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本編

4、接近

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 相手は国の騎士や兵士ではなく、ただのチンピラだ。
 それならやり方は分かっている。
 クリスは姿勢を低くして、向かってくる男達の拳をかわした。
 真正面から受けはしない。
 まずは足を狙い、体勢を崩したところで顔に一発叩き込む。
 男が一人、クリスのパンチをくらって壁に飛ばされた。
 一人で大人数相手だが、路地に入り込めば囲まれることはない。
 男達は間髪入れずに次々襲いかかって来る。クリスは素早く動いて、相手の腹や首を狙って拳を叩きつけた。
 三人目、四人目と、男達が地面に転がって苦しそうに声を漏らして気を失う様子を見て、これはヤバいと気づいた他の連中は、攻撃をやめて後ろに下がった。
「くっ……クソ! 行くぞ!!」
 残った連中は、慌てた様子で足を滑らせながら、走って路地の奥に消えていった。
 パンパンと手を叩いて、わずかに流れた汗を拭ったクリスは、倒れたままのエルヴィンの側に向かう。
 意識を失っているように見えたエルヴィンだったが、近づいてみると、わずかに目が開いていた。
「な……なぜ、あなたは……誰だ?」
「とりあえず、話は後だ。さっき逃げたやつらが、仲間を呼んでくる。今のうちにここから移動するぞ」
「っっつ、やめてくれ。大丈夫だ」
 エルヴィンの背中に手を入れて、無理やり起こそうとすると、エルヴィンはクリスの手を振り払った。
「アホ! 死にたいのか? アイツらはこの辺りのギャングの下っ端だ。もっと上は残忍な連中だ。裸にされて、川に沈められたいのか? 俺ならもっと楽な死に方を選ぶね」
 そう言うと、エルヴィンの目が大きく開かれた。
 青い、どこまでも青い、痺れるような青い瞳が見える。
 あまりに綺麗なので、一瞬、クリスは言葉を失ったが、エルヴィンの腕を掴んで立ち上がらせた。
 今度は手を振り払われることはなく、横で支えてやると、エルヴィンは素直に歩き始めた。
 狭い路地を男二人でやっとのことで移動して、少し開けた場所に出たら、とりあえず置いてあった木箱にエルヴィンを座らせた。
 近くの井戸から水を汲んで、ハンカチを濡らした後、殴られて腫れているエルヴィンの顔にあてた。
「うっ、つっ!」
「我慢しろ、冷やさないともっと腫れる」
「誰なんだ……? なぜあんなところにいて、どうして俺を助けた?」
 エルヴィンの問いにクリスは一瞬言葉を詰まらせた後、ポケットから一本のペンを取り出した。
「あの酒場に俺もいたんだ。アンタが出ていった後、このペンが落ちていて、追いかけて渡そうとした」
「はぁ? わざわざ? こんなところまで!?」
「理解できないかもしれないが、俺は一度気になると解決しないといられない性分でね。やっと追い付いたと思ったら、悪そうな連中に蹴られていたから、咄嗟に助けに入ったってワケさ」
「……面倒な性分だな。正義感たっぷりなところ悪いが、そいつは俺のじゃない。他の人の忘れものだ」
「何だって!? こりゃ参ったー、せっかく体を張って助けたのに!」
 額に手を当てて大げさに悲しんで見せると、エルヴィンは小さく噴き出して、変なヤツと言って笑った。
「解決しないといられないんだろう。そのペン預かってやるよ。俺はあの店の常連だからマスターに渡しておいてやる」
「……それは、助かった。よろしく頼むよ」
 そう言ってクリスは、ペンをエルヴィンの手の上に乗せた。
 エルヴィンの忘れ物ではないことは分かっている。
 あれは、咄嗟に思いついた嘘で、ペンは最初からクリスのものだった。
 多少予定は狂ってしまったが、これはエルヴィンに近づくチャンスだ。
 クリスは人好きのする笑顔を浮かべて、行動に移すことにする。
「走って疲れたし、中途半端に飲んだから、腹が減ったな……。どこかで休みたい。飯でも食わないか?」
「……ああ、それなら俺に奢らせてくれ。助けてもらったお礼だ」
「そりゃ嬉しい。よし、この近くに美味い店があるんだ。そこにしよう」
 クリスは自然にエルヴィンを誘うことに成功した。
 直接探って、どういう人物であるかをあぶり出してやるつもりだ。
「俺はアルノ。この近くの現場で働いている。機械の整備士だ」
 クリスはたくさんある仕事用の名前の中から、平凡な名である、アルノを選んだ。
 割と汎用性がきくので、様々な仕事で多用している名前だ。
「俺は……エル……だ。俺も、近くの現場で働いている……ただの作業員だ」
 少し悩んだ後、立場を考えたのか、エルヴィンは名前を省略することにしたようだ。
 分かりやすい偽名だなと思いながら、クリスはよろしくと言ってエルヴィンに手を差し出す。
 エルヴィンは自分の服で手を拭った後、よろしくと言ってクリスの手を握った。
 人と握手をすることに慣れた人間の動きだ。
 ただの作業員には見えないぞと思いながら、クリスは店へ案内すると言って歩き出した。
 

 近くの食堂に着いて、適当に料理を頼んだ後、軽く飲み始めた。
 ここの店主とは顔見知りなので、クリスの分は何も言わなくても水が運ばれてくる。
 それを酒を飲んでいるように、美味そうに飲む。
 エルヴィンは特に怪しむ様子はなく、一人だけ酒が入ったグラスを傾けた。
「エル、昼間から飲むのは、俺と同じ夜勤なのか?」
「ん? ……あ、ああ。昼番とか夜番とか色々……」
「そうかぁ、お互い大変だなぁ。こんなに働いても薄給なのはつらいよ。儲けているのは、経営者ばかりだな」
 この辺りの労働者は、景気がいいと言っても、まだ給与に反映されていないと聞く。
 それらしい悩みを言って、エルヴィンの緊張を解こうとすると、経営者側のエルヴィンは気まずそうな顔をしていた。
 おいおい、そんな顔に出して大丈夫かよと心配になるくらい、腹芸のできないタイプのようだ。
「ふぅ、走ったからかな、暑いな」
「ああ、確かに」
 エルヴィンもクリスも、お互い帽子をかぶったままだ。
 腹の探り合いをしてもいいが、この辺りで一歩踏み込んでみようと、クリスはかぶっていた帽子をとった。
 何気なく汗を拭うフリをして、クリスは手で髪をかきあげる。
 いつまでも顔を隠したままでは、本音が聞けないからだ。
 エルヴィンの方を見ると、目を開いてクリスを見つめていた。
「どうした?」
「……え⁉︎」
「この目か? いるっちゃいるけど、それなりに珍しい色だから、目につくんだよ。歩いているだけで、絡まれることもあるし。だから普段は隠すようにしている」
「……そうか」
 そう呟いたエルヴィンは、クリスとは反対に、人目を避けるように帽子を深くかぶり直した。
 縮こまって他者を拒絶するような様子は、派手にパーティーへ繰り出す彼とは、やはりイメージが違う。
 クリスはあえて何も聞かずに、テーブルに並んだ料理を食べ始める。
 そうすると、エルヴィンから少し戸惑うような気配を感じた。
「……何も、聞かないのか? なぜあんな場所にいたとか……」
「この辺には色んなやつが集まってくる。あまり自分のことを話さない、素性を聞かれたくないってやつも多い。美味い酒飲んで、美味いもん食って、どうでもいい話をしていた方が楽だろう。何か話したくなったら言ってくれよ。そういう時は聞いてやる」
 貴族の世界では、遠慮なしに根掘り葉掘り聞いてくる人間が多い。
 適当な噂を流して、相手を貶めたいというやつも。
 そういう世界にうんざりしているなら、今のこの空気は、居心地がいいと感じるだろう。
 クリスがあえて隙を作ると、エルヴィンは恐る恐るといった風に、気持ちがその辺りを回っているように見えた。
「と、まぁ小難しい話はいいよ。ここの豚肉料理は最高なんだ。食べてみてくれよ」
 クリスの勧めに、エルヴィンは静かに頷いて、スプーンを手に取って、料理を口に運んだ。
「……あ、う……美味い」
「そうだろ! 柔らかくて、このトロッとした感じが最高なんだよ。よかった、こっちも食べてくれ」
 エルヴィンはクリスが頼んだ料理を次々と口へ運こぶ。
 人は腹が満たされると、警戒心が薄れる。
 クリスは自分の話をしながら、エルヴィンにとって心地ち良さそうな空間を作った。
 初対面でここまで近づけたら上出来である。
 皿が空になった頃、酔いが回ったエルヴィンは楽しそうに笑っていた。
 店を出て、馬車を拾うといったエルヴィンのために、クリスが辻馬車を止めた。
 馬車のドアを開いて、足元がおぼつかないエルヴィンを押し込んだ。
「じゃあな、元気で」
 そういってクリスが離れようとすると、エルヴィンにガッと手首を掴まれた。
 きた、と思い、クリスは頭の中でニヤッと笑う。
「あ、あのさ……また、あの酒場に来ないか? 昼過ぎには、よく行くんだ。ええと……よかったら君も……」
「ああ、行くよ。今度は俺が奢る。またな、エル」
 そう言って微笑んだクリスは、軽く手を挙げてドアを閉めた。
 馬車が走り出したら、背を向けたクリスは、手に持っていた帽子をかぶって歩き出す。
 エルヴィンは警戒心の強い男だったが、なかなかよくできたと思う。
 初対面ということもあるが、相手の領域に踏み込まず、あえて隙を見せたら、目元にあった警戒の色が薄くなったのを感じた。
 エルヴィンは真面目な男に見えるが、心労を溜め込みやすいのかもしれない。
 養父に強くあたられて、彼のいない時には昼間から飲んで、夜は憂さ晴らしにパーティーへ繰り出す。
 今のところ、クリスの目から見ると、彼はそんな風に見えた。
「まぁ、アルファといっても、上司に怒られたら飲んで酔いたくなる気持ちも……」
 そこまで考えて、クリスは足を止める。
 違和感に気がついて腕を組んでから、今まで会っていた男について考えを巡らせた。
「あいつ……酔っていたな」
 強い酒を何杯も飲んでいたのは確かだが、アルファは体質的に酔わないとされている。
 馬車に乗せた時は、顔が赤くなりフラついていて、明らかに酔った状態に見えた。
 それとある事実に気づいて、クリスは眉間に皺を寄せた。
「匂いがしなかった……」
 どんなアルファも、特有のフェロモンを纏っている。
 クリスのオメガ性は薄いが、反応しないだけで、フェロモンを感じることはできる。
 つまり、アルファに会うと、匂いで気分が悪くなることもあるくらいなのに、エルヴィンと肩が触れ合うくらい近くで話していたのに、全く感じなかった。
「おいおい、アルファだって偽って、本当はベータなのか? それとも……双子、それとも隠し子か?」
 友人として仲良くなり、本性をあぶり出して報告を終わらせよう。
 そう簡単に考えていたのに、今会っていた男が対象者のエルヴィンだったのか、それを疑う事態になってしまった。
 誰の情報が正しくて、何が間違っているのか。
 答えを求めて息を吐いたクリスは、困ったことになったと頭をかく。
「勘弁してくれよ。どうすりゃいいんだ」
 空に向かって問いかけたが、答えは返ってこなかった。


 翌日、クリスは工場に潜入して、仕事中のエルヴィンを探った。
 エルヴィンは社長の息子として、現場監督の席に座っていた。
 帽子をかぶっていなかったので、彼の金髪と碧眼で整った顔がよく見えたが、なぜかくすんで見えた。
 エルヴィンは黙々と真面目に、というか、下を向いていて自信なさげに仕事をしていた。
 昼には仕事を終えて、酒場へ行くので、クリスはそこに顔を出して、また他愛もない話をして一緒に飲んだ。
 夜になる前に別れると、エルヴィンは一度帰宅して、その夜のパーティーに繰り出した。
 例によって会場は貴族の邸なので、近くで見ることはできないが、両手に花で楽しんでいる様子が見えた。
 まるでよく似た別人が、途中で入れ替わっているように思えて、バカだなと自分の考えを笑った。
 周囲の期待が大きいとはいえ、恵まれた環境にいる男がそんなことをして何の意味があるというのか。

 考えながらカップを傾けて、ゴクリと中身を喉に流し込むと、全部投げ出したくなった。
「いいのか? 酒飲まなくて……」
 憮然とした顔で水を飲んでいたら、隣に座った男に顔を覗き込まれる。
 お前のせいだよと思いながら、クリスは笑顔を作った。
「言っただろう。酒の味が好きじゃないんだ。特別な時にしか飲まない」
「そうか……」
 そう言って申し訳なさそうな顔で、ちびちび飲み始めたのはエルヴィンだ。
 いつもの時間に酒場に集合して、今日はクリスが奢る番だった。
「初めて会ったあの日も……飲んでいなかったのか?」
「ああ、あの日か。あの日は少し飲んでいたよ。新しい仕事が始まったから、景気づけみたいなもんだ」
 そうか、と言いながら、エルヴィンは不思議そうな目でクリスを見てくる。
 いつも通り、エルヴィンは帽子をかぶったままだが、さすがにこれだけ近づけば、顔がしっかり見えてしまう。
 帽子の隙間から覗いているのは、金色の髪。
 高い鼻に力強く結ばれた唇、整った横顔に、宝石のような青い瞳。
 パーティーでの彼は、もっと華やかだが、地味で薄汚れた装いでも、その洗練された美しさは隠しきれていない。
 時々、店に入ってきた女が声をかけてくるが、エルヴィンは下を向いて一言も話さない。 
 パーティーでの両手に花はどうしたと聞きたくなるが、ぐっと我慢をする。
 少しくらい遊べよと声をかけてみたが、女性は苦手なんだと言ってもっと下を向いてしまった。
 ワケがわからない。
 これでは、今回の報告書を二枚用意することになり、そんなことになったら、先方からバカにしているのかと言われてしまいそうだ。
 こうなったら、夜遊びをしているエルヴィンに近づいて、女と消える決定的瞬間を確認するしかない。
「そろそろ出ようか。日が暮れてきた」
 エルヴィンは、初日こそ早めに店を出ていたが、クリスと飲み始めると日暮れまで席に座っていることがほとんどだった。
 そして夜が近づいて来ると、まるで何か決まっているかのように、立ち上がって店を出る。
 クリスが会計を済ませて店を出ると、エルヴィンは店の前に立っていた。
「さぁ、帰るか……」
「ちょっと、いいかな」
 いつもはここで別れるのだが、初めてエルヴィンに呼び止められた。
「少し、歩かないか? 色々話したくて……」
「ああ、いいけど……」
 クリスはエルヴィンの誘いに乗ることにする。
 もしかしたら、彼の別の顔が見られるかもしれない。
 先に歩くエルヴィンの後ろを、クリスは緊張しながら追って歩いた。

 
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