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第四章 仲良し大作戦編
⑥めげない男。
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「おはようございます! テラです! 爽やかな朝ですね。風もなく穏やかですよ。さぁ、一緒に庭園を散歩しませんか?」
「行かない」
「こんなところでお会いするとは偶然ですね。あっ、私はテラです。実は甘いものが大好きなのですが、あちらのテラスで殿下も一緒に……」
「食べない」
「今日も一日お疲れ様でした。夜も来ちゃいましたテラです。殿下、良かったら絵本でも読んでさしあげましょうか?」
さすがにマズかったか、怒りを通り越した無の顔でルナリス殿下は俺の目の前でドアを閉めてしまった。
ガチャリとドアが閉まる音が胸を抉るように響いた。テンション高く頑張ったが、今日もダメだったかとガクンと項垂れた。
やろうと決めてから、俺は毎日自分の名前を連呼しながら、あの手この手でしつこいくらいに殿下に話しかけた。
今のところ、一度も誘いには乗ってもらえず。まともに会話すらできない。
しかし収穫はあった。
殿下が俺のことを見てくれるようになった。
最初の頃の空気から比べるとやっと人間扱いしてもらえるようになったので大きな進歩だ。
「……殿下、明日は名前を呼んでくれるかな」
覚えてくれないなら、嫌でも目につくくらいにしてやろうと奮闘してきた。
生誕記念のパーティーはもう来週だ。
すでに宮殿では準備も始まっている。
本人は出るつもりがないとまだ言っていて、周囲は困惑しながら準備を進めていた。
ガシャン。
またあの音が鳴った。
こんな音、年に一度聞くか聞かないかなのに、ここに来たら毎日のように聞いていた。
物を投げる癖のある皇子のおかげで、お皿や花瓶がどうも少なくなったようにさえ感じる。
今日は花瓶かななんて思いながらノックをして部屋に入ったら、ルナリス殿下は床の上を這いつくばるようにしていた。
「えっ……!? でっ殿下、何をされているんですか?」
「……見て分からないのか? 服を引っ掛けて花瓶を落としてしまった。破片を拾っているんだ」
意味が分からない。
毎日、コントのように割り続けている男が、故意ではなく偶然やってしまったら、片付けようという気持ちになるものなのだろうか。
「危ないですっ、俺に任せてください。いつもはこんなことされないのに……」
「この前……お前が皿の話をしていただろう。またされたらうるさいから……片付けようとしただけだ」
気まずそうに目を逸らしながら、殿下はもごもごと喋ってきた。
はて、この前……、と考えて思い浮かんだのは、綺麗な花の描かれたお皿の話だった。
(見てください殿下。殿下が投げたお皿の破片に描かれた花、とても綺麗ですね)
(…………)
(これを描いた人はきっと使う人に喜んでもらいたいって気持ちを込めたんですよ。だから割れてもこんなに綺麗に見えるんですね)
(………だからなんだ?)
(せっかくこんなに綺麗なんですから、ちゃんと丸い形のままの状態だったら、もっと綺麗でしたよね。それが……この状態になったらもう見ることはできない。俺は…何だか悲しい気持ちになります)
(……………)
そういえばそんな話をしたなと思い出した。
あの後殿下はいつもと変わらず俺をうるさいと追いだしたので、まさか覚えていたのだなんて思わなかった。
なんてことはない。俺はただ、作った人の気持ちを考えて欲しかっただけだ。
それが少しは伝わってくれたのかもしれない。どうにもイジらしい態度が可愛く思えてしまった。
「わざとやったわけじゃないなら、俺は何も言いませんよ。殿下がお怪我をしなくて良かったです」
俺がそう言うと、ルナリス殿下は目を伏せて悲しそうな顔になった。
「私は……尊重されるような人間ではないのだ」
「どうして、そう思うのですか?」
ルナリス殿下はもっと目を伏せて口を閉ざしてしまった。やはり心は奥深く、厳重に鍵をかけて触れられることを恐れているようだ。
「……では、ちゃちゃっと片付けちゃいましょう」
俺が黙々と破片を集め始めたのを、殿下はぼんやりと眺めていた。
「……聞かないのか? なぜ? どうして? 何が不満なのかどうか話してください。お力になりたいのです。そうやって……みんな聞いてくるのに……」
「話したくないことは、誰にでもありますからね。話したい時にその相手が俺だったらいくらでも聞きますけど」
「…………」
「あっ、できれば甘いものでも食べながらがいいかな。その方が苦い話もちょっとだけ甘く感じるから」
ドラマとかで女子が甘い物を食べながら男の愚痴を言い合ってるみたいなシーンは俺の憧れだ。
前世も含めていまだ賛同してくれる男がいないので、その機会はなかなかない。
「………テラ、変なやつだな」
あ、笑った。
やばっ天使。
「うぉあああ! なっ名前!? 覚えてくれたんですか?」
「……あれだけ毎日うるさく言われていたら、嫌でも覚える」
これはツンデレ?
あ、いやまだデレではないけど。
少し仲良くなれたかな……。
「っっ…あたっっ!!」
やっと名前を呼んでくれたことに感動して、手元を見ていなかったら、破片に指を突き刺していた。
それほど切ってはいないが、遅れてきた痛みに大げさに声を上げてしまった。
「何をやっている!! お前はたまに抜けているところが多いぞ。どこが優秀な侍従なんだ」
殿下が自分のハンカチを取り出して俺の傷口に当ててくれた。
どうやら見ていないようで、ちゃんと見ていてくれたらしい。
ほっこりして嬉しくなったが、ハッと気がついた俺は急いで尻に手を当てた。
「……なんだ? そんなところを急に…痛めたのか?」
「あ……いや、ちょっと古傷があってたまに疼く、と言いますか……あははっ、大丈夫そうです、よかった」
指が切れて血が出てしまったので、繋がっているイグニスがまたあの状態にならないか不安になったが、特に変化はない。
コントロールしているのか、距離的な問題があるのか。
とりあえず、子供の前で何事もなくてよかった。
「さっ、だいたいまとめたので後は袋に入れます。倉庫に取りに行きますから、殿下は触らないで離れていてくださいね」
「わ…分かった」
ちゃんと話せば素直ないい子だ。
何が彼を駆り立てるように怒りに導いてしまうのか分からないが、少しだけ胸の内を知ることができたような気がした。
「テラ、こっちだ。早くしろ」
「テラ、そんなことも分からないのか」
「テラ、こぼしている。ちゃんとしろ!」
「はぁ…い。すみませんー」
少しだけ仲良くなれたかなと思った翌日から、ルナリス殿下は呼吸をするぐらいの頻度で俺の名前を呼ぶようになった。
今まで空気だった時は寂しいななんて思っていたけど、これはこれで忙しい。
しかもだいたいが怒られているので、何だ俺と思えてくる。
「はい、これ。殿下に持って行ってね。テラをご指名なの」
俺の癒しの皇族のランチおつまみタイムが、ドンっとメラニーに置かれたケーキによって儚く散ってしまった。
「ああ…、まだお肉の美味しいところを残していたのに……」
「取っておくから、殿下のご機嫌がいいうちにいきな」
おばちゃんにまで言われてしまったら動かないわけにいかない。
「テラのおかげで助かってるわ。すっかりお気に入りね。物が飛んでくることはなくなったし、掃除も楽なの。ありがとう。さっ、またよろしくネ」
感謝をしているなら少し見逃すとかして欲しい。しかも美味しそうなケーキを自分で食べるわけじゃないのに運ぶなんて切ないことをさせるなんて、酷なお人だ。
住み込みでのお仕事だったが夜は比較的好きにさせてもらえたのに、最近は夜も殿下に呼ばれて、あれこれと仕事を命ぜられた。
大したことではないのだから他の人でもいいのに、俺だ。
仲良くなってパーティーに出てもらうようにお願いするのが目的だったので、それはそれで良いのだけれど、方向が違う気がしてきた。
「はいどうぞ。美味しいケーキですよ、召し上がれ」
食事を終えて早速本を読んでいる殿下の前に、俺は運んできたケーキとお茶を丁寧に置いた。
「私は食べない」
ぬぅなぁに!?
まさかここまでさせておいて、いつもの気まぐれワガママかと、こめかみに怒りマークが浮かび上がったが、顔は笑顔をキープした。
「そ…うですか、では下げましょうか」
「いや、テラが食べてくれ」
「へ……?」
「甘いもの、好きなんだろう。いつものお礼だ」
ルナリス殿下は本の中に隠れるように顔をうずめていたが、その頬が赤くなっているところが見えてしまった。
ナニコノコ。
ついにデレがきた?
可愛いんですけど……。
「あ…あありがとうございます。では遠慮なく」
もらったものは素直に受け取る。
俺のモットーだ。
クリームたっぷりでトロけるチョコレート。
美味すぎて泣きそう。
「テラ、付いてるぞ」
殿下の小さな指が伸びてきた、俺の頬に付いたクリームを拭った。
まさか、殿下の前で失礼をしてしまったと慌てたが、殿下はそれをパクっと口に入れた。
「……甘い」
昼下がりの日差しは柔らかくて暖かい。
パンの上に伸びたバターみたいに、まったりとキラキラ輝きながら、殿下は笑っていた。
前言撤回。
この子、ツンデレじゃなくて魔性だわ。
まさか十歳の子供相手に恥ずかしくて真っ赤になっている俺を見て、殿下はおかしそうにケラケラと笑い続けた。
そんなよく分からない、謎の甘い空気が流れる空間にノックの音が響いた。
「失礼します。ルナリス殿下、お客様をお連れしました」
まず侍従長が部屋に入ってきて、続いて大柄な男性と殿下と同じくらいの歳の子供が入ってきた。
「ルナリス殿下、先日ご挨拶させていただきありがとうございます。ぜひうちの息子を遊び相手にというお話で、陛下からも許可をいただきまして今日は連れてまいりました」
親子は立派な服に身を包み堂々とした雰囲気で、明らかに高貴な身分だと分かった。
皇族に取り入りたい父親が、同年代の息子を今のうちから仲良くさせておこうというよくある話だ。
さすがに相手が子供なら、殿下も打ち解けた態度になるかなと思って見たら、殿下の顔は明らかに強張っていた。
「……殿下、先日の謁見の際に、私はご挨拶させていただいたのですが……もしかして……」
何も言わない殿下に、父親の方が困った顔になって話しかけてきた。
「……ああ、覚えている。悪いが今は体調が優れない」
「それは…、申し訳ございません! でっ…ではまた、体調のよろしい時に。いつでもご連絡ください」
眉間に皺を寄せて機嫌が悪そうな殿下の様子に、親子は慌てて頭を下げて侍従長と部屋を出て行った。
少し前まで元気だったし、機嫌も良さそうだったのにどうしたのだろうかと俺は首を傾げた。
「せっかく来ていただいたのですから、一応手紙を書いておきましょうか。先程の方達はどなたですか?」
今まで引きこもり状態だった俺は、貴族になんて詳しくないので名前が分からない。
殿下にちゃんと確認してから侍従として手紙を代筆しようとしたら殿下は悲痛な顔になって口元を両手で押さえた。
「……知らない、いや…分からない」
「殿下?」
「分からないんだ……」
見間違いかと思って瞬きしてから息を呑んだ。
殿下の目からぽろぽろと涙が溢れていた。
透き通った美しい紫の瞳から止めどなく滴が流れていくのを、俺は言葉を失って呆然としながら見ていた。
□□□
「行かない」
「こんなところでお会いするとは偶然ですね。あっ、私はテラです。実は甘いものが大好きなのですが、あちらのテラスで殿下も一緒に……」
「食べない」
「今日も一日お疲れ様でした。夜も来ちゃいましたテラです。殿下、良かったら絵本でも読んでさしあげましょうか?」
さすがにマズかったか、怒りを通り越した無の顔でルナリス殿下は俺の目の前でドアを閉めてしまった。
ガチャリとドアが閉まる音が胸を抉るように響いた。テンション高く頑張ったが、今日もダメだったかとガクンと項垂れた。
やろうと決めてから、俺は毎日自分の名前を連呼しながら、あの手この手でしつこいくらいに殿下に話しかけた。
今のところ、一度も誘いには乗ってもらえず。まともに会話すらできない。
しかし収穫はあった。
殿下が俺のことを見てくれるようになった。
最初の頃の空気から比べるとやっと人間扱いしてもらえるようになったので大きな進歩だ。
「……殿下、明日は名前を呼んでくれるかな」
覚えてくれないなら、嫌でも目につくくらいにしてやろうと奮闘してきた。
生誕記念のパーティーはもう来週だ。
すでに宮殿では準備も始まっている。
本人は出るつもりがないとまだ言っていて、周囲は困惑しながら準備を進めていた。
ガシャン。
またあの音が鳴った。
こんな音、年に一度聞くか聞かないかなのに、ここに来たら毎日のように聞いていた。
物を投げる癖のある皇子のおかげで、お皿や花瓶がどうも少なくなったようにさえ感じる。
今日は花瓶かななんて思いながらノックをして部屋に入ったら、ルナリス殿下は床の上を這いつくばるようにしていた。
「えっ……!? でっ殿下、何をされているんですか?」
「……見て分からないのか? 服を引っ掛けて花瓶を落としてしまった。破片を拾っているんだ」
意味が分からない。
毎日、コントのように割り続けている男が、故意ではなく偶然やってしまったら、片付けようという気持ちになるものなのだろうか。
「危ないですっ、俺に任せてください。いつもはこんなことされないのに……」
「この前……お前が皿の話をしていただろう。またされたらうるさいから……片付けようとしただけだ」
気まずそうに目を逸らしながら、殿下はもごもごと喋ってきた。
はて、この前……、と考えて思い浮かんだのは、綺麗な花の描かれたお皿の話だった。
(見てください殿下。殿下が投げたお皿の破片に描かれた花、とても綺麗ですね)
(…………)
(これを描いた人はきっと使う人に喜んでもらいたいって気持ちを込めたんですよ。だから割れてもこんなに綺麗に見えるんですね)
(………だからなんだ?)
(せっかくこんなに綺麗なんですから、ちゃんと丸い形のままの状態だったら、もっと綺麗でしたよね。それが……この状態になったらもう見ることはできない。俺は…何だか悲しい気持ちになります)
(……………)
そういえばそんな話をしたなと思い出した。
あの後殿下はいつもと変わらず俺をうるさいと追いだしたので、まさか覚えていたのだなんて思わなかった。
なんてことはない。俺はただ、作った人の気持ちを考えて欲しかっただけだ。
それが少しは伝わってくれたのかもしれない。どうにもイジらしい態度が可愛く思えてしまった。
「わざとやったわけじゃないなら、俺は何も言いませんよ。殿下がお怪我をしなくて良かったです」
俺がそう言うと、ルナリス殿下は目を伏せて悲しそうな顔になった。
「私は……尊重されるような人間ではないのだ」
「どうして、そう思うのですか?」
ルナリス殿下はもっと目を伏せて口を閉ざしてしまった。やはり心は奥深く、厳重に鍵をかけて触れられることを恐れているようだ。
「……では、ちゃちゃっと片付けちゃいましょう」
俺が黙々と破片を集め始めたのを、殿下はぼんやりと眺めていた。
「……聞かないのか? なぜ? どうして? 何が不満なのかどうか話してください。お力になりたいのです。そうやって……みんな聞いてくるのに……」
「話したくないことは、誰にでもありますからね。話したい時にその相手が俺だったらいくらでも聞きますけど」
「…………」
「あっ、できれば甘いものでも食べながらがいいかな。その方が苦い話もちょっとだけ甘く感じるから」
ドラマとかで女子が甘い物を食べながら男の愚痴を言い合ってるみたいなシーンは俺の憧れだ。
前世も含めていまだ賛同してくれる男がいないので、その機会はなかなかない。
「………テラ、変なやつだな」
あ、笑った。
やばっ天使。
「うぉあああ! なっ名前!? 覚えてくれたんですか?」
「……あれだけ毎日うるさく言われていたら、嫌でも覚える」
これはツンデレ?
あ、いやまだデレではないけど。
少し仲良くなれたかな……。
「っっ…あたっっ!!」
やっと名前を呼んでくれたことに感動して、手元を見ていなかったら、破片に指を突き刺していた。
それほど切ってはいないが、遅れてきた痛みに大げさに声を上げてしまった。
「何をやっている!! お前はたまに抜けているところが多いぞ。どこが優秀な侍従なんだ」
殿下が自分のハンカチを取り出して俺の傷口に当ててくれた。
どうやら見ていないようで、ちゃんと見ていてくれたらしい。
ほっこりして嬉しくなったが、ハッと気がついた俺は急いで尻に手を当てた。
「……なんだ? そんなところを急に…痛めたのか?」
「あ……いや、ちょっと古傷があってたまに疼く、と言いますか……あははっ、大丈夫そうです、よかった」
指が切れて血が出てしまったので、繋がっているイグニスがまたあの状態にならないか不安になったが、特に変化はない。
コントロールしているのか、距離的な問題があるのか。
とりあえず、子供の前で何事もなくてよかった。
「さっ、だいたいまとめたので後は袋に入れます。倉庫に取りに行きますから、殿下は触らないで離れていてくださいね」
「わ…分かった」
ちゃんと話せば素直ないい子だ。
何が彼を駆り立てるように怒りに導いてしまうのか分からないが、少しだけ胸の内を知ることができたような気がした。
「テラ、こっちだ。早くしろ」
「テラ、そんなことも分からないのか」
「テラ、こぼしている。ちゃんとしろ!」
「はぁ…い。すみませんー」
少しだけ仲良くなれたかなと思った翌日から、ルナリス殿下は呼吸をするぐらいの頻度で俺の名前を呼ぶようになった。
今まで空気だった時は寂しいななんて思っていたけど、これはこれで忙しい。
しかもだいたいが怒られているので、何だ俺と思えてくる。
「はい、これ。殿下に持って行ってね。テラをご指名なの」
俺の癒しの皇族のランチおつまみタイムが、ドンっとメラニーに置かれたケーキによって儚く散ってしまった。
「ああ…、まだお肉の美味しいところを残していたのに……」
「取っておくから、殿下のご機嫌がいいうちにいきな」
おばちゃんにまで言われてしまったら動かないわけにいかない。
「テラのおかげで助かってるわ。すっかりお気に入りね。物が飛んでくることはなくなったし、掃除も楽なの。ありがとう。さっ、またよろしくネ」
感謝をしているなら少し見逃すとかして欲しい。しかも美味しそうなケーキを自分で食べるわけじゃないのに運ぶなんて切ないことをさせるなんて、酷なお人だ。
住み込みでのお仕事だったが夜は比較的好きにさせてもらえたのに、最近は夜も殿下に呼ばれて、あれこれと仕事を命ぜられた。
大したことではないのだから他の人でもいいのに、俺だ。
仲良くなってパーティーに出てもらうようにお願いするのが目的だったので、それはそれで良いのだけれど、方向が違う気がしてきた。
「はいどうぞ。美味しいケーキですよ、召し上がれ」
食事を終えて早速本を読んでいる殿下の前に、俺は運んできたケーキとお茶を丁寧に置いた。
「私は食べない」
ぬぅなぁに!?
まさかここまでさせておいて、いつもの気まぐれワガママかと、こめかみに怒りマークが浮かび上がったが、顔は笑顔をキープした。
「そ…うですか、では下げましょうか」
「いや、テラが食べてくれ」
「へ……?」
「甘いもの、好きなんだろう。いつものお礼だ」
ルナリス殿下は本の中に隠れるように顔をうずめていたが、その頬が赤くなっているところが見えてしまった。
ナニコノコ。
ついにデレがきた?
可愛いんですけど……。
「あ…あありがとうございます。では遠慮なく」
もらったものは素直に受け取る。
俺のモットーだ。
クリームたっぷりでトロけるチョコレート。
美味すぎて泣きそう。
「テラ、付いてるぞ」
殿下の小さな指が伸びてきた、俺の頬に付いたクリームを拭った。
まさか、殿下の前で失礼をしてしまったと慌てたが、殿下はそれをパクっと口に入れた。
「……甘い」
昼下がりの日差しは柔らかくて暖かい。
パンの上に伸びたバターみたいに、まったりとキラキラ輝きながら、殿下は笑っていた。
前言撤回。
この子、ツンデレじゃなくて魔性だわ。
まさか十歳の子供相手に恥ずかしくて真っ赤になっている俺を見て、殿下はおかしそうにケラケラと笑い続けた。
そんなよく分からない、謎の甘い空気が流れる空間にノックの音が響いた。
「失礼します。ルナリス殿下、お客様をお連れしました」
まず侍従長が部屋に入ってきて、続いて大柄な男性と殿下と同じくらいの歳の子供が入ってきた。
「ルナリス殿下、先日ご挨拶させていただきありがとうございます。ぜひうちの息子を遊び相手にというお話で、陛下からも許可をいただきまして今日は連れてまいりました」
親子は立派な服に身を包み堂々とした雰囲気で、明らかに高貴な身分だと分かった。
皇族に取り入りたい父親が、同年代の息子を今のうちから仲良くさせておこうというよくある話だ。
さすがに相手が子供なら、殿下も打ち解けた態度になるかなと思って見たら、殿下の顔は明らかに強張っていた。
「……殿下、先日の謁見の際に、私はご挨拶させていただいたのですが……もしかして……」
何も言わない殿下に、父親の方が困った顔になって話しかけてきた。
「……ああ、覚えている。悪いが今は体調が優れない」
「それは…、申し訳ございません! でっ…ではまた、体調のよろしい時に。いつでもご連絡ください」
眉間に皺を寄せて機嫌が悪そうな殿下の様子に、親子は慌てて頭を下げて侍従長と部屋を出て行った。
少し前まで元気だったし、機嫌も良さそうだったのにどうしたのだろうかと俺は首を傾げた。
「せっかく来ていただいたのですから、一応手紙を書いておきましょうか。先程の方達はどなたですか?」
今まで引きこもり状態だった俺は、貴族になんて詳しくないので名前が分からない。
殿下にちゃんと確認してから侍従として手紙を代筆しようとしたら殿下は悲痛な顔になって口元を両手で押さえた。
「……知らない、いや…分からない」
「殿下?」
「分からないんだ……」
見間違いかと思って瞬きしてから息を呑んだ。
殿下の目からぽろぽろと涙が溢れていた。
透き通った美しい紫の瞳から止めどなく滴が流れていくのを、俺は言葉を失って呆然としながら見ていた。
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