ハコ入りオメガの結婚

朝顔

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② 君塚家【表座敷】

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 自分がオメガだと分かる前は、何でもできるような気がしていた。
 アルファは優秀で、望めば空だって自由に飛べるくらいの気持ちだった。
 将来は父の会社を継いで、いや、もっと大きくして、みんなに凄いって言ってもらいたい。
 見上げる空はいつも快晴で、自分の人生そのものを表しているかのようだった。

 でも病気をきっかけに外へ出られなくなり、一つ一つ、今まで当然のように出来ていたことができなくなって、すっかり気持ちは落ちていった。

 オメガの幼少期というのは、免疫力が弱くて病気にかかりやすいと言われている。後から考えれば俺はその頃からオメガとして順調に育っていたわけだが、自分はアルファなのになぜこんなに弱いのかと悔しく思う日々だった。

 父も母も妹も、みんな俺に優しかった。
 大丈夫? 無理しないで。
 いつもそうやって声をかけてくれた。

 優しくされればされるほど、自信をなくして、自分はなんて使えないのだろうとますます落ち込んでしまった。
 自分とは違い、羽が生えたように活発に走り回って、いつも友人に囲まれて、楽しそうに行き帰りしている妹を見ると、羨ましくてたまらなかった。
 玲香になりたい……。
 窓に張り付いて外を眺めながら、あの頃はよくそんなことを考えていた。

 でもいくら願っても玲香は玲香で、俺は俺だ。

 無情にも時間は矢のように過ぎていくし、いつまでもそんなことを考えていないで、自分のできることをしなければいけない。
 さすがにこの歳になったら理解できている。

 でもこの歳になって、今さら玲香であればよかったなどと思う日が来るとは思わなかった。

 自分が玲香であれば簡単な話だった。
 こんな風に突然知らない家に押しかけて、どうか私にしてくださいと頭を下げることなどなかった。

 そう。
 誰も俺のことなんて求めていないのだから…………





「何か気になるものでもありましたか?」

 どこへ視線を向けていいか分からずに、ずっと庭を見ていたからか、そんなことを言われてしまった。

 慌てて視線を部屋の中に戻した俺は、部屋の隅に座っている藤野という男に体を向けた。

「あ、いえ、そこの……、紫陽花の色が珍しくて……、紫陽花といえば青や紫色というイメージでしたけど、赤色の紫陽花もあるんですね」

 口に出してからマズかったかなと後悔した。一般的には知られている品種なのかもしれない。無知なのは認めるが、あまりに物を知らないと呆れた目で見られたらどうしようかと思ってしまった。

「ルビーレッドという名前の紫陽花で、佳純様のお気に入りです」

 呆れた目で見られるどころか、藤野は俺の方を見ることなく静かに目を伏せたままだった。
 歳は少し上くらいだろう。
 キッチリと切り揃えられた短髪に、黒縁の眼鏡、いかにも真面目そうな顔立ちをしている。
 突然君塚家を訪ねて最初に応対してくれたのが、佳純の秘書をしているという藤野という男だった。

 約束もなしに来たので、最初は少し怪訝な顔をされた。
 お待ちいただくことになりますがと言われたので、それでもいいと言って家に入れてもらえた。
 まずは結婚のことで話があって、白奥から来たと伝えている。
 本人が出て来たら事情を話すつもりでいた。



 バス停の前でタクシーを降りて、なだらかな坂を登ってその頂上にある君塚家の門を叩いた。
 周囲は高い塀で囲まれていて外から中を見ることはできなかったが、とにかくかなり大きな敷地だった。

 門から入ると竹林が広がっていて、その奥に大きな日本家屋が現れた。
 玄関先で白奥の者だと挨拶して、やっと通してもらったのは広い庭が見渡せる風通しのいい和室だった。
 何十畳あるか分からない広い部屋には、ポツンと机があって他には何も置かれていない。
 きっとこの部屋は庭が主役で、そのために何も飾りを置いていないのだなと思うくらい、外には豪華な日本庭園が広がっていた。

 よく手入れされた形のいい松が並び、池には橋がかかっていて鯉が泳いでいた。
 いかにもお金持ちが道楽で造りましたという昔ながらの庭園だ。
 そして静かで洗練された空間には、どこからともなくバイオリンの音色が聞こえてきた。

「美しいですね」

 そう言って藤野の方を見たら、眼鏡の奥にある切長の目と目が合った。
 いつからこっちを見ていたのか、そしてずいぶんと驚いたような顔をしていた。
 変な間が空いてしまったので、仕方なく言葉を付け足すことにした。

「あの……、バイオリンの音ですけど……」

「……失礼しました。佳純様が今、離れの方で弾いていらっしゃいます」

 藤野は慌てた様子だった。
 真面目そうな男に見えたが、居眠りでもしていたのかもしれない。少し笑いそうになる気持ちを抑えて、また視線を庭に戻した。

 日本庭園にバイオリンとは、なんとも優雅でセンスのある暮らしぶりに見える。
 都心の高層マンションの暮らしは、ここと比べると地味で目立たないものに思えた。
 少なくとも午後の時間を、ゆっくり庭を眺めて音楽鑑賞なんて贅沢な時間に使ったことなどない。

「白奥家の使いの方と聞きましたが、会社の関係者の方でしょうか?」

 俺は会議室から出てそのまま来たので、服はTシャツとジーンズというラフ過ぎる格好だった。
 こんなところまで関係者として顔を出して、その格好なのかと怪しまれるのは当然だろう。

「申し遅れました。白奥家の長男で、白奥諒と申します。この度は、当家へ結婚のお話を頂戴しまして大変光栄に思っております。早々にお返事をと思い、直接お伺いさせていただきました」

 そろそろ名を明かしておく頃合いだろうと思い、藤野に向かって座ったまま軽く頭を下げた。
 すると、ガタンっと音がして顔を上げると、藤野が背後にある障子に背中をぶつけた様子だった。

「ごっ、ご長男の諒様!? た、大変失礼致しました。そうとは知らず、お待たせしてしまうとは……。主人よりこの時間は誰も通さないようにと言われておりますが話は別です。すぐに声をかけて参りますので……」

「いえ、そんな……。勝手に押しかけたのでそちらの都合もおありでしょう。待つのは全然構わないので、いつでも……」

「そういうわけにはいきません! 諒様はほとんど人前に出られないと聞いておりましたので、てっきり会社の方と思い込んでおりました。今、しばらくお待ちを……!!」

 どうやら真面目な人を困らせてしまったようだ。もったいぶることでもなかったので、早く伝えてあげればよかったと汗が出てきた。
 藤野の方はもっと汗を流して慌ててながら急いで立ち上がって、バタバタと足音を立てて廊下を走って行ってしまった。

 広い部屋に一人取り残されると、どうも落ち着かない。
 景色は絶景並みの美しさであるが、逆にこんなところにいていいのだろうかと不安になってくる。
 机の上に出されたお茶とお菓子があって、気持ちを紛らそうとそれに手をつけた。

 そういえば、朝飛び出してきて、お昼もろくに食べていなかったことを思い出して、急にお腹が空いてきてしまった。

 上品な練り菓子は可愛らしいうさぎの形をしていた。
 それを崩すのはもったいない気持ちがしたが、お茶を喉に流し込んでから、練り菓子は和菓子切りを使ってそっと口に運んだ。

「んっ……美味しい」

 緊張で縮こまっていた胃が、ようやく仕事の時間だと踊り出したようだ。
 お腹が空いていたのもあるが、餡子の優しい口当たりがお腹も心も癒してくれた。

「どうして……はやく……」
「申し訳ございま……、事務的な……思い……て」

 廊下の向こうから複数の足音と、話し声が聞こえて来た。このタイミングで歩いてくる人はきっとそうに違いないと、俺はしっかり座り直して背を正した。

 パタパタと廊下を歩く足音がピタリと止んで、失礼しますという声が聞こえた。

「お待たせして申し訳ございませんっ、今日は…………」

 引き戸が音もなくスッと開けられた。
 まず目に飛び込んできたのは、この屋敷にぴったりの和装で、薄紫の上品な色の男性の着物だった。
 そして次に見えたのは、薄い茶色の髪に白い肌、涼しげな目元に整った顔つきの、美しい顔をしたおそらく男の人だった。
 俺より背は高そうだが、線が細く、女性とも見間違いそうなくらいだ。
 俺と目が合うと、目は大きく開かれて驚いた顔になった。
 もしかして前に会ったことがあるのだろうかと思ったが、こんな印象的で綺麗な人を忘れるはずがないのでその可能性は打ち消した。

「あなた……は……」

 思わず惚けてしまったが、俺は慌てて立ち上がって頭を下げた。

「突然押しかけてしまい申し訳ございません。白奥家の長男で、諒と申します。この度は婚約の話で丁寧なお手紙を頂きまして、ありがとうございます」

「え……え、諒さん? ああ……ご長男の……」

 座っていた人物が期待とは違ったからだろう。
 輝いていた瞳から色が消えて、極端に温度が下がったのが目に見えて分かった。

「遠いところご足労いただきましてありがとうございます。わざわざ、諒さんから直接お返事をいただけるとは思っていませんでした」

「ご迷惑だとは思ったのですが、この時期は本家の方にいらしていると聞きまして……、こういった話は誤解がないように直接話し合えたらと思って参りました」

 お座りくださいと言われて座布団に座ると、対面に座った男はじっと俺の顔を見てきた。

「あの………」

「ああ、失礼、申し遅れました。君塚佳純と申します。この度はこちらの事情で急にお話を進めるかたちになってしまい申し訳ございません」

「いえっ、私も驚きましたが、もともと家同士で交わされていた古い約束だと聞きました。父からは本人達の意思が大事だと言われています。まずはそちらの事情をお聞かせいただけますでしょうか」

 目の前の男はやはり君塚佳純で間違いなかった。
 現在は彼の祖母である、君塚珠代氏が君塚家の当主として取り仕切っていると聞いていた。
 珠代の息子、佳純の父親はすでに鬼籍に入っているので、一人息子である彼が次期当主になるのだろう。

 君塚家の事情、それをまず確認する必要があると、俺は話を切り出すことにした。

「それについては、直接お話ししたいと思っていたのでよかったです」

 佳純は少し疲れた顔をして目を伏せた。
 悲哀を感じる雰囲気は、儚げな美しさを持つ佳純に似合っている。
 絵画を切り抜いたような光景に目が離せなくなってしまった。
 佳純の柔らかそうな髪は襟足まで長く伸びている。透き通った白い肌に、一番印象的なのはくっきりとした二重の目に輝く、ヘーゼルナッツのような不思議な色合いの瞳だ。
 どこか懐かしく感じてしまうのは気のせいだろうか。

 どこを取っても、日本人にはとても見えないし、かと言って着物が浮いてしまうようないかにも外国人という濃さはない。しっとりとして和の雰囲気に馴染んでいて、目を奪われてしまう色香を感じた。

「話には聞いていらっしゃるかもしれませんが、ここしばらく当主の珠代は表には顔を出していません。会社の方はほとんど私が引き継いでいますが、グループとしての行事にも参加していません。それは病気の療養のためです」

「かなりお悪いのですか?」

「もともと心臓に持病があったのですが、それが限界が近づいたということですね。入院していて体調は悪くないので、今すぐどうというわけではないのですが、長くはないということが分かりました」

 しんと空気が重くなった。
 なんとなく話の流れから事情というのが見えてきた。
 こんな暗い話をしていても、佳純の表情は変わらない。
 淡々と話している姿からあまり感情を表すタイプではないのだなと思った。

「祖母は自分の代に果たせなかった白奥家との繋がりを望んでいます。こちらとしては、話を早急に進めて祖母に結婚の報告をしたいと思っています。ひ孫の顔を見せてあげたいと……これはできたらの話なので、あくまでこちらの望みです」

 死を前にしての未練。
 俺にはまだその境地まで心がいくことはないが、珠代が直面している現実は理解できた。
 そして、それを叶えてあげたいと思うのは、二人の関係がいいものだからということだろう。
 なるほどそういうことなら、突然の連絡と急ぎで話を進めたいという状況はよく分かった。
 俺はそうですかといって座り直した。
 いよいよ今度はこちらの話をしなければいけない。

「………ところで、諒さんと玲香さんはよく似ていらっしゃるんですか?」

「え? ええ、玲香とは一才違いですが、似ているとよく言われました。子供の頃なんて両親も見間違うくらいで……」

「そうですか……やはり……」

 そろそろ玲香の話が出てくると思っていたが、佳純は変な質問をしてきて意味ありげに小さくため息をついた。
 その態度が妙に気になってしまった。

 俺と玲香は二人とも黒髪で黒目の大きな目をしている。二人とも色白で目鼻立ちも似ていて、小さい頃はよく双子だと間違えられたほどだった。
 実際はよく見ると玲香はやはり女性らしい柔らかさがある可愛らしい顔をしているし、俺にはそんなところはない。
 それでも俺を初めて見た時の、佳純の少し驚いたような顔を思い出して首を傾げてしまった。

 もしかして……

「玲香さんはまだ留学中でしたよね。そんな時にこんなお願いをするべきではないと分かっているのですが……」

「えっ、あっ…………あの、それなんですが………。玲香は大学はすでに辞めております。色々と視野を広げたいという理由みたいです」

 どうやら情報を集めてくれていたようだが、最新のものではないらしい。
 玲香は好きなことをやるために、昨年大学を辞めていた。

「は? えっ、それでは………日本に帰っては来ないの……ですか?」

「すみませんっ! 私からこんなことを申し上げるのは心苦しいのですが、玲香は日本に戻るつもりはなく、そのまま海外で働きながら好きなことをやりたいと……」

「そんな………」

 よほどショックだったのか、佳純は手で頭を押さえてしまった。その狼狽した様子に、俺はもしかしてと頭に浮かんでいたことを口にすることにした。

「あの、君塚さんは、もしかして玲香と会ったことがあるのでしょうか?」

「………ええ、子供の頃のことですが。一緒に遊んだ仲です」

 何ということだと驚いて次の言葉が出てこなかった。
 しかし、よく考えれば玲香がこっちにいた頃は、たくさん友人がいて、誰とでもすぐに仲良くなるので毎日のように違う子と遊んでいた。
 俺は途中から小学校にほとんど行けなくなったし、玲香が誰と仲が良かったかなんて分からない。
 年齢は佳純の方が俺よりいくつか上のはずだが、近所にでも住んでいたのだろうかと思った。

「その時に、結婚の約束をしました」

「え!?」

「嘘ではないです。玲香さんは、自分がアルファだと言っていました。結婚する相手だから特別に教えてあげると……」

「た……確かに、玲香はアルファです……」

「いえ、薄々分かってはいたのです。子供の頃の約束など、忘れてしまっているかもしれないと……。やはりそうでしたか……もう、私のことなど……」

「玲香が約束を……!? えっ……ええと、それは……何というか……何と言っていいのか……」

 一目瞭然ではあるが、玲香がアルファであるということは、家族内だけの話にしていた。
 アルファだからといって近づいてくる者もいるので、玲香には外では言わないように伝えていたはずだ。
 小さい頃から私はバース性なんてどうでもいい、結婚なんてしないと言い張っていた玲香だったが、ノリがいいタイプなので、仲のいいお友達と冗談混じりにそんな約束をしてしまったのではないかと考えられた。
 それにしても、よくあるごっこ遊びのような幼い子供の約束だとしたら、この男はずっとそれを律儀に思い続けてきたのだろうかと、そちらの方に驚いてしまった。

「……それではこの話は……」

「あ……あの、そこで一つ提案があるのですが……」

 さっと波が引くように佳純の熱が引いていくのが分かった。
 このままご縁がなかったということで終わってしまったらだめだ。父の会社を援助してもらうように取り付けなくてはいけないのだ。
 俺は玲香ではないが、どうにかこの話を繋ぎ止めなければいけなかった。

「私……私と、結婚してもらえないでしょうか」

 背中を向けてずいぶんと遠くへ引いていた佳純は、パッと振り返ったように顔を上げた。
 大きく開かれた瞳は、やはり不思議な色をしていた。
 その美しい瞳に、不安そうな顔をした俺が映っていた。

「どうかお願いします」

 俺は畳につきそうなくらい深く頭を下げた。
 佳純がどんな顔をしているのか想像したくなかった。

 冷たく断られてしまったら、どう切り返したらいいのか。
 ぎゅっと身を縮こませて、佳純の返事を待った。

 残酷に思えるような時間は永遠かと思うくらい長く感じた。






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