臆病なDomと、優しく愛されたいSubのお話。

朝顔

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⑮ 雨上がりの一歩

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「後この一枚、ここにサインをしたら終わりだ」

 書かれていた文書を確認して、納見は四角い欄に名前を書いた。
 それを目の前に座った男に渡したら、男はうんと言って頷いた。

「悪かったな。わざわざ事務所まで来てもらって」

「いえ、こちらから急に切るかたちになったのに、ここまでしていただけるなんて……」

「いやいや、この仕事に誘ったのは俺だったからさ。今まで助かったよ。おかげでかなり認知度も上がったし、一番人気だったんだよお前」

 そう言って目の前の男、大学時代の先輩である塩谷は笑った。
 学生時代の友人達とネット関連の会社を立ち上げて、目玉となるコンテンツとしてネット配信を始めた。
 その中で一番ヒットしたのがDomが相手のいないSub向けに行う擬似プレイ配信で、もちろん誰でも視聴は可能なのでプレイに興味があったNormalの人々にも広がり人気のコンテンツになった。
 Subの欲求は様々だ。
 強い口調で強烈なCommandを連発されて、罵られたいとか、きつくお仕置きされたいなんてディープなものから、少しだけCommandを聞いてみたいなんてライトなものまであって、それに対応したDomを集めていた。
 その中でも納見はライトな部類で、癒し系Domのagehaという名前で配信を行っていた。

 擬似プレイがどんなものか知りたいという人にとっては入門みたいなものだったのだろう。
 いつの間にか閲覧数が増えていき、人気の配信者になっていた。
 しかしそれも、今の恋人、香坂と出会う前の話で、香坂と付き合い出してからは実質活動不可能となり辞めることになった。

 納見としては、実際のプレイには少しも興味が持てなかったので、毎回台本通りに進めるだけのものだったが、色々と勉強にはなった。
 過去の配信はそのままにしていいし、報酬もいらないと言ったのだが、そうはいかないからと塩谷から連絡が来て、事務所に呼ばれて会うことになった。

「過去の分は半年間、会員なら視聴可能にする。視聴回数に応じた報酬はちゃんと受け取ってくれ。それじゃなくても、運営のぶん取りなんて言われてるんだから、勘弁してくれ。機材から環境まで全部用意して、その分を少し多めに引いてるだけで契約にもそう書いてあるのに」

 名前が売れると個人でやりたいと言って辞める配信者が多い。だいたいが事務所と揉めた、ひどい扱いだった、ほとんど報酬をもらえなかったといって離れていくので、その話が大きくなって出回っているのは納見も知っていた。

 納見に関しては、最初からほとんど報酬はいらないと言って始めたものだったので、今は驚くほどの金額が振り込まれている状態だ。
 本業の収入もあるので、色々と申告が必要だったりで正直なところ面倒なことの方が多かった。

「はあ、そういうことなら……分かりました」

「それより、恋人とは上手くやってんのか?」

「え? ええ、まあ、はい」

「あの納見がなぁー、明日地球が滅亡するって言われても、顔色ひとつ変えない男だったのに」

「そんなこと、聞かれたことありましたっけ?」

「ん? いや、ないけど。想像、そんな感じってやつ」

 納見自身、学生時代から周囲と上手くやってきたとはお世辞にも言えないことは理解していた。
 なぜこんなに萎縮して生きてきたかといえば、どこか自分の居場所というのが見つからなかった。
 もちろん両親は温かく育ててくれたが、周囲は少し温度が違った。
 父親の方の実家は地元では有名な名家らしく、その息子が子供ができずに養子を迎入れた、ということにいい反応をしなかった。
 帰省をする度に、両親のいないところでヒソヒソと文句を言う姿を見てしまった。
 自分は本当は嫌われているのではないか。
 そう思い込んだら、必死に自分をアピールするかのように家事に勉強に打ち込んできた。

 いつの間にか周囲を観察して、変に期待を持たれたり注目されることを避けるようになった。
 目立ってしまったら、子供の頃のように自分の居場所がぐらついてしまうかもしなれない。

 だが、それも香坂と出会ったことで全ては変わった。
 初めてありのままの、自然な自分をいいと言って受け入れてくれた人。
 納見が傷つくことは自分も悲しいと言って泣いてくれた人。
 心の底から守りたいと、大切にしたいと思う人ができたことで、変わることができた。

「今は……とても、幸せです」

 感慨深くなって思わずそう呟くと、塩谷は缶コーヒーを飲みながら、惚気かよぉと言って頭をかいた。

「でもさ、この仕事してると、マジで理想の相手と出会うなんてのは奇跡みたいなもんだって思うよ。ダイナミクスに関係なくさ、そういうのは難しいもんよ。俺だって俺の言葉でトケちゃうSubちゃんに会いたいけどさ、ヘタレやだーってみんな逃げちゃうだって。大切にしろよー、一生に一度だったら悲しいだろ」

「ええ、そうですね」

(そんなこと、分かってる。一生に一度でいい。他の出会いなんていらない)

「お前さ、変わったな」

 塩谷が缶コーヒーを机にカタンと置いた音が部屋に響いた。

「……そんな目をしてたっけ?」

「さあ、どうだったでしょうか」

 いつも軽いノリで笑い飛ばすタイプの塩谷が、パッと缶コーヒーから手を離したのが見えた。
 わずかな動揺を感じたが、どう思われようともうどうでもよかった。

「もう終わりですよね、帰ります」

「あ……っっ、ああ、そうだな」

 塩谷の態度など気にすることなく、納見は立ち上がって出口まで歩いて行った。
 その後ろで慌てて立ち上がった塩谷が、納見がドアに手をかけた瞬間、そうだと話しかけてきた。

「agehaの引退をまだ納得できない熱狂的なファンがいてさ、色々嗅ぎ回ってるみたいなんだわ。配信者の住所とか手に入れようと声かけまくってるみたいで……、ほら、ウチと揉めて出て行ったヤツも多いから、どこからか漏れる可能性もあるから、気をつけろよ」

「分かりました。それじゃ失礼します」

 事務所のドアを開けて外へ出ると、ドアはバタンと大きな音を立てて閉まった。
 ドアを背にして腕を組んだ納見は小さくため息をついた。

(困ったことになったな……、もし付き纏われていたら、仁の家に何か被害が及ぶかもしれない。それは避けないと……)

 納見は数日前、自宅アパートの郵便受けにあった手紙について思い出していた。
 宛先もなく差出人も不明、真っ白な封筒で、中を開けると何も書かれていない白いカードが入っていた。
 イタズラかと思ったが、塩谷の話からすると、線が繋がる気がして不安になった。

「仁に事情を話して、しばらく仁の家には近寄らないようにしないと……」

 もともと香坂に自分の事情を話そうと思っていたところだった。
 こんな機会を利用したくはないが、危険があったら困るので連絡は早く入れた方がいい。
 納見は歩きながらポケットに入れていたスマホを手に取った。
 今日は家で掃除していると言っていたので、電話をしても問題ないだろう。

 事務所があるビルから外へ出ると、雨が降った後で、蒸し暑い熱気が押し寄せてきた。
 湿気が嫌いな香坂は嫌がるだろうなと思いながら、納見は発信ボタンを押した。









「あー、ゴメン、今日はいけないんだ。そうそう、休みだけどさ、午前中は予定があるって言ってたけど、午後は来るかもって言ってたから、……うんうん、えー、別におかしくないだろう。Domからじゃなきゃいけないってワケではないじゃん。……うん、もう、用意してるし」

 久々に一人の休日なので、掃除をし始めたら隅々までやらないと気が済まなくなってしまった。
 割り箸の先にウエットティッシュを巻いて固定したものを、窓のサッシの溝に入れて汚れを取るのに夢中になっていた。
 そこにアオイから電話がかかってきたものだから、香坂は体勢を低くしてゴシゴシ擦りながら電話を取った。
 話し込んでいたら、いつの間にかサッシがピカピカになるまで時間が経ってしまった。

「色々考えたんだけど、夜景を見ながらとか、ホテルの最上階とか、バレバレだし、自然なのがいいかなって……、えっ内緒。言うわけないじゃん! あっ、ゴメン、電話かかってきて、うん、じゃまた」

 通話中に着信が知らされたので、アオイとの電話を切った香坂は画面を確認した。
 不在の履歴には納見の名前があったので、すぐにかけ直した。
 午前中は用事があると言っていた納見だったが、終わったら連絡すると言われていた。
 何か話がある雰囲気だったので、香坂も特に予定を入れず連絡を待っていたのだ。
 ワンコールですぐに納見の声が聞こえてきた。

「陽太? 用事終わったの? ゴメン、電話中だったから……え? 今から? いいけど。……分かった」

 何だか焦った声で外で待ち合わせようとだけ聞こえてきて、とりあえず分かったと言ったが、電話を切ってから香坂は首を傾げた。

(やめてくれよ……、実は良いところの坊ちゃんで、婚約者がいますなんて言い出されたら……)

 妙な態度の納見に、ドラマにでも出てくるようなよからぬ想像しかできなくて、香坂はブンブンと頭を振った。

 うじうじ考えていても仕方がないので、行くしかない。
 サッと服を着替えた香坂は部屋を出て、ドアの鍵を閉めた。

 廊下を進んでエレベーターに乗ろうとしたところで前から来た人とすれ違った。
 軽くこんにちはと言って頭を下げたが無反応だった。
 背は低めで長い襟足の毛先だけ金髪の、パッと見た感じ印象的な綺麗な顔の男の子で、見覚えのある制服からおそらく高校生ではないかと思った。

(……あんな目立つ子住んでたかな? 確か角部屋は学生だったから、遊びに来た友人か……)

 ふと下を見たら、白いハンカチが落ちていたので香坂は反射的にそれを拾った。

「あのっ!」

 先ほどすれ違った男の子に声をかけると、その子は足を止めて振り返ってきた。
 やはり目が大きくて女の子みたいな顔をしていた。

「これ、君の落し物かな? そこにあったんだけど……」

 男の子は表情を変えず、わずかに頷いたのが見えた。
 スタスタと近づいたのは香坂の方だった。知らない男に話しかけられて警戒しているのかもしれない。柔らかい笑みを浮かべてハンカチを手渡した。

「あ、の……」

 小さく聞こえた声は男の子のものだった。
 その目に何か迷いのようなものを香坂は感じ取った。伊達に何年も教師をしてきたわけではない。

 何か言おうとして、迷っているような様子だった。この場面からしておそらくお礼だと思うが、思春期というのは厄介で、そういうことが上手く表現できないときがあるのはよく知っていた。

「大丈夫、気持ちは伝わったよ」

「え?」

「もしちゃんとお礼を言いたかったら、今度会った時に声をかけてくれたら嬉しいな。それじゃ」

 ニコッと笑って手を振った香坂はくるりと向きを変えて歩き出した。
 自分にもあんな風に周囲の全てが敵に見えてしまう時期があった。
 変な人だと思ってくれたらそれでいい。

(まあ、もう会うことはないだろうけど。……って、ヤバっ、急がないと!)

 納見と待ち合わせしていたことを思い出した香坂は、近くのバス停に向かって走り出した。







「ずっと黙っていてゴメン!」

 待ち合わせのカフェに着くなり、電話口で焦った声をしていた納見は、そのまんま焦った顔をしていて、いきなり頭を下げてきた。

(嘘だろ……これは俺の妄想だった、婚約者がいましたのくだりが現実になってしまったんじゃ……)

 香坂は驚きと不安で運ばれてきたアイスコーヒーを持とうとしたが、手が震えてしまった。手は代わりに空気を握った後、膝の上に戻した。

「俺……その……実は………配信者だったんだ」

「やっぱりーーー!! 婚約者!! うそっ、嫌だ! どっちを選ぶんだ? 俺はどうしたら……」

「え?」

「だから! 婚約…………ん? はいしんしゃ?」

「そう、ネットの、ある番組の……顔とか声とかは加工してるけど……配信を……」

 香坂がパチパチと目を瞬かせると、納見も全く同じ仕草をした。
 俺達本当に仲が良いな、なんて思ってしまったが、しばらくして配信者の意味を理解した香坂は、ああっ! っと大きな声を上げた。

「も……もしかして、その……違ったらアレなんだけど、そ……Domが集まって……」

「え!? 仁、知ってるの!? Domの擬似プレイ配信ってやつなんだけど……」

「うううわぁぁぁっっ!!」

「仁!? ちょっ、大丈夫!?」

 まさか納見の口からその名前が出るとは夢にも思わなくて、香坂は椅子を引いた途端、床に落ちてしまった。

「はは……配信者って、まさか……あ…あ、ageha?」

「そ、そうだよ。仁、見たこと……あった?」

 床に尻をついたままの香坂を起こそうと、納見が手を伸ばしてくれた。

 今までだって納見は香坂の目から見ると、キラキラ輝いて眩しいくらいだったのに、突然の告白に空から神が降臨したかのように見えてしまった。

 眩し過ぎる光に目を閉じたが、香坂の胸の高鳴りは治らなかった





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