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弐 一つ目の夜
第19話 見てはいけなかったもの
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その翌日。
由良はぼんやりと、迦陵が使っている控えの間へと向かっていた。
どうしてだろう。
由良のことなど何とも思っていないと知っているのに、彼が愛しているのは迦陵なのだとわかっているのに、紫苑に心奪われている。
胸が苦しくて――
忘れようと懸命に、逃げることだけ考えようとしていたのに。
あの人の腕の中は、どうしてあんなに安心するのだろう。どうしてあんなになくしがたいのだろう。
苦しい由良は、とぼとぼとやたら静かに歩いていた上、声をかけるのを忘れて迦陵の部屋のふすまを開けた。
……え?
迦陵、だ。
衣が迦陵のものだし、ここは迦陵の部屋だし。
「……迦陵様、髪、切られたのですか……?」
由良の声に、ぎょっとした様子で化粧をしていた迦陵がふり向く。
え?
迦陵じゃない――?
部屋を間違えたか、別人が迦陵の化粧台を使っているかと思ったけれど、どこかで、これは迦陵だと感じた。
次には、見てはいけないものを見た気がした。
次には――
迦陵があわてて駆け寄ってきて、由良を部屋の中に引き込み、ぱしんとふすまを閉めた。
「か……み、御影様……!?」
「あら~」
引きつった笑顔を浮かべて迦陵――もとい、御影が言う。
「いやですわ、由良様ったら、どうして声をかけずに入って来るかしら!?」
「そ、そんなことより御影様、どういうことなのですか! こんな……」
御影は再び化粧道具に手をかけ、アザをどうにかごまかすべく、ぱたぱたと化粧をしながら答えた。
「もう、どっちだっていいじゃありませんの。迦陵でも御影でも、大差ありませんわ~」
「ありますっ!!」
あらどこに、と、かつらをつけながら御影が言う。
「だ、だって御影様、由良の着替えとか、沐浴の手伝いとか、なさったじゃありませんか!!」
顔を真っ赤にして言う由良に、御影のどこかあきれた視線が向けられた。
「由良様の小さな胸なんて、どうでもいいですわ。女性には不自由しておりませんもの。……って言うか、由良様、それが肝心なことですの?」
あまりの言いように、由良は抗議しかけて沈黙した。もっと肝心なこと――?
「み、御影様、紫苑様とこ、こ、恋……!?」
すっかり女装を終えた御影が由良に向き直り、にこりと微笑みかける。
「由良様、もし紫苑様にこのこと告げ口なさったら……」
え、と。
由良はいきなり、御影に壁際に追い詰められた。
首筋に、鋭利な刃物が押し当てられる。
「……殺すから」
囁いた声は御影のものだった。低い、本物の殺気をはらんだ冷酷な声。
解放されると、由良はへなへなとへたり込んだ。
こわい。
御影はこわい。
紫苑の弟とも思われないほど感情的で――残酷だ。
その上頭がいい。
具体的にどう、というわけではない。ただ、あっさり魂盗りの本質を見抜いたことも、御影と迦陵という全く別の人間としてそつなく二重生活をこなしていることも、尋常ではないと思う。
「し、紫苑様は……紫苑様は、ご存知ないのですか……?」
当たり前でしょう、と御影が笑う。
もう、その声は迦陵のものになっていた。
裏声なのか、御影のものとは全く違う高い声。どうやって出しているんだろう?
「いやですわ、由良様。紫苑様に知られたら、殺されるに決まっているじゃありませんの☆ 迦陵も腕には多少、覚えがございますけど? 紫苑様にだけは、およそかなう気がしませんわ~☆」
ころころと笑いながらそんなことを言う。
由良はぼんやりと、迦陵が使っている控えの間へと向かっていた。
どうしてだろう。
由良のことなど何とも思っていないと知っているのに、彼が愛しているのは迦陵なのだとわかっているのに、紫苑に心奪われている。
胸が苦しくて――
忘れようと懸命に、逃げることだけ考えようとしていたのに。
あの人の腕の中は、どうしてあんなに安心するのだろう。どうしてあんなになくしがたいのだろう。
苦しい由良は、とぼとぼとやたら静かに歩いていた上、声をかけるのを忘れて迦陵の部屋のふすまを開けた。
……え?
迦陵、だ。
衣が迦陵のものだし、ここは迦陵の部屋だし。
「……迦陵様、髪、切られたのですか……?」
由良の声に、ぎょっとした様子で化粧をしていた迦陵がふり向く。
え?
迦陵じゃない――?
部屋を間違えたか、別人が迦陵の化粧台を使っているかと思ったけれど、どこかで、これは迦陵だと感じた。
次には、見てはいけないものを見た気がした。
次には――
迦陵があわてて駆け寄ってきて、由良を部屋の中に引き込み、ぱしんとふすまを閉めた。
「か……み、御影様……!?」
「あら~」
引きつった笑顔を浮かべて迦陵――もとい、御影が言う。
「いやですわ、由良様ったら、どうして声をかけずに入って来るかしら!?」
「そ、そんなことより御影様、どういうことなのですか! こんな……」
御影は再び化粧道具に手をかけ、アザをどうにかごまかすべく、ぱたぱたと化粧をしながら答えた。
「もう、どっちだっていいじゃありませんの。迦陵でも御影でも、大差ありませんわ~」
「ありますっ!!」
あらどこに、と、かつらをつけながら御影が言う。
「だ、だって御影様、由良の着替えとか、沐浴の手伝いとか、なさったじゃありませんか!!」
顔を真っ赤にして言う由良に、御影のどこかあきれた視線が向けられた。
「由良様の小さな胸なんて、どうでもいいですわ。女性には不自由しておりませんもの。……って言うか、由良様、それが肝心なことですの?」
あまりの言いように、由良は抗議しかけて沈黙した。もっと肝心なこと――?
「み、御影様、紫苑様とこ、こ、恋……!?」
すっかり女装を終えた御影が由良に向き直り、にこりと微笑みかける。
「由良様、もし紫苑様にこのこと告げ口なさったら……」
え、と。
由良はいきなり、御影に壁際に追い詰められた。
首筋に、鋭利な刃物が押し当てられる。
「……殺すから」
囁いた声は御影のものだった。低い、本物の殺気をはらんだ冷酷な声。
解放されると、由良はへなへなとへたり込んだ。
こわい。
御影はこわい。
紫苑の弟とも思われないほど感情的で――残酷だ。
その上頭がいい。
具体的にどう、というわけではない。ただ、あっさり魂盗りの本質を見抜いたことも、御影と迦陵という全く別の人間としてそつなく二重生活をこなしていることも、尋常ではないと思う。
「し、紫苑様は……紫苑様は、ご存知ないのですか……?」
当たり前でしょう、と御影が笑う。
もう、その声は迦陵のものになっていた。
裏声なのか、御影のものとは全く違う高い声。どうやって出しているんだろう?
「いやですわ、由良様。紫苑様に知られたら、殺されるに決まっているじゃありませんの☆ 迦陵も腕には多少、覚えがございますけど? 紫苑様にだけは、およそかなう気がしませんわ~☆」
ころころと笑いながらそんなことを言う。
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