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第一章

(1)選ばれた乙女達

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 同じグラスに同じだけ愛を注いで欲しいと言われても、私には無理な話だ。
 それを分かって欲しくて目の前の男達に目線を送った。
 これから口にすることで、最悪の結果になってしまうかもしれない。
 それでも勇気を振り絞って、小さく息を吸った。

 でも、これはまた後のお話。
 話はこの世界に私が初めて来た時に戻る。



 □□





 まばゆい光に包まれて目を閉じた私が、次に目を開けた時、世界は一変していた。
 初めて見る景色に、初めて見る人達に囲まれて、なんだかよく分からない状況。
 隣には同じようにポカンとした顔の女の子。
 変な夢だなと思いながら私はまた目を閉じた。
 しかし、私はもう二度と元の世界で目を覚ますことはなかった。

 なぜならこれは夢ではなく、ある意味夢の中のような現実。
 私の異世界での人生がスタートした瞬間だった。
 これから混乱に巻き込まれ、運命の出会いがあり、私の人生はとんでもないものに変わるのことになる。

 しかしこの時まだ、ただの夢だと思いこんでいた。無意識に頬をつねり、何度つねっても変わらない痛みが、ぼやけていた頭をもっと混乱の渦に落とした。
 理解できない事態に、これは何だと誰かに答えを求めたかったのに、大事なネジが外れたみたいに私の言葉はしばらく出てこなかった。






「候補様、お召し物を替える時間です」

 窓から外の夕日を眺めていたが、背後からかけられた声に私は振り向いた。
 シャラリとドレスの裾に施されたビーズの刺繍が擦れる音がした。

「もうそんな時間なのね。ありがとう」

 どうしてもクセでお礼を言ってしまうのだが、その度に変な間が空いてしまう。
 目の前にいるのは、赤毛の巻き髪が可愛らしいまだ十代になったばかりの少女だ。
 私の身の回りの世話を担当していて、名前リル、ここで働く使用人だ。

「……お礼を言われるのは慣れていないのです。使用人にそんな声をかけるのはニホンでは当たり前なのですか?」

「使用人、と呼ばれる人がいるような環境で暮らしてきてないから分からないけど、誰かに何かしてもらったらお礼を言うのはごく自然なことかな」

「……素敵な世界でお育ちになられたのですね。さすが聖女様の生まれた世界です」

「……そうかな……それはどうも」

 リルは年下であるのに、落ち着いていて、かなりしっかりしている。
 私の生きてきた世界ではまだ学生の年齢だ。こちらではすでにしっかりと働いていて、この態度からしても厳しい世界で生きてきたことが分かる。
 それでも幼さの残る横顔に弟達を思い出して切ない気持ちになった。

 リルの手伝いで、ナイトドレスと呼ばれる夜着に着替えた。
 シュミーズと呼ばれる薄い下着の上に、上質なシルクのワンピースを着させられた。向こうで言うところの部屋着みたいなものだろう。
 とにかく一日に何度も着替えさせられるので最初は戸惑ったが、一週間してやっと慣れてきた。
 できれば一人で着替えたいのだが、洋服の作りが難しくて見ながら学んでいるところだ。

「セイラさんはどうしているの?」

「クロカワ様でしたら、本日もハルシオン殿下と夕食を……」

 リルがドレスの紐を結びながら少し気まずそうに俯いた。
 そう、と言いながら私は笑った。リルが気に病むことではない。これは私の問題であるのだから。

 ここは、オルフェール帝国の帝都にある、大きな皇宮の一室。
 もちろん地球にそんな国はない。全く知らない異世界の国だ。文明的には中世のヨーロッパくらいの時代に近いと思う。

 一週間前、日本に生まれてごく平凡に暮らしてきた私は、百年に一度行われるという聖女召喚という儀式でこの異世界に呼ばれた。
 聖女とはこの世界において、白魔法というものを強く使える者のことで、国の平和と発展の象徴になるのだそうだ。
 突然呼び出され、そんなものに選ばれて戸惑いしかなかったのだが、私の隣にはもう一人、同じ日本から召喚された女の子がいた。

 長い帝国史の中で、稀にこういった事が起こるらしい。同じような素質を持った者がこの世界の創造神、女神イシスの導きによって偶然に選ばれてしまう事があるそうだ。
 その場合、聖女となるのはどちらか一方だけで、もう一人はただの転移者として人生を終えるらしい。

 らしいというのはつまり、この儀式で呼び出された人間は、二度と元の世界に戻ることはできない。
 いまだにこんな事が起こるなんて信じられないのだが、私はこのわけの分からない世界で生きていかなくていけなくなってしまった。

 幸いというかそうできているのか知らないが、この世界の言葉は自然と頭に入ってきて理解できた。
 だから儀式に参加した者達が、どうしたものかと頭を悩ませているのも分かった。
 結局、私を呼び出した帝国の魔導士達は、私ともう一人の女の子のどちらが聖女かをすぐには判定できなかった。
 聖女の力というのはすぐに強大になるわけではなく、徐々に育っていくものらしい。

 とりあえず皇宮内に二人とも留めて、一月かけて白の魔力の測定を行い、どちらが聖女なのか調べられることになった。

 オルフェール帝国では、聖女は国の宝とされるので、まだ候補者の段階であるがかなり手厚い待遇を受けている。
 豪華な部屋を与えられ、豪華な食事、日に何度も綺麗なドレスを着せられて至れり尽くせりの生活だ。
 しかし何をしていても、日本での暮らしを思い出してしまい、ひどく寂しい気分だった。


 私、波都 亜梨沙はと ありさは、十八歳で日本ではもうすぐ高校の卒業を控えていた。
 両親と、私の下に弟が四人の七人家族。貧乏子沢山を絵に描いたような一家で、両親はとにかくお金を稼ごうと朝から晩まで忙しく働いていた。
 お店をやっていたが、朝はお弁当、昼は定食、夜は居酒屋としてほとんど休みなく動いていた。
 そのため家の事は私の担当で、低学年の頃から包丁を握って食事を作り、他の家事もやりつつ、弟達の面倒を見ながら暮らしてきた。
 毎日家事が終わったら、弟達の宿題を見て、連絡帳をチェックして、風呂に入れて明日の準備をさせて寝かしつけてやっと一日が終わる。
 慌ただしくて倒れるように眠る毎日だった。
 進学はしたかったが、家計の事情を考えたらそれも諦めた。
 地元の工場に就職がきまり、いよいよ次の段階へというところで、こちらの世界に召喚されてしまったのだ。


 リルが一人分の夕食を部屋に運んでくれて、テーブルに着いて、それを無言で食べた。
 一人で食べる食事はなんと味気なくてつまらないものか、ここに来てから思い知った。
 食事はパンにスープに、サラダと煮込み料理。どれもたくさんの食材で手がこんでいた。
 食べながら思い出してしまうのは弟達のこと。
 私にとっては可愛い弟でもあり、ずっと世話をしてきたので我が子のような気持ちだった。
 ちゃんと食べれているか、こんなところから心配しても届くはずがないのだが、咀嚼しながらそればかり思い浮かんでしまい、すっかり味が分からなくなってしまった。

 せめて同じ世界から来たセイラと一緒に食べれたら気持ちも違うのにと思うのだが、その機会はまだ一度もない。

 聖女召喚の儀式には、この帝国の皇子であるハルシオン殿下が参加していた。
 歴代の聖女は、皇子と結婚することになっているらしい。
 召喚された二人の女を見て、ハルシオン殿下は驚いた顔で慌てていた。
 それはそうだろう、自分の妻になる者を待っていたのに、二人も登場してどちらか分からないのだから。

 ハルシオン殿下は金髪に碧眼に甘いマスク、まさに絵本や御伽噺に出てくる王子様そのものだった。
 彫刻のような美しい顔に目を奪われていたら、隣にいた女の子が急に立ち上がって、あっ! っと言って足を庇うようにして転んでしまった。
 正確には転びそうになったところを、すかさず助けに来たハルシオン殿下が抱き止めて、転ばずにすんだ。
 セイラがハルシオン殿下と目を合わせてありがとうございますと言って微笑んだあの光景。
 まるで絵本の一ページのようで印象的だった。殿下はあの一瞬でセイラに心を奪われてしまったに違いない。
 あの日以来、私は殿下の顔は一度も見ていないが、セイラはすでに毎日のように会い、夕食をともにしている様子だ。
 誰もが言っている。聖女はセイラだと。
 あれだけ殿下が心を惹かれているのだから、セイラでないと困ると……。

 セイラは黒河星羅くろかわせいらという名前で、歳は十六歳、高校に行く途中で召喚にあってこちらの世界に来てしまったと聞いた。
 黒川グループという名前は、ただの高校生だった私でも聞いた事がある。日本でも有数の大企業だ。セイラはもともと社長令嬢で、頭のてっぺんからつま先まで、磨き抜かれたように美しかった。
 ミルクティー色の長い髪はハネ一つなく、ふわふわと綺麗なウェーブがかかって上品に腰まで広がっている。色白で顔立ちはハーフなのか日本人離れしている。栗色の瞳はこぼれ落ちそうなくらい大きくて、小ぶりな鼻と口が可愛らしい印象を引き立てていた。
 どこかで見た事があると、思ったら皇子の前で自己紹介した時、日本では少しモデルもやっていましたと言っていたので、友達が持っていた雑誌の表紙で見た事があるのを思い出した。
 セイラは容姿だけ見たら西洋っぽいこちらの世界の人々に近い。上手く溶け込んでいるように見えた。
 それは周りの者達の態度が、最初から明らかに親しみやすい態度であったことからも分かった。
 セイラ自身の魅力もあると思うのだが、巧みな話術とくるくる変わる愛らしい表情で、初日からどんどん周りの者達を取り込んで、あっという間に輪の中心になってしまった。

 彼女のような人を知っている。
 学校に一人はいるタイプだ。太陽のような明るさと求心力で、すぐにクラスの中心になり、他の学年や、教師さえも取り込んでしまう。
 私はいつも、彼女のようなタイプの人を憧れの眼差しで見つめていた。
 それは、異世界に転移したとしても変わらないようだ。

 私の容姿は典型的な日本人。顎あたりで適当にカットした真っ直ぐな黒髪に黒い目、特に秀でたところのない平凡な顔立ち。母は丸くて大きい目だったが、私は父に似て切長の目で、無表情だと冷たい印象を与えてしまう。何もなくても怒ってる?と聞かれることがよくあった。
 自分のことは後回しだったので、髪は櫛を入れる暇もなくボサボサだし、手は水仕事で荒れている。自分の勉強を深夜にやっていたので目の下には慢性的な隈。唇は荒れてガサガサ。肌には吹き出物。
 自分で言うのも悲しいが、セイラと比べるとひどすぎて見れたものではない。

 初日に皇子が私を視界に捉えることもなく、最後はセイラと共に退室して行ったのも当然だろう。
 どう考えても、聖女はセイラだ。
 この世界の女神は何を間違えて私を一緒に連れてきてしまったのか。
 一人での外出は禁止されているので、リルとしか会うことがなく、部屋に閉じ込められるように過ごしながら、そればかりずっと考えていた。



 そろそろ寝ようと思っていたら、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。

「アリサ?ちょっとよろしいかしら?」

 リルかと思って立ち上がったら、ドア越しに聞こえてきた声に少し驚いてしまった。

「もしかして、セイラさん?今開けます」

 こんな時間に出歩いていることを不思議に思いながらドアを開けると、一週間ぶりに見るセイラの姿があった。
 地味な夜着を纏っている私と違ってセイラは、大きな花柄の光沢のある生地でできた美しいドレスを纏っていた。
 華やかな印象のセイラにピッタリと似合っていて、同性でも見惚れてしまいそうだった。

「殿下と夜店に行っていて、今帰ってきたところなの。今年の豊穣を祝うお祭りなんですって。いらないって言ったのに殿下がプレゼントしたいって言うから、たくさんお店をまわり過ぎて疲れちゃった」

 年下であるが、距離感が分からなくて話し方がぎこちない私に比べて、セイラは遠慮なく普通に話してくるので、私も肩の力を抜いた。

「そうなんだ。よかったらお茶を飲む?さっき眠れるようにハーブティーを入れてもらったんだけど……」

 いただくわと言って、私の話を最後まで聞かずにセイラは部屋に入って椅子に座り、用意していたハーブティーをごくごくと飲み干した。
 よほど疲れてたんだなと思っていると、セイラは私に向かって手を出して見せてきた。

「これ、この国の名産でダイアモンドみたいな宝石でしょう。ここでも稀少らしいんだけど、この指輪とセットでネックレスとピアス、ブレスレットまで貰っちゃった」

「すごいね。とても綺麗」

 私の反応が薄かったからか、セイラの顔が心なしか歪んだように見えた。

 昨夜は貴族のパーティーに出ていたと聞いていた。そして今日は夜店へ出かけたらしい。
 私は外出禁止と言われていたが、セイラは殿下が許可を出せば問題ないのだろう。自由に外の空気を吸いに行けるセイラが少し羨ましかった。

「この国はどう?人とかお店とか…、日本とは全然違うから…。どんな、生活をしているのか、私も早く見てみたいな」

「すぐに見られるわよ。ただの転移者は平民として町で暮らすらしいから、嫌でもここの庶民生活をすることになるのよ」

 指輪を眺めながらセイラはくだらない事を聞くなと言う風な冷たい口調で答えた。
 初日以来、顔を合わせなかったが、こんな性格だったかなと違和感を覚えた。
 初めて会った時はみんなの前でもっと優しい笑顔で、知らない世界で心細いからアリサさんが一緒で良かったと言ってくれたのだが……。

「今日ここに来たのは一度ちゃんと話がしたかったのよ」

「それは、私も。日本での事とか話したいし……」

 日本と聞いたセイラは、ハッとバカにしたような顔で笑った。

「アリサ、まだ前の世界に未練があるわけ?そんなんだから、誰とも馴染めずに放置されてんのよ。トロくてダサすぎ、楽勝すぎて話になんないわ」

「でも、まだ一週間だし……」

「ところで、アリサってゲームとかやってた?スマホ持っていたでしょ」

 バカにしてきたかと思えば、急に話が変わり何を話しているのかよく分からなくなってきた。

「はっ?ゲーム?なに?急に…。スマホは親のしか……う…うちは、ゲームに使うお金はなかったから。弟達にも買ってあげられなかったし……」

「ふーん、じゃあ、逆ハーとかも分からないの?」

「え? 逆の何?」

 セイラはため息をつきながら、もういいと言って手を払うように振った。

「アンタみたいなのと話しているとバカになりそう。……なんで女なのよ。……とにかく私が聖女だから、ハルシオン殿下に近づいたら許さないし、明日から始まる検査は適当なところで辞退してくれない?ダルくて一月もやってらんないのよ!」

「辞退って言われても、急に色々あって私もどうしたらいいか……」

 セイラは椅子を倒す勢いで立ち上がると、私の話など聞かずに、部屋を出て行ってしまった。最後にドアを閉める前に、いいから私の言われた通りにして! と強い口調で言い放つのは忘れていかなかった。

 嵐のようなセイラの急襲が終わって、私は呆然としながら、閉まったドアの前で立ち尽くしかなかった。
 こめかみ辺りがズキズキと痛んで頭を押さえた。もともと頭痛持ちで、前の世界にいた時もよく悩まされていたが、ここに来てもっとひどくなった気がする。


 突然この世界に召喚されて、ここで生きていくことを強いられる。そんな状態で聖女であるか調べられるために、外に出ることもできない。
 そっちがその気なら、こっちだってやってられるかと今まで呆けていた分、怒りがフツフツと湧いてきた。
 猫をかぶっていたようだが、セイラはかなり我の強い性格らしい。セイラがやる気ならぜひ聖女になってもらい、私は平民として地道に生きていこうと決めた。

 セイラの言う通り、明日からの魔力測定は受けるには受けるが結果が目に見えるようならそこで辞退してもいいかもしれない。

 考えてみたら前の世界では自分の事は二の次で、家族のために生きてきた。それはもちろんそういう事情もあったし、自分でも選んできたのだから後悔はない。
 だからこそ、この世界では自分がやり残したことをやってみるのもいいかもしれない。

 この先の人生が不透明すぎて悩んでいたが、強烈キャラのセイラのおかげで方向性が見えてきた。小さな希望を抱えながら、明日の検査に向けてベッドに入り目を閉じた。







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