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本編
なな 家柄のいい男③
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「……っっ!」
「そのまま、手で当てて冷やせば、少しはよくなる」
公園の噴水で冷やしたハンカチを、腫れ上がったチェスナットの頬に当てた。
チェスナットはすみませんと言いながら、申し訳なさそうにハンカチを手で押さえて頭を下げた。
二回目のデートは、またもや予定通りにいかなくなしまった。
本当は公園の池でボートに乗って、交流を深めるはずだったが、ボートが見える場所のベンチに座って、チェスナットの手当をすることになった。
ポケットの中には、マゼンダが用意してくれたボートのチケットが入っていた。
カップルに人気らしく、手に入れるのに苦労したと言われて、頑張ろうと思っていたが無駄になってしまった。
「……どうしてそんな顔になったのか、話してくれるか?」
この状態で追い返すわけにもいかなくて、チェスナットの横に座ったビリジアンは、訳を聞くことにした。
チェスナットは頬を押さえながら、悲しそうに目を伏せて口を開いた。
「出がけに父と口論になって……、殴られたのです」
「君の父は怒るとよく手が出る人なのか?」
「手が出たのは初めてです……。私がやめろと言われていたことを、こっそりやっていたので、それが見つかってしまい……」
「見つかった、というのは?」
「香水です」
違法な薬、酒や賭博でも見つかったのかと思ったら、予想外の答えだったのでビリジアンは目を開いた。
「私……子供の頃から調香師になることが夢で……、調香師なんて女のやる仕事だと、父は絶対許してくれなくて……。こっそり作っていたんですけど、材料が見つかってしまって」
なるほど、とビリジアンは小さく呟いた。
マゼンダが調べてくれたところによると、プルシャン家は代々厳格に家訓を守り続ける家で、父親であるプルシャン公爵は、事業で成功しているが、誰に対しても厳しい人として有名だった。
息子達は国の要職に就いて、事業を共同で行なっていくのが代々の決まりらしい。
兄はすでに成功しているのに対して、弟のチェスナットはいつまで経っても国の仕事に就く気配がない。
趣味に明け暮れていて、大変手を焼いているというのが、今朝聞いた話だった。
「どうなんだ?」
「え?」
「調香師としての腕だよ。単なる趣味で片手間にやるなら、うるさく言われないんじゃないか?」
「それが……、先日、香水の国として有名なパフューム国で開かれた大会で優勝を……。向こうの学校に招待されているんです」
「すごいじゃないか!」
「ありがとうございます……。私は行きたいと言ったのですが、父は軟弱だと怒り狂ってしまいました。それで、結婚すれば国から出られないだろうと、今回のお見合いを決めてしまったのです」
ようやくチェスナットの本音が聞けた。
本人が乗り気ではなかったのは、無理やり参加させられたのだろうと思っていたが、そういうワケがあったようだ。
チェスナットは落ち込んだ様子で、目を閉じてしまった。
どうしたものかと思いながら、ビリジアンが考えていると視線を感じた。
背中合わせになっている後ろのベンチに、マゼンダが座って話を聞いていた。
振り返ったビリジアンと目が合うと、マゼンダも目を伏せて首を振った。
これはもうダメだという合図だろう。
一瞬、チェスナットに自分と形だけの結婚をしてみて、お互い好きなことをしてはどうかと頼むことを考えた。
しかしそれでは、結婚を口実に、父親の言う通りにさせられるチェスナットの未来が見えてしまった。
このままだと彼は夢を諦めて、……いや、夢を諦めさせられたと周りを恨んで、希望の持てない人生を送ることになってしまうかもしれない。
「……やれるだけやってみたらどうだ? 調香師になりたいんだろう?」
「で、でも、父が許しては……」
「厳格な生き方をしてきた親父さんの気持ちも分かる。お前に苦労して欲しくないんだろう。でも夢を叶えたいなら、そこを乗り越えないと」
「え……」
「道は真っ直ぐよりも、険しい方が多い。今は無理でも、必死に頑張っている息子の姿を見たら、親父さんもいつか認めてくれる日が来る」
ビリジアンは、イチローの頃の亡くなった父親のことを思い出していた。
進学のことで揉めて反抗して、一度だけ殴られたことがあった。
大人になって、亡くなる少し前にあの時は悪かったと病床で謝られた。
先回りして悪いことばかり考えてしまい、素直に認めてあげられなかったことを後悔していると。
父だって人間なのだ。
立場もあるし、自分の経験もあって、譲れないものもある。
そして、大人になっても悩んだり間違えたり、子のためを思って行き過ぎてしまうこともある。
その時の父の姿を思い出した。
その道が正しいと思うなら、誰の意思でもない自分の意思で進むこと。
迷うなら、夢に向かって進んでほしいと、ビリジアンはその気持ちを込めて語った。
しばらく沈黙が続いたが、気がつくとチェスナットの目から、涙がこぼれ落ちていた。
少しは心に響いてくれたのかもしれないと思った。
「夢中になれるものがあるって、いい事じゃないか」
「ありがとうございます。家に帰って、もう一度父と話し合ってみたいと思います。それで、理解してくれなくても、あとは自分の意思で突き進んでみます」
「おう、いつか俺に似合うやつを作ってくれよ。冴えない中年男でも、それなりにカッコよく見える匂いがいいな」
こんな世界だから、きっと魔法の効果とやらで、イケメンに変身できるようなレベルのものが出来そうだと想像してしまった。
「ふふっ……、なかなか過酷な注文ですけど、頑張ります」
「過酷って……よ、お前、大人しそうな顔して、結構言うなっ」
チェスナットと顔を見合わせたビリジアンは、二人して噴き出して笑ってしまった。
ここに来た時に、暗い目をしていたチェスナットはいなかった。
一歩踏み出す勇気、それが彼の目に宿ったように感じて、ビリジアンは嬉しくなった。
ありがとうございましたと言って、チェスナットは頭を下げてから、手を振って歩いて行った。
ビリジアンも頑張れよと声をかけて、手を振り返して見送った。
「無事、若者を勇気づけて終わったみたいですけど、これが何だったか覚えていらっしゃいますか?」
背中にかけられた声に、心臓がドキンと揺れてしまった。
チェスナットのことで色々考えていたので、この男の存在をすっかり忘れていた。
「……もちろん、覚えているけどよ。あんな苦しそうな顔で結婚か夢かなんて言ってるやつと、無理やり付き合えないだろ」
「まぁ……そうですけどね。これは私の選択ミスでした。次はもっと可能性のある人を選びます」
ベンチに座っているビリジアンの隣に、腕を組んで難しい顔をしたマゼンダが座ってきた。
人任せにしているのはビリジアンなので、文句を言うことはできない。
学園長のおかげで、お見合い相手はたくさんいるので、まだ諦めるには早いと思った。
よろしく頼むと言って一息ついた。
「そういやこれ、せっかく用意してくれたのに、使えなくて悪かったな」
ポケットに手を入れたビリジアンは、小さな紙を取り出した。
それは、マゼンダが用意してくれたボートのチケットだった。
日付が入っていて、当日のみ有効と書かれていた。
ぱっと思いついたのはマゼンダに返すことだった。
マゼンダなら今からでもデートの相手はすぐに見つかるだろう。せっかくなら使ってくれと言いかけた時、マゼンダはニヤリと笑った。
「それなら、二人で乗りませんか?」
「は? 俺とお前で? 何でだよ」
「それは、デートの練習も兼ねて。次の人でここを選ぶかもしれません。そうしたら、どこが景色がいいとか知っておいた方がいいじゃないですか」
「ああ……確かに、それはそうだな」
「ね、行きましょう」
子供のように笑ったマゼンダに手を引かれてしまった。
男相手にさりげなく手を握るなんて、おかしいだろうと思ったが、これも練習なのだとしたら、まぁ仕方ないと思ってビリジアンは大人しく従った。
池まで行くと貸しボートは人気らしく、たくさん人が並んでいた。
チケットがあると優先なので、ビリジアン達は列に並ぶことなくすぐにボートに乗ることになった。
待ち時間なく先に行けるなんて、特別待遇みたいなのは、また女の子が喜びそうだ。
マゼンダのモテっぷりを実感してしまった。
現実世界でもボートに乗ったのなんて、記憶にないくらい昔だ。
異世界のボートは簡素な造りで、水でも入ってこないかとヒヤヒヤしながら、マゼンダと同じボートに乗り込んだ。
「ここを押すと、動いて羽が広がります」
ボートに関しては、人力かと思っていたら、やはり魔法の国仕様で、木材に描かれた紋章に指で触れると、ボートは勝手に動き出した。
おまけに傘のように屋根が広がって、目隠しになり二人だけの空間、というムードばっちりになった。
「外から見ると中の様子が分かりませんが、中からは透けて見える素材なので、プライベートが保たれる造りになっています。これ、デートにいいでしょう?」
大きな池にはたくさんボートが出ているが、魔法運転なのでぶつかる心配もない。
時間になれば勝手に戻ってくれるので、イチャイチャするには最適な空間だと思った。
「お前……さすが、こういうところはよく知ってるな」
「お褒めいただき光栄です。それにしても彼は弱っていたからチャンスでしたね。ここまで持ち込めばチェスナットの気も変わったかもしれなかったですね」
「お前な……」
「恋愛において、弱みにつけ込むのはテクニックのひとつですよ。悪いことだと思っていたら、いつまで経っても始まりませんからね」
さすがの恋愛ハンターだとビリジアンも感心してしまった。
ビリジアンのような平凡な男は、正攻法だけじゃ負けてしまうということを言いたいのだろう。
「そうかもしれんが、別にこんなにムードのあるところじゃなくてもいい。俺はパートナーになろうと提案しようと思っていたんだから」
「パートナー? ですか?」
「今まで男と付き合ったこともないのに、いきなり恋愛なんて無理だろう。向こうも結婚を焦っているのなら、きちんと説明して、まずは協力者なるのがいいんじゃないかと思い始めたんだ。恋愛云々はその……後から気が合えば可能性があるかもしれないくらいで……」
「あまいですね」
散々考えて出した答えは、マゼンダに一蹴されてしまった。
あまりにズバッと切られたので、ビリジアンが目を白黒させていると、マゼンダは金色の瞳をキララと光らせた。
「これはお見合い、ですよ。可能性云々ではなく、相手は性的な相性をチェックしてきます。正式なお見合いにおいて、必須の項目ですから。利益を重視してプラトニックなパートナーになろうなんて、誰も了承しませんよ」
「なっっ!!」
ビリジアンはすっかり忘れていた。
このゲームの世界は、発売停止になるほど、過激な行為が日常的にアリな世界だったのだ。
主人公の台詞で、男も女も見た目よりも、エッチが上手い方がモテるのよね、頑張らなくっちゃ、というのがあったのを思い出した。
その時は、どんなエロゲー学校だよとバカにして笑った気がする。
「ちなみに、このボートは、周りを気にせずに、水上でイタせる所として有名です」
「ぬっっわっっ!! おまっ、そんな所を!!」
「二回目のデートですから、さすがにそこまではしないと思っていましたよ。ただ、キスくらいはしてもらわないと、と。相性は大事ですからね」
「きっ、きっ、………嘘だろ」
この歳になって、キスと聞いて動揺するなんておかしいが、ビリジアンは口を手で押さえて後ろに下がってしまった。
すると、いきなり体重が移動したので、ボートが揺れてしまった。
ぐわんと傾いて、対面に座っていたマゼンダがバランスを崩して、ビリジアンの横に手をついてやっと止まった。
「ちょっと、このくらいのことで動揺しないでください」
「す、すまない」
自分でも恥ずかしくなって目を泳がせてしまった。早くマゼンダは元の位置に戻ってくれるだろうと思ったのに、なぜかマゼンダは動かずに、息がかかりそうなくらい近いところにいた。
「おい……大丈夫か……」
「いいことを思い付きました」
「え?」
「性技が乏しいのは、かなりのマイナスです。話が進んでもお断りされるかもしれません」
「は? なっ……」
間近に人形のように整ったマゼンダの顔があって、どうにもうまく息が吸えなくて、緊張して汗が出てきてしまった。
「乗りかかった船です。どうせなら、こちらも私がちゃんと面倒を見ましょう」
たっぷり動揺している様子のビリジアンを見て、マゼンダは美しい顔でにっこりと笑った。
⬜︎⬜︎⬜︎
「そのまま、手で当てて冷やせば、少しはよくなる」
公園の噴水で冷やしたハンカチを、腫れ上がったチェスナットの頬に当てた。
チェスナットはすみませんと言いながら、申し訳なさそうにハンカチを手で押さえて頭を下げた。
二回目のデートは、またもや予定通りにいかなくなしまった。
本当は公園の池でボートに乗って、交流を深めるはずだったが、ボートが見える場所のベンチに座って、チェスナットの手当をすることになった。
ポケットの中には、マゼンダが用意してくれたボートのチケットが入っていた。
カップルに人気らしく、手に入れるのに苦労したと言われて、頑張ろうと思っていたが無駄になってしまった。
「……どうしてそんな顔になったのか、話してくれるか?」
この状態で追い返すわけにもいかなくて、チェスナットの横に座ったビリジアンは、訳を聞くことにした。
チェスナットは頬を押さえながら、悲しそうに目を伏せて口を開いた。
「出がけに父と口論になって……、殴られたのです」
「君の父は怒るとよく手が出る人なのか?」
「手が出たのは初めてです……。私がやめろと言われていたことを、こっそりやっていたので、それが見つかってしまい……」
「見つかった、というのは?」
「香水です」
違法な薬、酒や賭博でも見つかったのかと思ったら、予想外の答えだったのでビリジアンは目を開いた。
「私……子供の頃から調香師になることが夢で……、調香師なんて女のやる仕事だと、父は絶対許してくれなくて……。こっそり作っていたんですけど、材料が見つかってしまって」
なるほど、とビリジアンは小さく呟いた。
マゼンダが調べてくれたところによると、プルシャン家は代々厳格に家訓を守り続ける家で、父親であるプルシャン公爵は、事業で成功しているが、誰に対しても厳しい人として有名だった。
息子達は国の要職に就いて、事業を共同で行なっていくのが代々の決まりらしい。
兄はすでに成功しているのに対して、弟のチェスナットはいつまで経っても国の仕事に就く気配がない。
趣味に明け暮れていて、大変手を焼いているというのが、今朝聞いた話だった。
「どうなんだ?」
「え?」
「調香師としての腕だよ。単なる趣味で片手間にやるなら、うるさく言われないんじゃないか?」
「それが……、先日、香水の国として有名なパフューム国で開かれた大会で優勝を……。向こうの学校に招待されているんです」
「すごいじゃないか!」
「ありがとうございます……。私は行きたいと言ったのですが、父は軟弱だと怒り狂ってしまいました。それで、結婚すれば国から出られないだろうと、今回のお見合いを決めてしまったのです」
ようやくチェスナットの本音が聞けた。
本人が乗り気ではなかったのは、無理やり参加させられたのだろうと思っていたが、そういうワケがあったようだ。
チェスナットは落ち込んだ様子で、目を閉じてしまった。
どうしたものかと思いながら、ビリジアンが考えていると視線を感じた。
背中合わせになっている後ろのベンチに、マゼンダが座って話を聞いていた。
振り返ったビリジアンと目が合うと、マゼンダも目を伏せて首を振った。
これはもうダメだという合図だろう。
一瞬、チェスナットに自分と形だけの結婚をしてみて、お互い好きなことをしてはどうかと頼むことを考えた。
しかしそれでは、結婚を口実に、父親の言う通りにさせられるチェスナットの未来が見えてしまった。
このままだと彼は夢を諦めて、……いや、夢を諦めさせられたと周りを恨んで、希望の持てない人生を送ることになってしまうかもしれない。
「……やれるだけやってみたらどうだ? 調香師になりたいんだろう?」
「で、でも、父が許しては……」
「厳格な生き方をしてきた親父さんの気持ちも分かる。お前に苦労して欲しくないんだろう。でも夢を叶えたいなら、そこを乗り越えないと」
「え……」
「道は真っ直ぐよりも、険しい方が多い。今は無理でも、必死に頑張っている息子の姿を見たら、親父さんもいつか認めてくれる日が来る」
ビリジアンは、イチローの頃の亡くなった父親のことを思い出していた。
進学のことで揉めて反抗して、一度だけ殴られたことがあった。
大人になって、亡くなる少し前にあの時は悪かったと病床で謝られた。
先回りして悪いことばかり考えてしまい、素直に認めてあげられなかったことを後悔していると。
父だって人間なのだ。
立場もあるし、自分の経験もあって、譲れないものもある。
そして、大人になっても悩んだり間違えたり、子のためを思って行き過ぎてしまうこともある。
その時の父の姿を思い出した。
その道が正しいと思うなら、誰の意思でもない自分の意思で進むこと。
迷うなら、夢に向かって進んでほしいと、ビリジアンはその気持ちを込めて語った。
しばらく沈黙が続いたが、気がつくとチェスナットの目から、涙がこぼれ落ちていた。
少しは心に響いてくれたのかもしれないと思った。
「夢中になれるものがあるって、いい事じゃないか」
「ありがとうございます。家に帰って、もう一度父と話し合ってみたいと思います。それで、理解してくれなくても、あとは自分の意思で突き進んでみます」
「おう、いつか俺に似合うやつを作ってくれよ。冴えない中年男でも、それなりにカッコよく見える匂いがいいな」
こんな世界だから、きっと魔法の効果とやらで、イケメンに変身できるようなレベルのものが出来そうだと想像してしまった。
「ふふっ……、なかなか過酷な注文ですけど、頑張ります」
「過酷って……よ、お前、大人しそうな顔して、結構言うなっ」
チェスナットと顔を見合わせたビリジアンは、二人して噴き出して笑ってしまった。
ここに来た時に、暗い目をしていたチェスナットはいなかった。
一歩踏み出す勇気、それが彼の目に宿ったように感じて、ビリジアンは嬉しくなった。
ありがとうございましたと言って、チェスナットは頭を下げてから、手を振って歩いて行った。
ビリジアンも頑張れよと声をかけて、手を振り返して見送った。
「無事、若者を勇気づけて終わったみたいですけど、これが何だったか覚えていらっしゃいますか?」
背中にかけられた声に、心臓がドキンと揺れてしまった。
チェスナットのことで色々考えていたので、この男の存在をすっかり忘れていた。
「……もちろん、覚えているけどよ。あんな苦しそうな顔で結婚か夢かなんて言ってるやつと、無理やり付き合えないだろ」
「まぁ……そうですけどね。これは私の選択ミスでした。次はもっと可能性のある人を選びます」
ベンチに座っているビリジアンの隣に、腕を組んで難しい顔をしたマゼンダが座ってきた。
人任せにしているのはビリジアンなので、文句を言うことはできない。
学園長のおかげで、お見合い相手はたくさんいるので、まだ諦めるには早いと思った。
よろしく頼むと言って一息ついた。
「そういやこれ、せっかく用意してくれたのに、使えなくて悪かったな」
ポケットに手を入れたビリジアンは、小さな紙を取り出した。
それは、マゼンダが用意してくれたボートのチケットだった。
日付が入っていて、当日のみ有効と書かれていた。
ぱっと思いついたのはマゼンダに返すことだった。
マゼンダなら今からでもデートの相手はすぐに見つかるだろう。せっかくなら使ってくれと言いかけた時、マゼンダはニヤリと笑った。
「それなら、二人で乗りませんか?」
「は? 俺とお前で? 何でだよ」
「それは、デートの練習も兼ねて。次の人でここを選ぶかもしれません。そうしたら、どこが景色がいいとか知っておいた方がいいじゃないですか」
「ああ……確かに、それはそうだな」
「ね、行きましょう」
子供のように笑ったマゼンダに手を引かれてしまった。
男相手にさりげなく手を握るなんて、おかしいだろうと思ったが、これも練習なのだとしたら、まぁ仕方ないと思ってビリジアンは大人しく従った。
池まで行くと貸しボートは人気らしく、たくさん人が並んでいた。
チケットがあると優先なので、ビリジアン達は列に並ぶことなくすぐにボートに乗ることになった。
待ち時間なく先に行けるなんて、特別待遇みたいなのは、また女の子が喜びそうだ。
マゼンダのモテっぷりを実感してしまった。
現実世界でもボートに乗ったのなんて、記憶にないくらい昔だ。
異世界のボートは簡素な造りで、水でも入ってこないかとヒヤヒヤしながら、マゼンダと同じボートに乗り込んだ。
「ここを押すと、動いて羽が広がります」
ボートに関しては、人力かと思っていたら、やはり魔法の国仕様で、木材に描かれた紋章に指で触れると、ボートは勝手に動き出した。
おまけに傘のように屋根が広がって、目隠しになり二人だけの空間、というムードばっちりになった。
「外から見ると中の様子が分かりませんが、中からは透けて見える素材なので、プライベートが保たれる造りになっています。これ、デートにいいでしょう?」
大きな池にはたくさんボートが出ているが、魔法運転なのでぶつかる心配もない。
時間になれば勝手に戻ってくれるので、イチャイチャするには最適な空間だと思った。
「お前……さすが、こういうところはよく知ってるな」
「お褒めいただき光栄です。それにしても彼は弱っていたからチャンスでしたね。ここまで持ち込めばチェスナットの気も変わったかもしれなかったですね」
「お前な……」
「恋愛において、弱みにつけ込むのはテクニックのひとつですよ。悪いことだと思っていたら、いつまで経っても始まりませんからね」
さすがの恋愛ハンターだとビリジアンも感心してしまった。
ビリジアンのような平凡な男は、正攻法だけじゃ負けてしまうということを言いたいのだろう。
「そうかもしれんが、別にこんなにムードのあるところじゃなくてもいい。俺はパートナーになろうと提案しようと思っていたんだから」
「パートナー? ですか?」
「今まで男と付き合ったこともないのに、いきなり恋愛なんて無理だろう。向こうも結婚を焦っているのなら、きちんと説明して、まずは協力者なるのがいいんじゃないかと思い始めたんだ。恋愛云々はその……後から気が合えば可能性があるかもしれないくらいで……」
「あまいですね」
散々考えて出した答えは、マゼンダに一蹴されてしまった。
あまりにズバッと切られたので、ビリジアンが目を白黒させていると、マゼンダは金色の瞳をキララと光らせた。
「これはお見合い、ですよ。可能性云々ではなく、相手は性的な相性をチェックしてきます。正式なお見合いにおいて、必須の項目ですから。利益を重視してプラトニックなパートナーになろうなんて、誰も了承しませんよ」
「なっっ!!」
ビリジアンはすっかり忘れていた。
このゲームの世界は、発売停止になるほど、過激な行為が日常的にアリな世界だったのだ。
主人公の台詞で、男も女も見た目よりも、エッチが上手い方がモテるのよね、頑張らなくっちゃ、というのがあったのを思い出した。
その時は、どんなエロゲー学校だよとバカにして笑った気がする。
「ちなみに、このボートは、周りを気にせずに、水上でイタせる所として有名です」
「ぬっっわっっ!! おまっ、そんな所を!!」
「二回目のデートですから、さすがにそこまではしないと思っていましたよ。ただ、キスくらいはしてもらわないと、と。相性は大事ですからね」
「きっ、きっ、………嘘だろ」
この歳になって、キスと聞いて動揺するなんておかしいが、ビリジアンは口を手で押さえて後ろに下がってしまった。
すると、いきなり体重が移動したので、ボートが揺れてしまった。
ぐわんと傾いて、対面に座っていたマゼンダがバランスを崩して、ビリジアンの横に手をついてやっと止まった。
「ちょっと、このくらいのことで動揺しないでください」
「す、すまない」
自分でも恥ずかしくなって目を泳がせてしまった。早くマゼンダは元の位置に戻ってくれるだろうと思ったのに、なぜかマゼンダは動かずに、息がかかりそうなくらい近いところにいた。
「おい……大丈夫か……」
「いいことを思い付きました」
「え?」
「性技が乏しいのは、かなりのマイナスです。話が進んでもお断りされるかもしれません」
「は? なっ……」
間近に人形のように整ったマゼンダの顔があって、どうにもうまく息が吸えなくて、緊張して汗が出てきてしまった。
「乗りかかった船です。どうせなら、こちらも私がちゃんと面倒を見ましょう」
たっぷり動揺している様子のビリジアンを見て、マゼンダは美しい顔でにっこりと笑った。
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