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第五章 涙
5-3. 皇太子悩殺計画
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すごいことになりつつある。
カタリーナの、皇太子悩殺計画。
「こ、これ何……!? 待てよ、まさかかつらまでかぶるのか!?」
「当然ですわ! ご安心を。このかつらはティリス様にベスト・フィットする幻のかつら……! 今を去ること4年前、今の姫様と同じ15歳だったアディス王子が初めてイシス様に告白し、ふられ、ばっさりと髪を切ったあげくに自殺未遂を起こした時の、切り落とされた幻の髪で作ったのですわ!!」
――ちょっと待て! それすっげー不吉なかつらなんだけど!
「何でそんなもん!?」
「もちろん、後で、アディス王子ファンクラブの皆様に、高くで売りつけてやろうと思ったからですわ」
――おい!
頭痛を覚え、ティリスはううとこめかみを押さえた。
「自殺未遂ってさあ、あの、駆け去ろうとして足を踏み外して、イシス姫の魔法であわやを救ってもらったっていう、アレ?」
「ソレですわ」
兄上、頼むよ。
肩を出すタイプの、鮮やかな青のシルク。
腕には透けるくらい薄い、羽衣のような布をかぶせて、髪には銀のティアラを飾る。軽いボレロを羽織る。(ただし、夜会では脱ぐものだ)
口紅やら、アイシャドウやら、カタリーナに言わせれば『こんなのしていないも同じ』のあっさりした化粧まで施され、やっと鏡の前に立つと、ティリスは信じがたい別人を見た。
「うわ、誰だこれ~! オレじゃないっ!」
「まあ、間違いなく、ティリス様ですわ。本当にお綺麗ですわ。お兄様なんて目じゃありません!」
カタリーナが大喜びではしゃぐ。けれど。
ティリスは少しだけ、寂しかった。
そこに立つのは自分じゃない気がしたから。こんな知らない女に、レオンを悩殺されたくない。
――普段のオレの方がいいよな? な? レオン?
**――*――**
その日、丸一日かけて、カタリーナがティリスにみっちりと、『姫君』を仕込んだ。ドレスのさばき方、歩き方、話し方――、果ては社交ダンスまで。
普段なら、礼儀作法の類はあっという間に投げ出すティリスも、その日だけは違った。難しい顔をして、音を上げることもせず、懸命に覚えようとした。
カタリーナにしてみれば、ティリスがやっと姫君らしいことを覚えてくれて、嬉しい気持ちが半分。あの皇子のために、あの皇子のことだけ考えて、こんなにまで懸命なのかと思うと、悔しい気持ちが半分。
「……どうしよう、オレ……今日習ったこと、半分の半分も頭に入ってない……」
いよいよ日が落ちて、夜会が迫ってきた頃だった。ティリスがついに、絶望的な様子で弱音を吐いた。
「仕方ありませんわ。一朝一夕で身につくものではありませんもの」
ティリスが泣き出しそうな顔をして、カタリーナを見る。対して、カタリーナは自信ありげに笑ってみせた。
「大丈夫ですわ、ティリス様。あなたには誰にも負けない可憐さがあります。ですから、作法は最低限で様になりますの。……そうですわね、ただ一つお出来になれば、あとは何とでもフォローできますわ」
「……一つ――」
最低限、でも頭がぐるぐるしてくるティリスだ。今日、カタリーナが何度「これは最低限ですわ」と言ったか、思い出したくもない。
「失敗した時に、間違えてしまいましたと、可愛らしく微笑むことですわ。……うふふ、この微笑み一つで、場の殿方全てが味方になりましてよ。これさえできれば、どんなミスも恐るるに足りません!」
「なっ……なんっ……!?」
ティリスは口をぱくぱくさせて、できるか! とか、やだ! とか言いたそうな顔をしたけれど、言えようはずがなかった。それが、ティリスの現状だ。
「さ、後は気分転換に、軽く水浴びしてからお散歩しましょう。ティリス様の場合、リラックスして臨むことが大切ですわ」
「う…うん……」
怖じ気づいている自分が、ティリスは心底いやだった。
ふと、思いついて。
カタリーナに少し待ってもらって、ティリスは大切にしまった、レオンから預かっているラスタードを取り出した。
「まあ、綺麗ですわ。何ですの?」
ティリスは得意げに笑うと、ラスタードだぞとカタリーナに告げた。
さしものカタリーナも、驚いたようだった。
「レオンが預けてくれたんだ。――オレ――」
落ち込んで白かったティリスの頬に、みるみる血色が戻る。『命の石』の力なのか、あるいは――
「頑張ったら、レオンの傍にいられるかもしれないもんな。オレ、いてやるって……これ預かった時、必ずあいつに追いつこうって、決めたんだ。なら、頑張るしかないよな」
「――ええ、そうですわ」
光が零れるように笑うティリスに、目を奪われた。カタリーナもにこりと笑い返しながら、心の内で、密かに嘆息した。
完敗だ。
あの皇子がティリスをこんな風に笑わせるなんて、夢にも思わなかった。
「結構ですわ、ティリス様。良い心構えです。さあ、後は悔いの残らないように――きちんと仕上げをして、ベスト・コンディションで臨みましょう。カタリーナも今夜だけは、皇子を認めますわ」
ティリスがびっくりした顔をして、次には、朗らかに笑う。
夜会が近付いていた。
カタリーナの、皇太子悩殺計画。
「こ、これ何……!? 待てよ、まさかかつらまでかぶるのか!?」
「当然ですわ! ご安心を。このかつらはティリス様にベスト・フィットする幻のかつら……! 今を去ること4年前、今の姫様と同じ15歳だったアディス王子が初めてイシス様に告白し、ふられ、ばっさりと髪を切ったあげくに自殺未遂を起こした時の、切り落とされた幻の髪で作ったのですわ!!」
――ちょっと待て! それすっげー不吉なかつらなんだけど!
「何でそんなもん!?」
「もちろん、後で、アディス王子ファンクラブの皆様に、高くで売りつけてやろうと思ったからですわ」
――おい!
頭痛を覚え、ティリスはううとこめかみを押さえた。
「自殺未遂ってさあ、あの、駆け去ろうとして足を踏み外して、イシス姫の魔法であわやを救ってもらったっていう、アレ?」
「ソレですわ」
兄上、頼むよ。
肩を出すタイプの、鮮やかな青のシルク。
腕には透けるくらい薄い、羽衣のような布をかぶせて、髪には銀のティアラを飾る。軽いボレロを羽織る。(ただし、夜会では脱ぐものだ)
口紅やら、アイシャドウやら、カタリーナに言わせれば『こんなのしていないも同じ』のあっさりした化粧まで施され、やっと鏡の前に立つと、ティリスは信じがたい別人を見た。
「うわ、誰だこれ~! オレじゃないっ!」
「まあ、間違いなく、ティリス様ですわ。本当にお綺麗ですわ。お兄様なんて目じゃありません!」
カタリーナが大喜びではしゃぐ。けれど。
ティリスは少しだけ、寂しかった。
そこに立つのは自分じゃない気がしたから。こんな知らない女に、レオンを悩殺されたくない。
――普段のオレの方がいいよな? な? レオン?
**――*――**
その日、丸一日かけて、カタリーナがティリスにみっちりと、『姫君』を仕込んだ。ドレスのさばき方、歩き方、話し方――、果ては社交ダンスまで。
普段なら、礼儀作法の類はあっという間に投げ出すティリスも、その日だけは違った。難しい顔をして、音を上げることもせず、懸命に覚えようとした。
カタリーナにしてみれば、ティリスがやっと姫君らしいことを覚えてくれて、嬉しい気持ちが半分。あの皇子のために、あの皇子のことだけ考えて、こんなにまで懸命なのかと思うと、悔しい気持ちが半分。
「……どうしよう、オレ……今日習ったこと、半分の半分も頭に入ってない……」
いよいよ日が落ちて、夜会が迫ってきた頃だった。ティリスがついに、絶望的な様子で弱音を吐いた。
「仕方ありませんわ。一朝一夕で身につくものではありませんもの」
ティリスが泣き出しそうな顔をして、カタリーナを見る。対して、カタリーナは自信ありげに笑ってみせた。
「大丈夫ですわ、ティリス様。あなたには誰にも負けない可憐さがあります。ですから、作法は最低限で様になりますの。……そうですわね、ただ一つお出来になれば、あとは何とでもフォローできますわ」
「……一つ――」
最低限、でも頭がぐるぐるしてくるティリスだ。今日、カタリーナが何度「これは最低限ですわ」と言ったか、思い出したくもない。
「失敗した時に、間違えてしまいましたと、可愛らしく微笑むことですわ。……うふふ、この微笑み一つで、場の殿方全てが味方になりましてよ。これさえできれば、どんなミスも恐るるに足りません!」
「なっ……なんっ……!?」
ティリスは口をぱくぱくさせて、できるか! とか、やだ! とか言いたそうな顔をしたけれど、言えようはずがなかった。それが、ティリスの現状だ。
「さ、後は気分転換に、軽く水浴びしてからお散歩しましょう。ティリス様の場合、リラックスして臨むことが大切ですわ」
「う…うん……」
怖じ気づいている自分が、ティリスは心底いやだった。
ふと、思いついて。
カタリーナに少し待ってもらって、ティリスは大切にしまった、レオンから預かっているラスタードを取り出した。
「まあ、綺麗ですわ。何ですの?」
ティリスは得意げに笑うと、ラスタードだぞとカタリーナに告げた。
さしものカタリーナも、驚いたようだった。
「レオンが預けてくれたんだ。――オレ――」
落ち込んで白かったティリスの頬に、みるみる血色が戻る。『命の石』の力なのか、あるいは――
「頑張ったら、レオンの傍にいられるかもしれないもんな。オレ、いてやるって……これ預かった時、必ずあいつに追いつこうって、決めたんだ。なら、頑張るしかないよな」
「――ええ、そうですわ」
光が零れるように笑うティリスに、目を奪われた。カタリーナもにこりと笑い返しながら、心の内で、密かに嘆息した。
完敗だ。
あの皇子がティリスをこんな風に笑わせるなんて、夢にも思わなかった。
「結構ですわ、ティリス様。良い心構えです。さあ、後は悔いの残らないように――きちんと仕上げをして、ベスト・コンディションで臨みましょう。カタリーナも今夜だけは、皇子を認めますわ」
ティリスがびっくりした顔をして、次には、朗らかに笑う。
夜会が近付いていた。
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