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最終章
29、最後の戦い
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体に感じた熱は一瞬だった。
わずかな痛みと共に、地面に転がったリカルドは、ぐるりと回転して起き上がった。
体についた火の粉を叩いて、服が燃えるのを防いだ。
大丈夫だ。
手も足も動く。
向こうは風下だったので、もっと燃えているように見えたが、火の勢いは見た目だけで、火の壁をくぐってしまえば、影響は少なかった。
「大丈夫です! こちらにはほとんど延焼はありません!」
リカルドは大きな声を上げて、自分が無事であることを伝えた。
すぐにルーセント達はきてくれるだろうと思ったが、リカルドは素早く目線を前方に向けた。
少し離れたところに馬車が見えた。
ドアは開け放たれていて、近くで人が揉み合って戦っている様子が見えた。
間に合った、まだ生きている。
そう直感したリカルドは地面を蹴って走り出した。
走りながら剣を抜いて、鞘を落とした。
ハァハァと自分の息遣いの音が頭に響いたが、徐々に見えてきた光景に、心臓が止まりそうになった。
人が折り重なるように地面に倒れていた。
立っているのは、皇宮騎士団長と、もう一人、皇宮騎士の格好をした男、そしてベイリーの騎士が一名だった。
ユリウスは馬車に背をもたれて座っているが、深手を負ったのか、動くことができない状態に見えた。
怪我を負っているとはいえ、さすがソードマスターだ。
おそらく、地面に転がっている敵を倒したのは、ユリウスだろう。
かなり健闘したようだが、それももう限界のようだった。
「うゔっぁぁ!!」
走ってきたリカルドが、ユリウスの近くまで来たのと、ベイリーの騎士が、皇宮騎士団長に剣で胸を貫かれたのは同時だった。
ベイリーの騎士が地面に崩れ落ちたところで、剣を構えたリカルドがユリウスの前に飛び込んだ。
「ユリウス様! ご無事ですか? 助けに来ました」
「うっ……か……ルド……なぜ、ここに……?」
ゴホゴホとむせて苦しそうにしているユリウスは、左肩の辺りをザックリと切られて血が出ていた。
「お前……どこから!? セイブリアンの侍従をしていた男だな。使用人の分際で剣を持って助けに入るなど、我々を舐めているのか?」
「おいおい……、嘘だろ。お前……、生きていたのか?」
皇宮騎士団長がリカルドを見て鼻で笑った時、その後ろにいた騎士が驚いたような声を上げた。
聞き覚えのある声に、リカルドはやはりとすぐに誰だか分かってしまった。
「お久しぶりですね、ミケーレ団長」
ガチャっと音を鳴らして、男が兜を取り外すと、出てきた顔は、間違いなく、あの砦で別れたミケーレだった。
「あそこで命乞いをして、帝国人に使われているのか」
「ミケーレ、知り合いか?」
「前に部下だったやつです。使えないので、戦場に捨て置いたのですが、卑しく生き延びたようですね」
「くだらん、どうでもいい話だ。セイブリアンが戻ってくるとマズい。早くユリウスを仕留めて、あの方の元へ戻らねば! おいお前邪魔だ! そこを退け!」
ユリウスが思っていたより抵抗したために、時間を取られて焦っている様子だった。
怪我が完治していないから、楽に殺せると思っていたのかもしれない。
動けない状態のユリウスにトドメを刺そうと、皇宮騎士団長は、じりじりと迫ってきた。
リカルドはユリウスの前に立って剣を構えて、一歩も引かない覚悟で睨みつけた。
「……リカルド、退くんだ」
「ユリウス様!」
「こんなところでお前を死なせたら、リアンに合わせる顔がない。伝えてくれ……あとは頼むと……」
ユリウスは気力を振り絞って、リカルドの足に掴まり、逃げろと促してきた。
相手は皇宮騎士団一の剣豪と謳われた男だ。
一太刀くらわせるだけでも、精一杯かもしれない。
それでも、ユリウスをこのまま、差し出すことなんてできなかった。
「…………退きません」
「リカルド……」
「俺は……ベイリーの騎士、セイブリアン様の専属騎士です! セイブリアン様が守りたいものを守り抜く、責任があります! 逃げない……絶対に逃げたりなんかしない!!」
ぎりぎりと足に力を入れたリカルドは、いっそう強く、皇宮騎士団長を睨みつけて歯を食いしばり、鼻から息を吐いた。
長身の皇宮騎士団長がすぐ近くまで来た時、待て! と声が響いた。
「よくやった、リカルド。だが、その男の相手は私だ」
「副団長!」
強く風が吹いて、落ち葉を巻き上げたその先から現れたのは、ルーセントだった。
彼のお気に入りの制服は、所々焦げていて、顔は黒く汚れていたが、いつもの堂々とした歩き方が、一段とカッコよく見えてしまった。
ルーセントの後ろに、アルジェンや他の騎士達の姿が見えた。
みんな汚れて真っ黒になっているが、後を追って来てくれたのだと思ったら、リカルドは嬉しくなった。
「クソッ! こんなに早く、戻ってくるとは……」
「足止めにしては大したことはありませんでしたね。ラノック卿、あなたのような実力者が、このような大罪を犯すとは残念です。残った戦力はお二人だけ、潔く剣を下ろしてください」
「はっ、ふざけるな……ここまで来て戻れるか! ベイリーの田舎騎士共め! 覚悟しろ!」
皇宮騎士団長ラノックが剣を振ると、その重い一撃を受け止めたのはルーセントだった。
そのまま弾き返して、距離を取った後、再び仕掛けてきたラノックの猛攻に、ルーセントは冷静に対処して力を受け流し、隙を見て自分の攻撃を打ち込んでいた。
基本の剣術の型が、これほどまでに見事に体に染み付いている人を知らない。
誰もが途中で、ある程度、自分の型に変えてしまうからだ。
どちらかと言えば頭脳派に見えたルーセントだったが、セイブリアンが腕を認めていたことを思い出した。
息を呑む暇もない二人の攻防に目を奪われていたら、リカルドの近くで剣を抜く音がした。
ハッとして姿勢を変えると、リカルドの前方には、ミケーレが立っていた。
「お前の相手はこっちだ。退かないのなら、実力で退かせてもらう」
背中から、苦しそうなユリウスの息遣いが聞こえてきた。
ラノックはきっと、ルーセントが倒してくれる。
もう一人を止めなければいけない。
アルジェン達に名前を呼ばれたが、リカルドは手を挙げて大丈夫だと伝えた。
リカルドにとって彼は、因縁の相手、それならば自分が行くしかないと前に出て剣を構えた。
「はははっ、小者がカッコつけやがって。雑用見習いのくせに、騎士気取りか? まぁお前の境遇は可哀想だと思ってしまうよ」
「貴方の同情なんていりません。落ちるところまで、落ちましたね」
リカルドが睨みつけると、ミケーレはバカにしたように鼻で笑った後、ギリっと睨みつけてきた。
「ガタガタうるせーな!」
ミケーレは叫んだ瞬間、剣を振り下ろしてきた。
動きを予想していたリカルドは、一撃を上手くかわした。
まさか空振りになると思っていなかったのか、ミケーレは驚いた顔で目を見開いた。
「……? 逃げることは一丁前のようだな」
「逃げるだけじゃありません!」
そう言って地面を蹴ったリカルドは、素早い動きでミケーレに向かって剣を打ち込んだ。
横に振った一撃は防がれたが、勢いそのままに、上から振り下ろすと、ミケーレは後ろに下がって口元を歪めた。
手応えがあった。
「くっ……なぜ……」
深くはないが、ミケーレの腕に、一本の線になった傷がついていた。
「ベイリーで剣を教えてもらいました。もう、前の俺とは違います」
リカルドの実力を認めたくないのか、ミケーレはふざけるなと雄叫びを上げて、猛攻を仕掛けてきた。
上下左右、力を込めた重い攻撃の連続に、リカルドは防戦に転じて、後ろに下がるしかなかったが、確実に動きが見えていることに自信を覚えた。
このまま、勝てるかもしれない。
ミケーレの動きがブレた一瞬の隙をついて、剣を振り下ろすと今度は右脇腹に手応えがあった。
「ゔゔぅ!! く……くそ……っっ」
後退して腹を押さえたミケーレは、悔しそうに強く噛んだ口元を震わせた。
剣を合わせる中で、ある程度の勝敗が分かってしまったのだろう。
自分の方が不利であると判断したら、逃げるか、それとも……
「リカルド、お前は本当に可哀想な男だ」
「何だと……?」
「両親を殺した男の足に縋って、喜んで命令に従っていたんだから」
「なっ……!?」
リカルドの足は止まり、動揺で剣を持つ手が揺れてしまった。
それを見たミケーレはニヤッと笑った。
「痴情のもつれってやつで、邪魔になった女を殺したんだ。証拠を隠すために火をつけようと思ったが、ちょうどよく裏が飲食店だった」
ミケーレが間合いを詰めて斬り込んできた。
話に気を取られてしまったリカルドは、ひと足反応が遅れてしまった。
なんとか剣を受け止めたが、押し合いになり、ここで力の差が出てしまった。
「まさか……」
「そうだよ、お前の両親の店だ。大量の油を用意して、火の不始末だと話を作り、部下に金を握らせて偽の証言をさせた」
「なんてことを……、自分の保身のために、たくさんの人を殺すなんて……」
「何が悪いんだ? 平民の命など、取るに足らない。俺には敵が多いから、女一人殺しただけで、それをうるさく言われて、足元をすくわれたら困るんだよ」
「さ……最低だ!」
リカルドは力を込めたが、体の大きいミケーレの力に、ついに押されてしまった。
腕が上がった瞬間に隙を突かれて、一撃を受けてしまった。
なんとか後ろに下がって致命傷にはならなかったが、右腕から肩にかけて切られてしまった。
肌を切り裂かれた感覚、傷口から熱いものがこぼれ落ちていくのを感じで、リカルドは腕に手を当てた。
「ううっ、くっ……」
「はっ、悪あがきもこれまでだな」
このくらいの傷、何ともないと思うのに、ニヤニヤと笑うミケーレを見ると、怒りで頭が赤く染まり、何も考えられなくなってしまう。
ミケーレの保身のために、リカルドの両親は利用された。罪人のように仕立て上げて、父と母の尊厳を踏み躙った。
許さない、許さない……
怒りで冷静な判断ができない。
次にミケーレがどう仕掛けてくるか、それによって構えを変えなくてはいけないのに、そんなことすら、頭をすり抜けていってしまう。
セイブリアンに、怒りは力の原動力になるが、時に周りが見えなくなって、簡単に相手に主導権を握られてしまうと言われた。
セイブリアンの言葉を信じたいのに、怒りが制御できない。
分かっている。
感情に囚われた剣は、もっとも愚かだ。
だけど……
「死ねぇぇぇぇ!!」
完全に怒りにのまれたリカルドを見て、好機だとみたミケーレは、終わりの一撃とばかりに、剣を振り下ろしてきた。
だめだ
だめだ
体が動かない
もう、終わり
聞きたい
最後にあなたの声が……
視界が真っ白になった時、耳に聞こえてきた声に、リカルドはハッとして顔を上げた。
風に乗ってきたような微かな声。
幻かもしれない。
それでもいい。
あの人が…………
セイブリアンが自分を呼んでいる。
次の瞬間、視界に色が戻って、固まっていた体が動いた。
ミケーレが振り下ろしてきた剣を、リカルドは肌を切り裂かれる寸前で避けた。
まさか避けられるとは思っていなかったのか、ミケーレはバランスを崩した。
「許さない! 許さない! お前のようなやつは、絶対に――!!」
ここで攻めに転じたリカルドは、息つく暇もない猛攻を仕掛けた。
右に左に、思い切り剣を振って、ジリジリと距離を詰めていった。
ミケーレは必死に受けていたが、リカルドの攻撃に押されて、ついに足元が崩れて地面に手をついた。
まさに力技、リカルドの剣はついに、ミケーレの防御を突破して、首元の横でピタリと止まった。
「はぁ……ハァハァ……」
時間にしたらそれほど長いものではなかったが、全力で挑んだリカルドは胸を上下させて、ミケーレを見下ろした。
「ここまでだ、ミケーレ」
ミケーレは悔しそうに歯を食いしばりながら、カシャンと剣を地面に落とした。
ルーセントとラノックは、どうなったのかと頭によぎったが、今はミケーレをどうするかが先だ。
反逆者は、首謀者以外、その場でどう処分するかは、戦いに勝ったものに判断を委ねられている。
たとえ降伏したとして、この場で殺しても罪に問われることはない。
「許さない……父さんと母さんを……」
リカルドは怒りで震える手に力を込めて、剣を頭上高く掲げた。
多くの人間を殺した大罪人だ。
腹の中から燃えるような熱が上がってくる。
この男を、傷つけて痛めつけて、両親が苦しんだ以上の苦しみを与えたい。
リカルドが大きく息を吸い込んだその時、ミケーレは突然怯えた目をして、手のひらを見せてきた。
「まっ、待って、待ってくれ!」
リカルドが動きを止めると、ミケーレは手を組んで祈るようにして、助けてくれと言った。
「妻と子が……、娘がいるんだ。まだ幼くて、私の帰りを待っている。どうか死ぬ前に一目でも娘に会いたい……」
「そ……そんなの……そんなのはっっ!!」
火事に巻き込まれて亡くなった両親を、犯人に仕立て上げられた。
誹謗中傷を受け、騎士の夢を奪われ、長く辛い日々を送ってきた。
自分にだって大事な家族がいた。
それを奪われたのに、こんな男に情けをかける必要があるのか。
「許せない……ゆる……ゆるせ……」
こんな男……
こんな男にも、娘がいる。
リカルドは両親との突然の別れを思い出した。
死の知らせを受けて、傷つき泣き崩れた自分と、ミケーレの娘を重ね合わせた。
「…………くっ…………うぅっ」
許せない。
許せないのに胸が痛くて、力が抜けてしまった。
もう二度と、この男の顔を見たくない。
震える手で剣を納めたリカルドは、唇を噛んだ後、無言で背中を向けて歩き出した。
後の処分はルーセントに任せよう。
そう思って足を踏み出した時、前方からアルジェンが、何か叫びながら走ってくるのが見えた。
必死に指をさしている動きを見て、何を知らせたいのか、考えて足が止まった。
背中に気配を感じたリカルドが、息を吸い込んで振り返ると、先ほどまで頭を地面につけていたミケーレが、立ち上がっている姿が見えた。
バカめと口が動いた彼の手には、落ちていたはずの剣があった。
わずかな痛みと共に、地面に転がったリカルドは、ぐるりと回転して起き上がった。
体についた火の粉を叩いて、服が燃えるのを防いだ。
大丈夫だ。
手も足も動く。
向こうは風下だったので、もっと燃えているように見えたが、火の勢いは見た目だけで、火の壁をくぐってしまえば、影響は少なかった。
「大丈夫です! こちらにはほとんど延焼はありません!」
リカルドは大きな声を上げて、自分が無事であることを伝えた。
すぐにルーセント達はきてくれるだろうと思ったが、リカルドは素早く目線を前方に向けた。
少し離れたところに馬車が見えた。
ドアは開け放たれていて、近くで人が揉み合って戦っている様子が見えた。
間に合った、まだ生きている。
そう直感したリカルドは地面を蹴って走り出した。
走りながら剣を抜いて、鞘を落とした。
ハァハァと自分の息遣いの音が頭に響いたが、徐々に見えてきた光景に、心臓が止まりそうになった。
人が折り重なるように地面に倒れていた。
立っているのは、皇宮騎士団長と、もう一人、皇宮騎士の格好をした男、そしてベイリーの騎士が一名だった。
ユリウスは馬車に背をもたれて座っているが、深手を負ったのか、動くことができない状態に見えた。
怪我を負っているとはいえ、さすがソードマスターだ。
おそらく、地面に転がっている敵を倒したのは、ユリウスだろう。
かなり健闘したようだが、それももう限界のようだった。
「うゔっぁぁ!!」
走ってきたリカルドが、ユリウスの近くまで来たのと、ベイリーの騎士が、皇宮騎士団長に剣で胸を貫かれたのは同時だった。
ベイリーの騎士が地面に崩れ落ちたところで、剣を構えたリカルドがユリウスの前に飛び込んだ。
「ユリウス様! ご無事ですか? 助けに来ました」
「うっ……か……ルド……なぜ、ここに……?」
ゴホゴホとむせて苦しそうにしているユリウスは、左肩の辺りをザックリと切られて血が出ていた。
「お前……どこから!? セイブリアンの侍従をしていた男だな。使用人の分際で剣を持って助けに入るなど、我々を舐めているのか?」
「おいおい……、嘘だろ。お前……、生きていたのか?」
皇宮騎士団長がリカルドを見て鼻で笑った時、その後ろにいた騎士が驚いたような声を上げた。
聞き覚えのある声に、リカルドはやはりとすぐに誰だか分かってしまった。
「お久しぶりですね、ミケーレ団長」
ガチャっと音を鳴らして、男が兜を取り外すと、出てきた顔は、間違いなく、あの砦で別れたミケーレだった。
「あそこで命乞いをして、帝国人に使われているのか」
「ミケーレ、知り合いか?」
「前に部下だったやつです。使えないので、戦場に捨て置いたのですが、卑しく生き延びたようですね」
「くだらん、どうでもいい話だ。セイブリアンが戻ってくるとマズい。早くユリウスを仕留めて、あの方の元へ戻らねば! おいお前邪魔だ! そこを退け!」
ユリウスが思っていたより抵抗したために、時間を取られて焦っている様子だった。
怪我が完治していないから、楽に殺せると思っていたのかもしれない。
動けない状態のユリウスにトドメを刺そうと、皇宮騎士団長は、じりじりと迫ってきた。
リカルドはユリウスの前に立って剣を構えて、一歩も引かない覚悟で睨みつけた。
「……リカルド、退くんだ」
「ユリウス様!」
「こんなところでお前を死なせたら、リアンに合わせる顔がない。伝えてくれ……あとは頼むと……」
ユリウスは気力を振り絞って、リカルドの足に掴まり、逃げろと促してきた。
相手は皇宮騎士団一の剣豪と謳われた男だ。
一太刀くらわせるだけでも、精一杯かもしれない。
それでも、ユリウスをこのまま、差し出すことなんてできなかった。
「…………退きません」
「リカルド……」
「俺は……ベイリーの騎士、セイブリアン様の専属騎士です! セイブリアン様が守りたいものを守り抜く、責任があります! 逃げない……絶対に逃げたりなんかしない!!」
ぎりぎりと足に力を入れたリカルドは、いっそう強く、皇宮騎士団長を睨みつけて歯を食いしばり、鼻から息を吐いた。
長身の皇宮騎士団長がすぐ近くまで来た時、待て! と声が響いた。
「よくやった、リカルド。だが、その男の相手は私だ」
「副団長!」
強く風が吹いて、落ち葉を巻き上げたその先から現れたのは、ルーセントだった。
彼のお気に入りの制服は、所々焦げていて、顔は黒く汚れていたが、いつもの堂々とした歩き方が、一段とカッコよく見えてしまった。
ルーセントの後ろに、アルジェンや他の騎士達の姿が見えた。
みんな汚れて真っ黒になっているが、後を追って来てくれたのだと思ったら、リカルドは嬉しくなった。
「クソッ! こんなに早く、戻ってくるとは……」
「足止めにしては大したことはありませんでしたね。ラノック卿、あなたのような実力者が、このような大罪を犯すとは残念です。残った戦力はお二人だけ、潔く剣を下ろしてください」
「はっ、ふざけるな……ここまで来て戻れるか! ベイリーの田舎騎士共め! 覚悟しろ!」
皇宮騎士団長ラノックが剣を振ると、その重い一撃を受け止めたのはルーセントだった。
そのまま弾き返して、距離を取った後、再び仕掛けてきたラノックの猛攻に、ルーセントは冷静に対処して力を受け流し、隙を見て自分の攻撃を打ち込んでいた。
基本の剣術の型が、これほどまでに見事に体に染み付いている人を知らない。
誰もが途中で、ある程度、自分の型に変えてしまうからだ。
どちらかと言えば頭脳派に見えたルーセントだったが、セイブリアンが腕を認めていたことを思い出した。
息を呑む暇もない二人の攻防に目を奪われていたら、リカルドの近くで剣を抜く音がした。
ハッとして姿勢を変えると、リカルドの前方には、ミケーレが立っていた。
「お前の相手はこっちだ。退かないのなら、実力で退かせてもらう」
背中から、苦しそうなユリウスの息遣いが聞こえてきた。
ラノックはきっと、ルーセントが倒してくれる。
もう一人を止めなければいけない。
アルジェン達に名前を呼ばれたが、リカルドは手を挙げて大丈夫だと伝えた。
リカルドにとって彼は、因縁の相手、それならば自分が行くしかないと前に出て剣を構えた。
「はははっ、小者がカッコつけやがって。雑用見習いのくせに、騎士気取りか? まぁお前の境遇は可哀想だと思ってしまうよ」
「貴方の同情なんていりません。落ちるところまで、落ちましたね」
リカルドが睨みつけると、ミケーレはバカにしたように鼻で笑った後、ギリっと睨みつけてきた。
「ガタガタうるせーな!」
ミケーレは叫んだ瞬間、剣を振り下ろしてきた。
動きを予想していたリカルドは、一撃を上手くかわした。
まさか空振りになると思っていなかったのか、ミケーレは驚いた顔で目を見開いた。
「……? 逃げることは一丁前のようだな」
「逃げるだけじゃありません!」
そう言って地面を蹴ったリカルドは、素早い動きでミケーレに向かって剣を打ち込んだ。
横に振った一撃は防がれたが、勢いそのままに、上から振り下ろすと、ミケーレは後ろに下がって口元を歪めた。
手応えがあった。
「くっ……なぜ……」
深くはないが、ミケーレの腕に、一本の線になった傷がついていた。
「ベイリーで剣を教えてもらいました。もう、前の俺とは違います」
リカルドの実力を認めたくないのか、ミケーレはふざけるなと雄叫びを上げて、猛攻を仕掛けてきた。
上下左右、力を込めた重い攻撃の連続に、リカルドは防戦に転じて、後ろに下がるしかなかったが、確実に動きが見えていることに自信を覚えた。
このまま、勝てるかもしれない。
ミケーレの動きがブレた一瞬の隙をついて、剣を振り下ろすと今度は右脇腹に手応えがあった。
「ゔゔぅ!! く……くそ……っっ」
後退して腹を押さえたミケーレは、悔しそうに強く噛んだ口元を震わせた。
剣を合わせる中で、ある程度の勝敗が分かってしまったのだろう。
自分の方が不利であると判断したら、逃げるか、それとも……
「リカルド、お前は本当に可哀想な男だ」
「何だと……?」
「両親を殺した男の足に縋って、喜んで命令に従っていたんだから」
「なっ……!?」
リカルドの足は止まり、動揺で剣を持つ手が揺れてしまった。
それを見たミケーレはニヤッと笑った。
「痴情のもつれってやつで、邪魔になった女を殺したんだ。証拠を隠すために火をつけようと思ったが、ちょうどよく裏が飲食店だった」
ミケーレが間合いを詰めて斬り込んできた。
話に気を取られてしまったリカルドは、ひと足反応が遅れてしまった。
なんとか剣を受け止めたが、押し合いになり、ここで力の差が出てしまった。
「まさか……」
「そうだよ、お前の両親の店だ。大量の油を用意して、火の不始末だと話を作り、部下に金を握らせて偽の証言をさせた」
「なんてことを……、自分の保身のために、たくさんの人を殺すなんて……」
「何が悪いんだ? 平民の命など、取るに足らない。俺には敵が多いから、女一人殺しただけで、それをうるさく言われて、足元をすくわれたら困るんだよ」
「さ……最低だ!」
リカルドは力を込めたが、体の大きいミケーレの力に、ついに押されてしまった。
腕が上がった瞬間に隙を突かれて、一撃を受けてしまった。
なんとか後ろに下がって致命傷にはならなかったが、右腕から肩にかけて切られてしまった。
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「ううっ、くっ……」
「はっ、悪あがきもこれまでだな」
このくらいの傷、何ともないと思うのに、ニヤニヤと笑うミケーレを見ると、怒りで頭が赤く染まり、何も考えられなくなってしまう。
ミケーレの保身のために、リカルドの両親は利用された。罪人のように仕立て上げて、父と母の尊厳を踏み躙った。
許さない、許さない……
怒りで冷静な判断ができない。
次にミケーレがどう仕掛けてくるか、それによって構えを変えなくてはいけないのに、そんなことすら、頭をすり抜けていってしまう。
セイブリアンに、怒りは力の原動力になるが、時に周りが見えなくなって、簡単に相手に主導権を握られてしまうと言われた。
セイブリアンの言葉を信じたいのに、怒りが制御できない。
分かっている。
感情に囚われた剣は、もっとも愚かだ。
だけど……
「死ねぇぇぇぇ!!」
完全に怒りにのまれたリカルドを見て、好機だとみたミケーレは、終わりの一撃とばかりに、剣を振り下ろしてきた。
だめだ
だめだ
体が動かない
もう、終わり
聞きたい
最後にあなたの声が……
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まさに力技、リカルドの剣はついに、ミケーレの防御を突破して、首元の横でピタリと止まった。
「はぁ……ハァハァ……」
時間にしたらそれほど長いものではなかったが、全力で挑んだリカルドは胸を上下させて、ミケーレを見下ろした。
「ここまでだ、ミケーレ」
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反逆者は、首謀者以外、その場でどう処分するかは、戦いに勝ったものに判断を委ねられている。
たとえ降伏したとして、この場で殺しても罪に問われることはない。
「許さない……父さんと母さんを……」
リカルドは怒りで震える手に力を込めて、剣を頭上高く掲げた。
多くの人間を殺した大罪人だ。
腹の中から燃えるような熱が上がってくる。
この男を、傷つけて痛めつけて、両親が苦しんだ以上の苦しみを与えたい。
リカルドが大きく息を吸い込んだその時、ミケーレは突然怯えた目をして、手のひらを見せてきた。
「まっ、待って、待ってくれ!」
リカルドが動きを止めると、ミケーレは手を組んで祈るようにして、助けてくれと言った。
「妻と子が……、娘がいるんだ。まだ幼くて、私の帰りを待っている。どうか死ぬ前に一目でも娘に会いたい……」
「そ……そんなの……そんなのはっっ!!」
火事に巻き込まれて亡くなった両親を、犯人に仕立て上げられた。
誹謗中傷を受け、騎士の夢を奪われ、長く辛い日々を送ってきた。
自分にだって大事な家族がいた。
それを奪われたのに、こんな男に情けをかける必要があるのか。
「許せない……ゆる……ゆるせ……」
こんな男……
こんな男にも、娘がいる。
リカルドは両親との突然の別れを思い出した。
死の知らせを受けて、傷つき泣き崩れた自分と、ミケーレの娘を重ね合わせた。
「…………くっ…………うぅっ」
許せない。
許せないのに胸が痛くて、力が抜けてしまった。
もう二度と、この男の顔を見たくない。
震える手で剣を納めたリカルドは、唇を噛んだ後、無言で背中を向けて歩き出した。
後の処分はルーセントに任せよう。
そう思って足を踏み出した時、前方からアルジェンが、何か叫びながら走ってくるのが見えた。
必死に指をさしている動きを見て、何を知らせたいのか、考えて足が止まった。
背中に気配を感じたリカルドが、息を吸い込んで振り返ると、先ほどまで頭を地面につけていたミケーレが、立ち上がっている姿が見えた。
バカめと口が動いた彼の手には、落ちていたはずの剣があった。
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奇病を癒すため魔法都市、最後の薬師フェリーネはベネディック・バルテルスと契約結婚を持ちかける。
彼女の目的は遺産目当てや、玉の輿ではなく──?
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