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四 慙愧
四 慙愧【8】
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戻った御影を、別の里の者が数名、待ち構えていた。
ただならぬ雰囲気に、「由良、行け」とだけ告げて、御影は先に由良を戻らせた。
「どうした。何かあったのか」
御影の問いに、見覚えのある男が進み出た。どこぞの里長だろう。
「美那杜の者だ。数日前、豪雨で川が決壊し――里の南半分が、水浸しになった。作物は壊滅だ。低地で数名、逃げ遅れた子供が溺死した」
感情を無理に抑えたような、淡々とした声だった。
「……災難だな。わかった、人手が必要なら、何人か出そう。食料の都合も、可能な限りはつけてやるが……俺の一存では決められない。その話は明日の会合で、相談しよう」
く、と、うめきとも、くぐもった笑い声ともつかない声が、男の喉から漏れた。
「いい気なものだな。飛影の里長は、女連れで女のもとに通って、厚かましくも、この事態に悪びれた様子の一つも見せぬ……」
「――何が言いたい。頼ろうという時に、ケンカを売る気か? あんたの気持ちもわからないではないが、俺も、先の会合の件で苛立っている。――挑発はやめてもらおうか。話し合いにならなくなるぞ」
男はギラリと目を剥くと、感情を殺すのをやめた。
「貴様の力など、借りるものか! 裏切り者! このような豪雨、もう何十年もなかったものを……! これが呪羅の呪いでなくて何だ!? 呪いをかけた女を出せ! 調べはついている! 長い黒髪の、十七、八の巫女――名は霞月、貴様の女だ!!」
「……はっ!」
御影はわずかに口の端を引き上げると、残酷で妖艶な目をして男をせせら笑った。
ああ、そう、としか言いようのない冷たい怒り。
そんな気はしていたのだ。やはり、霞月が神を解放して回ったのか。
そんなことしなければ、古き神が地を滅ぼし、朱羅を守ったろうに。
愚かな女。
朱羅に仇なした、裏切った者たちなどが屠られるのを、見ていられなかった、女。
地に立った、古い神などが狂うのを、見ていられなかった、女。
その全てを踏みにじられながら、子らを守るために、必死な目をしてあがいていた。
その愚かしさがどんなに美しく、愛おしいか――目の前の者達は、知るまい。
「たった一人の女の力で、どんな呪いがかけられると思うんだ。たった一人の女が、数多ある里に呪いをかけて回ったと? いい加減にしろ! そこまでの力が呪羅にあったなら、俺達が勝てたものか! 戦時、幾人の巫女や神官が呪羅にいたと思うんだ。あいつらが、何十人もの贄を代価に、やっと呪いをかけていたのを忘れたか!!」
「なら、女は何をして回ったのだ! 神を払って回ったか!? 抜け抜けと、巫女でありながら偽りを申す口よ――その身でそなたを陥落させて、虚偽にまみれ……さすがは呪羅の名を冠した一族だ、穢れた巫女もいたものよ、女の言葉が真実だと言うなら、女を神に立てるがいい!! この手で、女の首切り裂いてやる!!」
カっと、頭に血が昇った。
考える前に抜刀していた。
「御影、やめろ!」
その身を羽交い絞めにされて、何事かとふり向いた。
「――兄上!? 止めるな、この男、斬り殺してやる!」
「頭を冷やせ! 美那杜の総意だ、そなた、美那杜の者全て、斬り殺して回る気か!」
「……くっ……」
由良が、呼んだのだ。
今はその由良さえ、憎かった。紫苑に抑えられたまま、御影はなお美那杜の長を睨み付けた。
「……ざけるな……。霞月が、命を捨ててまで守ろうとした呪羅を、滅ぼせと言ったのは誰だ! 用が済んだら滅ぼせ!? 誰がおまえ達などに、霞月を渡すものか!! 霞月は俺の妻に迎える、生贄が欲しいなら、他を当たるがいい!!」
男の顔が歪んだ。紫苑に抑えられた御影を、今度は男がせせら笑った。
「く……紫苑殿、弟君は気が触れておる。亡霊に、魂まで喰らわれたのだ! 弟君の始末、つけられぬようであれば飛影との戦も厭わぬ! どこぞの座敷牢に閉じ込め、死ぬまで出されるな!」
紫苑はしばらく、黙していた。
美那杜の長が、ぎょろりとした目を紫苑に向ける。
その間が、相手に聞かせるためのものであることを、御影は思い出していた。御影自身、それを思い出せる程度に、頭が冷えたのだ。
「御影の気は触れていない。あなた同様、怒りに我を忘れているだけだ。両名とも、頭を冷やされよ」
ただならぬ雰囲気に、「由良、行け」とだけ告げて、御影は先に由良を戻らせた。
「どうした。何かあったのか」
御影の問いに、見覚えのある男が進み出た。どこぞの里長だろう。
「美那杜の者だ。数日前、豪雨で川が決壊し――里の南半分が、水浸しになった。作物は壊滅だ。低地で数名、逃げ遅れた子供が溺死した」
感情を無理に抑えたような、淡々とした声だった。
「……災難だな。わかった、人手が必要なら、何人か出そう。食料の都合も、可能な限りはつけてやるが……俺の一存では決められない。その話は明日の会合で、相談しよう」
く、と、うめきとも、くぐもった笑い声ともつかない声が、男の喉から漏れた。
「いい気なものだな。飛影の里長は、女連れで女のもとに通って、厚かましくも、この事態に悪びれた様子の一つも見せぬ……」
「――何が言いたい。頼ろうという時に、ケンカを売る気か? あんたの気持ちもわからないではないが、俺も、先の会合の件で苛立っている。――挑発はやめてもらおうか。話し合いにならなくなるぞ」
男はギラリと目を剥くと、感情を殺すのをやめた。
「貴様の力など、借りるものか! 裏切り者! このような豪雨、もう何十年もなかったものを……! これが呪羅の呪いでなくて何だ!? 呪いをかけた女を出せ! 調べはついている! 長い黒髪の、十七、八の巫女――名は霞月、貴様の女だ!!」
「……はっ!」
御影はわずかに口の端を引き上げると、残酷で妖艶な目をして男をせせら笑った。
ああ、そう、としか言いようのない冷たい怒り。
そんな気はしていたのだ。やはり、霞月が神を解放して回ったのか。
そんなことしなければ、古き神が地を滅ぼし、朱羅を守ったろうに。
愚かな女。
朱羅に仇なした、裏切った者たちなどが屠られるのを、見ていられなかった、女。
地に立った、古い神などが狂うのを、見ていられなかった、女。
その全てを踏みにじられながら、子らを守るために、必死な目をしてあがいていた。
その愚かしさがどんなに美しく、愛おしいか――目の前の者達は、知るまい。
「たった一人の女の力で、どんな呪いがかけられると思うんだ。たった一人の女が、数多ある里に呪いをかけて回ったと? いい加減にしろ! そこまでの力が呪羅にあったなら、俺達が勝てたものか! 戦時、幾人の巫女や神官が呪羅にいたと思うんだ。あいつらが、何十人もの贄を代価に、やっと呪いをかけていたのを忘れたか!!」
「なら、女は何をして回ったのだ! 神を払って回ったか!? 抜け抜けと、巫女でありながら偽りを申す口よ――その身でそなたを陥落させて、虚偽にまみれ……さすがは呪羅の名を冠した一族だ、穢れた巫女もいたものよ、女の言葉が真実だと言うなら、女を神に立てるがいい!! この手で、女の首切り裂いてやる!!」
カっと、頭に血が昇った。
考える前に抜刀していた。
「御影、やめろ!」
その身を羽交い絞めにされて、何事かとふり向いた。
「――兄上!? 止めるな、この男、斬り殺してやる!」
「頭を冷やせ! 美那杜の総意だ、そなた、美那杜の者全て、斬り殺して回る気か!」
「……くっ……」
由良が、呼んだのだ。
今はその由良さえ、憎かった。紫苑に抑えられたまま、御影はなお美那杜の長を睨み付けた。
「……ざけるな……。霞月が、命を捨ててまで守ろうとした呪羅を、滅ぼせと言ったのは誰だ! 用が済んだら滅ぼせ!? 誰がおまえ達などに、霞月を渡すものか!! 霞月は俺の妻に迎える、生贄が欲しいなら、他を当たるがいい!!」
男の顔が歪んだ。紫苑に抑えられた御影を、今度は男がせせら笑った。
「く……紫苑殿、弟君は気が触れておる。亡霊に、魂まで喰らわれたのだ! 弟君の始末、つけられぬようであれば飛影との戦も厭わぬ! どこぞの座敷牢に閉じ込め、死ぬまで出されるな!」
紫苑はしばらく、黙していた。
美那杜の長が、ぎょろりとした目を紫苑に向ける。
その間が、相手に聞かせるためのものであることを、御影は思い出していた。御影自身、それを思い出せる程度に、頭が冷えたのだ。
「御影の気は触れていない。あなた同様、怒りに我を忘れているだけだ。両名とも、頭を冷やされよ」
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