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第一章

(25)迫り来る影

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『セイラ・クロカワは聖女としての資質あり』

 神託の間から出てきたヨハネスは、ヨハネスの声ではなく、機械が作り出したような声でそう告げた。
 あれがヨハネスの体を通じてイシスが話している声なのだろうか。

 儀式用の大ホールに集められた人々から、おおぉと声が漏れて、ホールの中心に立っているセイラは満足そうに口の端を吊り上げて微笑んだ。

 これでセイラは女神にも認められた聖女となった。
 集まった人々の拍手と歓声に包まれそうな中、私は二階からその様子をこっそり眺めていた。




 出るなと言われていたが、どうしても気になった私は、ミルに頼み込んで巫女見習いの服を借りて部屋を出た。
 教えてもらった立ち入り禁止の大ホールの二階に忍び込んで、そっとご神託の様子を見にきたのがつい先ほどのこと。
 そしてタイミング良く、ヨハネスが神託の間から出てきて、いよいよ集められた人々の前でセイラとの初対面となった。

 そして、第一声でイシスから認められたセイラは、これで完全な帝国の聖女誕生、……だと思われた。

『ただし……今のままではだめだ。中身も聖女になるには程遠い。訓練と努力が必要であり、それを満たせなければただの人として生きることになる』

 付け加えられた言葉にホール内は静寂に包まれた。誰もが息を呑んで衝撃に立ち尽くしていた。

「そっ…そんな!! イシスよ! で…では、 もしセイラが聖女になれなければ……、次の召喚の儀まではいったいどうすれば……!!」

 静寂を破り口を開いたのは、ハルシオン皇子だった。
 抑制具を作り、帝国領土に白魔法をかけて、国民を暴走から守ることが聖女の務めだ。
 それが果たせないということは、常に暴走の危険と隣り合わせで生きるということになる。それだけは、誰もが避けたいところだろう。

『案ずるな、聖女と同等の力はすでにアリサが持っている。セイラが覚醒するまではアリサが代行するとよい』

 私も衝撃で声を上げそうになったが、それよりも集まった人々の方が衝撃だったらしく誰もが声を上げて、何だどういうことだと叫ぶ者まで出てきた。
 ハルシオン皇子が手を上げて大きな声を上げるまで、うるさすぎて何の音も聞こえないほどだった。

「イシスよ! どういうことだ!? ヨハネスがえらく構って世話をしていると聞いていたが……アリサは特異な外見以外、何の力もないはずでは……」

『アリサはかつてこの地に君臨したミルドレッドの力を持っている』

 先程うるさくなった人々は今度は誰もが声をなくして静かになった。混乱状態におちいっている様子だった。

『アリサを保護し、適切な環境で生きる事を守らなければ、災いとなりこの帝国に降り注ぐだろう』

「そ…そんな!」

『アリサの保護はヨハネスに任せるように。ハルシオン、お前がすることはセイラを育てることだ。上手くいけば聖女とミルドレッドの力、帝国は二つの星を手に入れることができる。それは歴史上一番強大な力をお前が手に入れるということだ。それをどう使うか……見させてもらおう』

「………はい。創造と繁栄の女神、祝福をありがたく頂戴いたします」

 ハルシオン皇子が膝をついてイシスに祈りを捧げると、ヨハネスは一気に体の力を失った人形のように崩れ落ちた。あらかじめ控えていたのだろう。侍従達が走ってきて床に落ちないように上手いことヨハネスを支えた。

 ハルシオン皇子は祈りを捧げる姿勢のまま動かなかった。しばらくして、ヨハネスはイシスが体から抜けたのだろう、侍従に支えられながら椅子に座った。

 ここでずっと黙っていたセイラが顔を上げて、ゆっくりとヨハネスの方へ向かって一歩ずつ歩いて行った。

「やっと終わりましたのね。ヨハネス聖下、初めまして、私がセイラです」

 今までのやり取りをなんだと思っていたのだろう。セイラは自信たっぷりに、手入れされた髪の毛をサラリと手でかき上げて、上質なシルクで出来たドレスに包まれた美しい体のラインを見せつけるように優雅に歩きながらヨハネスの目の前までやって来た。

 この状況でどういうつもりなのかと、誰もが唖然としながらセイラの動きに注目が集まった。

 私は昨日のセイラとのやり取りで、セイラが何を考えて何をしようとしているかを悟った。
 セイラは女神イシスからまだ聖女ではないと言われたことなど、なんとも思っていない。
 なぜなら、セイラは訓練とか努力はどうでもよくて、男達に愛されることで聖女として覚醒できると信じている。それがゲームの展開だからだ。

 前からセイラの行動がどうもおかしいと思っていたが、それは彼女がこの世界がゲームの世界だと信じ続けているからだった。
 人に接する態度や言動が、無礼だしどうも血が通っていない気がしていた。
 セイラにとってこの世界の人間はただのキャラクターで、何を思われようがどうでもいいのだろう。彼女はずっと主人公として、ゲームをしているつもりだったから。
 そして今もそれを信じて、ヨハネスの前で一目惚れイベントに意気揚々と乗り出したというところなのだろう。

「ヨハネス聖下、いいのですよ。思ったことを言っていただいても。その気持ちに、応えてさし上げますわ」

 自分が主人公であるという絶対的な自信なのか、もともとの性格からくるものなのだろうか。セイラは大胆に手を伸ばして、人差し指をヨハネスの顎の下に添えた。
 指に力を入れて顎を持ち上げて、キスでもするつもりなのだろうか。
 聖下の侍従達も、イシスが認めた聖女候補相手にどう手を出していいのか分からずに、おろおろとしながら慌てていた。

「なるほど、素直に言ってよろしいのですね」

「ええ、もちろん」

 ヨハネスは目を細めて、セイラより美しいのではと思えるくらい極上の微笑みを浮かべた。
 さすがのセイラも少し顔を赤らめていて、誰もがその美しさにうっとり見入ってしまった瞬間、ヨハネスは氷のように冷たい表情になってセイラを睨みつけた。

「汚い手で俺を触るな、このメス豚」

 誰もが何が起きたのか分からずに、これで本当に言葉を失って固まった。
 ヨハネスはにこっと微笑んだ後、スッと立ち上がってセイラに背を向けた。セイラは手を伸ばしたままの格好で彫像のように固まっていて、ヨハネスは振り返ることもなくそのままホールから出て行ってしまった。
 私もこの後の混乱を考えたら見ていられなくて、そっと二階から下りて部屋に戻ることにした。




 部屋に戻ると、私の代わりをしてくれていたミルがやっと帰って来たと言って、急いでお互いの服を交換した。

 先程起こった事の顛末を話すとミルは当たり前だと言って笑った。

「当たり前ですよ。可愛いだけであんな傲慢な性格の女が聖女様だなんて、認められません。だいたい聖下を自分のものにしようなんて、頭もおかしいみたいですね」

 昨日廊下で突き飛ばされてからミルはセイラをすっかり嫌っている。おまけに最後に足で踏まれたと聞いて、私も腹が立って仕方がなかった。
 そしてこれでこの世界が、セイラの知っているゲームとは違うものだということがハッキリ分かってしまった。
 セイラは今、ショックを受けているかもしれない。だがこれで少しは大人しくなるだろうと私は考えていた。

 しかし、セイラは転んでもタダでは起きない女だった。
 プライドをズタズタにされた恨みの矛先は、どこに向かうのか、私の考えはまだ甘かったのだ。



「ミル! 大変よ!」

 神託の儀式が終わるとヨハネスはしばらく深い眠りに入るそうだ。
 聖女と皇子も明日には皇宮に帰ると聞いていたので、神官長達を中心に後処理に追われていて、神殿内の忙しさは続いていた。

 私はミルと部屋で大人しくしていたのだが、夕刻を過ぎた頃、巫女見習いの少女が部屋に慌てた様子でやって来た。

「どうしたの?」

「火事よ、使用人棟と見習いの部屋から火が出たのよ」

「ええ!?」

「大したものじゃなかったから、もう、消火は終わったけど、とにかくミルの荷物も色々外へ出したから片付けが大変で一緒に来てくれる?」

 ミルは困ったような顔になって俯いた。私を残して行くことに責任を感じているだろう。こんな緊急事態で迷う必要はないと私はミルを部屋から送り出した。

 ミルが出て行った後、一人で夜着に着替えようと準備をしていたら、部屋の外からガタンと何か倒れるような大きな音がした。

 部屋の外にはランドが立ってくれているはずだが、何か嫌な予感がして私は立ち上がった。

「……ランド」

 呼びかけたが反応がない。ランドは神職の人の中ではかなり体も大きく屈強な男だ。
 神殿所属の騎士団、ホワイトバードに所属していると聞いていた。それなりに腕も立つはずだ。
 そのランドに何かあったとすれば、かなりの危険が迫っている。私は無駄に魔力はあるくせに使いこなせなくて、攻撃系の魔法はほぼ使えない。
 最近リナリアから教えてもらったのも、治癒系の魔法だ。
 部屋の窓側までじりじりと後退して、背中に壁の感触を感じた時、ドアを蹴破る激しい音と共に黒服の剣を持った男達が飛び込んできた。

 数にして三名、明らかな殺気を感じで私は背中に汗が流れていくのを感じた。

「ここは聖下の私室ですよ……。こんなことをして……私をどうするつもりですか?」

 男達は覆面を被っていて、顔を見ることはできないが、神殿の中でこんな風に動いているということは、聖女一行の中にいた人間だろう。三人のうち真ん中にいる男が、低い声で笑った。

「……殺しはしない。少しばかり痛い目にあってもらうだけだ」

「そんな事をしても……」

 体に傷をつけられても、白魔法を使えばすぐに治すことができる。そこまで考えて私はハッとして顔を上げた。

 彼らが傷つけたいのは、私の心だ。

 私の心に恐怖を植え付ける。それは魔法では癒すことのできないもの。

 私に恨みを持って、そんな卑劣な事を考える人間がいるとしたら……思い浮かんだのは一人しかいなかった。

「セイラね……。思い通りにいかなかったから…私のせいに……」

「アンタは少し目立ち過ぎた。これ以上はあの方の脅威になりかねない」

 男は誰がという問いには答えなかった。
 剣を振りかざして、じりじりと私との間の距離を詰めて来た。

「大人しくしていれば…すぐに終わらせてやる」

 私はすでに壁に背をつけている。
 ここは神殿の上階。窓には何の足場もない。飛び降りたらただの怪我ではすまない。

 ヨハネスは神殿の奥の回復室で疲れて眠っているから今日は来れないと聞いていた。
 ミルは火事の処理に追われ、ランドは多分気絶させられているのだろう。
 かなりの手練れを前にして私ができることはない。

 こんな状況だが頭に浮かんできたのは彼のことだった。

 なぜ俺を呼ばなかった。

 彼ならきっとそう言うだろう。

 そうだ。

 私の側にいると誓った人。
 その人の顔を思い浮かべて、私は唇を震わせながら小さくその名を口にした。







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