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終章 モブのエンディング
⑤染まっていく世界。
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あの秘密の会議から五日が過ぎた。
表面上は変わりなく日々は過ぎていた。
しかし不穏な気配はひたひたと確実に、俺が築いてきた世界を侵食していた。
一人でアピスを問い詰めてみるとノーベンが提案してからしばらく動きはなかった。
ノーベンも研究棟に行っているのか、クラスに顔を出す時間が少なくてほとんど会話ができなかった。
ラギアゾフ邸でノーベンの帰りを待っていた俺は、久しぶりにティールームでイグニスとお茶をしていた。
いつもならディセルが作ってくれたお菓子が並んで、くだらない話をしながら笑い合って楽しい時間が流れているはずだ。
テーブルの上に載ったお茶のセットだけの光景が、やけに寂しく感じてしまった。
「学院中、ディセルとアピスの話題で持ちきりだな」
「うん…、婚約寸前なんて話もあるよね」
あの騒動からディセルがアピスと親密な関係である、ということはすっかり広まった。
とくにディセル派の派閥は多いので、これは今のうちに取り入っておかないといけないと、アピスの周りにはいっそう人が集まった。
ディセルはアピスの教室へ通い、行き帰りも一緒にしていて片時も離れたくないというすでにカップルのような状態に見えていた。
「本当に……、好きになっちゃったのかな」
「まさか、あいつに限ってそんなことは……」
分からない。
一番しっかりしているように見えても、心の隙を突かれたら、ぐらりと揺れてしまう可能性はある。
二人が恋人同士になったとして、一番怖いのはやはり兄弟との関係だろう。
まさかそこまで変わってしまうかもしれない。
そのことを一番恐れていた。
その時、楽しそうな話し声がして、俺とイグニスは顔を見合わせた。
その声はどんどんとこちらに近づいて来て、ガチャリとドアが開けられた。
「あれ、イグニス様、こちらにいたんですね」
驚いたことにドアから入って来たのはアピスだった。
まるで自分の家のような態度を不思議に思っていると、アピスの後ろからディセルが入ってきた。
「ああ、イグニス。貴方達もこちらにいたのですね。アピスを招待したのですよ。ぜひ、私が作ったお菓子を食べていただこうと思いまして……」
「ねーびっくりだよ。ディセルにこんな趣味があるなんて、しかも今日は特別なクッキーなんでしょう。嬉しいな」
ガタガタとワゴンを押して入ってきたディセルは、当然のように先に座ったアピスの前に、焼き菓子とお茶を用意した。
お皿に載ったクッキーは、真ん中に赤いジャムが載ったものでそれを見た俺の心臓はドキッと鳴った。
「ディセル…、お前っ…それ!」
ディセルと俺は甘いもの好き同士、好きな果物を煮込んで一緒にジャムを作った。
出来上がったものをクッキーに合わせたが、とても美味しくできた。
ディセルはそれをテラクッキーと名付けて、ノーベンやイグニスが食べたがっても、特別なのでダメですと言って渡さなかった。
それなのに……
「んーー、美味しいけど、僕にはちょっと甘いかなぁ。僕って甘すぎるのって苦手なんだった」
「そうですか…。では別のものを用意させましょう」
アピスはクッキーを一口齧った後、残りのクッキーを皿の上にぽとりと落とした。
そしてその皿を手で押して、俺の前で止めた。
「テラ先輩、食べますか? 僕、もういらないんで、あげます」
ディセルと楽しい時間を過ごした思い出が、真っ黒に染まってしまった。
信じられなくて、唇が震えて何も言葉が返せなかった。
「……ディセル、これはどういうことだ? 何を考えてるのか知らないが……、見損なったぞ」
イグニスが腹の奥から出るような低い声を出してディセルを睨みつけた。
誰もが震え上がるような強烈な威嚇のオーラが出ていたが、ディセルの表情は人形のようにピクリとも動かなかった。
「何のことでしょう? 私にとってアピスは大切な方です。何も間違ったことはしていません」
「っつ!! てめぇっ!」
「イグニス!」
ディセルに殴りかかりそうな勢いだったイグニスの腕を掴んで止めた。
血走った目をしたイグニスを見て、俺はもういいのだと首を振った。
「部屋に行こう」
ここにいてはダメだ。
そう思ってイグニスの腕を引いてこの場から離れることにした。
「あれ、テラ先輩帰っちゃうんですか? 残念、もっとお喋りしたかったのに」
「アピス、貴様…調子に乗るなよ」
ダメ押しみたいに話しかけてきたアピスに、イグニスが噛みつこうとしていたので、やはり腕を引いて部屋を出た。
「テラ、何で止めるんだよ」
イグニスの部屋まで着いたら、イグニスはまだ怒りが収まらない様子で興奮していた。
「落ち着いてイグニス。まるで僕達を対立させようしているみたいだ。それに…ディセルの様子もおかしい。何か考えがあるとか以前に別人みたいだ」
「おかしいのは分かる。分かるんだ…! 俺が…俺が…腹が立つのは…、テラにあんな顔をさせたことだ…。まるで俺の心臓を突かれたみたいに苦しい」
「イグニス……」
胸を押さえて怒りに震えているイグニスに近づいた俺は包み込むようにそっと抱きしめた。
「大丈夫、大丈夫…だから」
「テラ…苦しい…」
イグニスのような力を強く持つ者は、怒りの感情に弱いと聞いた。溢れそうな力をコントロールするのは難しく、発散しなければ暴れ回る怒りを体内で押さえ込まないといけない。
それはかなりの苦痛らしい。抱きしめたまま、イグニスの背中を撫でた。
ゆっくりと何度も撫でていくと、ようやくイグニスの呼吸が落ち着いていくのを感じた。
イグニスの呼吸を感じながら、俺は別の可能性について考えていた。
今まではディセルに何か策があって、あえて騙されているフリをしているのかもしれないと考えていた。
しかし明らかにおかしい態度が気になった。
ディセルは食べ物に手をつけて、食べることなく適当に扱う人間が大嫌いだった。
ノーベンがいらないと食事を一口で残した時、作った人間の気持ちを考えろとブチギレだ人だ。
そんな人が自分の作ったものを一口で皿に落とされて、しかも人に渡すなんて姿を見て、真顔でいられるなんて信じられない。
結局その日はイグニスに付いていてノーベンに会うことができなかった。
翌日俺はこの事態について、何かヒントをもらえそうな人に相談することにした。
「なるほどな…、俺もディセルとアピスを見かけたが、あのディセルがアピスの言いなりになっていたからどうも変だなと思っていたんだ」
背もたれに体重をかけて、肩を回しながらファビアン先生は登校中に見かけた二人の様子を話してくれた。
「……何か、されたんじゃないかと思うんですけど、先生なら思い浮かぶものはありませんか?」
「………何かねぇ」
「例えば、魔法とかはどうですか?」
この世界において魔法とは、前の世界で電気がそうであったように、人々の暮らしが便利になるように使われている。
俺の眼鏡がいい例で、一部の金持ちしか恩恵は受けられないが、使われるのは生活に特化したものが中心である。
誰かの心を操ったり攻撃に使われたり、そういった魔法は存在しないといわれていた。
「魔法で人の心を上手く操るようなものは知らないな。普通に考えたら、アピスがディセルを誘惑して、それに落ちてしまったと考える方が自然だ。言っただろう、ペアなら本能的に惹かれてしまうと…。アピスは蜂の女王みたいなもんだ」
「惹かれてしまった…としても、性格まで変わってしまうなんて……」
「一つ心当たりがないわけではない」
ファビアン先生の言葉で、暗雲から一筋の光が差したみたいに胸の中が期待で膨らんだ。
「宮廷の医師だった時代に、危険な魔法具について書かれた禁書があったんだが、それが盗まれて大騒ぎになったことがある。翌日に戻ったが管理者が全員処分されたり、後々まで大変だった。俺も内容は詳しく知らないが、かつての研究者が力を持つ者に対抗しようと生み出した道具について記されているらしい」
「力を持つ者に対抗……、いかにもそれっぽい。ファビアン先生、どうにかしてそれ、見られないかな? 先生の昔のツテを頼ってとか……」
「バカ言うなよ。クビになった男だぜ。禁書なんて皇族でもない限り見れない」
「それだ!」
俺は指なんて鳴らせないが、このタイミングでできることなら、パチンと指を鳴らしたいくらいピースがはまった気分だった。
「は? 何がそれなんだ?」
「先生ありがとう! 俺自身のツテを頼ることにするよ」
お礼を言って慌てて走り出した俺を、ファビアン先生はポカンとした顔で見ながらひらひらと手を振ってくれた。
保健室から飛び出して、廊下を走っていると見慣れた背中が見えた。
探していたのになかなか会えなかったので、やっと見つけたとその背中に向かって声をかけた。
「ノーベン! 聞いて、さっきファビアン先生に話を聞いたんだけどこれから一緒に……」
声をかけたらピタリと足を止めたノーベンがゆっくりと俺の方に振り向いた。
どこか遠くを見るような、感情のない真っ黒な瞳が俺をぼんやりと見つめていた。
「……ノーベン?」
「うるさいな、話しかけないでくれる?」
「えっ…」
まさかそんな言葉が飛び出してくるなんて思わなかったので、走ってきた俺は壁にぶつかりそうになってやっと足を止めた。
「あっ…!」
ノーベンの空洞みたいだった瞳に輝きが戻って、その視線は俺の後ろに注がれていた。
「どこへ行っていたのノーベン。ほら、一緒に帰ろう」
振り返らずともその声の持ち主が誰だか分かって、俺の心臓は一気に冷えて凍りそうになった。
「うん!」
ふわりと微笑んだノーベンが駆け出して俺の横をすり抜けて行った。
ノーベンが走って行ったその先には、こちらも微笑んでいるアピスが立っていた。
走ってアピスに近づいたノーベンはそのままアピスの懐に飛び込んで抱きついた。
ノーベンを抱きとめたアピスは俺を見ていた。茫然としながら立ち尽くしている俺と目が合ったら、口元がゆっくりと動いた。
あと一人
声には出なかったがそう動いたように見えた。
足元が崩れ落ちていき、ぐらぐらと世界が揺れていた。
また一つ、俺が築いてきたものがポキリと折れた。
やけにリアルでハッキリとした音は頭の中にずっと響いていた。
□□□
表面上は変わりなく日々は過ぎていた。
しかし不穏な気配はひたひたと確実に、俺が築いてきた世界を侵食していた。
一人でアピスを問い詰めてみるとノーベンが提案してからしばらく動きはなかった。
ノーベンも研究棟に行っているのか、クラスに顔を出す時間が少なくてほとんど会話ができなかった。
ラギアゾフ邸でノーベンの帰りを待っていた俺は、久しぶりにティールームでイグニスとお茶をしていた。
いつもならディセルが作ってくれたお菓子が並んで、くだらない話をしながら笑い合って楽しい時間が流れているはずだ。
テーブルの上に載ったお茶のセットだけの光景が、やけに寂しく感じてしまった。
「学院中、ディセルとアピスの話題で持ちきりだな」
「うん…、婚約寸前なんて話もあるよね」
あの騒動からディセルがアピスと親密な関係である、ということはすっかり広まった。
とくにディセル派の派閥は多いので、これは今のうちに取り入っておかないといけないと、アピスの周りにはいっそう人が集まった。
ディセルはアピスの教室へ通い、行き帰りも一緒にしていて片時も離れたくないというすでにカップルのような状態に見えていた。
「本当に……、好きになっちゃったのかな」
「まさか、あいつに限ってそんなことは……」
分からない。
一番しっかりしているように見えても、心の隙を突かれたら、ぐらりと揺れてしまう可能性はある。
二人が恋人同士になったとして、一番怖いのはやはり兄弟との関係だろう。
まさかそこまで変わってしまうかもしれない。
そのことを一番恐れていた。
その時、楽しそうな話し声がして、俺とイグニスは顔を見合わせた。
その声はどんどんとこちらに近づいて来て、ガチャリとドアが開けられた。
「あれ、イグニス様、こちらにいたんですね」
驚いたことにドアから入って来たのはアピスだった。
まるで自分の家のような態度を不思議に思っていると、アピスの後ろからディセルが入ってきた。
「ああ、イグニス。貴方達もこちらにいたのですね。アピスを招待したのですよ。ぜひ、私が作ったお菓子を食べていただこうと思いまして……」
「ねーびっくりだよ。ディセルにこんな趣味があるなんて、しかも今日は特別なクッキーなんでしょう。嬉しいな」
ガタガタとワゴンを押して入ってきたディセルは、当然のように先に座ったアピスの前に、焼き菓子とお茶を用意した。
お皿に載ったクッキーは、真ん中に赤いジャムが載ったものでそれを見た俺の心臓はドキッと鳴った。
「ディセル…、お前っ…それ!」
ディセルと俺は甘いもの好き同士、好きな果物を煮込んで一緒にジャムを作った。
出来上がったものをクッキーに合わせたが、とても美味しくできた。
ディセルはそれをテラクッキーと名付けて、ノーベンやイグニスが食べたがっても、特別なのでダメですと言って渡さなかった。
それなのに……
「んーー、美味しいけど、僕にはちょっと甘いかなぁ。僕って甘すぎるのって苦手なんだった」
「そうですか…。では別のものを用意させましょう」
アピスはクッキーを一口齧った後、残りのクッキーを皿の上にぽとりと落とした。
そしてその皿を手で押して、俺の前で止めた。
「テラ先輩、食べますか? 僕、もういらないんで、あげます」
ディセルと楽しい時間を過ごした思い出が、真っ黒に染まってしまった。
信じられなくて、唇が震えて何も言葉が返せなかった。
「……ディセル、これはどういうことだ? 何を考えてるのか知らないが……、見損なったぞ」
イグニスが腹の奥から出るような低い声を出してディセルを睨みつけた。
誰もが震え上がるような強烈な威嚇のオーラが出ていたが、ディセルの表情は人形のようにピクリとも動かなかった。
「何のことでしょう? 私にとってアピスは大切な方です。何も間違ったことはしていません」
「っつ!! てめぇっ!」
「イグニス!」
ディセルに殴りかかりそうな勢いだったイグニスの腕を掴んで止めた。
血走った目をしたイグニスを見て、俺はもういいのだと首を振った。
「部屋に行こう」
ここにいてはダメだ。
そう思ってイグニスの腕を引いてこの場から離れることにした。
「あれ、テラ先輩帰っちゃうんですか? 残念、もっとお喋りしたかったのに」
「アピス、貴様…調子に乗るなよ」
ダメ押しみたいに話しかけてきたアピスに、イグニスが噛みつこうとしていたので、やはり腕を引いて部屋を出た。
「テラ、何で止めるんだよ」
イグニスの部屋まで着いたら、イグニスはまだ怒りが収まらない様子で興奮していた。
「落ち着いてイグニス。まるで僕達を対立させようしているみたいだ。それに…ディセルの様子もおかしい。何か考えがあるとか以前に別人みたいだ」
「おかしいのは分かる。分かるんだ…! 俺が…俺が…腹が立つのは…、テラにあんな顔をさせたことだ…。まるで俺の心臓を突かれたみたいに苦しい」
「イグニス……」
胸を押さえて怒りに震えているイグニスに近づいた俺は包み込むようにそっと抱きしめた。
「大丈夫、大丈夫…だから」
「テラ…苦しい…」
イグニスのような力を強く持つ者は、怒りの感情に弱いと聞いた。溢れそうな力をコントロールするのは難しく、発散しなければ暴れ回る怒りを体内で押さえ込まないといけない。
それはかなりの苦痛らしい。抱きしめたまま、イグニスの背中を撫でた。
ゆっくりと何度も撫でていくと、ようやくイグニスの呼吸が落ち着いていくのを感じた。
イグニスの呼吸を感じながら、俺は別の可能性について考えていた。
今まではディセルに何か策があって、あえて騙されているフリをしているのかもしれないと考えていた。
しかし明らかにおかしい態度が気になった。
ディセルは食べ物に手をつけて、食べることなく適当に扱う人間が大嫌いだった。
ノーベンがいらないと食事を一口で残した時、作った人間の気持ちを考えろとブチギレだ人だ。
そんな人が自分の作ったものを一口で皿に落とされて、しかも人に渡すなんて姿を見て、真顔でいられるなんて信じられない。
結局その日はイグニスに付いていてノーベンに会うことができなかった。
翌日俺はこの事態について、何かヒントをもらえそうな人に相談することにした。
「なるほどな…、俺もディセルとアピスを見かけたが、あのディセルがアピスの言いなりになっていたからどうも変だなと思っていたんだ」
背もたれに体重をかけて、肩を回しながらファビアン先生は登校中に見かけた二人の様子を話してくれた。
「……何か、されたんじゃないかと思うんですけど、先生なら思い浮かぶものはありませんか?」
「………何かねぇ」
「例えば、魔法とかはどうですか?」
この世界において魔法とは、前の世界で電気がそうであったように、人々の暮らしが便利になるように使われている。
俺の眼鏡がいい例で、一部の金持ちしか恩恵は受けられないが、使われるのは生活に特化したものが中心である。
誰かの心を操ったり攻撃に使われたり、そういった魔法は存在しないといわれていた。
「魔法で人の心を上手く操るようなものは知らないな。普通に考えたら、アピスがディセルを誘惑して、それに落ちてしまったと考える方が自然だ。言っただろう、ペアなら本能的に惹かれてしまうと…。アピスは蜂の女王みたいなもんだ」
「惹かれてしまった…としても、性格まで変わってしまうなんて……」
「一つ心当たりがないわけではない」
ファビアン先生の言葉で、暗雲から一筋の光が差したみたいに胸の中が期待で膨らんだ。
「宮廷の医師だった時代に、危険な魔法具について書かれた禁書があったんだが、それが盗まれて大騒ぎになったことがある。翌日に戻ったが管理者が全員処分されたり、後々まで大変だった。俺も内容は詳しく知らないが、かつての研究者が力を持つ者に対抗しようと生み出した道具について記されているらしい」
「力を持つ者に対抗……、いかにもそれっぽい。ファビアン先生、どうにかしてそれ、見られないかな? 先生の昔のツテを頼ってとか……」
「バカ言うなよ。クビになった男だぜ。禁書なんて皇族でもない限り見れない」
「それだ!」
俺は指なんて鳴らせないが、このタイミングでできることなら、パチンと指を鳴らしたいくらいピースがはまった気分だった。
「は? 何がそれなんだ?」
「先生ありがとう! 俺自身のツテを頼ることにするよ」
お礼を言って慌てて走り出した俺を、ファビアン先生はポカンとした顔で見ながらひらひらと手を振ってくれた。
保健室から飛び出して、廊下を走っていると見慣れた背中が見えた。
探していたのになかなか会えなかったので、やっと見つけたとその背中に向かって声をかけた。
「ノーベン! 聞いて、さっきファビアン先生に話を聞いたんだけどこれから一緒に……」
声をかけたらピタリと足を止めたノーベンがゆっくりと俺の方に振り向いた。
どこか遠くを見るような、感情のない真っ黒な瞳が俺をぼんやりと見つめていた。
「……ノーベン?」
「うるさいな、話しかけないでくれる?」
「えっ…」
まさかそんな言葉が飛び出してくるなんて思わなかったので、走ってきた俺は壁にぶつかりそうになってやっと足を止めた。
「あっ…!」
ノーベンの空洞みたいだった瞳に輝きが戻って、その視線は俺の後ろに注がれていた。
「どこへ行っていたのノーベン。ほら、一緒に帰ろう」
振り返らずともその声の持ち主が誰だか分かって、俺の心臓は一気に冷えて凍りそうになった。
「うん!」
ふわりと微笑んだノーベンが駆け出して俺の横をすり抜けて行った。
ノーベンが走って行ったその先には、こちらも微笑んでいるアピスが立っていた。
走ってアピスに近づいたノーベンはそのままアピスの懐に飛び込んで抱きついた。
ノーベンを抱きとめたアピスは俺を見ていた。茫然としながら立ち尽くしている俺と目が合ったら、口元がゆっくりと動いた。
あと一人
声には出なかったがそう動いたように見えた。
足元が崩れ落ちていき、ぐらぐらと世界が揺れていた。
また一つ、俺が築いてきたものがポキリと折れた。
やけにリアルでハッキリとした音は頭の中にずっと響いていた。
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