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第三章
20、キスの後は
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快晴の空の下、町の人々の拍手に見送られて、領主と特別部隊一行は首都に向けて出発した。
長い隊列の後には、ベイリーの貴族達の馬車、その後ろには荷馬車が続いた。
急いで馬を走らせれば三日の距離だが、馬車を使った大移動なので、到着までは一週間を予定していた。
リカルドは荷物の管理を任されていたので、後方の荷馬車の荷台に乗っていた。
セイブリアンやルーファス、アルジェンは馬に乗って先頭を進んでいるはずだ。
一人離れたところにいるので、残念に思う気持ちもあるが、今はこれでよかったとも思っている。
なぜなら、セイブリアンの側にいると、動悸が止まらなくて顔が赤くなり、動きがおかしくなってしまう。
出発前に、お茶を運ぶだけで落としてしまいそうになった。
ダメだと思っても、意識し過ぎてしまう。
それは出発前夜、セイブリアンとキスをしてしまったからだ。
今思い出しても、不意のキスから、どうしてあんな空気になってしまったのか分からない。
リカルドとしては夢のような時間だった。
あの後、夢に浸って長い時間、口付けていたような気がする。
朝日が差してきたら、魔法が解けたみたいに、離れないといけないと気がついた。
セイブリアンの膝から降りたリカルドは、準備があるのでと言って慌てて部屋に戻った。
セイブリアンがどんな顔をしていたのか、まともに見ることができなかった。
気まぐれや戯れであんなことをされる人ではない。
おそらく、多少いいと思ってくれているとは思うが、それが特別な感情、恋愛としての気持ちまで、寄せてくれているのか分からない。
セイブリアンから何か言おうとする空気を感じたが、ハッキリとした答えを聞かないまま、リカルドは走ってその場を離れてしまった。
それからセイブリアンの近くにいても、顔を下に向けたまま、目を合わさず、ひたすら体を動かして気を散らしていた。
セイブリアンも忙しい身の上なので、お互い動き回っていて、ちゃんと話せないまま、ここまで来てしまった。
時々物言いたげな視線を感じたが、気付かないフリをしていた。
「……だってさ。悪かったって……謝られたらどうしたらいいんだよ。なかったことにしようって言われたら……」
もちろんそう言われたら、分かりましたと言って頭を下げるつもりだ。
だけど顔を上げた時、上手く笑えるか分からない。
変な冗談はもう、やめてくださいと言って平気な顔をするのも……。
今までリカルドは、自分に嘘をついてごまかして、ヘラヘラ笑ってやり過ごすことが多かった。
そんな生き方はもうしたくないと思うのに、また一つ、偽りの気持ちを上から塗り込もうとしている。
本当にそれでいいのだろうか……
「もし、好きだって言ったら……」
セイブリアンの顔が曇ってしまうところを想像して、リカルドは床に頭をぶつけそうなくらい項垂れた。
どうしたらいいのか途方に暮れていたら、ガヤガヤと周囲が騒がしくなって、遠くに大きな壁に囲まれた町が見えた。
軍隊だけではなく、貴族を連れた旅で野宿は御法度だ。
きちんと、宿で休めるように日程を組んである。
どうやら、今日泊まる町に到着したようだと、すっかり一人で考え過ぎて頭が重くなったリカルドは、深く息をはいた。
※※※
砂埃が入らないように、口元を覆っていた布を外して、セイブリアンは深く息を吸った。
宿の窓から外を見ると、部下達がそれぞれ荷物を持って歩いて行く姿が見えたので、一息ついて近くのソファーに腰を下ろして身を沈めた。
「失礼します、部屋の割り当ては完了しました。これから明朝の出発時刻を連絡して回ります。食事はこちらにお持ちしますので、早めにお休みください」
忙しいと活き活きする人間もいる。
到着して早々、ルーファスは報告ですと言って、セイブリアンの部屋に顔を出した。
ルーファスは前回の遠征に来なかったので、久々にベイリーを離れることを、心待ちにしていたようだ。
「ここまでの道中、不審な点はなかったか?」
「ええ、問題はありません。我々に直接攻撃を仕掛けて来る、無謀な者はいないと思いますが、警戒は必要ですね。まさか、ここにきて皇太子殿下が襲われるとは……護衛は何をやっていたのか……」
「その件は他言するな。何事もなく、平常通りの姿を見せなければいけない。そこにつけ込んでくるヤツもいる」
「ええ、もちろんです。では、やはり、お怪我をされたというのは……」
セイブリアンが厳しい目をして頷くと、ルーファスは息を吸い込んで口を強く結んだ。
即位式を前に、反対派閥の動きが活発になり、本格的な妨害が始まった。
厳重な警備の目を潜って、皇太子が襲われたのはひと月ほど前のこと。
セイブリアンと同じく、ソードマスターである皇太子は、剣の達人であるが、刺客は皇太子妃を狙ってきた。
護衛の騎士とともに、敵を倒していた皇太子だったが、運悪くそこを通りかかった妃が狙われたために、自分の身を挺して庇うしかなかった。
命に別状はないと連絡があったが、利き腕を負傷したため、剣が使えない状態のようだ。
極秘扱いで連絡が来たため、セイブリアンは先に戦闘に慣れた自分の部下を、護衛として兄の元へ送っていた。
今襲われたら大変なことになるのは目に見えていたが、回復を待って即位式を延期するわけにいかない。
皇太子の権限と、皇帝としての権限は大きく違うからだ。
何としてでも、早く皇帝となり、反対派閥である有力貴族達の力を抑えなければいけなかった。
「可能性のあるご兄弟は?」
「……表向き大人しくしていても、みんな皇位を狙っている。俺以外、全員と言っていいだろう。だから兄は何かあった時は頼むと俺に手紙を送ってきた。こちらに動かれたら困ると、他の兄弟から妨害がくる可能性はある。とにかく、周囲の様子に目を光らせろ」
「かしこまりました」
ルーファスが頭を下げて部屋を出て行くのを見届けると、部屋の中に別の気配を感じた。
また報告かと、休む暇がないなと思いながら、セイブリアンは体の向きを変えた。
本棚の影がスッと動いたので、セイブリアンはご苦労と声をかけた。
わずかに開いた窓から風が吹いてきて、セイブリアンの髪を揺らした。
「例の大火事の件は分かったか?」
「はい、調査結果を確認したところ、多くの資料が消えていました。おそらく、指示があって処分したのでしょう。内部に入り込んで、元の資料を手に入れました。それによると、火事を最初に見たという証言者が判明しました」
「巡回中の騎士だったな、どんなヤツだ?」
「第二騎士団に所属していたオルヴという男です。資料によると、本来は二名で巡回するはずが、その日は欠員が出て、一人で巡回に出たと。酒場の厨房から火が出ているところを発見したが、規則通り報告が必要だと判断して、その場を離れたそうです」
「規則、か……。待て、第二騎士団といえば、リカルドの所属だったな」
「第二騎士団の団長はミケーレ•ワインズ、オルヴは彼の直属の部下だったそうです」
「今はどうしている?」
「火事の三ヶ月後に亡くなりました。酔って川に落ちて溺死だそうです」
「なんだって?」
時期的に、証拠を隠滅するような意図を感じてしまい、セイブリアンは体を起こして片眉を上げた。
例えば、火事の原因に彼が関わっていて、証言をさせた後、生きていたら不都合だから処分した。
そう考えると、真相がぐっと近くなったように感じた。
火の不始末、それだけなら証言者を殺すはずがない。
これは放火だった。
仕組まれて起こされた火事だったとしたら……
「明け方、誰もが寝静まっている時間、酒場に油を撒いて火をつけたヤツがいる」
ここまで考えてセイブリアンは顎に手を当てた。
リカルドの両親は長年町で酒場を営む、働き者で善良な夫婦だった。
店ごと焼き殺されるほどの恨みを買っていたとは思えない。
「火事自体が証拠隠滅だった、例えば衝動的に犯してしまった罪の証拠を消し去るには、全部燃やしてしまうのが手っ取り早い。……殺したい相手は別にいたんじゃないか?」
激しく燃えていた酒場の周辺、本当はそこに住んでいた人間が標的だったのではないかと、セイブリアンは考えた。
「そうか、殺人だ。火事の前に殺人が起きた。衝動的な犯行だから、被害者と一緒のところを複数に見られたとか、もうごまかせない状況だった。その証拠を消して、自分との繋がりを隠すために、ただの火の不始末で起きた火事だとした。調理場に油があるのは当たり前だから、酒場はその証拠隠滅に利用されたんだ」
「調査の方ですが、なかなか進まず、一次調査で酒場が原因とされたまま、オルヴの死で中途半端なところで終わっています」
「オルヴの上司であるミケーレが怪しいな。ワインズ家は有力な貴族だ。部下が死んだためと理由をつけて、圧力をかけて調査をやめさせる。自分にとって不都合だからと考えられるな。ミケーレについては?」
「結婚して二十年になる妻と、今年十六になる娘が一人。妻の実家は代々政治家の家系で、王の側近として名前の知られた家で、かなりの影響力があります。それを利用して、今の地位を手に入れたと言ってもいいかと。ただ、交遊関係は派手で、女好きとの噂もあります」
それを聞いたセイブリアンは、強く手を握った。
ぼんやりとしていたが、やっと真実の輪郭が見えてきた気がした。
「ミケーレの女関係を洗うんだ。噂程度でなく、実際にどうだったか、酒場近くの住人についても調べろ」
「現地に仲間を残しておりますので、すぐに回答が得られるかと……、分かり次第、ご報告します」
そう言って影は、窓からスッと消えていった。
思っていたよりもひどい結果になりそうだと、セイブリアンは頭を抱えた。
予想が正しければ、リカルドはもっと辛い思いをすることになる。
どうやって伝えたら、リカルドが傷付かずにすむかと考えたが、こればかりは難しい。
両親の死に、ミケーレが関わっていたとなれば、長年仇となる男に従ってきたことになる。
リカルドは相手を恨み、同時に自分を責めて、壊れてしまうのではないかと思った。
真実が分かった時、伝えずにいる方が、リカルドのためになるのか、自分だったらどうしてほしいか、セイブリアンは頭を悩ませた。
そこにトントンとノックの音がして、顔を上げると、ドアの隙間に見慣れた黒い髪が見えた。
「お食事をお持ちしました」
「あ……ああ、入ってくれ」
今考えていたリカルドが実際に現れたので、頭の中から出てきてしまったのではないかと、驚いてしまった。
可愛がりたい気持ちが膨らみ過ぎて、昨夜はリカルドに口付けをしてしまった。
もちろん、戯れにそんなことをしたわけではない。
偶然触れてしまった唇が、熱くなって疼き出し、リカルドを求めてしまった。
最初は思い出と重ね合わせてしまったが、それはキッカケにすぎない。
一生懸命に剣を覚えて、一つ課題を乗り越える度に、嬉しそうに笑うリカルドに惹かれていた。
もっと側で、この笑顔を独占したい。
ポタポタとインクが落ちるように、胸の中がリカルドの色で染まっていった。
騎士達に可愛がってもらったと聞けば、嫉妬して、懐の広いところを見せようとした。
物欲のないリカルドには効果がなかったが、再び剣を合わせたことで、深い繋がりができた気がした。
朝だって、困りながらも、一生懸命に起こしてくれる姿を見たくて、寝たふりをしたこともあった。
触れたい。
体の隅々まで、自分のものだと想いを刻みつけたい。
そんな風に思うなんて最低だと、心の中で、上司としての自分が警告してきた。
だから胸の内に留めて、態度に出さないように気を付けていたが、最近はそうとも言えなかった。
ルーファスに、特別扱いをし過ぎですとチクリと言われるほど、可愛がっていた。
あの時も、わずかに触れた唇から、リカルドの心臓の音が伝わってきた気がして、一気に火がついてしまった。
この気持ちが何なのか、とっくに分かっている。
伝えてもいいのか、どう伝えたらいいのか、拒絶されたらどうすればいいのか。
そんなことばかり、仕事中も頭の中を回っていた。
カチャカチャと食器の音だけが部屋に響いている。
リカルドはドアの横に立って、下を向いていた。
キスをしてから、気持ちを話す前にリカルドは走って行ってしまった。
それから、何度か話そうとしたが、リカルドは視線を合わせることなく、仕事を終わらせたら、いつも足早に去って行ってしまう。
避けられているのは明らかだった。
「お食事を終えられたようなので、下げます。私はこれで……」
「リカルド!」
やはり今回もリカルドは、食べ終えた食器をサッとワゴンの上に載せて、部屋を出て行こうとしたので、セイブリアンは急いで呼び止めた。
「……少し、話さないか? 昨夜のことだ」
「……はい」
リカルドも声をかけられることを予想していたのか、驚いた様子はなく、静かに振り返ってセイブリアンが用意した椅子に座った。
セイブリアンはベッドに腰を下ろして、お互いやっと向き合って話ができる体勢になった。
「あの――」
「それで――」
二人して同時に声を出してしまい、バッチリと目が合った。
「す、すみません、お先にどうぞ」
「あ、ああ、そうだな……」
話そうと思っていたことが、飛び散ってしまったので、頭の中で必死に拾い集めた後、セイブリアンは、ゴクッと唾を飲んでから口を開いた。
「昨夜のことだが、い……嫌では、なかった、か?」
「え……」
「あぁ、俺の立場でこんなことを言ったら、ハイとは言えないよな……。威圧的になっていたら、申し訳ない。素直に答えてくれていいんだ。もし、強引にしてしまったら……悪いと思っている」
「そんな……、私はいいですと言いました。セイブリアン様が、ちょっと興味があっただけだったとしても……」
「待て、ちょっと興味があったとはなんだ?」
「その……キスの訓練……みたいな感じかと……」
「そんなっ、そんな訓練はしない! まさか……そんな誤解をしていたのか……だから、避けて……」
ハッキリ言わずに進めてしまったことで、リカルドは全然違う方向を見ていたと分かった。
リカルドの突っ走るクセが、剣術に表れていたのを思い出した。
これは、ちゃんと言わないと、余計に絡まってしまうと気がついたセイブリアンは、ベッドから降りてリカルドの前にしゃがみ込んだ。
「え……」
リカルドの手を取って、甲に口付けると、リカルドはポカンと口を開けて、驚いた顔になった。
慎重に、傷つけないように、自分の想いを伝える。
セイブリアンはリカルドの顔を見上げて、決意を込めてから口を開いた。
「好きだ」
リカルドの目が大きく開かれた。
黒い瞳が揺れているのは、困惑なのかそれとも……
どうか少しでも希望があってほしい。
そう思いながら、セイブリアンは言葉を続けた。
※※※
長い隊列の後には、ベイリーの貴族達の馬車、その後ろには荷馬車が続いた。
急いで馬を走らせれば三日の距離だが、馬車を使った大移動なので、到着までは一週間を予定していた。
リカルドは荷物の管理を任されていたので、後方の荷馬車の荷台に乗っていた。
セイブリアンやルーファス、アルジェンは馬に乗って先頭を進んでいるはずだ。
一人離れたところにいるので、残念に思う気持ちもあるが、今はこれでよかったとも思っている。
なぜなら、セイブリアンの側にいると、動悸が止まらなくて顔が赤くなり、動きがおかしくなってしまう。
出発前に、お茶を運ぶだけで落としてしまいそうになった。
ダメだと思っても、意識し過ぎてしまう。
それは出発前夜、セイブリアンとキスをしてしまったからだ。
今思い出しても、不意のキスから、どうしてあんな空気になってしまったのか分からない。
リカルドとしては夢のような時間だった。
あの後、夢に浸って長い時間、口付けていたような気がする。
朝日が差してきたら、魔法が解けたみたいに、離れないといけないと気がついた。
セイブリアンの膝から降りたリカルドは、準備があるのでと言って慌てて部屋に戻った。
セイブリアンがどんな顔をしていたのか、まともに見ることができなかった。
気まぐれや戯れであんなことをされる人ではない。
おそらく、多少いいと思ってくれているとは思うが、それが特別な感情、恋愛としての気持ちまで、寄せてくれているのか分からない。
セイブリアンから何か言おうとする空気を感じたが、ハッキリとした答えを聞かないまま、リカルドは走ってその場を離れてしまった。
それからセイブリアンの近くにいても、顔を下に向けたまま、目を合わさず、ひたすら体を動かして気を散らしていた。
セイブリアンも忙しい身の上なので、お互い動き回っていて、ちゃんと話せないまま、ここまで来てしまった。
時々物言いたげな視線を感じたが、気付かないフリをしていた。
「……だってさ。悪かったって……謝られたらどうしたらいいんだよ。なかったことにしようって言われたら……」
もちろんそう言われたら、分かりましたと言って頭を下げるつもりだ。
だけど顔を上げた時、上手く笑えるか分からない。
変な冗談はもう、やめてくださいと言って平気な顔をするのも……。
今までリカルドは、自分に嘘をついてごまかして、ヘラヘラ笑ってやり過ごすことが多かった。
そんな生き方はもうしたくないと思うのに、また一つ、偽りの気持ちを上から塗り込もうとしている。
本当にそれでいいのだろうか……
「もし、好きだって言ったら……」
セイブリアンの顔が曇ってしまうところを想像して、リカルドは床に頭をぶつけそうなくらい項垂れた。
どうしたらいいのか途方に暮れていたら、ガヤガヤと周囲が騒がしくなって、遠くに大きな壁に囲まれた町が見えた。
軍隊だけではなく、貴族を連れた旅で野宿は御法度だ。
きちんと、宿で休めるように日程を組んである。
どうやら、今日泊まる町に到着したようだと、すっかり一人で考え過ぎて頭が重くなったリカルドは、深く息をはいた。
※※※
砂埃が入らないように、口元を覆っていた布を外して、セイブリアンは深く息を吸った。
宿の窓から外を見ると、部下達がそれぞれ荷物を持って歩いて行く姿が見えたので、一息ついて近くのソファーに腰を下ろして身を沈めた。
「失礼します、部屋の割り当ては完了しました。これから明朝の出発時刻を連絡して回ります。食事はこちらにお持ちしますので、早めにお休みください」
忙しいと活き活きする人間もいる。
到着して早々、ルーファスは報告ですと言って、セイブリアンの部屋に顔を出した。
ルーファスは前回の遠征に来なかったので、久々にベイリーを離れることを、心待ちにしていたようだ。
「ここまでの道中、不審な点はなかったか?」
「ええ、問題はありません。我々に直接攻撃を仕掛けて来る、無謀な者はいないと思いますが、警戒は必要ですね。まさか、ここにきて皇太子殿下が襲われるとは……護衛は何をやっていたのか……」
「その件は他言するな。何事もなく、平常通りの姿を見せなければいけない。そこにつけ込んでくるヤツもいる」
「ええ、もちろんです。では、やはり、お怪我をされたというのは……」
セイブリアンが厳しい目をして頷くと、ルーファスは息を吸い込んで口を強く結んだ。
即位式を前に、反対派閥の動きが活発になり、本格的な妨害が始まった。
厳重な警備の目を潜って、皇太子が襲われたのはひと月ほど前のこと。
セイブリアンと同じく、ソードマスターである皇太子は、剣の達人であるが、刺客は皇太子妃を狙ってきた。
護衛の騎士とともに、敵を倒していた皇太子だったが、運悪くそこを通りかかった妃が狙われたために、自分の身を挺して庇うしかなかった。
命に別状はないと連絡があったが、利き腕を負傷したため、剣が使えない状態のようだ。
極秘扱いで連絡が来たため、セイブリアンは先に戦闘に慣れた自分の部下を、護衛として兄の元へ送っていた。
今襲われたら大変なことになるのは目に見えていたが、回復を待って即位式を延期するわけにいかない。
皇太子の権限と、皇帝としての権限は大きく違うからだ。
何としてでも、早く皇帝となり、反対派閥である有力貴族達の力を抑えなければいけなかった。
「可能性のあるご兄弟は?」
「……表向き大人しくしていても、みんな皇位を狙っている。俺以外、全員と言っていいだろう。だから兄は何かあった時は頼むと俺に手紙を送ってきた。こちらに動かれたら困ると、他の兄弟から妨害がくる可能性はある。とにかく、周囲の様子に目を光らせろ」
「かしこまりました」
ルーファスが頭を下げて部屋を出て行くのを見届けると、部屋の中に別の気配を感じた。
また報告かと、休む暇がないなと思いながら、セイブリアンは体の向きを変えた。
本棚の影がスッと動いたので、セイブリアンはご苦労と声をかけた。
わずかに開いた窓から風が吹いてきて、セイブリアンの髪を揺らした。
「例の大火事の件は分かったか?」
「はい、調査結果を確認したところ、多くの資料が消えていました。おそらく、指示があって処分したのでしょう。内部に入り込んで、元の資料を手に入れました。それによると、火事を最初に見たという証言者が判明しました」
「巡回中の騎士だったな、どんなヤツだ?」
「第二騎士団に所属していたオルヴという男です。資料によると、本来は二名で巡回するはずが、その日は欠員が出て、一人で巡回に出たと。酒場の厨房から火が出ているところを発見したが、規則通り報告が必要だと判断して、その場を離れたそうです」
「規則、か……。待て、第二騎士団といえば、リカルドの所属だったな」
「第二騎士団の団長はミケーレ•ワインズ、オルヴは彼の直属の部下だったそうです」
「今はどうしている?」
「火事の三ヶ月後に亡くなりました。酔って川に落ちて溺死だそうです」
「なんだって?」
時期的に、証拠を隠滅するような意図を感じてしまい、セイブリアンは体を起こして片眉を上げた。
例えば、火事の原因に彼が関わっていて、証言をさせた後、生きていたら不都合だから処分した。
そう考えると、真相がぐっと近くなったように感じた。
火の不始末、それだけなら証言者を殺すはずがない。
これは放火だった。
仕組まれて起こされた火事だったとしたら……
「明け方、誰もが寝静まっている時間、酒場に油を撒いて火をつけたヤツがいる」
ここまで考えてセイブリアンは顎に手を当てた。
リカルドの両親は長年町で酒場を営む、働き者で善良な夫婦だった。
店ごと焼き殺されるほどの恨みを買っていたとは思えない。
「火事自体が証拠隠滅だった、例えば衝動的に犯してしまった罪の証拠を消し去るには、全部燃やしてしまうのが手っ取り早い。……殺したい相手は別にいたんじゃないか?」
激しく燃えていた酒場の周辺、本当はそこに住んでいた人間が標的だったのではないかと、セイブリアンは考えた。
「そうか、殺人だ。火事の前に殺人が起きた。衝動的な犯行だから、被害者と一緒のところを複数に見られたとか、もうごまかせない状況だった。その証拠を消して、自分との繋がりを隠すために、ただの火の不始末で起きた火事だとした。調理場に油があるのは当たり前だから、酒場はその証拠隠滅に利用されたんだ」
「調査の方ですが、なかなか進まず、一次調査で酒場が原因とされたまま、オルヴの死で中途半端なところで終わっています」
「オルヴの上司であるミケーレが怪しいな。ワインズ家は有力な貴族だ。部下が死んだためと理由をつけて、圧力をかけて調査をやめさせる。自分にとって不都合だからと考えられるな。ミケーレについては?」
「結婚して二十年になる妻と、今年十六になる娘が一人。妻の実家は代々政治家の家系で、王の側近として名前の知られた家で、かなりの影響力があります。それを利用して、今の地位を手に入れたと言ってもいいかと。ただ、交遊関係は派手で、女好きとの噂もあります」
それを聞いたセイブリアンは、強く手を握った。
ぼんやりとしていたが、やっと真実の輪郭が見えてきた気がした。
「ミケーレの女関係を洗うんだ。噂程度でなく、実際にどうだったか、酒場近くの住人についても調べろ」
「現地に仲間を残しておりますので、すぐに回答が得られるかと……、分かり次第、ご報告します」
そう言って影は、窓からスッと消えていった。
思っていたよりもひどい結果になりそうだと、セイブリアンは頭を抱えた。
予想が正しければ、リカルドはもっと辛い思いをすることになる。
どうやって伝えたら、リカルドが傷付かずにすむかと考えたが、こればかりは難しい。
両親の死に、ミケーレが関わっていたとなれば、長年仇となる男に従ってきたことになる。
リカルドは相手を恨み、同時に自分を責めて、壊れてしまうのではないかと思った。
真実が分かった時、伝えずにいる方が、リカルドのためになるのか、自分だったらどうしてほしいか、セイブリアンは頭を悩ませた。
そこにトントンとノックの音がして、顔を上げると、ドアの隙間に見慣れた黒い髪が見えた。
「お食事をお持ちしました」
「あ……ああ、入ってくれ」
今考えていたリカルドが実際に現れたので、頭の中から出てきてしまったのではないかと、驚いてしまった。
可愛がりたい気持ちが膨らみ過ぎて、昨夜はリカルドに口付けをしてしまった。
もちろん、戯れにそんなことをしたわけではない。
偶然触れてしまった唇が、熱くなって疼き出し、リカルドを求めてしまった。
最初は思い出と重ね合わせてしまったが、それはキッカケにすぎない。
一生懸命に剣を覚えて、一つ課題を乗り越える度に、嬉しそうに笑うリカルドに惹かれていた。
もっと側で、この笑顔を独占したい。
ポタポタとインクが落ちるように、胸の中がリカルドの色で染まっていった。
騎士達に可愛がってもらったと聞けば、嫉妬して、懐の広いところを見せようとした。
物欲のないリカルドには効果がなかったが、再び剣を合わせたことで、深い繋がりができた気がした。
朝だって、困りながらも、一生懸命に起こしてくれる姿を見たくて、寝たふりをしたこともあった。
触れたい。
体の隅々まで、自分のものだと想いを刻みつけたい。
そんな風に思うなんて最低だと、心の中で、上司としての自分が警告してきた。
だから胸の内に留めて、態度に出さないように気を付けていたが、最近はそうとも言えなかった。
ルーファスに、特別扱いをし過ぎですとチクリと言われるほど、可愛がっていた。
あの時も、わずかに触れた唇から、リカルドの心臓の音が伝わってきた気がして、一気に火がついてしまった。
この気持ちが何なのか、とっくに分かっている。
伝えてもいいのか、どう伝えたらいいのか、拒絶されたらどうすればいいのか。
そんなことばかり、仕事中も頭の中を回っていた。
カチャカチャと食器の音だけが部屋に響いている。
リカルドはドアの横に立って、下を向いていた。
キスをしてから、気持ちを話す前にリカルドは走って行ってしまった。
それから、何度か話そうとしたが、リカルドは視線を合わせることなく、仕事を終わらせたら、いつも足早に去って行ってしまう。
避けられているのは明らかだった。
「お食事を終えられたようなので、下げます。私はこれで……」
「リカルド!」
やはり今回もリカルドは、食べ終えた食器をサッとワゴンの上に載せて、部屋を出て行こうとしたので、セイブリアンは急いで呼び止めた。
「……少し、話さないか? 昨夜のことだ」
「……はい」
リカルドも声をかけられることを予想していたのか、驚いた様子はなく、静かに振り返ってセイブリアンが用意した椅子に座った。
セイブリアンはベッドに腰を下ろして、お互いやっと向き合って話ができる体勢になった。
「あの――」
「それで――」
二人して同時に声を出してしまい、バッチリと目が合った。
「す、すみません、お先にどうぞ」
「あ、ああ、そうだな……」
話そうと思っていたことが、飛び散ってしまったので、頭の中で必死に拾い集めた後、セイブリアンは、ゴクッと唾を飲んでから口を開いた。
「昨夜のことだが、い……嫌では、なかった、か?」
「え……」
「あぁ、俺の立場でこんなことを言ったら、ハイとは言えないよな……。威圧的になっていたら、申し訳ない。素直に答えてくれていいんだ。もし、強引にしてしまったら……悪いと思っている」
「そんな……、私はいいですと言いました。セイブリアン様が、ちょっと興味があっただけだったとしても……」
「待て、ちょっと興味があったとはなんだ?」
「その……キスの訓練……みたいな感じかと……」
「そんなっ、そんな訓練はしない! まさか……そんな誤解をしていたのか……だから、避けて……」
ハッキリ言わずに進めてしまったことで、リカルドは全然違う方向を見ていたと分かった。
リカルドの突っ走るクセが、剣術に表れていたのを思い出した。
これは、ちゃんと言わないと、余計に絡まってしまうと気がついたセイブリアンは、ベッドから降りてリカルドの前にしゃがみ込んだ。
「え……」
リカルドの手を取って、甲に口付けると、リカルドはポカンと口を開けて、驚いた顔になった。
慎重に、傷つけないように、自分の想いを伝える。
セイブリアンはリカルドの顔を見上げて、決意を込めてから口を開いた。
「好きだ」
リカルドの目が大きく開かれた。
黒い瞳が揺れているのは、困惑なのかそれとも……
どうか少しでも希望があってほしい。
そう思いながら、セイブリアンは言葉を続けた。
※※※
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BL
俺はよくあるBL魔法学園ゲームの世界に異世界転生したらしい。よりにもよって、役どころは作中最悪の悪役令息だ。何重にも張られた没落エンドフラグをへし折る日々……なんてまっぴらごめんなので、前世のスキル(引きこもり)を最大限活用して平和を勝ち取る! ……はずだったのだが、どういうわけか俺の従者が「坊ちゃんの足すべすべ~」なんて言い出して!?
不憫王子に転生したら、獣人王太子の番になりました
織緒こん
BL
日本の大学生だった前世の記憶を持つクラフトクリフは異世界の王子に転生したものの、母親の身分が低く、同母の姉と共に継母である王妃に虐げられていた。そんなある日、父王が獣人族の国へ戦争を仕掛け、あっという間に負けてしまう。戦勝国の代表として乗り込んできたのは、なんと獅子獣人の王太子のリカルデロ! 彼は臣下にクラフトクリフを戦利品として側妃にしたらどうかとすすめられるが、王子があまりに痩せて見すぼらしいせいか、きっぱり「いらない」と断る。それでもクラフトクリフの処遇を決めかねた臣下たちは、彼をリカルデロの後宮に入れた。そこで、しばらく世話をされたクラフトクリフはやがて健康を取り戻し、再び、リカルデロと会う。すると、何故か、リカルデロは突然、クラフトクリフを溺愛し始めた。リカルデロの態度に心当たりのないクラフトクリフは情熱的な彼に戸惑うばかりで――!?
俺は勇者のお友だち
むぎごはん
BL
俺は王都の隅にある宿屋でバイトをして暮らしている。たまに訪ねてきてくれる騎士のイゼルさんに会えることが、唯一の心の支えとなっている。
2年前、突然この世界に転移してきてしまった主人公が、頑張って生きていくお話。
【完結】悪妻オメガの俺、離縁されたいんだけど旦那様が溺愛してくる
古井重箱
BL
【あらすじ】劣等感が強いオメガ、レムートは父から南域に嫁ぐよう命じられる。結婚相手はヴァイゼンなる偉丈夫。見知らぬ土地で、見知らぬ男と結婚するなんて嫌だ。悪妻になろう。そして離縁されて、修道士として生きていこう。そう決意したレムートは、悪妻になるべくワガママを口にするのだが、ヴァイゼンにかえって可愛らがれる事態に。「どうすれば悪妻になれるんだ!?」レムートの試練が始まる。【注記】海のように心が広い攻(25)×気難しい美人受(18)。ラブシーンありの回には*をつけます。オメガバースの一般的な解釈から外れたところがあったらごめんなさい。更新は気まぐれです。アルファポリスとムーンライトノベルズ、pixivに投稿。
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