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第一章

(17)月夜の邂逅

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「つまり、犬猿の仲ってやつです」

「なるほど…」

 とくとくとティーポットからお茶を注ぎながら、ミルは得意な顔で教えてくれた。

「こちらは神殿、向こうは魔塔で、普段はお互い決して交わるような場所には住んでいません。一緒に仕事をする時もありますが、目を合わしたり話しをすると汚れるとまで言う神官もいます」

 難しい顔をして腕を組む姿は、双子の姉のリルによく似ていた。
 ミルが淹れてくれたお茶を飲むのももう何度目だろう。
 心が温かくなって優しい味がする。午後のひとときには欠かせないものになってしまった。

 神殿に到着して、神官長のセレストに私の体の事情とここに来るまでの話をした。
 はっきりは言われなかったが、予想通りあまりいい顔はされず、とりあえず神官長クラスの会議で一度話し合うからという回答だった。私は神殿の巫女見習いが使う区画にある一室を与えられ、そこで暮らすことになった。
 神殿というところは、男は神官見習いから神官へ、女は巫女見習いから巫女へという流れて位が上がっていくそうだ。

 今まで男三人と旅をしてきたが、神殿に入ってからは周りがほぼ女性に囲まれている。
 と言っても女性同士和気あいあいと交流することはない。ミルは親切にしてくれるが、他の巫女見習い達は廊下で会っても目も合わせてくれない。
 とにかく外部から来た者というのは、悪い変化をもたらすと言われて歓迎されないのだそうだ。

 特に私がベルトランを連れてきたことは、神殿の人間からするとかなりの抵抗があるらしい。
 この世界に無知な私に、ミルは色々なことを教えてくれるが、今日は魔導士との関係について話してくれていた。



「魔導士は魔力を使って人を殺しますからね。使い魔を作り出したり、イシスが授けた力を邪悪なことに利用するというのが、もうこちらとしては理解できないのです」

「でもミルはあまりそんなことない…のかな。ずいぶん冷静に見れているから……」

「うちは兄が魔力が高くて魔導士になりましたから、他の者よりは理解しています。綺麗事を言ったとしても同じ黒魔法を使う者同士ですもの。お互いの仕事をしているだけですから」

 閉鎖的な空間で大人達がいがみ合っている中、ミルのような歳でここまで理解できていることはすごいと思った。

 ミルのお茶を飲んでリラックスしていたが、ここでツキンと頭痛がして頭を押さえた。
 自分でも魔法を使うようにしているが、使えるレパートリーが少ないし、部屋にいることが多いので大きな力を使う機会もない。
 ミルが後ろを向いていて私の様子に気づかなかったことが幸いだ。
 早くベルトランに会わなくてはいけない。
 穏やかな時間が流れていたが、私は内心焦っていた。


 神殿についてから、エドワードとランスロットは皇宮に伝書魔法を飛ばした。
 すぐに手紙で返事がきて、やはりエルジョーカーとの国境警備の応援にすぐに向かうようにと命令が書かれていた。
 その日のうちにエドワードとランスロットは国境へ向かうことになった。
 私を残してすぐ離れることに二人は悩んでいて決めきれない様子だったが、もともと神殿までの護衛が彼らの仕事でもあったし、国家の危機となれば向かわなくてはいけない。
 私はベルトランも付いていてくれるから大丈夫と言って背中を押した。

 その後、私は手続きで別室に連れ出されて、色々と書類を書かされていて、ろくに挨拶もできず、二人を見送ることもできなかった。
 態度には出していなかったと思うが、ずっと守っていてくれた二人と離れることは不安だった。
 そしてベルトランだが、魔導士が神殿内をうろつくには、これも会議で許可が必要だと言われて、二人の騎士が去った後を見計らって猫の姿のまま檻に閉じ込められてしまった。
 神殿内では大きな魔力を使うこともできず、騒ぎを大きくすることも得策ではない。ベルトランは仕方ないと大人しく檻に入ったようだった。

 何度かミルを通じて、セレストに解放するように頼んでいるが、神殿では神官長といえど独断で何かを決めるのは難しいらしく、会議で会議でという返事しかもらえなくて困っていた。
 そして、ここに来て魔力が溜まりつつある気配に、どうしたら分かってもらえるのか頭を悩ませていた。


「セレスト神官長はアリサ様が問題を抱えていることついて、どうやら聖下何もお伝えしていないようです」

「ええ!? ……謁見はできなくても、何か力になってもらえるかと思っていたのに……」

「セレスト神官長は保守的な人なのです。とにかく波風が立つのを嫌っています。そうやってのし上がって来た人ですからねー」

 神殿内の勢力図とか政治とかは、この際どうでもいいのだ。
 私の目的は女神イシスになぜ私を選んだのか教えてもらいたかった。そして、白魔法が本格的に生産されるようになったらやってくる、生きるための方法も、何かを別の手段がないのか、知っていることや道具などなんでもいいから知識が欲しかった。

 手が震えてきて、カップの中のお茶が揺れていた。お腹の奥から魔力が溢れてきたのが分かる。
 ミルが部屋を出て行ったのを確認したら、今日何度目か分からない目眩しの魔法を自分にかけた。こんなことで魔力を使っても気休めにしかならない。
 神殿内で勝手に魔力を使うことは禁止なので、大っぴらに使うこともできない。

 何度訴えても、セレストから魔力の暴走を本気に受け取ってもらえず、会議がとしか返事がないので、私はもう待っていられなくなって、自分でベルトランを探すことにした。
 ミルにも頼みたかったが、巻き込んでしまうとミルの立場が悪くなってしまう。
 我儘な転移者が独断で行った、ということの方が、迷惑をかけずに済むだろうと考えた。


 空が暗闇に包まれてから、神殿内に眠りの時刻を知らせる鐘が響き渡った。
 ミルは私の夜着の支度終わらせて、お休みの挨拶をした後、ランプの火を消してから部屋を出て行った。
 それからしばらく、みんなが寝静まる時刻までじっとしながら待った。
 深い時刻になり、辺りが静寂に包まれた。後は夜の見回りの者だけに気をつければいい。皇宮と違って敵が攻め入ってくることなどない。見回りと言っても時間で動くだけで、簡単なものだと聞いていた。

 ベルトランから魔導士はミルドレッドの力について、研究する者が多いから話が早いと聞いていた。
 考え方が正反対に近い神殿については、根気よく説明しないと話が進まないだろうと予想していたが、やはりその通りだった。
 とにかく一度ベルトランに会って、魔力を散らしてもらい、今後の対策を練ろうと私は動いた。

 物音を立てないようにそっと部屋を出た。廊下には誰一人いなかったので、ゆっくりと足を進めた。
 途中で見つかった時は、いつものトイレが使えなくて、他のトイレを探して迷ったということで押し通すつもりだ。





 迷った、という言い訳を使おうとしていたのに、本当に迷ってしまった。
 私が見ていたのは、神殿のほんの一部で、どこまで続いているのかと思うくらい、白壁の廊下が果てしなく続いていた。
 広いとは思っていたが、こんなに広いとは思わなかった。
 途中で何度か中庭のような場所を挟み、儀式用なのか広い空間を通り抜けて、もう自分がどこにいるのか分からなくなってしまった。
 ミルからはベルトランは南の端の審査室にいると聞いていた。
 だから南に進んだはずだが、歩き続けてもずっと南が続いていて、端が見えないのだ。

 さすがに歩き疲れてしまい、少し休むことにした。
 目に入った場所は休憩用のスペースなのか、屋根がなく小さな庭のような作りになっていた。
 その中心には砂利が敷き詰められて、水が溜まり池になっている。
 その池を見渡せるように置かれたベンチに、倒れ込むように寝転んだ。

 静かだった。
 寝転びながら見上げた空には大きな月が浮かんでいた。
 異世界なので月と呼べるのだろうか。だが、それを言うなら太陽だってそうだし、天体の話まで考えれるほど私の頭に余裕はない。

 月光浴という言葉を思い出した。電気のないこの世界では月の光が眩しいほど明るく見える。
 眩しすぎて目が眩みそうになって、急いで目を閉じた。
 こんなところで寝るわけにもいかない。
 だが、どくどくとお腹の中から溢れてくる魔力に体が飲み込まれそうになっていて、指一本動かすことすら苦痛に感じていた。

「……女性にしては珍しい髪の色ですね。どこの巫女見習いですか?」

 転がってからどれくらい時間が経ったのだろう。ほんの一瞬にしか感じられなかったが、寝入ってしまったのかどこからか声が響いてきた。少し休むだけのつもりだったが、夢まで見てしまうなんてと情けなくなった。

「……どこ、とは?」

「新入りですか……。言い方を変えましょう。誰に付いて学んでいるのですか?」

「……誰?…学ぶ?……ミルのことですか?」

「ミル・スラウチ……彼女は確か……。そうか、あなたは転移者の方ですね。名前は……」

 夢にしてはやけに色々と聞いてくると思っていたら、顔の近くでポンっと手を叩く音と、思い出しましたという弾むような声が聞こえた。

 少し高い音、柔らかくて透き通ったような声、その声がアリサと私の名前を呼んだ。

「夜中にこんなところで寝てはダメですよ」

 つんと鼻の頭を押される感覚がして、私は閉じていた目をバッと音がするくらいの勢いで開けた。

「……おや、またこれは面白い。黒髪に黒目とは……」

 目の前に腰を下ろして、座っている男がいた。
 いや、男と呼んでいいのだろうか。月の光に輝く銀色の髪に、男とも女とも思えない人間の枠を超えたような美しい顔があった。
 特に切長の目には別々の色が光っていて、思わず目を奪われて釘付けになってしまった。右は緑、左は緑に近いが青い瞳で、アンバランスでありながら完璧な美しさを誇っている。まるでこの方が空から舞い降りてきた女神イシスだと言われても納得してしまいそうだ。
 細身だがしっかりした体の作りや、声の感じから男だということがかろうじて分かるというのがピッタリ当てはまった。

「あ…あなたは、もしかして、女神イシスですか!?」

 夢と現実がごっちゃになった私は飛び起きて目の前の神とも人とも見分けがつかない存在にすがりついた。

「は? ……ええと」

「た…助けてください! 私……っっ!?」

 その人は明らかに困惑した様子だったが、その口元にキラリと光る牙を見つけてしまった。
 その瞬間、私の体は電流が走ったみたいに痺れて体が揺れた。
 全ての思考と全ての感情は奥深くに押しやられて、私の体を支配したのは暴走寸前の魔力が突き動かす欲求だった。

「私を……どうか……」

「え?」

「私を食べてください」

 なぜこんなことを口走っているのか、本人であるのに分からなかった。

 目の前の男の目が、がっと大きく開かれた。
 二つの宝石がこぼれ落ちてしまいそうで、私は思わず手を伸ばした。





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