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第五章 闇血呪
5-1e. 闇血呪
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謁見の間を辞し、ライゼールまでの馬車を頼んで、ヴァン・ガーディナが皇宮の中庭に差し掛かる頃だった。
駆け付けた様子の皇妃が、刹那、狂気じみた笑みを浮かべた。皇妃はその笑みを滑らかに隠すと、痛ましげな顔をヴァン・ガーディナの腕の中のゼルダに向けた。
「まあ、陛下の残酷なこと。可哀相に、なんて酷いことを――」
皇妃に触れられるのを厭い、苦しげに身をよじるゼルダの口を、ヴァン・ガーディナが片手で塞いで黙らせた。
『ヴァン・ガーディナ、陛下よりの重い呪詛を受け、ゼルダは息も絶え絶え――誰も、あなたの仕業と疑うことはありません。隙を見て、ゼルダの命を絶ちなさい』
囁かれた皇妃の言葉に、兄皇子の手が冷たく、氷のように冷えた気がして、ゼルダはどきりとした。
『陛下より、指導を言い渡されたゼルダを無為に死なせれば、私は能力のない皇子とみなされ、皇太子となれないでしょう。――それでも?』
うたかたの幻のように消える不穏な笑みを漏らして、皇妃は淀みなく告げた。
『マリ皇子にも不幸があれば互角です』
ゼルダを心配している風を装うことを、皇妃はやめない。兄皇子の手が、もっと冷えた気がした。
『――私を信頼して頂くことは――私はこの手で皇太子の位を戴きたい。ゼルダは私の手駒として、よく従います。今のゼルダは私の言いなりになる、苦労して手懐けて、仕込んだのです。もう少し、手慰みにしていたいのですが』
その言い様にショックを受けたゼルダが、顔を強張らせて兄皇子を拒否しようとするも、許されなかった。
「そう。ゼルダ、お兄様に心ゆくまで可愛がって頂きなさい。噂は皇都にまで届いていますよ」
「……っ! ……っ!!」
兄皇子にさりげなく、しっかりと口を塞がれていて、誰がと言うことさえ、ゼルダには出来なかった。
謁見の間で、兄皇子はゼルダを死なせたら命はないと宣告されたのに――
兄皇子がなぜ、それを理由に皇妃の申し出を断らないのか、ゼルダにはわからなかった。
こんな風に、ゼルダが辛くなる言い方ばかりして、まるで、その優しさも愛情も、偽りだったかのように――
重い呪詛を受けているためでも、兄皇子に抱き上げられているのさえ、厭われた。
『ヴァン・ガーディナ、ゼルダがあなたの言いなりだという証に、ゼルダに妃の命を献上させなさい。何の後ろ盾もない、側室の命で構いません。ゼルダが妃の命を絶ったなら、私も、ゼルダはあなたの言いなりだと認めましょう。その時には、ゼルダの命まで絶たずとも許して差し上げます』
ヴァン・ガーディナが強張った表情で黙り込むと、皇妃は笑止とばかり、さらに追い詰めた。
『あなたは今、その手でゼルダを黙らせているではありませんか。あなたが黙っているよう命じただけでは、ゼルダが黙っていないからでしょう』
ヴァン・ガーディナは儚く、自嘲的な笑みを浮かべただけで、何も言い返さなかった。
『ゼルダも陛下も、あなたを愛するものですか。夢を見ていたいのですね、ヴァン・ガーディナ。あなたがその手でアーシャ様を殺したのに、ゼルダがあなたの言いなりですって? ゼルダはあなたを憎んでいます。それなのに、あなたがゼルダの言いなりなのです。可哀相なこと、どんなに尽くしても、ゼルダは必ずあなたを裏切り、地獄に落とすでしょう。ゼルダにとってあなたは――』
皇妃が言い聞かせる、真に迫る響きの悪夢。ゼルダはそれに、兄皇子が呑み込まれてしまうと思った。
『選ばなければならない時には、ゼルダはあなたではなく、自慢の可愛らしい妃を取るでしょう。――隙を見て、ゼルダの息の根を止めなさい』
呪詛を受けたゼルダの胸から流れ出た血が、ヴァン・ガーディナの衣装まで赤く染めていた。
『――仰せのままに、我が母君、尊き皇后陛下――』
駆け付けた様子の皇妃が、刹那、狂気じみた笑みを浮かべた。皇妃はその笑みを滑らかに隠すと、痛ましげな顔をヴァン・ガーディナの腕の中のゼルダに向けた。
「まあ、陛下の残酷なこと。可哀相に、なんて酷いことを――」
皇妃に触れられるのを厭い、苦しげに身をよじるゼルダの口を、ヴァン・ガーディナが片手で塞いで黙らせた。
『ヴァン・ガーディナ、陛下よりの重い呪詛を受け、ゼルダは息も絶え絶え――誰も、あなたの仕業と疑うことはありません。隙を見て、ゼルダの命を絶ちなさい』
囁かれた皇妃の言葉に、兄皇子の手が冷たく、氷のように冷えた気がして、ゼルダはどきりとした。
『陛下より、指導を言い渡されたゼルダを無為に死なせれば、私は能力のない皇子とみなされ、皇太子となれないでしょう。――それでも?』
うたかたの幻のように消える不穏な笑みを漏らして、皇妃は淀みなく告げた。
『マリ皇子にも不幸があれば互角です』
ゼルダを心配している風を装うことを、皇妃はやめない。兄皇子の手が、もっと冷えた気がした。
『――私を信頼して頂くことは――私はこの手で皇太子の位を戴きたい。ゼルダは私の手駒として、よく従います。今のゼルダは私の言いなりになる、苦労して手懐けて、仕込んだのです。もう少し、手慰みにしていたいのですが』
その言い様にショックを受けたゼルダが、顔を強張らせて兄皇子を拒否しようとするも、許されなかった。
「そう。ゼルダ、お兄様に心ゆくまで可愛がって頂きなさい。噂は皇都にまで届いていますよ」
「……っ! ……っ!!」
兄皇子にさりげなく、しっかりと口を塞がれていて、誰がと言うことさえ、ゼルダには出来なかった。
謁見の間で、兄皇子はゼルダを死なせたら命はないと宣告されたのに――
兄皇子がなぜ、それを理由に皇妃の申し出を断らないのか、ゼルダにはわからなかった。
こんな風に、ゼルダが辛くなる言い方ばかりして、まるで、その優しさも愛情も、偽りだったかのように――
重い呪詛を受けているためでも、兄皇子に抱き上げられているのさえ、厭われた。
『ヴァン・ガーディナ、ゼルダがあなたの言いなりだという証に、ゼルダに妃の命を献上させなさい。何の後ろ盾もない、側室の命で構いません。ゼルダが妃の命を絶ったなら、私も、ゼルダはあなたの言いなりだと認めましょう。その時には、ゼルダの命まで絶たずとも許して差し上げます』
ヴァン・ガーディナが強張った表情で黙り込むと、皇妃は笑止とばかり、さらに追い詰めた。
『あなたは今、その手でゼルダを黙らせているではありませんか。あなたが黙っているよう命じただけでは、ゼルダが黙っていないからでしょう』
ヴァン・ガーディナは儚く、自嘲的な笑みを浮かべただけで、何も言い返さなかった。
『ゼルダも陛下も、あなたを愛するものですか。夢を見ていたいのですね、ヴァン・ガーディナ。あなたがその手でアーシャ様を殺したのに、ゼルダがあなたの言いなりですって? ゼルダはあなたを憎んでいます。それなのに、あなたがゼルダの言いなりなのです。可哀相なこと、どんなに尽くしても、ゼルダは必ずあなたを裏切り、地獄に落とすでしょう。ゼルダにとってあなたは――』
皇妃が言い聞かせる、真に迫る響きの悪夢。ゼルダはそれに、兄皇子が呑み込まれてしまうと思った。
『選ばなければならない時には、ゼルダはあなたではなく、自慢の可愛らしい妃を取るでしょう。――隙を見て、ゼルダの息の根を止めなさい』
呪詛を受けたゼルダの胸から流れ出た血が、ヴァン・ガーディナの衣装まで赤く染めていた。
『――仰せのままに、我が母君、尊き皇后陛下――』
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