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第三章
17、望み光る
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夜になり、訓練を終えたリカルドは、再びセイブリアンの従者として、寝床と湯の用意をした。
夕食が終わったセイブリアンは、疲れた顔で部屋に戻って来た。
帝都から来ていた使者と食事をしたらしいが、どうやらあまり楽しい時間ではなかったらしい。
部屋の端に立って待っていたリカルドを見て、セイブリアンは声をかけた。
「朝は……すまなかった。悪ふざけが過ぎた」
「い、いえ、私の方が調子に乗ってしまい……」
「上に立つ者として、自分勝手に振る舞いたくはない。嫌なことがあれば、すぐに嫌だと言ってくれ。殴っても構わない」
「そんな……、殴るなんて。……お気遣い、ありがとうございます。十分に良くしていただいています。嫌なことなどありません」
セイブリアンに向けて下げていた頭を上げると、セイブリアンは困ったような顔をしていたが、分かったと言って背中を向けた。
リカルドはいつも通り、上着に手をかけて脱がせた。
「まだ仕事が残っている。軽く湯を浴びてから、執務室に戻るから、先に休んでくれ」
「では、湯のお世話を……」
「大丈夫だ。お前こそ、訓練終わりでこっちの仕事もやって休めないだろう、早く寝て――」
「何を仰っているんですか、目の下にクマがあるのはセイブリアン様ですよ。早く湯船に浸かってください。マッサージしますから」
なぜか一歩引かれたような態度にリカルドの胸はチクンと痛んだ。
このままだと、微妙な距離が空いたままになりそうで、それは嫌だと思ってしまった。
もし自分が恋心を抱いていたとしても、叶うことなどない相手だ。
想いを知られなければ、側にいることはできる。
大丈夫、今まで自分を見てくれる人などいなかった。
だから、今度も同じだ。
セイブリアンの側で幸せを願うことができるなら、それが自分の幸せ、リカルドはそう思うことにした。
リカルドにぐいぐい押されて、湯浴み部屋に連れて行かれたセイブリアンは、不思議そうな顔で支度をして湯船に身体を沈めた。
リカルドは石鹸で泡立てた海綿を使って、セイブリアンの上半身を洗い始めた。
湯のお世話は上半身のみで、いつもそれが終わると世話人は退出する。
だが今日は違った。
セイブリアンの太い腕や厚い胸を丁寧に洗ってから、リカルドは温めていた布をセイブリアンの目の上に乗せた。
「ふちに頭を乗せて、力を抜いてください。軽く指で押していきますから、痛かったら言ってください」
信頼して身を任せてくれることに嬉しさを覚えながら、リカルドはセイブリアンの目元を優しく指で揉み始めた。
「……確かに……これはいいな。疲れが取れる」
「良かったです。晩餐は音楽も聞こえてきて、盛り上がっていましたね」
「ああ、帝都から来たのは、かなり力を持った貴族だったから、形だけはやらないと後が面倒でな。まったく……腹の黒い男だった」
「無理難題を押し付けてくるとか、……嫌な人ってことですか?」
「皇家の使いは口実で、俺と自分の娘を婚約させようとしてきた」
「ええっ……!!」
動揺してしまい、セイブリアンのこめかみを、ぎゅっと力を入れて揉んでしまったが、セイブリアンはビクともしなかった。
「あ……え……えと、そうですよね。皇子様となれば、そう言ったお話は山のようにありますよね」
「そうだな」
当たり前のようにそうだと言われてしまい、分かっていたつもりだったが、リカルドの胸はチクンと痛んだ。
アルジェンや他の仲間からも、合同練習の際に、セイブリアンはたくさんの令嬢に囲まれていたと聞いた。
住む世界が違うのだなというのが、痛いほど分かってしまった。
「俺にとっての結婚は、政治的な意味が強くなる。争いの種になるのなら、結婚はしないつもりだ」
「え……」
「兄弟は多いからな、王族はたくさんいる。時がくれば、この地も相応しい者に任せればいい。もう争いはたくさんだ」
幼い頃から命を狙われて、信頼した人達に裏切られてきたというセイブリアンは、人間関係や、人生そのものにすら、疲れ切ってしまったように見えた。
想像できないほど辛い人生を歩んできた人だから、残りの人生は安らぎを感じるものになってほしい。
セイブリアンの顔に触れながら、リカルドは自分の目頭が熱くなっていくのを感じた。
布で目を隠している状態なので、見られなくてよかったと思った。
「……ところで、このマッサージというやつは誰から教わったんだ?」
「訓練所の先輩からです。訓練終わりはみんな汗だくなので、近くの川で水浴びをするんです。そこで、疲れを癒す方法を色々と教わりました。アルジェンのおかげで、先輩達に可愛がってもらえるようになって……」
セイブリアンの耳がピクッと動いたので、くすぐったかったかなと思ったリカルドは手を止めた。
「可愛がって……」
「ええ、家に呼んでもらって食事会とか、町の飲み屋も案内してくれて……いい先輩達ばかりですけど……」
一時期、訓練所で陰口を言われていたことがあったが、そういう連中の口を黙らせるように、リカルドは全員倒していった。
すると、騎士の先輩達が興味を持ってくれたようで、アルジェンを通じて、飲みに連れていってくれるようになった。
最初は自分が面倒を見ていたから、心配してくれているのかもしれないと思ったが、セイブリアンは無言になって、機嫌が悪そうな気配が漂ってきた。
よく分からないが、先輩達が怒られてしまうような空気を察したリカルドは、慌てて彼らを持ち上げることにした。
「先輩達はみんな、剣の練習に遅くまで付き合ってくれますし、話も面白くて、優しくて、力も強いし、すごくカッコよくて……」
先輩達の勇姿を伝えようと必死になっていると、バシャンと音がして、セイブリアンは頭からお湯に沈んでしまった。
「わっ、だ、大丈夫ですか!?」
「げっ……ごっ、す……すまない……」
「俺のせいです。お疲れのところ、長話をしてしまいました。すぐに上がりましょう」
手を掴んで支えると、謝られたが、セイブリアンは首を振って違うと言った。
「ま、まて、その……な、何か欲しい物はないか?」
「物……ですか? 特には……」
「なら、したい事でもいい。行きたいところがあれば連れて行ってもいい。色々頑張っているようだから……」
セイブリアンの言葉の意味を掴みかねていたが、気を使ってくれて、上司として労いたいということだろうと理解した。
嬉しいなと思ったリカルドは、思い切って、考えていたことを話してみることにした。
「では……、私と剣の手合わせしていただけませんか?」
「手合わせ?」
「はい、日中訓練に参加して、頑張ってきました。遠く及ばないとは思いますが、ぜひ一度、成果を見ていただきたいのです」
セイブリアンの側にいたい。
それなら、少しでも使える人間にならなくてはいけない。
何かあった時、背中を任せてもらえるような人間になりたい。
だから、今の自分を知ってほしいと、リカルドは真剣な顔でセイブリアンを見つめた。
「分かった……。では明日の朝、いつもの場所だ」
「はい! ありがとうございます」
セイブリアンは少し考えるような顔をしていたが、目を合わせて、頷いてくれた。
少し訓練したところで、変わらないのかもしれない。
だけど、隣にいていいという証明が欲しかった。
騎士になることはできなくても、セイブリアンを守る盾に……
リカルドは気持ちを込めるように、手を強く握った。
※※※
まだ夜が明けきらず、辺りは薄暗くて肌寒かった。
セイブリアンが個人訓練所に足を踏み入れると、いつから待っていたのか、すでにリカルドが立っていた。
セイブリアンはほとんど寝付けなくて、少し外が明るくなったのでそのまま起きたが、リカルドも同じだったのかもしれない。
「剣気は使わないが、手加減はしないぞ」
「お願いします」
待っていましたとばかりに、剣を構えたリカルドは、一直線に走り出した。
剣を抜いたセイブリアンは、片手で鞘を投げて、片手でリカルドの一撃を防いだ。
キィィンと耳をつんざく音が響くと、リカルドはすぐに後ろに引いて間合いを取った。
反撃が来ると思ったのだろう、いい動きに、セイブリアンは思わず顔を綻ばせた。
「いい反応だ。よく鍛えたな」
「まだです。こんなものじゃ――」
いくら鍛錬を重ねたとはいえ、体力の差は埋められない。
持久戦に持ち込めば、不利なことは一目瞭然。
早めに勝負をかけなければと思ったのだろう。
リカルドは一気に猛攻を仕掛けてきた。
打って打って、打ち続ける。
右に左に剣を振りながら、リカルドは勢いよく間合いを詰めてきた。
真剣なリカルドの様子を見て、今日は本気でやろうとセイブリアンも覚悟していた。
とはいえ、リカルドに怪我を負わせたくはない。
その思いが先行していたが、剣を合わせるうちに楽しくなってきた。
リカルドは息を吸うのも忘れているようで、歯を食いしばって力強く剣を振ってくる。
セイブリアンは上手く力を逃しながら剣を受けて、自分が優位になるように流れを作った。
隊の部下ならば、この辺りで剣を弾いて喉元に当てているが、必死に食らいついてくるリカルドを見ると、それはできなかった。
気を抜くと、反対にやられそうなくらい勢いがある。
重さ不足だが、センスがいい。
急所を狙って的確に攻めてくるのもいい。
このまま何時間でも受けていたくて、セイブリアンはニヤッと笑ったが、リカルドの方は息が上がっているのが分かった。
もうそろそろ終わらせる。
そう思ったセイブリアンが体勢を変えた時、バテていたと思ったリカルドが、今までで一番早い動きで突っ込んできた。
「くっ……」
リカルドの渾身の一撃をなんとか避けたセイブリアンは、体勢を崩したリカルドの背中に剣をピタリと当てた。
ガシャンと音がして、リカルドが持っていた剣が、地面に落ちた。
しばらくお互いそのまま動かずに、肩を揺らして息をするだけの時間が過ぎだ。
少し経って、ガクンと地面に膝をついたリカルドは、悔しそうにガクリと項垂れた。
「や……やっぱり……強いなぁー」
地面に落ちた剣に触れたリカルドの背中は震えていた。
セイブリアンにも痛いほどわかる。
必死に頑張って向かって行った相手に、負けてしまった時、努力が無駄になってしまったような気持ちになる。
しかし、そうではない。
セイブリアンはそれを伝えるために、姿勢を正してリカルドの名を呼んだ。
リカルドは膝をついたまま、ハァハァと息を切らしして、セイブリアンの方に体を向けた。
「騎士見習いのリカルド」
「え……」
リカルドのことをそう呼んだのは初めてだった。
不思議そうなリカルドの顔を見ながら、セイブリアンは片腕を挙げた。
「…………、あっっ!」
一直線に切れた袖口、そしてセイブリアンの腕には、わずかだが横に切れた傷があった。
リカルドは自分が付けた傷だとは思わなかったのか、最初は目をパチパチと瞬かせていたが、やっと息を吸い込んで、大きな声を上げた。
「よくやったな。俺に一太刀当てたのは、隊の中でもルーセントくらいだ」
「う……嘘……全然気づかな……ええ!? ああ、あの、すみません!」
「謝ることはない。試合をしていたんだ、当たり前だろう。しかしこれで、約束を果たさなければいけない」
セイブリアンが意味深に片眉を上げると、その意味に気がついたのか、リカルドは姿勢を正して地面に両膝をついた。
「その件ですが……、行き場のない俺をここに置いていただけて、それだけで俺には十分です。あの時の言葉は励ましてくださったのだと分かっていますから……」
「リカルド、俺は約束を果たす男だ」
そう言ったセイブリアンは一度収めた剣をまた引き抜いて、リカルドの肩の上に置いた。
「帝国法で敵国兵士を自国の騎士にするには、皇帝の許可と法を変える必要がある。だが、ここでは話が別だ。俺が領主として、任命することができる」
セイブリアンが淡々と喋るのを、リカルドは信じられないという顔で見上げていた。
「騎士見習いリカルド、お前の実力を認め、今日より、このベイリー領において、領主セイブリアン・ブロンサム・アルカンテーゼの専属騎士として任命する。いかなる時も、盾となり剣となり、主君を守り抜くことを誓うか?」
大きく目を開いたリカルドは、まだ事態が飲み込めない様子で、目を開いたり閉じたりしていたが、しだいに感情が込み上げてきたのか、唇を震わせて目を潤ませた。
「……は……は……い、もちろん……で……、ち、誓い……ます」
やっと言葉が出てきたが、それと同時に、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
なんで綺麗なんだろうと、リカルドを見下ろしながら、近くで触れたいと思ってしまった。
「う……嘘、俺……騎士に……」
「そうだ、騎士見習いではない。だが、俺の力がないばかりに、正式なものではなく、この地限定のもので悪いが……」
「あ、あり……ありがとうございます!!」
本当なら、帝国騎士だと堂々と名乗らせてあげたいところなのだが、今のセイブリアンの力では、これが精一杯だった。
泣いているリカルドを慰めようと、剣を納めたセイブリアンは、膝を折ってしゃがみ込んだ。
すると、感極まった顔になったリカルドが、セイブリアンに抱きついてきた。
「嬉しい……嬉しいです。俺……やっと……」
「リカルド……」
「父さん、母さん……やっとなれた……騎士になれた」
震えながら声を絞り出して泣くリカルドを、セイブリアンはそっと抱きしめ返した。
正式に書類が発行されるわけでもなく、二人だけの口約束みたいな身分だが、リカルドはそれでも嬉しいと言ってくれた。
朝日が燦々と輝いて、二人を明るく照らした。
ハリボテではない。
いつか必ず、本当の輝きの下に、リカルドを連れて行ってあげたい。
戦い続けることに疲れて、生きる目的を失いかけていたセイブリアンの心に、柔らかな光が差した気がした。
※※※
夕食が終わったセイブリアンは、疲れた顔で部屋に戻って来た。
帝都から来ていた使者と食事をしたらしいが、どうやらあまり楽しい時間ではなかったらしい。
部屋の端に立って待っていたリカルドを見て、セイブリアンは声をかけた。
「朝は……すまなかった。悪ふざけが過ぎた」
「い、いえ、私の方が調子に乗ってしまい……」
「上に立つ者として、自分勝手に振る舞いたくはない。嫌なことがあれば、すぐに嫌だと言ってくれ。殴っても構わない」
「そんな……、殴るなんて。……お気遣い、ありがとうございます。十分に良くしていただいています。嫌なことなどありません」
セイブリアンに向けて下げていた頭を上げると、セイブリアンは困ったような顔をしていたが、分かったと言って背中を向けた。
リカルドはいつも通り、上着に手をかけて脱がせた。
「まだ仕事が残っている。軽く湯を浴びてから、執務室に戻るから、先に休んでくれ」
「では、湯のお世話を……」
「大丈夫だ。お前こそ、訓練終わりでこっちの仕事もやって休めないだろう、早く寝て――」
「何を仰っているんですか、目の下にクマがあるのはセイブリアン様ですよ。早く湯船に浸かってください。マッサージしますから」
なぜか一歩引かれたような態度にリカルドの胸はチクンと痛んだ。
このままだと、微妙な距離が空いたままになりそうで、それは嫌だと思ってしまった。
もし自分が恋心を抱いていたとしても、叶うことなどない相手だ。
想いを知られなければ、側にいることはできる。
大丈夫、今まで自分を見てくれる人などいなかった。
だから、今度も同じだ。
セイブリアンの側で幸せを願うことができるなら、それが自分の幸せ、リカルドはそう思うことにした。
リカルドにぐいぐい押されて、湯浴み部屋に連れて行かれたセイブリアンは、不思議そうな顔で支度をして湯船に身体を沈めた。
リカルドは石鹸で泡立てた海綿を使って、セイブリアンの上半身を洗い始めた。
湯のお世話は上半身のみで、いつもそれが終わると世話人は退出する。
だが今日は違った。
セイブリアンの太い腕や厚い胸を丁寧に洗ってから、リカルドは温めていた布をセイブリアンの目の上に乗せた。
「ふちに頭を乗せて、力を抜いてください。軽く指で押していきますから、痛かったら言ってください」
信頼して身を任せてくれることに嬉しさを覚えながら、リカルドはセイブリアンの目元を優しく指で揉み始めた。
「……確かに……これはいいな。疲れが取れる」
「良かったです。晩餐は音楽も聞こえてきて、盛り上がっていましたね」
「ああ、帝都から来たのは、かなり力を持った貴族だったから、形だけはやらないと後が面倒でな。まったく……腹の黒い男だった」
「無理難題を押し付けてくるとか、……嫌な人ってことですか?」
「皇家の使いは口実で、俺と自分の娘を婚約させようとしてきた」
「ええっ……!!」
動揺してしまい、セイブリアンのこめかみを、ぎゅっと力を入れて揉んでしまったが、セイブリアンはビクともしなかった。
「あ……え……えと、そうですよね。皇子様となれば、そう言ったお話は山のようにありますよね」
「そうだな」
当たり前のようにそうだと言われてしまい、分かっていたつもりだったが、リカルドの胸はチクンと痛んだ。
アルジェンや他の仲間からも、合同練習の際に、セイブリアンはたくさんの令嬢に囲まれていたと聞いた。
住む世界が違うのだなというのが、痛いほど分かってしまった。
「俺にとっての結婚は、政治的な意味が強くなる。争いの種になるのなら、結婚はしないつもりだ」
「え……」
「兄弟は多いからな、王族はたくさんいる。時がくれば、この地も相応しい者に任せればいい。もう争いはたくさんだ」
幼い頃から命を狙われて、信頼した人達に裏切られてきたというセイブリアンは、人間関係や、人生そのものにすら、疲れ切ってしまったように見えた。
想像できないほど辛い人生を歩んできた人だから、残りの人生は安らぎを感じるものになってほしい。
セイブリアンの顔に触れながら、リカルドは自分の目頭が熱くなっていくのを感じた。
布で目を隠している状態なので、見られなくてよかったと思った。
「……ところで、このマッサージというやつは誰から教わったんだ?」
「訓練所の先輩からです。訓練終わりはみんな汗だくなので、近くの川で水浴びをするんです。そこで、疲れを癒す方法を色々と教わりました。アルジェンのおかげで、先輩達に可愛がってもらえるようになって……」
セイブリアンの耳がピクッと動いたので、くすぐったかったかなと思ったリカルドは手を止めた。
「可愛がって……」
「ええ、家に呼んでもらって食事会とか、町の飲み屋も案内してくれて……いい先輩達ばかりですけど……」
一時期、訓練所で陰口を言われていたことがあったが、そういう連中の口を黙らせるように、リカルドは全員倒していった。
すると、騎士の先輩達が興味を持ってくれたようで、アルジェンを通じて、飲みに連れていってくれるようになった。
最初は自分が面倒を見ていたから、心配してくれているのかもしれないと思ったが、セイブリアンは無言になって、機嫌が悪そうな気配が漂ってきた。
よく分からないが、先輩達が怒られてしまうような空気を察したリカルドは、慌てて彼らを持ち上げることにした。
「先輩達はみんな、剣の練習に遅くまで付き合ってくれますし、話も面白くて、優しくて、力も強いし、すごくカッコよくて……」
先輩達の勇姿を伝えようと必死になっていると、バシャンと音がして、セイブリアンは頭からお湯に沈んでしまった。
「わっ、だ、大丈夫ですか!?」
「げっ……ごっ、す……すまない……」
「俺のせいです。お疲れのところ、長話をしてしまいました。すぐに上がりましょう」
手を掴んで支えると、謝られたが、セイブリアンは首を振って違うと言った。
「ま、まて、その……な、何か欲しい物はないか?」
「物……ですか? 特には……」
「なら、したい事でもいい。行きたいところがあれば連れて行ってもいい。色々頑張っているようだから……」
セイブリアンの言葉の意味を掴みかねていたが、気を使ってくれて、上司として労いたいということだろうと理解した。
嬉しいなと思ったリカルドは、思い切って、考えていたことを話してみることにした。
「では……、私と剣の手合わせしていただけませんか?」
「手合わせ?」
「はい、日中訓練に参加して、頑張ってきました。遠く及ばないとは思いますが、ぜひ一度、成果を見ていただきたいのです」
セイブリアンの側にいたい。
それなら、少しでも使える人間にならなくてはいけない。
何かあった時、背中を任せてもらえるような人間になりたい。
だから、今の自分を知ってほしいと、リカルドは真剣な顔でセイブリアンを見つめた。
「分かった……。では明日の朝、いつもの場所だ」
「はい! ありがとうございます」
セイブリアンは少し考えるような顔をしていたが、目を合わせて、頷いてくれた。
少し訓練したところで、変わらないのかもしれない。
だけど、隣にいていいという証明が欲しかった。
騎士になることはできなくても、セイブリアンを守る盾に……
リカルドは気持ちを込めるように、手を強く握った。
※※※
まだ夜が明けきらず、辺りは薄暗くて肌寒かった。
セイブリアンが個人訓練所に足を踏み入れると、いつから待っていたのか、すでにリカルドが立っていた。
セイブリアンはほとんど寝付けなくて、少し外が明るくなったのでそのまま起きたが、リカルドも同じだったのかもしれない。
「剣気は使わないが、手加減はしないぞ」
「お願いします」
待っていましたとばかりに、剣を構えたリカルドは、一直線に走り出した。
剣を抜いたセイブリアンは、片手で鞘を投げて、片手でリカルドの一撃を防いだ。
キィィンと耳をつんざく音が響くと、リカルドはすぐに後ろに引いて間合いを取った。
反撃が来ると思ったのだろう、いい動きに、セイブリアンは思わず顔を綻ばせた。
「いい反応だ。よく鍛えたな」
「まだです。こんなものじゃ――」
いくら鍛錬を重ねたとはいえ、体力の差は埋められない。
持久戦に持ち込めば、不利なことは一目瞭然。
早めに勝負をかけなければと思ったのだろう。
リカルドは一気に猛攻を仕掛けてきた。
打って打って、打ち続ける。
右に左に剣を振りながら、リカルドは勢いよく間合いを詰めてきた。
真剣なリカルドの様子を見て、今日は本気でやろうとセイブリアンも覚悟していた。
とはいえ、リカルドに怪我を負わせたくはない。
その思いが先行していたが、剣を合わせるうちに楽しくなってきた。
リカルドは息を吸うのも忘れているようで、歯を食いしばって力強く剣を振ってくる。
セイブリアンは上手く力を逃しながら剣を受けて、自分が優位になるように流れを作った。
隊の部下ならば、この辺りで剣を弾いて喉元に当てているが、必死に食らいついてくるリカルドを見ると、それはできなかった。
気を抜くと、反対にやられそうなくらい勢いがある。
重さ不足だが、センスがいい。
急所を狙って的確に攻めてくるのもいい。
このまま何時間でも受けていたくて、セイブリアンはニヤッと笑ったが、リカルドの方は息が上がっているのが分かった。
もうそろそろ終わらせる。
そう思ったセイブリアンが体勢を変えた時、バテていたと思ったリカルドが、今までで一番早い動きで突っ込んできた。
「くっ……」
リカルドの渾身の一撃をなんとか避けたセイブリアンは、体勢を崩したリカルドの背中に剣をピタリと当てた。
ガシャンと音がして、リカルドが持っていた剣が、地面に落ちた。
しばらくお互いそのまま動かずに、肩を揺らして息をするだけの時間が過ぎだ。
少し経って、ガクンと地面に膝をついたリカルドは、悔しそうにガクリと項垂れた。
「や……やっぱり……強いなぁー」
地面に落ちた剣に触れたリカルドの背中は震えていた。
セイブリアンにも痛いほどわかる。
必死に頑張って向かって行った相手に、負けてしまった時、努力が無駄になってしまったような気持ちになる。
しかし、そうではない。
セイブリアンはそれを伝えるために、姿勢を正してリカルドの名を呼んだ。
リカルドは膝をついたまま、ハァハァと息を切らしして、セイブリアンの方に体を向けた。
「騎士見習いのリカルド」
「え……」
リカルドのことをそう呼んだのは初めてだった。
不思議そうなリカルドの顔を見ながら、セイブリアンは片腕を挙げた。
「…………、あっっ!」
一直線に切れた袖口、そしてセイブリアンの腕には、わずかだが横に切れた傷があった。
リカルドは自分が付けた傷だとは思わなかったのか、最初は目をパチパチと瞬かせていたが、やっと息を吸い込んで、大きな声を上げた。
「よくやったな。俺に一太刀当てたのは、隊の中でもルーセントくらいだ」
「う……嘘……全然気づかな……ええ!? ああ、あの、すみません!」
「謝ることはない。試合をしていたんだ、当たり前だろう。しかしこれで、約束を果たさなければいけない」
セイブリアンが意味深に片眉を上げると、その意味に気がついたのか、リカルドは姿勢を正して地面に両膝をついた。
「その件ですが……、行き場のない俺をここに置いていただけて、それだけで俺には十分です。あの時の言葉は励ましてくださったのだと分かっていますから……」
「リカルド、俺は約束を果たす男だ」
そう言ったセイブリアンは一度収めた剣をまた引き抜いて、リカルドの肩の上に置いた。
「帝国法で敵国兵士を自国の騎士にするには、皇帝の許可と法を変える必要がある。だが、ここでは話が別だ。俺が領主として、任命することができる」
セイブリアンが淡々と喋るのを、リカルドは信じられないという顔で見上げていた。
「騎士見習いリカルド、お前の実力を認め、今日より、このベイリー領において、領主セイブリアン・ブロンサム・アルカンテーゼの専属騎士として任命する。いかなる時も、盾となり剣となり、主君を守り抜くことを誓うか?」
大きく目を開いたリカルドは、まだ事態が飲み込めない様子で、目を開いたり閉じたりしていたが、しだいに感情が込み上げてきたのか、唇を震わせて目を潤ませた。
「……は……は……い、もちろん……で……、ち、誓い……ます」
やっと言葉が出てきたが、それと同時に、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
なんで綺麗なんだろうと、リカルドを見下ろしながら、近くで触れたいと思ってしまった。
「う……嘘、俺……騎士に……」
「そうだ、騎士見習いではない。だが、俺の力がないばかりに、正式なものではなく、この地限定のもので悪いが……」
「あ、あり……ありがとうございます!!」
本当なら、帝国騎士だと堂々と名乗らせてあげたいところなのだが、今のセイブリアンの力では、これが精一杯だった。
泣いているリカルドを慰めようと、剣を納めたセイブリアンは、膝を折ってしゃがみ込んだ。
すると、感極まった顔になったリカルドが、セイブリアンに抱きついてきた。
「嬉しい……嬉しいです。俺……やっと……」
「リカルド……」
「父さん、母さん……やっとなれた……騎士になれた」
震えながら声を絞り出して泣くリカルドを、セイブリアンはそっと抱きしめ返した。
正式に書類が発行されるわけでもなく、二人だけの口約束みたいな身分だが、リカルドはそれでも嬉しいと言ってくれた。
朝日が燦々と輝いて、二人を明るく照らした。
ハリボテではない。
いつか必ず、本当の輝きの下に、リカルドを連れて行ってあげたい。
戦い続けることに疲れて、生きる目的を失いかけていたセイブリアンの心に、柔らかな光が差した気がした。
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ある日、教室中に響いた声だ。
……この言い方には語弊があった。
正確には、頭の中に響いた声だ。何故なら、耳から聞こえて来た感覚は無く、直接頭を揺らされたという感覚に襲われたからだ。
テレパシーというものが実際にあったなら、確かにこういうものなのかも知れない。
問題はいくつかあるが、最大の問題は……俺はただその教室近くの廊下を歩いていただけという事だ。
*当作品はカクヨム様でも掲載しております。
【完結】伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします
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BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃん……え、おじいちゃん……!?
しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが吃驚して憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です!
めちゃくちゃかっこよくて可愛い伴侶がいますので!
本編完結しました!
時々おまけを更新しています。
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