囮になった見習い騎士には、愛され生活が待っていた。

朝顔

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最終章

27、偽りの防御線

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※※※

  祝事を表すラッパの音が鳴り響き、アルカンテーゼ帝国皇帝即位の儀は厳かに始まった。
 大聖堂には、たくさんの参列者が駆けつけて、用意された席は全て埋まった。
 祭壇の上に立つのは大神官と、皇帝となるユリウス。
 神から賜った王冠と王笏を、御使である大神官から受けて、その場で即位を宣言する。その後、玉座に座れば戴冠は終わる。
 流れとしては単純だが、まず大神官の祝の言葉を聞き、聖楽が流れるので、それに時間がかかる。
 各国の代表が伝統的な衣装で音楽を奏でる中、皇族の席に座ったセイブリアンは、辺りを見回しながら警戒を続けていた。
 反皇太子の第三皇子は欠席、他の兄弟も来ている者もいれば、粛清を恐れて、すでに外国へ逃げた者もいた。
 このまま式が滞りなく終わればいい。
 そう思いながらセイブリアンは、聖堂の大扉の方に目を向けた。
 リカルドはルーセントやアルジェンと、大扉の外で待機しているはずだ。
 大丈夫、問題ないと頭の中で繰り返した。
 その時、セイブリアンのいる皇族の席に近づいてくる人影があった。
 西門の外の警備を任せていたベイリーの騎士だった。

「どうした? 何か問題か?」

「式典の最中に失礼します。オーク川の周辺に武装した者がいると連絡が入り、皇宮の兵士が向かいましたが、戻りません。念のため、我々が様子を見に行って参りますので、そのご報告に」

「オーク川か……、あの辺りに兵を集められたら厄介だな。俺も行こう、何かあれば早めに対処したい」

「はい、神殿内の仲間も同行させますか?」

「……いや、いい。こちらはルーセントに任せている。確認次第、戻ると伝えてくれ」

 かしこまりましたと騎士が下がって行くと、セイブリアンも席を立った。
 ユリウスの視線を感じたが、予め、式典の最中も出入りすると伝えてあったので、頭を軽く下げて聖堂を後にした。

 西門に向かう出口に向かって歩いていると、荷物を持って歩いてくるリカルドが見えた。
 ルーセントの仕事を手伝っているのだろうと思ったセイブリアンは、軽く手を挙げた。

「セイブリアン様? え、式はもう終わったのですか?」

「いや、外で少し問題が起きてな。様子を見に行ってくる」

「では、俺も……」

「大丈夫だ。念のため確認に行くだけだから、すぐに戻る」

 ぽんぽんと頭を撫でると、リカルドは心配そうな目でセイブリアンを見上げてきた。
 できることなら連れて行きたいが、もしそこで戦闘になったらとセイブリアンは恐くなった。
 リカルドはまだ大規模な地上戦に慣れていない。
 川の周辺は落ち窪んでいて、地形を利用して弓兵が潜んでいることも考えられる。
 もし、万が一と考えたら、ここにいる方が安全だと判断した。
 特別扱いをしているのは認める。
 剣を教えたのは自分だが、訓練とは違う。
 リカルドが他人から傷を負わされるなんて、考えたくなかった。

「何かあれば、ルーセントの指示に従って、身を守ることを最優先にしてくれ」

「分かりました。気をつけて行って来てください」

 リカルドと手を振って別れた後、神殿の外に出たセイブリアンは、待機していた部下と馬に乗って、兵士が消えたという川の付近に向かうことになった。

 

※※※


 聖堂の鐘が鳴り響き、戴冠の儀式が終わったことが分かった。
 この後、ユリウスが皇帝として即位することを宣言して、即位の言葉を述べると聞いていた。

 ルーセントに頼まれていた服を運んでいたリカルドは、大聖堂の頂にある大きな鐘を見上げた。
 あの鐘が次に鳴り止んだら、いよいよユリウスは皇帝になる。
 皇宮まで届くと言われている鐘の音を、リリーローズも聞いているだろうと思った。

「こっちだ。すまないな、リカルド」

 騎士用の待機所で、ルーセントが手を挙げていたので、リカルドは服の入った袋を手渡した。
 ルーセントは、神殿の中で何か不審な物はないか調べている時に、池に落ちてしまった。
 全身ずぶ濡れとなったために、リカルドが替えの洋服を、止めていた馬車まで取りに行ったのだった。
 ルーセントが脱いだ服をまとめていたら、そこにアルジェンがやって来た。

「着替えまで用意して、準備がいいですね、副団長」

「いつ、返り血を浴びてもいいようにしている」

 さすが潔癖症と言われるだけあるなと、リカルドはアルジェンと顔を合わせてしまった。

「あの俺、途中でセイブリアン様と会いました」

「ああ、聞いている。西側で問題があったらしい。部下だけでも対処できるが、念のために確認に行くだけだ。すぐに戻られる」

 即位式を抜けてセイブリアンが出てくるとは思っていなかったので、廊下で会った時は驚いてしまった。
 何か嫌な予感がして、リカルドは一緒に付いて行きたかったが、残ってくれと言われて頷くしかなかった。
 今は重要な式典の最中だ。
 自分の不安だけで、セイブリアンの足を引っ張るようなことはしたくない。
 
「まもなく、新皇帝が玉座に座られる。再び鐘が鳴ったら、慌ただしくなるぞ。気を引き締めていけ」

「はい!」

 リカルドとアルジェンが勢いよく返事をした時、聖堂の大扉の辺りが騒がしくなった。
 鐘が鳴る前に終わってしまったのかと思った時、誰かが叫んだ。

「敵襲!! 武器を取れ! 門の周囲を固めろ! 誰一人通すな!!」

 リカルド達は立ち上がり、急いで状況を確認しに走り出した。
 誰もが慌てて走っていたが、ルーセントがそのうちの一人を捕まえて、声をかけた。

「こちら、ベイリーの騎士団です。状況を教えてください」

「ああ、赤火の! 大変です、東門が攻められています。潜んでいた反対派の貴族達が私兵を動かしたようです」

「くそっ、ここにきてか! 目を光らせていたのに!」

 外が慌ただしくなったので、すぐに報告がいったようだ。
 鐘が鳴る前に、聖堂の大扉がギィィィっと大きな音を立てて開かれた。
 襲撃を聞いて、中にいる人々はパニックになるかと思われたが、みんな冷静に席についたままだった。
 彼らは参加者なので、動き回るより、その場にいた方が安全だと思ったのだろう。
 しかし、狙われている皇帝は違う。
 神殿の中は安全な場所ではない。
 リカルドがそう思った時、やはり判断の早いユリウスは、護衛騎士と共に大扉から出て来た。
 ユリウスはそこで、扉の横に立っていたルーセントを見つけて声をかけてきた。

「騎士の数が足りない。森の道まで警護を頼む」

「もちろんです。皇宮へ戻られるのですね。セイブリアン様より、ユリウス様の安全を最優先にと仰せつかっています」

 おそらく、西側で起こった問題の対処と、東側の戦闘に人を向かわせたのだろう。
 森の中は皇宮騎士団が警備しているので、そこまで急ぎ向かう必要があると思われた。

「ベイリーの騎士よ。これより、新皇帝陛下の警護に向かう! 神殿の森まで何としてでも陛下を守り、追撃があれば、森の入口で援軍を待ちながら耐える。分かったか!」

 ルーセントが手早く命令を出して、ベイリーの騎士達は全員胸に手を当てて、ハイと声を上げた。
 すぐにユリウスが乗る皇宮の馬車がやって来て、ルーセントと、アルジェンは騎乗して警護の位置についた。
 自分はどうすればいいのか、リカルドが慌てていると、馬車に乗り込む前のユリウスと目が合った。

「リカルド、こちらに!」

「は、はい!」

 なぜか呼ばれてしまい驚いたが、誰も世話をする者がいないのかもしれないと気がついて、リカルドは急いで馬車の側に走った。
 リカルドが手を添えて、ユリウスは馬車に乗り込んだが、早く乗れと言われて、まさかの皇帝と同じ馬車に乗ることになってしまった。
 リカルドが乗り込んで椅子に座ると、すぐに馬車は走り出した。
 
 森に入ってから、中を警備する皇宮騎士に引き継ぐことになる。
 もし、東門が突破されて、中まで兵が入り込んで来たら、今度は森の道で戦闘になる。
 リカルドは緊張しながら、背筋を伸ばして窓から外の様子を覗いた。
 今のところ静かで、神殿の中まで戦火が来ている様子はなかった。
 
「私が皇帝になれば、帝国法に乗っ取って、他国に援軍を求めることもできる。狙うなら今だと思ったのだろう」

 緊張している中、ユリウスに話しかけられて、リカルドは肩をビクッと揺らした。
 顔を見てはいけないと、目線を下にして、ユリウスの方に体を向けた。

「……よいのですか? 私を乗せても……フランティア人ですが」

 恐る恐るそう聞いてみると、張り詰めたような空気が少し緩んで、ユリウスの方からクスッと笑う声が聞こえてきた。

「リアンが信頼している男なら間違いない。信じているからな。リアンは私を何度も救ってくれた。横暴な父の前では、自分が盾になって風を受けてくれた。あれは、優しい男だろう?」

「はい……とても」

「こんな時だが、君と少し、話がしたいと思っていたんだ」

 まさかそんなことを言われるとは思っていなくて、恐る恐る顔を上げると、ユリウスはにっこりと笑ってリカルドを見ていた。

「リアンに好きな男がいると言われた。告白をしたが、返事はまだだと聞いた。相手は信頼している部下だと……、リカルド、君のことだろう?」

「えっ……あ……そ、その……」

「男同士であるし、身分のことで戸惑う気持ちもあるだろう。だが、もし少しでも可能性があるなら、真剣に考えてやってほしい」

「はい……」

「セイブリアンは何もかも、よくできたやつだった。だが、注目されるのが苦手で、一時期は人の視線に恐怖して、ひどく怯えるようになった。父は期待をしていたリアンに裏切られたと言って、辛く当たるようになり、ますますリアンは心を痛めた。そんな中でも、自らの力を高めて、必死に努力してソードマスターになった。リアンは本当に……すごいやつなんだ」

 セイブリアンのことを語るユリウスの目は、慈愛に満ちて輝いていた。
 弟のことを本当に大切に思う気持ちが伝わってきて、リカルドの胸にじんと響いた。

「時々思うんだ。ここにいるのは、本当はリアンであるべきだと。ただ先に生まれたというだけで、妻のことも何もかも、私が手にしてはいけないものだったんじゃないかって……」

「…………」

「おっと、すまないな、君にこんな話をして……。色々起こって混乱して、気が立ってしまったようだ」

 自嘲気味に笑ったユリウスを見て、リカルドの胸はチクっと痛んだ。
 同時に思い出したのは、リリーの寂しげな横顔だった。
 このままじゃダメだと思ったリカルドは、無礼になることは分かっていたが、息を吸い込んで口を開いた。

「……先日、夜の街で妃殿下を見かけました」

「え?」

「怪しい使用人がいて、気になって追いかけたと言っていました」

「そんな報告は……」

「パーティーでも、少しお話をする機会がありました。立派にゲストをもてなしていましたし、女性達に嫌味を言われても、笑って受け流していました」

「それは……」

「失礼を承知で言わせていただきます。妃殿下は確かに、妖精と呼ばれるように、美しくて可愛らしい方ですが、陛下は妃殿下を、大人の、一人の大人の女性として扱ったことはありますか?」

「君……」

 ただの平民の分際で、皇帝にこのような発言は許されない。本来なら、その場で不敬だと処分されることもあるが、喋り出したら止まらなかった。

「妃殿下は、夫のために、夫の力になりたいと言って、いつも頑張っていました。だけど、子供のように大切にされるばかりで、誰も自分の話を聞いてくれないと……」

 リカルドの必死の訴えに、ユリウスは口をつぐんでしまった。考えるように目元に寄せた皺からは、困惑の気持ちが読み取れた。

「幼い頃は、セイブリアン様に憧れた気持ちはあったそうですが、今愛しているのは、ユリウス様だと仰っていました。もう、何度も伝えていると」

「だが、それは……」

「夫であるユリウス様が、その言葉を信じないでどうするんですか? こんなことを私が言うのもおこがましいですが、寂しい顔をさせないであげてください。お互いがお互いを好きで、こんなに想い合っているのに、すれ違っているなんて、悲しいじゃないですか」

 気がつくと、リカルドの目からは、ポロリと涙がこぼれ落ちていた。
 出過ぎた発言で無礼だと言われても致し方ない。
 それでも、絡まった糸をそのままにはしておけなくて、気持ちが溢れてしまった。
 無言の時間が流れて、その間、ガラガラと車輪の音だけが響いていた。

「……大変申し訳ございません。このような無礼なことを申してしまい、どのような処分でも……」

「いや、君の言う通りだ」

 涙を拭ったリカルドは、その場で頭を下げたが、伸びてきた手に肩をポンと叩かれた。
 顔を上げてくれと言われて、恐る恐る顔を上げると、ユリウスは穏やかに笑っていた。

「私は弱い男なんだよ。リリーを大人の女性だと認めて向き合ったら、私の元から去ってしまうんじゃないかと思って、ずっと避けていた。恐れてばかりでリリーを傷つけていたなんて、バカだった。私も強くならないといけないな……」

「ユリウス様……」

 気づかせてくれてありがとうと言って、ユリウスは手を差し出してきた。
 まさか、皇帝から握手を求められるなんて思わなかったので、慌てて手を出すと、ガッチリと握手をされてしまった。

「やはり君は、リアンが選んだだけはある。私としては、君のような人にリアンの側にいてもらいたいんだが……」

「あっ、あの……実は……、告白に返事をさせていただき……お付き合いをさせていただくことに……」

「なに!? それは本当か!?」

 喜びで興奮したようにユリウスの目がキラリと光って、握手している手をブンブンと上下に振られてしまった。
 リカルドは揺らされながら、やっとそうですと伝えた。

「嬉しいが惜しい、惜しいな。君は気がきくし、ぜひ、皇宮で働いてもらいたいところだ。リアンの下ではなく、私の下で働かないか?」

「そっ……それは、光栄ですが、恐れ多く……」

「はははっ! やはり、私が目を付けるものは、リアンの方へ行ってしまうな」

 冗談ではなく、本気で勧誘してきたのかよく分からないが、ユリウスの目元にあった暗さが、少し晴れたように見えた。
 自分と話すことで、気持ちが軽くなってくれたら嬉しい、リカルドはそう思った。

「リリーも初めはリアンに行ってしまったし、シアもそうだったな」

「え?」

 ユリウスの口から飛び出した言葉に、リカルドの思考は一瞬止まってしまった。
 今ユリウスは、何と言ったのだろう……
 リリーの後に、シアという名前が聞こえたので、息を呑んでしまった。
 シアも、ということは、リリーとは別人の話なのか……

「すみません、あの、シアというのは?」

「ん? ああ、シアは――」

 リカルドがユリウスに問いかけた時、ガタンと音を立てて馬車が止まった。
 何事かと窓の外を見ると、森の道の先に騎士達の姿が見えた。
 その中から、兜を外した一人の男が先頭に出て来て頭を下げた。

「あれは、皇宮の騎士団長だ。どうやら、合流できたようだな」

「よかったです。これで安心ですね」

「リカルド、話せてよかった。また会おう」

 馬車のドアが開けられて、ルーセントが声をかけてきたので、リカルドはここで馬車を降りることになった。
 リカルドが馬車を降りると、ユリウスは皇宮騎士団にご苦労と声をかけた。
 皇宮騎士団長の合図で、再び馬車のドアは閉められた。

「ここからは我々皇宮騎士団がお送りする。ベイリーの騎士は神殿まで戻り、追っ手を防いでくれ」

「了解しました。ですが、ベイリー騎士団長、セイブリアン様より、最後まで協力するように仰せつかっていますので、こちらの部下も数名、一緒に向かわせてよろしいですか?」

「……構わない。だが、二名までだ」

 ルーセントは、ベイリーの上級騎士二名をユリウスの警備に残して向かわせた。
 皇宮騎士団長を先頭に、ユリウスの周りを騎士が囲みながら、再び馬車が動き出した。
 リカルドは皇宮に向けて去っていく騎士達の姿を見ながら、言い知れない不安を覚えた。
 特に、馬車の後方にいる一人の男の背中から、どうしても目が離せなくて、寒気を感じた。

「何しているんだ、リカルド。戻ろう、東門の攻撃を制圧できたのか、確認しないと。俺の馬に乗れよ」

 アルジェンに声をかけられて、分かったと頷いたリカルドは、アルジェンの後ろに乗せてもらった。
 ルーセントと、アルジェンを含めた、残りの騎士達は、すぐに神殿の方に向き直って、急ぎ戻ることになった。

 おかしい。
 何かおかしい。

 馬は走り出したが、その思いが消えず、しばらく走った後、みんなが前を向いて集中している中、リカルドはゆっくり後ろを振り返った。

「あっ……!!」

 その時、見えたのは、森の中に大きく立ち上る真っ赤な火の柱だった。
 空に向かって立ち上がった火は、次の瞬間には小さくなったが、それでも、周辺は真っ赤な火の色で染まっていた。
 皇帝が危ないと分かったリカルドは、襲撃だと叫んだ。


 
 
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