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氷の女侯爵 ~カタリーナ・アストライーゼル~

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 **――*――**

  隙を見せれば潰される。
  弱みを見せればつけ込まれる。
  それが当たり前。
  人間なんて、それしか知らない卑劣で無能な生き物なのだから――

 **――*――**


 若き女侯爵、カタリーナ・システィル・アストライーゼル。十九歳。
 通称『氷のカタリーナ』。
 容姿端麗、頭脳明晰、名門出の三拍子でありながら、色々な意味で人々に疎まれる存在だった。



「孫が急病で倒れた? だったら何です。急使を立てて、休日を乞うのが筋でしょう? たとえ子の死に目でも、時と場合によっては国事が優先です。それを連絡もせず、完全に責務を放棄するなど――」
「まあ、まあ、カタリーナ」

 何事もなかったのだから、そう責めてやるなと王がとりなすが、それはかえって、カタリーナの神経を逆なでするだけだった。

「それは結果です! 何かあってからでは遅いでしょう!? ――ステリア公爵には、第4級以上の厳しい処罰を求めます」

 十四歳になり、初めて国事会議に出席したティリスは、シグルドには厳しい女侯爵がいるんだなと思った。孫が倒れたりしたら、気が動転したって仕方ないと思うけど。それも許されないくらい、国事って大切なんだろうか。
 家族を大切に思うって、いいことだと思うんだけど……。

「――逆臣の娘が偉そうに――」

 出席者の一人が、ぽつりとつぶやいた。

 ――逆臣?

 ふうん、あの人、逆臣の娘なんだとティリスは思った。
 それで、あんなにピリピリするのかな。
 女侯爵の目が、すっと細められた。ひどく冷たい、氷のような眼差しになる。
 これが、通称『氷のカタリーナ』か。
 でも、考えてみればここでそういうこと口にするって、ちょっと卑怯だよな。
 負け犬の遠吠えだろ?
 男なら、真正面から闘うくらいしろよ。こっちには仁義っていう、大義名分だってあるんだからさ。

「マクネア男爵」

 つぶやいた小男――マクネア男爵というらしい――が、びくりと身を震わせる。瞳には怯えと嫌悪、プライドと言う名の体面。私にケンカを売る気か? と、なけなしに威嚇している。
 ちょっと情けない感じだけど、案外強気だ。
 てゆーか、そんな汗だくになるくらいなら、余計なこと言わなきゃいいのに。馬鹿っぽいぞ。言われた方、怒るの当たり前だって。
 親が逆臣だから何かと、正論で反撃するかと思いきや、カタリーナはそれについては何も触れなかった。

灌漑かんがいが必要だという貴方の申し出を受け、援助金を出して五年――そろそろ結果が出ても良い頃ですが?」

 マクネア男爵は、思わぬ反撃だったためか、幾分顔色を青くした。

「結果なら出ているではないか。以前より多額の税を納めていますぞ。視察とて、受け入れて――」
「貴方は予定の半分しか施工しなかった。突然の増税何事かと、領民から苦情が上がっています。灌漑のために出された国庫金を、あなたは半分近く横領し、領民への増税でごまかした」

 こいつ、マジ馬鹿だ。そんな横領なんてしなくても、灌漑だろ? 生産性が上がれば、その分取れる税が増えるのに。目先のことしか考えてないのかよ。オレでもわかるぞ、そのくらい。

「残りの灌漑工事も、あなたの私財を投じて年内に施工なさい。領民に費用を負担させるのは厳しく禁じます。発覚すれば、第6級以上の処罰、爵位も剥奪します」

 真っ青になったマクネア男爵が救いを求めるように王と王子、しまいにティリスを見るが、フォローの余地はない。
 金だけもらって仕事しないのはダメだ。むしろ男爵に腹立つぞ、オレ。
 カタリーナって、ちょっとかっこいいかも。

「お待ち下さい! 私の方が重罪だとおっしゃられるのですか!」

 ついさっき、第4級以上の処罰を、と言われたステリア公爵が抗議した。
 あ。それはオレも思う。マクネア男爵の方が断然悪いって。

「あなたは自身の犯した過失の重さを自覚なさい! あなたはただの臣民ではなく、ただの貴族ですらなく、公爵なのです! 支配者として、多くの人間の生活と命運を左右することの、その重さを知りなさい!」

 瞳に青い炎が燃えるような怒りを宿し、カタリーナがステリア公爵の抗議を撥ね付ける。
 うわ……。

「言いたい放題言われるが、アストライーゼル侯爵、マクネア男爵の横領を知っていながら、今まで黙っていたのはなぜなのですか!」

 カタリーナは再び冷たく微笑んだ。背筋がぞくりとするような、氷のような笑み。
 蒼い瞳が、これ以上ない冷たさを帯びる、その微笑み。

「――内々での警告を受け、男爵が改めるならそれも良し。ですが、男爵は無能に過ぎます。こちらの再三に渡る警告状を無視し、私が手を出さないことを、私の弱みを握っているからだと勘違いされているようでしたので。――子爵、あなたも公での糾弾をお望みですの?」

 ――おい。この人が国の実権握ってるのかよ。

 みんな、真っ青な顔して目を逸らしちゃったりしてさあ。
 父上は溜め息ついてる。
 兄上は……
 何してるんだろう? 何か、書いてるな。筆が動いてる。
 兄上は『静かの王子』。
 噂では、言い方はずっと柔らかだけど、判断はカタリーナとそう違わないんだって。
 ほんとかなあ?
 兄上でも、ステリア公爵に第4級以上の処罰、求刑したりするのかな。
 今、何も言わないってことは、暗に了承してるってことなんだけどさ。兄上だけは他と違って、カタリーナに気圧されてないもんな。



 その日の会議は、大荒れに荒れた。
 切れた男爵が、国賊の娘は国賊だって、カタリーナは親の仇にシグルドを滅ぼすか、支配するつもりなんだって、顔を真っ赤にして糾弾したからだ。

 正直、驚いた。

 男爵が話した、王弟だったカタリーナの親がやったことっていうのが、第1級の大罪なんだ。隣国の王家から詐欺で大金を巻き上げ、その責を王になすりつけ、公然と兄王を処刑させようとしたんだって。あわや戦争っていうところで、ようやくことが発覚し、奥方も連座、何も知らなかったカタリーナだけが、刑を免れた。
 どういうわけか、爵位すら、剥奪されなかった。当時、王が手を尽くしたんだってさ。
 親譲りの気の強さ、強かさ、冷酷さ。
 男爵は、そんなふうに言ったけど。
 オレ、今日の会議を見る限り、カタリーナに叛意があるとは思えなかったな。厳しすぎるとは感じたけど、生い立ちを聞いて、何だか納得した。多分、むしろ周りがカタリーナに厳しかったんだ。
 当のカタリーナは、糾弾が男爵からステリア公爵、他の、それまでひよってたって言うか、黙ってたっていうか、とにかく、そんな感じの重臣たちにまで飛び火するのを、黙って見てた。最後に言った。

「気が済んだなら、次の議題に移りましょう」

 抗議も、反論もしなかった。これが噂の『鉄面皮』か。カタリーナのもう一つの二つ名。
 悪かったな、そういう下らない噂は、オレの耳にも入るんだよ。噂を聞いてどんな従姉いとこかと思ってたけど、こんな従姉かあ。

「みな、静まれ。今日は姫も見ていると言うに、見苦しかろう」

 王が言った。うん、見苦しかったぞ。
 続けて、兄上が言った。

「その件は、既に決着している。今後、一切感情に任せて蒸し返すことは許さない。糾弾するなら、王か私の許可を得てから行うように。少なくとも、カタリーナはそうしている」

 おお。筋道通ってる。兄上、かっこいい。



 その会議の後。オレ、カタリーナのところに行った。
 兄上から事情を聞いて、どうしても、行かなきゃいけないと思ったんだ。



 何て声をかけていいのかわからなくて、オレ、カタリーナの服の袖を引っ張った。

「……何です? あなたは――ティリス姫ですね」
「うん。ちょっと話したいんだ。今、ヒマ?」
「『ええ、少し話したいのですが、お時間頂けますか?』とお尋ねになるべきですよ。あなたが姫だからといって、服の袖を引くのも失礼です」
「え? ……ああ、うん……気をつけるよ」
「『はい、気をつけます』」

 泣きそうだ。何だよう~。そんなお小言ばっかり言うなよ~。
 何とか引っ張ってきたけど、それまでにはオレ、げっそりだった。この人とはウマが合いそうにないや。
 二度と、こっちから声かけるのやめよう……。

「あのさ。オレ、今日の会議見てたんだ」
「知っています。それよりも、姫君がオレとは何事ですか。『私、今日の会議を見ていたのです』と言うべきです」
「……」

 つ、つかれる……。

「あー、いや。明日から気をつけるから。今は勘弁してくれよ。話が進まないじゃんか」
「今から気をつけるべきです。そんなことでは、いつまでたっても話せるようになりませんよ」
「うう……」

 がっくりとうなだれ、それでも、ティリスは改めて、カタリーナを見た。

「大事なことなんだ。話し方なんて気にしてたら、話せないだろ。茶々入れないで、聞いてくれよ」
「――何です」

 お茶の入れ方も、まるでなっていませんわと、カタリーナが紅茶を入れ直す。

「会議、ひどかったな。あの会議……おまえの方が正論だったのに、誰も、おまえの味方しなかった」

 カタリーナが少し、目を開いた。

「……私の方が正論だったと、わかるのですか? あ、いえ、失礼を……」

 オレ、いくつに見えてんのかなあ。小さいから、よく子供と間違われるんだけど。
 でも、年通りの十四でも子供かあ。
 カタリーナは十九だもんな。

「わかんないこともあったけど、みんなが責めてたの、おまえがやったことじゃなくて、おまえの親がやったことだろ? 公爵の件は厳しすぎるとも感じたけど、男爵の件は、むしろ甘いくらいだと思った。兄上が何も言わないから、適正なんだと思って、オレも黙ってたけど。ただ……だからって、あんな風に対応したら、また、誰もおまえの味方しなくなる。たとえ腹が立っても、むやみに人を傷つけるの、よくない」

 カタリーナの美しい顔が、醜く歪んだ。

「ティリス様、国政に口出しするのは、わかるようになってからになさい。口のきき方も知らないあなたに、何がわかるおつもりなのです」

 ティリスは静かに、カタリーナを見た。

「……カタリーナ、それ、男爵がおまえに言ったことと同じだ。関係ないだろ、口のきき方なんて」

 カタリーナがぎりっと歯を鳴らす。

「関係ないものですか!」
「関係ない! だってオレ、王女としておまえと話しに来てるんじゃないぞ! 従姉妹だろ!?」
「な……貴方にはわからない! 私の気持ちなど……! 王宮で、皆に甘やかされて何不自由なく育った貴方に、わかるものですか! 黙りなさい!」

 ティリスは真っ直ぐカタリーナを見ると、告げた。

「オレ、侯爵がどうして死んだのか、兄上に聞いたんだ」

 カタリーナが息を呑む。
 縦ロールにした目の覚めるようなブロンドが、揺れた。

「オレ、お前の言う通り、お前の気持ちはわからないよ。でも、わからなきゃいけないと思う。何か困った時には言って欲しい。不満がある時も。できるだけ協力するし、改めるから――」

 王弟、アストライーゼル侯爵。
 シグルド首脳陣の過失に過失、失策に失策が重なって、どこの誰とも知れない者の詐欺が、シグルド王室の手になるものと偽装されてしまった。
 いよいよ戦争が避けられないとなった時、その罪を一人で被り、国のため、侯爵が首を斬られたのだ。

「侯爵のこと……何もしてやれなくて、ごめんな」



 **――*――**

  心が冷たくて
  いつも雹が降っていて
  痛かった

 **――*――**



 誰にも言えなかった。
 両親が、命をかけて守ったもの。
 真実が明らかになれば、両親の死が無駄になる。
 許せなかった。
 両親が命をかけて守ったのに、なお、同じ轍を踏もうとする者たちが。
 何かあってからでは遅いのに、まだ、わからないなんて――!!



 うつむいたカタリーナの頬を、涙が二筋伝った。
 まだ若い彼女の鉄面皮が、破れた瞬間。

「隙を見せれば――潰されます。弱みを見せればつけ込まれます。逆臣の娘とそしられる身で――まして女の身で、あなたの言うような綺麗事で、国政に向かうことなど――!」
「……そういうことする、卑怯なやつもいる。でも、その時はオレが守るよ。そのための、王族の肩書きだろ? シグルドは専制君主国家なんだからさ……――」

 椅子を持ってカタリーナの背後に回ったティリスが、背中からきゅっと、彼女を抱き締めた。

「オレが泣いてると、母上がよく、こうしてくれるんだ」

 それは忘れていた、温もり。

「安心するだろ?」

 この姫は、大切なことをみんな知っているんだと思った。
 まだ幼いのに。彼女よりよほど――

「ティリス様、椅子を使うのはズルですわ。それに……、今のは従姉妹としてじゃなく、明らかに姫君としてのお言葉でしたわよ……?」
「いいじゃんか。大目にみろよ」

 カタリーナの顔に、初めて浮かんだ微笑み。



 **――*――**

  父上、汚名を受け断罪されてまで、国を守った貴方の気持ちが少しわかりました。
  私も、見つけました。守りたい方を――
  ティリス様のおためなら、私も、貴方と同じことをしたでしょう。きっと――

 **――*――**



 その彼女の顔を見て、ティリスはやあ、綺麗だと思った。
 もったいない。いつも、これを見せずに鬼の顔。素直に惜しいなと思う。
 てか、父上。『カタリーナの両親か? 絶世の美男美女じゃったぞ。弟など、わしに劣るとも勝らぬ美青年でのう』とか何とか言ってたけど、それ、『勝るとも劣らぬ』の間違いなんじゃ? なあ?



 その後、二人の仲が良くなるのに、時間はかからなかった。
 アディス王子とカタリーナが、妙に距離を置きながらも、手を組んでいることも、ティリスの知るところとなる。
 カタリーナはこんな女装癖の変態王子と一緒にされたくないと思ったし、アディス王子もこんなか強い、鬼女と噂になりたくないと思ったから。その微妙な利害の一致が、微妙な距離を生んでいる。それでも互いに互いの能力を買って、協力しているあたり、大人って偉大だなと思った。
 今日も、ティリスを呼ぶ綺麗なカタリーナの声がする。
 上手に紅茶を入れて、美味しいサンドイッチを作って待っている。

「今、行くから!」

 叔父にもらった真っ青な正装。軽く帽子を直すと、まずはカタリーナに見せようと、ティリスは機嫌良く庭を駆けて行った。
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