眼鏡モブですが、ラスボス三兄弟に愛されています。

朝顔

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終章 モブのエンディング

⑩眼鏡モブはラスボスの一人と幸せなエンドを迎えました。

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 たくさんの書類が空に舞っていた。

 あぁいけない。
 なくしたら大変だ。
 そう思って俺は手を伸ばした。

 しかしバランスを崩して、次の瞬間には世界が反対になった。
 スローモーションでゆっくりと落ちていく俺。
 驚いて口を開けている人達が見えた。

 あの日、封筒に書類を入れていたが、それを落としてしまった。
 ちょうど風が吹いてきて落とした書類が全部飛んでいった。
 それは長い階段のてっぺんまで来たところだった。

 マズイと思った。
 このまま落ちたら死んでしまうかもと。

 俺がその時考えたことは………


 嫌だと思った。
 俺は姉達に振り回されてろくな恋愛もできなかった。
 誰かを好きになったり好きだと言ってもらえたり、そんな経験が一度もないまま終わってしまうのが悔しくて悲しかった。

 だから願った。
 死にたくない。
 だけどもし死んでしまうなら、次は絶対恋がしたい。

 誰かを愛し愛されて、大切にされたいし大切にしたい。
 愛に包まれるような人生が送りたい。
 俺なんかって思うような人生ではなく、俺でよかったと思える人生を……。

 できればまた人間がいいし、ちょっと馴染みのある世界がいいかな、なんて贅沢なことまで考えた気がする。

 書類が舞う中、真っ逆さまに落ちていく時、誰かの声が聞こえた気がした。


 その願いを叶えましょうと。



 カキン! カキン!

 鉄がぶつかり合うような硬質な音が響いた。

 ブラッドソードを構えた三兄弟の戦いは、まずノーベンがイグニスに斬りかかったところから始まった。

 三人の中でも一番スピードが速く、双剣を使って連続で技を繰り出すのが得意なのがノーベンだ。
 間髪入れない攻撃を受けてイグニスは防戦になった。
 剣を受けながら後ろに下がるとそこにディセルが放った鞭が襲いかかってきた。

 それをスレスレで避けて横に転がると、そこにまたノーベンの追撃が待ち構えていた。

 ディセルの鞭は正確に急所を狙った攻撃だ。
 ノーベンの攻撃で体勢を崩したイグニスの急所をピタリと狙って鞭を放ってくる。

 二人ともかなりの実力者であり、集中しなければ何をしているのか分からないくらい速い戦いだった。

 二人相手ではやはり分が悪い。
 イグニスはノーベンの攻撃で腕を斬られて、ディセルの鞭を腹部に受けた。
 かなりの痛みを伴うはずなのに、イグニスは苦痛に顔を歪めることなく、すぐに反撃に出た。

 ここは機敏に動けるノーベンを先に叩くのが妥当だと考えたのだろう。攻撃を避けた後の反動を利用しての反撃でノーベンの足を斬りつけた。

 苦悶の声を上げたノーベンは土の上に転がった。
 かなり深く斬ったのかノーベンはすぐに立ち上がれず、足からは修復のためなのか煙が上がっていた。

「弟よ、そこで大人しくしていろ」

 動けなくなったノーベンの代わりに今まで後方から援護していたディセルが前に出てきた。
 ディセルの鞭は触れると電気が走ったように、ビリビリとして激しい痛みに襲われると聞いたことがあった。

 すでに腹に何発か受けているイグニスの服は破れていて、裂け目からは肉がえぐれて血が滲んでいた。
 かなり痛そうで見ていられないが、そこも煙が上がったと思ったら、すぐに再生されて元に戻っていた。
 オーディンの力の凄さを改めて見せつけられた。

 勝負を決めようとしているのか、ディセルの狙いはイグニスの首に集中した。
 ディセルの鞭には刃が付いていて、上手く絡めて引けば切り落とすことができる。
 二人の戦いは一進一退の攻防でハラハラして見ていられなかった。

 戦いに注目しているのは俺と同じ後方で隠れて見ているアピスもそうだ。
 この行方によって運命が決まるのだと、手をグーにしてそこだそこだと声を上げていた。

 そろそろだと俺は密やかに動き出した。

 この場所にアピスを呼んだのは綿密な計画があってのことだ。
 誰もいない時間帯、この場所を選べば必ずアピスはディセルとノーベンを連れて来る。
 俺一人相手にするなら自分だけで大丈夫だと舐めてかかってくるだろうから、まずは会話でアピスを追い詰める。
 頃合いを見てイグニスを登場させる。
 イグニスが元に戻ったことを知ったアピスは、禁具のことがバレるのを恐れて必ずイグニスと俺を殺しにかかるだろう。
 そして三兄弟の戦いが始まる。

 ここまでは計画通りだ。

 イグニスが最初にノーベンの動きを止めることもそうだ。

 イグニスの強みは何と言ってもパワーだ。
 ノーベンより速さに欠けたとしても、剣を合わされば力技で押し返してしまう。
 そして何と言っても訓練と実戦経験。
 オーディンの力に頼りきっている二人と違い、イグニスは自らの力も高めるように厳しい訓練を重ねてきた。

 それは戦いが長引くほど顕著にあらわれる。
 的確に鞭を振るっていたディセルの狙いが外れてきた。
 イグニスが間合いを詰めるので、だんだんと防戦一方になる。
 そして追い詰められたらディセルはあることをすると予想していた。

 その予想通りにディセルは鞭に自らのオーディンの力を溜めて、地面に叩きつけた。
 四方八方に広がった力はイグニスの足に絡みついて動きを奪った。
 続いて素早く放たれた鞭は、イグニスのブラッドソードに巻きついた。
 激しい電撃にイグニスのブラッドソードからは煙が出て次の瞬間粉々に砕けてしまった。

 実力はイグニスの方が上、しかし天才的な才能でディセルは思いもよらない攻撃をしてくるだろうと読んでいた。

「やるな、ディセル……」

 しかしこれはピンチであり、チャンスでもある。

「いけ、そこだ! ディセル! イグニスにトドメを!」

 自分に被害が及ばないように、離れた場所から声を出しているアピス。
 ディセル優位の状況に歓喜して飛び上がっていた。

「喜ぶのは勝手だが、言っただろう、今日お前は敗北すると」

 アピスの動きがピタリと止まった。
 まさか反対側で見ているはずの俺が後ろにいるとは思わなかったようだ。

 戦いに集中している時を狙い、俺は密かに外から回り込んでアピスの背後に立った。

「なっ…何の真似だ! お前が俺に近づいても……」

「終わりだ、アピス」

 振り返ったアピスは突然のことに驚いている様子だった。動作が鈍くなった瞬間に、懐に飛び込んだ俺はアピスの首元に見えるネックレスのチェーンを掴んだ。

「おっ! お前! なぜ!? それは常人には触れられないはず……」

「ネックレスはこの世界の一般的な人間には触れられない。その例外はオーディンの力持ちだけじゃない! 全く力のない俺も例外なんだ!!」

 これは賭けでもあった。
 研究を進めていたファビアン先生から、力を持つ者と持たない者は魂の質が違うと聞かされた。だからきっと触れられるはず、俺達はそれに賭けた。

 力を込めて思い切り引っ張った。
 ブチリと音がしてチェーンは千切れて、赤い宝石がアピスの胸元から飛んだ。
 ネックレスは細身のチェーンで、俺の力でも切ることができた。

 空に向かって飛んだ赤い宝石は、太陽の光を浴びて悲鳴のような音を上げた後、粉々に砕け散った。

「そ…そんな、僕の……赤い宝石が……」

 アピスは片手を空に向かって伸ばして、悲痛な声を上げた。
 砕け散った宝石のかけらは、ぱらぱらとアピスの周りに落ちて消えていった。



 離れたところでガシャンと何かが落ちる音がした。
 イグニスと対峙しているディセル、その向こうでうずくまっていたノーベン、二人の武器が地面に落ちた音だった。
 二人とも手で頭を押さえていたが、次の瞬間顔を上げると、いつもの二人の生き生きとした目が見えた。
 生き生きとした、というかどちらかというと業火という言葉がよく似合う、激しい怒りに燃えている目だった。

 どうやら魅了の効果が切れて、好感度マイナスマックス効果が発動したようだ。
 先に効果が切れたイグニスによると、一度振り切るまで、呼吸をする度にアピスをどうやって殺そうかとしか考えられなくなるそうだ。

「……アピス、よくもやってくれましたね」

 落とした鞭を再び手に取り、ディセルはブンブン振り回しながらこちらに近づいてきた。

「一度殺すだけでは足りない…、絶え間なく痛みに絶叫し、自ら殺してくれと願うまで身体中痛めつけてから殺してあげましょう」

「ひっぃぃいい!! しっ…仕方がなかったんだ! 家の問題に巻き込まれて…僕の意思じゃない!」

「おいっ! ちょっと! 何で俺の後ろに!」

 ディセルのブチ切れた姿に恐れをなしたアピスは、言い訳をしながら俺の後ろに隠れてきた。
 なんて男だと、いよいよ俺の拳の出番かと思ったら、すでに後ろに回り込んでいたイグニスがアピスの首根っこを掴んで片手で持ち上げた。

「さあ、これで心置きなくお前を八つ裂きにできるな」

「ゔゔっ…くっ……す…け…」

「イグニス、どきなさい。アピスを殺すのは私です。よくも私のテラクッキーを投げつけてくれましたね。そうだ、オーブンに入れてクッキーと一緒にこんがり焼いてあげましょうか」

 ディセルは笑顔だが目が全然笑っていなくて、俺も恐ろしくて鳥肌が立ってしまった。

 すたすたと近寄ってきたディセルは、掴み上げられているアピスは無視して、急に目を潤ませたと思ったら俺に抱きついてきた。

「テラ、申し訳ございません。操られていたとはいえ、貴方にひどいことを……」

「ディセル……」

 責任感の強いディセルは、きっと一人で解決しようと動いたに違いない。
 そして早々にアピスの罠にかかってしまった。

「ああ…どうか私をボコボコに殴って剣で切り刻んでぐちゃぐちゃのびちゃびちゃに……」

「いや思考が過激に振り切ってるから……」

「テラ! 許してくれるのですか!!」

「……許すもなにも……、ディセルが戻ってくれたんだから……嬉しいに決まってるだろう」

「テラぁ………、貴方はやはり私の天使です」

 いつもシャキンとしている人が珍しく子供のように泣いていた。自分の意思を乗っ取られるというのはきっと想像以上に辛いものだったのだろう。
 ディセルの頭をぽんぽんと撫でていたら、禍々しいオーラが向こうから近づいてくるのが見えた。

「……やっと足が再生したけど、マジで痛すぎなんですけど。もう少し手加減してよイグニス兄さん」

「お前なぁ、二人相手にそんなことしてられるか。一応足にしてやっただろう。腹だと再生に半日はかかるからな」

 あーそれは確かに色々処理が大変だとノーベンは笑った。
 二人の会話が異次元過ぎて全く理解できない。

「テラ、ごめんね。僕役立たずで足引っ張っちゃった」

 近づいてきたノーベンはディセルの反対側から俺を抱きしめてきた。まるで大きな二人の子供を相手にしているお母さん状態だ。

「なに言ってんだよ。ノーベンが色々調べてくれたおかげで助かったんだよ。こっちこそ早く戻してあげられなくてごめんな」

「……いーよ。テラのほっぺにチューで許してあげる」

「調子に乗るなノーベン、おい、コレどうするんだ? 本当に殺していいのか?」

 いいのかと言いつつ、このまま本当に絞め絞め殺しそうな勢いのイグニスを俺は慌てて止めた。

「ちょっ、待って。言っておいただろう、もうすぐ……」

「おい、そいつは証拠なんだからまだ生かしておけ」

 観覧席の入り口からピシッした張りのある声が聞こえた。
 よく通る声で全員の視線を集めたのはルナリス殿下だった。
 後ろからはブランソンと、ファビアン先生、そして皇室の騎士団もぞろぞろと入ってきた。

「チッ、さっさと殺しておけばよかった」

 アピスを持ち上げていたイグニスがぱっと手を離したので、アピスは地面に落ちて転がった。苦悶の声を上げてむせながら呼吸をしていた。

「アピス・フローラル、禁具の所持と使用及び、皇室への反逆を企てた罪で連行させてもらう!」

「なっ…なぜ…僕が……ハァハァ…僕はなにも…して…いない」

「テラ、遅くなって悪かった。フローラル伯を尋問するのに時間がかかってな。他国の王族と内通していた証拠を突きつけたらようやく吐いた。色々と揃えてくれたお前のおかげだ」

「い…いえ、俺はほとんど…、ノーベンが途中まで調べてくれていたし、ファビアン先生やブランソンも手伝ってくれたから…」

 しっかりとした足取りで近づいてきたルナリス殿下は、目が合うとにっこりと微笑んでくれた。
 ノーベンが魅了される前にフローラル家について詳細に調べていた資料を、事前にルナリス殿下に渡していた。
 まだ幼くはあるが、皇子には貴族を裁く権利が与えられていて、その調査のために動くことが許されていた。

「フローラル伯は過去の禁書を盗んだ件も含めて調査されているが、屋敷内を調べたら禁書を書き写したものが多数発見された。それに加えて他国に我が国の情報を流す手紙、領地の利益を少なく報告して税を免れようとする証拠の書類。叩いたら埃が出過ぎて後調査が大変になりそうだ。領地没収、爵位返上に投獄、今後の人生はますます忙しくなりそうだな。アピス、お前もその計画に加担していたことは言い逃れできないぞ。覚悟しておけ」

「そっそんなひどい 僕はなにも……」

 アピスは最後の抵抗とばかりにぽろぽろと涙を流したが、ここで今さら騙されるような人間は誰一人としていない。
 むしろ火に油を注いだようで、三兄弟からの殺気で地面が揺れそうなくらいビリビリとした。

「くそっ…ふざけるなよ……。許さないぞ……この僕にこんなことを……」

 可哀想な演技は無駄だと分かったのか、今度は恨みのこもった目で振り返ってアピスは俺を睨んできた。

 その視線を遮って俺の前にイグニスとディセル、そしてノーベンが立ちはだかった。

「今度テラに手を出したら許さない。命はないと思え」

「そんなに苦しい思いがしたいなら、僕が作った毒をプレゼントしてあげるよ。気が狂いそうになるくらい痛みと絶望が絶え間なく襲ってくる……とっておきのやつを……」

 頭の先から爪先までブルブルと震えたアピスがくるりと回って逃げようとしたところを、ルナリス殿下の指示で騎士団達が急いで取り押さえた。

 アピスは叫んでバタバタと足を動かしてもがいていたが、腹に一発くらったら気を失ったらしく静かになり、ズルズルと引き摺られながら連れて行かれた。

「間違いなく学院は退学になるが、ペアであるから多少の罪が軽くなる可能性があるな。……まあ、とは言っても多少だから二度とお前達の前には現れないだろう」

「殿下……、ありがとうございます。何から何まで……」

「いや、私の方も功績を残せたから、これで兄達に一歩近くなることができた。確かにディセルが初めに紹介してきた通り、テラは優秀だ。疑って悪かった」

「うへぇ! 俺がですか!? ややめてください。中身スッカスカですから」

 変な期待を持たれて、ラギアゾフ家のように裏家業よろしくなんて言われたらたまったもんじゃない。

 そこでちょうど、そろそろお時間です、と部下に声をかけられて、ルナリア殿下は残念そうな顔でそうかと呟いた。
 スタスタと俺に近寄って来たルナリス殿下が手を差し出してきたので、俺は光栄ですと言ってその手を取った。

「ご苦労だったなテラ、あの約束は覚えておくから、学院でよく学んでこい。待ってるぞ」

「へ?」

 ニヤリと笑った殿下は、謎の言葉を残して騎士団と共に颯爽と消えてしまった。


 残された俺達は理解できないものを見てしまったので思考が停止したまま固まっていた。

「………テラ、君って変なのに好かれるね」

「同感です。天使でいるのは私達の前限定にしていただきたいのに……次から次へと……」

 ノーベンの変なの発言が聞き間違いでなければ大変なことになると慌てて周りを見渡したが、騎士団はすでにいなくなっていたのでホっと胸を撫で下ろした。
 これ以上戦いになったら困ってしまう。

「テラ、浮気は絶対許さないからな」

 ムッとした顔のイグニスがボソリと呟いたので、クスリと笑った俺はイグニスに飛びついた。

「当たり前だろう。こんなに好きな人がいるのに、他の誰を見るんだよ」

 俺をがっしりと受け止めたイグニスにぎゅっと抱き返されて、俺の心はほかほかと温かくなった。

「はいはい、お熱い二人はさっさと帰った方がいいよ」

 呆れた顔のノーベンに帰宅を促された。
 その嫌そうな顔が面白くてみんなで笑っていたら、ふと嗅ぎ慣れない匂いが鼻に入ってきた。
 突然何だろうとクンクンと鼻を鳴らしてみたら、それはイグニスの首元から匂ってきた。

「な…なんだよ、テラ。おい…こんなところで……」

「んっ……なんか匂う。……スパイシーな感じの美味しそうな匂い……香辛料? すごく…お腹が空いてくる……いい匂い」

「お前…それ……」

 パチパチと手を鳴らしたファビアン先生がおめでとうと言って近づいて来た。
 おめでとうって何だと思いながら、俺はイグニスの首元から顔を上げた。

「テラ、ついに力の匂いを感じることができるようになったんだよ。やっとこれで、この世界の一般的な人間の仲間入りだ」

「え……っ……ええええ!? 今!?」

「危なかったな、あと少し早かったら、アピスのネックレスを触ったら弾け飛ばされていたかもな。まったく、運のいい男だ」

 体には何の変化もなく実感もないが、確かにイグニスの匂いを感じることができるようになった。
 みんなが恐れる匂い、なのかはよく分からないが、とっても美味しそうな匂いであることは確かだ。

「匂いをどう感じるかはそいつ次第だ。不快じゃなきゃお前達が信頼関係がある証だよ」

 アピスの件が片付いてからのこのタイミング。まるでゲームの鎖から外れて自由になったような、そんな気がした。

「俺のは……美味そうな匂いなのか?」

「う…うん、ずっと嗅いでたら…涎が出そう……」

 このタイミングで俺の腹がぐぅぅぅーと大きな音を立てて鳴ったので、嘘だろと思いながら俺は真っ赤になった。
 最初にディセルが吹き出して、次々とみんな腹を抱えて笑ってくれた。

 激しい戦いが終わり、ようやく平和が訪れたのだと、嬉しくなって俺も笑った。

「そうだっ! ずっと聞きたかったんだけど、この際だから聞いてもいいかな。あの……ラギアゾフ家の次期当主のことだけど……いったい誰が……」

 俺の質問に三兄弟はみんな目を見開いて、ぱちぱちと瞬きをした。
 まるで、あっ、言ってなかったっけ、という気が抜けたような表情だった。

「ああ、それは……」

 ディセルがゆっくりと話し始めた。


















 ※※※※※※











「ここでしょ、幸せのクッキーが買えるお店って……」

「あのぉ…すみません、まだ残ってますか?」

 店の中を覗き込んでいた二人の女の子は、看板を下げている俺の姿を見つけて話しかけてきた。

「ごめんなさい。もう、今日の分は午前中に完売してしまったんです。次は三日後で……」

「嘘ぉーー、だから早く行こうって言ったのに!」

「どうしてお店は毎日開かないんですか?」

「主人が他にも仕事をしていて、忙しいもので……。数量も限定なので本当は毎日販売したいのですけど…すみません」

 人気があるから仕方がないよねと、女の子達は頬を膨らませながら、渋々納得してくれたようだった。

 頭を下げながら看板を片付けて、扉を閉めようとしていた俺に、女の子達の一人があのぅと、どうしても聞きたかったのかまた声をかけてきた。

「あの、テラクッキーって食べると幸せになれるって本当ですか?」

「うー…ん、絶対そうだとは言えないですけど、毎日食べてる俺は……幸せ…です」

 言いながら恥ずかしくて真っ赤になった。
 俺を見てクスクスと笑い合った女の子達はまた来ますと言って仲良く走って行ってしまった。

 勘弁してくれと思いながら頭をかいていたら、ぽすっと頭に手を載せられた。

「テラが女からも人気が出るようになったら、この店をつぶすことにしよう」

「変な冗談やめろ。本当にやりそうで怖いよ」

 載せられた手にぽんぽんと頭を撫でられて上を向くと、この一年でまたぐっと背が伸びて男らしい顔つきになった恋人の顔があった。

「早かったね。入団前実力検査だったんでしょう。どうだった?」

「どうも何も、話にならない。候補生じゃ相手にならないから、いいって言われて、何もせずにパスした」

 誰もが恐れて相手はイヤだと言って首を振っている中、イライラしながら立っているイグニスの姿が想像できてしまって、ぷっと吹き出してしまった。

「やっぱり俺のイグニスが一番だ。カッコよくて強くて…最高だね」

「当たり前だろ」

 頭を引き寄せられてイグニスの顔が近づいてきた。俺は踵を上げてイグニスと唇を合わせた。
 店先なのでさすがに濃厚なのはできない。
 軽くチュッと音が鳴って自然に離れた。

「テラ…いいだろう? 合宿があって一週間もお預けだったんだから」

「う……うん……俺も……」

 腰を引き寄せられて耳を舐められてしまった。一週間離れただけてこれだ。俺達はずっとまるで付き合いたてのカップルのような熱い関係が続いている。
 もうそれが自然すぎて、今までがどうだったのかをすっかり忘れてしまった。

「テラ……好きだ……愛して……」

「こら! 店先でイチャイチャするのは禁止ですよ」

 窓から丸見えだったのだろう。ガチャリとドアを開けて、コックコート姿のディセルが出てきた。
 慌てて離れようとする俺をイグニスは抱きしめたまま離さずに尻まで揉んできたので、さすがに怒ったディセルにめん棒で殴られた。

「たぁぁーーー! 頭を殴るな! へこむとなかなか治らないんだぞ」

「ここは私の店の前です。店長の聖域で下品なことをしないでください!」

「あのぅ、みなさん、そろそろ中へ…注目を集めていますので……」

 俺と同じ、黒いエプロン姿のブランソンが恐る恐ると言った感じで声をかけてきた。
 見回すと通行人が足を止めてこちらを見ていて注目の的だった。
 三人で隠れろとばかりに急いで店の中へ入った。

 ここは、ディセルの夢だったお菓子屋さんだ。週に二度、ここでディセルが作ったお菓子を販売している。
 ディセルは学院を卒業してからすぐに念願だった自分の店を町に開いた。
 身分は隠して、腕だけで勝負したいと始めた。

 アピスの騒動が終わってから、ディセルは自分はラギアゾフ家の当主にはならないと宣言した。
 学院中大混乱だった。生徒達はもちろんディセルになるものだろうも誰もが思っていたからだ。

 当の本人は実はずっと夢があって、自分作るお菓子をみんなに食べてもらいたいと思っていたそうだ。
 ラギアゾフ家の一員として裏家業に動くことが多いので本格的にはできないが、その夢に向かって進むと強い意志で語ってくれた。
 そうして卒業後、本当にお店を開いてしまったのだ。

 そして俺とイグニスも三年になった。
 俺はいつだったか、ディセルが店を出したら店員として働くと宣言してしまっていたので、それを覚えていたディセルにまんまと雇われて店員として手伝っている。
 同じくブランソンはディセルを尊敬しているらしく、店員として手伝いに来ている。

 そして俺の恋人イグニスは、皇室の騎士団に入ることを決めて、三年の今は来年の入団に向けて、候補生テストや合宿などに忙しくしている。

 そう…、という事はなのだが、誰もやらないから俺がやるしかないじゃんとブツブツ嫌そうに手を挙げたのはノーベンだった。

 ラギアゾフ家の次期当主はノーベンになったのだ。
 最近は研究や学業の合間に忙しく公爵と領地をまわり、パーティーに出たりなど着々とステップを踏んでいる。
 人前に出るのが苦手だと言っていたノーベンだが、ようやく慣れて自然に微笑むことができるようになったらしい。

 そういえばこのゲームの世界の主人公であるアピスだが、裁判が行われた結果、フローラル家は消されて、ペアであるアピスは戦場送りになった。
 兵士達の体を癒すことに後の人生を捧げることになった。
 あの赤い宝石は持ち主の力を奪っていたらしく、壊れてしまったことでアピスの外見は輝きが失われて別人のようになってしまったらしい。
 主人公パワーが存在するなら、また復活してきそうだが、さすがにもう関わってこないだろうと願っている。



 そして俺は………



「試験は免除されるのに、わざわざ受けるんですか?」

「……だって、ほら。何もしてないって言われるのも嫌だからさ。そんなヤツを部下に置く殿下が悪く言われるのも嫌だし……」

 来週に迫った皇宮官吏登用試験のために、本を持ち歩いている俺に向かって、ディセルはお茶を飲みながら問いかけてきた。

 ルナリス殿下に作った借り、約束とは俺を殿下の補佐官にするというものだったらしい。
 あれよあれよという間に、俺のポストまで用意されてしまい、卒業後の進路はバッチリ決まってしまった。
 俺の唯一の武器である記憶力を活かしてお金になるなら、それに越したことはないので嬉しいには嬉しかったが、一筋縄ではいなかい世界だ。
 不正だとか、贔屓だとか言われて後から面倒なことになるなら、せめて試験だけはちゃんと受けておこうと思ったのだ。

 店が終わった後のティータイム、作った際に出た形の悪いものなどは、この時間にみんなで店のキッチンでお茶を飲みながらいただくことにしている。

「俺も来年は皇宮の宮廷医師の試験を受けるつもりです」

 俺の話はいいからブランソンはどうなんだと話を振ってみると、いつも濁していたくせにやっと目標を語ってくれた。

「ブランソンは医学の知識もあるし、ファビアン先生からも見込みがあるって言われているんだろう。絶対大丈夫だよ」

 俺が背中を叩くと、ブランソンは照れたように鼻を擦っていた。

 イグニスは静かにお茶を飲み、ディセルは楽しそうに新作スイーツを披露してくれて、俺とブランソンは口いっぱいに頬張って、楽しい話はいつまでも尽きなかった。


 殺伐とした猟奇的な世界はもう俺の周りに存在しない。
 嵐のようなアピスが過ぎ去った後、静かで平和な時間が流れていた。
 俺も充実した日々を過ごし、ゲーム後の世界を順調に生きていた。
 この先は、それぞれの道を行くわけだが、この先もずっと同じように仲良くして行けたらいいと願っている。

 卒業後、イグニスは騎士団に入ったらしばらく寮生活になる。
 遠征も多いと聞いていた。
 イグニスが大きくなっていくのを嬉しくもあり、……いや、だいぶ寂しい気持ちの方が重いのだが、そこは恋人として側で支えていきたいと思っていた。





「テラ、どうした?」

「え?」

「今日は少し元気がないだろう。ディセルの菓子を食べた日はうるさいくらいよく喋るのに……」

 ディセルのお店からいつものように二人で帰っていたが、やはりしんみりした気持ちはすぐにイグニスに汲み取られてしまった。

「いや…ほらさ、みんな成長していくんだなって……。学生のままじゃいられないのは当たり前だけどさ。話していて現実を感じちゃって。イグニスとも……あまり会えなくなっちゃうから……」

 俺だって次のステップに移るために動いているのは確かだが、一方でみんなと出会えた学院での日々が終わることが寂しかった。そして、なかなか会えなくなってしまう恋人を思うと胸がツキンと痛んだ。

 とぼとぼと歩いていたら、横にイグニスの気配を感じなくて、振り返って見たらイグニスは足を止めていた。

「一年だ」

「ん?」

「新人騎士の寮生活は一年、休みの日は帰ってくる」

「……うん」

「………本当は卒業式の日に言おうかと……色々考えていて……そ…の……まだ作っているから…あれなんだが……」

 イグニスは照れ臭そうに頭をかきながら、話していて最後の方はよく聞き取れなかった。

「正騎士になったら、…いっ…一緒に暮らそう」

「ああ…うん」

 もごもごしながら喋るイグニスの姿が可愛く思えてしまって、意味をよく考えずに俺は反射的に頷いた。

「テラ…分かってんのか? 結婚しようって…言ったんだけど……」

 俺の薄い反応がショックだったのか、イグニスは捨てられた子犬みたいな目で俺を見てきた。

「分かってるよ、結婚でし………え!? けっ…結婚!?」

「そうだよ。腕輪もなしにプロポーズなんて……カッコ悪すぎるんだが……どうしても今言いたくなって……」

 この世界の結婚はプロポーズする側が腕輪を用意して、了承して貰えば相手につける。その相手はその後腕輪を作り結婚式でつけ返してあげる、というのが結婚の流れらしい。
 もしかしてさっき、ぼそぼそと言っていた作っている、というのは腕輪のことかもしれない。

「……もしかして、俺が寂しそうな顔をしていたから、言ってくれたの?」

 イグニスは気まずそうな顔になって頭をかいていた。俺のせいにしないところがイグニスらしくて、優しくて嬉しかった。

 本当はカッコ良くキメようとしていたのだと思うと、どんどん胸が熱くなってきた。

「返事は?」

「うん…一緒に暮らそう。ずっと…ずっと」

「テラ!!」

 わずかな距離を走ってきたイグニスが俺を抱きしめてぐるぐると回した。

「イグニスー、目が…回るって」

「嬉しいんだ…こんなに嬉しくて…幸せなんて……ありがとうテラ。ありがとう」

「俺も……大好きだよ、イグニス」


 間もなく日が暮れようとする町の片隅で、俺とイグニスの新しいお話が始まった。

 ゲームの世界はとっくに終わり。
 これからは先の分からない真っ白な世界。

 その世界に色を付けて、イグニスと一緒に作り上げていこう。
 幸せの色ばかりで一色に染まったら、そこには笑い合う二人の姿が浮かんでくるだろう。



 姉達に振り回されていたが、前世はそれなりに幸せだったと思う。
 でも満たされず臆病で何も見つけることができなかった。

 まさか自分が携わっていたゲームの世界に転生するなんて思わなかったが、今はそれなりに……。

 いや、大事な人、大事な仲間に出会えて、一番欲しいものを見つけることができた。

 最高に幸せだ。

 眼鏡モブに転生した俺は、ラスボスの一人と幸せなエンドを迎えることができた。

 そしてエンドの先を歩いていく。

 イグニスと手を繋いで、ずっとずっと……。










 ぐぅぅぅーーー………


「テラ、いい加減、俺の匂いを嗅いで腹を鳴らすのをやめろ」

「だって、美味しそうなんだよ。ずっと嗅いでいたいーー」

「……仕方ないな、ほら今日はウチに泊まれ」

「うん、朝まで嗅がしてね」

「はいはい、好きなだけ嗅いでくれ」


 仲良く歩く帰り道。
 夕日が俺とイグニスの姿を染めていった。









 □完□
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美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

【完結】最強公爵様に拾われた孤児、俺

福の島
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ゴリゴリに前世の記憶がある少年シオンは戸惑う。 目の前にいる男が、この世界最強の公爵様であり、ましてやシオンを養子にしたいとまで言ったのだから。 でも…まぁ…いっか…ご飯美味しいし、風呂は暖かい… ……あれ…? …やばい…俺めちゃくちゃ公爵様が好きだ… 前置きが長いですがすぐくっつくのでシリアスのシの字もありません。 1万2000字前後です。 攻めのキャラがブレるし若干変態です。 無表情系クール最強公爵様×のんき転生主人公(無自覚美形) おまけ完結済み

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
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アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

【完結】実はチートの転生者、無能と言われるのに飽きて実力を解放する

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【HOTランキング1位獲得作品!!】  最強スキル『適応』を与えられた転生者ジャック・ストロングは16歳。  戦士になり、王国に潜む悪を倒すためのユピテル英才学園に入学して3ヶ月がたっていた。  目立たないために実力を隠していたジャックだが、学園長から次のテストで成績がよくないと退学だと脅され、ついに実力を解放していく。  ジャックのライバルとなる個性豊かな生徒たち、実力ある先生たちにも注目!!  彼らのハチャメチャ学園生活から目が離せない!! ※小説家になろう、カクヨム、エブリスタでも投稿中

新しい道を歩み始めた貴方へ

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今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。 そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。 その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。 あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。 あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……? ※沢山のお気に入り登録ありがとうございます。深く感謝申し上げます。

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