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第三章

21、忘れられない相手

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「襲撃の際は一班と二班が左翼、三班と四班が右翼に展開、領主馬車を守るように、全方向を固めろ」

 空に響き渡るようなルーセントの声に、騎士達は胸に手を当てて、ハイと声を揃えて頭を下げた。
 騎士達と同じく、馬に乗ったリカルドは、ピリついた緊張の空気を感じて、背中が震えてしまった。
 皇都が近くなるにつれて、警戒の体制はより強いものになった。
 式典を執り行う際、宮殿に入宮する高位の貴族は、馬車でと決まっているために、セイブリアンは専用の馬車に乗り、リカルドは余ったセイブリアンの馬に乗ることになった。
 セイブリアンの馬は、大きくて大人しい性格なので、馬に慣れていない者でも乗りやすい。
 領主馬車の横を進むリカルドは、統率の取れた動きで、道を進んでいく騎士達を見て、改めてカッコいいなと思った。
 

 ベイリーを出発した日、セイブリアンから好きだと告白された。
 思い出すだけで顔が赤くなってしまうが、しっかりしろと思い直して、リカルドはセイブリアンの乗った馬車を見つめた。
 気持ちを知る前より、もっと落ち着かない状況になってしまったが、今は気を引き締めないといけない。
 
 セイブリアンから好きだと言われて、リカルドの嬉しい気持ちは最高潮に膨らんだ。
 すぐにでも返事をしようと口を開いたが、それをセイブリアンは止めたのだ。
 セイブリアン曰く、自分は上の立場だから、気持ちを押し付けたくない、よく考えて、返事は即位式が終わってからでいいと言われてしまった。
 セイブリアンは真面目で慎重な性格だ。
 負担をかけたくない、もしダメでも、態度は変えないように努力する。このまま働き続けることができるし、顔を合わせたくないなら、配属を変えることもできる、そんな提案までされた。

 こちらのことを思っての言葉だと分かったが、すでに同じ気持ちで、今すぐにでも応えたいリカルドにとって、ずいぶんと気の遠くなる話だった。
 何度か話を遮って、自分も好きだと言おうとしたが、今の状況を思い出してぐっと飲み込んだ。

 皇帝の即位という、大事な式典を控えて、周囲は厳戒態勢になっている。
 そんな状況で、浮かれて任務に支障があってはいけない。
 セイブリアンに言われた通り、しっかり考えて落ち着いてから、返事をしようと決めた。
 リカルドが分かりましたと言って頷くと、セイブリアンはホッとしたような顔をしていた。

 言っていた通り、セイブリアンの態度は変わらず、皇都への移動は順調に進んだ。
 長い時間かけて草原や砂丘、山々を抜けて、ついに皇都の町を取り囲む大壁が見えてきた。
 外門を通れば、まずは皇都の町に入ると聞いていた。
 周囲を見れば、同じように地方から来た兵士の隊列や、たくさんの馬車が列になって、門の辺りは人で溢れかえっていた。
 
「すごい人だな。他国の旗を掲げている馬車も見えるぞ」

 ついに混雑に巻き込まれて、一行の足は止まってしまった。長い行列の先を見ていたら、近くを走っていたアルジェンが話しかけてきた。

「日暮れまでに入れるかな?」

「副団長が交渉に向かったみたいだから、領主印を使えば、先に入れてもらえると思う」

 セイブリアンは馬車の中でも書類を広げて仕事をしていた。
 遅くなると冷えてくるので、なるべく早く中に入ってもらいたいと考えていた。

「即位式は一週間後だけど、それまでセイブリアン様は連日のようにパーティーの日程が組まれている。護衛任務がなければ自由だからさ、町を案内するよ。こっちの友達も紹介するから、飲みに行こうぜ」

「え……でも……」

 基本的に部屋付きの侍従であるリカルドは、パーティーには同行しないと言われていた。
 外出時の同行者は、ルーセントと護衛騎士数名と聞いていた。
 セイブリアンがいない時は自由時間なので、好きに過ごしていいと言われていたが、自分ばかり休んでいいのかと気が引けてしまった。

「気にするなって。セイブリアン様だって休む時には休むって」

 今回同行したのは、上級クラスの騎士と、アルジェンのような、新任の騎士だった。
 新人騎士は戦力というより、移動に慣れることと、経験を積むために連れて来られたので、上層部のようなピリついた空気はない。
 他のまだ若い新人騎士達も、肩を叩き合って笑い、楽しそうにしているが、領主馬車の前方にいる上級騎士達は、彫刻のように固まっていて、微動だにしていなかった。
 ずいぶんと温度差があるなと思ってしまった。

「中に入ったら、聞いてみるよ」

「ああ、それじゃあ、許可が出たら、新人騎士用の部屋に来てくれ。ベイリーの旗が目印だ」

 リカルドが分かったと返事をした時、ラッパの音が聞こえた。
 ラッパの音は、皇族の到着を知らせるものと聞いていた。門の近くでルーファスが合図を送ってきたので、どうやら、先に入れてもらえることになったようだ。
 ようやく馬車が動き出して、流れに合わせてリカルドも馬を進めた。
 頑丈そうな石で作られた外門を抜けると、さっそく皇都の町が広がっていた。
 町の中は帝国のカラーである赤色に染まり、祝いの空気に包まれていた。建物の入り口は花で飾られて、帝国のシンボルである、黄金の鷲の絵が入った旗が掲げられていた。
 皇都の町は、赤茶色の石を使った建物が並んでいて、町全体が計算されたように、整理されて造られていた。
 門を入ってすぐに、ずらりと商店街が続いていて、活気ある様子に思わず見入ってしまった。
 町の中央は大きな通りになっていて、その開けた通りをベイリーから来た一団は、ゆっくりと進んでいった。
 通りにはたくさんの市民が出てきて、次々と入ってくる地方や外国からの人々の行列を、興味深そうに眺めていた。

「ねぇ、あの人、フランティア人かな」

 近くから聞こえてきた子供の声に、リカルドは反射的に顔を向けた。
 沿道に立っていた親子連れが目に入ったが、子供の方がリカルドのことを指さしていた。
 隣にいる親御さんは、声を上げないようにと子供を止めていたが、子供の方は珍しいものでも見るかのように、リカルドのことをじっと見てきた。

「だって、黒髪だよ。妖精さんと同じ」

 妖精さんと呼ばれたことに、リカルドは首を傾げた。
 帝国では黒髪は珍しいと言われていたが、こちらではそんな呼び方をされているのだろうか。
 ぼんやり考えていたら隊列が進んでしまい、子供の姿は見えなくなった。
 遅れてしまっては大変なので、慌てて手綱を握り直したリカルドは、しっかり前を向いた。
 ベイリーの旗が付いた馬車を見た町の人たちは、歓声を上げていた。
 どうにかして中が見たいと、身を乗り出して、兵士の槍で止められた者もいた。
 セイブリアンの人気を改めて目で見ることになったが、セイブリアンは今、一人で何を考えているのだろうか。
 いい思い出がないという皇都に入り、セイブリアンの様子が気になってしまった。
 リカルドは馬車の中にいる、セイブリアンの見えない姿を見つめていた。
 
 
 赤茶色の町と違い、皇帝の住む宮殿は、羽を広げた鳥を思わせる形で、真っ白に所々黒が入った特徴的な石で造られていた。
 町全体を見下ろすように造られていて、馬上から見ると、その迫力に圧倒されてしまった。
 ベイリーのお城も大きいが、雰囲気がまるで違う。
 ベイリーにいた時は、親しみやすい空気すら感じていたが、皇都はどこも贅を尽くされた造りになっていた。
 皇宮へ向かう道の両壁には、見事な鳥のレリーフが施されていて、傷をつけでもしたら、重罪になりそうだと緊張してしまった。
 皇族専用の馬車回しに到着して、ルーファス、護衛騎士数名とリカルドが馬を降りた。
 馬車の前に走って到着したリカルドが、ドアを開けようとすると、それよりも先にドアが開いてしまった。

「おっと、悪い。いつもの癖で開けてしまった」

 なんでも自分でやってしまうセイブリアンだが、今回は任せてもらえると思っていたのに、また役目を奪われてしまった。

「そんな、残念そうな顔をするな。道中、疲れなかったか?」

「は……はい、セイブリアン様の馬は乗り心地がいいので……」

「そうか、よかった」

 ニコッと笑ったセイブリアンは、リカルドがドアを開けようとして中途半端に伸ばしていた手を取った。
 そのまま、自分の方に引き寄せて、じっと手を見られてしまい、リカルドの心臓はドクドクと跳ね上がった。

「な、何を……」

「長時間、手綱を握っていただろう。剣を握るのとは違うからな。怪我をしていないか、確認している」

「え……わっ……あの……」

「大丈夫だ。いつものリカルドの手だ」

 厳つい顔で有名な人が、フワリと笑ったので、出迎えに出てきた皇宮の使用人達はみんな、ポカンと口を開けていた。
 ルーセントや他の騎士達は、すでに慣れた様子で、淡々と荷物を下ろしているので、リカルドだけこの空気に耐えられなくて、熱くなった顔を下に向けた。

 告白される前なら、これも優しさだと思い込もうとしたが、好きだと言われたので、この甘い視線の意味が分かってしまった。
 明らかに溢れ出してくる好意に、早く応えたいのに応えられない。
 あの時、セイブリアンの気遣いを跳ね除けてでも、自分の方が先に好きだったと言わなかったことを後悔していた。
 即位式が終わるまでが、かなり遠くに思えて、リカルドはクラリと眩暈がしてしまった。

「ゴホン、よろしいですかな、皇子殿下」

「侍従長、しばらくだな。元気にしていたか?」

 なかなか動かないセイブリアンに、痺れを切らしたのか、使用人達の中から、上役と思われる人が歩み出てきて、セイブリアンに声をかけた。
 セイブリアンはやっとリカルドの手を離して、いつもの顔に戻った。

「到着早々申し訳ございませんが、皇太子殿下より、すぐにお連れするようにと」

「ああ、分かっている。今は会議室か?」

「はい、重役級会議のため、護衛騎士は同行できません」

「かまわない。ルーセント、それぞれ持ち場を確認して、待機するように」

 どうやら、特別な会議中らしく、セイブリアンは休む暇なくそちらに参加させられるようだ。
 ルーセントがお任せくださいと返事をして、セイブリアンは頷いてから歩き出したが、途中で足を止めて、くるりと振り返ってきた。

「リカルド」

「はい!」

「行ってくる」

「は……ははい、お気をつけて」

 ベイリーにいた頃から、こんなやり取りをしたことがあったが、それを今、みんなの前でやるのが信じられなかった。
 まるで出かける夫を送り出すみたいなやり取りに、恥ずかしくて倒れそうになりながら、リカルドは頭を下げた。

「まったく、ここをどこだと思っているのだろうか……」

「ええ……本当に……」

 セイブリアンの小さくなった背中を見て、苦笑いしたルーセントがポツリとこぼしたので、リカルドも汗を拭いながら同意した。
 
「さ、ぼけっとしていないで、荷物を運ぶぞ!」

「わ、分かりました!」

 一般用の馬車回しに戻るため、再び馬に乗ったリカルドだったが、途中で物々しい警備体制になっている出入口を見かけて、気になっていると、隣にいたルーセントがあちらには近づかないようにと言ってきた。

「あの赤い扉の奥は、皇太子妃殿下の宮に繋がっている。今は緊急体制になっていて、用のない者は近づいただけでも攻撃させるぞ」 

「そうなんですね……、妃殿下の……。それは確かに、ちゃんと守らないといけないですね」

「……まぁ、色々事情があるんだ。セイブリアン様の近くにいれば、後でお目にかかると思うが、馴れ馴れしく声をかけないように」

「ええっ、い、いくらなんでも、そこまで何も知らないわけじゃないです! 皇后になられる方ですよ。軽々しく、話しかけるなんて……」

「いや、まぁそうだが。お前は身近に感じるかもしれない」

 意味ありげにじっと見られてしまい、ルーセントは何を言っているのだろうかと、リカルドは眉間に皺を寄せた。

「身近にって……そんな恐れ多いですよ。どこをどう思ったら、身近に感じられるんですか」

「ん? ああ、リカルドは知らないのか。妃殿下の曽祖母はフランティア人なんだ。容姿もフランティア人らしさを受け継いでいる」

「えっ、そうなんですね。それは確かに、ちょっと身近な気持ちが湧きました。元々、帝国貴族のご令嬢だったと聞きましたが、どのような方なのですか?」

「妃殿下は、学友として集められた貴族の子供の一人だった。皇太子殿下より、五歳年上で、私達の間では姉のような存在だったな。陛下が妃殿下のことを気に入っていて、早くに婚約を結ばれたが、お二人が結婚されたのは二年前になる。見た目が帝国人らしくなく、年上ということで、貴族の間では結婚に反対の声が大きかった。一方で、美しくて明るく、朗らかなお人柄で、国民からはとても人気がある」

 貴族の女性の結婚といえば、十六歳辺りが一番多いと聞くが、長い婚約期間だったのだなと思った。
 後継者争いで、そんな状況ではなかったのかもしれないと想像した。
 リカルドが考えていると、ルーセントが隣でクスッと笑ってきた。

「結婚が遅れたのは……忘れられない相手がいたのかもしれないな」

「え……?」

「冗談だ。実際のところは、多忙のせいだろう」

 ルーセントと話していたら、いつの間にかベイリーの部隊が集まっているところに着いてしまった。
 荷物を持ったまま、ウロウロしている騎士を見かけて、ルーセントは早速指示を出しに意気揚々と走って行ってしまった。

「忘れられない……相手……」

 点と点に線が繋がったような気持ちになって、心臓がドクッと揺れた。
 背中に冷たいものを感じながら口にしてみると、足元からモヤモヤとしたものが絡みついてきた。
 そしてそれは、リカルドの胸まで上がってくる頃には、不安となって胸の奥を揺らした。

「しっかりしろ、目の前のことに集中するんだ」

 手を強く握ったリカルドは、足元に絡みつくものを蹴散らして、荷物運びの仕事に加わることにした。
 
 
 
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