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終章 モブのエンディング
⑨おかえりとただいま。
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空を覆っていた薄雲が消えて、辺りはいっそう明るくなり、月光が二人の男を照らしていた。
どこまでも静かで、まるで滅亡寸前の世界に残された二人ようだ。
一人は剣を持ち、もう一人を殺そうと立っている。
そのもう一人である俺は剣を向けられていたが、怯えることなく、にっこりと微笑んだ。
「なぜだ……なぜそんな顔をする?」
俺に剣を向ける男、イグニスは、俺の態度が理解できないという顔で問いかけてきた。
「なぜって…それは、好きな人の前だからだよ。夢でも会いたいくらい大好きなんだ。そんな人が真夜中に会いに来てくれたら嬉しいのは当然だろ」
俺の答えを聞いたイグニスは痛みを堪えるような顔をして頭を押さえた。
いつもサラリとしている赤い髪はしっとりと濡れて、額からは汗が滴り落ちていた。
「やめろ…俺が…俺が好きなのは…アピスだ。お前なんか……お前など……」
「いいよ、それでも」
俺の言葉にイグニスはハッとしたように顔を上げた。
もしかしたら、この話をしたのが記憶にあるかもしれない。そうだったらいいと思いながら、俺はベッドから下りてイグニスの前に立った。
動揺したイグニスは、唇を震わせながら俺の首に剣を当てた。剣は少しでも力が入ったら、切れてしまいそうなくらい鋭く光っていた。
「たとえ別の誰かを好きになってしまっても、また俺を好きになってもらうためになんだってする……これは不安だって小さくなっている俺に、イグニスが教えてくれたんだよ」
「俺が…教える……」
「そうだよ。イグニスは教えてくれた、人を好きになる気持ち、大切に思う気持ち、未来を不安だと思わずに今を信じて生きること……。全部教えてくれたのに、忘れちゃうなんて…許さないからな」
俺は首元に当てられているブラッドソードを手で掴んだ。刃先は熱くてどくどくと心臓が脈打つように揺れていた。
「好きだよイグニス…、俺のこと忘れちゃっても、また覚えてくれるまで…俺、諦めないから……、何度だって告白して何を言われたって……俺はずっと好きで…好き……絶対に変わらない」
鋭い刃先が揺れた瞬間に肌を擦って、俺の手は切れて血が滲み出てきた。
痛くない、ちっとも痛くない。
胸の痛みに比べたら、こんなもの何も感じないくらいだ。
「なっ…お前……」
「戻ってきて……、お願い、俺の名前を呼んでよ」
俺はブラッドソードを押しやって、足を前に進めた。
体が固まったのか、動けないでいるイグニスの懐に飛び込んで胸元を掴んだ。
「名前……お前の……」
「そう、俺の名前…それも忘れちゃった?」
「お前の名前は……」
イグニスの瞳の色がぐるぐると変わっていた。赤くなったり緑に変わったり、イグニスの中で戦いが繰り広げられているのだと分かった。
「………テ…………ラ」
「そうだよ…イグニス…ちゃんと…覚えていてくれたんだね」
「テ…ラ、テラっ……テラテラ…テラ」
「ふふっははっ、何回呼んでくれるの? 嬉しいよ…もう……二度と…ううっ…二度と呼んでくれないかと……」
呪文のように繰り返すイグニスにおかしくて笑ってしまったけど、今まで堰き止めていた思いが一気に溢れだした。
ぽろぽろと涙をこぼして、声を震わせながらイグニスと名前を呼んで頬に触れた。
イグニスの瞳は元の明るい緑色に戻っていた。暗さなどひとつもない澄んだ美しい色だった。
「テラだ……お前は……テラ。俺の…全て、本当に……愛している人」
「うううっ…っ、イグニス…イグニス」
戸惑うように硬くなっていたイグニスの体に力が戻った。俺の両腕をガシリと掴んで確かめるように触れてきた。
「おれ…俺は…忘れていた、なぜ…なぜこんな…大事なことを…。テラ…俺はお前を傷つけて…なんてことを……」
「いい…いいんだ。イグニスは俺を助けてくれたんだから……。今度は俺が助ける番だったんだよ。名前を…呼んでくれたから…もう嫌だったことなんて…全部忘れた」
「テラ…ごめんな…ごめん」
「イグニス…おかえり、戻ってきてくれて…ありがとう」
ただいま
そう言ってイグニスは俺を強く抱きしめた。
求めていた熱と力強さが俺の全身を喜びで包んでいく、嬉しくて嬉しくて…こんなに嬉しくて愛おしい気持ちはない。
ブラッドソードはイグニスの手から落ちて、ガシャンと音を立てて床に転がった後、やがて煙と共に消えていった。
お互いの無事と熱を確かめるように口付けを交わした後、ずっと抱き合ったまま朝になっても離れることはなかった。
冷たい風が吹き抜けて、乾いた砂を巻き込んで空に舞った。
光り輝く金色の髪は今日も美しかったが、どこかくすんで見えた。
しかしまだ勝利の中にいるアピスは、俺が近づいて行っても顔色は変わらなかった。
きゅっと上がった口元から自信が溢れ出しているように見えた。
「お前のような石ころが、この僕をここに呼び出すなんて、趣味の悪い冗談にしても全然笑えないけど、どういうつもりなの?」
まだ陽のある明るい時間、剣術の訓練場のど真ん中、この前はイグニスが立っていた位置に、アピスは腕を組みながら仁王立ちしていた。
ディセルとノーベンの姿はないが、またどこかに隠れているのだろう。
俺はアピスに手紙を送り呼び出した。
無視されることがないように、秘密をばらすから必ず来いと書いておいた。
下に見ている俺からそんな脅し文句を書かれて、アピスが怒らないはずがない。
予想通り、イラついた様子でわざわざ俺の送った手紙をぐしゃぐしゃに丸めて地面に叩きつけた。
「ネックレスのことをどこまで知っているか知らないけど、お前のような虫けらの話など誰も信じてはくれないよ。恋人を取られて腹いせに嘘をついていると言われてお終いだと思うけど」
どうやらイグニスは上手く演じてくれたようだ。
イグニスは俺の説得で魔法具の効果を超えて、元に戻ることができた。
しかし、アピスを油断させて準備を整えるために魅了されたままの状態を演じてもらっていた。
効果が切れたことで、アピスを殺したくて仕方がないとイグニスはイラついていたが、追い詰める場を用意するために何とか耐えてもらった。
「専属学友のことなら公爵にお願いしてもらって、外してもらう予定だから、残念だけど君は完全に用済みだ。どうやって取り入ったか知らないけど、残念だったね」
アピスは余裕なのか、それとも逆に俺が怯えた様子を見せないから不安になったのか、こちらが一言も話していないのに、ペラペラと喋り出した。
そのまま言いたいことだけ言って帰ってしまいそうな気配すら感じた俺は、小さく息を吐いてから口を開いた。
「よく喋るな。何をそんなに恐れているんだ?」
そっちがそのつもりなら、こっちも秀才眼鏡クンになりきって、眼鏡をキラリンと光らせて髪をかき上げた。
「は? な…なにその態度…。調子に乗ってんの?」
「残念なのはお前だ、アピス。断言してやろう! 貴様は今日ここで敗北する」
「……ついに頭がおかしくなったな」
アピスはバカにしたように息を吐いてケラケラと笑い出した。
「よく喋るが肝心なところは話さないつもりのようだ。ならば俺が言ってやろう。焦っているのだろう、三兄弟を手中に収めたと言いたいのに、まだ完全に手に入れることができないから」
「…………」
「誰からも力を奪うことができないのだろう? ペアとは本来お互い惹かれあって成立する関係だ。力は一方的に奪うだけではなく、持つ者達からの許可が必要だ。信頼関係がなければ成立しない。無理矢理人形にして結んだ関係では上手く奪うことができない」
「ハッ…、バカなことを…。でたらめを言うな! お前みたいなヤツに何が分かるんだ」
「だったら見せてもらおうか、力を受けている証拠の所有印を……」
隠せない動揺が顔を覆いそうになっていたアピスは、痛いところを突かれたのかギロッと俺を睨みつけてきた。
ファビアン先生の調べで、ペアとの関係でも力をもらえばあの所有印が体に刻まれるのだと分かった。
そしてそれがアピスにとっては完全に相手を支配したという印にもなる。
しかし偽りの関係では、どんなに命令しても兄弟達から力をもらうことができなかった。
魔法具の効力というのは永遠ではない。
アピスは早く力をもらい完全に自分のものにする必要があった。
三人がアピスに多少の好意を持っていたら、奪うことができたかもしれない。
しかし全員好感度がゼロだったのか、アピスはやはり、一滴も力を奪うことができないようだ。
「お前になんて…見せる必要ない……」
「必要ないのではなく、見せられないのだろう。印が刻まれていないのだからな」
場内の入り口からイグニスが入ってきた。
すっかり洗脳が解けた状態でハッキリと喋る姿を見て、アピスは口を大きく開けて驚いた顔になった。
「よう、アピス。好き勝手やってくれたじゃねーか。俺は今、お前を八つ裂きにしたくてたまらなくて体が疼いてんだ」
「イグニス…! いっ…いつの間に…!? なんで…!? 効果が切れたのか? 嘘だ……嘘だ……」
「覚悟しろ、体中切り刻んで魔物の餌にしてやる」
俺の横にピタリと立ったイグニスは、さっそく物騒なことを言って腰に下げていた剣を抜いてアピスに向けた。
「ひっ……、で…ディセル! ノーベン! 僕を助けて! アイツらを殺すんだ!」
分かりやすく真っ青になったアピスは、ズルズルと後ろに下がって二人の名前を呼んだ。
控えていたのか観覧席の後ろから、ディセルとノーベンが現れた。
二人とも生気のない目をして、人形のように立っていた。
「ボケっとするなよ! 早くやれ! 大丈夫だ……大丈夫。二人を消せば……まだ何とかなるはずだ」
アピスは自分に言い聞かせるようにブツブツと呟きながらもっと後ろに下がり、ディセルとノーベンが風のような速さでアピスの前に降り立った。
二人はまだ魅了が解けていないので、アピスの言葉に従ってしまう。
「やはり来たな、ディセル、ノーベン。お前達とは戦いたくなかったが仕方がない」
イグニスはすでに出していた腰の剣を納めた。
代わりに手のひらに歯を当てて血を出してブラッドソードを作り出した。
二人も同じようにしてブラッドソードを取り出した。ノーベンは双剣、ディセルのは剣ではなく鞭だ。
二人も空っぽの目をしながら、アピスを守るように構えてきた。
「アピスを狙う者は許さない」
「死ね」
今にも飛びかかってくるような溢れ出す殺気に、俺は恐ろしくなってぶるりと震えた。
「テラ、大丈夫だ。下がっていろ」
二対一、明らかに分が悪く不利な状況であるが、イグニスは心配ないと言って笑ってきた。
三人の戦い、まるでゲームのクライマックスのようだ。
俺は手に汗をかきながら後ろに下がってイグニスの背中を見つめた。
そして今にも戦いが始まりそうな、三人の向こうにいるアピスの姿をしっかりと目に捉えて手に力を込めた。
それぞれが武器を構えた後、強い風が吹き抜けていった次の瞬間、三人は獣のような雄叫びを上げて走り出した。
□□□
どこまでも静かで、まるで滅亡寸前の世界に残された二人ようだ。
一人は剣を持ち、もう一人を殺そうと立っている。
そのもう一人である俺は剣を向けられていたが、怯えることなく、にっこりと微笑んだ。
「なぜだ……なぜそんな顔をする?」
俺に剣を向ける男、イグニスは、俺の態度が理解できないという顔で問いかけてきた。
「なぜって…それは、好きな人の前だからだよ。夢でも会いたいくらい大好きなんだ。そんな人が真夜中に会いに来てくれたら嬉しいのは当然だろ」
俺の答えを聞いたイグニスは痛みを堪えるような顔をして頭を押さえた。
いつもサラリとしている赤い髪はしっとりと濡れて、額からは汗が滴り落ちていた。
「やめろ…俺が…俺が好きなのは…アピスだ。お前なんか……お前など……」
「いいよ、それでも」
俺の言葉にイグニスはハッとしたように顔を上げた。
もしかしたら、この話をしたのが記憶にあるかもしれない。そうだったらいいと思いながら、俺はベッドから下りてイグニスの前に立った。
動揺したイグニスは、唇を震わせながら俺の首に剣を当てた。剣は少しでも力が入ったら、切れてしまいそうなくらい鋭く光っていた。
「たとえ別の誰かを好きになってしまっても、また俺を好きになってもらうためになんだってする……これは不安だって小さくなっている俺に、イグニスが教えてくれたんだよ」
「俺が…教える……」
「そうだよ。イグニスは教えてくれた、人を好きになる気持ち、大切に思う気持ち、未来を不安だと思わずに今を信じて生きること……。全部教えてくれたのに、忘れちゃうなんて…許さないからな」
俺は首元に当てられているブラッドソードを手で掴んだ。刃先は熱くてどくどくと心臓が脈打つように揺れていた。
「好きだよイグニス…、俺のこと忘れちゃっても、また覚えてくれるまで…俺、諦めないから……、何度だって告白して何を言われたって……俺はずっと好きで…好き……絶対に変わらない」
鋭い刃先が揺れた瞬間に肌を擦って、俺の手は切れて血が滲み出てきた。
痛くない、ちっとも痛くない。
胸の痛みに比べたら、こんなもの何も感じないくらいだ。
「なっ…お前……」
「戻ってきて……、お願い、俺の名前を呼んでよ」
俺はブラッドソードを押しやって、足を前に進めた。
体が固まったのか、動けないでいるイグニスの懐に飛び込んで胸元を掴んだ。
「名前……お前の……」
「そう、俺の名前…それも忘れちゃった?」
「お前の名前は……」
イグニスの瞳の色がぐるぐると変わっていた。赤くなったり緑に変わったり、イグニスの中で戦いが繰り広げられているのだと分かった。
「………テ…………ラ」
「そうだよ…イグニス…ちゃんと…覚えていてくれたんだね」
「テ…ラ、テラっ……テラテラ…テラ」
「ふふっははっ、何回呼んでくれるの? 嬉しいよ…もう……二度と…ううっ…二度と呼んでくれないかと……」
呪文のように繰り返すイグニスにおかしくて笑ってしまったけど、今まで堰き止めていた思いが一気に溢れだした。
ぽろぽろと涙をこぼして、声を震わせながらイグニスと名前を呼んで頬に触れた。
イグニスの瞳は元の明るい緑色に戻っていた。暗さなどひとつもない澄んだ美しい色だった。
「テラだ……お前は……テラ。俺の…全て、本当に……愛している人」
「うううっ…っ、イグニス…イグニス」
戸惑うように硬くなっていたイグニスの体に力が戻った。俺の両腕をガシリと掴んで確かめるように触れてきた。
「おれ…俺は…忘れていた、なぜ…なぜこんな…大事なことを…。テラ…俺はお前を傷つけて…なんてことを……」
「いい…いいんだ。イグニスは俺を助けてくれたんだから……。今度は俺が助ける番だったんだよ。名前を…呼んでくれたから…もう嫌だったことなんて…全部忘れた」
「テラ…ごめんな…ごめん」
「イグニス…おかえり、戻ってきてくれて…ありがとう」
ただいま
そう言ってイグニスは俺を強く抱きしめた。
求めていた熱と力強さが俺の全身を喜びで包んでいく、嬉しくて嬉しくて…こんなに嬉しくて愛おしい気持ちはない。
ブラッドソードはイグニスの手から落ちて、ガシャンと音を立てて床に転がった後、やがて煙と共に消えていった。
お互いの無事と熱を確かめるように口付けを交わした後、ずっと抱き合ったまま朝になっても離れることはなかった。
冷たい風が吹き抜けて、乾いた砂を巻き込んで空に舞った。
光り輝く金色の髪は今日も美しかったが、どこかくすんで見えた。
しかしまだ勝利の中にいるアピスは、俺が近づいて行っても顔色は変わらなかった。
きゅっと上がった口元から自信が溢れ出しているように見えた。
「お前のような石ころが、この僕をここに呼び出すなんて、趣味の悪い冗談にしても全然笑えないけど、どういうつもりなの?」
まだ陽のある明るい時間、剣術の訓練場のど真ん中、この前はイグニスが立っていた位置に、アピスは腕を組みながら仁王立ちしていた。
ディセルとノーベンの姿はないが、またどこかに隠れているのだろう。
俺はアピスに手紙を送り呼び出した。
無視されることがないように、秘密をばらすから必ず来いと書いておいた。
下に見ている俺からそんな脅し文句を書かれて、アピスが怒らないはずがない。
予想通り、イラついた様子でわざわざ俺の送った手紙をぐしゃぐしゃに丸めて地面に叩きつけた。
「ネックレスのことをどこまで知っているか知らないけど、お前のような虫けらの話など誰も信じてはくれないよ。恋人を取られて腹いせに嘘をついていると言われてお終いだと思うけど」
どうやらイグニスは上手く演じてくれたようだ。
イグニスは俺の説得で魔法具の効果を超えて、元に戻ることができた。
しかし、アピスを油断させて準備を整えるために魅了されたままの状態を演じてもらっていた。
効果が切れたことで、アピスを殺したくて仕方がないとイグニスはイラついていたが、追い詰める場を用意するために何とか耐えてもらった。
「専属学友のことなら公爵にお願いしてもらって、外してもらう予定だから、残念だけど君は完全に用済みだ。どうやって取り入ったか知らないけど、残念だったね」
アピスは余裕なのか、それとも逆に俺が怯えた様子を見せないから不安になったのか、こちらが一言も話していないのに、ペラペラと喋り出した。
そのまま言いたいことだけ言って帰ってしまいそうな気配すら感じた俺は、小さく息を吐いてから口を開いた。
「よく喋るな。何をそんなに恐れているんだ?」
そっちがそのつもりなら、こっちも秀才眼鏡クンになりきって、眼鏡をキラリンと光らせて髪をかき上げた。
「は? な…なにその態度…。調子に乗ってんの?」
「残念なのはお前だ、アピス。断言してやろう! 貴様は今日ここで敗北する」
「……ついに頭がおかしくなったな」
アピスはバカにしたように息を吐いてケラケラと笑い出した。
「よく喋るが肝心なところは話さないつもりのようだ。ならば俺が言ってやろう。焦っているのだろう、三兄弟を手中に収めたと言いたいのに、まだ完全に手に入れることができないから」
「…………」
「誰からも力を奪うことができないのだろう? ペアとは本来お互い惹かれあって成立する関係だ。力は一方的に奪うだけではなく、持つ者達からの許可が必要だ。信頼関係がなければ成立しない。無理矢理人形にして結んだ関係では上手く奪うことができない」
「ハッ…、バカなことを…。でたらめを言うな! お前みたいなヤツに何が分かるんだ」
「だったら見せてもらおうか、力を受けている証拠の所有印を……」
隠せない動揺が顔を覆いそうになっていたアピスは、痛いところを突かれたのかギロッと俺を睨みつけてきた。
ファビアン先生の調べで、ペアとの関係でも力をもらえばあの所有印が体に刻まれるのだと分かった。
そしてそれがアピスにとっては完全に相手を支配したという印にもなる。
しかし偽りの関係では、どんなに命令しても兄弟達から力をもらうことができなかった。
魔法具の効力というのは永遠ではない。
アピスは早く力をもらい完全に自分のものにする必要があった。
三人がアピスに多少の好意を持っていたら、奪うことができたかもしれない。
しかし全員好感度がゼロだったのか、アピスはやはり、一滴も力を奪うことができないようだ。
「お前になんて…見せる必要ない……」
「必要ないのではなく、見せられないのだろう。印が刻まれていないのだからな」
場内の入り口からイグニスが入ってきた。
すっかり洗脳が解けた状態でハッキリと喋る姿を見て、アピスは口を大きく開けて驚いた顔になった。
「よう、アピス。好き勝手やってくれたじゃねーか。俺は今、お前を八つ裂きにしたくてたまらなくて体が疼いてんだ」
「イグニス…! いっ…いつの間に…!? なんで…!? 効果が切れたのか? 嘘だ……嘘だ……」
「覚悟しろ、体中切り刻んで魔物の餌にしてやる」
俺の横にピタリと立ったイグニスは、さっそく物騒なことを言って腰に下げていた剣を抜いてアピスに向けた。
「ひっ……、で…ディセル! ノーベン! 僕を助けて! アイツらを殺すんだ!」
分かりやすく真っ青になったアピスは、ズルズルと後ろに下がって二人の名前を呼んだ。
控えていたのか観覧席の後ろから、ディセルとノーベンが現れた。
二人とも生気のない目をして、人形のように立っていた。
「ボケっとするなよ! 早くやれ! 大丈夫だ……大丈夫。二人を消せば……まだ何とかなるはずだ」
アピスは自分に言い聞かせるようにブツブツと呟きながらもっと後ろに下がり、ディセルとノーベンが風のような速さでアピスの前に降り立った。
二人はまだ魅了が解けていないので、アピスの言葉に従ってしまう。
「やはり来たな、ディセル、ノーベン。お前達とは戦いたくなかったが仕方がない」
イグニスはすでに出していた腰の剣を納めた。
代わりに手のひらに歯を当てて血を出してブラッドソードを作り出した。
二人も同じようにしてブラッドソードを取り出した。ノーベンは双剣、ディセルのは剣ではなく鞭だ。
二人も空っぽの目をしながら、アピスを守るように構えてきた。
「アピスを狙う者は許さない」
「死ね」
今にも飛びかかってくるような溢れ出す殺気に、俺は恐ろしくなってぶるりと震えた。
「テラ、大丈夫だ。下がっていろ」
二対一、明らかに分が悪く不利な状況であるが、イグニスは心配ないと言って笑ってきた。
三人の戦い、まるでゲームのクライマックスのようだ。
俺は手に汗をかきながら後ろに下がってイグニスの背中を見つめた。
そして今にも戦いが始まりそうな、三人の向こうにいるアピスの姿をしっかりと目に捉えて手に力を込めた。
それぞれが武器を構えた後、強い風が吹き抜けていった次の瞬間、三人は獣のような雄叫びを上げて走り出した。
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