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⑬あの夏【思い出】
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あの頃の夏は今よりは涼しかったと思うけれど、それでもその日は溶けるような暑さで目を覚ました。
当時俺は小学生だった。
前の年に受けたバース性簡易検査がアルファだと出て、その頃は自分がアルファだと思っていた。
だが、年の初めから体調を崩して毎日寝込んでばかりで、熱のない日は一日となかった。
外の気温よりも自分の方がうんと熱いのが当たり前だから、暑さで起きたことにビックリしたのだ。
枕元の体温計で熱を測ると、平熱に戻っていた。
久々に体が軽く感じて、俺はベッドから飛び起きた。
もしかしたら外に出られるかもしれない。
飛び上がるように嬉しい気持ちを抑えて部屋を出た。
母の姿を探して家の中を歩いた。
元気になったよと伝えて、外に遊びに行きたいと思ったからだ。
その日、家の中の様子はいつもと違った。
お手伝いさんは忙しく動き回っているし、なんだか外から賑やかな声も聞こえてきた。
何をしているのと聞くと、ガーデンパーティーが開かれているのだと聞かされた。
その頃はマンションではなく戸建てに住んでいて、両親は会社の人を呼んでよくパーティーを開いていた。
窓から外を覗くと、たくさんお客さんの姿があって、テーブルの上には美味しそうな料理やお菓子が並んでいた。
そこに、あら諒ちゃん起きたの? とキッチンにいた母が話しかけてきた。
俺は、パーティーに誰が来ているのか聞いた。
親戚やその子供達、他にも大事な招待客もいると教えてもらった。
同じ歳くらいの子供達と話すのは久しぶりなので、俺は嬉しくなった。
俺も外に出たいと言うと、母にダメだと言われてしまった。
熱の上がり下がりはよくあることで、無理をしたらまたひどくなってしまうから、部屋で寝てなさいとピシャリと言われてしまった。
いつもなら大人しく引き下がるところだが、体調の良かった俺は悔しくなってしまった。
家の中はバタついている。
少しくらい抜け出しても大丈夫だろうと考えた。
部屋に戻ったら、布団の中にクッションを入れてすぐに分からないように演出して、サッと着替えてからリュックを背負って窓から抜け出した。
俺にとっては大冒険だった。
パーティーに来ている子供達はたくさんいたので、招待客のフリをして外に出ようと考えていた。
その時、人気のない裏庭を横切っていたら、おい豚! と罵るような声が聞こえてきた。
何が起きているのかと、木の陰からそっと覗いてみたら、何人かの子供達が集まっているのが見えた。
そしてその子供に囲まれるように座り込んでいる子供の姿があった。
「デブ過ぎてキモいんだよ!」
「そーそー、気持ち悪い目の色だし。さっさと帰れよ」
「そーだ、デブならテーブルの上にあるお菓子、全部食べて見せろよ!」
俺が見つけたのは、子供達が一人の子に悪口を言って笑い合うという残酷な光景だった。
「ごめ……なさ……、今日は食べたらダメだって……お父様に怒られちゃう」
「ギャハハッ、お父様だってー」
「デブのパパはもっとデブなんだろう、助けてーって呼んでみろよ。弱虫デブ!」
このパーティーに集まっているのは、良いところの坊ちゃんが多かったが、何しろ甘やかされて育った連中なので、親の前ではいい子だが、裏では弱いものいじめが好きな性格が悪いのが多かった。
大人同士が盛り上がっているパーティーが退屈になり、誰かで遊んでやろうなんて話になって、たまたま目に付いた子がターゲットになったのだろう。
すっかり牙が折れてしまったが、元気で学校に通っていた時、俺はこういう弱いものいじめが大嫌いだった。
久々に血が激るような光景を見てすぐに体が動いた。
「お前ら、こんなところで何してんだよ!」
「はぁ? 誰だよ」
「僕はこの家の子だよ。今から会場に行って、お前達の両親を見つけてこようか? 父がリストを持ってるからすぐに分かるよ。今見たこと、全部話しちゃうけどいい?」
主催者の子供が出てきたとなると、誤魔化せないから面倒になると分かったのだろう。おい、いこーぜと言い合って、悪口を言っていた子達はさっと逃げていった。
「君、ひどいこと言われてたけど、大丈夫?」
俺はうずくまっている子の側に駆け寄った。
泣いているみたいに見えたからだ。
その子は、柔らかそうなお肉が体についたぽっちゃりとした子供だった。
スッと上げた顔は、涙は出ていなかったけれど、とっても悲しそうな顔をしていた。
これまた柔らかそうなほっぺをしていて、格好から自分より少し年上の男の子に見えるが、とても可愛らしい顔をしていた。
ぱっと開いた瞳は、アーモンドみたいな不思議な色をしていて、吸い込まれそうだった。
「あ……あの、僕は……慣れてるから、大丈夫」
「慣れてるって、あんなひどいことを言われるのが?」
男の子はコクンと頷いた。
とても悲しげな姿が放っておけなくて、初めて会ったばかりだというのに、そのまま通り過ぎることができなくなってしまった。
気がつけば、俺は男の子の隣に座って、話を聞いていた。
男の子は俺がペチャクチャ喋りながら色々聞いてきても、嫌がることなく話してくれた。
なんだか、男の子も誰かに話を聞いてもらいたかった、そんな風に見えた。
「へぇ、それじゃ君はオメガなんだね」
「うん……、本格的な検査はまだだけど……、簡易検査ではそう出たんだ。父はオメガでもいいと言ってくれたけど、母は怒って……もともと父とよく喧嘩していて、その事で大喧嘩になって家を出て行っちゃった。それから寂しいとお菓子をいっぱい食べるようになって、僕、太りやすいんだ。だからあっという間にこんなに太っちゃった」
「そうか、大変だったんだな」
「デブって言われるのも慣れちゃった。もう、悲しいのも……慣れちゃった」
そう言った男の子は悲しそうな顔で笑っていた。
甘いものを食べるときの幸福感が、寂しさを埋めてくれたのだろう。体育座りでちょこんと座っている姿が、可愛らしいがとても寂しそうにも見えた。
きっと母親が出ていってしまった家で、ひとりでこんな風に座っているのかなと思うと、心臓がチクチクと痛んだ。
みんなが楽しそうに遊ぶ声を聞きながら、熱にうなされている時、俺もとっても寂しく思うからだ。
同じようか寂しさを抱えた男の子を、元気にさせたくてたまらなくなった。
「なあ、これから一緒に抜け出して遊びに行かない?」
「ええ!? そんなっ……ダメだよ、怒られるよ」
「大丈夫だよ。そこの裏口なら誰も見ていないし、どうせ大人は夕方まで飲んで大騒ぎだし、その頃に戻れば見つからないって」
最初は怯えていた男の子も、俺の説得にだんだん乗ってきてくれて、二人でそっと裏口から抜け出した。
その後はどこへ行ったのか記憶は曖昧だが、近所を走ったり駅に電車を見に行ったり、そんなことをしていた気がする。
遊び歩いた後、アイスクリーム屋さんの前を通った時、男の子がじっと中を覗いているのに気がついた。お金を持ってきていた俺はアイスを一つ買って、二人で公園に行ってベンチに座ったのを覚えている。
「美味いー! ほら、君も食べてみなよ」
「ぼっ……僕は、ダメだって言われていて……」
「それは、寂しい時にいっぱい食べちゃうやつだろう。これは楽しい時に友達と一緒に食べるやつだからダメなのじゃない」
俺の勝手な解釈に男の子は目を丸くして驚いた顔をしていた。
そして、恐る恐るといった感じでアイスをペロリと舐めたら、今度はポロポロと涙をこぼしてしまった。
「えっ、ごめん。嫌だっだのか? 僕、無理強いして……」
「違うんだ……美味しくて……。甘いものが美味しいって思ったことなかったから……、一緒に食べるとこんなに美味しいんだね」
男の子は泣きながら笑った。
その顔が見たことがないくらい美しく見えた俺は、思わず口を開けて驚いてしまった。
「綺麗……まるで、紫陽花の妖精さんみたい。ほら、そこに紫陽花があるからさ、僕の前に飛び出してきたみたいだ」
「えっ、妖精……、ふふふっ、可愛いこと言うんだね」
「ばっ、いいだろう別に。君の目はすごく綺麗だから、そう思ったんだよ」
「綺麗……? 本当に?」
「うん、今まで見てきたものの中で、一番綺麗」
そう言うと男の子は口元を手で押さえて、嬉しいと言った。
なんだかずいぶん仲良くなれた気がして、俺も嬉しかった。
散々遊んだ帰り道。
男の子は俺に名前を聞いてきた。
外で遊んだことがバレると困ると思った俺は、咄嗟に玲香の名前を出した。
「お、女の子だったの? 僕って言ってたからてっきり……」
「そっ、それは……そういうのこだわらない性格なんだ」
ふーんと言った男の子は、俺に手紙を書きたいと言ってきた。
玲香宛の手紙が来たら困ることになってしまうので、それはダメだと言って断った。
すると男の子はシュンとして悲しそうになってしまった。
なんとか喜ばせたいと考えた俺は、とっておきの考えを思いついた。
「僕はアルファなんだ。大きくなったら海外を飛び回って、将来は父の会社を大きくするつもりだよ。君はオメガなんだろう、だったら、僕が戻ってきたら結婚してあげるよ」
「え? ほ……本当に?」
「うん、約束な。待ってろよ。その時は甘いものなんて食べなくても、お腹いっぱいになるくらい、寂しくなんてさせない。幸せにしてあげるからさ」
今考えたら、とてつもない約束だ。
でもその時の俺は、ただ男の子を笑顔にするにはどうすればいいか。
そう考えて、とってもいいことを思いついた気分だった。
男の子はまたちょっと涙をこぼしながら、分かったと言って笑ってくれた。
小さな大冒険の日の思い出。
男の子とは裏口から家に戻ってすぐに手を振って別れた。
俺は部屋に戻ったところを母親に見つかって、こっぴどく怒られて、しかも翌日から高熱がぶり返して意識が朦朧とする日々に入ってしまった。
だから、あの日の思い出はまるで絵本のお話みたいになって、ページを開いたまま、記憶の片隅にそっと裏側にして置かれていた。
当時は佳純の名前もちゃんと聞かなかったし、何より外見が変わり過ぎていて記憶の線が繋がらなかった。
ただ、佳純はアルファなので、これはどういうことなのか疑問が残った。
「お父様に聞きました。諒さんは二回目の検査で判定がオメガに変わってしまったそうですね。私もなんです。簡易検査はオメガで、再判定でアルファに変わったんですよ。幼年期の判定の誤差、二人とも巻き込まれていたようですね」
「そんな……二人とも判定が変わったなんて……ない話ではないと思いますけど、ビックリです」
色々と二人の間に生じていた誤解が解けてきた。
ということは、佳純は俺の曖昧な約束を信じてずっと待っていてくれたということだ。
すっかり忘れていた俺が悪いのだが、こんな大事な約束、あの頃の俺にもっと考えてから言いなさいと言いたいくらいだった。
「本当に申し訳ないです。すっかり記憶から抜けていました。なんと謝ったらいいのか……」
「そんな、謝るなんて、こうやって思い出してくれただけで十分です。これで、ようやく私の初恋が諒さんだった、ということを分かっていただけましたよね。玲香さんが、あの玲香さんではないということは、お会いしてすぐに分かりましたから、それなら、やっぱり諒さんなんだって……確信できた時は本当に嬉しくて……」
「この方、青い顔して部屋飛び込んできて、私が声をかけたら、開口一番、誰ですか? って言ったのよ。貴方が求婚したはずの玲香ですって言ったら、違います、貴方は玲香さんじゃないって。はぁ? 意味わからんでしょって!」
玲香はテーブルの上に並べられた料理を片っ端からバクバクと食べていた。
今も口の周りにソースを付けて、ムッとした顔をしているが本当に怒っているような様子はなかった。
「それは見れば分かりましたから。諒さんと玲香さんの顔は全然違います。似ていると言われると聞いていましたが、みなさん目がどうかしているとしか思えません」
「か、佳純さん……」
「諒さんは、凛として清らかで美しくて、それでいて可愛らしくて愛らしくて、見る度に恋をしてしまいます」
佳純はトロンとした目になって俺の顎を撫で始めた。
一気に甘くなった空気に胸がくすぐられたが、ナチュラルに釘を刺されたのか、玲香は机に頭をぶつけていた。
「へぇー、すみませんねー。清らかで美しくなくて! 下品でアバズレなもんで!」
「玲香、そこまで言ってないって」
フォローしようとしたが、佳純は玲香のことなど全く興味がないらしく、今度は俺の髪を撫で始めたので、ますます変な空気になってしまった。
「ゴホンっ、では予定通り、二人は結婚するということでいいのかな?」
事態をおろおろと見守っていた父が、この空気をまとめようと口を開いた。
俺と佳純は目を合わせた後、椅子に座り直して、ハイと声を揃えて返事をした。
もう迷うことはなかった。
テーブルの下で、佳純は俺の手をぎゅっと強く握ってくれた。
気持ちに応えるように俺も佳純の手を握り返した。
□□□
当時俺は小学生だった。
前の年に受けたバース性簡易検査がアルファだと出て、その頃は自分がアルファだと思っていた。
だが、年の初めから体調を崩して毎日寝込んでばかりで、熱のない日は一日となかった。
外の気温よりも自分の方がうんと熱いのが当たり前だから、暑さで起きたことにビックリしたのだ。
枕元の体温計で熱を測ると、平熱に戻っていた。
久々に体が軽く感じて、俺はベッドから飛び起きた。
もしかしたら外に出られるかもしれない。
飛び上がるように嬉しい気持ちを抑えて部屋を出た。
母の姿を探して家の中を歩いた。
元気になったよと伝えて、外に遊びに行きたいと思ったからだ。
その日、家の中の様子はいつもと違った。
お手伝いさんは忙しく動き回っているし、なんだか外から賑やかな声も聞こえてきた。
何をしているのと聞くと、ガーデンパーティーが開かれているのだと聞かされた。
その頃はマンションではなく戸建てに住んでいて、両親は会社の人を呼んでよくパーティーを開いていた。
窓から外を覗くと、たくさんお客さんの姿があって、テーブルの上には美味しそうな料理やお菓子が並んでいた。
そこに、あら諒ちゃん起きたの? とキッチンにいた母が話しかけてきた。
俺は、パーティーに誰が来ているのか聞いた。
親戚やその子供達、他にも大事な招待客もいると教えてもらった。
同じ歳くらいの子供達と話すのは久しぶりなので、俺は嬉しくなった。
俺も外に出たいと言うと、母にダメだと言われてしまった。
熱の上がり下がりはよくあることで、無理をしたらまたひどくなってしまうから、部屋で寝てなさいとピシャリと言われてしまった。
いつもなら大人しく引き下がるところだが、体調の良かった俺は悔しくなってしまった。
家の中はバタついている。
少しくらい抜け出しても大丈夫だろうと考えた。
部屋に戻ったら、布団の中にクッションを入れてすぐに分からないように演出して、サッと着替えてからリュックを背負って窓から抜け出した。
俺にとっては大冒険だった。
パーティーに来ている子供達はたくさんいたので、招待客のフリをして外に出ようと考えていた。
その時、人気のない裏庭を横切っていたら、おい豚! と罵るような声が聞こえてきた。
何が起きているのかと、木の陰からそっと覗いてみたら、何人かの子供達が集まっているのが見えた。
そしてその子供に囲まれるように座り込んでいる子供の姿があった。
「デブ過ぎてキモいんだよ!」
「そーそー、気持ち悪い目の色だし。さっさと帰れよ」
「そーだ、デブならテーブルの上にあるお菓子、全部食べて見せろよ!」
俺が見つけたのは、子供達が一人の子に悪口を言って笑い合うという残酷な光景だった。
「ごめ……なさ……、今日は食べたらダメだって……お父様に怒られちゃう」
「ギャハハッ、お父様だってー」
「デブのパパはもっとデブなんだろう、助けてーって呼んでみろよ。弱虫デブ!」
このパーティーに集まっているのは、良いところの坊ちゃんが多かったが、何しろ甘やかされて育った連中なので、親の前ではいい子だが、裏では弱いものいじめが好きな性格が悪いのが多かった。
大人同士が盛り上がっているパーティーが退屈になり、誰かで遊んでやろうなんて話になって、たまたま目に付いた子がターゲットになったのだろう。
すっかり牙が折れてしまったが、元気で学校に通っていた時、俺はこういう弱いものいじめが大嫌いだった。
久々に血が激るような光景を見てすぐに体が動いた。
「お前ら、こんなところで何してんだよ!」
「はぁ? 誰だよ」
「僕はこの家の子だよ。今から会場に行って、お前達の両親を見つけてこようか? 父がリストを持ってるからすぐに分かるよ。今見たこと、全部話しちゃうけどいい?」
主催者の子供が出てきたとなると、誤魔化せないから面倒になると分かったのだろう。おい、いこーぜと言い合って、悪口を言っていた子達はさっと逃げていった。
「君、ひどいこと言われてたけど、大丈夫?」
俺はうずくまっている子の側に駆け寄った。
泣いているみたいに見えたからだ。
その子は、柔らかそうなお肉が体についたぽっちゃりとした子供だった。
スッと上げた顔は、涙は出ていなかったけれど、とっても悲しそうな顔をしていた。
これまた柔らかそうなほっぺをしていて、格好から自分より少し年上の男の子に見えるが、とても可愛らしい顔をしていた。
ぱっと開いた瞳は、アーモンドみたいな不思議な色をしていて、吸い込まれそうだった。
「あ……あの、僕は……慣れてるから、大丈夫」
「慣れてるって、あんなひどいことを言われるのが?」
男の子はコクンと頷いた。
とても悲しげな姿が放っておけなくて、初めて会ったばかりだというのに、そのまま通り過ぎることができなくなってしまった。
気がつけば、俺は男の子の隣に座って、話を聞いていた。
男の子は俺がペチャクチャ喋りながら色々聞いてきても、嫌がることなく話してくれた。
なんだか、男の子も誰かに話を聞いてもらいたかった、そんな風に見えた。
「へぇ、それじゃ君はオメガなんだね」
「うん……、本格的な検査はまだだけど……、簡易検査ではそう出たんだ。父はオメガでもいいと言ってくれたけど、母は怒って……もともと父とよく喧嘩していて、その事で大喧嘩になって家を出て行っちゃった。それから寂しいとお菓子をいっぱい食べるようになって、僕、太りやすいんだ。だからあっという間にこんなに太っちゃった」
「そうか、大変だったんだな」
「デブって言われるのも慣れちゃった。もう、悲しいのも……慣れちゃった」
そう言った男の子は悲しそうな顔で笑っていた。
甘いものを食べるときの幸福感が、寂しさを埋めてくれたのだろう。体育座りでちょこんと座っている姿が、可愛らしいがとても寂しそうにも見えた。
きっと母親が出ていってしまった家で、ひとりでこんな風に座っているのかなと思うと、心臓がチクチクと痛んだ。
みんなが楽しそうに遊ぶ声を聞きながら、熱にうなされている時、俺もとっても寂しく思うからだ。
同じようか寂しさを抱えた男の子を、元気にさせたくてたまらなくなった。
「なあ、これから一緒に抜け出して遊びに行かない?」
「ええ!? そんなっ……ダメだよ、怒られるよ」
「大丈夫だよ。そこの裏口なら誰も見ていないし、どうせ大人は夕方まで飲んで大騒ぎだし、その頃に戻れば見つからないって」
最初は怯えていた男の子も、俺の説得にだんだん乗ってきてくれて、二人でそっと裏口から抜け出した。
その後はどこへ行ったのか記憶は曖昧だが、近所を走ったり駅に電車を見に行ったり、そんなことをしていた気がする。
遊び歩いた後、アイスクリーム屋さんの前を通った時、男の子がじっと中を覗いているのに気がついた。お金を持ってきていた俺はアイスを一つ買って、二人で公園に行ってベンチに座ったのを覚えている。
「美味いー! ほら、君も食べてみなよ」
「ぼっ……僕は、ダメだって言われていて……」
「それは、寂しい時にいっぱい食べちゃうやつだろう。これは楽しい時に友達と一緒に食べるやつだからダメなのじゃない」
俺の勝手な解釈に男の子は目を丸くして驚いた顔をしていた。
そして、恐る恐るといった感じでアイスをペロリと舐めたら、今度はポロポロと涙をこぼしてしまった。
「えっ、ごめん。嫌だっだのか? 僕、無理強いして……」
「違うんだ……美味しくて……。甘いものが美味しいって思ったことなかったから……、一緒に食べるとこんなに美味しいんだね」
男の子は泣きながら笑った。
その顔が見たことがないくらい美しく見えた俺は、思わず口を開けて驚いてしまった。
「綺麗……まるで、紫陽花の妖精さんみたい。ほら、そこに紫陽花があるからさ、僕の前に飛び出してきたみたいだ」
「えっ、妖精……、ふふふっ、可愛いこと言うんだね」
「ばっ、いいだろう別に。君の目はすごく綺麗だから、そう思ったんだよ」
「綺麗……? 本当に?」
「うん、今まで見てきたものの中で、一番綺麗」
そう言うと男の子は口元を手で押さえて、嬉しいと言った。
なんだかずいぶん仲良くなれた気がして、俺も嬉しかった。
散々遊んだ帰り道。
男の子は俺に名前を聞いてきた。
外で遊んだことがバレると困ると思った俺は、咄嗟に玲香の名前を出した。
「お、女の子だったの? 僕って言ってたからてっきり……」
「そっ、それは……そういうのこだわらない性格なんだ」
ふーんと言った男の子は、俺に手紙を書きたいと言ってきた。
玲香宛の手紙が来たら困ることになってしまうので、それはダメだと言って断った。
すると男の子はシュンとして悲しそうになってしまった。
なんとか喜ばせたいと考えた俺は、とっておきの考えを思いついた。
「僕はアルファなんだ。大きくなったら海外を飛び回って、将来は父の会社を大きくするつもりだよ。君はオメガなんだろう、だったら、僕が戻ってきたら結婚してあげるよ」
「え? ほ……本当に?」
「うん、約束な。待ってろよ。その時は甘いものなんて食べなくても、お腹いっぱいになるくらい、寂しくなんてさせない。幸せにしてあげるからさ」
今考えたら、とてつもない約束だ。
でもその時の俺は、ただ男の子を笑顔にするにはどうすればいいか。
そう考えて、とってもいいことを思いついた気分だった。
男の子はまたちょっと涙をこぼしながら、分かったと言って笑ってくれた。
小さな大冒険の日の思い出。
男の子とは裏口から家に戻ってすぐに手を振って別れた。
俺は部屋に戻ったところを母親に見つかって、こっぴどく怒られて、しかも翌日から高熱がぶり返して意識が朦朧とする日々に入ってしまった。
だから、あの日の思い出はまるで絵本のお話みたいになって、ページを開いたまま、記憶の片隅にそっと裏側にして置かれていた。
当時は佳純の名前もちゃんと聞かなかったし、何より外見が変わり過ぎていて記憶の線が繋がらなかった。
ただ、佳純はアルファなので、これはどういうことなのか疑問が残った。
「お父様に聞きました。諒さんは二回目の検査で判定がオメガに変わってしまったそうですね。私もなんです。簡易検査はオメガで、再判定でアルファに変わったんですよ。幼年期の判定の誤差、二人とも巻き込まれていたようですね」
「そんな……二人とも判定が変わったなんて……ない話ではないと思いますけど、ビックリです」
色々と二人の間に生じていた誤解が解けてきた。
ということは、佳純は俺の曖昧な約束を信じてずっと待っていてくれたということだ。
すっかり忘れていた俺が悪いのだが、こんな大事な約束、あの頃の俺にもっと考えてから言いなさいと言いたいくらいだった。
「本当に申し訳ないです。すっかり記憶から抜けていました。なんと謝ったらいいのか……」
「そんな、謝るなんて、こうやって思い出してくれただけで十分です。これで、ようやく私の初恋が諒さんだった、ということを分かっていただけましたよね。玲香さんが、あの玲香さんではないということは、お会いしてすぐに分かりましたから、それなら、やっぱり諒さんなんだって……確信できた時は本当に嬉しくて……」
「この方、青い顔して部屋飛び込んできて、私が声をかけたら、開口一番、誰ですか? って言ったのよ。貴方が求婚したはずの玲香ですって言ったら、違います、貴方は玲香さんじゃないって。はぁ? 意味わからんでしょって!」
玲香はテーブルの上に並べられた料理を片っ端からバクバクと食べていた。
今も口の周りにソースを付けて、ムッとした顔をしているが本当に怒っているような様子はなかった。
「それは見れば分かりましたから。諒さんと玲香さんの顔は全然違います。似ていると言われると聞いていましたが、みなさん目がどうかしているとしか思えません」
「か、佳純さん……」
「諒さんは、凛として清らかで美しくて、それでいて可愛らしくて愛らしくて、見る度に恋をしてしまいます」
佳純はトロンとした目になって俺の顎を撫で始めた。
一気に甘くなった空気に胸がくすぐられたが、ナチュラルに釘を刺されたのか、玲香は机に頭をぶつけていた。
「へぇー、すみませんねー。清らかで美しくなくて! 下品でアバズレなもんで!」
「玲香、そこまで言ってないって」
フォローしようとしたが、佳純は玲香のことなど全く興味がないらしく、今度は俺の髪を撫で始めたので、ますます変な空気になってしまった。
「ゴホンっ、では予定通り、二人は結婚するということでいいのかな?」
事態をおろおろと見守っていた父が、この空気をまとめようと口を開いた。
俺と佳純は目を合わせた後、椅子に座り直して、ハイと声を揃えて返事をした。
もう迷うことはなかった。
テーブルの下で、佳純は俺の手をぎゅっと強く握ってくれた。
気持ちに応えるように俺も佳純の手を握り返した。
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