえ子の死に目でも、時と場合によっては国事が優先です。それを連絡もせず、完全に責務を放棄するなど――」
「まあ、まあ、カタリーナ」
何事もなかったのだから、そう責めてやるなと王がとりなすが、それはかえって、カタリーナの神経を逆なでするだけだった。
「それは結果です! 何かあってからでは遅いでしょう!? ――ステリア公爵には、第4級以上の厳しい処罰を求めます」
十四歳になり、初めて国事会議に出席したティリスは、シグルドには厳しい女侯爵がいるんだなと思った。孫が倒れたりしたら、気が動転したって仕方ないと思うけど。それも許されないくらい、国事って大切なんだろうか。
家族を大切に思うって、いいことだと思うんだけど……。
「――逆臣の娘が偉そうに――」
出席者の一人が、ぽつりとつぶやいた。
――逆臣?
ふうん、あの人、逆臣の娘なんだとティリスは思った。
それで、あんなにピリピリするのかな。
女侯爵の目が、すっと細められた。ひどく冷たい、氷のような眼差しになる。
これが、通称『氷のカタリーナ』か。
でも、考えてみればここでそういうこと口にするって、ちょっと卑怯だよな。
負け犬の遠吠えだろ?
男なら、真正面から闘うくらいしろよ。こっちには仁義っていう、大義名分だってあるんだからさ。
「マクネア男爵」
つぶやいた小男――マクネア男爵というらしい――が、びくりと身を震わせる。瞳には怯えと嫌悪、プライドと言う名の体面。私にケンカを売る気か? と、なけなしに威嚇している。
ちょっと情けない感じだけど、案外強気だ。
てゆーか、そんな汗だくになるくらいなら、余計なこと言わなきゃいいのに。馬鹿っぽいぞ。言われた方、怒るの当たり前だって。
親が逆臣だから何かと、正論で反撃するかと思いきや、カタリーナはそれについては何も触れなかった。
「灌漑が必要だという貴方の申し出を受け、援助金を出して五年――そろそろ結果が出ても良い頃ですが?」
マクネア男爵は、思わぬ反撃だったためか、幾分顔色を青くした。
「結果なら出ているではないか。以前より多額の税を納めていますぞ。視察とて、受け入れて――」
「貴方は予定の半分しか施工しなかった。突然の増税何事かと、領民から苦情が上がっています。灌漑のために出された国庫金を、あなたは半分近く横領し、領民への増税でごまかした」
こいつ、マジ馬鹿だ。そんな横領なんてしなくても、灌漑だろ? 生産性が上がれば、その分取れる税が増えるのに。目先のことしか考えてないのかよ。オレでもわかるぞ、そのくらい。
「残りの灌漑工事も、あなたの私財を投じて年内に施工なさい。領民に費用を負担させるのは厳しく禁じます。発覚すれば、第6級以上の処罰、爵位も剥奪します」
真っ青になったマクネア男爵が救いを求めるように王と王子、しまいにティリスを見るが、フォローの余地はない。
金だけもらって仕事しないのはダメだ。むしろ男爵に腹立つぞ、オレ。
カタリーナって、ちょっとかっこいいかも。
「お待ち下さい! 私の方が重罪だとおっしゃられるのですか!」
ついさっき、第4級以上の処罰を、と言われたステリア公爵が抗議した。
あ。それはオレも思う。マクネア男爵の方が断然悪いって。
「あなたは自身の犯した過失の重さを自覚なさい! あなたはただの臣民ではなく、ただの貴族ですらなく、公爵なのです! 支配者として、多くの人間の生活と命運を左右することの、その重さを知りなさい!」
瞳に青い炎が燃えるような怒りを宿し、カタリーナがステリア公爵の抗議を撥ね付ける。
うわ……。
「言いたい放題言われるが、アストライーゼル侯爵、マクネア男爵の横領を知っていながら、今まで黙っていたのはなぜなのですか!」
カタリーナは再び冷たく微笑んだ。背筋がぞくりとするような、氷のような笑み。
蒼い瞳が、これ以上ない冷たさを帯びる、その微笑み。
「――内々での警告を受け、男爵が改めるならそれも良し。ですが、男爵は無能に過ぎます。こちらの再三に渡る警告状を無視し、私が手を出さないことを、私の弱みを握っているからだと勘違いされているようでしたので。――子爵、あなたも公での糾弾をお望みですの?」
――おい。この人が国の実権握ってるのかよ。
みんな、真っ青な顔して目を逸らしちゃったりしてさあ。
父上は溜め息ついてる。
兄上は……
何してるんだろう? 何か、書いてるな。筆が動いてる。
兄上は『静かの王子』。
噂では、言い方はずっと柔らかだけど、判断はカタリーナとそう違わないんだって。
ほんとかなあ?
兄上でも、ステリア公爵に第4級以上の処罰、求刑したりするのかな。
今、何も言わないってことは、暗に了承してるってことなんだけどさ。兄上だけは他と違って、カタリーナに気圧されてないもんな。
その日の会議は、大荒れに荒れた。
切れた男爵が、国賊の娘は国賊だって、カタリーナは親の仇にシグルドを滅ぼすか、支配するつもりなんだって、顔を真っ赤にして糾弾したからだ。
正直、驚いた。
男爵が話した、王弟だったカタリーナの親がやったことっていうのが、第1級の大罪なんだ。隣国の王家から詐欺で大金を巻き上げ、その責を王になすりつけ、公然と兄王を処刑させようとしたんだって。あわや戦争っていうところで、ようやくことが発覚し、奥方も連座、何も知らなかったカタリーナだけが、刑を免れた。
どういうわけか、爵位すら、剥奪されなかった。当時、王が手を尽くしたんだってさ。
親譲りの気の強さ、強かさ、冷酷さ。
男爵は、そんなふうに言ったけど。
オレ、今日の会議を見る限り、カタリーナに叛意があるとは思えなかったな。厳しすぎるとは感じたけど、生い立ちを聞いて、何だか納得した。多分、むしろ周りがカタリーナに厳しかったんだ。
当のカタリーナは、糾弾が男爵からステリア公爵、他の、それまでひよってたって言うか、黙ってたっていうか、とにかく、そんな感じの重臣たちにまで飛び火するのを、黙って見てた。最後に言った。
「気が済んだなら、次の議題に移りましょう」
抗議も、反論もしなかった。これが噂の『鉄面皮』か。カタリーナのもう一つの二つ名。
悪かったな、そういう下らない噂は、オレの耳にも入るんだよ。噂を聞いてどんな従姉かと思ってたけど、こんな従姉かあ。
「みな、静まれ。今日は姫も見ていると言うに、見苦しかろう」
王が言った。うん、見苦しかったぞ。
続けて、兄上が言った。
「その件は、既に決着している。今後、一切感情に任せて蒸し返すことは許さない。糾弾するなら、王か私の許可を得てから行うように。少なくとも、カタリーナはそうしている」
おお。筋道通ってる。兄上、かっこいい。
その会議の後。オレ、カタリーナのところに行った。
兄上から事情を聞いて、どうしても、行かなきゃいけないと思ったんだ。
何て声をかけていいのかわからなくて、オレ、カタリーナの服の袖を引っ張った。
「……何です? あなたは――ティリス姫ですね」
「うん。ちょっと話したいんだ。今、ヒマ?」
「『ええ、少し話したいのですが、お時間頂けますか?』とお尋ねになるべきですよ。あなたが姫だからといって、服の袖を引くのも失礼です」
「え? ……ああ、うん……気をつけるよ」
「『はい、気をつけます』」
泣きそうだ。何だよう~。そんなお小言ばっかり言うなよ~。
何とか引っ張ってきたけど、それまでにはオレ、げっそりだった。この人とはウマが合いそうにないや。
二度と、こっちから声かけるのやめよう……。
「あのさ。オレ、今日の会議見てたんだ」
「知っています。それよりも、姫君がオレとは何事ですか。『私、今日の会議を見ていたのです』と言うべきです」
「……」
つ、つかれる……。
「あー、いや。明日から気をつけるから。今は勘弁してくれよ。話が進まないじゃんか」
「今から気をつけるべきです。そんなことでは、いつまでたっても話せるようになりませんよ」
「うう……」
がっくりとうなだれ、それでも、ティリスは改めて、カタリーナを見た。
「大事なことなんだ。話し方なんて気にしてたら、話せないだろ。茶々入れないで、聞いてくれよ」
「――何です」
お茶の入れ方も、まるでなっていませんわと、カタリーナが紅茶を入れ直す。
「会議、ひどかったな。あの会議……おまえの方が正論だったのに、誰も、おまえの味方しなかった」
カタリーナが少し、目を開いた。
「……私の方が正論だったと、わかるのですか? あ、いえ、失礼を……」
オレ、いくつに見えてんのかなあ。小さいから、よく子供と間違われるんだけど。
でも、年通りの十四でも子供かあ。
カタリーナは十九だもんな。
「わかんないこともあったけど、みんなが責めてたの、おまえがやったことじゃなくて、おまえの親がやったことだろ? 公爵の件は厳しすぎるとも感じたけど、男爵の件は、むしろ甘いくらいだと思った。兄上が何も言わないから、適正なんだと思って、オレも黙ってたけど。ただ……だからって、あんな風に対応したら、また、誰もおまえの味方しなくなる。たとえ腹が立っても、むやみに人を傷つけるの、よくない」
カタリーナの美しい顔が、醜く歪んだ。
「ティリス様、国政に口出しするのは、わかるようになってからになさい。口のきき方も知らないあなたに、何がわかるおつもりなのです」
ティリスは静かに、カタリーナを見た。
「……カタリーナ、それ、男爵がおまえに言ったことと同じだ。関係ないだろ、口のきき方なんて」
カタリーナがぎりっと歯を鳴らす。
「関係ないものですか!」
「関係ない! だってオレ、王女としておまえと話しに来てるんじゃないぞ! 従姉妹だろ!?」
「な……貴方にはわからない! 私の気持ちなど……! 王宮で、皆に甘やかされて何不自由なく育った貴方に、わかるものですか! 黙りなさい!」
ティリスは真っ直ぐカタリーナを見ると、告げた。
「オレ、侯爵がどうして死んだのか、兄上に聞いたんだ」
カタリーナが息を呑む。
縦ロールにした目の覚めるようなブロンドが、揺れた。
「オレ、お前の言う通り、お前の気持ちはわからないよ。でも、わからなきゃいけないと思う。何か困った時には言って欲しい。不満がある時も。できるだけ協力するし、改めるから――」
王弟、アストライーゼル侯爵。
シグルド首脳陣の過失に過失、失策に失策が重なって、どこの誰とも知れない者の詐欺が、シグルド王室の手になるものと偽装されてしまった。
いよいよ戦争が避けられないとなった時、その罪を一人で被り、国のため、侯爵が首を斬られたのだ。
「侯爵のこと……何もしてやれなくて、ごめんな」
**――*――**
心が冷たくて
いつも雹が降っていて
痛かった
**――*――**
誰にも言えなかった。
両親が、命をかけて守ったもの。
真実が明らかになれば、両親の死が無駄になる。
許せなかった。
両親が命をかけて守ったのに、なお、同じ轍を踏もうとする者たちが。
何かあってからでは遅いのに、まだ、わからないなんて――!!
うつむいたカタリーナの頬を、涙が二筋伝った。
まだ若い彼女の鉄面皮が、破れた瞬間。
「隙を見せれば――潰されます。弱みを見せればつけ込まれます。逆臣の娘とそしられる身で――まして女の身で、あなたの言うような綺麗事で、国政に向かうことなど――!」
「……そういうことする、卑怯なやつもいる。でも、その時はオレが守るよ。そのための、王族の肩書きだろ? シグルドは専制君主国家なんだからさ……――」
椅子を持ってカタリーナの背後に回ったティリスが、背中からきゅっと、彼女を抱き締めた。
「オレが泣いてると、母上がよく、こうしてくれるんだ」
それは忘れていた、温もり。
「安心するだろ?」
この姫は、大切なことをみんな知っているんだと思った。
まだ幼いのに。彼女よりよほど――
「ティリス様、椅子を使うのはズルですわ。それに……、今のは従姉妹としてじゃなく、明らかに姫君としてのお言葉でしたわよ……?」
「いいじゃんか。大目にみろよ」
カタリーナの顔に、初めて浮かんだ微笑み。
**――*――**
父上、汚名を受け断罪されてまで、国を守った貴方の気持ちが少しわかりました。
私も、見つけました。守りたい方を――
ティリス様のおためなら、私も、貴方と同じことをしたでしょう。きっと――
**――*――**
その彼女の顔を見て、ティリスはやあ、綺麗だと思った。
もったいない。いつも、これを見せずに鬼の顔。素直に惜しいなと思う。
てか、父上。『カタリーナの両親か? 絶世の美男美女じゃったぞ。弟など、わしに劣るとも勝らぬ美青年でのう』とか何とか言ってたけど、それ、『勝るとも劣らぬ』の間違いなんじゃ? なあ?
その後、二人の仲が良くなるのに、時間はかからなかった。
アディス王子とカタリーナが、妙に距離を置きながらも、手を組んでいることも、ティリスの知るところとなる。
カタリーナはこんな女装癖の変態王子と一緒にされたくないと思ったし、アディス王子もこんなか強い、鬼女と噂になりたくないと思ったから。その微妙な利害の一致が、微妙な距離を生んでいる。それでも互いに互いの能力を買って、協力しているあたり、大人って偉大だなと思った。
今日も、ティリスを呼ぶ綺麗なカタリーナの声がする。
上手に紅茶を入れて、美味しいサンドイッチを作って待っている。
「今、行くから!」
叔父にもらった真っ青な正装。軽く帽子を直すと、まずはカタリーナに見せようと、ティリスは機嫌良く庭を駆けて行った。
隙を見せれば潰される。
弱みを見せればつけ込まれる。
それが当たり前。
人間なんて、それしか知らない卑劣で無能な生き物なのだから――
**――*――**
若き女侯爵、カタリーナ・システィル・アストライーゼル。十九歳。
通称『氷のカタリーナ』。
容姿端麗、頭脳明晰、名門出の三拍子でありながら、色々な意味で人々に疎まれる存在だった。
「孫が急病で倒れた? だったら何です。急使を立てて、休日を乞うのが筋でしょう? たとえ子の死に目でも、時と場合によっては国事が優先です。それを連絡もせず、完全に責務を放棄するなど――」
「まあ、まあ、カタリーナ」
何事もなかったのだから、そう責めてやるなと王がとりなすが、それはかえって、カタリーナの神経を逆なでするだけだった。
「それは結果です! 何かあってからでは遅いでしょう!? ――ステリア公爵には、第4級以上の厳しい処罰を求めます」
十四歳になり、初めて国事会議に出席したティリスは、シグルドには厳しい女侯爵がいるんだなと思った。孫が倒れたりしたら、気が動転したって仕方ないと思うけど。それも許されないくらい、国事って大切なんだろうか。
家族を大切に思うって、いいことだと思うんだけど……。
「――逆臣の娘が偉そうに――」
出席者の一人が、ぽつりとつぶやいた。
――逆臣?
ふうん、あの人、逆臣の娘なんだとティリスは思った。
それで、あんなにピリピリするのかな。
女侯爵の目が、すっと細められた。ひどく冷たい、氷のような眼差しになる。
これが、通称『氷のカタリーナ』か。
でも、考えてみればここでそういうこと口にするって、ちょっと卑怯だよな。
負け犬の遠吠えだろ?
男なら、真正面から闘うくらいしろよ。こっちには仁義っていう、大義名分だってあるんだからさ。
「マクネア男爵」
つぶやいた小男――マクネア男爵というらしい――が、びくりと身を震わせる。瞳には怯えと嫌悪、プライドと言う名の体面。私にケンカを売る気か? と、なけなしに威嚇している。
ちょっと情けない感じだけど、案外強気だ。
てゆーか、そんな汗だくになるくらいなら、余計なこと言わなきゃいいのに。馬鹿っぽいぞ。言われた方、怒るの当たり前だって。
親が逆臣だから何かと、正論で反撃するかと思いきや、カタリーナはそれについては何も触れなかった。
「灌漑が必要だという貴方の申し出を受け、援助金を出して五年――そろそろ結果が出ても良い頃ですが?」
マクネア男爵は、思わぬ反撃だったためか、幾分顔色を青くした。
「結果なら出ているではないか。以前より多額の税を納めていますぞ。視察とて、受け入れて――」
「貴方は予定の半分しか施工しなかった。突然の増税何事かと、領民から苦情が上がっています。灌漑のために出された国庫金を、あなたは半分近く横領し、領民への増税でごまかした」
こいつ、マジ馬鹿だ。そんな横領なんてしなくても、灌漑だろ? 生産性が上がれば、その分取れる税が増えるのに。目先のことしか考えてないのかよ。オレでもわかるぞ、そのくらい。
「残りの灌漑工事も、あなたの私財を投じて年内に施工なさい。領民に費用を負担させるのは厳しく禁じます。発覚すれば、第6級以上の処罰、爵位も剥奪します」
真っ青になったマクネア男爵が救いを求めるように王と王子、しまいにティリスを見るが、フォローの余地はない。
金だけもらって仕事しないのはダメだ。むしろ男爵に腹立つぞ、オレ。
カタリーナって、ちょっとかっこいいかも。
「お待ち下さい! 私の方が重罪だとおっしゃられるのですか!」
ついさっき、第4級以上の処罰を、と言われたステリア公爵が抗議した。
あ。それはオレも思う。マクネア男爵の方が断然悪いって。
「あなたは自身の犯した過失の重さを自覚なさい! あなたはただの臣民ではなく、ただの貴族ですらなく、公爵なのです! 支配者として、多くの人間の生活と命運を左右することの、その重さを知りなさい!」
瞳に青い炎が燃えるような怒りを宿し、カタリーナがステリア公爵の抗議を撥ね付ける。
うわ……。
「言いたい放題言われるが、アストライーゼル侯爵、マクネア男爵の横領を知っていながら、今まで黙っていたのはなぜなのですか!」
カタリーナは再び冷たく微笑んだ。背筋がぞくりとするような、氷のような笑み。
蒼い瞳が、これ以上ない冷たさを帯びる、その微笑み。
「――内々での警告を受け、男爵が改めるならそれも良し。ですが、男爵は無能に過ぎます。こちらの再三に渡る警告状を無視し、私が手を出さないことを、私の弱みを握っているからだと勘違いされているようでしたので。――子爵、あなたも公での糾弾をお望みですの?」
――おい。この人が国の実権握ってるのかよ。
みんな、真っ青な顔して目を逸らしちゃったりしてさあ。
父上は溜め息ついてる。
兄上は……
何してるんだろう? 何か、書いてるな。筆が動いてる。
兄上は『静かの王子』。
噂では、言い方はずっと柔らかだけど、判断はカタリーナとそう違わないんだって。
ほんとかなあ?
兄上でも、ステリア公爵に第4級以上の処罰、求刑したりするのかな。
今、何も言わないってことは、暗に了承してるってことなんだけどさ。兄上だけは他と違って、カタリーナに気圧されてないもんな。
その日の会議は、大荒れに荒れた。
切れた男爵が、国賊の娘は国賊だって、カタリーナは親の仇にシグルドを滅ぼすか、支配するつもりなんだって、顔を真っ赤にして糾弾したからだ。
正直、驚いた。
男爵が話した、王弟だったカタリーナの親がやったことっていうのが、第1級の大罪なんだ。隣国の王家から詐欺で大金を巻き上げ、その責を王になすりつけ、公然と兄王を処刑させようとしたんだって。あわや戦争っていうところで、ようやくことが発覚し、奥方も連座、何も知らなかったカタリーナだけが、刑を免れた。
どういうわけか、爵位すら、剥奪されなかった。当時、王が手を尽くしたんだってさ。
親譲りの気の強さ、強かさ、冷酷さ。
男爵は、そんなふうに言ったけど。
オレ、今日の会議を見る限り、カタリーナに叛意があるとは思えなかったな。厳しすぎるとは感じたけど、生い立ちを聞いて、何だか納得した。多分、むしろ周りがカタリーナに厳しかったんだ。
当のカタリーナは、糾弾が男爵からステリア公爵、他の、それまでひよってたって言うか、黙ってたっていうか、とにかく、そんな感じの重臣たちにまで飛び火するのを、黙って見てた。最後に言った。
「気が済んだなら、次の議題に移りましょう」
抗議も、反論もしなかった。これが噂の『鉄面皮』か。カタリーナのもう一つの二つ名。
悪かったな、そういう下らない噂は、オレの耳にも入るんだよ。噂を聞いてどんな従姉かと思ってたけど、こんな従姉かあ。
「みな、静まれ。今日は姫も見ていると言うに、見苦しかろう」
王が言った。うん、見苦しかったぞ。
続けて、兄上が言った。
「その件は、既に決着している。今後、一切感情に任せて蒸し返すことは許さない。糾弾するなら、王か私の許可を得てから行うように。少なくとも、カタリーナはそうしている」
おお。筋道通ってる。兄上、かっこいい。
その会議の後。オレ、カタリーナのところに行った。
兄上から事情を聞いて、どうしても、行かなきゃいけないと思ったんだ。
何て声をかけていいのかわからなくて、オレ、カタリーナの服の袖を引っ張った。
「……何です? あなたは――ティリス姫ですね」
「うん。ちょっと話したいんだ。今、ヒマ?」
「『ええ、少し話したいのですが、お時間頂けますか?』とお尋ねになるべきですよ。あなたが姫だからといって、服の袖を引くのも失礼です」
「え? ……ああ、うん……気をつけるよ」
「『はい、気をつけます』」
泣きそうだ。何だよう~。そんなお小言ばっかり言うなよ~。
何とか引っ張ってきたけど、それまでにはオレ、げっそりだった。この人とはウマが合いそうにないや。
二度と、こっちから声かけるのやめよう……。
「あのさ。オレ、今日の会議見てたんだ」
「知っています。それよりも、姫君がオレとは何事ですか。『私、今日の会議を見ていたのです』と言うべきです」
「……」
つ、つかれる……。
「あー、いや。明日から気をつけるから。今は勘弁してくれよ。話が進まないじゃんか」
「今から気をつけるべきです。そんなことでは、いつまでたっても話せるようになりませんよ」
「うう……」
がっくりとうなだれ、それでも、ティリスは改めて、カタリーナを見た。
「大事なことなんだ。話し方なんて気にしてたら、話せないだろ。茶々入れないで、聞いてくれよ」
「――何です」
お茶の入れ方も、まるでなっていませんわと、カタリーナが紅茶を入れ直す。
「会議、ひどかったな。あの会議……おまえの方が正論だったのに、誰も、おまえの味方しなかった」
カタリーナが少し、目を開いた。
「……私の方が正論だったと、わかるのですか? あ、いえ、失礼を……」
オレ、いくつに見えてんのかなあ。小さいから、よく子供と間違われるんだけど。
でも、年通りの十四でも子供かあ。
カタリーナは十九だもんな。
「わかんないこともあったけど、みんなが責めてたの、おまえがやったことじゃなくて、おまえの親がやったことだろ? 公爵の件は厳しすぎるとも感じたけど、男爵の件は、むしろ甘いくらいだと思った。兄上が何も言わないから、適正なんだと思って、オレも黙ってたけど。ただ……だからって、あんな風に対応したら、また、誰もおまえの味方しなくなる。たとえ腹が立っても、むやみに人を傷つけるの、よくない」
カタリーナの美しい顔が、醜く歪んだ。
「ティリス様、国政に口出しするのは、わかるようになってからになさい。口のきき方も知らないあなたに、何がわかるおつもりなのです」
ティリスは静かに、カタリーナを見た。
「……カタリーナ、それ、男爵がおまえに言ったことと同じだ。関係ないだろ、口のきき方なんて」
カタリーナがぎりっと歯を鳴らす。
「関係ないものですか!」
「関係ない! だってオレ、王女としておまえと話しに来てるんじゃないぞ! 従姉妹だろ!?」
「な……貴方にはわからない! 私の気持ちなど……! 王宮で、皆に甘やかされて何不自由なく育った貴方に、わかるものですか! 黙りなさい!」
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「侯爵のこと……何もしてやれなくて、ごめんな」
**――*――**
心が冷たくて
いつも雹が降っていて
痛かった
**――*――**
誰にも言えなかった。
両親が、命をかけて守ったもの。
真実が明らかになれば、両親の死が無駄になる。
許せなかった。
両親が命をかけて守ったのに、なお、同じ轍を踏もうとする者たちが。
何かあってからでは遅いのに、まだ、わからないなんて――!!
うつむいたカタリーナの頬を、涙が二筋伝った。
まだ若い彼女の鉄面皮が、破れた瞬間。
「隙を見せれば――潰されます。弱みを見せればつけ込まれます。逆臣の娘とそしられる身で――まして女の身で、あなたの言うような綺麗事で、国政に向かうことなど――!」
「……そういうことする、卑怯なやつもいる。でも、その時はオレが守るよ。そのための、王族の肩書きだろ? シグルドは専制君主国家なんだからさ……――」
椅子を持ってカタリーナの背後に回ったティリスが、背中からきゅっと、彼女を抱き締めた。
「オレが泣いてると、母上がよく、こうしてくれるんだ」
それは忘れていた、温もり。
「安心するだろ?」
この姫は、大切なことをみんな知っているんだと思った。
まだ幼いのに。彼女よりよほど――
「ティリス様、椅子を使うのはズルですわ。それに……、今のは従姉妹としてじゃなく、明らかに姫君としてのお言葉でしたわよ……?」
「いいじゃんか。大目にみろよ」
カタリーナの顔に、初めて浮かんだ微笑み。
**――*――**
父上、汚名を受け断罪されてまで、国を守った貴方の気持ちが少しわかりました。
私も、見つけました。守りたい方を――
ティリス様のおためなら、私も、貴方と同じことをしたでしょう。きっと――
**――*――**
その彼女の顔を見て、ティリスはやあ、綺麗だと思った。
もったいない。いつも、これを見せずに鬼の顔。素直に惜しいなと思う。
てか、父上。『カタリーナの両親か? 絶世の美男美女じゃったぞ。弟など、わしに劣るとも勝らぬ美青年でのう』とか何とか言ってたけど、それ、『勝るとも劣らぬ』の間違いなんじゃ? なあ?
その後、二人の仲が良くなるのに、時間はかからなかった。
アディス王子とカタリーナが、妙に距離を置きながらも、手を組んでいることも、ティリスの知るところとなる。
カタリーナはこんな女装癖の変態王子と一緒にされたくないと思ったし、アディス王子もこんなか強い、鬼女と噂になりたくないと思ったから。その微妙な利害の一致が、微妙な距離を生んでいる。それでも互いに互いの能力を買って、協力しているあたり、大人って偉大だなと思った。
今日も、ティリスを呼ぶ綺麗なカタリーナの声がする。
上手に紅茶を入れて、美味しいサンドイッチを作って待っている。
「今、行くから!」
叔父にもらった真っ青な正装。軽く帽子を直すと、まずはカタリーナに見せようと、ティリスは機嫌良く庭を駆けて行った。
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触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
✳︎小説家になろうにも投稿しています♪
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