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第六章 冥王招来
6-6a. 消える霧
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急に重くなり、息をしなくなった少女を、レオンは何もわからず抱き締めていた。
温かい、流れ出てはいけないものが胸から流れ出ていて、だめだと、出てきたらだめだと、ただ、せき止めようとした。
どうして泣くのだ。
ティリスだけにするのに。
今、ティリスだけ、こうして抱き締めているのに。
冷たくなってはいけない、流れ出てはいけない、赤いものが――
どんなにせき止めても、指の間からあふれた。
温かさを失っていく。
「ティリス、聞くんだ、僕は……」
胸を朱に染め、息をすることを忘れた少女に語りかけた。
返事をしろと。聞けと。息をしないと死んでしまう。息をしないと、だめなのだ。
――これは死体だ。
「決めたんだ、おまえを正妃にするんだ……側室も取らない。だから、僕の部屋に戻るんだ。僕の言う事を聞くんだ! 聞くだろう? おまえの言う通りにしてやると言ってるんだ、聞いているのか、ティリス!!」
その命をせき止めようとしていた手を、見た。
冷え、暗い色に変わりつつある血に染まり、赤かった。
――もう、死んでる。
そんなはずが、ない。
まだ、二歳までの分しか喜ばせていない。
会えなかった間の分も、これからの分も――
両親と行った場所、行けなかった場所、ティリスを連れて行って――行きたかった場所に、過ごし損ねた時間、取り戻しに行くのだ。やっと、取り戻すのだから。
待って、待って――約束の日を、6年も待って、やっと――……ティリスが、取り戻して、くれ……――
「――っ――!!」
血に濡れた手で、目を覆った。全身が、小刻みに震えていた。
何か熱いものがまなじりから溢れて、温もりを失ったティリスの頬に、落ちた。
逝くはずがない。
ティリスが先に逝くはずが、あの部屋に戻らないはずが、ない。
赤みを帯びた目で、ティリスを見た。
ああ、眠っているんだ。
起こせばいいんだ。
手をかざし、薄く微笑んだ。すぐに起きるから。
「……レオン、やめなさい。姫が可哀相だ……」
ふいに、背後から聞き慣れた声が、聞こえた。
ふり向いた先に、ロズがいた。
ああ、そうか。
ティリスは走ってきたから。ロズを置いてきたんだ。
「ティリス、ロズが追いついたぞ。置いてきたらだめだろう。謝るんだ」
ロズが命のない、虚ろな目で哀しげに、レオンを見た。
「レオン、姫にはもう、聞こえないよ……」
わずか、首を左右にふった。
「ロズ……ロズ、ティリスが目を開けない! 開けないんだ!」
「死んでいるんだ」
レオンはじっと、ロズを見た。
そうか……。
死んだのか。
痛みを通り越し、突きつけられた現実に、レオンは薄笑みだけを、口許に浮かべた。
両親と同じように、死んだのか。
もう二度と、彼を呼ぶことも、目を開けることもないのか。
抱き締めて、温もりを感じることも――
必死に取り戻そうとした、ティリスの温かさにまどろみながら迎える朝は、もう永遠に、訪れることなく――
あの日、失ったのと同じ。
約束の朝など、永遠に訪れないこと知っていたのに、待った。冷たく、光の無い地下室で。
夢だと思っていた、あの場所で。
彼女だけが、あの闇に差した光。
彼女だけが、冷たく深く、光など届くはずのなかった水底まで、届いた光。
もう、認めてしまえばいいのだと。
失った事実から目を背けて、あんな思いを繰り返しても、二度と取り戻せはしないのだから。
永遠に、凍てついた闇だけが続くのだから。
認めてしまえばいいのだと、微笑った。
欲しかったものは、もう、存在しない。
見えたと思った光彩こそが、うたかたの幻影。
もといた同じ闇に置き去りにして、消えた。
温かい、流れ出てはいけないものが胸から流れ出ていて、だめだと、出てきたらだめだと、ただ、せき止めようとした。
どうして泣くのだ。
ティリスだけにするのに。
今、ティリスだけ、こうして抱き締めているのに。
冷たくなってはいけない、流れ出てはいけない、赤いものが――
どんなにせき止めても、指の間からあふれた。
温かさを失っていく。
「ティリス、聞くんだ、僕は……」
胸を朱に染め、息をすることを忘れた少女に語りかけた。
返事をしろと。聞けと。息をしないと死んでしまう。息をしないと、だめなのだ。
――これは死体だ。
「決めたんだ、おまえを正妃にするんだ……側室も取らない。だから、僕の部屋に戻るんだ。僕の言う事を聞くんだ! 聞くだろう? おまえの言う通りにしてやると言ってるんだ、聞いているのか、ティリス!!」
その命をせき止めようとしていた手を、見た。
冷え、暗い色に変わりつつある血に染まり、赤かった。
――もう、死んでる。
そんなはずが、ない。
まだ、二歳までの分しか喜ばせていない。
会えなかった間の分も、これからの分も――
両親と行った場所、行けなかった場所、ティリスを連れて行って――行きたかった場所に、過ごし損ねた時間、取り戻しに行くのだ。やっと、取り戻すのだから。
待って、待って――約束の日を、6年も待って、やっと――……ティリスが、取り戻して、くれ……――
「――っ――!!」
血に濡れた手で、目を覆った。全身が、小刻みに震えていた。
何か熱いものがまなじりから溢れて、温もりを失ったティリスの頬に、落ちた。
逝くはずがない。
ティリスが先に逝くはずが、あの部屋に戻らないはずが、ない。
赤みを帯びた目で、ティリスを見た。
ああ、眠っているんだ。
起こせばいいんだ。
手をかざし、薄く微笑んだ。すぐに起きるから。
「……レオン、やめなさい。姫が可哀相だ……」
ふいに、背後から聞き慣れた声が、聞こえた。
ふり向いた先に、ロズがいた。
ああ、そうか。
ティリスは走ってきたから。ロズを置いてきたんだ。
「ティリス、ロズが追いついたぞ。置いてきたらだめだろう。謝るんだ」
ロズが命のない、虚ろな目で哀しげに、レオンを見た。
「レオン、姫にはもう、聞こえないよ……」
わずか、首を左右にふった。
「ロズ……ロズ、ティリスが目を開けない! 開けないんだ!」
「死んでいるんだ」
レオンはじっと、ロズを見た。
そうか……。
死んだのか。
痛みを通り越し、突きつけられた現実に、レオンは薄笑みだけを、口許に浮かべた。
両親と同じように、死んだのか。
もう二度と、彼を呼ぶことも、目を開けることもないのか。
抱き締めて、温もりを感じることも――
必死に取り戻そうとした、ティリスの温かさにまどろみながら迎える朝は、もう永遠に、訪れることなく――
あの日、失ったのと同じ。
約束の朝など、永遠に訪れないこと知っていたのに、待った。冷たく、光の無い地下室で。
夢だと思っていた、あの場所で。
彼女だけが、あの闇に差した光。
彼女だけが、冷たく深く、光など届くはずのなかった水底まで、届いた光。
もう、認めてしまえばいいのだと。
失った事実から目を背けて、あんな思いを繰り返しても、二度と取り戻せはしないのだから。
永遠に、凍てついた闇だけが続くのだから。
認めてしまえばいいのだと、微笑った。
欲しかったものは、もう、存在しない。
見えたと思った光彩こそが、うたかたの幻影。
もといた同じ闇に置き去りにして、消えた。
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