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第四章 仲良し大作戦編

⑧顔を上げて歩く道。

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 ルナリス殿下と別室に入った後、すっかりマスターした、お茶の美味しい淹れ方で、疲労回復にいいとされるハーブティーを用意した。
 ついでに自分も欲しいなと殿下をチラチラ見ていたら、お前も飲めと許可をいただいたので喜んで頂くことにした。

「あーー、疲れた体に沁みますねぇ」

「………なぜ、あんな事をしたんだ? 全員の顔と名前を覚えるなんて……」

 パーティーの間、疑問に思っていたのだろう。一息ついてから、殿下はカップの中に視線を注いだまま俺に問いかけてきた。

 俺は皇宮を出てからディセルに協力を求めた。俺の取り柄といえば記憶力なので、直接出向いて確認するしかなかった。
 ディセルに特権を使ってもらい、招待客に事前の出席確認だと適当な事を言って、次々と会いに行った。
 名前はもちろん外見の特徴や、何をしてるか、家族構成など細かく調査して歩いた。
 俺の思っていることが間違いなければ、きっと殿下の力になれるはずだと思いながら頑張った。

「……殿下は、人の顔と名前が覚えられないのではないですか?」

 俺がこんな事をしたのだから、すでに気がついて覚悟はしていたようだ。
 殿下は目を閉じて、小さく息を吐いてから、そうだと答えた。

「ずっと不思議に思っていたんだ。なぜみんな家族でもないのに相手の名前を呼んで親しそうにできるのか……。公務で人と会うようになって気がついたんだ、それが当たり前なのだと……。私は人の名前と顔が一致しない。よほど毎日のように見て親しければ別だが、数回しか会っていないような者で、話したことがあったとしても誰だか分からなくなる。名前を聞いても顔が浮かばない。それに…、調子の悪い時は、家族のことさえ浮かんでこない時もある」

 やはりそうではないかと考えていた通りだった。前世時代、バイト先だった姉のゲーム会社に同じような悩みを持つ人がいて、たまに話を聞いていた。
 その時にどうやって対処しているかも聞いていて、そのことが頭に浮かんだのだ。

「そう気がついてからは地獄だった。ただでさえ体が弱くて兄達に遅れをとっていたし、それで頭もまともでないなんて、私はなんてひどい欠陥品なのだと……。話しかけてきた相手が、自分のことを覚えていないのだと気づかれた時、あの何とも言えない失望したような顔が怖い…。覚えているフリをしたり、時には幼さを出してごまかしたり、その度に心が悲鳴を上げていた」

 下を向いていたルナリス殿下はぽろぽろ涙をこぼしていた。俺はたまらず立ち上がって座っている殿下の側に腰を下ろした。

「大きくなればいつかは治る時がくると願っていたけれど、いっこうに変わることはない。誰かに知られたら、終わりだと……人を遠ざけて、嫌われるように仕向けて……」

「殿下、もう…もういいです。十分伝わりました」

 泣いている殿下の目元にハンカチを当てて震えていた手を握った。
 ここは実力主義の世界。
 健康的で才能に恵まれ、特に剣術に秀でているような見込みのありそうな者は優遇され、周りの者も自然と集まってくる。
 まだ子供であっても、ルナリス殿下は上に立つことがないと判断した者達は近寄ることもなく、本来ならこういった事を支えてくれるような環境がなかった。

 一人で戦ってきたルナリス殿下は傷ついていてとても小さく、今にも消えてしまいそうだった。

「……俺は完璧に丸い人間などいないと思います」

「…………」

「殿下もご兄弟達も、俺も、みんな飛び出たところもあるし、へこんでいるところもある。でこぼこしているのが自然な人間だと思います。もし努力してもへこんでいるところを直すことが出来ないなら、これは自分の一部なのだと受け入れて、歩んでいく道を探して生きてみませんか?」

「道……?」

「そうです。ずっと横についていくものならば、怯えて顔を伏せるより、顔を上げて一緒に手を繋いで歩いていけるくらいの方がずっと楽だし、今まで見えなかったものが、たくさん見えるようになると思います。よく見ること、よく見て観察するんです。そして、それを記録して、困った時に確認できるようにしておく、というのはどうでしょうか?」

 何を言っているのかと目を瞬かせている殿下に、俺は具体的なところを説明することにした。

「名前や見た目の印象、ホクロの位置などの特徴的なところ、喋り方のくせ、匂い、お会いする相手について、そういったところを記録しておくのです。本にしてまとめておくと後から探しやすいですよ」

「……記録か。そうか、書いて残しておけばいいのか。私はいつも頭の中で考えて……。なぜ今まで思いつかなかったのだろう」

 殿下の目の奥に光が宿った。
 人はそれを希望と呼ぶのかもしれない。

「実は今回のパーティー出席者については、俺の方で記録して本にしてみました。名前や特徴からでも探せるように印をつけてあるのでよかったら……」

 コンコンとノックの音がした。
 ちょうどいいタイミングに来てくれたと俺は急いで立ち上がった。

「失礼します。荷物を届けに参りました」

「うわぁ!! いっ…いっ……!!」

 この場所に来るはずのない人がしれっと入って来たので、驚いて大声を上げてしまった。
 事前に、後で部屋に届けてもらうようにディセルに頼んだのだが、それがイグニスに変わっていて嬉しいのと驚きで心臓がバクバクと鳴った。

「先ほど帰って来てからこの話を聞いてすぐに皇宮に向かったんだ。ディセルを見つけてテラの居場所を聞いたらこれを持って行けって……」

「……イグニス。…久しぶり…だね。バタバタしていて…ごめん」

「いや…父親が面倒なことに巻き込んで大変だっただろう。できれば家で迎えてもらいたかったが……こうして会えたのだから……」

 俺の目を見たイグニスはふわりと微笑んだ。こんな時に不意打ちみたいな笑顔はだめだ。気が緩んで顔は火がついたみたいに熱くなってしまった。

「テラ……、会いたかっ…」

「おい、私のことを忘れていないか?」

 思わず抱き合いそうな距離で見つめ合っていたら、いつの間にか真横にルナリス殿下が立っていたので、慌ててバッと体を殿下へ向けた。

「それ、テラが私のために作ってくれたのだろう?」

 殿下がイグニスが持っている本を指差した。
 イグニスはすぐに渡してくれるかと思ったのに、ムッとした顔になって渡すどころか自分の方に引き寄せてしまった。

「イグニス、何やってんだよ。子供みたいなことをして……!」

「……なんか、ムカつくんだよ」

 またそれかと頭に手を当てた。
 イグニスのよく分からないその感じは前にも見たことがある。
 俺に睨まれて、イグニスは渋々といった顔で本をルナリス殿下に手渡した。

「名前でも探せますし、見た目のところは似顔絵なんかも載せていて、他にも趣味が聞けた人は書いちゃったりしてるんですよ」

 ついつい凝ってしまい、何日も徹夜して制作してしまった。
 俺の努力の結晶を殿下に褒めてもらいたくてヘラヘラ笑っていたら、本を広げて中身を確認している殿下はみるみる間に顔が赤くなった。

「なっ…なっ、なんだ…この卑猥な本は!?」

「……へ? ひわい?」

 ぼんやりした頭に本の背表紙が目に入ったら、衝撃で頭が真っ白になった。
 赤い皮張りの本はディセルが用意してくれたものだが、俺はよく似た赤い背表紙の本をもう一冊持っていた。
 殿下が持っていた本はそのもう一つの方、恋人同士のエトセトラと書かれていた。

「ゔあぁぁーーー!! その本は!!」

 慌てて殿下の手から本を奪い取った俺は部屋の端まで走って行き、背中に本を隠してぺたんと床に座り込んだ。

 殿下は真っ赤なままで固まっているし、イグニスは何が起きたのかとポカンとした顔をしていた。

「ん? 間違えたのか? ディセルが馬車の中に置いてある本だと聞いて持ってきたと言っていたが……」

 馬車の中に置いたのは間違いないが、鞄の中に入れておいたのだ。てっきりそれを持ってきてくれると思っていたのに、ディセルが持ってきたのは暇な時に読もうと、足元に隠して置いていた母からもらった本の方だった。
 悲しい偶然なのか見た目も大きさもよく似た作りをしていた。

「でで……殿下、さっきのは間違いです…あはははっ……、本物は後でお部屋の方にお持ちしますので……」

「……テラ、四十八と書かれた、恐ろしいページが……」

「だぁっ! ぱぁっ! 忘れて! 何も見なかったことにしてください!」

 お子様にしかも皇子様にこんな怪しい本を見せてしまうなんて、何という失態。
 陛下にこんな本を見せられたなどと言われてしまったら、エイプリル家など一瞬で吹っ飛んでしまう。
 なんとか無理矢理、話題を変えるしかない。


「でで殿下、そういえばすみません。挨拶の時に、ルポンホパンリブウチ王国のオタンチンウホウホ様の名前を間違えましたよね…」

「テラ、オタンチンウホウホではない。ラタンチスウホイソウ大臣だ。どこをどう覚えたらそうなるんだ」

 さすがに外国からの要人については名前も顔も確認できなかったので、名簿から覚えたつもりだったが、名前が独特すぎて頭に入らなかった。
 幸い初対面だったのと、ささやき役の俺の言葉を無視して殿下は何も言わなかったので、失礼になることは避けられた。
 本人が名乗ってくれた時に間違いに気がついてヒヤッとしてしまった。

「あっーー、なんてこった。俺、記憶力は自信あるんですけど、理解力がないんですよね。もうこれだと一度思い込んだらそれにしか聞こえなくて……、あっこれ、俺のへこんだところですよねぇ、やんなっちゃうなぁ」

「ぷっ……ふふふっ…は…はははははっ」

「へっ…殿下?」

「なっ…なんで、そんな名だと思い込むんだ……はっはははっ、ウホウホって……」

 小学生レベルの俺の間違いに、殿下はお腹を抱えて笑ってくれた。本の件がごまかせそうなのと、いっそ笑ってくれた方が報われるので、俺もつられて一緒に笑った。

「テラ、私はお前のへこんだところは、結構好きだぞ」

 いつの間にかすぐ側まで歩いてきていた殿下が、顔を近づけてきて俺の頬にキスをした。

「なっ…! あああああっ!!!」

 一瞬何が起きたのかと時が止まった。ボケっと突っ立っていたイグニスが、その光景を見て大口を開けて叫んだのを聞いて我に返った。

「おっおおち落ち着いてイグニス、頬のキスは皇族では信頼の証で、確か褒美みたいなものだと聞いたし…まだ殿下は子供で……」

「んなこと知るか! おい、お前! 俺はテラの恋人でそういう事は、俺にだけ許されているんだ。子供だから一度は許してやるが二度目は……」

「イグニス! 皇子にお前はダメだって」

 子供相手に本気でゴツンとゲンコツでもしそうな勢いのイグニスを、必死で体で止めていると、ルナリス殿下は俺の後ろに隠れてきた。

「テラ、このお兄ちゃん、怖い……」

「こっのぉ……」

「殿下、大丈夫です。ちょっと無愛想ですけど、優しくていいやつですから……」

「この者は本当にテラの恋人なのか?」

「ええ、そうです」

「そうか、だったら私も仲良くしたい」

 どうやら誤解があったようだ。
 俺の後ろからひょこっと出てきた殿下はイグニスに向かって、手を差し伸べて天使のような微笑みを浮かべた。

 さすがに子供の無邪気な微笑みを見せられて、イグニスは気まずい顔になり、渋々といった様子で手を出して二人で握手をした。
 さっきまで、ほあんとした笑顔だったルナリス殿下だったが、握手をしたらキリッとした大人のような顔になった。

「貴様がラギアゾフ家の次男、イグニス・ラギアゾフか」

「は?」

「あっ、殿下、イグニスの名前を覚えたんですね」

 密に話していたから、早速覚えてくれたらしい。いい傾向だと俺が笑うと、殿下は片側だけ口を持ち上げてニヤリと笑った。

「お前はなんかムカつく顔だから、覚えやすいな。次に見てもすぐ思い出しそうだ」

「は?」
「へ?」

 俺とイグニスの声が重なって、低音と高音でいい感じのハーモニーみたいに聞こえた。
 当然、自分の耳を疑った俺もイグニスもポカンとして口を開けたままになった。

「そろそろパーティーの締めの私の挨拶だ。二人とも、会場でぜひ聞いてくれ」

 ここに来るまでの殿下とは比べ物にならないくらいの輝きを放ちながら、機嫌良さそうに笑って殿下は先に部屋から出て行ってしまった。
 まるで水の中を泳ぐ魚みたいに足取りが軽くなったように思えた。もしかしたら、あれが彼の本来の姿なのかもしれない。

「あーのークソガキがぁぁぁ!!」

「……イグニス、心の声漏れてるから」

 パーティーは間もなく終わる。
 俺の役目もようやく終了となるだろう。
 約一名キレているが、とにかく無事に終わったとほっと胸を撫で下ろしたのだった。







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