英雄になれなかった子

朝顔

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10 優しい人

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 窓から見える景色が、いつもより色付いて見えた。
 ルキオラは眩しさに目を細めながら、窓辺の椅子に座って空を見上げていた。

「宮殿から帰ってきてから、ずっとその調子ですね。何かありましたか?」

 せっせと棚をお掃除中のウルガが、汗を拭いながら、手を止めて話しかけてきた。

 ルキオラは椅子の上で膝を折りたたんで、小さくなって腕の隙間からウルガを覗き見た。

「何でもない」

「何でもない人の態度ではなさそうですね」

 浮かれていることがバレバレで、仕方なく顔を上げたルキオラだったが、頬が熱くなってしまうのを隠したくて、また下を向いた。

「ペンダントが壊れてしまって、気落ちされていましたが、元気になったようで良かったです」

 皇帝との謁見が終わり、宮殿から神殿へ戻って二週間経ったが、思い出すのはあのキスのことばかりで、気がつくと恥ずかしくなって赤くなっていた。

 ペンダントのことであんなにも落ち込んでいたのに、自分でも呆れてしまうくらいの変化だった。
 それに今日は、待望の外出許可が出て、ファルコンと町を散策する予定だった。

 昨日から楽しみでほとんど眠れずに朝を迎えていたが、少しも疲れなどなくて、今すぐ走り出したい気分だった。

「本日は外出許可が出ているので、神殿の服ではなく、簡素なものに着替えていただきます。町へはファルコン殿下と護衛騎士の方が数名、神殿からも警護人が目立たないように周りに配置されるそうです」

 さすがに二人きり、というわけにはいかないので、少し残念に思ってしまった。
 それでも一緒に町を歩けるなんてことは、今ではありえないくらい貴重なことなので、しっかり堪能しようと胸に手を当てた。

 ウルガにどうぞと日程表を手渡された。
 同行者を指でなぞって確認していたら、そこにオルキヌスの名前を見つけて、指が止まってしまった。

 あの庭園でペンダントを壊された後、泣いてしまったルキオラの背中を撫でてくれたのがオルキヌスだった。
 砕けた破片を拾い集めて、ハンカチにくるんでくれた。
 持って帰るかと言われたので、ルキオラは首を振ったが、オルキヌスの温かさが分かった瞬間だった。
 何を考えているのか分からなくて、変な男だと思っていたのに、あの瞬間、彼はとても優しい人だということに気がついた。

 あの時は泣いていて、ろくにお礼をいえなかったので、今日来てくれるなら話しかけたいと思っていたのだ。

「どうしました? ルキオラ様?」

「あ、ここに名前が書いてあるオルキヌス卿なんだけど」

「……何でしょう、その男が何か、ルキオラ様に失礼なことでも?」

「えっ、そうじゃなくて。お礼が言いたいんだ。見かけたら教えてほしい」

 ウルガにしてはやけに警戒するような、厳しい顔になったので、慌てて違うと言って手を振ってしまった。
 宮殿でのヘルトの騒動がルキオラのせいになってしまったことに、ウルガはかなり腹を立てていた。
 彼なりに、ルキオラを思ってくれて、次に火種になりそうなものはなるべく遠ざけたいと思ってくれているのかもしれない。

 ルキオラはありがたいなと思いながら、立ち上がって準備に移ることにした。
 ヘルトは神殿長と高位の貴族達との会食があって、今日は一切関わらないはずだ。

 二人の時間をめいっぱい楽しもうと、ルキオラははやる気持ちを抑えながら、着替えるためにボタンに手をかけた。






 思い通りにいかないことはたくさんある。
 だけど、これだけは上手くいってほしいと願っていたのに、女神は微笑んではくれなかった。

 神殿に馬車が迎えに来たが、その中は空っぽでファルコンは乗っていなかった。
 現地で集合というなんとも悲しい知らせに、仕方ないと乗り込んだのが始まり。

 町で会うことはできたが、一緒に歩いたのは少しだけだった。
 しばらく話しながら歩いていたら、ファルコンに声をかけてくる人がいた。
 どうやら知り合いらしく、ファルコンは普通に対応していたが、それが一人ではなかった。
 歩く度に次々と話しかけられて、そのうちファルコンの周りには人が集まってきた。

 ファルコンは普段から変装して身分を隠して町を歩いているのだそうだ。
 民の意見が聞ける貴重な機会と本人は言っていたが、そのおかげでたくさん友人がいるらしい。

 そしてある店の前まで来た時に、中から欲情を煽るようなお色気たっぷりのドレスを纏ったお姉さん達が出てきた。
 彼女達とも気さくに会話をしたファルコンは、寄っていってよと腕に絡みついた彼女達に、なんと分かったと返事をしたのだ。

 ファルコンによると、久々に顔を合わせる友人が集まっているから、だそうなのだが、そこのカフェで休んでいてくれと言われて、本当に中に入ってしまった。

 置いて行かれてしまった事実に愕然としたルキオラは、フラフラと力が抜けていく足を引き摺りながら、言われた通りカフェに入り席に着いた。

 そして、ファルコンが頼むと声かけたのが、すぐ近くに立っていたオルキヌスだったので、ルキオラのお世話役としてオルキヌスが前の席に着いたところだった。


「バルは性的な奉仕はないが、女性が横に付いて酒類を飲みながら会話を楽しむ場所だ」

「分かっています。そんなこと……」

 カップの中にはミルクをたっぷり入れた紅茶が入っている。それを見ながらため息をついていたら、オルキヌスが余計な解説を始めた。

「この町には他にも数軒バルがあって、そのどれもで殿下は常連になっている」

「……護衛騎士としての情報提供ありがとうございます」

「後で知るより、今の方がいいだろう」

「知ってますよ。殿下はモテますから。貴族学校時代にも会う度に連れている令嬢が違いました」

「なるほど、それでも好きだというなら後は何も言えないな」

 オルキヌスの前にお茶が運ばれてきた。
 オルキヌスは慣れた仕草でカップを手に取り、優雅に口に運んでいた。
 あまりに綺麗な所作に、彼が自国では公爵家の令息であったことを思い出した。

「好き……なのかな。どうか分かりません」

「自分の気持ちが分からないのか?」

「それはっ……、一緒にいるとドキドキするし、嫉妬もします。だけど……今まで人を好きになったことがないし、想ってはいけないってずっと押し込めていたから……」

「その程度の気持ちなら、大した気持ちじゃないな」

「なっ……!!」

 遠慮なしに心に入り込まれて、しかも気持ちを否定されてしまった。
 ムッとしたルキオラはオルキヌスを睨んだが、オルキヌスは平然とお茶を飲んでいた。

「好きなら押し込めてどうなるものではない。全て捨ててもいいと思えるくらい、頭が染まるものだ」

「ずいぶんと、情熱的ですね。そんな恋愛をしてきたのですか?」

「俺じゃない。受け売りだ」

 自分の意見でもないのにと、ルキオラはもっと頭にきたが、言われたことが胸に刺さって怒る元気がなくなってしまった。

「殿下は……優しいんです」

「優しいフリなら誰でもできる。本当に優しいやつなら、一緒に出かけると約束した相手にそんな顔はさせない。お前だって、大事にしてくれないと思うからこそ、好きだと分からないんじゃないか?」

 もどかしい。
 ちがう、そうじゃないと反論したいのに、何も言い返せずに、傷ついている自分がもどかしい。
 目をつぶってきたこと、我慢してきたこと、見ないフリをしてきたこと。
 全部がどっと押し寄せて、これでもかとルキオラの胸を揺さぶった。

「あ……おいっ」

 気がつくと、大粒の涙が頬をこぼれ落ちていた。
 他人の前でなんて泣きたくないと思うのに、どうしてだかこの男の前ではいつも泣いてしまう。

 悔しくて悲しくてたまらなかった。

「悪いっ、言い過ぎた。つい、苛立って……すまない、お前の気持ちも考えずに……」

 ポロポロと溢れる涙を手で拭っていたら、またハンカチを差し出された。
 この男にハンカチをもらうのは二度目だ。
 前のものも返していないのにと、ぼんやり考えてしまった。

「オルキヌス卿の言う通りです。殿下だけが、私に優しくしてくれた。だから、失うのが怖いんです……怖くて、怖くて……」

「わ、分かった。もう分かったから。問い詰めるようなことはもう言わない」

 ガタンと椅子を鳴らして立ち上がったオルキヌスは、明らかに慌てた様子で机に足をぶつけていた。
 そのままルキオラの前に来て腰に下げている袋から、ガサゴソと何かを取り出した。

「これは……」

 ルキオラの手に載せられのは、平らな円形の銀細工で出来たもので、裏に留め具が付いていた。
 見たところブローチのようだった。
 土台の上には、小さな緑色の石が載せられていたが、不揃いで手作り感があった。
 何より、その石に見覚えがあって、思わずルキオラは指で撫でてしまった。

「文句を言いたいのは分かる。こういうのは向いていないんだ。細工屋にも無茶だって言われた」

「もしかして……これ、あの石の欠片で作ったの……ですか?」

 口を手で押さえたオルキヌスは、そうだと言って照れくさそうに頷いた。
 確かにあの時、オルキヌスは砕けた石を拾い集めていた。
 ルキオラはいらないと言ったので、てっきり捨ててしまったものだと思っていた。

「その太い指で、よくこんな細かい作業を……」

「大事そうにしてただろう。捨てられなかった。余計なことだったら……」

 オルキヌスが取り上げようとしてきたので、ルキオラは急いで指を閉じてブローチを握り込んだ。

「ありがとうございます。大切にします」

「ああ……不恰好で悪いが貰ってくれたら嬉しい」

 そう言われてルキオラは首を振った。
 ファルコンにペンダントを貰った時も嬉しかったが、その時とは比べものにならないくらい胸が熱くなった。
 こんなに心がこもったものを貰ったのは、初めてだった。

「大切にします」

 もう一度言ってぎゅっと握ったら、止まっていた涙が溢れ出してきた。
 オルキヌスはまたオロオロと慌て出したが、上着を広げて他の客から見えないように隠してくれた。

 本当の優しさ。

 その言葉の意味が分かった気がした。




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