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弐 一つ目の夜
第13話 新月の夜
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「え……」
誰かいる、と感じた途端、由良は一気に目を覚ました。
どきりとして、心臓が止まるかと思った。
「し、紫苑さ……」
由良は小さく悲鳴を上げて、あわてて夜着の前をかき寄せ、紫苑から逃れようとした。
その腕をつかまれる。
「いやあっ」
こんな、あられもない格好で――!!
「騒ぐな、皆寝ている」
紫苑が言った。
「だ、だって、今宵は何もしないとおっしゃられたではありませんか!」
泣きそうになりながら、由良は精一杯抗議した。
ばかだ。どうして鵜呑みにした? 延期すると言われたら、まるで疑おうともせずに――
簡単に信じてしまった。
「……迦陵から聞いていないのか?」
聞いていない。
延期するのはやめにしたなど、聞いていない。
ひどい。知っていて置き去りに――!?
由良はそこまで考えて、ああ、自分はなんて馬鹿なんだろうと思った。迦陵なら、そうするに決まっていたのに。
迦陵は由良の味方である前に、飛影の者だ。紫苑を長とする者だ。
紫苑の滑らかな指が、赤みの差した彼女の頬をすっと取った。
由良はびくりと震えた。
「……私に抱かれるのは、いやか」
淡々と紫苑が問いかけ、その指をわずかに動かす。
由良はきゅっと目を閉じた。
いやかなんてわからない。頭はまるで働かない。
ただ怖くて。身がカタカタ震えた。まるで動けなかった。身動きしたらその瞬間、何かが動き出してしまいそうで――
取り返しのつかないことになりそうで。
紫苑の指はいつしか、由良の頭部を完全に捕らえていた。
由良がはっと気付いた時には遅い。
逃れようもなく、由良は紫苑に唇を奪われていた。
「――!」
由良が夢中で抵抗すると、紫苑はその抵抗ごと彼女を抱きすくめ、今度はその首筋に触れてきた。
紫苑の舌が彼女の鎖骨辺りから首筋へと這い、続けてそこを吸い上げる。
「や……! ああっ……!」
泣きながら由良が抵抗すると、紫苑は沈黙の後、ふっと由良を離した。
「う……う……」
この館内、由良に逃げ場はない。どうしようもなくて、由良はただ身を縮こませ、泣いた。
そんな彼女の様子に、紫苑はじっと何か考え込んでいた。
痛々しげだ。
やがて、彼は静かにその目を閉じた。
「……少し、頭を冷やして来る」
わずかに言い残し、紫苑は部屋を出て行った。
夜を渡る風が心地良い。
紫苑はじっと、中庭を見ていた。
新月だ、月明かりはない。
かがり火がところどころで揺れていた。
紫苑が半時ほどで部屋に戻ると、由良が悲愴な顔で短刀を構えて待っていた。
その瞳には、哀れなほどの混乱と恐怖が見て取れる。
「……もう、何もしない」
紫苑は静かにふすまを閉めると、由良から離れた位置の部屋の隅に腰を落とした。
「今宵は新月――間違いがないよう、そなたを守りにきただけだ」
由良は答えず、ただ紫苑を見ていた。
紫苑も束の間彼女を見たが、それだけだった。刀を抱いて目を閉じる。
それきり静かになった。
どれだけ、時が経った頃か。
部屋の逆隅からじっと紫苑を見ていた由良は、ふと自分の手が、紫の布を握っているのに気付いた。
え――?
彼女が身に付けていた物ではない。
大きいし。
……紫苑が、かけてくれた……?
動揺したように、にわかに胸の鼓動が速まった。
何かする気だったなら、わざわざ着せただろうか。
本当に……何もしない……?
そんなことを考えながら、由良は同時に頬を染めていた。
気付かなかったとはいえ、ずっと彼の上着を握り締めていたことに、それに守られてさえいたことに、何やら気恥ずかしさを覚えたのだ。
ある程度頭が動いてくると、ふと寒さを感じた。くしゃんとくしゃみした。
「――由良、床で寝ろ」
目を閉じたまま、紫苑が言った。
起きている!
由良はまた、身をカタカタ震わせ始めた。
怖い。まともには、何も考えられない。
叫び出しそうになるのを抑えるだけで、彼女には精一杯だった。
由良が動かないのを知ると、紫苑は小さく息をついて立ち上がった。
「私が部屋の外に出れば、床に入れるな? 何かあったら呼べ。すぐそこにいる」
「え……」
由良は驚いて紫苑を見た。外はここより、もっと寒い。
だいたいが、上着を彼女に与えていた以上、今までだって――
「あの」
由良はかろうじて、消え入りそうに小さな声で呼び止めた。
「お部屋には、戻られないのですか……?」
「――間違いがあっては困る。……今宵はそなたを一人にしたくない」
そう言った後、紫苑は独り言のように、「迦陵にその旨伝えておいたのだが」と付け加えた。
由良は震える胸をぐっと押さえ、苦しい息の中で問いかけた。
「ほ、本当に……本当に何も……?」
「……ああ」
紫苑が短く答える。
由良は上着を強く握り締めると、覚悟を決めて床へと歩いた。
部屋の逆隅よりは、どうしても紫苑に近くなるので、一歩踏み出すごとに恐怖が増した。
どうにか床までたどり着き、腰を落とすと、由良は恐る恐る上着を脱いで、紫苑に差し出した。
紫苑がやや驚いた顔をする。
「ここに……いて下さって構いません……。この寒いのに外に出られては、お風邪を召されます……」
紫苑は黙って上着を受け取ると、「そうか」とだけ答えた。
由良は急いで、頭まで床にもぐった。
しばらくして、ちらりと紫苑の様子をのぞき見る。
彼は上着をかけて、元の姿勢で目を閉じていた。と、視線に気付いたものか、ふっと目を開けた。
「どうした……?」
由良はあわてて布団に隠れた。
誰かいる、と感じた途端、由良は一気に目を覚ました。
どきりとして、心臓が止まるかと思った。
「し、紫苑さ……」
由良は小さく悲鳴を上げて、あわてて夜着の前をかき寄せ、紫苑から逃れようとした。
その腕をつかまれる。
「いやあっ」
こんな、あられもない格好で――!!
「騒ぐな、皆寝ている」
紫苑が言った。
「だ、だって、今宵は何もしないとおっしゃられたではありませんか!」
泣きそうになりながら、由良は精一杯抗議した。
ばかだ。どうして鵜呑みにした? 延期すると言われたら、まるで疑おうともせずに――
簡単に信じてしまった。
「……迦陵から聞いていないのか?」
聞いていない。
延期するのはやめにしたなど、聞いていない。
ひどい。知っていて置き去りに――!?
由良はそこまで考えて、ああ、自分はなんて馬鹿なんだろうと思った。迦陵なら、そうするに決まっていたのに。
迦陵は由良の味方である前に、飛影の者だ。紫苑を長とする者だ。
紫苑の滑らかな指が、赤みの差した彼女の頬をすっと取った。
由良はびくりと震えた。
「……私に抱かれるのは、いやか」
淡々と紫苑が問いかけ、その指をわずかに動かす。
由良はきゅっと目を閉じた。
いやかなんてわからない。頭はまるで働かない。
ただ怖くて。身がカタカタ震えた。まるで動けなかった。身動きしたらその瞬間、何かが動き出してしまいそうで――
取り返しのつかないことになりそうで。
紫苑の指はいつしか、由良の頭部を完全に捕らえていた。
由良がはっと気付いた時には遅い。
逃れようもなく、由良は紫苑に唇を奪われていた。
「――!」
由良が夢中で抵抗すると、紫苑はその抵抗ごと彼女を抱きすくめ、今度はその首筋に触れてきた。
紫苑の舌が彼女の鎖骨辺りから首筋へと這い、続けてそこを吸い上げる。
「や……! ああっ……!」
泣きながら由良が抵抗すると、紫苑は沈黙の後、ふっと由良を離した。
「う……う……」
この館内、由良に逃げ場はない。どうしようもなくて、由良はただ身を縮こませ、泣いた。
そんな彼女の様子に、紫苑はじっと何か考え込んでいた。
痛々しげだ。
やがて、彼は静かにその目を閉じた。
「……少し、頭を冷やして来る」
わずかに言い残し、紫苑は部屋を出て行った。
夜を渡る風が心地良い。
紫苑はじっと、中庭を見ていた。
新月だ、月明かりはない。
かがり火がところどころで揺れていた。
紫苑が半時ほどで部屋に戻ると、由良が悲愴な顔で短刀を構えて待っていた。
その瞳には、哀れなほどの混乱と恐怖が見て取れる。
「……もう、何もしない」
紫苑は静かにふすまを閉めると、由良から離れた位置の部屋の隅に腰を落とした。
「今宵は新月――間違いがないよう、そなたを守りにきただけだ」
由良は答えず、ただ紫苑を見ていた。
紫苑も束の間彼女を見たが、それだけだった。刀を抱いて目を閉じる。
それきり静かになった。
どれだけ、時が経った頃か。
部屋の逆隅からじっと紫苑を見ていた由良は、ふと自分の手が、紫の布を握っているのに気付いた。
え――?
彼女が身に付けていた物ではない。
大きいし。
……紫苑が、かけてくれた……?
動揺したように、にわかに胸の鼓動が速まった。
何かする気だったなら、わざわざ着せただろうか。
本当に……何もしない……?
そんなことを考えながら、由良は同時に頬を染めていた。
気付かなかったとはいえ、ずっと彼の上着を握り締めていたことに、それに守られてさえいたことに、何やら気恥ずかしさを覚えたのだ。
ある程度頭が動いてくると、ふと寒さを感じた。くしゃんとくしゃみした。
「――由良、床で寝ろ」
目を閉じたまま、紫苑が言った。
起きている!
由良はまた、身をカタカタ震わせ始めた。
怖い。まともには、何も考えられない。
叫び出しそうになるのを抑えるだけで、彼女には精一杯だった。
由良が動かないのを知ると、紫苑は小さく息をついて立ち上がった。
「私が部屋の外に出れば、床に入れるな? 何かあったら呼べ。すぐそこにいる」
「え……」
由良は驚いて紫苑を見た。外はここより、もっと寒い。
だいたいが、上着を彼女に与えていた以上、今までだって――
「あの」
由良はかろうじて、消え入りそうに小さな声で呼び止めた。
「お部屋には、戻られないのですか……?」
「――間違いがあっては困る。……今宵はそなたを一人にしたくない」
そう言った後、紫苑は独り言のように、「迦陵にその旨伝えておいたのだが」と付け加えた。
由良は震える胸をぐっと押さえ、苦しい息の中で問いかけた。
「ほ、本当に……本当に何も……?」
「……ああ」
紫苑が短く答える。
由良は上着を強く握り締めると、覚悟を決めて床へと歩いた。
部屋の逆隅よりは、どうしても紫苑に近くなるので、一歩踏み出すごとに恐怖が増した。
どうにか床までたどり着き、腰を落とすと、由良は恐る恐る上着を脱いで、紫苑に差し出した。
紫苑がやや驚いた顔をする。
「ここに……いて下さって構いません……。この寒いのに外に出られては、お風邪を召されます……」
紫苑は黙って上着を受け取ると、「そうか」とだけ答えた。
由良は急いで、頭まで床にもぐった。
しばらくして、ちらりと紫苑の様子をのぞき見る。
彼は上着をかけて、元の姿勢で目を閉じていた。と、視線に気付いたものか、ふっと目を開けた。
「どうした……?」
由良はあわてて布団に隠れた。
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