匂い惚れから始まる甘やかされ生活は、まだこれから。

朝顔

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 西暦2XXX年。

 男女の性とは別にあるバース性。
 かつて地球上のほとんどの人口はベータで、アルファとオメガが少ない数で存在していた。
 発情期があり、その度にフェロモンを撒き散らすオメガは迷惑な存在として見られることが多かったが、抑制剤の開発が進み、発情期をコントロールして暮らせるようになった。
 オメガからアルファが生まれやすいという研究が進み、子を望むカップルはついにバース性を選択することができるようになった。

 誰もが優秀なアルファの子供が欲しいと望んだ。アルファが生まれるにはオメガの存在は不可欠なので、オメガを選ぶと補助金がでるようになった。

 こうして多子家庭が増えて、人類アルファ化計画によって、人口の割合はついに逆転し、バース性はアルファとオメガが占めることになった。
 ベータについては、ほとんど望む人がいないので、突然変異のように偶然でしか生まれなくなった。
 かつてのオメガのように人口の数パーセント、といったところだが、オメガのように貴重とされるものは何もなかった。
 ベータの女であれば、まだ子を産める可能性があるが、ベータの男は誰からも相手にされず、優秀すぎる周りに囲まれて、肩身の狭い一生を送ることになる。

 そんな時代に生まれた、悲しきベータの男、それが俺、セイジュ・アガサ。
 アルファの人口が増えたことで、様々な分野で開発が進み、人類は地球を飛び出して、今は他の星にも移り住んでいる。
 ということで、国境は消えて、すべての人間が地球国、地球人という名称に統一された。
 厳密に言うと、それぞれ出身だとか言語に地域差があるのだが、今は脳内に埋め込まれたチップによって、言語は統一されてコミニケーションに困ることはない。

 必要な情報はチップを通じて、目の前にモニターを出現させることができるので、みんな何もかも、それに頼って生活している。
 もちろん、こういったシステムを開発したのはアルファ達だ。

 俺の両親は女アルファと女オメガだったが、妊娠に向けたカウンセリングで、当然のようにアルファを勧められた。
 何も分からなかった二人は、言われるままにアルファを選択したはずだったのに、生まれてきたのがベータの男だったので、ひどく驚いたらしい。
 一般的にはベータは、平凡で秀でたところがなく、むしろ劣っていると思われることが多い。
 何しろ周りは頭も容姿も優れた完璧な人間達の世界だ。
 そんなところに、ひたすら地味な男がいたら、そう思われても仕方がないのかもしれない。

 両親はお互い厳しい家に育てられて、子供の頃に家を出て、車に乗りながら生活してきた。
 まさに自由人カップルだったので、ベータの俺を見て驚きはしたが、次の瞬間には歌って踊って、大喜びしたらしい。
 俺がハズレくじのようなベータとして生まれても腐らなかったのは、この明るい両親のおかげだと思っている。

 ということで、生まれてからほとんどを、両親と車に乗って移動しながら暮らしてきたわけだが、ここに来て学校に行けと言われることになった。

 俺が十六の誕生日の朝である。



「もう入金したってどういう事だよ! 義務教育用の学習はとっくに完了しているし、どうしてわざわざスクールに行く必要があるんだよ」

 朝食のコーンフレークを、ミルクと一緒に口に流し込んでもぐもぐしていたら、突然母親のミラから告げられた言葉に、全部噴き出しそうになって慌てて飲み込んだ。
 ゲホゲホとむせながら、なんとか問いただすと、ミラはあっけらかんとした顔で、だってお友達が必要でしょうと言った。

「セイくん、生まれてからずっとこのオンボロで旅しているし、まともに同年代の子と接したことがないじゃない」

「そっ、そんなの……、オンラインでゲーム友達いるし……」

「それが問題なんだよねぇ。人付き合いってモンは、ちゃんと顔を合わせないと分からないこともあるし。それに一番大事なこと、せっかくの青春真っ盛りに恋ができないでしょう」

 キッチンスペースから、焼いたパンを皿に載せて持ってきたのは、もう一人のママであるアリッサだった。
 ちなみにバース性は、ミラがオメガで、アリッサがアルファだ。

「恋!? 俺が? 無理無理、俺なんて女の子になんて相手にされないよ。旅先でも散々無視されたの見てきただろう」

 アルファとオメガってやつらは、常に自分のフェロモンを微弱に纏っていて、お互いのバース性がすぐに分かってしまう。
 つまり無臭の俺は、どこに行ってもベータだとバレてしまう。
 最近立ち寄った町でも、女の子に声をかけたのだが、すぐにベータだとバレて声かけないでくれない? と冷たくあしらわれてしまった。

「だいたい、スクールってやつは、アルファとオメガに分かれているだろう? そもそもベータの受け入れなんてしていないじゃないか」

 ベータが突然変異でしか生まれなくなってから、教育制度も大きく変わった。
 基本、アルファとオメガは別々の学校で学ぶことになっていて、全員共学になるのは専門課程のカレッジに入ってからだった。
 だからセイジュもカレッジ入学を目指して、義務教育課程のテストを受けていた。
 そっちはゆるくやっているので、後しばらくはゆっくりしようと思っていたところだった。

「一校だけあるのよ。地球国首都のブルートーキョー、そこにある国立養成高校という名前の、……まぁ、とにかく富裕層でないとなかなか入れない学校があってね、そこはバース性は関係なく、誰でも入学できるんですって。ここを卒業したら、他の星にも自由に行けるし、カレッジだって選びたい放題で無償で行けるのよ」

「そう言ったって……、ミラ。うちにお金なんてないだろう。稼いだ金は、このオンボロキャンピングカーを動かすエネルギー代で消えて、毎月カツカツなのに……何が富裕層だよ」

「それが驚かないで、先月買った宇宙くじが大当たりしたのよ! 一等賞金一億アース」

「………は?」

「ちょうど、紹介なしでの入学金は、一億アースだったの! こんな偶然ある? さっき言ったじゃない、もう入金済みだって。喜んで入金しちゃった!」

「え……それ……冗談、だよな?」

 いつも夢見がちで。歳を取っても少女みたいなところがあるミラだが、まさかそんなバカなことをしないだろうと俺は信じられなかった。

 だって一億アースといえば、一般人が一生働いても稼げないくらいの大金だ。
 それを一括でぽんと支払うなんて……

「本当のことだよ。ミラも私も、セイジュには色々経験をしてもらいたいんだ。この暮らしも楽しいけど、もっと他の世界にも目を向けるべきだって、二人で話し合った。セイジュの人生はこれからうんと長いんだから」

 アリッサがポンと肩を叩いてきて、これは本当の話なんだと理解して、俺は震えてしまった。

「なっ、何やってんだよ! 今からでもキャンセルできないのか? 俺はベータだよ。そんな価値ないって!」

「あるわよ。私達にとっては何にも変えられないくらい大事よ。ベータとかは関係ないわ。曇りのない目であなたを見てくれる人がきっと見つかる。私とアリッサも学校で出会ったのよ。当時はみんな共学だったから。セイくんにも、素敵な出会いや友達との思い出を作って欲しいの」

「ミラ……アリッサ……」

 何をするにもベータだからという気持ちが前に出てしまい、失敗すればベータのせいだと思って諦めてばかりいた。
 そんな自分に嫌気がさしていたのは確かだった。

「もし、嫌なことがあったら、すぐに連絡して。地球の反対側にいても、ワープして駆けつけるから」

 三人で抱き合って、ちょっと涙を流した。
 素敵な出会いが本当にあるのか分からないが、両親が作ってくれた機会に、俺は飛び込んでみることにした。

 両親は優しい。
 それでも分かっていた。
 世の中は厳しいということは……。

 可愛いなと思った女の子には、ベータとか絶対嫌だと言われて逃げられてしまった。
 それに似たことは何度もある。
 アルファの人はそもそも恐くて、アリッサ以外まともに話したこともないけど、おそらくバカにされて虐められそうな予感しかない。

 俺は覚悟を決めた。
 どんな酷い目にあっても必ず卒業すると。

 車の中でほぼ引きこもってばかりの生活だったが、両親のおかげで外へ出ていくきっかけをもらえた。
 友人はできなくても、勉強を頑張って両親の期待に応えたい。



 それから生活してきたキャンピングカーを降りて、ブルートーキョーに向かうワープ施設に向かった。
 リング上の巨大な装置に入ることで、空間を自由に移動できる。
 移動する度に時間の流れがどうとか、そういう話は俺には理解不能だが、今から百年ほど前に、やはりアルファの研究者達が完成させた。
 他の星から採掘したナントカっていう鉱石のチカラが働いているらしいが、平凡な頭の俺にはサッパリ分からない。

 移動は大都市間で、同じ装置が置かれている所が限定なので、誰もが好きな所に行けるわけではない。
 もちろん、ワープのチケットは高額で庶民の俺は手に入れたことすらないが、なんと国立学校の生徒は無料で好きなだけ使えるという特権がもらえた。
 そのおかげで難なくワープを利用してブルートーキョーに降り立った俺は、早速国立学校へ向かった。
 学校は七歳から初等部、十三歳から中等部と決まっている。
 高等部にあたる高校は、地球にいるほぼ全てのオメガとアルファが通っていた。
 高校は十八歳までで、その後希望者はカレッジへ進む。
 カレッジへ進むには俺のようにホームスクーリングでも可能だが、かなり狭き門だ。
 選ぶとしてもまともな選択肢がないので、今回の話はかなりありがたいものだった。

 スクールは一学期から三学期まであって、すでに一年の入学式が行われていた。
 俺は辞退者枠から選ばれた、というか買い取った途中入学者だ。
 いわゆる転校生みたいな感じで、すでにできているクラスの輪に入っていくことになる。
 学校自体初めてなのに、勉強に付いていけるのか、輪に馴染めるのか、かなりハードルの高い状況だった。

 ブルートーキョーの中心地に国立学校は建っていた。古き良きレンガを使用したレトロな建物を再現して造られたらしい。
 ガラス張りの高層ビルが一般的な今の世界では、かなり珍しい造りの建物だった。

 校門でモニターの許可証を表示させたら、中に入ることができた。
 ちなみに不法侵入は、高電圧銃で撃たれて即死だと聞いたので、まさかここへ来て拒否されないかなと心配でならなかった。

「ようこそ、国立養成学校へ。セイジュ・アガサ、学籍番号は281、Cクラスです」

 誰一人歩いていない校内を進んでいると、案内型のアンドロイドが現れた。
 人間の形を模しているが、顔は真っ白なので遠目でも分かりやすかった。
 俺はアンドロイドの後ろに付いて歩き出した。

「現在朝のホームルーム中のため、生徒はクラスに入っております。クラスは三学年とも特A、B、Cクラスに別れていて、家柄や家族の資産形成、学校への寄付金、貢献度などから総合的に判断されて分けられます」

「ええと……、この学校はバース性は関係なく入学できるんですよね。クラスもそんな感じですか?」

「入学審査にバース性は関係ありませんが、クラス分けには影響しています。特別クラスはほとんどがアルファ、Bクラスは半々、Cクラスはほぼオメガとなっています」

 そう説明されたらなるほどと思ってしまった。
 社会の特権階級であるアルファ達は上位クラス、オメガはその下という位置付けになっていた。
 ポンと入学金は出したが、その後の寄付などは期待できない平凡な家柄の俺は、間違いなくCクラスだなと頷いてしまうほどだった。

 しかしその方がありがたい。
 周りがオメガだけなら、学習面の能力では近いものがあるので、一人置いて行かれるとか厳しい状況にはならないだろうとホッとした。

 一年クラスの廊下を進んでいると、別のアンドロイドがやって来て、俺の案内をしているアンドロイドを止めた。

「データを転送しています」

「受け取りました。了解です。セイジュ・アガサの所属クラスを変更します」

「えっ!?」

 オメガの生徒達相手に、どう自己紹介しようかと頭でぐるぐる考えていたのに、急に変更だと言われて驚いてしまった。

「セイジュの母親、アリッサ氏はレッド財閥の出身です。レッド財閥からは本校の経営にも多額の寄付金をいただいています。血縁者がCクラスに入る許可が出ませんでした。調査が遅れてしまい申し訳ございません。特Aクラスに変更となります」

 ポカンと口を開けたまま塞がらなくなってしまった。
 確かにアリッサは良い所のお嬢様だったとミラから聞いていたが、そんな大財閥の令嬢だったなんて聞いていなかった。

 確かお互い好きになったけど反対されて、二人で家出をしたと聞いていた。
 両親は家族一緒にいられれば、住むところはどこでもいいと言うのが口癖だった。

 こんなところで母親の出生を知ってしまったのは驚きだが、クラスを聞いて間違いじゃないのかとアンドロイドを二度見してしまった。

「あ、あの……その財閥、とかはよく分からなくて……全く関わりはないですし……別にCでもいい、というかCの方が気持ち的に楽で……」

「特Aクラスへご案内します、セイジュ様」

 今まで呼び捨てだったのに、急に様を付け出したので、顔が引き攣ってしまった。
 しかも反論は一切無視されて、さっさと歩いていくので、嫌だなとため息をついた俺は一気に気分が重くなってしまった。

 どう考えても酷い扱いを受けるに決まっている。
 平凡で地味な男なんて、アルファからしたら、道に転がっている石ころのように使えない存在だ。
 その辺の川にでも投げられてしまうかもしれない。
 クラスのドアを開ける前から俺は震えていた。

 最悪な学校生活を想像して倒れそうだった。

 しかし

 現実は………

 全く違うものだった。







「セイジュ!」
「セイくん」
「セイー」

 一斉に色んなあだ名で呼ばれてしまい、どこを見て誰に返事をすればいいのか分からなかった。
 戸惑っているうちに、痺れを切らした一人が俺の腕を掴むと、反対側からもう一人、後ろからもう一人が背中を掴んできた。

「ちょっと! セイくんは今日私とお昼を食べるの!」
「いや、俺だよ。なぁ、セイジュ」
「セイ、今日は僕と食べようよー」

 逃れようと視線を運んだ先でも、待ち構えるように声をかけて欲しいという顔でニコニコしながら立っている連中が見えて、俺は絶望的な気持ちになった。

「あのさ、今日は一人で食べたいな……なんて」

 俺が眉間に皺を寄せてそう言うと、一斉にみんな泣き顔になってヤダヤダと騒ぎ出した。
 本当にコイツらアルファなのかと、詐欺にでもあっている気分でしかない。

「ほら、セイジュが困っているだろう。みんな自分の席に戻って」

 パンパンと手を叩く音が聞こえて、天の助けが来たと俺は顔を上げた。
 オレンジの髪に水色の瞳という派手な顔立ちで背が高い男は、クラス長をしているラリックだ。
 この学校に入学して一ヶ月、彼のおかげでこのおかしな世界にどうにか慣れることができた。

 ラリックは効果的な抑制剤を開発して、今では誰もが知る大企業となった製薬会社のご子息で、このクラスの中でも頭一つ抜き出た影響力がある。
 そのため、ラリックの言うことにはみんな素直に従っている。
 階級社会というとは謎に包まれていたが、ようは親の権力が子供にも影響していて、非常に分かりやすかった。

 ラリックが派手な男なら、俺は正反対に地味な男だ。
 今では珍しくなった黒髪に黒目、かつてのアジア系を祖先に持つとされているが、世界的にあまり好まれない容姿だからか、圧倒的に数が減ってしまった。
 背はそれほど高くないし、ガリガリで筋肉と呼べるものもない。
 顔は母親達に似て優しい顔立ちと呼ばれるが、ベータの地味さが前面に出ていてる。
 ラリックと並ぶとひどく劣っている気がして小さくなってしまった。

 しかしこのクラス、見渡せば見渡すほど、男も女も全員彫刻のように整った美形ばかりで、目がおかしくなってしまう。
 ミラやアリッサも綺麗だったが、そんなものではない。
 完璧に作られた人形みたいな人達が、徹底的に手入れされた顔で微笑んでいるので、初めてクラスに入った時は恐怖で固まってしまった。

「一ヶ月経ってもなかなか慣れないよな。ごめんな、騒がしくて」

「いや、まぁ……少しは慣れたよ」

 そう言っている俺の横で、ラリックはピルケースから薬を取り出してパクっと口に入れた。
 次にポケットから小さなスプレーを取り出して、シュシュっと音を立てながら全身に振りかけた。

 見るとクラスの連中もみんな同じことをしている。この光景にもやっと慣れた所だった。

「ああ、悪いね、話の最中に。ちょうど時間なんだ」

「う、うん。別に……いいよ。大変だね」

 みんな何をしているのか。
 初めてこの光景を見た時は唖然としてしまった。
 どちらかというと田舎の町をずっと回っていたので、都会にはほとんど行かなかったし、アルファの現状なんて考えたこともなかった。

 今、都会に住むアルファの間では、いかに自分のフェロモンを消すか、それが重要な習慣になっているらしい。
 彼らの鼻は驚くほど敏感で、少しのフェロモンでも感じ取ってしまう。
 進化した都会的なアルファ達は、フェロモンによって発情することを野蛮だと思うようになり、日常生活においてはできれば避けたいと思うようになった。
 それが匂いを嫌うという意識に結びついて、匂いが薄い人が持て囃されるようになった。

 そこに現れたのが俺、体臭はどうか知らないが、フェロモン的には無臭の人間で、俺が教室に入ってすぐに、誰もが察知してザワついた。
 そしてこの平凡、地味な顔立ちは、整った濃い顔のアルファ達の集まりからしたら、新鮮に思えたらしい……。
 オメガは甘い顔立ちで、男も女も守ってあげたくなるくらい可愛らしい。
 そういう面では、確かに物珍しい気持ちになるのも分からないではない。

 初日から机の周りにアルファが殺到して、友達になろう、握手をしてほしいと言われ続けて、頭がおかしくなった。

 だってバカにされて、虐められるだろうと本気で身構えていたのに、蓋を開けたらまるでアイドルのようにみんなうっとりした目で見つめてくるのだ。
 ラリックに聞いたところ、匂いがしない人間というのは、一緒にいると心が安らぐ、癒されるのだそうだ。

 ラリックがみんなをまとめてくれなかったら、毎日揉みくちゃにされて、制服がボロボロになりそうな勢いだった。
 歓迎されたり人として好かれるのは願ってもないことなのだが、いくらなんでも重すぎる歓迎に戸惑ってしまった。

「そういえば、今朝、俺の部屋の前に荷物が置かれていたけど、誰か新入生が来るのかな?」

「ああ、寮長から聞いてなかったのか? リザベルト・ホワイトムーン。新入生というか入学後、しばらく仕事の都合で月の研究所に行っていたんだ」

「ホワイトムーン? ホワイトムーンって言ったら、あの月の人類移住化計画を成功させた、あの……歴史の教科書にも載ってる……一族の人!?」

「あーそうそう。ちょっと気難しくてさ、あんまり騒がれるの好きじゃないから、その顔はやめてやって」

 言われてものすごい目を丸くして口を開けていることに気がついた。
 宇宙への一歩を飾った一族の末裔だ。
 確かにみんなに知られているし、どこへ行っても驚かれるだろう。
 俺も目立つのは嫌いなので、同じような性格であれば、嫌だと感じても不思議ではない。

「分かった。気をつけるよ」

「でもまぁ、二人は仲良くなれそうな気がする」

「え?」

「仲良くするのもほどほどにな」

 ラリックがよく分からない笑顔で俺の肩をポンッと叩いてきた。
 アルファ社会のジョークみたいなものなのかもしれない。
 とりあえず、また分かったと繰り返して頭をかいた。






 授業が終わって寮に戻ると、自分の部屋の前に置かれていた荷物が消えていた。
 最上階の一番奥、眺めのいい部屋を一人で優雅に使っていたが、その平和も終わってしまった。
 同室の人物は、歴史上偉業を成し遂げた有名な一族の末裔らしい。
 そこら辺の成金とは世界が違う。
 政府から偉業感謝金が未来永劫支払われるという、どう転んでも金持ちにしかならない一族の人だ。

 性格は短気で気難しいと聞いた。
 一族の話や、歴史の話、特に名前について触れられるのを蛇蝎のように嫌うらしい。
 禁句だからとラリックから何度も注意された。
 冷酷で冷徹、同じアルファからも恐れられていると聞いて、いや、部屋割りおかしいだろうと頭の中で嘆いた。

 ふぅーと息を吸い込んでから吐いて、俺はドアをノックした。
 しかし少し待ったが何の返答もない。
 出かけているんだろう。

 そう思ってゆっくりドアを開けた。


 オレンジ色の日差しが部屋の中に伸びていた。
 少し開いた窓から風が入ってきてカーテンを揺らしていた。
 柑橘系の爽やかな匂いがして、同室の方が運んできた匂いだろうと思った。

 今まで空だったベッドの方を見ると、しっかり布団が置かれていた。
 机の上には教科書が置かれて、その他の荷物もきっちり整理されている。
 こだわりがありそうなタイプだなと思った。
 他に置かれている物は、単調な色合いで統一されていて、シンプルを好む人だと思った。
 女の子なら、うちのミラやアリッサのように、フルーツ柄のクッションとかぬいぐるみとか、淡い色でフリフリのレースなんかを好むのかと思っていた。

 そこまで考えて俺は首を傾げた。

「リザベルト……って、女の子だよな……」

 可愛らしい名前から、てっきり女の子だと思い込んでいたが、どう考えてもいくらベータだからって、男の俺と同室というのはマズいんじゃないかと思い始めた。
 俺だって思春期のオトコノコだ。
 立派に性欲もあるので、ムラムラする日もある。
 そんな時に可愛い女の子が、部屋の反対とはいえ近くに寝ていたら……

 そこまで考えて、俺は頭をブンブン振った。
 いくらなんでもそんな野獣のようなことをするわけがない。
 しかも気難しいアルファの女王様みたいな人らしいので、目立たないように大人しくしなければいけない。
 同居人がいて、ムラムラした時はどうしたらいいのだろうか。
 とりあえず寝て考えようと自分のベッドの方に頭の向きを変えた。

 その時、視線を移した俺は、状況が理解できなくて固まった。


「え………」

 俺の寝床に熊のようなデカい男が寝ている。
 制服姿でうつ伏せで寝ているので顔は分からないが、同じ学校の生徒だろう。
 それにしても長身で、寝ている状態なのに身体中パンパンに張った筋肉で制服が破れそうだ。
 立ち上がったらきっと、生徒というより軍人にしか見えないだろう。

 なぜこんな筋骨隆々の大男が俺のベッドに寝ているのか。しかも枕に顔を埋めて寝ているので、勘弁してくれと青くなった。

 一度外へ出て確認したが、間違いなく自分の部屋で、置かれている物も、脱ぎ散らかした服も朝のままだった。

 違うのはこの大男だけ。

「あ……あの……」

 声をかけたが無反応、熟睡しているようだ。
 背中が動いているので、呼吸は問題なさそうだ。
 泥酔している時のミラみたいな熟睡っぷりに、酔っているんじゃないかと疑い始めた。

「ちょっと、あの、ここは俺のベッドだから。起きて欲しいんだけど?」

 自分のベッドなのに、このままコイツが目が覚めるのを待つなんてバカバカしい。
 だいたい、リザベルトが戻ってきた時に、こんな大男が寝ていたら驚いてしまうだろう。
 俺は勇気を出して、男の背中に手を乗せて、軽く揺さぶった。

「起きてよ、頼むから……」

「ん…………」

 のっそり、という言葉がぴったり当てはまる。
 男が目を瞑ったまま、起き上がった。

 よく見ると男は銀髪で、ほくろひとつない綺麗な肌をしていた。
 恐ろしいくらい整った顔立ちで、神秘的な美しさがあった。
 この体格にこの圧倒的な存在感、間違いなくアルファだなと思った。
 クンクンと鼻を鳴らした男が目を開くと、そこには真っ青な曇りのない空のような、透き通った青い瞳が浮かんでいた。

「ええと……君さ、部屋を間違えていないか?」

「いや、間違えていない」

「へ? だって……」

 厳つい外見とは違い、男の目は恐ろしいくらいに澄んでいた。
 ついついその中を覗き込みたい衝動に駆られてしまい、俺はブンブンと頭を振った。

「間違えているよ。ここは俺の部屋でそれは俺のベッド。向こうのベッドは同室のリザベルトのものだ。君は何階か知らないけど……」

「俺がリザベルトだ」

「そう、君が……………、えっ……えええっっ!?」

 腕を組んだ俺は、寝ぼけたこの大男に現実を教えてやる気満々だった。
 それが根本から覆されて、間の抜けた変な声で叫んでしまった。

「えっ、えっ、本当にリザベルト?」

「そうだ」

「え? 女の子じゃなかったの?」

「男だ」

「確かに……男に見えるけど……」

 今まで想像していたリザベルトと違いすぎて、目を瞬かせた俺は、急いでモニターを出して学校の生徒リストと目の前の男を照合させた。
 画面には、リザベルト・ホワイトムーンと名前が出てきたので大きく口を開けてまた、えっと驚いてしまった。

「うわっ、本当だ……って、ごめんっ! 変な意味じゃ……失礼だよね」

「気にするな。よく間違えられる。それより、お前がセイジュ・アガサか?」

「そ……そうだ。挨拶が遅れてごめん。俺はセイジュ・アガサ、入学が遅れてしまったんだけど、同じ一年だよね? よろしく」

「リザベルトだ。よろしく」

 とりあえず、ニコッと笑って手を差し出すと、リザベルトも自然に手を出してぎゅっと握ってくれた。
 なんだ気難しいとか聞いていたけど、良い人そうじゃんと思っていたら何か忘れているような気がした。

「あっ!」

「なんだ?」

「なんだ……って、君さ、そこ俺のベッドなんだけど」

「知ってる」

「へ? じゃっ、じゃあなんで勝手に寝ているんだよ」

 どう見たっておかしい状況だ。
 こいつがリザベルトなら、すぐそこに自分のベッドがあるはずなのだ。
 勝手に使うなんて信じられないと、俺は忘れていた怒りを取り戻した。
 しかし、握手したまま手を離してくれなくて、仕方なく強い視線を送ってみた。

「すまない」

「あ……謝られても、早くそこから……」

「好きだ。付き合ってくれ」

「…………は?」

 今俺は何か幻聴が聞こえたらしい。
 人間の言葉なのかすら疑ってしまった。

「匂い惚れした」

「え? 何だって?」

「匂いに惚れたんだ。俺は匂いからその人物の性格や趣味趣向、普段何を考えているかまで全て読み取ってしまう。わずかな匂いから遺伝子レベルの情報量を嫌でも感じ取るんだ。他者のフェロモンは頭痛がするレベルに強烈だ。だから、この部屋に入った時、俺は生まれ変わったような気持ちになった。こんなに安らぐ匂いを嗅いだのは初めてなんだ。匂いからベータであることはすぐに分かった。セイジュの全てが俺の好みでどんどん好きになった」

「そ……それは、なんと言うか、すごいね……。というか、俺と長い時を過ごしたみたいな話をしているけど、初対面だよね?」

 リザベルトは何か考えるように右斜め上を見た後、ゆっくり俺に視線を移した。
 そして噛み締めるように頷いてきたが、相変わらず、握手からそのまま手を離してくれなかった。

「そうだ。だから、付き合ってください」

「いや、普通に無理だよ。だから初対面だろ」

「初対面……ではあるが、匂い面は果たした」

「なんだよ、匂い面って」

 リザベルトはいかにもアルファという濃い顔立ちだが、眉を寄せたり目尻を下げたりと、先ほどからよく表情が変わる男だった。

 俺が断ると今度は悲しそうな顔に変わったので、顔うるさいなとツッコミそうになってしまった。

「……だめか」

「当たり前だろう。だいたい俺フェロモンなんか出てないじゃないか」

「フェロモンがないからいいんだ。俺はお前の体臭に惚れた」

「もっと嫌だよっ、やめてくれ」

 背中にゾワっとしたものが走って、俺は慌てて手を振り払った。
 もう自分のベッドとかどうでもいいから、身の危険を感じて後ろに下がることにした。

「わ、悪いけど、俺、女の子が好きなんだ。そっちに目覚めるつもりはない」

 本音を言うと女の子と恋愛もしたことがなかったが、これくらいキッパリ宣言しないと分からなそうな相手だと察知した。

 案の定というか、リザベルトはムッとした顔で納得できなそうに息を吐いた。

「分かった。じゃあ、同室なんだし、友人として仲良くして欲しい」

 正直こんな変態臭のする大男と二人きりなんてごめんだと思ったが、今から部屋替えは申請が通らないからとラリックが言っていたのを思い出した。

 冷静な判断ができないのだが、相手は偉人の末裔様だ。学校に文句を言ったとしても相手にされないだろうし、これからの学校生活が気まずくなると判断した。

「友人……なら、いいけど。とりあえず、ベッドは返してくれ」

 そう言うと眉を八の字に曲げたリザベルトは、名残惜しそうにベッドから立ち上がって離れた。

「クッションもだ」

「ううっ……これだけは……」

「アホっ! 返せっ」

 クッションを持って行こうとするリザベルトに、怒りを通り越して呆れてしまった。

 こんな男と仲良くなんてなれるはずがない。
 そう思った最悪の出会いだった。






「セイジュ」

「ん?」

「授業のレポート、まとめてデータを送った」

「え? マジ!!」

 授業終了のベルが鳴り、帰りの支度をしていたらリザベルトに肩を叩かれた。
 すぐにモニターを表示させて、ボックス内をチェックしたら、言われていた通りのレポートが入っていて飛び上がって喜びそうになった。

「助かるよー。宇宙学のアーロンって、めちゃくちゃ厳しいからさ。やっぱり持つべきものは優しい友人だな。ありがとう」

 そう言って笑いかけると、リザベルトは頬を染めて照れた顔で頭をかいた。
 その反応にやや引いてしまうが、背に腹はかえられない。
 アルファばかりのこの学校で、自宅学習しかしてこなかった俺は早速教師に目をつけられた。
 難しい問題ばかり当てられて、できないとレポートを課せられて泣きたい日々を送っていたのだ。

 今までラリックのおかげで何とか形にしていたが、それでも睡眠や食事を削ってやらなければ間に合わなかった。
 しかしリザベルトのおかげで全ての問題が解決しつつあった。

 レポートを分かりやすくまとめてくれるので、もう感謝しかない。
 これで俺のゆったりした食事と安眠は確保された。

 始めは変態の大男なんて最悪だと思っていたのに、友人としてのリザベルトは最高に頼りになるやつだった。
 レポートをやらせるなんてどうかと思うが、リザベルトから俺がまとめるからと言ってきてくれた。

 親切の裏で何かありそうだとは思ったが、アルファの優秀さは確かなものなので、ありがたくお願いすることにした。

 それにもう一つありがたいことがあった。
 アルファ界のサラブレッド、軍神か帝王の血を引いているようなこの男のことを、みんな恐れているのだ。
 彼らに言わせるとフェロモンのせいらしいのだが、ひとたび廊下を歩くだけで、人々が怯えた顔になってサッと避けていくし、リザベルトといるだけで誰も近寄ってこないのだ。
 これは揉みくちゃにされて困っていた、俺の学生生活の一筋の光となった。

 好意を利用することに些か罪悪感はあるが、リザベルトが来てくれたことで、今までにないくらい穏やかに勉学に集中できていた。


「やぁ、ランチは食堂? 俺も一緒にいいかな?」

 リザベルトを用心棒のように従えて廊下を歩いていたら、声をかけられた。
 振り向くとラリックが片手を上げて立っていた。

 こんな風にリザベルトと歩いていて、声をかけてくるのはラリックくらいだ。
 よく聞くとラリックとリザベルトは幼馴染というやつらしい。
 お互いのフェロモンにも慣れているのか、二人は普通に仲のいい友人同士という感じだった。

「もちろん。一緒に食べよう」

 俺が明るく返事をすると、ラリックは自然に俺の横に付いて歩き出したが、今まで後ろにいたくせに、ぐいぐいとリザベルトが前に出てきて、真ん中の位置に着いた。

 仲間はずれにされたのかと思ったのかもしれない。仏頂面は相変わらずだが、少し焦った様子に見えて、それが可愛いなと思ってしまった。

「セイジュ? どうしたの?」

「あ、いっ……いや、なんでもない。ちょっと疲れたなって」

「ああ、アーロンのこと? 本当に性格悪いよな。毎回しつこく当ててきてさ」

「まぁ、しょうがないよ。みんな優秀だからさ、俺がちゃんとしないとクラスの評価落ちることなるし」

「そんなことを言って……セイジュは誰よりも頑張り屋さんだよ。適当にやってるヤツなんかより、しっかり解けてるし、点数もいいじゃないか」

「そう言ってくれると助かる」

 ラリックと話している間も、真ん中にいるくせにリザベルトは会話に入ってこなかった。
 そもそもリザベルトはあまり喋るタイプではなく、教室では寡黙な方だった。

 何を頑張って真ん中にいるのかよく分からないが、一人だけ無言なのが気になって声をかけることにした。

「リザベルト」

「ん? なんだ?」

「昨日、寝言がうるさかったよ」

「ううっ……悪い、熟睡して記憶が……」

「何の夢見ているのか知らないけど、セイジュそこはダメって、どこのことなんだ?」

 完全に破顔したリザベルトは、真っ赤になってアワアワと口を動かしていた。

「お前ーー、変な夢見ていたら、怒るからな」

「わ……分かっている。そんなんじゃない。確か、二人で掃除をしている夢だった。掃いている場所が違ったから注意したというくだりだった」

「ふーーーん」

 初対面で俺に告白してきたリザベルトは、友人だと言ったのに、諦めきれない態度を滲ませながら俺のことを見てくる。
 俺も俺で利用させてもらっているのだが、ちょっと突いてみると動揺するリザベルトが面白くてついついイジワルをしてしまう。

 そんな俺とリザベルトの様子を見て、ラリックはぷっと噴き出して笑った。

「ごめんごめん、やっぱり二人は仲良くなる気がしてたけど、当たったなって……」

「仲良くって……別に普通だよ」

「いやいやいや、セイジュは前のリザベルトを知らないんだよ。ずっと手負いの獣みたいでさ。怒りのフェロモン撒き散らして、誰も近寄れないし、俺だって声かけるの躊躇うくらい激こわって感じだったんだよ」

 いつの間にか反対側に回って、ラリックは俺に小声で話しかけてきた。
 端になったリザベルトはムッとした顔をしていたが、会話に入れないので口を尖らせて下を向いた。

「多分だけど、不眠症で寝不足だったからじゃないかなって」

「不眠症? 寝不足? アイツはいつも夜はぐーぐーよく寝ているよ」

「それだよ。俺達はフェロモンの匂いを嗅ぐだけで、頭の中が勝手に動き出して、分析を始めてしまう。特に、アルファ性が濃いリザベルトは桁違いに影響を受けるんだ」

 匂いから情報がどうとか、リザベルトがそんな話をしていたのを思い出した。
 確かに寝ている時にそれだけ頭が働いていたら、とても眠ることなんてできなそうだと思ってしまった。

「何はともあれ、セイジュが来てくれてよかったよ」

 ラリックはそう言って人の良さそうな顔で笑った。
 リザベルトは初見の時からすでに爆睡していたので、不眠症なんて言葉は今まで思いつきもしなかった。
 とりあえず、今は問題なく寝ているみたいだし、気にすることはないだろうと思った。

「セイジュ、教師達だが、あまり厳しくしてくるようなら、俺から言ってやる」

 今まで黙っていたのに、リザベルトから突然話しかけてきたのがそれだったので、セイジュは力が抜けそうになった。

「いいって、大丈夫だって言ってるだろ。波風立てたくないんだ。先生達はずっと関わることになるし、卒業までちゃんとしないとさ、せっかく両親が入れてくれたんだから」

 目をつけられるのは仕方がない。
 リザベルトも助けてくれるし、我慢して頑張るしかないと思っていた。
 変に目立つのも嫌だし、嫌味や課題くらいなら何とかなる。
 ここは穏便に過ごしたいと思っていた。

 学食へ到着すると、すでにテーブルはかなり埋まっていて、空いているところを探す必要があった。

「セイジュ、リザベルトと回ってくるから、そこで待っていて」

 多額の入学金を支払っているので、学内の施設は全て無料で使用できる。食事も何を食べようと全部タダだ。
 それはありがたいのだが、やはり昼食時はみんなが集中するので混み合ってしまう。
 毎日座席を確保するのがやっとだった。
 ラリックは空いた席を見つけるのが早いので、おそらくリザベルトは俺の分のランチプレートまで全部用意してくれるだろう。

 二人に比べたら背の小さい俺は、席取りや注文の競争に負けてしまう。こんな時全然役に立たないので、せめて甘い物でも調達しようと、デザートコーナーへ向かおうとした。

 その時、周りの空気が変わって、周囲から小さな歓声のようなものが湧き上がった。

「見て、エンジェルズだよ」
「二人が一緒なんて、眼福」
「可愛すぎー! こっち見てくれないかな」

 その呼び名を聞いた俺は、ごくりと唾を呑んだ。
 食堂の入り口から軽やかな足取りで歩いてきたのは、男がハニーで女がベリーという名前の、一年Bクラスに所属する男女双子のオメガだ。

 俺はリザベルトが匂い惚れしたなんて言ってきたのを、ありえないと跳ね返したが、本当は何とも言えない苦い気持ちだった。

 この学校に入学した日、俺は廊下ですれ違ったベリーちゃんに一目惚れをしたのだ。
 双子は二人ともよく似ていて、色白で金髪のお人形みたいな顔をしていた。
 ベリーちゃんは、ハニーよりも甘い顔をしていて、ふわふわの波打つロングヘアーをしていた。

 すれ違った時に、ふわりと微笑んだ顔が心臓を突き刺されたような衝撃だった。
 ドキドキしてその場から動けなくなったほどだった。

 入学早々、恋をしてしまったかもしれない。

 授業中も胸が苦しくて切なくて、ベリーちゃんの笑顔を思い浮かべると、また会いたくてたまらなくなった。

 放課後、廊下を歩いていると目の前をあのベリーちゃんが歩いていて、なんとポケットからハンカチを落としたのだ。

 これはお近づきになる千載一遇の大チャンス!

 震える手でハンカチを拾った俺は、ベリーちゃんに声をかけた。
 俺の声に反応して振り向いたベリーちゃんは、友達と話していたので最初は笑顔だったが、俺のことを見るなり顔を歪めた。

「……あの、これを……」

 ベリーちゃんは俺のことを知っていたのか分からない。
 ただ少し話せたらなと期待を持って、ハンカチを差し出した。

 しかし俺からハンカチを引ったくったベリーちゃんは、強肩をしているのか物凄い豪速球でハンカチを近くのゴミ箱に投げ捨てた。

 フン! っと鼻息荒く俺を睨んだ後、ベリーちゃんはドスドスと足音を立てて行ってしまった。

 俺の初恋があっという間に散ってしまった瞬間だった。




 ということで、あの双子、特にベリーちゃんに近づいたら、また嫌な顔をされたら困る。

 俺は後退りをしてから背を向けた。
 なるべく二人から距離を取ろうと奥の方へ行くことにした。

 すると誰だか分からないが、ドンっと肩をぶつけられて転びそうになった。
 思わず近くの机に掴まって堪えたが、何が起きたのか分からなかった。

 クスクスという笑い声が周りから聞こえてきて、そこがC組の生徒の溜まり場だということに気がついた。

 やはりそうだったと、俺はやっと気がついた。

 アルファの生徒達には予想外に歓迎されたが、それが余計にオメガの生徒達からの反感を買っているようだ。
 みんなのアイドルである、ベリーちゃんに声をかけたのも、その一つに入っているかもしれないと思った。
 最近一人になると、足を引っ掛けられたり、背中を叩かれたりしたので、何か嫌な予感がしていたのだ。

 平穏な学生生活が送れると思ったのに、俺は頭痛がして大きくため息をついた。

「セイジュ? どうした?」

 動けなくなって座り込んでいたら、力強い足音が聞こえてきて、顔を上げるとリザベルトが立っていた。
 すぐに横に座り込んで、心配そうに俺の顔を覗き込んできた。

「……いや、なんでもない。ちょっと気分が悪くなって……」

 誰にやられたかも分からないし、もしかしたらただ当たっただけかもしれない。
 喧嘩とか揉め事とか大の苦手な俺は、騒ぎを大きくしたくなかった。
 リザベルトを巻き込んだら確実に事態は大きくなって、それでなくとも頼ってばかりのリザベルトにもっと迷惑をかけてしまう。
 いくら何でも、それは申し訳なかった。

 自分さえ我慢すれば……

 俺が無理やり作った笑顔を見て、リザベルトは俺の腕を掴んでそのまま抱き上げてしまった。

 周囲からキャーっと悲鳴のような声が上がった。

「リザベルト……なっ、何を……」

「黙っていろ。気分が悪いんだろう。保健室まで連れて行ってやる」

「え、うわっ、あっちょ……ちょっと」

 リザベルトは俺をお姫様抱っこの状態でズンズン歩き始めた。
 周囲から視線を浴びてしまい、恥ずかしすぎて俺は手で顔を覆った。

「リザベルト、いいって、大丈夫だよ」

「顔色が悪い。いつも見ているんだ。よく分かる」

「でも……」

「俺がこうしたいんだ。じっとしててくれ。セイジュの力になりたい」

 指の隙間から見えたリザベルトの瞳は、真剣でどこまでも澄んでいた。
 それを見たら、動いたわけでもないのに胸が高鳴っていくのを感じた。

 いいと言ったのに、リザベルトに保健室まで運ばれてしまった。
 全員に見られて恥ずかしいし、なんて事をするんだと動揺した。
 混乱が大きかったが、あの場から運んでもらえたので、それは感謝しなければと思った。

 保健医からは貧血だろうと言われて、とりあえずベッドに寝かされた。
 その後にリザベルトは昼食まで運んできてくれた。

 ありがとうと、それしかお礼が言えなかったが、リザベルトは何かあったら何でも言ってくれと言って俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でてきた。

 せっかくなら昼寝でもしてやろうと、次の時間は横になって過ごしたが、リザベルトの太い腕と力強さを思い出してしまい、結局眠れなかった。



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