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第二章

(7)冷めない熱【エドワード】

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 百年ぶりに行われた聖女召喚の儀式。
 その際に二人の女性が召喚されたという話は瞬く間に人々に知れ渡った。

 一人は皇子殿下がすでに手厚く保護をして、日々の公務まで一緒に連れ出していると聞いて、誰もがその相手に決まりだろうと考えた。
 皇子殿下もオールドブラッドであるので、本能的に白魔力を多く持っている人間に惹かれるのは理解できる。

 もう一人の女性は何の魔力もないダミーであり、しかもひどい容姿で恥ずかしいのか部屋から外へ出て来ないなんて貴族の誰もが噂していた。

 聖女様には全身全霊をかけてお使えする、それが皇宮騎士の務めであり、俺にもその機会が来るかもしれない。もしそうであれば光栄なものだと思っていた。



 騎士の誰もが慌ただしく聖女生誕のパレードの準備に追われる中、俺はため息をつきながら荷物をまとめていた。
 本来なら金の装飾をまとい、騎乗して馬車の一団の先頭を務めるはずだった。
 それが、ただの護衛任務。
 しかも使えなくて神殿送りにされる哀れな転移者様の護衛だ。
 一緒に向かう白騎士団のやつはランスロットだろうと団長から聞かされていた。
 ランスロットは同じくらいの腕を持ち、何かとライバルかのように周りから言われていた。
 正直なところ、そういうのは居心地が悪い。
 徹底して根回しして、相手に合わせて自分を作り、誰とでも上手くやるタイプの俺と違って、ランスロットは常に自然体で仲間に囲まれている。
 上の連中に失礼な言動をしても、可愛がって許してもらえるなんて、俺には全く理解できない人種だ。
 そんな相手と上手くいくはずない。
 しかも護衛の対象は女性。
 女性を見ると、いつも傲慢で悪魔のような性格だった姉を思い出してしまう。
 姉は俺に暴力を振るいながら、父や母の前では完璧な優しい娘を演じていた。
 誰もがそうだとは思わない。いや、思いたくはなくてもがいてきたが、やはり触れられると泣いて怯えていた日々を思い出してしまうのだ。

 とにかく上手くやろう。
 優しくして気に入られたりしたらやっかいだが、単純な任務だし終われば二度と会うことなどない。

 確か。初めはそんな風に考えていた。








「寝ちゃいましたね」

 頬杖をつきながら、アリサは柔らかく微笑んでいた。
 いいのいいの放っておけば起きるからと、ランスロットの仲間がアリサに気軽に話しかけるのを見て腹の辺りに力が入った。
 アリサが見つめる先には、飲みすぎて床に転がって寝ているランスロットがいた。

「ずっと気を張っていたから疲れちゃったのかな。エドワードも飲んでいいよ。今日ぐらい楽しんだら?」

「いや、俺はいいよ。それよりアリサ、もっとこっちへ…」

 何があるか分からないから、どちらかはまともに動けないといけない。どうせ今日はランスロットが久々の仲間と飲む会になっているので、俺まで混ざるわけにはいかないのだ。
 護衛として一般人から距離を取らせる雰囲気を出しながら、さり気なくアリサを自分の側に引き寄せた。
 ランスロットが起きていた時から、やけに話しかけてくるやつが数名。
 これ以上は許さないと目を光らせた。

「前の世界では成人は二十歳だったから、それまでお酒は飲んじゃだめだったんだけど、こっちは平気なんだよね?」

 アリサは先ほどから男達に酒を勧められていて、笑って断っていたが興味がありそうな目で見ていた。

「まあ、少しくらいならいいよ。俺もいるから……」

 この世界のものに興味を持ってくれるのは単純に嬉しかった。こっちの人間はもっと幼いうちに酒の味を覚える。
 アリサが酔って頬を染めるところが見てみたいなんて思ってしまった。

 タイミングよく運ばれてきたので、スッと酒が入ったグラスをアリサの前に滑らせた。目をパチパチさせながら、目の前に置かれたピンク色の液体を真剣に見つめているアリサは最高に可愛かった。


 こんな風に女性を見るようになったなんて、自分でも信じられなかった。

 気乗りしなかった任務。
 しかも苦手だった女性の護衛。

 それなのにいつの間にかアリサは俺の心に、自然と入り込んでいた。

 程よい距離感で接してくれて、さり気なく気遣ってくれる優しい視線。時々大胆なことをしてハラハラさせるし、守ってあげたくなるのに、一緒にいると逆に守られているような包容力を感じた。
 どんどん惹かれていく自分を隠せなくて、今日町で秘密のデートみたいなことをしたらもう決定的だった。
 弟が四人いると聞いたが、俺の姉もアリサのような人であったら、どんなに幸せだっただろうと思った。
 しかしそう思えば思うほど、自分がアリサの弟の位置になるのは嫌だと思ってしまう。
 なぜなら弟ではできないことが、したくなってしまうから……。

「立派な騎士の仮面を被って邪なことを考えるというのはどうなんだろうな」

「何が言いたいんだ? いつも何でも知っているみたいなことを言ってくるんだな」

 ずっと空気みたいにフードを深く被って酒を飲んでいたベルトランがぼそりと呟いたので、ムカっときて睨みつけた。
 旅の途中から加わったこの男は、何を考えているかさっぱり読めない。
 魔導士というのは変わり者が多い。何十年も魔塔にこもって、誰とも会わずに研究だけして一生を終える者も多い。
 アリサの守護者でなければ、うるさいから切り捨ててやりたいくらいだ。

 だが、会ったばかりの女に、一生の誓約をする守護者の誓いを立てたのは、どう考えても解せない。
 いくらミルドレッドに魂が似ているからと気づいたのだとしても、まるで逃さないかのように動いたのが気に入らなかった。
 わずかな間しか知らないが、どう考えても奉仕の心があるようなタイプではない。むしろ、血も涙もない正反対の男に見える。

「……少し長く生きているだけだ。色んな人間を見てきたからな。それより……」

 ちびちび飲んでいたグラスを音もなく机に置いて、ベルトランは立ち上がった。

「悪いが、今夜は離れる。用があるんだ。アリサを頼んだぞ」

 何の用だという問いには答えてくれなそうだった。ベルトランはサッとマントを翻して、ガヤガヤと騒がしい宿屋の食堂から外へ出て行ってしまった。

「……勝手なやつだ。……んっ?」

 ため息をついた俺の腕に、アリサの手が乗ってガッと掴んできた。

「どうした? アリサ、気分が悪いのか?」

 アリサは顔を下に向けて小刻みに震えていた
 。何かあったのかと体を支えたら、ランスロットの仲間の一人、この宿屋の店主であるトレイが声をかけてきた。

「エドワードさん、アリサちゃん。間違えてランスロットの飲み残しの方を飲んじゃったんだよ。ライ麦酒とヴォカの混ぜたやつだから相当強烈なやつ」

 机の上を確認すると、アリサの前に置いたのはピンガという女性が好む軽いお酒だったが、そのグラスが空になっていた。そして、その奥にランスロットが飲み残したグラスがあったが、それも空になっていたのだ。
 いつの間にと、俺は驚いて息を呑んだ。

「アリサ? 大丈夫か? 気分が悪いなら、吐いた方がいい。それとも横に………」

「………だ」

「え?」

 周りの連中もこの事態に大丈夫かとアリサに注目していた。みんなの視線が集まる中、顔を上げたアリサは頬を赤らめて、トロンとした目をしていた。

「やだぁ! もっと飲む! これこれ同じのくださらぁい!」

 舌足らずな喋り方で、アリサは手を勢いよく上げて叫んだ。
 周囲は一瞬何が起きたのかと静まり返ったが、すぐにどっと笑いが起きて、飲め飲めという大合唱が始まってしまった。

「だっ……だめだ! 何考えてるんだ! アリサ、ほら、もうお終いだ」

 俺は慌てて、陽気になって空のグラスを持って、踊り出しそうな勢いのアリサからグラスを取り上げた。

「酒ーー! 酒が飲みたいーー! 酒持ってこい!」

「酒飲みの親父みたいなことを言うな! お前達も変なことを教えるな!」

 周りの連中が面白がって、こう言えとアリサに教えるので、まったく手に負えない。
 このままはひどくなる一方だと俺はアリサを小脇に抱えて部屋に向かった。
 周囲からこれから楽しくなるのにとブーブーと文句の声が聞こえたが、そんなのは知らない。
 聞いてられるかと、ズンズン部屋に向かって一直線で進んで行った。

「お酒ぇ…エドワードのばか…」

 アリサはバタバタと暴れていたが、酔いが回ってきたのかしばらくしたらクタンと力が抜けて静かになった。
 このまま大人しく寝てもらおうと部屋に入って、布団にそっと下ろした。

「首元は苦しくないかな…、これ…どうなっているんだ?」

 俺は令嬢の服装など詳しくない。アリサは首元が詰まったワンピースを着ていた。リボンとボタンとで強く留められていて、寝転がったアリサは息が苦しそうに見えた。
 何とか外そうと試行錯誤したが、どこをどう間違えたのか、余計に首が絞まってしまい、アリサは本気で苦しそうになってしまった。

「わっ…まずい! くそ! ど…どうしたら!!」

 焦った俺はとにかくもうこれしかないと合わせ目に手をかけて力一杯引き千切った。
 バチバチと音を立ててボタンが弾け飛んで、アリサの首元はやっと解放された。

 しかし、困ったことに、本気で力を入れたら、全部下まで破けてしまい前が全開になってしまった。

「あ……あ……これは……ええと……」

 もっとマズイことになったと、オロオロしながらクローゼットの中を漁って、夜着を取り出した。とりあえずこれを着せれば何とかなるだろう。
 心臓が壊れそうなくらいバクバクと揺れる中、何とか着ていたワンピースを脱がせて夜着に着替えさせた。
 ホッとして部屋を出ようとしたら、すっかり寝入っていたアリサが俺の手を掴んできた。

「どこに行くの?」

 驚いたことに、ずいぶんとハッキリ喋ってくるので、起きてしまったのかと思ったが、アリサの目は閉じたままだった。

「アリサ、俺は隣の部屋にいるから……」

「いや……私を……置いていかないで……」

 何か夢でも見ているのだろうか。アリサは目を閉じたまま、涙を流していた。

「大丈夫だ。ここにいるから……」

「お願い……行かないで」

 強く掴まれた手を離すことなどできなかった。

 俺はベッドの横に座ってアリサが安心して深く眠れるまで一緒にいることにした。
 涙を指で拭って、どんな夢を見ているのか想像しながら、時々頬やおでこにキスをして側に寄り添っていた。

 結局、そのまま朝になってしまった。




「あれ…? 私いつの間に寝ちゃったのかな…」

「疲れたんだろう。一人で着替えてそのままぐっすり寝てしまったよ」

 翌朝アリサは不思議そうな顔をして起きたが、俺は何もなかったように話さなかった。昨夜のことは俺だけの秘密のように取っておきたかった。

「んーー、覚えていない。まるで疲れて床で寝てた時みたい」

「ぷっ…アリサが床で? そんなことをしていたのか?」

「部屋に戻る力もないくらい、すっごく忙しい時はね。顔に床のあとが残るくらい爆睡してたよ。弟達にいつも起こされて……」

 懐かしそうに目を伏せたアリサは笑っていたが、どこか寂しそうに思えた。
 きっと家族の温もりを思い出したのだろう。
 こんなに切ない顔をされたら胸が苦しくて抱きしめてあげたかった。
 でも、酒が入っていた昨夜とは違う。
 そんなに突然距離を詰めたら、アリサはきっと驚いてしまうだろう。

「……俺が起こしてあげるよ」

「え?」

「アリサがもし床で寝てしまっても…、いや、毎朝…でもいい。俺がアリサを起こしてあげるから……」

 アリサを慰めるためというか、俺の願望なのだが、アリサは前者に取ってくれたらしい。感激したように目尻に涙を光らせて、ありがとうと言って笑った。
 目が眩むくらい眩しい笑顔だった。





「なかなかいい子みたいだな。その、アリサって子は。何よりお前の顔が明るくなった」

 兄のアーサーは豪快に笑いながら、俺の頭をわしゃわしゃと撫でた。
 久々に子供のように兄から撫でられて、恥ずかしい半分、残りは嬉しい気持ちが胸を占めていた。

「こっちのことは心配しなくていい。側にいて守ってやれ」

「……ありがとう。兄さん」

 俺の肩を励ますように軽く叩いてから、先に戻るぞと言って兄は立ち上がって行ってしまった。
 その後ろ姿を見ながら、俺は小さくため息をついた。

 神殿騎士に志願して、アリサの側にいられることになった。
 しかし、心に付き纏うのは、ヨハネス聖下の言葉だ。
 アリサを元の世界に帰す。実現不可能なことに思えるが、一千年に一度と呼ばれる神力を持った聖下なら、叶えてしまうかもしれない。それが不安で仕方がなかった。

 あの場ではアリサの気持ちに沿って理解するようなことを言ったが、あれは本心ではない。
 隙を見せてアリサが心を許したら、逃げられないようにしたいと思っている。

「……絶対、……帰してなどやるものか」

 決意を込めて手を強く握り込んだ。
 もしヨハネス聖下が強引にアリサを揺らすようなことをしたら、その時は……。

 無意識に剣に手をかけて力を入れていた。
 子供のように駄々をこねるようなものかもしれない。
 それでもいい、この世界にいてくれるのなら、この剣を抜いてでも……。

 空に浮かんだ月を睨みつけながら、胸に手を当てると、熱を持った黒い感情が渦巻いていくのを感じた。今水をかけられたとしても、しばらく熱は収まりそうになかった。







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