89 / 91
第五章 闇血呪
5-4a. 晩餐の後
しおりを挟む
その後、皇帝の側室も加わって、晩餐の時間は賑やかに過ぎて行った。
夜の帳が降りた皇帝の居室で、眠たげに寝酒を舐めていたゼルダは、ヴァン・ガーディナの膝ですやすやと寝息を立てている。
ライゼールからの長旅、立て続けの高等な死霊術、あげくにボロボロ泣いていたから、体力を使い切ったのだろう。晩餐でも、姉妹に随分と尽くしていたし。
「随分、手懐けたな?」
ヴァン・ガーディナは笑って、ゼルダの手元を示した。
「父上にも懐いていますよ」
片手で兄皇子にしがみついている割に、もう片方の手は、皇帝の寝着の端を握り締めていたりした。
皇帝がふっと笑みをこぼす。
ヴァン・ガーディナに髪を撫でられて、ゼルダが心地好さげに身じろぎした。
「おまえにはいつか、話しておこうと思っていたが。ゼルシアの功罪は、皇室にとっては功が勝るものだ。ゼルダにとってもな」
あまりにも思いがけず、ヴァン・ガーディナは聞き違えたかと思った。
「母上に、皇室のためになる功がありますか……?」
「山ほどあるぞ。そうだな、確実なところでおまえを生んだ」
それ、皇室のためなのか。
ずっと、この命は皇室に仇なすものと思って――
「賭けてもいい、それだけ指摘してやっても、ゼルダは黙るぞ。すごく悩むだろう、この子は、ゼルシアがアルディナンを殺したと思っているからな」
「違うのですか?」
まさか、方術師が殺したなんて、父皇帝に限って言わないだろう。
口の端だけで笑った皇帝が、やおら、くつくつ笑った。
「おまえも、ゼルダと同レベルだな?」
「――……」
何だろう、この屈辱感。
「私が生まれたのは、先代皇帝が四十歳を過ぎた頃だ」
答えとも思われない、ヴァン・ガーディナが知らなかった先代の話を、ハーケンベルクは唐突に語り出した。
「二十年前のカムラは滅亡寸前だった。おまえだけじゃない、ゼルシアがいなければ、おそらくゼルダも生まれていない。酷い状態だった――」
悲劇の始まりは、先代の妃が出産できずに死んでしまったことだろう。
カムラ皇室は伝統的に愛に狂う。唯一無二の妃を愛し抜き、失うと惨事を起こす傾向にあるので、皇子は若い頃から、後宮を持たないことは国を滅ぼす罪悪であると叩き込まれる。
それでも、先代は最愛の妃一人しか、妃を迎えていなかった。
その妃の死が、暗殺だったのか、不幸だったのかはわからない。
いずれにしても、先代は二十年もの間、妃と産声を上げることなく息絶えた長男が蘇る日を信じ、別の妃を娶ろうとはしなかった。
狂気に侵され、重臣達の操り人形だった皇帝の治世下、帝国は荒れ放題で、権力は腐敗した。例えるならば、死後二十年余を経過しながら、白骨化しなかった死霊の腐敗ぶりだろう。
事ここに至り、さすがに重臣達も、このままでは帝国が滅亡すると危惧し始めた。
彼らは、蘇った皇子を守る人間が必要だと皇帝を説得し、ようやく、二人目の妃を娶らせる。その皇子がハーケンベルクだ。
ハーケンベルクは幼い頃から、いつか蘇った皇太子を愛し守るようにと、立派な皇帝補佐になるようにと、先代に繰り返し言い聞かされて育てられた。
そのつもりだったのは先代だけで、他には誰一人、皇太子が蘇るなどとは信じていなかったのだが。
先代皇帝のもうろくぶりは酷かった。
それは、指一本触れていない女性に、酒の席で乱暴されたと涙ながらに訴えられ、その子供を認知してしまったほどだ。
それが第二皇子シャークスである。
シャークスの母妃は、もう、そっとして置いて欲しいと願い、その後も、老いた皇帝には指一本触れさせていない。
ハーケンベルクとシャークスは似ても似つかなかったが、他に兄弟のいないハーケンベルクは、異母兄弟ということもあり、シャークスを弟だと信じていたが――
あまりにも、馬鹿にした話だった。恐らく、シャークスにはカムラ皇室の血など一滴も流れていまい。裏切られてから調べてみれば、シャークスは早産で、本当に早産であったと考えるより、皇帝の子ではないと考えた方が自然だった。
夜の帳が降りた皇帝の居室で、眠たげに寝酒を舐めていたゼルダは、ヴァン・ガーディナの膝ですやすやと寝息を立てている。
ライゼールからの長旅、立て続けの高等な死霊術、あげくにボロボロ泣いていたから、体力を使い切ったのだろう。晩餐でも、姉妹に随分と尽くしていたし。
「随分、手懐けたな?」
ヴァン・ガーディナは笑って、ゼルダの手元を示した。
「父上にも懐いていますよ」
片手で兄皇子にしがみついている割に、もう片方の手は、皇帝の寝着の端を握り締めていたりした。
皇帝がふっと笑みをこぼす。
ヴァン・ガーディナに髪を撫でられて、ゼルダが心地好さげに身じろぎした。
「おまえにはいつか、話しておこうと思っていたが。ゼルシアの功罪は、皇室にとっては功が勝るものだ。ゼルダにとってもな」
あまりにも思いがけず、ヴァン・ガーディナは聞き違えたかと思った。
「母上に、皇室のためになる功がありますか……?」
「山ほどあるぞ。そうだな、確実なところでおまえを生んだ」
それ、皇室のためなのか。
ずっと、この命は皇室に仇なすものと思って――
「賭けてもいい、それだけ指摘してやっても、ゼルダは黙るぞ。すごく悩むだろう、この子は、ゼルシアがアルディナンを殺したと思っているからな」
「違うのですか?」
まさか、方術師が殺したなんて、父皇帝に限って言わないだろう。
口の端だけで笑った皇帝が、やおら、くつくつ笑った。
「おまえも、ゼルダと同レベルだな?」
「――……」
何だろう、この屈辱感。
「私が生まれたのは、先代皇帝が四十歳を過ぎた頃だ」
答えとも思われない、ヴァン・ガーディナが知らなかった先代の話を、ハーケンベルクは唐突に語り出した。
「二十年前のカムラは滅亡寸前だった。おまえだけじゃない、ゼルシアがいなければ、おそらくゼルダも生まれていない。酷い状態だった――」
悲劇の始まりは、先代の妃が出産できずに死んでしまったことだろう。
カムラ皇室は伝統的に愛に狂う。唯一無二の妃を愛し抜き、失うと惨事を起こす傾向にあるので、皇子は若い頃から、後宮を持たないことは国を滅ぼす罪悪であると叩き込まれる。
それでも、先代は最愛の妃一人しか、妃を迎えていなかった。
その妃の死が、暗殺だったのか、不幸だったのかはわからない。
いずれにしても、先代は二十年もの間、妃と産声を上げることなく息絶えた長男が蘇る日を信じ、別の妃を娶ろうとはしなかった。
狂気に侵され、重臣達の操り人形だった皇帝の治世下、帝国は荒れ放題で、権力は腐敗した。例えるならば、死後二十年余を経過しながら、白骨化しなかった死霊の腐敗ぶりだろう。
事ここに至り、さすがに重臣達も、このままでは帝国が滅亡すると危惧し始めた。
彼らは、蘇った皇子を守る人間が必要だと皇帝を説得し、ようやく、二人目の妃を娶らせる。その皇子がハーケンベルクだ。
ハーケンベルクは幼い頃から、いつか蘇った皇太子を愛し守るようにと、立派な皇帝補佐になるようにと、先代に繰り返し言い聞かされて育てられた。
そのつもりだったのは先代だけで、他には誰一人、皇太子が蘇るなどとは信じていなかったのだが。
先代皇帝のもうろくぶりは酷かった。
それは、指一本触れていない女性に、酒の席で乱暴されたと涙ながらに訴えられ、その子供を認知してしまったほどだ。
それが第二皇子シャークスである。
シャークスの母妃は、もう、そっとして置いて欲しいと願い、その後も、老いた皇帝には指一本触れさせていない。
ハーケンベルクとシャークスは似ても似つかなかったが、他に兄弟のいないハーケンベルクは、異母兄弟ということもあり、シャークスを弟だと信じていたが――
あまりにも、馬鹿にした話だった。恐らく、シャークスにはカムラ皇室の血など一滴も流れていまい。裏切られてから調べてみれば、シャークスは早産で、本当に早産であったと考えるより、皇帝の子ではないと考えた方が自然だった。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。


もう死んでしまった私へ
ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。
幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか?
今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!!
ゆるゆる設定です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
とまどいの花嫁は、夫から逃げられない
椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ
初夜、夫は愛人の家へと行った。
戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。
「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」
と言い置いて。
やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に
彼女は強い違和感を感じる。
夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り
突然彼女を溺愛し始めたからだ
______________________
✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定)
✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです
✴︎なろうさんにも投稿しています
私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

白薔薇侯爵夫人の白すぎる結婚生活
天堂 サーモン
恋愛
色彩を忌避し、白を愛する白薔薇侯爵ヴィクターと結婚した自由奔放なエレノア。
エレノアは大理石の彫刻のように美しい彼と結婚すれば薔薇色の結婚生活が送れるだろうと考えていた。しかしその期待はあっさり裏切られる。
結婚して訪れた屋敷は壁、床、天井全てが白! 挙げ句の果てには食事まで真っ白! 見るもの全てが白すぎてエレノアは思わず絶句。しかし、彼の色彩嫌いの裏に隠されたトラウマを知ったエレノアは、色彩の素晴らしさを思い出してもらうため奮闘するようになる。
果たしてエレノアは薔薇色の結婚生活を手にすることができるのか?
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜
月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。
だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。
「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。
私は心を捨てたのに。
あなたはいきなり許しを乞うてきた。
そして優しくしてくるようになった。
ーー私が想いを捨てた後で。
どうして今更なのですかーー。
*この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる