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第一章

2、捕虜になった男

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「団長! 確認しましたが、誰もいません! もぬけの殻です……って、あ……」

 団長と呼ばれた男の背後から、兵士の姿が見えた。
 向こうもリカルドの姿を確認したらしく、緊張と警戒の空気になった。
 しかし、団長と呼ばれた男は片手を挙げて部下を制した後、剣を鞘に収めた。
 剣に宿っていた炎が消えて、辺りの温度が下がった。

「……山道沿いに逃げたと思われますが、追わないのですか?」

「砦に一人を残して逃げるような連中だ。弱すぎて話にならん。ここを焼き払った後、帰還する」

「……その者はどうしますか?」

「…………」

 兜の中から鋭い視線が落ちてきて、床に膝をついたリカルドは、魂が抜けてしまったような気になった。
 フランティア国の兵士は、戦地で敵兵を捕らえたら、その場で殺すか、晒し者にしろと言われている。
 自分もその運命を逃れることはできないと思ったリカルドは、必死に握っていた壊れた剣を床に落とした。
 団長と呼ばれた男は、折れた剣を見て、何も言わなかった。

「あの……こんなことを頼むのは、情けないのですが……」

「なんだ?」

「ひ……火が恐くて……」

「…………」

「火はやめてください……」

 自分でも男としてどうかと思うのだが、せめて死に方くらい選ばせてほしい。
 死んだ後のことは、どう扱っても構わない。
 そこに至るまでが大事なのだ。
 できたらスパッと一撃で殺してほしかった。
 
 プライドなんてない。
 情けないことこの上ないが、頼み込むしかない。
 半泣きで団長と呼ばれる男の、兜からわずかに覗く目を祈るように見ていたら、男は頭に手をかけて、おもむろに兜を外した。

 兜の中から、燃えるような真っ赤な髪と、彫刻のように整った顔が飛び出してきた。
 同じ男だが、見惚れるくらいカッコいい顔をしていた。
 思わず口を開けて、ぼけっと見つめてしまった。

「上級騎士のくせに、情けない男ですね。今すぐ俺が叩き斬って……」

「いい」

 目の前の男はまた手を挙げて、ジロリとリカルドの目を見てきた。
 値踏みされているような視線が痛い。
 何をされるのだろうと身構えていたら、男はスッと手を下ろした。

「連れて行け」

「団長……」

 男が言ったことが理解できなくて、リカルドは目を泳がせてしまった。
 もっと広いところで殺すつもりなのかと、ゴクリと唾を飲み込んだ。

 ぐるりと背を向けた男の髪は、襟足だけ長く結ばれていた。
 大きな背中がゆっくり離れて行くところを、ぼんやりと見ていたら、奥にいた兵士がいつの間にか、すぐ目の前まで来ていた。

「おい、お前」

「え、あ、はい」

「名前は?」

「り……リカルド……です」

「さっさと立ち上がれ! ここにいると丸焼きになるぞ」

 顎で促されて、リカルドが慌てて立ち上がると、大きすぎてブカブカだった鎧が、体から外れてゴロゴロと床に転がった。

 気まずい沈黙が流れた。
 後から来た男も、リカルドが見せかけの囮であることに、ようやく気がついたようだ。

 さっさと歩けと言われたので、リカルドは頷いてから、脛当てだけ残った中途半端な格好で歩くことになった。
 
 
 櫓から降りて広場に出ると、リカルドは腰をロープで巻かれて、そのまま馬に括り付けられた。
 どうやらすぐに殺すつもりはないらしい。
 
 追い立てられるように砦から出て、振り返ると、砦は真っ赤な炎に包まれて、物見台が崩れ落ちて行くところが見えた。
 ここで死ねと言われたのに、生きたまま歩いて外に出ることになってしまった。


 帝国兵の隊列の一番後ろで、馬に引かれてトボトボと歩いているが、どこへ向かうのか分からない状況に、リカルドの腹は緊張でゴロゴロと鳴っていた。

「お前いくつだ?」

 砦を離れたら、馬上にいる兵士の男が話しかけてきた。
 団長という男に、後を任された男だ。
 先ほどまでのトゲのある声ではなく、やけに親しげな声になっていた。
 語尾に感じるわずかに高い音から、若い男だと思った。

「二十六……ですけど」

「ええ!? 同じ年くらいかと思った。俺は、アルジェン。十九になったばかりの見習い騎士だ」

 アルジェンと名乗った男は、兜を外して顔を見せてくれた。
 帝国人に多いとされる金髪に緑の目、人懐っこそうな顔で、よく日に焼けていて、そばかすが似合っていた。
 声から年下だなと分かったが、外見もまだ少年が抜け切れていないように見えた。

「で? リカルドは上級騎士ではないんだろう? 本当はただの兵士か?」

「え……ええ、同じ見習い騎士です」

 ふーん、と言いながら、アルジェンは何か考えるように、リカルドのことを見てきた。
 同じ見習いでも、アルジェンは自分の馬を持ち、腰には立派な剣を下げている。
 あまりに自分と違うので、リカルドは恥ずかしくなってしまった。

「へぇ、フランティアの騎士は、見習い期間が長いんだなぁ。あぁ、そうだ。普通に喋ってよ。俺、年下だし、国は違くても同じ見習いなのに、気取った喋り方は背中が痒くなる」

「はい……あ、うん」

 話しながら、ついさっきまで死ぬか生きるかの時間を過ごしていたが、嘘のような事態になっていることに気がついた。
 自分はなぜ敵国の人間と、普通に会話をしているのか、首を傾げてしまう状況だった。

「あの……さ」

「ん?」

「俺、捕虜になったんだよな?」

「まぁ、そうだね」

「どうして、こんなに普通に話して……」

 叩き斬るなんて言っていたくせに、親しげに話しかけてくるアルジェンに疑問を持った。
 帝国の人間は気性が荒く、暴力的で獣のような連中だと聞いていたのに、その印象とは少し違って見えた。

「さっきはひどいことを言って悪かったな。俺も気が昂っていたんだ。今、普通に話しているのは、団長が連れて行けって言ったからさ。部下として従うし、あの人、なんでもよく拾うんだ」

「へ?」

「それによく考えたら、みんなに置いていかれるなんて、可哀想だなと思って」

 なるほど。
 団長の話は謎だが、同情の気持ちから話しかけてくれたと考えたら、やっと腑に落ちた。
 今さら、ムキになって、情けはいらないなんて反抗する気にもなれなかった。

 まさか捕虜になるとは思わなかったが、囮になって死ぬよりマシだと思った。
 ただ、捕虜になったなら、それなりの覚悟をしておかなければいけない。
 どこに連れて行かれるか分からないが、捕虜は通常狭い檻に入れられて、全ての自由が奪われる。
 帝国の捕虜への扱いはひどく、捕まったら自分で死んだ方がマシだと散々言われてきた。
 きっと交渉に使えないと分かれば、すぐに処分される。
 首の皮一枚の状態は変わらず、おそらく長くは生きられないだろうとリカルドは思った。

「これからどこへ向かうんだ?」

「帝都のある中心地から北に位置するベイリーだ。我々は本来この辺りの管轄でなく、年に一度の視察でこの地を訪れていた。フランティアからの急襲を聞きつけて、臨時部隊として参加した。このあと、本隊とは別れて、うちの隊は帰還する」

「ベイリー……聞いたことがある。なんでも最強と謳われた騎士団がいるとか……え、まさか?」

「名前が知られているとは光栄だ。我々が、ベイリー領を本拠地とする、赤火の騎士団! 団長のセイブリアン様は、赤い炎をまとうソードマスターで、皇太子殿下の、弟君にあたるお方だ!」

「え?」

「ソードマスターが使う炎に色があるのは知っているだろう? アルカンテーゼには王子が六人いるけど、その中でソードマスターになったのは、青い炎の皇太子殿下と、第五皇子のセイブリアン様だけなんだ。そして、赤い炎をまとうセイブリアン様は、一番強いと言われているんだ」

 ソードマスターの炎の色についてまで、リカルドは知識がなかった。
 フランティアで伝説となっている、猛火の騎士と呼ばれた人は、赤い炎をまとっていた、という話を知っているくらいだった。
 つまり、第二騎士団のミケーレ団長は愚策を選び、運にまで見放されたというわけだ。
 たまたま視察に来ていた、最強のソードマスターが率いる部隊と出会ってしまうことになったからだ。
 王都に戻れば、部下に失敗を押し付けることになると思うが、さすがにここまで兵力を失うことになったので、なんらかの処分が下されるだろう。
 もう知るかとリカルドは思った。
 普段から嫌味ばかり言われていたが、上司として口答えせずに必死に付いて行ったつもりだった。
 簡単に見捨てられるだけの存在であったのは、分かっていたが、こっちはこっちでピンチが続いているのだ。
 ベイリーに着いたら、牢屋に入れられて何をされるか……
 拷問でも受けたら、どうしようかとリカルドはすでに胃が痛くなっていた。
 下っ端のリカルドが知る情報など限られている。
 おそらく洗いざらい喋っても、使えないと言われて終わるだろう。

 トボトボと山道を歩かされた後、近くの町に着いたら、リカルドは荷物と一緒に荷車に乗せられた。
 それから歩かされることはなく、移動手段は荷車になった。
 足が痛くて倒れそうだったので、とにかく助かったと、道中はずっと寝ているか大人しくしていた。
 時々、アルジェンが水や食料を分けてくれて、今どの辺りにいるかといった話をするくらいで、他の兵士とは目を合わせることもなかった。
 てっきり、敵国の捕虜など、殴る蹴るの暴行を受けて、半殺しにされると思っていたので、力が抜けてしまった。
 もしかしたら、この部隊が特殊なのかもしれない。
 最初にリカルドを見つけた赤髪の男、彼こそがセイブリアン、赤火騎士団の団長だ。
 セイブリアンの指導が行き届いているのかもしれない。部下達は崇拝に近い、尊敬をしているように見えた。
 リカルドにとってはどうでもいい話だが、そのおかげで殴られることがないならそれでいい。


 一週間、二週間、ただひたすら移動するだけの時間を過ごし、ひと月近く時間が経って、ようやくベイリーに到着した。
 想像していた過酷な捕虜生活とは、全く違う、快適とも言える移動生活だった。
 特に何かやらされるわけでもなく、ただ大人しく流れていく景色を見て過ごした。
 気になることと言えば、時々視線を感じることだった。
 それはあの、赤髪の男、団長のセイブリアンだ。
 何か言われることはなかったが、気がつくとチラチラとこちらを見ていて、鋭い視線を感じた。
 おそらく、捕虜が問題を起こさないか、それを責任者として厳しい目で監視していたのだろう。
 若干、窮屈な思いはあったが、困っていたのはそのくらいで、あとは怖いくらい静かだった。
 


「着いたぁー、疲れたぜ。やっと家に帰れる」

 ベイリーに到着した一行は、町の中心を抜けて、領主の城がある城内に入った。
 大きな門の近くに兵舎があり、そこでみんな馬を降りて、荷物を運び始めた。
 邪魔にならないところにいようと、荷車の端で小さくなっていたリカルドに、話しかけてきたのはアルジェンだった。

「リカルドも疲れただろう。ベイリーの町はどうだ? なかなか活気があってよかっただろう?」

「あ……うん。帝国の町はどこも荒れているって聞いていたから、驚いた……」

 なんだよその情報、と言いながら、アルジェンは到着して気が抜けたのか、大きな口を開けてあくびをしていた。

 ベイリーは聞いていた通り、首都かと思うくらい大きな町だった。
 市場ではたくさんの野菜や果物、近くの漁村から届く海産物、肉も豊富に扱っていた。
 活き活きと仕事をしながら、子供から老人まで多くの人が生活している姿を見た。
 リカルドが知っている大きな町には、ガラの悪い連中や、浮浪者が必ずいて、嫌でも目につくのだが、そういった影の部分は、見渡した限り目に入って来なかった。
 
「活気があって……いい町だな」

「もともと大きかったが、セイブリアン様が領主になって、悪い連中を一掃したんだ。それで仕事が増えて、町はどんどん豊かになった。今じゃ首都はベイリーだって、みんな噂しているくらい」
 
 尊敬している団長の話だからか、アルジェンは得意げに、指で鼻をかきながら胸を張って答えていた。

「へぇ、すごい方なんだな」

 自分の荷物なんて一つもないリカルドは、手に巻かれていたロープを持ち上げてみたが、ズルッと抜けて落ちてしまった。
 手枷はすでにあってないようなもので、巻き直してくれとこちらから頼んだが、アルジェンにはその辺に置いておいてくれと言われてしまった。
 捕虜を縛らないなんてありえないだろうと、仕方なくリカルドは自分でなんとなく巻きつけていたが、結局地面に落ちてしまった。
 リカルドは辺りを見回したが、みんな旅の片付けに忙しそうだった。
 例えばこのロープを使ってアルジェンの首を絞めて、逃げ出すことも………
 
 そう考えて顔を上げると、アルジェンとバッチリ目が合った。

「どうした?」

「え……いや、何も……」

 体格は自分とあまり変わらないように見えるので、できないことはなさそうだと一瞬考えたが、アルジェンの顔を見たら、抵抗する気持ちは萎んでいった。

 敵国の中心近くまで来てしまった。
 ここから逃げ出すのはかなり難しいし、自国に逃げ帰ることができても、リカルドに戻る場所はない。
 兵舎の端にある狭い物置で寝泊まりしていたし、待っていてくれる家族もいない。
 そういう意味では、ミケーレ団長の選択は正しかったのかもしれない。
 命欲しさに投降して、捕虜になって逃げ帰って来たと、笑い者になって、処分されるのがオチだ。

「お前はこっちだ」

 アルジェンにそう言われて、リカルドは大人しく後について歩くことにした。
 いよいよ、牢屋に入れられるだろう。
 リカルドはごくっと唾を飲み込んだ。
 食事はおろか水も飲めずに、苦しむ日々が待っているはずだ……

 道中は何もなかったが、帝国の人間は愚かで残酷で人の心を持たない冷酷な化け物だと、ずっと聞かされていた。
 おそらく、そろそろその本性が現れて………

 そう思っていた。

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