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第一章

(7)砕けた希望

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 牛のようなのんびりした心を持った男性との恋を夢見ていた私の思いは、粉々に打ち砕かれた。
 のんびり恋愛をしている場合ではない。
 このままだと、平民として町で暮らしながら、誰かに姿を見られたらデッドオアアライブの世界だ。
 姿を隠しながら、地下に潜って生きるみたいな生活しかできない。
 もしくは私に反応することがないという、女性だけの空間で生きていくか…。
 貴重な女性だけが集まる場所などこの世界に存在しないだろう。
 つまり、一生逃げて隠れて暮らしていかなくてはいけない。
 夢も希望もなくなってしまった。



「アリサ、食事を分けてもらってきた。こんなものしか確保できなくてごめんね」

 エドワードが申し訳なさそうに、パンとスープを持ってきてくれた。
 ここは宿屋ではないので、何か食べられるだけでもありがたい。お礼を言ってお腹に流し込んだ。
 村には小さな集落しかなく、村長に話を通してもらい、なんとか農家の使っていない倉庫を借りることができた。
 簡易的なベッドが一つしかなかったが、私が使うように言われてしまった。
 エドワードは窓側の長椅子を使い体を休めて、ランスロットは部屋の外に立っていて、途中で交代するらしい。
 これが夜の正式な護衛の方法なのだそうだ。
 体を清めることもできないし、多少落ち着かなかったが、疲れもあってベッドに寝転んで目を閉じたらすぐに眠気がやって来た。


 目が覚めたら全部夢で、姉ちゃん姉ちゃんと弟達に起こされる。またこんなところで寝たのかよなんて言われて…、頭を撫でられて……、私は今まで見ていた奇想天外な夢の内容を語るのだ。
 姉ちゃん変なテレビでも見たのか?なんてみんなに笑われる………。

 そんな夢が見たかった。


 結局意識を失うように寝て、気がついたら朝になっていた。


 朝方、村長の娘が来てくれて浄化の白魔法をかけてくれた。おかげで、体は綺麗になり清潔になった。このくらいの白魔法であれば、ほとんどの女性が使えるらしい。
 改めて自分にその力がないことが悔やまれる。私を選んだ女神さんよ、聖女ほどではないが、ここで暮らしていくのに不自由しないくらいの力くらい授けて欲しかった。

 朝日が出たのを確認したら、すぐに荷物をまとめて村を出た。
 魔物というのは木々がうっそうと茂る森に生息しているらしいが、太陽の日を嫌うので日中は表に出てくることはほとんどない。
 移動するなら日が落ちるまでだと聞かされた。
 それでも上級の魔物の中には、意思疎通も可能で太陽の日差しも影響のないものもいるらしく、まず出くわすことはないが注意が必要だからと説明された。

「昨日の話だけど、つまり私の外見がミルドレッドという人に似ているから、一般的な男性からすると食欲が止められなくなっておかしくなるってことだよね。神殿まで行けば、そこでは…安全に暮らせるの?」

 馬車が走り出してようやく落ち着いた頃に、私はまだ聞けていなかったことを質問することにした。
 まだ固い喋り方が抜けていなかったので、度々ランスロットに指摘されて、やっとくだけた話し方ができるようになってきた。
 今日はランスロットが御者台に、エドワードが前に座ってくれていた。

「昨日も言ったけど、教会の人間、つまり神殿にいる人間は黒魔法の能力が強い者だ。魔導士との違いは、神殿のやつらは女神イシスを信仰していて、魔導士は魔術の研究者で帝国のために働くという違いだ。どちらも捕食欲はまず最初に制御の方法を訓練するから、神官クラスは問題ないし、神官長クラスにはオールドブラッドもいる。危険はゼロではないが皇宮よりは安全と言える」

 それを聞いて私は少しホッとした。これから向かうところがどんな場所か、誰も教えてくれず気になっていたのだ。

「今の聖下は国で一番古い血族のオールドブラッドだ。まだ若い男だけど、俺からしたらありゃ人間には見えないね。オールドブラッド同士は気が合わないけど、存在が強すぎて恐ろしいくらいだ」

 ランスロットも話に入ってきたが、恐ろしいという台詞が今度は憂鬱な気持ちにさせた。これ以上恐ろしいものを増やさないで欲しい。

「そういえば、アリサはセイラ様と同じ世界から来たみたいだけど、元から知っている関係だったのかな?」

「えっ…。それは全然、同じ国に住んでいたけど、すごく広いから……。セイラとは会ったことはないよ」

 ふーんとエドワードは腑に落ちない様子だった。何か気になることでもあるのだろうか、やはり長いフードのおかげで細かい表情まで読み取りづらい。

「やけに、アリサに絡んでいるように見えたから…、執着のようなものを感じたなぁ…。検査中に喧嘩でもした?」

 それはこっちが聞きたかった。
 検査が面倒で早く終わらせたいとか、聖女になりたいから邪魔なのだろうと思っていたが、終わってからもあんなに睨まれて敵視されるような覚えがない。
 エドワードが言った執着という言葉がしっくりくるような気がした。
 何がそんなに気になるのか理解不能だ。突然ゲームがどうとか話が飛んだりするし、どうも仲良くなれそうな気がしない。

「喧嘩すらするような近い関係でもなかったな。一方的に話してきて、言いたいことだけ言って……。私が前の世界の話をするのとかも、すごく嫌そうだった。でも、これからセイラは忙しくなるし。滅多に会うことなさそうだよね」

「ああ、そうだな。セイラ様の重要な仕事はまず有り余る力を使って抑制具を作ることだ。使い続ければ壊れるから、また力を込めて新しいものを作らなくてはいけない。抑制具が機能しなくなったら国家の存亡にも関わる。しばらくは皇宮の聖女宮にこもって力を高めることに専念されるだろうな」

 捕食対象になった私にとって、抑制具の普及は死活問題だ。ぜひ前の世界の知識を使ってジャンジャン大量生産して欲しいところだ。

「神殿に預けたのは、皇家もアリサの処遇について手に余っているからだろうな。何しろ外見が問題だから市井に出すこともできない。それでいて白魔力もないからまったく役に立たないときたモンだ」

 ランスロットから、サラリと役立たずのお荷物的発言が出てきたが、それに関しては何も反論がないので無言で唇を噛んだ。

「ランスロット、アリサは自分の意思でこちらに来たわけではないんだ。失礼なことを言うなよ。アリサ、すまない。辛い立場なのに、追い詰めるようなことを……」

「もういいよ、その通りだし。なぜこちらに招かれたのかよく分からなくて混乱してるけど、……生き残るためには何とか道を見つけないと」

 弟達を励ます時によく、クヨクヨするなと言ったことを思い出した。下ばかり見ていては、目の前にある大事なことを見落としてしまうよ、なんて偉そうに言っていたもんだ。
 こんなに自分に当て嵌まるものだとは、ここに来てやっと身に染みて分かった。

「とりあえずは一年様子を見てくれるらしいから、それまでよく神官達と相談して、どう生きて行くのが正解か考えてみるといい。平民の身分だが、町で暮らす必要はないと聞いている」

 エドワードにポンと頭を撫でられた。私は姉であるが、弟達はよく私の頭を撫でてくれた。小さい頃たくさん撫でてくれたからお返しだなんて言って。
 なんだか、その時のことを思い出して、胸がぽっと熱くなって切なくなった。

 この日の道中は何事もなく無事に次の町にたどり着いた。
 今度はちゃんと宿があったので、エドワードは二部屋借りてくれた。

「一部屋にすればいいのに。お金もったいないよ。一人は入り口に立って交代制なんでしょう」

 農家の倉庫を借りた時みたいにすればいいと、私がのんきに提案するとランスロットは水筒から飲んでいた水を噴き出した。

「お…お前、本気で言ってんのか!? 昨日はともかく、今日は部屋の中で外套は脱ぐんだろう!」

「えっ、うん。ずっと着ているのも疲れるし、部屋の中ではいいでしょう。それに二人はオールドブラッドだから問題ないって…」

「問題大ありだ! そもそも結婚前の女が男と同室なんてありえないし、いくらオールドブラッドだからって…なにも感じないわけじゃなくて…我慢しているんだよ!」

 男が多い家庭で育ったので、その辺りの常識が欠けていたのかもしれない。
 私は向き合って考えてみることにした。

「我慢って…、捕食欲はコントロールできるんじゃないの?」

「そっ…それはそうだが…。食べたいって本能は…なんと言うか…別の意味で食べたくなるというか…」

「え!? 何? どう言うこと?」

 ランスロットは、真っ赤な顔になってモゴモゴ言っているので、問いただそうと距離を詰めようとしたら、間に入ってきたエドワードに軽く手で止められた。

「アリサ、オールドブラッドは万能ではない。君がただ単純にミルドレッドに外見が似ているだけなのか、まだ不可解な点も多い。一定の距離を保つことは約束して欲しい」

「……分かった」

 敬語をなくして距離が近くなったように思えたが、やはり彼らと私との間には深い線が引いてある。
 この複雑な関係性で、仲良くすることなど不可能なのだろう。
 心細かったので、せめて旅の間だけでもと思っていたが、私のわがままが過ぎてしまったようだ。残念に思いながら大人しく従うことにした。



「少し休憩にするぞ」

 フードさえ被っていれば、面倒なことにはならずに、今のところ落ち着いて旅が進んでいた。
 今日は森の中を進んでいくルートだったが、ここまで来るのに強い日差しで馬がヘタってしまい、小さな泉で休憩する事になった。

 周りを警戒して巡回すると言ってランスロットは先に動いて、エドワードは少し離れた所で馬が疲労回復に食べるという薬草を摘んでいた。
 泉の水は女神イシスの加護があるので、魔物は寄り付かないらしい。近くは安全だと判断されたのだろう。
 私は馬が水を飲む姿を眺めていたが、ふと思いついて、体を乗り出して水面を覗いてみた。

「えっ………」

 記憶にある自分の顔はいつも疲れていて、痩せて落ち窪んだ目で、周りには隈が染み付いたようにあった。
 異世界での生活で健康的になったのか、肌はツヤツヤとして輝き、クマも消えて、顔周りにはふっくらとした丸みをおびたように見えた。

「……私、こんな顔だったっけ」

 前屈みになったからか、後ろ髪が流れて前にバサリと落ちてきた。その長さに驚きの声を上げそうになる。
 この世界に来た時は肩につくくらいだった。ついこの前は胸元、今は胸の下まで伸びている。生まれてこの方、こんなに髪を伸ばしたことがない。それにも驚きだが、この世界ではこんなに早く髪が伸びるものなのだろうか。

「おい」

 自分の髪の毛を掴んでぼけっと眺めていたら、背中から声を掛けられた。
 エドワードの柔らかい声でも、ランスロットの弾むような低音でもない。
 初めて聞く、お腹に響くような低くて暗い音。
 この旅で二人の騎士以外の人間は危険以外のなにものでもない。
 私の心臓はゾクっと冷えて、慌てて髪の毛をフードの奥へ押し込んで、ぎゅっと前を合わせるように手を当てた。

「お前、聞こえているのか?」

 見回りに行ったランスロットも近くにいるはずのエドワードも、なぜこの声の人物の接近に気づかなかったのか。
 それが事態の深刻さを表している気がした。
 額から汗が流れてぽたりと地面に落ちていった。





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