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第三章

17、望み光る

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 夜になり、訓練を終えたリカルドは、再びセイブリアンの従者として、寝床と湯の用意をした。
 夕食が終わったセイブリアンは、疲れた顔で部屋に戻って来た。
 帝都から来ていた使者と食事をしたらしいが、どうやらあまり楽しい時間ではなかったらしい。
 部屋の端に立って待っていたリカルドを見て、セイブリアンは声をかけた。

「朝は……すまなかった。悪ふざけが過ぎた」

「い、いえ、私の方が調子に乗ってしまい……」

「上に立つ者として、自分勝手に振る舞いたくはない。嫌なことがあれば、すぐに嫌だと言ってくれ。殴っても構わない」

「そんな……、殴るなんて。……お気遣い、ありがとうございます。十分に良くしていただいています。嫌なことなどありません」

 セイブリアンに向けて下げていた頭を上げると、セイブリアンは困ったような顔をしていたが、分かったと言って背中を向けた。
 リカルドはいつも通り、上着に手をかけて脱がせた。

「まだ仕事が残っている。軽く湯を浴びてから、執務室に戻るから、先に休んでくれ」

「では、湯のお世話を……」

「大丈夫だ。お前こそ、訓練終わりでこっちの仕事もやって休めないだろう、早く寝て――」

「何を仰っているんですか、目の下にクマがあるのはセイブリアン様ですよ。早く湯船に浸かってください。マッサージしますから」

 なぜか一歩引かれたような態度にリカルドの胸はチクンと痛んだ。
 このままだと、微妙な距離が空いたままになりそうで、それは嫌だと思ってしまった。
 もし自分が恋心を抱いていたとしても、叶うことなどない相手だ。
 想いを知られなければ、側にいることはできる。
 大丈夫、今まで自分を見てくれる人などいなかった。
 だから、今度も同じだ。
 セイブリアンの側で幸せを願うことができるなら、それが自分の幸せ、リカルドはそう思うことにした。

 リカルドにぐいぐい押されて、湯浴み部屋に連れて行かれたセイブリアンは、不思議そうな顔で支度をして湯船に身体を沈めた。
 リカルドは石鹸で泡立てた海綿を使って、セイブリアンの上半身を洗い始めた。
 湯のお世話は上半身のみで、いつもそれが終わると世話人は退出する。
 だが今日は違った。
 セイブリアンの太い腕や厚い胸を丁寧に洗ってから、リカルドは温めていた布をセイブリアンの目の上に乗せた。

「ふちに頭を乗せて、力を抜いてください。軽く指で押していきますから、痛かったら言ってください」

 信頼して身を任せてくれることに嬉しさを覚えながら、リカルドはセイブリアンの目元を優しく指で揉み始めた。

「……確かに……これはいいな。疲れが取れる」

「良かったです。晩餐は音楽も聞こえてきて、盛り上がっていましたね」

「ああ、帝都から来たのは、かなり力を持った貴族だったから、形だけはやらないと後が面倒でな。まったく……腹の黒い男だった」

「無理難題を押し付けてくるとか、……嫌な人ってことですか?」

「皇家の使いは口実で、俺と自分の娘を婚約させようとしてきた」

「ええっ……!!」

 動揺してしまい、セイブリアンのこめかみを、ぎゅっと力を入れて揉んでしまったが、セイブリアンはビクともしなかった。

「あ……え……えと、そうですよね。皇子様となれば、そう言ったお話は山のようにありますよね」

「そうだな」

 当たり前のようにそうだと言われてしまい、分かっていたつもりだったが、リカルドの胸はチクンと痛んだ。
 アルジェンや他の仲間からも、合同練習の際に、セイブリアンはたくさんの令嬢に囲まれていたと聞いた。
 住む世界が違うのだなというのが、痛いほど分かってしまった。

「俺にとっての結婚は、政治的な意味が強くなる。争いの種になるのなら、結婚はしないつもりだ」

「え……」

「兄弟は多いからな、王族はたくさんいる。時がくれば、この地も相応しい者に任せればいい。もう争いはたくさんだ」

 幼い頃から命を狙われて、信頼した人達に裏切られてきたというセイブリアンは、人間関係や、人生そのものにすら、疲れ切ってしまったように見えた。
 想像できないほど辛い人生を歩んできた人だから、残りの人生は安らぎを感じるものになってほしい。
 セイブリアンの顔に触れながら、リカルドは自分の目頭が熱くなっていくのを感じた。
 布で目を隠している状態なので、見られなくてよかったと思った。

「……ところで、このマッサージというやつは誰から教わったんだ?」

「訓練所の先輩からです。訓練終わりはみんな汗だくなので、近くの川で水浴びをするんです。そこで、疲れを癒す方法を色々と教わりました。アルジェンのおかげで、先輩達に可愛がってもらえるようになって……」

 セイブリアンの耳がピクッと動いたので、くすぐったかったかなと思ったリカルドは手を止めた。
 
「可愛がって……」

「ええ、家に呼んでもらって食事会とか、町の飲み屋も案内してくれて……いい先輩達ばかりですけど……」

 一時期、訓練所で陰口を言われていたことがあったが、そういう連中の口を黙らせるように、リカルドは全員倒していった。
 すると、騎士の先輩達が興味を持ってくれたようで、アルジェンを通じて、飲みに連れていってくれるようになった。
 最初は自分が面倒を見ていたから、心配してくれているのかもしれないと思ったが、セイブリアンは無言になって、機嫌が悪そうな気配が漂ってきた。
 よく分からないが、先輩達が怒られてしまうような空気を察したリカルドは、慌てて彼らを持ち上げることにした。

「先輩達はみんな、剣の練習に遅くまで付き合ってくれますし、話も面白くて、優しくて、力も強いし、すごくカッコよくて……」

 先輩達の勇姿を伝えようと必死になっていると、バシャンと音がして、セイブリアンは頭からお湯に沈んでしまった。

「わっ、だ、大丈夫ですか!?」

「げっ……ごっ、す……すまない……」

「俺のせいです。お疲れのところ、長話をしてしまいました。すぐに上がりましょう」

 手を掴んで支えると、謝られたが、セイブリアンは首を振って違うと言った。

「ま、まて、その……な、何か欲しい物はないか?」

「物……ですか? 特には……」

「なら、したい事でもいい。行きたいところがあれば連れて行ってもいい。色々頑張っているようだから……」

 セイブリアンの言葉の意味を掴みかねていたが、気を使ってくれて、上司として労いたいということだろうと理解した。
 嬉しいなと思ったリカルドは、思い切って、考えていたことを話してみることにした。

「では……、私と剣の手合わせしていただけませんか?」

「手合わせ?」

「はい、日中訓練に参加して、頑張ってきました。遠く及ばないとは思いますが、ぜひ一度、成果を見ていただきたいのです」

 セイブリアンの側にいたい。
 それなら、少しでも使える人間にならなくてはいけない。
 何かあった時、背中を任せてもらえるような人間になりたい。
 だから、今の自分を知ってほしいと、リカルドは真剣な顔でセイブリアンを見つめた。

「分かった……。では明日の朝、いつもの場所だ」

「はい! ありがとうございます」

 セイブリアンは少し考えるような顔をしていたが、目を合わせて、頷いてくれた。
 少し訓練したところで、変わらないのかもしれない。
 だけど、隣にいていいという証明が欲しかった。
 騎士になることはできなくても、セイブリアンを守る盾に……
 リカルドは気持ちを込めるように、手を強く握った。

 

※※※


 まだ夜が明けきらず、辺りは薄暗くて肌寒かった。
 セイブリアンが個人訓練所に足を踏み入れると、いつから待っていたのか、すでにリカルドが立っていた。
 セイブリアンはほとんど寝付けなくて、少し外が明るくなったのでそのまま起きたが、リカルドも同じだったのかもしれない。

「剣気は使わないが、手加減はしないぞ」

「お願いします」

 待っていましたとばかりに、剣を構えたリカルドは、一直線に走り出した。
 剣を抜いたセイブリアンは、片手で鞘を投げて、片手でリカルドの一撃を防いだ。
 キィィンと耳をつんざく音が響くと、リカルドはすぐに後ろに引いて間合いを取った。
 反撃が来ると思ったのだろう、いい動きに、セイブリアンは思わず顔を綻ばせた。
 
「いい反応だ。よく鍛えたな」

「まだです。こんなものじゃ――」

 いくら鍛錬を重ねたとはいえ、体力の差は埋められない。
 持久戦に持ち込めば、不利なことは一目瞭然。
 早めに勝負をかけなければと思ったのだろう。
 リカルドは一気に猛攻を仕掛けてきた。
 打って打って、打ち続ける。
 右に左に剣を振りながら、リカルドは勢いよく間合いを詰めてきた。
 真剣なリカルドの様子を見て、今日は本気でやろうとセイブリアンも覚悟していた。
 とはいえ、リカルドに怪我を負わせたくはない。
 その思いが先行していたが、剣を合わせるうちに楽しくなってきた。
 リカルドは息を吸うのも忘れているようで、歯を食いしばって力強く剣を振ってくる。
 セイブリアンは上手く力を逃しながら剣を受けて、自分が優位になるように流れを作った。

 隊の部下ならば、この辺りで剣を弾いて喉元に当てているが、必死に食らいついてくるリカルドを見ると、それはできなかった。
 気を抜くと、反対にやられそうなくらい勢いがある。
 重さ不足だが、センスがいい。
 急所を狙って的確に攻めてくるのもいい。
 このまま何時間でも受けていたくて、セイブリアンはニヤッと笑ったが、リカルドの方は息が上がっているのが分かった。
 もうそろそろ終わらせる。
 そう思ったセイブリアンが体勢を変えた時、バテていたと思ったリカルドが、今までで一番早い動きで突っ込んできた。

「くっ……」

 リカルドの渾身の一撃をなんとか避けたセイブリアンは、体勢を崩したリカルドの背中に剣をピタリと当てた。
 ガシャンと音がして、リカルドが持っていた剣が、地面に落ちた。
 しばらくお互いそのまま動かずに、肩を揺らして息をするだけの時間が過ぎだ。
 少し経って、ガクンと地面に膝をついたリカルドは、悔しそうにガクリと項垂れた。
 
「や……やっぱり……強いなぁー」

 地面に落ちた剣に触れたリカルドの背中は震えていた。
 セイブリアンにも痛いほどわかる。
 必死に頑張って向かって行った相手に、負けてしまった時、努力が無駄になってしまったような気持ちになる。
 しかし、そうではない。
 セイブリアンはそれを伝えるために、姿勢を正してリカルドの名を呼んだ。
 リカルドは膝をついたまま、ハァハァと息を切らしして、セイブリアンの方に体を向けた。

「騎士見習いのリカルド」

「え……」

 リカルドのことをそう呼んだのは初めてだった。
 不思議そうなリカルドの顔を見ながら、セイブリアンは片腕を挙げた。

「…………、あっっ!」

 一直線に切れた袖口、そしてセイブリアンの腕には、わずかだが横に切れた傷があった。
 リカルドは自分が付けた傷だとは思わなかったのか、最初は目をパチパチと瞬かせていたが、やっと息を吸い込んで、大きな声を上げた。

「よくやったな。俺に一太刀当てたのは、隊の中でもルーセントくらいだ」

「う……嘘……全然気づかな……ええ!? ああ、あの、すみません!」

「謝ることはない。試合をしていたんだ、当たり前だろう。しかしこれで、約束を果たさなければいけない」

 セイブリアンが意味深に片眉を上げると、その意味に気がついたのか、リカルドは姿勢を正して地面に両膝をついた。

「その件ですが……、行き場のない俺をここに置いていただけて、それだけで俺には十分です。あの時の言葉は励ましてくださったのだと分かっていますから……」

「リカルド、俺は約束を果たす男だ」

 そう言ったセイブリアンは一度収めた剣をまた引き抜いて、リカルドの肩の上に置いた。

「帝国法で敵国兵士を自国の騎士にするには、皇帝の許可と法を変える必要がある。だが、ここでは話が別だ。俺が領主として、任命することができる」

 セイブリアンが淡々と喋るのを、リカルドは信じられないという顔で見上げていた。

「騎士見習いリカルド、お前の実力を認め、今日より、このベイリー領において、領主セイブリアン・ブロンサム・アルカンテーゼの専属騎士として任命する。いかなる時も、盾となり剣となり、主君を守り抜くことを誓うか?」

 大きく目を開いたリカルドは、まだ事態が飲み込めない様子で、目を開いたり閉じたりしていたが、しだいに感情が込み上げてきたのか、唇を震わせて目を潤ませた。

「……は……は……い、もちろん……で……、ち、誓い……ます」

 やっと言葉が出てきたが、それと同時に、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
 なんで綺麗なんだろうと、リカルドを見下ろしながら、近くで触れたいと思ってしまった。

「う……嘘、俺……騎士に……」

「そうだ、騎士見習いではない。だが、俺の力がないばかりに、正式なものではなく、この地限定のもので悪いが……」

「あ、あり……ありがとうございます!!」

 本当なら、帝国騎士だと堂々と名乗らせてあげたいところなのだが、今のセイブリアンの力では、これが精一杯だった。
 泣いているリカルドを慰めようと、剣を納めたセイブリアンは、膝を折ってしゃがみ込んだ。
 すると、感極まった顔になったリカルドが、セイブリアンに抱きついてきた。

「嬉しい……嬉しいです。俺……やっと……」

「リカルド……」

「父さん、母さん……やっとなれた……騎士になれた」

 震えながら声を絞り出して泣くリカルドを、セイブリアンはそっと抱きしめ返した。
 正式に書類が発行されるわけでもなく、二人だけの口約束みたいな身分だが、リカルドはそれでも嬉しいと言ってくれた。
 朝日が燦々と輝いて、二人を明るく照らした。
 ハリボテではない。
 いつか必ず、本当の輝きの下に、リカルドを連れて行ってあげたい。
 戦い続けることに疲れて、生きる目的を失いかけていたセイブリアンの心に、柔らかな光が差した気がした。

 
 

 ※※※
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