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本編
じゅうよん 金持ちの男④
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何度見ても、どこにも隙がなく美しく計算された庭を眺めながら、ビリジアンはまるで美術館のようだと思ってしまった。
ご両親はすでに事業からは手を引いて、静かな田舎に移り住んでしまったそうだ。
「綺麗だな……こんなところで暮らすってどういう気持ちだろう」
窓から、風に揺れる薔薇の花を見ながらビリジアンが呟くと、すぐ後ろに気配がした。
「うちもここまで金ピカじゃないですけど、似たような造りですよ。先生の寮の部屋は、うちで言うとトイレくらいの広さで……」
「アホっ、もういいわ」
そういえば、こいつもバリバリのお貴族様だったと思って振り返ると、マゼンダが笑っていたので、フンと鼻で息をしたビリジアンは窓から離れてソファーの上に座った。
ちょうどそこにドアをノックする音が聞こえた。
中に入ってきたのは、この邸の主人であるエボニーだった。
前回会った時よりも、頬がこけて少しやつれたように見えた。
「待たせてすまない。話があるとか……。前回は迷惑をかけてしまったから、合わせる顔がなくて……見合いをそのままにして、本当に申し訳ない」
「いいんだ。あの様子なら休養をとった方がいいと思ったんだ。仕事も休んでいるらしいな。体調はどうだ?」
ビリジアンの問いにエボニーは無理やり作ったような笑顔でだいぶ良くなったと言ったが、もちろんそんな様子には見えなかった。
「ええと、彼は?」
「ああ、うちの生徒だ。今回私では調べきれなくて、彼に調査を手伝ってもらった」
「マゼンダ・グラスです。突然押しかけてしまい申し訳ございません」
「ああ、グラス商会の。ワインの取引では、うちの会社も世話になっている。それで二人して調査というのは……」
全員立ち上がっていたが、落ち着いて話す必要があるとエボニーに座ってもらった。
マゼンダはビリジアンの隣に座って、二人で目配せをして話し始めることにした。
「実は、エボニーの話を聞いてから、どうしても引っかかることがあって。行方不明になったアッシュのことなんだ。アッシュはパレット国とパロット国を間違えていたんじゃないかって……」
「パロット国?」
「魔法生物に関係のある人なら馴染みの国なんだ。東の海セピアにある小国で、今は半年に一度赤石を積んだ船が来るだけで、客は乗せていない。だが、昔は行き来する人がかなりいたそうだ」
「確かにあの日、旅客用の船の他に、商業船が何隻か……それが、パロット行きだったということか……、アッシュはスペルを間違えていて、みんなにもそう教えていた。そんなバカな…………。いや、ある……あるぞ、あいつは抜けているところがあって、カッコつけだから、絶対見せないようにしていたけど……たまに、とんでもない間違いを……」
暗く沈んでいたエボニーの目に光が宿ったように見えた。
興奮が隠せないのか、手がブルブルと震え出して、持っていたカップが床に落ちてお茶が高そうな絨毯に広がった。
しかし、今はそんなことはどうでもいいと、エボニーは足元を見ようともしなかった。
「乗船直前でその間違いに気がついて、船を乗り換えたんだ。当時の記録によると商船だがパロット行きの船もちょうど入港していた。そのチケットを誰かと交換したんじゃないかと推測している」
ビリジアンの仮説を聞いて、エボニーは震えた手を頭に当てた。
今まで、エボニー自身もいろいろな仮説を立てて、アッシュが船に乗っていなかったと考えようとしたのだろう。
別の船に乗って別の国に行ったという話もきっと考えたに違いない。
しかしそれはどこなのか、大きな港にはたくさんの国から客船が入港していた。
その一つ一つに可能性を考えて捜索していたが、商船の方に乗ったとは考えなかったのかもしれない。
息が荒くなって部屋全体に、風の仕業であるが、まるでエボニーの震えが伝わったのかのように、窓がガタガタと揺れる音が響いた。
「ただ、この話はあくまでも私の想像に過ぎなくて、確証を得るために、彼に調査を依頼したんだ。そして、その結果が昨日、届いた」
「なんだって……!?」
「落ち着いて聞いてほしい。マゼンダ」
ここは冷静に話せる人がいいとビリジアンは説明をマゼンダに頼んだ。
マゼンダは懐から一枚の手紙を取り出して、息を吸ってから読み始めた。
調査によると、アッシュが港に着いた日、パロット行きの商船があった。
客を乗せる予定はなかったが、どうしても頼まれて一人の男を乗せることになった。
ペイルという名の男が乗ることになっていた。
しかし、直前になって、別の男がペイルの代わりだと言って船に乗ってきた。
当時は貴族向けでない限り、身分の確認なんてすることはなかったので、金さえ払えば誰でもいいということで、乗船は許可された。
聞けば男はパロットが目的地だったが別の船に乗ろうとしていたらしく、偶然話しかけたペイルに教えられて慌てて船を変えたそうだ。
船は頻繁に入港するわけではなかったので、運が良かったなという話をしたのを乗組員は覚えていた。
ただ、その男はすぐに船酔いで倒れてしまい、乗船中もずっと寝込んでいて他にまともな会話ができず、名前を聞くことができなかったそうだ。
パロットに着くと迎えの馬車が来てきて、馬車の中から出てきた男と、代わりで乗った男が親しげに握手をしている姿を乗組員は見たそうだ。
そしてパロット国内に入っての調査では、パロットではブロンドという家名は珍しく、すぐにアッシュの親戚が見つかった。
しかし一人で暮らしていたというその男は、すでに墓の中に入っていた。
その死因は馬車の事故。
パロット国の港に人を迎えに行って、その帰り、荒天により馬車が崖から墜落、その前から長い間病に臥せっていたが、事故で亡くなるなんて可哀想だと言われていた。
そして、その事故で助かった者が一人いた。
そこまで話すと、エボニーは口に手を当てて声にならない声を上げた。
「それ……それは……その人は……」
「落ち着いて聞いてください。事故はひどいもので、夜が明けて生存者が発見されましたが、瀕死の重傷でした。意識が戻ったのは三ヶ月後、怪我により両手を使えなくなり、目は見えているようですが反応が弱く、事故のショックによって話すこともできない状態になってしまいました」
「そ……そんな……」
「ブロンド氏の知り合いであることしか分からず、荷物は全部燃えて、ポケットには乗船チケットしか入っていなかった。そこに書かれていた名前のペイルが彼の名だと思われて、ずっとその名前で呼ばれているそうです。その方は、今でも病院で暮らしています。そこは教会が運営して寄付で成り立っている病院なので、下級治療士しか雇えず状態を維持するのがやっとだったようです」
エボニーは立ち上がって両手を顔に当てて天を仰いだ。
実際に本人に会うまで確実ではないが、彼の中では、もう、絶対そうだという思いで溢れているだろう。
希望の光が溢れている。
やっと話が見えるところまで来て、ビリジアンは閉じていた窓を開けるために立ち上がった。
「彼は窓辺に座って、いつも外を見ているそうだ。誰が話しかけても、いつもほとんど反応せず、何かを探すように不安そうに遠い空を見つめていると。調査員が彼に会いに行って、君はアッシュなのかと声をかけた。彼は……初めて大きな反応を見せた。涙を流したそうだ。そしてみんなが驚く中、やっと声を出した。上手く喋ることができないが、聞き取ることはできた。なんて言ったと思う? エボニー、エボニーに会いたいって、彼だ。間違いなく、アッシュだよ」
「ううっ、うあああっ、生きて……生きていた……アッシュ……アッシュが……」
エボニーはすでに泣いていた。
きっと話を聞きながら、途中から泣いていたのだろう。
アッシュの言葉を聞いて、もう耐えられなくなったのだろう。
大きな口を開けて、叫ぶように泣き出した。
「よかった……よかったな。ずっと待っていたんだ。まだ、お前のことを待っているんだよ」
泣き崩れるエボニーをビリジアンは支えるように抱きしめて、背中を撫でてあげた。
「アッシュが苦しんでいたのに……私は……私は何もできずに……」
「お前だって十分苦しんだじゃないか。一人じゃない、二人の時間が止まったままだったんだ。これで、やっと動き出すことができる」
「すまな……ありがとう……ありがとう……」
エボニーはお礼を言いながら泣き続けた。
ビリジアンが早く行ってやれと背中を押すと、涙を拭いて、すぐに船の手配をして準備をはじめた。
使用人達が走り出して、慌ただしくなる前に、ビリジアンとマゼンダはエボニーの邸を後にした。
「また、だめでしたね。お見合い」
帰りの馬車の中、しばらく静かな時間が流れていたが、窓の外を見ながらマゼンダがぽつりと呟いた。
「まただめだったな」
「……でも、悪い気がしないのはなぜでしょう」
「ああ、俺もそんな気分だ。心が軽くて清々しい。自分のことのように嬉しい」
そう言ってビリジアンが笑うと、マゼンダは複雑そうな顔になったが、同じように微笑んだ。
「初恋が実ったんだ。二人にこれから困難な道があっても、きっと乗り越えられる。愛って不思議だな、薄れるものもあれば、どんなに時間経っても鮮やかに残り続けるものもある」
ビリジアンの言葉に、マゼンダは静かに頷いた。
愛なんて面倒だと言っていたマゼンダなら、反論されると思ったのに、素直に頷いたので驚いてしまった。
「恋愛の魔術師なんて呼ばれているお前には、お子様みたいな話か」
「周りが勝手にそう呼んでいるだけです。それに、今回のことで、もっとよく分からなくりました」
「そんなもんだよ。何十年生きてたって、理解できないことだらけだ」
そう言って苦笑したビリジアンに向かって、マゼンダは何も言わずに手を差し出してきた。
急に握手でもしたいのかと、ビリジアンは目を瞬かせた。
「どうした?」
「手を……」
「手?」
「手を繋いでください」
まるで怖い話でも聞いた子供みたいだなと、マゼンダのことが急に可愛く見えてしまった。
「何か……胸がおかしいんです。エボニーの話を聞いて、喜んでいる姿を見たら、胸がぐるぐるして……」
「ああ、それは……」
クスリと笑ったビリジアンは、マゼンダが伸ばしていた手を握った。
マゼンダの手はいつものように熱くて、少しだけ震えていた。
「感動、したんだろう。二人の恋の話を聞いて、心が動いたんだ」
「感動……心が……」
マゼンダは片手を自分の胸に置いて、信じられないという顔をしていた。
「だからこうやって、手を繋いで、誰かと胸にある思いを分かち合いたい。そういう気持ちなんじゃないか?」
抱えきれないぐらいたくさんの思いで溢れそうな時、誰かに気持ちを話して、同じ思いであることに安心したり喜んだりする。
マゼンダはきっと、そんな気持ちではないかとビリジアンは想像した。
マゼンダは口を閉じて黙ってしまったが、特に反論したり手を離そうとすることはなかった。
ビリジアンと手を繋いだまま、静かに目を伏せて考えている顔が、この世界の夕日であるピンク色に染まっていた。
マゼンダの髪の色とよく似ていて、綺麗だなと思ってビリジアンは静かに見つめてしまった。
⬜︎⬜︎⬜︎
ご両親はすでに事業からは手を引いて、静かな田舎に移り住んでしまったそうだ。
「綺麗だな……こんなところで暮らすってどういう気持ちだろう」
窓から、風に揺れる薔薇の花を見ながらビリジアンが呟くと、すぐ後ろに気配がした。
「うちもここまで金ピカじゃないですけど、似たような造りですよ。先生の寮の部屋は、うちで言うとトイレくらいの広さで……」
「アホっ、もういいわ」
そういえば、こいつもバリバリのお貴族様だったと思って振り返ると、マゼンダが笑っていたので、フンと鼻で息をしたビリジアンは窓から離れてソファーの上に座った。
ちょうどそこにドアをノックする音が聞こえた。
中に入ってきたのは、この邸の主人であるエボニーだった。
前回会った時よりも、頬がこけて少しやつれたように見えた。
「待たせてすまない。話があるとか……。前回は迷惑をかけてしまったから、合わせる顔がなくて……見合いをそのままにして、本当に申し訳ない」
「いいんだ。あの様子なら休養をとった方がいいと思ったんだ。仕事も休んでいるらしいな。体調はどうだ?」
ビリジアンの問いにエボニーは無理やり作ったような笑顔でだいぶ良くなったと言ったが、もちろんそんな様子には見えなかった。
「ええと、彼は?」
「ああ、うちの生徒だ。今回私では調べきれなくて、彼に調査を手伝ってもらった」
「マゼンダ・グラスです。突然押しかけてしまい申し訳ございません」
「ああ、グラス商会の。ワインの取引では、うちの会社も世話になっている。それで二人して調査というのは……」
全員立ち上がっていたが、落ち着いて話す必要があるとエボニーに座ってもらった。
マゼンダはビリジアンの隣に座って、二人で目配せをして話し始めることにした。
「実は、エボニーの話を聞いてから、どうしても引っかかることがあって。行方不明になったアッシュのことなんだ。アッシュはパレット国とパロット国を間違えていたんじゃないかって……」
「パロット国?」
「魔法生物に関係のある人なら馴染みの国なんだ。東の海セピアにある小国で、今は半年に一度赤石を積んだ船が来るだけで、客は乗せていない。だが、昔は行き来する人がかなりいたそうだ」
「確かにあの日、旅客用の船の他に、商業船が何隻か……それが、パロット行きだったということか……、アッシュはスペルを間違えていて、みんなにもそう教えていた。そんなバカな…………。いや、ある……あるぞ、あいつは抜けているところがあって、カッコつけだから、絶対見せないようにしていたけど……たまに、とんでもない間違いを……」
暗く沈んでいたエボニーの目に光が宿ったように見えた。
興奮が隠せないのか、手がブルブルと震え出して、持っていたカップが床に落ちてお茶が高そうな絨毯に広がった。
しかし、今はそんなことはどうでもいいと、エボニーは足元を見ようともしなかった。
「乗船直前でその間違いに気がついて、船を乗り換えたんだ。当時の記録によると商船だがパロット行きの船もちょうど入港していた。そのチケットを誰かと交換したんじゃないかと推測している」
ビリジアンの仮説を聞いて、エボニーは震えた手を頭に当てた。
今まで、エボニー自身もいろいろな仮説を立てて、アッシュが船に乗っていなかったと考えようとしたのだろう。
別の船に乗って別の国に行ったという話もきっと考えたに違いない。
しかしそれはどこなのか、大きな港にはたくさんの国から客船が入港していた。
その一つ一つに可能性を考えて捜索していたが、商船の方に乗ったとは考えなかったのかもしれない。
息が荒くなって部屋全体に、風の仕業であるが、まるでエボニーの震えが伝わったのかのように、窓がガタガタと揺れる音が響いた。
「ただ、この話はあくまでも私の想像に過ぎなくて、確証を得るために、彼に調査を依頼したんだ。そして、その結果が昨日、届いた」
「なんだって……!?」
「落ち着いて聞いてほしい。マゼンダ」
ここは冷静に話せる人がいいとビリジアンは説明をマゼンダに頼んだ。
マゼンダは懐から一枚の手紙を取り出して、息を吸ってから読み始めた。
調査によると、アッシュが港に着いた日、パロット行きの商船があった。
客を乗せる予定はなかったが、どうしても頼まれて一人の男を乗せることになった。
ペイルという名の男が乗ることになっていた。
しかし、直前になって、別の男がペイルの代わりだと言って船に乗ってきた。
当時は貴族向けでない限り、身分の確認なんてすることはなかったので、金さえ払えば誰でもいいということで、乗船は許可された。
聞けば男はパロットが目的地だったが別の船に乗ろうとしていたらしく、偶然話しかけたペイルに教えられて慌てて船を変えたそうだ。
船は頻繁に入港するわけではなかったので、運が良かったなという話をしたのを乗組員は覚えていた。
ただ、その男はすぐに船酔いで倒れてしまい、乗船中もずっと寝込んでいて他にまともな会話ができず、名前を聞くことができなかったそうだ。
パロットに着くと迎えの馬車が来てきて、馬車の中から出てきた男と、代わりで乗った男が親しげに握手をしている姿を乗組員は見たそうだ。
そしてパロット国内に入っての調査では、パロットではブロンドという家名は珍しく、すぐにアッシュの親戚が見つかった。
しかし一人で暮らしていたというその男は、すでに墓の中に入っていた。
その死因は馬車の事故。
パロット国の港に人を迎えに行って、その帰り、荒天により馬車が崖から墜落、その前から長い間病に臥せっていたが、事故で亡くなるなんて可哀想だと言われていた。
そして、その事故で助かった者が一人いた。
そこまで話すと、エボニーは口に手を当てて声にならない声を上げた。
「それ……それは……その人は……」
「落ち着いて聞いてください。事故はひどいもので、夜が明けて生存者が発見されましたが、瀕死の重傷でした。意識が戻ったのは三ヶ月後、怪我により両手を使えなくなり、目は見えているようですが反応が弱く、事故のショックによって話すこともできない状態になってしまいました」
「そ……そんな……」
「ブロンド氏の知り合いであることしか分からず、荷物は全部燃えて、ポケットには乗船チケットしか入っていなかった。そこに書かれていた名前のペイルが彼の名だと思われて、ずっとその名前で呼ばれているそうです。その方は、今でも病院で暮らしています。そこは教会が運営して寄付で成り立っている病院なので、下級治療士しか雇えず状態を維持するのがやっとだったようです」
エボニーは立ち上がって両手を顔に当てて天を仰いだ。
実際に本人に会うまで確実ではないが、彼の中では、もう、絶対そうだという思いで溢れているだろう。
希望の光が溢れている。
やっと話が見えるところまで来て、ビリジアンは閉じていた窓を開けるために立ち上がった。
「彼は窓辺に座って、いつも外を見ているそうだ。誰が話しかけても、いつもほとんど反応せず、何かを探すように不安そうに遠い空を見つめていると。調査員が彼に会いに行って、君はアッシュなのかと声をかけた。彼は……初めて大きな反応を見せた。涙を流したそうだ。そしてみんなが驚く中、やっと声を出した。上手く喋ることができないが、聞き取ることはできた。なんて言ったと思う? エボニー、エボニーに会いたいって、彼だ。間違いなく、アッシュだよ」
「ううっ、うあああっ、生きて……生きていた……アッシュ……アッシュが……」
エボニーはすでに泣いていた。
きっと話を聞きながら、途中から泣いていたのだろう。
アッシュの言葉を聞いて、もう耐えられなくなったのだろう。
大きな口を開けて、叫ぶように泣き出した。
「よかった……よかったな。ずっと待っていたんだ。まだ、お前のことを待っているんだよ」
泣き崩れるエボニーをビリジアンは支えるように抱きしめて、背中を撫でてあげた。
「アッシュが苦しんでいたのに……私は……私は何もできずに……」
「お前だって十分苦しんだじゃないか。一人じゃない、二人の時間が止まったままだったんだ。これで、やっと動き出すことができる」
「すまな……ありがとう……ありがとう……」
エボニーはお礼を言いながら泣き続けた。
ビリジアンが早く行ってやれと背中を押すと、涙を拭いて、すぐに船の手配をして準備をはじめた。
使用人達が走り出して、慌ただしくなる前に、ビリジアンとマゼンダはエボニーの邸を後にした。
「また、だめでしたね。お見合い」
帰りの馬車の中、しばらく静かな時間が流れていたが、窓の外を見ながらマゼンダがぽつりと呟いた。
「まただめだったな」
「……でも、悪い気がしないのはなぜでしょう」
「ああ、俺もそんな気分だ。心が軽くて清々しい。自分のことのように嬉しい」
そう言ってビリジアンが笑うと、マゼンダは複雑そうな顔になったが、同じように微笑んだ。
「初恋が実ったんだ。二人にこれから困難な道があっても、きっと乗り越えられる。愛って不思議だな、薄れるものもあれば、どんなに時間経っても鮮やかに残り続けるものもある」
ビリジアンの言葉に、マゼンダは静かに頷いた。
愛なんて面倒だと言っていたマゼンダなら、反論されると思ったのに、素直に頷いたので驚いてしまった。
「恋愛の魔術師なんて呼ばれているお前には、お子様みたいな話か」
「周りが勝手にそう呼んでいるだけです。それに、今回のことで、もっとよく分からなくりました」
「そんなもんだよ。何十年生きてたって、理解できないことだらけだ」
そう言って苦笑したビリジアンに向かって、マゼンダは何も言わずに手を差し出してきた。
急に握手でもしたいのかと、ビリジアンは目を瞬かせた。
「どうした?」
「手を……」
「手?」
「手を繋いでください」
まるで怖い話でも聞いた子供みたいだなと、マゼンダのことが急に可愛く見えてしまった。
「何か……胸がおかしいんです。エボニーの話を聞いて、喜んでいる姿を見たら、胸がぐるぐるして……」
「ああ、それは……」
クスリと笑ったビリジアンは、マゼンダが伸ばしていた手を握った。
マゼンダの手はいつものように熱くて、少しだけ震えていた。
「感動、したんだろう。二人の恋の話を聞いて、心が動いたんだ」
「感動……心が……」
マゼンダは片手を自分の胸に置いて、信じられないという顔をしていた。
「だからこうやって、手を繋いで、誰かと胸にある思いを分かち合いたい。そういう気持ちなんじゃないか?」
抱えきれないぐらいたくさんの思いで溢れそうな時、誰かに気持ちを話して、同じ思いであることに安心したり喜んだりする。
マゼンダはきっと、そんな気持ちではないかとビリジアンは想像した。
マゼンダは口を閉じて黙ってしまったが、特に反論したり手を離そうとすることはなかった。
ビリジアンと手を繋いだまま、静かに目を伏せて考えている顔が、この世界の夕日であるピンク色に染まっていた。
マゼンダの髪の色とよく似ていて、綺麗だなと思ってビリジアンは静かに見つめてしまった。
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