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第二章 成長編(十五歳)
5、悪役令息は看板息子?
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「お帰りなさいませ。ロンドンへようこそ」
これが俺が働いているカフェロンドンの挨拶だ。
元気良く挨拶すると、その人、帽子さんは読んでいた本をパタリと閉じた。
「おはようございます。今日もいい天気ですね」
「気持ちがいい天気ですね。これからお仕事ですか?」
「ええ、今日は午後からなんです。少し時間があったので、トムの笑顔を見て癒されようと思いまして」
そう言った帽子さんの形のいい唇がキュッと上がって、微笑んだ様子が見えた。
しかし、大きな帽子を目深にかぶっていて、目元は全く分からない。
これはいつものことなので、他の常連さんももう気にする人はいない。
外のテーブル席がいつものお気に入りで、深くかぶった帽子を決して外さない人、それが帽子さんだ。
格好は白い法衣で、白い外套を羽織っている。他に分かることといえば、水色の長い髪をしていて、綺麗に結ばれてマントの下まで伸びているのが見える。
外套にはゾウのモチーフの刺繍が付いていて、おそらく神職にあたる人なのだろうというのは見て分かった。
ゾウ神を崇める神殿に属する人は無闇に外で顔を見せてはいけないというルールがあって、そのために帽子を利用しているのではないかと思われた。
それに上品な喋り方も平民街では珍しく、立ち振る舞いや醸し出す空気から、貴族なのではないかと考えていた。
というわけで、名前も正体も謎の人だが、常連さんでしかもいつも一番高い飲み物を注文してくれる上客だ。
今日も最高級と銘打ったロンドンブレンドを注文してくれたので、喜んでお待ちくださいといって厨房に向かった。
相変わらず、店内の席に人はまばらで、みんなまったりと過ごしている。
オルトに声をかけてお茶を用意してもらってから、ふと気が付いたものをトレーに載せてから帽子さんの元へ戻った。
「お待たせしました。ロンドンブレンドです」
「ありがとうございます。いい香りですね。ん? これは……」
帽子さんは、注文したお茶セットの他に、小皿に載せたチョコレートに気がついたようだった。
「来週から出す新作スイーツなんですけど……、もし、お好きだったらぜひ、どうぞ。いつも来ていただいているので、感謝の気持ちです」
上客に対しての気配りは大事だ。
ただでさえ、近所の人しか来てくれない店なので、こういった外部からわざわざ寄ってくれる人は貴重だ。
マリアナと一緒に作り過ぎたので手伝ってくれたら助かるくらいなのだが、これで気を良くしてリピーターとして固まってくれるなら嬉しいことだ。
「トム……貴方はまるで、ゾウ神が使わした奇跡です。感動で今、心が洗われるようです」
「ええっ、大げさですよ」
「知っていますか? トムの笑顔には聖力が満ちているのですよ」
「はい? 聖力? あの、僕には聖力はないのですけど」
急に奇跡とか聖力とかの言葉が出てきたので、一気に現実に引き戻された。
シリウスはもちろん聖力持ちではない。
何かの例え話なのだろうかと首を傾げた。
「ふふっ、ゾウ神に愛された子は、存在自体が力に満ち溢れているのです。そこにいるだけで、周りの人が幸せな気持ちになる。貴方にはその力があります。貴方を知ろうとする者なら、みんな肌で感じていると思いますよ」
「は、はあ………」
まったく何を言っているのか理解できなかった。
聖力は生まれつきで、後から授かることなんてできない。
今言われたのはチョコレートのお礼で、ものすごい大げさに喜んでくれている、ということだろうか……。
「聖力持ちは神子などと呼ばれますが、ただそれらしい力を持ってるだけです。本当に神の子という意味なら、貴方の方がよっぽど……」
そう言いながら帽子さんは、人差し指で俺の手の甲に触れた。
そこには今朝ドジをして擦りむいた傷があったのだが、それがスッと何事もなかったかのように消えた。
「えっ……今のって……」
まさかと思いながら顔を上げたところで、マリアナが店内から出てきて俺に声をかけてきた。
「トム、ちょっと六番のテーブルの人のところに行ってもらえる? なんて言うか……すごく恐くて……」
マリアナがそんなことを言うなんて珍しいなと驚いた。町のごろつきが店に近づいた時も、威勢よく出て行けと言える気の強いタイプだったからだ。
「私が声をかけましょうか?」
「は? お、お客様にそんなことはさせられません! 大丈夫ですから、ご心配ありがとうございます」
なぜか帽子さんが立ち上がって、話に入って来ようとしてきた。
客同士のトラブルなんて一番ダメなので慌ててお礼を言って座ってもらった。
大人しそうに見えて熱いタイプなのかもしれない。
とにかくここは俺が行くしかない。
恐る恐る店内に入って、六番テーブル近づくと、華奢な椅子が壊れそうなくらい巨大な男が座っている後ろ姿が見えた。
見た感じひどい格好というわけではなく、一般的なシャツとパンツのラフな格好だ。
しかし盛り上がった筋肉がパンパンに張っていて、モンスター級の迫力があった。
確かにマリアナがビビってしまうのも分かった。
しかし、普通にお茶を飲みにきたお客さんであれば対応しないわけにいかない。
「お帰りなさいませ。ロンドンへようこそ。お待たせしました」
待たせやがってと怒鳴られたらどうしようかと思いながら声をかけると、男はガン見していたメニュー表から顔を上げた。
「あっ……」
思わず声が出てしまった。
男は初め気が付かなかったようだが、俺が驚いた顔をしたので、記憶を呼び覚ましてしまったようだ。
目を見開いたので、マズイとすぐに分かった。
「おっ……おま、なんでこんなところに。お前、ブラッドフォー……っ!!」
俺は慌ててその男、バーロック卿の口を塞いで、指を口に当てて首を振って静かにという顔をした。
まさかこの店に帝国の騎士が来るなんて思わなかった。ラフな格好からすると休日を楽しむために偶然立ち寄ったのだろうか。
バーロック卿は、アスランとカノアの指導のために何度か邸に来ていて、その時に俺も顔を合わせていた。
俺は周りに聞こえないように声のトーンを抑えて話し始めた。
「その名前は出さないでください。今はトムという名で働いているんです」
「貴族のお坊ちゃんがお忍びでか? 何のために?」
「……しゃ、社会勉強です。自分でお金を稼ぐ苦労を知ろうと思いまして。あの、お願いですから、誰にも……この事は言わないでください」
変わった坊ちゃんだなと言いながら、バーロック卿はいちおう納得してくれたみたいだった。
「今日は非番なんですか? この店は初めてですよね?」
「ん? ああ、用があって近くに来たんだ。たまたま見つけて入ったらなぁ、こんなところにいるから驚いたぞ。このことをアスランは知っているのか?」
アスランの名前が出たら胸がツキンと痛んだ。
顔に出ないように気をつけて首を振った。
「……訓練生に入団してからまだ、一度もこちらに帰ってきていないんです。手紙も送ってはいけないみたいで……」
「そうだった。入団半年は山籠りで訓練遠征だったわ。昔過ぎて忘れてたわ」
もし頻繁に会っていたとしても、働いているなんて話はできない。
なぜかと言われたら、うまく説明できる自信がないからだ。
心配されて、やめてくれと言われたら心が揺らいでしまう。
それに、こうやって体を動かしていると、全てのことを忘れることができた。
悪役にならなくてはいけないことや、アスランがいなくて、寂しいということも……。
「……アイツも頑張ってるみたいだぞ。同僚から連絡が来て、毎日シリウスって叫びながら剣を振るってるって」
「えっ…………」
「知ってるか? アイツの志望動機。強くなりたいとか、国のために働きたいとか、みんながそう答えるなか、アイツはなんて言ったと思う?」
もうすでに顔が熱くなっていたが、だんだん目頭に熱が集まってきて、気持ちが飛び出しそうになるのを必死で堪えていた。
バーロック卿はそんな俺の様子には気づかずに、揶揄うように明るく口を開いた。
「シリウスを守りたい、だってさ」
ドクンと心臓が大きく揺れた。
だめだだめだと堪えていたものが、一気に堰を切ったように溢れ出した。
「まったく、ガキのくせにマセやがって。十年早いって……って、ええっっ!!」
ペラペラ話していたバーロック卿は、俺がボロボロに泣いているのにやっと気がついて慌て出した。
「おっ、おい、ちょっ……泣くなって……」
アスランはきっと世界が広がれば、俺のことなんて忘れてしまうと思っていた。
ずっと忘れようと思っていた唇の温かさを思い出して涙が止まらなかった。
会いたい。
アスランに会いたい。
胸が熱くて壊れてしまいそうだった。
「失礼します。遠くから拝見していましたが、さすがに看過できないのでお声かけさせていただきました。いくらなんでも店員さんを泣かせるなんて、ひどいと思います!」
ここでズイッと間に入ってきた人に、俺の涙はスッと引いて逆にこれはマズいと青くなった。
やはり冷静そうに見えて熱くなるタイプなのか、揉め事といったら入らないと気が済まないのか、間に立ってきたのは帽子さんだった。
「んあ!? 誰だお前は………ん?」
「いい歳した大人が可愛い店員さんをいじめるなんてゆるせな……ああ!? あなたは……!」
バーロック卿は何か違和感を感じたようだったが、帽子さんはバーロック卿を見たら誰なのかすぐに分かったらしい。
丸く口を開けて一歩後ろに下がった帽子さんを見て、今度はバーロック卿が身を乗り出した。
「おまっ、シモンか? お前今パレスの教師だろ? なんでこんなところに……?」
「そういう貴方こそ、騎士団の部隊長がカフェ巡りですか? 似合わない趣味ですね。ああ、椅子は壊さないでくださいね。ここの椅子はとっても繊細なんです」
「はぁ? 相変わらずお高けーのは変わってねーな。どーも、すいませんね、ガサツなもんで!」
どうやら知り合いだったらしい二人は、言い合いを始めてしまった。
客同士のトラブルは避けなければいけないが、これはどうしたものだろうと困ってしまった。
そして、バーロック卿が口にした、貴族学校教師とシモンという名前に、心当たりのある俺は一気に緊張して体が硬くなった。
帽子をふかくかぶっているが、後ろで結ばれた長い水色の髪は、言われてみたらそのままだった。
あの帽子の下にはおそらく赤い瞳が煌めいているはずだ。
そう、彼はゲームの登場キャラだ。
しかもただのモブ教師ではない。
簡単そうに見えるゲームの中で、唯一作られているバッドエンドに出てくるもう一人の悪役とされるキャラだった。
□□□
これが俺が働いているカフェロンドンの挨拶だ。
元気良く挨拶すると、その人、帽子さんは読んでいた本をパタリと閉じた。
「おはようございます。今日もいい天気ですね」
「気持ちがいい天気ですね。これからお仕事ですか?」
「ええ、今日は午後からなんです。少し時間があったので、トムの笑顔を見て癒されようと思いまして」
そう言った帽子さんの形のいい唇がキュッと上がって、微笑んだ様子が見えた。
しかし、大きな帽子を目深にかぶっていて、目元は全く分からない。
これはいつものことなので、他の常連さんももう気にする人はいない。
外のテーブル席がいつものお気に入りで、深くかぶった帽子を決して外さない人、それが帽子さんだ。
格好は白い法衣で、白い外套を羽織っている。他に分かることといえば、水色の長い髪をしていて、綺麗に結ばれてマントの下まで伸びているのが見える。
外套にはゾウのモチーフの刺繍が付いていて、おそらく神職にあたる人なのだろうというのは見て分かった。
ゾウ神を崇める神殿に属する人は無闇に外で顔を見せてはいけないというルールがあって、そのために帽子を利用しているのではないかと思われた。
それに上品な喋り方も平民街では珍しく、立ち振る舞いや醸し出す空気から、貴族なのではないかと考えていた。
というわけで、名前も正体も謎の人だが、常連さんでしかもいつも一番高い飲み物を注文してくれる上客だ。
今日も最高級と銘打ったロンドンブレンドを注文してくれたので、喜んでお待ちくださいといって厨房に向かった。
相変わらず、店内の席に人はまばらで、みんなまったりと過ごしている。
オルトに声をかけてお茶を用意してもらってから、ふと気が付いたものをトレーに載せてから帽子さんの元へ戻った。
「お待たせしました。ロンドンブレンドです」
「ありがとうございます。いい香りですね。ん? これは……」
帽子さんは、注文したお茶セットの他に、小皿に載せたチョコレートに気がついたようだった。
「来週から出す新作スイーツなんですけど……、もし、お好きだったらぜひ、どうぞ。いつも来ていただいているので、感謝の気持ちです」
上客に対しての気配りは大事だ。
ただでさえ、近所の人しか来てくれない店なので、こういった外部からわざわざ寄ってくれる人は貴重だ。
マリアナと一緒に作り過ぎたので手伝ってくれたら助かるくらいなのだが、これで気を良くしてリピーターとして固まってくれるなら嬉しいことだ。
「トム……貴方はまるで、ゾウ神が使わした奇跡です。感動で今、心が洗われるようです」
「ええっ、大げさですよ」
「知っていますか? トムの笑顔には聖力が満ちているのですよ」
「はい? 聖力? あの、僕には聖力はないのですけど」
急に奇跡とか聖力とかの言葉が出てきたので、一気に現実に引き戻された。
シリウスはもちろん聖力持ちではない。
何かの例え話なのだろうかと首を傾げた。
「ふふっ、ゾウ神に愛された子は、存在自体が力に満ち溢れているのです。そこにいるだけで、周りの人が幸せな気持ちになる。貴方にはその力があります。貴方を知ろうとする者なら、みんな肌で感じていると思いますよ」
「は、はあ………」
まったく何を言っているのか理解できなかった。
聖力は生まれつきで、後から授かることなんてできない。
今言われたのはチョコレートのお礼で、ものすごい大げさに喜んでくれている、ということだろうか……。
「聖力持ちは神子などと呼ばれますが、ただそれらしい力を持ってるだけです。本当に神の子という意味なら、貴方の方がよっぽど……」
そう言いながら帽子さんは、人差し指で俺の手の甲に触れた。
そこには今朝ドジをして擦りむいた傷があったのだが、それがスッと何事もなかったかのように消えた。
「えっ……今のって……」
まさかと思いながら顔を上げたところで、マリアナが店内から出てきて俺に声をかけてきた。
「トム、ちょっと六番のテーブルの人のところに行ってもらえる? なんて言うか……すごく恐くて……」
マリアナがそんなことを言うなんて珍しいなと驚いた。町のごろつきが店に近づいた時も、威勢よく出て行けと言える気の強いタイプだったからだ。
「私が声をかけましょうか?」
「は? お、お客様にそんなことはさせられません! 大丈夫ですから、ご心配ありがとうございます」
なぜか帽子さんが立ち上がって、話に入って来ようとしてきた。
客同士のトラブルなんて一番ダメなので慌ててお礼を言って座ってもらった。
大人しそうに見えて熱いタイプなのかもしれない。
とにかくここは俺が行くしかない。
恐る恐る店内に入って、六番テーブル近づくと、華奢な椅子が壊れそうなくらい巨大な男が座っている後ろ姿が見えた。
見た感じひどい格好というわけではなく、一般的なシャツとパンツのラフな格好だ。
しかし盛り上がった筋肉がパンパンに張っていて、モンスター級の迫力があった。
確かにマリアナがビビってしまうのも分かった。
しかし、普通にお茶を飲みにきたお客さんであれば対応しないわけにいかない。
「お帰りなさいませ。ロンドンへようこそ。お待たせしました」
待たせやがってと怒鳴られたらどうしようかと思いながら声をかけると、男はガン見していたメニュー表から顔を上げた。
「あっ……」
思わず声が出てしまった。
男は初め気が付かなかったようだが、俺が驚いた顔をしたので、記憶を呼び覚ましてしまったようだ。
目を見開いたので、マズイとすぐに分かった。
「おっ……おま、なんでこんなところに。お前、ブラッドフォー……っ!!」
俺は慌ててその男、バーロック卿の口を塞いで、指を口に当てて首を振って静かにという顔をした。
まさかこの店に帝国の騎士が来るなんて思わなかった。ラフな格好からすると休日を楽しむために偶然立ち寄ったのだろうか。
バーロック卿は、アスランとカノアの指導のために何度か邸に来ていて、その時に俺も顔を合わせていた。
俺は周りに聞こえないように声のトーンを抑えて話し始めた。
「その名前は出さないでください。今はトムという名で働いているんです」
「貴族のお坊ちゃんがお忍びでか? 何のために?」
「……しゃ、社会勉強です。自分でお金を稼ぐ苦労を知ろうと思いまして。あの、お願いですから、誰にも……この事は言わないでください」
変わった坊ちゃんだなと言いながら、バーロック卿はいちおう納得してくれたみたいだった。
「今日は非番なんですか? この店は初めてですよね?」
「ん? ああ、用があって近くに来たんだ。たまたま見つけて入ったらなぁ、こんなところにいるから驚いたぞ。このことをアスランは知っているのか?」
アスランの名前が出たら胸がツキンと痛んだ。
顔に出ないように気をつけて首を振った。
「……訓練生に入団してからまだ、一度もこちらに帰ってきていないんです。手紙も送ってはいけないみたいで……」
「そうだった。入団半年は山籠りで訓練遠征だったわ。昔過ぎて忘れてたわ」
もし頻繁に会っていたとしても、働いているなんて話はできない。
なぜかと言われたら、うまく説明できる自信がないからだ。
心配されて、やめてくれと言われたら心が揺らいでしまう。
それに、こうやって体を動かしていると、全てのことを忘れることができた。
悪役にならなくてはいけないことや、アスランがいなくて、寂しいということも……。
「……アイツも頑張ってるみたいだぞ。同僚から連絡が来て、毎日シリウスって叫びながら剣を振るってるって」
「えっ…………」
「知ってるか? アイツの志望動機。強くなりたいとか、国のために働きたいとか、みんながそう答えるなか、アイツはなんて言ったと思う?」
もうすでに顔が熱くなっていたが、だんだん目頭に熱が集まってきて、気持ちが飛び出しそうになるのを必死で堪えていた。
バーロック卿はそんな俺の様子には気づかずに、揶揄うように明るく口を開いた。
「シリウスを守りたい、だってさ」
ドクンと心臓が大きく揺れた。
だめだだめだと堪えていたものが、一気に堰を切ったように溢れ出した。
「まったく、ガキのくせにマセやがって。十年早いって……って、ええっっ!!」
ペラペラ話していたバーロック卿は、俺がボロボロに泣いているのにやっと気がついて慌て出した。
「おっ、おい、ちょっ……泣くなって……」
アスランはきっと世界が広がれば、俺のことなんて忘れてしまうと思っていた。
ずっと忘れようと思っていた唇の温かさを思い出して涙が止まらなかった。
会いたい。
アスランに会いたい。
胸が熱くて壊れてしまいそうだった。
「失礼します。遠くから拝見していましたが、さすがに看過できないのでお声かけさせていただきました。いくらなんでも店員さんを泣かせるなんて、ひどいと思います!」
ここでズイッと間に入ってきた人に、俺の涙はスッと引いて逆にこれはマズいと青くなった。
やはり冷静そうに見えて熱くなるタイプなのか、揉め事といったら入らないと気が済まないのか、間に立ってきたのは帽子さんだった。
「んあ!? 誰だお前は………ん?」
「いい歳した大人が可愛い店員さんをいじめるなんてゆるせな……ああ!? あなたは……!」
バーロック卿は何か違和感を感じたようだったが、帽子さんはバーロック卿を見たら誰なのかすぐに分かったらしい。
丸く口を開けて一歩後ろに下がった帽子さんを見て、今度はバーロック卿が身を乗り出した。
「おまっ、シモンか? お前今パレスの教師だろ? なんでこんなところに……?」
「そういう貴方こそ、騎士団の部隊長がカフェ巡りですか? 似合わない趣味ですね。ああ、椅子は壊さないでくださいね。ここの椅子はとっても繊細なんです」
「はぁ? 相変わらずお高けーのは変わってねーな。どーも、すいませんね、ガサツなもんで!」
どうやら知り合いだったらしい二人は、言い合いを始めてしまった。
客同士のトラブルは避けなければいけないが、これはどうしたものだろうと困ってしまった。
そして、バーロック卿が口にした、貴族学校教師とシモンという名前に、心当たりのある俺は一気に緊張して体が硬くなった。
帽子をふかくかぶっているが、後ろで結ばれた長い水色の髪は、言われてみたらそのままだった。
あの帽子の下にはおそらく赤い瞳が煌めいているはずだ。
そう、彼はゲームの登場キャラだ。
しかもただのモブ教師ではない。
簡単そうに見えるゲームの中で、唯一作られているバッドエンドに出てくるもう一人の悪役とされるキャラだった。
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