賢者様の仲人事情

冴條玲

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第三章 永遠のまどろみ

3-3. 皇子様はお姫様をとなりに座らせたい

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 ああもう、わかんないったら!

 ティリスはむっつりと口元を引き結び、何だと馬車の床を蹴った。
 レオンは絶対、皇帝が言ったくらいのことで、彼女を殺したりしないと思うのに。
 あれだけ何度も殺されかけて、そう思う彼女がおかしいのだろうか。
 いずれにしても、だったら、レオンにどう接しろって――

「ティリス」

 レオンがふいに声をかけてきた。
 ぽんぽんと、自分の隣の席を示す。

「……何?」
「こっちに座れ」

 なにーっ!?

「いいよ、オレこっちで。それより、カタリーナも一緒がいい」

 そうなのだ。
 てっきり同じ馬車に乗れるものだと思っていたのに、バラバラにされてしまった。
 ロズさえいない。(さすがにゾンビと同じ馬車、というのはかんべんだけれど)

「僕がこっちと言うんだ、こっちに座れ」
「やだ」
「何でだ」
「何でって――!」

 ティリスはかーっと赤くなり、レオンからあわてて顔を背けた。
 悪かったな、どうせ異性だと思って意識してるよ、オレは!

「やだって言ったらやなの! ほっとけよっ」

 レオンはムっとしたようだ。

「おまえ、カムラにいる間は僕の従者なんだろう? どうして言うことを聞かないんだ」
「そういう意味じゃないだろ!? 王子として扱え、王子として! つーか、従者として適切な命令だったら聞くけど、隣に座れなんて変だろ!」

 どこが? と、レオンが怪訝けげんそうな顔でティリスを見る。
 ティリスはめまいを覚えた。

 ――ロズ、これ、オレにどう教育し直せって言うんだよ~っ!

 教育し直す必要はおおいに感じるが、こんなのとても、彼女には教育し直せない。

「座れ」

 レオンの声に、ついに怒気がはらまれた。
 次、死霊術、来る――
 ティリスは冷や汗をかいて、聖笛をぎゅっと握り締めた。
 どうしよう。
 聖笛はあるけど、こんなところで切り札、使っていいのだろうか。
 状況が状況だけに、下手をしたら取り上げられる恐れがある。

「……わ……かったよ。……変なことするなよ……?」

 ティリスは仕方なしに立ち上がり、レオンの隣に移動すると、口をへの字に曲げてそっぽを向いた。

「ティリス」
「……なに」

 ティリスは心底不機嫌に、レオンを見もせずに返事した。
 それをいきなり抱き寄せられて、心臓が止まるかと思った。

「な、何す……!」

 レオンは悪びれもせず、彼の肩に寄りかかって休むようにと、指示した。
 何だそれーっ!?

「やだ! ぜってーやだ! 死んでもやだ!」
「何でだ」

 てか、このパターンやめろよ!
 ――カタリーナっ!

「い、言う通りにしたら……じゃあ、オレの言うことも聞くか……?」

 わらにもすがる思いで、ティリスはいつかロズが言った、『レオンはあなたの言うことなら聞くよ』という言葉を試していた。
 すっごく、やだとか言いそうだよ~。

「何だ?」
「オレ、カタリーナと一緒がいいんだ」

 レオンはいやそうに顔をしかめた。
 ほら。
 ティリスが肩を落としてうなだれた時だ。
 沈黙していたレオンが、しまいに了解した。

「わかった」

 ティリスはびっくりして、レオンの正気を疑うように彼を見直した。

「ほ、ほんとに……?」
「? おまえ、そうしたいんだろう?」

 ティリスは小さくうなずくと、逆に、後に引けなくなったことに気付いた。
 おとなしく待っているレオンの黒衣をつかみ、男性標準の――ティリスにとっては広い肩を見て、う~とうなった。

「ティリス?」
「あ……あのさ、どうしても……? やっぱり、やだとか言ったら……」

 レオンがむっとして、強引に彼女をとらえようとする気配を感じ、ティリスはあわてて押しとどめた。

「わかった、わかったよ!」

 ティリスはこくりと喉を鳴らすと、目をわずかにあらぬ方へと逸らしながら、仕方なしにレオンに寄り添った。
 手が震える。

 ――だって、レオンのやつ、すまして座ってる時、かっこいいんだよ!

 こんなの、意識するなというのが無理だ。
 やっとのことで頭をレオンにもたせたティリスを、レオンの腕が軽くとらえた。

「……っ……」

 その髪に遊ぶように指を絡めて、レオンが口付けてきて――

「ひゃあっ」

 たまらず立ち上がり、ティリスは逃げ込むように向かいの席に戻った。
 その間、およそ8秒くらいだろうか。

「ティリス?」
「も、もういいだろ。カタリーナ……」

 ダン! と、レオンがティリスの肩をつかんで馬車に押し付けた。

「なに……」

 やばい、怒ってる、やばい!
 8秒やばい!

「や、やだ……」

 怒りのあまりか、レオンは言葉さえ、発さなかった。
 だけれど、これ以上ああしていたら、ずっとああしていたくなりそうだったのだ。
 射抜くような瞳がティリスを射すくめ、レオンの指が、ティリスの上衣にかけられた。

「なに……」
「動くな。――従え」

 怒りに満ちた声で言い渡し、ティリスの首筋を覆う上衣をどけると、レオンは容赦なくそこに口付けを落とした。ティリスの鎖骨の辺りに、痛みにも似た、熱。

「――は…くっ……!」

 苦しい――!!
 何をされているのかもわからないのに、ただ、痛くてひどく苦しかった。
 やっと解放された時には、ティリスは腰くだけになって、座席に座り込んだ。口付けられた部分がまだ熱を帯び、苦しくて、無意識に利き手で押さえた。

「……本当に、角女を呼ぶ気か? 僕は気に入らないぞ。あいつは嫌いだ。いつも邪魔ばかりする」

 レオンが言った。
 邪魔してほしいから呼ぶんだろ!?
 そう切ろうとする啖呵たんかが、出なかった。声そのものが出ない。
 泣きそうになりながら、それでも呼ぶんだと、ティリスが身ぶりで訴えると、ため息をついてレオンが立ち上がった。
 馬車を止め、カタリーナを呼びに出て行く。

「あ……」

 レオンが出て行くと、ひどい苦しさとも、痛みともつかないものがティリスを襲った。
 何で――!


  **――*――**


「まったく、迎えが遅いんですわ」

 馬車の外から、聞き慣れたカタリーナの声。
 ほっとしたのに、ティリスは動けなかった。

「ティリス様……!?」

 両手で顔を覆ったまま、ティリスは動かない。
 それを見たカタリーナが真っ青になって、憎しみを込めてレオンを睨んだ。

「ティリス様に何をっ!」

 レオンはくすりと笑うと、その手をすっとティリスへと差し伸べた。

「ティリス」

 わずかに身を震わせて、ティリスが顔を上げる。

「おいで」
「ふざけないで! あなた――!!」

 怒るカタリーナの横で、ティリスはじっとレオンの手を凝視して、魅入られたようにその手を伸ばした。
 触れたい。取りたい。抱いて欲――
 しくないっ!!
 ティリスはきゅっと伸ばしかけた手を握り締めると、引いた。
 レオンが途端に不機嫌な顔をして、つまらなさそうに二人の向かいに腰かける。

 ああ――

 差し伸べられた手を失うと、ひどく胸が痛んで、どうにもならなくなって、ティリスはとうとう、耐え切れずに泣いた。顔を覆った指の隙間から、涙が幾筋もこぼれ落ちた。
 痛いのだ。胸が苦しくて、たまらない。気が狂いそう――!!

「ティリス様! レオン皇子、あなた、ティリス様に何をしたんです!」

 血相を変えたカタリーナの詰問に、しかし、レオンはわかっていない答えを返した。

石榴ざくろ烙印らくいん――蠱惑こわくの術だと聞いたが、ちっとも効かないな」

 ティリスは愕然としてレオンを見た。
 何だって――!?

「……!! 愚か者! どういう了見なのです、解きなさい、今、すぐ!!」

 レオンはなお、わかっていなかった。

「効いていないのにか?」

 効いてる。
 マジ効いてる。
 どうにかしてくれ!!
 ティリスの心の叫びなんて、知るよしもないレオンだ。てゆーか気付け。見て気付け。おかしいだろ!?
 なのにレオンは「だって手を取らない」とぶーぶー抗議するばかりだ。
 ティリスはもう、ぼろぼろに泣いていた。何もかもが悲しくて、悔しくて、絶望的だった。

「いいから解きなさい! ティリス様が苦しまれているのがわからないのですか!」

 レオンは納得いかなげに、それでも仕方なさげにティリスを呼んで、もう一度手を差し出した。

「ティリス様、立てますか――?」

 カタリーナにつかまって立ち上がったが、体の震えがひどい。
 差し出されたレオンの手に、抗うのが――
 抑え――効かないっ!
 飛び込むようにレオンの胸にすがりついて、たまらず、ティリスはそこに顔を埋めた。

「ティリス――? どうしたんだ」

 レオンは本気で『蠱惑こわく』=『手を取らせること』だと限定的に考えていた。
 だから、少し驚きながら、それでもティリスが震えているから抱き締めた。

「馬鹿皇子!! いいから解きなさいイぃいィっ!!!」

 カタリーナの怒髪天を衝き、この世の地獄のような光景が具現した。これに恐れをなさないレオン、ただ者ではない。

「うるさいな、ティリスがおかしいんだ」
「何言ってんだ、おまえがおかしくしたんじゃないか!」

 これはティリス。
 レオンの腕の中だと落ち着けて、おかげで離れられずに、しがみついたまま抗議するハメに陥っていた。

「……効いているのか?」
「効いてるよ!」
「……なら、どうして手を取らないんだ」

 馬鹿だ。
 こいつマジ馬鹿だ。

「~」

 レオンが答えられないティリスの手を取ると、ティリスもきゅっと握り返した。

「なんだ……取りたかったのか」

 ティリスは真っ赤になってそっぽを向いた。

「おだまり! いいからさっさと解きなさいっ!!」

 レオンはわずらわしそうにカタリーナを見て、仕方なさげにティリスの上衣に手をかけた。

「何を――!」
「解くんだ、邪魔するな」

 レオンは再度、烙印を押した位置に口付けた。

「――うっ…やっ………!」

 ティリスが苦しげな声を漏らすのに、カタリーナは気が狂いそうになりながら、耐えて待たざるを得なかった。

「解いたぞ」

 ティリスの中にあった、言葉にできないほどの苦しさが、潮が引くように消えていった。
 彼女は震えながら上衣を直すと、真っ向からレオンを見据え、そして。
 
 パンっ!
 
 渾身の力を込めて、その頬を張った。

「おまえ、最低だ!! 降りる! オレもう、降りる!!」

 レオンがびっくりして、何事かとティリスを見た。

「どうして最低なんだ、わかるように説明しろ!」
「わかるように……!?」

 ティリスは強張った笑みを浮かべて、溢れる涙を拭おうともせずに、言い募った。

「人の心まで勝手にしといて、わからないのか! 誰に教わったんだよ! こんな――」

 どうせ皇帝だろうと、皇帝から最悪なんだと言い放とうとしていたティリスに、レオンが思わぬ答えを返した。

「母上だ。よく、父上にかけていらした」

 ――えっ?
 ……かけていらした、……って……。

「そ、それって」

 ちょっと待て。恋愛結婚じゃなかったのか!? それ、夢もロマンもない。マジない。死霊術師と方術師なんて、ちょっと見ない組み合わせなのに、父君、術に負けただけ……!?

「良い術だから、機会があったら使いなさいと勧められた。ただ、手を取るくらいが関の山の、子供だましの術だと言われたが」

 ――今、何て?

「うそ……だ……」

 レオンの術に、負けるのは知っていた。
 だけど、そんなに弱いはず――

「嘘だ!!」


  **――*――**


 その後、ティリスは一言も口をきかなかった。
 レオンへの怒りより、彼女自身への疑念でいっぱいで、何をどう考えたらいいのか、まるでわからなかったのだ。ただ、混乱した。
 カタリーナがずっと手を握ってくれていて、それだけが、支えだった。
 カムラに到着し、馬車がついに止まると、ティリスはすぐに馬車を飛び出した。

「――ロズ!」

 レオンに聞いた馬車まで駆けて、とにかく呼吸を整え、ロズが下りてくるなり呼び止めた。

「……姫?」
「あの……あのさ、ロズ、『石榴ざくろ烙印らくいん』って……」

 どう、聞いたらいいのだ。こんなこと――
 しかし、ロズははや察したようだった。

「レオンにかけられたんだね。――効いたのかい?」

 ティリスは唇をかんでうつむいた。
 すると、ロズが穏やかに言った。

「姫には、随分効いたかもしれないね」

 ティリスはますます愕然とした。

「どうして……! オレ、そんなに精神力、ないのかよ!」

 ロズは答えなかった。代わりに問う。

「どのくらい?」

 それはロズらしからぬ、残酷な問い。

「……最悪――」
「抵抗したんだね」

 ティリスが暗い瞳でうなずくと、苦しかっただろうねと、ロズが語り始めた。

「姫、あれは蠱惑こわくの術ではないんだ」

 え、と。じゃあ何なのかと、ティリスがロズを見る。

「『石榴ざくろ烙印らくいん』は死霊術――死霊術に蠱惑の術はないんだよ。あの術は、最初で最後の秘術と呼ばれる、最も美しく、最も死霊術のすいに根ざした、簡単で抵抗できない術なんだ」
「でも、レオンは子供だましの術だって……!」

 ロズはあくまで穏やかだった。

「それはね、あれが、引き止めないと術者を失うような不安に駆られる――本来、術者が死の衝動に駆られた時に、審判代わりに使う術だから。貴女が感じた痛みは、レオンを亡くした時に覚える痛み――姫は優しい。そして、レオンが好きなんだね。抵抗したなら、レオンを殺したほどの痛みを覚えたはずだ。――さぞ、つらかっただろう」

 殺したほどの痛み……?

「しかし、残念ながら、そこまでの効果が出るのは極めてまれでね。蠱惑の術だと思っていないと、死霊術師ネクロマンサーにとって、致命的な心の傷になることがある。効果が出ないということは、死んでもいいと思われている、ということだから――だから、あの術は『蠱惑の術』として伝えられているんだよ」

 何だか急に、心が軽くなった気がしていた。

「……じゃあ、オレの心が弱いってわけじゃ――」
「姫の心が真っ直ぐだという証に他ならない。大切なものを失った時に、心を痛められるということは、むしろ、強さだから――大切にするといい。貴方の心の美しさだよ」

 ロズの話は難しかったが、肝心なのは、『心が弱くて効果が出たわけではない』ということだ。
 ティリスは心底ほっとして、礼を言って、ロズをレオンの許まで案内した。
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