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壱 魂留離
第6話 迦陵の願い
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――美しいから見たくない?
ええと、それは……。
意味を考えようとすると、それだけで気持ちが動揺した。由良が茫然と紫苑の去った方を見ていると、迦陵が不思議そうに声をかけてきた。
「由良様……?」
「あ……ええと……」
迦陵を人見知りして、由良は少々怖がりながら振り向いた。そして、驚いた。
紫苑がいなくなった途端、つい先ほどまで凛として、近寄りがたい美女の風情を漂わせていた迦陵が、ごく当たり前の少女の顔になっていた。
張り詰めていた緊張の糸が緩んだようだ。
同族の娘にとっても、紫苑は恐ろしい長なのだろうか。
迦陵はにっこり笑うと、その大きな瞳をきらきらさせながら、由良に言った。
「由良様! 由良様はもう、紫苑様の許婚――お館内で最も尊い女性です。この上は、この迦陵にできることなら何でもいたしますから、心ゆくまで魅惑の乙女盛りを謳歌なさって下さいね!!」
……。
魅惑の乙女盛り?
由良が何も言えずにいると、
「迦陵はお美しいあなた様のしもべ、『犬』と呼んで下さって構いません!」
迦陵が続けて言った。
「あの……。か、迦陵様?」
由良の途惑いがちな声を、どう取ったのか。
「あら、由良様。迦陵ったら気が利きませんわ。下僕は若く美しい殿方の方がよろしいかしら。もしもお望みでしたら、迦陵が紫苑様の弟君、花もあざむく美少年と噂に高い、御影様を手配いたしますわ。紫苑様の次に素敵な方ですのよ♪」
「いえ、いえあの、迦陵様で……いいです……」
由良は何だか翻弄されて、他に答えようもなく、そう言った。
御影というのは、多分昨日、由良を侮った少年だ。いくら美少年でも、関わり合いにはなりたくない。
ふいに、迦陵がきゅっと由良の手を取った。
両手で由良の両手を包み、真っ直ぐ由良を見る。
迦陵があんまり綺麗で、しかも澄み切った瞳で見つめるものだから、由良はどきどきしてしまった。
「ですから由良様、どうか、約束の満月の夜には――紫苑様のお命を取ったりしないで下さいね? 迦陵からの、たった一つのお願いです。それだけ約束して下さるなら、迦陵はたとえ火の中水の中、由良様のおためならば何でもいたします!」
「……!」
由良は純粋な痛みに目を見張り、迦陵を見た。
この少女は全て知っているのだ。
全て知っていながら、笑って彼女に言うのだ。死ねと――
……。
違う。
そんなことは言っていない。
由良は自分自身の弱さを知った。
真実はもっと、認めたくない、胸に痛いもの。だから……。
「迦陵様は……紫苑様がお好きなのですね……」
少女の瞳に、ほんの一瞬途惑うような光が揺れた。
しかし、すぐに迦陵は屈託のない笑顔で言った。
「ええ!」
ふいに、由良の頬を涙が伝った。
「――由良様……?」
由良はあわてて涙を隠し、迦陵に背を向けた。
彼女は、彼女は不本意でも紫苑のもとから逃れる努力を、離れる努力をしなければ、ならないのに――
「由良様……」
迦陵は小さく笑うと、由良の頭にぽんぽん、と優しく触れた。
「由良様、由良様も紫苑様がお好きなのですね」
「え……」
由良は何を言われたのかと迦陵を見、それからさっと頬を赤くした。
「ち、違います! そんなこと……!」
迦陵はくすくす笑った。
「だって由良様、お顔に書いてあります」
「か、書いてなんて、書いてなんて、あああありません!」
うろたえる由良に、迦陵はますますおかしそうな顔で笑った。けれど、その笑顔は優しい。
「意地を張る必要はありませんわ。迦陵は確かに紫苑様をお慕いしておりますけれど、紫苑様にご恩返しがしたいだけですの。ですから、由良様の恋敵にはなりません。いえ、それどころか……」
迦陵はぐっとこぶしを握ると、自分に酔うように、あさっての方の天井を見やった。
「この迦陵、必ずやお二方のため、夢のときめき新婚生活を……! ラブラブボンバーなご関係をお膳立てしますわ! 大丈夫、由良様に迦陵がつけば、まさに鬼に金棒。紫苑様なんて簡単に落ちます!!」
「お、おち……?」
けほけほと、由良はむせた。
「お……落ちて下さられても困ります!」
「あら?」
迦陵は罪のない笑顔で由良を見て、目をぱちくりした。
「あらいけない。お役目を忘れるところでしたわ」
お役目と聞き、由良は少々身構えた。何をされるのかと。
迦陵は慣れた仕種で由良の髪を取ると、そこに漆塗りの赤い櫛をあてた。
「御髪を梳きましょうね、由良様。迦陵にできることは、たくさんはございませんけれど……。由良様をびっくりするくらい、綺麗にして差し上げられますわ」
え、と。由良は思わず迦陵の顔を見た。
「でも……でもあの、綺麗にしてどうするんですか……?」
その問いに、迦陵はきょとんと由良を見て、それからころころ笑った。
「もちろん、表に出るんですわ。由良様、ここに監禁されて過ごすおつもりでしたの?」
つもりというか、まさにそれしか許されないと思っていた由良は、驚いた。
ええと、それは……。
意味を考えようとすると、それだけで気持ちが動揺した。由良が茫然と紫苑の去った方を見ていると、迦陵が不思議そうに声をかけてきた。
「由良様……?」
「あ……ええと……」
迦陵を人見知りして、由良は少々怖がりながら振り向いた。そして、驚いた。
紫苑がいなくなった途端、つい先ほどまで凛として、近寄りがたい美女の風情を漂わせていた迦陵が、ごく当たり前の少女の顔になっていた。
張り詰めていた緊張の糸が緩んだようだ。
同族の娘にとっても、紫苑は恐ろしい長なのだろうか。
迦陵はにっこり笑うと、その大きな瞳をきらきらさせながら、由良に言った。
「由良様! 由良様はもう、紫苑様の許婚――お館内で最も尊い女性です。この上は、この迦陵にできることなら何でもいたしますから、心ゆくまで魅惑の乙女盛りを謳歌なさって下さいね!!」
……。
魅惑の乙女盛り?
由良が何も言えずにいると、
「迦陵はお美しいあなた様のしもべ、『犬』と呼んで下さって構いません!」
迦陵が続けて言った。
「あの……。か、迦陵様?」
由良の途惑いがちな声を、どう取ったのか。
「あら、由良様。迦陵ったら気が利きませんわ。下僕は若く美しい殿方の方がよろしいかしら。もしもお望みでしたら、迦陵が紫苑様の弟君、花もあざむく美少年と噂に高い、御影様を手配いたしますわ。紫苑様の次に素敵な方ですのよ♪」
「いえ、いえあの、迦陵様で……いいです……」
由良は何だか翻弄されて、他に答えようもなく、そう言った。
御影というのは、多分昨日、由良を侮った少年だ。いくら美少年でも、関わり合いにはなりたくない。
ふいに、迦陵がきゅっと由良の手を取った。
両手で由良の両手を包み、真っ直ぐ由良を見る。
迦陵があんまり綺麗で、しかも澄み切った瞳で見つめるものだから、由良はどきどきしてしまった。
「ですから由良様、どうか、約束の満月の夜には――紫苑様のお命を取ったりしないで下さいね? 迦陵からの、たった一つのお願いです。それだけ約束して下さるなら、迦陵はたとえ火の中水の中、由良様のおためならば何でもいたします!」
「……!」
由良は純粋な痛みに目を見張り、迦陵を見た。
この少女は全て知っているのだ。
全て知っていながら、笑って彼女に言うのだ。死ねと――
……。
違う。
そんなことは言っていない。
由良は自分自身の弱さを知った。
真実はもっと、認めたくない、胸に痛いもの。だから……。
「迦陵様は……紫苑様がお好きなのですね……」
少女の瞳に、ほんの一瞬途惑うような光が揺れた。
しかし、すぐに迦陵は屈託のない笑顔で言った。
「ええ!」
ふいに、由良の頬を涙が伝った。
「――由良様……?」
由良はあわてて涙を隠し、迦陵に背を向けた。
彼女は、彼女は不本意でも紫苑のもとから逃れる努力を、離れる努力をしなければ、ならないのに――
「由良様……」
迦陵は小さく笑うと、由良の頭にぽんぽん、と優しく触れた。
「由良様、由良様も紫苑様がお好きなのですね」
「え……」
由良は何を言われたのかと迦陵を見、それからさっと頬を赤くした。
「ち、違います! そんなこと……!」
迦陵はくすくす笑った。
「だって由良様、お顔に書いてあります」
「か、書いてなんて、書いてなんて、あああありません!」
うろたえる由良に、迦陵はますますおかしそうな顔で笑った。けれど、その笑顔は優しい。
「意地を張る必要はありませんわ。迦陵は確かに紫苑様をお慕いしておりますけれど、紫苑様にご恩返しがしたいだけですの。ですから、由良様の恋敵にはなりません。いえ、それどころか……」
迦陵はぐっとこぶしを握ると、自分に酔うように、あさっての方の天井を見やった。
「この迦陵、必ずやお二方のため、夢のときめき新婚生活を……! ラブラブボンバーなご関係をお膳立てしますわ! 大丈夫、由良様に迦陵がつけば、まさに鬼に金棒。紫苑様なんて簡単に落ちます!!」
「お、おち……?」
けほけほと、由良はむせた。
「お……落ちて下さられても困ります!」
「あら?」
迦陵は罪のない笑顔で由良を見て、目をぱちくりした。
「あらいけない。お役目を忘れるところでしたわ」
お役目と聞き、由良は少々身構えた。何をされるのかと。
迦陵は慣れた仕種で由良の髪を取ると、そこに漆塗りの赤い櫛をあてた。
「御髪を梳きましょうね、由良様。迦陵にできることは、たくさんはございませんけれど……。由良様をびっくりするくらい、綺麗にして差し上げられますわ」
え、と。由良は思わず迦陵の顔を見た。
「でも……でもあの、綺麗にしてどうするんですか……?」
その問いに、迦陵はきょとんと由良を見て、それからころころ笑った。
「もちろん、表に出るんですわ。由良様、ここに監禁されて過ごすおつもりでしたの?」
つもりというか、まさにそれしか許されないと思っていた由良は、驚いた。
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