霞月 ~魂盗り~

冴條玲

文字の大きさ
上 下
36 / 55
四 慙愧

四 慙愧【8】

しおりを挟む
 戻った御影を、別の里の者が数名、待ち構えていた。
 ただならぬ雰囲気に、「由良、行け」とだけ告げて、御影は先に由良を戻らせた。

「どうした。何かあったのか」

 御影の問いに、見覚えのある男が進み出た。どこぞの里長だろう。

美那杜みなとの者だ。数日前、豪雨で川が決壊し――里の南半分が、水浸しになった。作物は壊滅だ。低地で数名、逃げ遅れた子供が溺死した」

 感情を無理に抑えたような、淡々とした声だった。

「……災難だな。わかった、人手が必要なら、何人か出そう。食料の都合も、可能な限りはつけてやるが……俺の一存では決められない。その話は明日の会合で、相談しよう」

 く、と、うめきとも、くぐもった笑い声ともつかない声が、男の喉から漏れた。

「いい気なものだな。飛影の里長は、女連れで女のもとに通って、厚かましくも、この事態に悪びれた様子の一つも見せぬ……」
「――何が言いたい。頼ろうという時に、ケンカを売る気か? あんたの気持ちもわからないではないが、俺も、先の会合の件で苛立っている。――挑発はやめてもらおうか。話し合いにならなくなるぞ」

 男はギラリと目を剥くと、感情を殺すのをやめた。

「貴様の力など、借りるものか! 裏切り者! このような豪雨、もう何十年もなかったものを……! これが呪羅の呪いでなくて何だ!? 呪いをかけた女を出せ! 調べはついている! 長い黒髪の、十七、八の巫女――名は霞月、貴様の女だ!!」
「……はっ!」

 御影はわずかに口の端を引き上げると、残酷で妖艶な目をして男をせせら笑った。
 ああ、そう、としか言いようのない冷たい怒り。
 そんな気はしていたのだ。やはり、霞月が神を解放して回ったのか。
 そんなことしなければ、古き神が地を滅ぼし、朱羅を守ったろうに。
 愚かな女。
 朱羅に仇なした、裏切った者たちなどが屠られるのを、見ていられなかった、女。
 地に立った、古い神などが狂うのを、見ていられなかった、女。
 その全てを踏みにじられながら、子らを守るために、必死な目をしてあがいていた。
 その愚かしさがどんなに美しく、愛おしいか――目の前の者達は、知るまい。

「たった一人の女の力で、どんな呪いがかけられると思うんだ。たった一人の女が、数多ある里に呪いをかけて回ったと? いい加減にしろ! そこまでの力が呪羅にあったなら、俺達が勝てたものか! 戦時、幾人の巫女や神官が呪羅にいたと思うんだ。あいつらが、何十人もの贄を代価に、やっと呪いをかけていたのを忘れたか!!」
「なら、女は何をして回ったのだ! 神を払って回ったか!? 抜け抜けと、巫女でありながら偽りを申す口よ――その身でそなたを陥落させて、虚偽にまみれ……さすがは呪羅の名を冠した一族だ、穢れた巫女もいたものよ、女の言葉が真実だと言うなら、女を神に立てるがいい!! この手で、女の首切り裂いてやる!!」

 カっと、頭に血が昇った。
 考える前に抜刀していた。

「御影、やめろ!」

 その身を羽交い絞めにされて、何事かとふり向いた。

「――兄上!? 止めるな、この男、斬り殺してやる!」
「頭を冷やせ! 美那杜の総意だ、そなた、美那杜の者全て、斬り殺して回る気か!」
「……くっ……」

 由良が、呼んだのだ。
 今はその由良さえ、憎かった。紫苑に抑えられたまま、御影はなお美那杜の長を睨み付けた。

「……ざけるな……。霞月が、命を捨ててまで守ろうとした呪羅を、滅ぼせと言ったのは誰だ! 用が済んだら滅ぼせ!? 誰がおまえ達などに、霞月を渡すものか!! 霞月は俺の妻に迎える、生贄が欲しいなら、他を当たるがいい!!」

 男の顔が歪んだ。紫苑に抑えられた御影を、今度は男がせせら笑った。

「く……紫苑殿、弟君は気が触れておる。亡霊に、魂まで喰らわれたのだ! 弟君の始末、つけられぬようであれば飛影との戦も厭わぬ! どこぞの座敷牢に閉じ込め、死ぬまで出されるな!」

 紫苑はしばらく、黙していた。
 美那杜の長が、ぎょろりとした目を紫苑に向ける。
 その間が、相手に聞かせるためのものであることを、御影は思い出していた。御影自身、それを思い出せる程度に、頭が冷えたのだ。 

「御影の気は触れていない。あなた同様、怒りに我を忘れているだけだ。両名とも、頭を冷やされよ」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

選ばれたのは美人の親友

杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

王女の朝の身支度

sleepingangel02
恋愛
政略結婚で愛のない夫婦。夫の国王は,何人もの側室がいて,王女はないがしろ。それどころか,王女担当まで用意する始末。さて,その行方は?

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

ある辺境伯の後悔

だましだまし
恋愛
妻セディナを愛する辺境伯ルブラン・レイナーラ。 父親似だが目元が妻によく似た長女と 目元は自分譲りだが母親似の長男。 愛する妻と妻の容姿を受け継いだ可愛い子供たちに囲まれ彼は誰よりも幸せだと思っていた。 愛しい妻が次女を産んで亡くなるまでは…。

不倫をしている私ですが、妻を愛しています。

ふまさ
恋愛
「──それをあなたが言うの?」

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

処理中です...