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跋
跋 朝陽【1】
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「御影様!」
光が見えた。本物の、朝の陽の光。
頬を、いつの間にか溢れた涙が濡らしていた。
「……由良……」
「紫苑様、御影様が気付かれました! 紫苑様!」
泣いて喜んで、由良が紫苑を呼びに行く。
「……」
そうだ。
助かったのだ。あの時、佳矢に呼ばれた気がして振り向いて、流木に気付いた。気付かなければ、ほぼ間違いなく打たれて死んでいた。
かろうじて致命傷をさけ、次には決死の覚悟でそれをつかまえて、つかまり続けて、紫苑の助けを待った。
その流木が何かに引っかかり、おかげで、紫苑に引き上げられた。記憶はそこで途切れる。
「……霞月は……」
起き上がろうとして、胸部を襲った激痛に、御影は呻いて傷を押さえた。
「御影、まだ安静にしていろ。霞月殿はおまえの横だ」
様子を見に来た紫苑の声に、御影はまず、霞月を探した。
彼女は確かに、彼の横に並べて敷かれた布団に寝かされていた。
眠っているのか死んでいるのかさえ、わからない静かさで。
「生きて……るのか……?」
紫苑がわずかに首をふる。
「息はしている。だが、もう四日経つが、眠ったままだ。――子も、流れた」
御影は黙って霞月の手を取った。
冷たかったけれど、血の通わないものではなくて、少しだけ、ほっとした。
「兄上、世話かけて済まない。ありがとう」
いつものことだろうと、構わぬよと、紫苑が微笑む。そのとなりから由良が、食べられなくてもどうにか食べて下さいと、粥を差し出した。
「美那杜は……?」
「――滅んだ」
**――*――**
それ以上のことを、紫苑は語ろうとしなかった。
粥以外のものも受け付けるようになるまでは、一切、話す気はないと言い切った。
それまでは、関わらせないつもりなのだ。紫苑らしい。
一方、霞月はなお、目覚めなかった。五日目も。
まるで、目覚めるのを厭うかのように、眠り続けていた。
「――霞月」
日に何度か、霞月を呼んだ。霞月は目覚めない。
「……ったく、佳矢、直、連れてかないんじゃなかったのかよ」
少し痛みのある表情で、御影は独りごちた。
霞月は、あるいは――
「御影様、御加減はいかがですか?」
薬湯を運んできた由良に、平気だと、笑った。
「お前に借りを作るなんて、一生の不覚だよな」
傷は命を取りとめたのが奇跡のように深く、御影はいまだ、立ち歩くことすらままならなかった。
「こんな怪我で、何をおっしゃっているんですか!」
怒った後、そのくせに由良は笑った。
「でも、霞月様のこと、連れ戻られた御影様はご立派でした」
「兄上と従者だろう、連れ戻ったのは」
生彩を欠いた、霞月の黒髪に指を絡ませる御影に、由良が言った。
「御影様です。――紫苑様は、お見捨てになります――」
「……」
わかるんだなと、御影は少し、由良を見直した。
「霞月様も……お見捨てになるのでしょうか……」
以前、紫苑も由良を見捨て、御影を見捨て、一人、死んでしまおうとしたことがある。自分がどんなに必要とされているかも知らずに。
「霞月が戻りたくないなら、それでいい」
運命は過酷で、必ず守ると交わした約束は、何一つ、果たされなかったのだから。
戦火の中、同胞に命懸けで逃がされ、子らを託された彼女にとって、それがどれほどの痛みか、想像にかたくない。
彼自身とて、彼を信じてその腕の中、身を震わせて泣いた彼女を、真っ直ぐに彼を見た彼女を、耐え難いまでの痛みを伴い、思い出すのだから。
「ただ、俺は戻ってきて欲しい。俺に笑いかけて欲しいから、呼ぶだけだ。何度でも。いつまででも」
光が見えた。本物の、朝の陽の光。
頬を、いつの間にか溢れた涙が濡らしていた。
「……由良……」
「紫苑様、御影様が気付かれました! 紫苑様!」
泣いて喜んで、由良が紫苑を呼びに行く。
「……」
そうだ。
助かったのだ。あの時、佳矢に呼ばれた気がして振り向いて、流木に気付いた。気付かなければ、ほぼ間違いなく打たれて死んでいた。
かろうじて致命傷をさけ、次には決死の覚悟でそれをつかまえて、つかまり続けて、紫苑の助けを待った。
その流木が何かに引っかかり、おかげで、紫苑に引き上げられた。記憶はそこで途切れる。
「……霞月は……」
起き上がろうとして、胸部を襲った激痛に、御影は呻いて傷を押さえた。
「御影、まだ安静にしていろ。霞月殿はおまえの横だ」
様子を見に来た紫苑の声に、御影はまず、霞月を探した。
彼女は確かに、彼の横に並べて敷かれた布団に寝かされていた。
眠っているのか死んでいるのかさえ、わからない静かさで。
「生きて……るのか……?」
紫苑がわずかに首をふる。
「息はしている。だが、もう四日経つが、眠ったままだ。――子も、流れた」
御影は黙って霞月の手を取った。
冷たかったけれど、血の通わないものではなくて、少しだけ、ほっとした。
「兄上、世話かけて済まない。ありがとう」
いつものことだろうと、構わぬよと、紫苑が微笑む。そのとなりから由良が、食べられなくてもどうにか食べて下さいと、粥を差し出した。
「美那杜は……?」
「――滅んだ」
**――*――**
それ以上のことを、紫苑は語ろうとしなかった。
粥以外のものも受け付けるようになるまでは、一切、話す気はないと言い切った。
それまでは、関わらせないつもりなのだ。紫苑らしい。
一方、霞月はなお、目覚めなかった。五日目も。
まるで、目覚めるのを厭うかのように、眠り続けていた。
「――霞月」
日に何度か、霞月を呼んだ。霞月は目覚めない。
「……ったく、佳矢、直、連れてかないんじゃなかったのかよ」
少し痛みのある表情で、御影は独りごちた。
霞月は、あるいは――
「御影様、御加減はいかがですか?」
薬湯を運んできた由良に、平気だと、笑った。
「お前に借りを作るなんて、一生の不覚だよな」
傷は命を取りとめたのが奇跡のように深く、御影はいまだ、立ち歩くことすらままならなかった。
「こんな怪我で、何をおっしゃっているんですか!」
怒った後、そのくせに由良は笑った。
「でも、霞月様のこと、連れ戻られた御影様はご立派でした」
「兄上と従者だろう、連れ戻ったのは」
生彩を欠いた、霞月の黒髪に指を絡ませる御影に、由良が言った。
「御影様です。――紫苑様は、お見捨てになります――」
「……」
わかるんだなと、御影は少し、由良を見直した。
「霞月様も……お見捨てになるのでしょうか……」
以前、紫苑も由良を見捨て、御影を見捨て、一人、死んでしまおうとしたことがある。自分がどんなに必要とされているかも知らずに。
「霞月が戻りたくないなら、それでいい」
運命は過酷で、必ず守ると交わした約束は、何一つ、果たされなかったのだから。
戦火の中、同胞に命懸けで逃がされ、子らを託された彼女にとって、それがどれほどの痛みか、想像にかたくない。
彼自身とて、彼を信じてその腕の中、身を震わせて泣いた彼女を、真っ直ぐに彼を見た彼女を、耐え難いまでの痛みを伴い、思い出すのだから。
「ただ、俺は戻ってきて欲しい。俺に笑いかけて欲しいから、呼ぶだけだ。何度でも。いつまででも」
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