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妹に彼氏ができたので呪うことにしました。

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「も…もう一度、言って…」

「だからぁ、彼だって。二泊三日の予定だからよろしく」

 頭から氷水をかけられたみたいに、全身が冷たくなって俺はぶるぶると震え上がった。

「そそ…そんな! 何を言っているんだ。許されるわけないよ! おおお…男と旅行なんて……藍はまだ……」

二十歳ですけど! お母さんには許可もらってるし」

 あいはコンパクトに付いた鏡を覗き込みながら長いまつ毛にマスカラをつけていた。しかしついに呆れたのか、うんざりした顔になりため息をついた。

「だっ…そっ…、母さんが許したって、俺は許さないよ! おお…男は狼なんだ! 二人きりで旅行なんて…絶対だめだって!」

 パチンと音を立ててコンパクトを閉じた藍は、冷たい目をしながら俺を睨みつけてきた。

「ウザっ! 狼?笑わせないでよ。その男のお兄ちゃんは、小動物にしか見えない」

「そっ…!! それは、男には二種類あって…俺みたいなのもいるけど、だいたいは……、あっ…藍! ちょっとまっ…」

 藍は俺の静止も聞かず、怒ってますというようにドカドカと足音を立てながら部屋を出て、バタンとドアを壊しそうな勢いで閉めた。

 耳を押さえながら俺は途方に暮れていた。
 大好きな…、大好きな妹の藍に彼氏が出来てしまった。
 何とかしなくてはいけない。
 ギリリと奥歯を噛み締めながら、俺はどこの馬の骨かも分からない憎き野郎に向かって、心の中で必ず倒してやると叫んだ。

 俺、梅田碧うめだみどりには一つ年下の妹がいる。藍は小さい頃から病弱で、小学生の時は入退院を繰り返していた。
 両親は藍のために仕事をやりくりして付き添い、いい薬があると聞けば遠方まで足を運んだ。家の中はずっと藍を中心として動いてきた。
 藍と違って健康体だった俺は、放っておかれることが多かったが、俺にとって藍は何物にも変えられない大切な妹だった。だから唯一の兄として妹を守り支えていくと幼い時に誓った。
 小中高と同じ学校に通い、いつも陰ながら…いや、ちょっと陰から出てはいたが、藍を守ってきた。
 シスコンウザイとかキモいとか言われながらも、俺は藍のために生きてきた。

 おかげで藍は高校を卒業する頃には、すっかり健康になり、頻繁に病院に行くこともなくなった。
 それでも心配な俺は、夜に遊びに出歩くような派手な女子友達がいないかもチェックしていた。
 しっかりした真面目な友達に囲まれて、藍は真っ直ぐで純粋に育ってくれた。

 しかし、藍が俺と別の大学に入って俺の完璧な藍包囲網は崩れてしまった。
 今まで把握してきた友人関係はがらっと変わってしまい、何でも話してくれた藍は、突然口を閉ざすことになる。

 メイクや服装が変わり、夕食が終わるとスマホを持って部屋に行ってしまい、そのまま出てこないことが増えた。
 真っ白で純粋な藍が変な男に捕まってしまったら……、俺はそればかり考えて気が気ではなかった。







「それで、相手は分かってんのか?」

「それがさ、言うと絶対邪魔されるからって言わないんだよ。でも、今まで積み重ねてきた会話でよく出てくる男の名前なら把握している。話をしている時、藍は頬を赤くしていたし、そいつに間違いないと思う」

「おっ! そいつはすごいな。お前、トロそうに見えるけど、やる時はやるんだな」

「ふふふっ…、それ、俺がよく言われて来た言葉だよ。やる時はヤル男! 兄ちゃんが藍を悪い男の手から守ってやるんだ!」

 そのためなら悪魔に魂を売ることくらいなんでもない。
 そう思いながら、俺は目の前の本当の悪魔をまじまじと見つめた。

 見た目は大きな黒猫という感じだが、長い尻尾の先は鋭利な刃物のように尖っている。
 そしてなりより、人間の言葉を話していて、先ほどから俺の話を聞いては感心したようにリアクションしてくれる。
 ついさっき出会ったばかりなのに、長年の友人に相談しているようにしっくりくるのは、悪魔のなせる技なのだろうか。

「碧、お前に言わなくてはいけないことがある」

「へ?なんだよ…、さっきのラッキー何とかが嘘だなんて言うなよ!」

「それは、嘘ではないんだがな…。俺は悪魔ではあるんだが、……淫魔なんだ」

「………え?……もう一度」

「だから相手を殺せとか不幸にしろとかそう言うのは無理なんだ」

「い…いや。そこまでは考えてないけどさ、……あの、じゃあどんなことができるの?」

 そう言うと、俺が呼び出した悪魔…いや淫魔はニヤリと笑った。





 藍から月末に旅行に行くからと聞かされた日、誰と行くのか問い詰めたら、恐ろしいことに藍は彼氏と行くと言い出したのだ。

 翌日もその翌日も金魚のフンのごとく藍に付き纏ったが、足で蹴られて自分の部屋に押し込められてしまった。
 こんなに頑なに拒否されてしまったら、もう藍からは話を聞けない。

 俺は唯一繋がりのある藍の友人、桜子ちゃんに連絡を取った。
 しかし桜子ちゃんは、口止めされているのか、のらりくらりとかわされて、結局彼氏についての情報は得られなかった。

 もう八方塞がりで心身ともにぼろぼろになっていた俺は、たまたま入った裏路地にあった古書店の前で立ち止まった。
 店先に置かれたセール品の中に、優しい黒魔術入門というタイトルの日に焼けた本を発見した。

 そうだ、これがあるじゃないか。
 その時は寝不足で朦朧としながら、その本を手に取った。
 呪ってやる、それしかないと思ったのだ。

 家に帰った俺は、その本の手順通り、悪魔召喚の儀式を行った。
 本の中でも材料が簡単で初心者向けの、何が出るかなガチャ召喚というやつにした。大した呪いをかけるつもりはなかったので、とりあえず悪魔が呼べたら種類とかなんでもいいと思ったのだ。

 やるにはやったが、まさか本当に召喚できるとは思わなかった。
 コピー用紙に書いた魔法陣から飛び出てきたのは、猫によく似た悪魔だった。

 悪魔は初めに言った。

 おめでとう、お前が俺を呼び出した三百人目だ。三百ラッキー記念に今回だけ特別に一つ、対価なしでお前の願いを叶えてやろうと。






「今日の見学の方は先ほど渡した見学者用のカードを首から下げてください」

 案内係の職員の掛けた声に、はーいとやる気のなさそうな返事が上がる中、俺は元気に手を上げてはい! と返事をした。

「はははっ、今年はずいぶん元気な方がいますね。楽しんで帰ってくださいね。それでは、今から教室に案内するので付いて来てください」

 何だコイツという視線は無視する。何たって俺は君らより三年先輩でもあるので、意欲的な高校生の正しい見学の方法の見本を見せてやる。

 と、そこまで考えてブンブンと頭を振った。いけないいけない、そんなつもりでここまで来たわけではない。
 早くも目的を見失うところだった。

 今日は藍の大学のオープンキャンバスの日だ。この日を狙って俺は高校生として、大学に潜入することにした。
 目的は藍の彼氏をつきとめること。そして、出来たらアレを使うことだ。

 この日のために、ちゃんとしまい込んでいた高校の制服を引っ張り出してきた。
 二十一になる俺が制服など着たらバレバレだろうと思われるだろうが、ここで俺の悲しき童顔が役に立つ時が来た。

 藍は父さん似でキリッとした目が印象的な美人だ。長いストレートの黒髪は艶があってよく目立つし、化粧をすると都会のオフィスで働く綺麗なお姉さんに見えるくらい大人っぽい。
 それに対して俺は、目ばかりデカくてバランスが悪く、母親似の女顔。おまけに童顔で藍より辛うじて二センチ背が高いくらいだ。
 地毛が茶色のくせっ毛でいつもくるくると飛び跳ねている。酒は得意じゃないが、どこへ行っても身分証を見せろと言われる
 男らしさのカケラもない自分が嫌だったが、それはこの日のためだったのかと納得していた。
 今更高校生の格好などコスプレみたいなものだ。
 しかしガラスに映る自分を見て、感心してしまうくらい違和感がないのも悲しいものだ。

 一通り授業を見学した後は、興味のある学部にそれぞれ自由に向かうことになる。
 見学者カードを見せれば、どの授業も見学可能で、どこの学部の学生も親切に案内してくれるからと言われた。
 ずいぶんと放任形式だが、この自由度が俺には好都合だ。
 目指すは経済学部、まずは藍がどうしているか確かめることにした。





「いっ…淫魔ってあの…なんか、エッチな漫画とかに出てくる…あの、その…」

「まぁ簡単に言うと人の性欲を司る悪魔だ。人を惑わして、頂いちゃうってのが本業」

「困るよ! 俺は…藍の彼氏が悪いやつだったら、女の前で石に躓いて格好悪く転ぶとかの呪いをかけてやろうかと……」

 俺が呼び出した淫魔は、色欲に関しての願いしか叶えられないと言ってきた。
 そういう話では困ると言い出した俺に、淫魔はまぁ待てと言って俺の手に小瓶を乗せた。

「お前に無償でコレをやろう。これは、いわゆる体がエッチになっちゃう薬だ」

「は!?」

「強烈な媚薬のようなものだ。どんな美女でもイチコロのイチコロリという名前で俺が魔界で特許を取ったやつだ」

「はい!? 知るかそんなの!」

「これの凄いところは、飲んだらフェロモン垂れ流しで、体がびしょびしょのアソコがぐちょぐちょに……」

 俺が真っ赤になって耳を塞ぐと、淫魔は悪い悪いと言ってケラケラと笑った。

「とにかくこれを相手の男に盛ってやれ。そうすれば男でも発情するから、人前で誰彼かまわず襲いかかって淫乱になった男なんて、お前の妹はショックですぐ嫌いになるだろう」

「……たっ…確かにそんな変態なんて、藍は絶対嫌だと思う」

 淫魔なんて役に立たないと思ったが、この手は使えるかもしれないと、俺は渡された小瓶をしばらく眺めたあと、ぎゅっと手の中にしまい込んだ。






 今はちょうど昼休み中なのだろう。全ての学生が教室から出てきた。その場で弁当を広げる者、食堂へ向かう者、さまざまだったが、俺は人混みにまぎれながら、藍の姿を確認した。

 藍はお気に入りの青いワンピースを着ていて、教室の窓際で背の高い青いストライプ柄のシャツの男子学生と談笑している。男の方は背中しか見えないが、距離が近い上に、藍は嬉しそうに笑っている。俺には見せたことがない顔だ。これはもう、あいつに間違いない。
 さりげなく近くを通った女子学生に、アレは誰だとシャツの特徴から名前を聞くと、小日向悠こひなた ゆうという名前を教えてくれた。

 これで確信に変わった。
 藍の話によく出てくる男の名前と合致したのだ。
 藍の話でも確か褒めちぎっていた気がする。女の子にモテて…というような話だった。
 彼女がいるのに、モテる男。藍の前途多難な恋に頭がくらりとしたが、まずはヤツの人となりを確かめなくてはいけない。

 一緒にお昼を食べに行くかと思われたのに、藍と小日向は教室で別れた。
 藍を追って行きたかったが、ここはぐっと堪えて、小日向を観察することにした。

 藍が去った後、小日向は早速女子に囲まれた。腕を絡ませるようにじゃれる女子達に、彼女がいなくなった途端ちょっと馴れ馴れしいんじゃないかと、ムッとしていたら、小日向が動いて体勢をこちらに向けた。

 背が高いだけのイメージに、悔しいくらいのイケメンが追加された。
 艶のある長めの黒髪を自然に後ろに流して、高い鼻梁に彫刻のように整った顔立ちは遠目にも分かるくらい目を引いた。
 ただ整っているだけではない。わずかに口角を上げて微笑む顔は独特の色気があって、男の俺でもぼけっとして目が離せなくなってしまった。
 食い入るように見ていたからか、こちらに目線を向けた小日向とバッチリ目が合ってしまった。
 俺も慌てたが、向こうもなぜか驚いたような顔になって目を見開いた。

 やばいと焦って一度仕切り直そうと建物の外まで走って出て来たが、そこでガっと腕を掴まれて止められた。

「待って、あの、もしかし……」

 振り返ると俺の腕を掴んでいるのは小日向だった。走って追いかけて来たのだろうが、俺と違って汗ひとつかいていない。
 突然止められて俺はヤバいとパニックになった。

「違うんです!! お…俺、見学の学生です。食堂へ行こうとしたら迷子になっちゃって……じろじろ見てしまってすみません!」

 小日向が何か言ってきたが、変なことを聞かれる前に迷子だから見ていたと誤魔化すことにした。
 イケメン顔を崩して、ポカンとした顔になっていた小日向だが、何か思いつきでもしたのか、ふっと息を吐きながら目を細めて微笑んだ。
 その強烈な男の色気にクラクラして倒れそうになる。

「そうなんだ、じゃ案内してあげようか? 高校生くん」

 近づくのはマズイと思ったが、断る言葉が出てこなくて、俺は仕方なく小さく頷いた。
 どんな人物なのか直接話を聞けるならチャンスかもしれないと無理矢理自分を納得させた。





「……山田太郎くん。一周回って変わった名前だね」

「ははっ…よく言われます。単純過ぎて恥ずかしいので、あまり呼ばないでください」

 見学者カードに書かれた俺の偽名を見て、小日向は何か言いたげな表情で笑った。
 ずいぶんとよく笑う男だと思った。先ほど教室にいた時もそんな感じだったかなと考えていたら、スッと目の前の皿にエビフライが乗せられた。

「フライ定食頼んだのに先にフライを全部食べるなんて変わってるね。美味しかったなら俺のエビフライもあげるよ」

「え……い……いいの!?」

 こんなところで子供のような悪いクセが出てしまった。いつも好きなものを初めに食べ切ってしまい、ご飯を持て余しながら食べることになってしまう。
 なぜか、一緒に昼飯を食べる方になった小日向にそれを見られてエビフライをもらうというわけの分からない展開になってしまった。
 しかし、エビフライに罪はない。胃袋を掴まれるとたいてい良い人に見えてしまうのだけは注意しないといけないが、喜んで頂くことにした。

「ここへはどうして来たの?」

「妹の……だっ!! ちっ…おっ…オープンキャンパスです! たまたま近くであったから学校選びの参考に……」

 食事を終えたが教室には戻らず、そのまま座って高校のことや勉強のことなど、あまりに普通に話していたら、こちらも釣られて自然と本当の理由を話しそうになってしまった。
 焦りを隠してなんでもなかった顔でお茶を流し込んだ。
 それをなぜか小日向はニコニコした顔で眺めている。
 変わったヤツだと思っていると、ふっと良い匂いが漂ってきて周りに影ができた。

「小日向くん、ここで食べてるの珍しいね」
「え? なにこの子? 小日向くんの弟?凄い可愛いんだけど!」

 小日向目当ての女子達だったが、一緒にいるからか、俺にまで注目が集まってしまった。

「違うよ。弟、じゃないよね?」

 俺みたいな童顔のガキが弟だと思われたら困るのか、小日向は何だか含みのある言い方で俺に同意を求めてきた。
 仕方なく俺は小さくなりながら、見学の学生ですと言った。

「可愛い!! お姉さん達が案内してあげる!」
「え、ちょっと、お肌が桃みたいにぷるぷるなんだけど、触ってもいい?」

「え!? いや、それは…ここっこ困ります」

 理系の男だらけの大学にいる俺に、良い匂いの女の子達なんてレベルが違いすぎる相手だ。真っ赤になりながら、後ろに引いていたら、横から手が伸びてきて腕を取られて、ぐっと引っ張られて持ち上げられた。

「ごめんね。この子、俺の大事な友達だから、あんまり揶揄わないで」

「え…えっ…ちょっ……」

 女の子達にそれだけ言って、俺の腕を掴んだ小日向はそのまま俺をズルズルと引っ張って食堂から出て来てしまった。

「いっ…いいんですか?女の子達、びっくりしていましたけど…」

「いいのいいの、邪魔されたくないし。それより、山田くんとうちの大学についてもっと話をしたいんだけど、よかったら研究室までくる?」

 勢いで一緒にいることになってしまったが、どうせならもっと深い話を聞こうと俺は誘いに乗ることにした。







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