密命オメガは二つの愛に乱される

朝顔

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本編

15、悲しい口付け

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 婚約を断ってからというもの、怒鳴られたり優しくされたりと、様々な手を使われ説得された。
 それでも頑として首を縦に振らないエルヴィンを見て、ゴードルは自分の邸から出さないという戦法に切り替えた。
 頭を冷やせと言われ、閉じ込められたエルヴィンが困っていたら、頭の中に声が響いてきた。
(僕に任せて、上手くやるよ)
 ノアールだ。
 エルヴィンが困っていると、ノアールはいつも話しかけてきて、いつの間にか物事は解決していた。
 二つの人格が共存しているということは、二人だけの秘密。他の人間には知られないようにしようと言ったのはノアールだ。
 エルヴィンにとって、ずっとノアールが唯一の味方で話し相手、頼りになる存在だった。
 しかしそれは、彼の荒れた生活を知って疑惑に変わる。
 エルヴィンの夜を支配した彼は、奔放に遊び歩いた。突然、街で女性から、連絡をくれないなんて酷い男だと怒鳴られた。
 ノアールからは、外で知らない人間に声をかけられても、無視して通り過ぎろと言われていたが、そんなことが何度もあると不信感ばかり募った。
 人の体を使って何をするんだ、いい加減にしろと言ったが、ノアールは貴族の令息としてパーティーに出るのは仕事みたいなもので、多少のトラブルはあると言って、話し合いにならなかった。
 自分は他人との接触が恐くて、まともに人間関係を築くことができないのに、まるでノアールが始めからエルヴィンだったように生きている。
 もしかしたら、自分が偽者で、消えるべき存在なのではないか。
 だけど、消えてしまいたいなんて言いつつ、生きることにしがみついている。ノアールはそんなエルヴィンの心の内まで、全て見透かしているように思えた。
 アルノに紹介されたエリザ医術師からは、人格が二つに分かれた原因について、しっかり思い出すことが治療につながると言われた。
 エルヴィンにわかることは、父親の死がキッカケで、記憶が途切れ途切れになり始めたということだ。
 母は物心つく前に失踪し、エルヴィンは、父親と二人、町外れの小さな二階建ての家に住んでいた。
 十三年前のあの日、近所の子供達と遊んでから帰宅すると、二階から物音がした。
 先に父が帰ってきたのだろうと思い、エルヴィンは二階へ向かった。しかし、そこからの記憶がない。
 気がついたら病院のベッドの上で寝ていて、そこで父の死を知らされた。調査官に当時の状況を何度も聞かれたが一切の記憶がなく、何も答えようがなかった。
 父の亡骸と対面し、ショックを受けたエルヴィンは、また数日寝込むことになる。
 それから目覚めても、度々、記憶喪失に悩まされることになり、ついにノアールが頭の中で話しかけてきた。
 僕の声が聞こえる? と言って……。

 何度も考えたが、父が死んだ日のことがどうしても思い出せない。
 ノアールに聞いても、知らないとしか答えてくれなかった。
 あの日何があったのか、何を見たのか、心の奥底に鍵をかけて閉じ込めてしまったみたいだ。
 そして、その扉の前にはノアールがいて、手に持った鍵をチラつかせ、絶対に開けないよと言っているような気がする。
 やはり、ノアールが全てを握っている、そう思い始めていた。


「……ル、……エ……エルヴ……」
 頭が焼けるように痛い。
 目の前が真っ赤な色に染まって、身体中から熱が湧き上がってくる。
 真っ赤な熱、それは怒りだ。
 全て壊してやりたい。
 この世界も何もかも、君が誰かのものになるのなら……。
「エルヴィンッッ!! しっかりしろ!!」
 耳に飛び込んできた声に、やっと息が吸えるようになったエルヴィンは、ひゅうと音を立てて呼吸をした。
「な……なに?」
「なに、じゃない! 大丈夫なのか? お前、こんな……」
 視界に映ったのはアルノだ。
 心配そうに自分を見つめる顔を見て、エルヴィンの胸はトクトクと音を立てて鳴った。
「あれ、俺……倒れて……」
 よく見ると、エルヴィンは地面に腰を下ろしており、背中をアルノに支えられている状態だった。
 何が起きたのかわからない。
 どうしてこんなことになっているのかも。
 目を凝らすと、周囲の人間が全員倒れ、地面に転がっていた。
「あれ……、みんなどうして……?」
「覚えていないのか?」
「え?」
 アルノに不思議そうな顔で覗き込まれて、エルヴィンは額に手をあてる。
 アルノといつもの店で飲んだ後、外へ出て歩いていたはずだ。そこでガラの悪そうな連中に捕まって、周りを取り囲まれた。
 アルノが前に出て、大きな男を倒したところを覚えている。
 それならば転がっている者は、アルノが倒したのだと考えたが、彼は困った顔で首を振った。
「俺もよくわからないけど……、エルの目が光って、それでみんな急に苦しみ出したんだ」
「え……俺……?」
 自分に何が起きたのか、また記憶喪失になったのかと、エルヴィンは胸に手を当てる。
 すると、混乱の中から燃えたぎるような怒りが甦り、息が荒くなっていく。
「エルヴィン……?」
「アルノ……君はオメガだったのか。誰に……」
「え?」
「誰に噛まれた?」
 エルヴィンの言葉に、驚いたように目を開いたアルノから息を吸い込んだ音が聞こえた。
 頭の中を埋め尽くす怒りに任せて、アルノの腕を掴む。ギリギリと強く力を入れると、アルノは痛そうに口元を引き攣らせた。
「これは……」
「嫌だ……、誰にも渡さない。お前は俺の番だ」
 再び目の前が真っ赤に染まる。
 アルノの姿が遠くなり、意識が深く沈んでいくのがわかる。
 プツリと糸が切れたみたいに、意識はそこで途切れた。


 ◇◇◇


「それは威嚇ね」
「威嚇? アルファのですか?」
 クリスの問いに、エリザはメガネを指で押し上げながら、淡々と答えた。
「そう、一般的なアルファの威嚇は、他者に向けた怒りのフェロモンと呼ばれるわ。睨みをきかせて、相手を精神的に屈服させる目的に使われる。ただ、今回は威嚇の中でも、攻撃性の強いフェロモンが発せられて、それを浴びた者は、失神したのだと考えられるわ。彼、もともとのアルファ性がかなり強いタイプのようね」
「でも、俺が番なのは……」
「エルヴィンとノアールの肉体は同じだもの。彼が意識していないだけで、体の方はクリスが番だと理解している。そして、貴方の頸にある噛み痕を見て、誰か他のアルファにつけられたものだと錯覚した。それで、無意識に抑えていたアルファ性が一気に解放されたのかも」
「なるほど……」
 診察室で腕を組んだエリザは冷静で、いつもと変わらないように感じる。しかし、彼女もあまりの特殊な症例に困っているのか、眉間の皺が少しだけ濃いように見えた。
 二人の横にはベッドがあり、そこに寝ているのはエルヴィンだ。
 町で以前に揉めた男達と遭遇し、戦いになったが、途中でエルヴィンの様子がおかしくなり、二人を取り囲んでいた男達がバタバタと倒れていった。
 エルヴィンも倒れて、一度意識が戻ったが、少し会話すると、また気を失ってしまった。
 仕方なくクリスは、エルヴィンを担いで馬車に乗せ、医術院まで連れてきたのだ。
 診察室のベッドに寝かせて、エリザ医術師の診察を受けたが、体の方に何か問題があるところはないと言われた。
 クリスが倒れた経緯を説明すると、複雑な答えが返ってきたので、また頭を悩ませる事態になった。
 ベッドの上でスヤスヤと眠っているエルヴィンを見て、クリスは小さく息を吐いた。
「それにしても、偶然にしては出来過ぎじゃないかしら」
「え?」
「ノアールがいつもより強く噛んで、見えやすい位置に痕が残り、偶然悪者達が待ち構えていて、偶然クリスの傷が露わになる。まるで全て計算されていたみたい。わざとエルくんに噛み痕を見せて、抑えていたアルファ性を解放されるために……」
 ノアールが、エルヴィンがアルファ性を取り戻すには、クリスが必要だと言ってたのを思い出した。
 確かに襲ってきた男達は、誰かに情報を聞いたようなことを言っていた。例えば前金を渡して、衣服を脱がせるように指示を出した。成功したら残りの金を渡す、そんな、想像が浮かんできたところで、誰がやったのか考えたら、一人しかいなかった。
「そろそろ話を聞かせて。起きているでしょう?」
 エリザが声をかけると、寝息を立てているように見えたエルヴィンの目が、ゆっくりと開く。
 寝たまま視線だけクリスの方へ移動させると、口角を上げて、にっこりと笑顔を見せた。
「エル……いや、ノアールか」
「エルヴィンは眠ったよ。ずっと奥深くで。クリスの前で暴走して、怪我をさせたのがよほどショックだったみたい」
「怪我って……」
 クリスは自分の腕を見た。
 確かにエルヴィンが強く握ったので、腕には手の痕が残っている。しかしクリスにとっては、かすり傷みたいなものだ。
「エルヴィンは……いつ目覚めるんだ?」
「さぁ、どうだろう。呼びかけてはみたけど、反応はないね」
「ちょっと、話がしたいのはこっちなんだけど。さきに診せてちょうだい」
 クリスとノアールの間に、割り込んできたのはエリザだ。ノアールを起き上がらせてベッドに座らせた後、軽く脈をとって、体の具合を確認した。
「さて、貴方がノアールね。エルくんの時に、見ていたかもしれないけど、私は医術師のエリザよ。色々と話を聞かせてもらうわ」
「よろしく、エリザ先生。とても綺麗な人だ」
 息をするように甘い言葉を発するノアールを、エリザは呆れた目で見て、質問を始める。
「それじゃあまず、ノアール。貴方が主人格であるエルヴィンの中にできた別人格で、エルヴィンが表に出ている時、貴方の方は全てを見ていた。それで間違い無いかしら?」
「まぁ、そうですね。全てではないけど、だいたい合っています」
「貴方の目的は? 主人格であるエルヴィンの意識を完全に乗っ取るつもり?」
「さぁ、どうでしょう」
「……では、クリスに近づいたのはなぜ?」
「それはもちろん。気に入ったので、深い関係になりたかったからです」
 鋭い追求をサラリとかわして、微笑んでいるノアールを見て、エリザは苛立たしげにため息をついた。
「……貴方、嫌になるくらいアルファらしいわね」
「それは、こちらも同意見です。同族嫌悪というやつでしょうか」
 アルファ同士のピリついた空気を感じたクリスは、仕方がないと間に入ることにする。
「俺を……使ったんだな。エルヴィンが抑えているアルファ性を取り戻させるため……か? 俺に近づいたのは、エルヴィンが心を許している様子だったから。わざと傷痕を見せて動揺させた。エルヴィンがショックを受けて深い眠りに入ることも計算していたんだな。そのために番にまでなるなんて……」
 クリスがそう言うと、ノアールは肯定も否定もしなかった。ただ、先ほどと同じように微笑んでいたが、その目に少しだけ悲しそうな色が浮かんだのは気のせいだろうか……。
「心を閉ざした人格は、なかなか元に戻らないわ。まんまと支配できたというわけね。この後はどうするの? 貴族の令嬢と結婚して、クリスとの番を解消し、大会社を継いで成功した人生を送るのかしら」
「それもいいかもしれませんね」
「貴方っっ、いい加減に……!」
 らしくない大きな声を上げて、エリザが立ち上がろうとしたので、クリスは腕を掴んで止めた。すぐに冷静さを取り戻したエリザは、しばらく休んだら帰るようにと言って、先に診察室を出て行った。
 
 ノアールとは、ゴードルの邸で別れたきりだったので、二人になると気まずい気持ちになる。
 下を向いてしまったクリスを見て、ノアールはクスリと笑った。
「あのパーティーで会った時、エルヴィンと昼間に会っていた男だと分かった。どうにも怪しい様子から、カルバインの弱みを握ろうとする連中が、差し向けた調査員かと思ったけど、そんなところだよね?」
 クリスは何も言えずに下を向いたまま息を吐く。
 理由なんてなんでもいい。身辺調査をしていたのは間違いなく、それがノアールに知られていたのだと分かると、もっと気まずくなった。
「少し追い詰めて、吐かせようかと思ったのに、まさかヒート事故が起きて、番になるなんてね……。でも、嬉しい誤算だった。何より、エルヴィンの反応が全然違ったから、君なら彼を揺さぶることができるって考えたんだ」
「エルヴィンは……本当にもう、出てこないのか?」
「エルヴィンが心配? ひどいなぁ、君は僕の番なのに」
「それは……」
 クリスが顔を上げると、ノアールは微笑んでいたが、先ほどと同じ目をしていた。仄暗い水の底から、助けを求める子供のような……。
 ベッドを下りたノアールは、クリスに近づいて、頸の後ろにある噛み後に触れた。
 そこに触れられるだけで、甘い痛みを感じ、クリスは声を漏らしそうになる。
「ごめんね。痛かったでしょう。こんなに痕になって……」
「くっ……や……やめろ」
 クリスは高まりそうになる熱を、なんとか散らして、歯を食いしばった。ノアールが何を考えているのかわからない。思い通りにエルヴィンを追いやったはずなのに、なぜこんな悲しそうな目をしているのか。
 答えを求めて、ノアールの瞳を覗き込んだ。
「エルヴィンが好きなんでしょう? 二人でいる時のクリスを見ていると分かるよ。君は純粋で真っ直ぐ、一途な愛に惹かれている」
「それはっ……」
「それで、いいんだよ。元に戻すんだ。戻さないといけない」
「え?」
「もっと、エルヴィンを好きになって。君が彼の救いになってほしい」
 ノアールの顔が近づいてきて、唇が重なった。
 柔らかな感触が広がったが、今までで一番、冷たくて悲しい色に胸が染まる。
 まるで別れの口付けのようだと、クリスは思った。
 

 
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